ノースロップ・ガンマ
プロフィール機
アメリカ 無塗装




1932年に初飛行したノースロップ ガンマはアメリカのレーサー機、高速郵便機で、
ロサンゼルス〜ニューヨーク間の大陸横断スピード記録(13時間26分)を樹立し、
初の南極大陸横断飛行を成し遂げた歴史的名機です。
1930年代前半、日本は本機を輸入し、その内部構造から全金属製の低翼単葉機の製造方法を学びました。
これにより、ハインケルHe70から学んだ洗練された流線型の空力デザインを、
軽量かつ強固に形にすることが可能になり、国産機は飛躍的な進化を遂げました。
30年代後半になると、九試単戦(後の九六艦戦)、九七式戦、九七式司偵、九七艦攻、九九艦爆、九九式襲撃/軍偵といった、
世界有数の高性能機が次々と登場し、零戦や一式戦においてそのピークを迎えました。
一方、アメリカでも本機の設計思想を受け継ぎ、航空母艦で運用できるように再設計した、
海軍のTBDデバステーター雷撃機とSBDドーントレス偵察爆撃機が誕生しました。
こうしてノースロップ ガンマを共通の起源に持つ航空機同士が、
太平洋戦争前半に日米それぞれの主力機として激戦を繰り広げる構図が生まれたのです。
しかし、日本の航空機産業が短期間で著しい成長を遂げたことは、アメリカ側に強い危機感を抱かせました。
1938年、アメリカは日中戦争を続ける日本に対し道義的禁輸を発動しました。
この事実上の技術封鎖により、順調に進展していた日本の航空機開発は停滞を余儀なくされました。
とくに2000馬力級エンジンや二段二速過給機といった先進的な航空技術へのアクセスが難しくなったことは、
後に1943年以降に登場する米軍新型戦闘機との性能格差を決定的なものにする一因となりました。
設計
機体は先に手がけた九七艦攻の図面をベースに、
胴体や大きなスパッツに包まれた固定脚などを、ノースロップ・ガンマ本来の形に合わせて作り直しました。
全長は3人乗りの九七艦攻と比べて1cm短くなり、キャノピーの高さも低く抑えられ、軽く仕上がっています。
しかし、垂直尾翼の方向安定性は低くなっているため、
大きな側面積の固定脚の向きが左右にずれていると、そちらの方向へ旋回してしまいます。
飛ばすたびに固定脚の向きを正面に直すことが、まっすぐ飛ばすためのポイントとなります。
また、水平尾翼は細長く曲がりやすいため、折り目をつけて、まっすぐピンと張るように補強しました。
中心線から左右に半分ほどの長さまでは、主翼キャンバーと同様に浅く「へ」の字に折り目をつけ、
残りの外周部はそのままで自由に曲がるようにして、着地時のショックを吸収させるのがよさそうです。
この水平尾翼の補強方法は、九七艦攻にも適用できます。
アメリカ 無塗装

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このプロフィール機についての補足説明:

(完成 2026年7月22日)