戦艦 比叡(日本海軍)

太平洋戦争では空母に随伴して大活躍した4隻の金剛型戦艦。
いろいろ話題の多い軍艦ですが、比叡はとくにユニークな経歴を持っています。
比叡は36cm砲8門を装備する金剛型の2番艦として、大正3年に竣工しました。
ところが、昭和5年のロンドン軍縮会議の結果、防御力と機関強化のため入渠中の比叡は練習戦艦に降格され、
たまに天皇陛下の御召艦として式典時に利用されるだけになりました。
やがて、昭和12年のロンドン条約の無効化に伴い、戦列復帰の大改装が施されることになり、
極秘裏に研究が進んでいた大和型戦艦のための新式装備の実験台として使われました。
そのため、艦橋の構造などは姉妹艦よりも大和型に類似することになりました。
太平洋戦争において30ノットの高速を誇る比叡は、
同型艦の霧島と共に機動部隊の護衛艦としてハワイ、インド洋、ミッドウェーなど多くの作戦に従事しました。
そして昭和17年のガダルカナル攻防戦でも、敵飛行場の夜間砲撃のため出撃しましたが、
警戒中の米艦隊と遭遇して乱戦となり、数隻の巡洋艦に大損害を与えたものの、比叡も多数の命中弾を浴びて浸水により沈没。
太平洋戦争で沈んだ最初の日本戦艦となりました。(1990年)
(キット:1/700 フジミ)
模型と背景はCG合成です。