套餐の戒律・中篇－初期馬具vs福泉洞古墳群

萬維網考古夜話第85話 9/Jun/2003

前篇だけ公開した後3か月も明けてしまいました。忙しくなった上に，後篇でお話する話題の一部を先に印刷物にしてしまい，すっかり気合が入らなくなりました(^^;ゞ。

先日，考古学協会のときに発売された『土曜考古』第27号に載っているので，今回の末尾に書誌情報を載せたいところですが，まだ原本を見たことがなくてページ数がわからないので，またそのうち，と言うことにします。

学問的な部分は印刷物に譲ることとして，活字にできないような学問以前と言うか，周辺的な話題は，引き続きインターネットでお楽しみいただくこととしましょう。

前篇の趣旨は，尾野善裕氏が金斗喆氏の論文を引用するとき，「韓国と日本の馬具」の比較から「韓国の馬具」を消し去り，馮素弗墓と日本の初期馬具の関係に議論を摩り替えている，というものでした。思い出しましたか？引用文献から中心主題を抹消するとは，たいしたものですね。

馮素弗墓と日本の初期馬具を抽出したところで，尾野氏得意の外来系遺物の年代の上方硬直説を持ち出して，日本の馬具を頭打ちで底なしにしようというわけです。

消された皇南洞109号墳

馮素弗墓の重要性に気づいて日本に紹介したのは，尾野氏も指摘するように穴沢咊光・馬目順一の両氏でした。しかし，両氏の説くところは，尾野氏の紹介とは微妙に違っています。

田中角栄首相と周恩来首相が共同声明に調印して日中国交正常化が果たされたのが1972年9月29日でした。文化大革命（1966～1976）で中断していた専門誌の刊行が再開したのも同じ1972年。復活した『考古』『文物』『考古学報』などには，文革直前・文革中の重要な発掘資料が次々と紹介されるようになりました。馮素弗墓も1965年に調査された木槨墓です。穴沢・馬目両氏は，馮素弗墓が「五胡十六国」の空白を埋める考古資料として紹介し，さらに高句麗の壁画古墳と比較したり，当時最も古い鐙の実例として重要性を強調した後に，日本の初期馬具との対比を始めます。

ここで両氏は，馮素弗墓から一旦離れ，日本の初期馬具を，韓国慶州の皇南洞109号墳第4槨，皇吾洞14号墳第1副槨の馬具と対比しています。小野山節氏の研究〔1966〕を念頭において，鐙の形だけでなく，杏葉が伴うかどうかという，セット関係の問題も挙げて，七観古墳や新開1号墳の馬具は皇南洞109号墳第4槨のものに近く，皇吾洞14号墳第1副槨のものはそれより新しいというのです。

皇南洞，皇吾洞は，報告書や穴沢・馬目論文では「皇南里」「皇吾里」という古い呼称になっていますが，ここでは現在の地名で呼ぶことにします。

穴沢・馬目両氏は，その上で，「馮素弗墓出土の輪鐙は，実にこれら日本と新羅の最古式の輪鐙に酷似しているのである。」〔穴沢咊光・馬目順一1973：10〕と言いながらも，馮素弗墓の鐙と日韓の鐙では，鉄板の張り方が違う（重要）ことなど，相違点も見逃していません。

この一連の記述には，図が伴っています。その「図7」には4つの鐙が挙げられています。馮素弗墓の鐙，皇南洞109号墳第4槨の鐙，新開1号墳の鐙，七観古墳の鐙です〔穴沢咊光・馬目順一1973：11〕。

ここで尾野氏の1998年論文を見てみましょう。

1 中国遼寧省にある馮素弗（415年没）墓から出土した木心金銅張輪鐙が、大阪府の七観古墳や滋賀県の新開1号墳から出土している木心鉄板張輪鐙に近い形状であり、これらが日本の古墳から出土する初期の馬具であることから、日本の初期馬具出土古墳を5世紀前半とする。（穴沢・馬目1973、白石1979）〔尾野善裕1998：78〕

そして，尾野氏は「図5」に，穴沢・馬目論文からの転載として，3つの鐙を挙げています。馮素弗墓の鐙，新開1号墳の鐙，七観古墳の鐙です〔尾野善裕1998：78〕……皇南洞109号墳第4槨の鐙が消えています。

またもや抹消……。もう少し，先を読んでみましょう。

1 日本の七観古墳・新開1号墳から出土している木心鉄板張輪鐙と、中国・北燕の馮素弗墓出土の木心金銅張輪鐙との形態的類似性を、同時代性を示すものと考えることがこの年代比定の前提である。確かに、両者は比較的類似した形状のものではあるのだが、輪の断面形は全く異なっており、酷似例とするにはやや距離が感じられる。韓国の金斗喆は、日本の七観古墳・新開1号墳出土例を馮素弗墓出土例より後出するものと見なし、両者の間にはさらに1型式が介在するとしている（金1996）。〔尾野善裕1998：79-80〕

類似性をどのように年代観に置換するかはさておき，穴沢・馬目氏も馮素弗墓の馬具と日本の初期馬具だけを直接比較しているのではないのですから，この批判はフェアではありません。もうひとつ，穴沢・馬目両氏は（と言うより，その論文で参考にした小野山氏の研究以来），鐙だけでなく杏葉などほかの馬具とのセット関係が重視されていたと言うのに，尾野氏は鐙が似ているかどうかに議論を矮小化しています。

少し穿った見方をすると，鐙の形態差だけを問題にする限り，お得意の外来系遺物の年代の上方硬直説を適用しやすいのですが，セット関係自体が並行して変化する場合，伝播先の年代をずるずると遅くはできないという事情が……，あ，これは疑いすぎ。単純に杏葉なんて念頭にないだけかもしれません。小野山氏の論文には言及してないし。

介在する韓国の鐙

他人の学説を歪曲したり，一部伏せて引用することで，（不当な）批判を可能にする……尾野氏の手口がここでも明らかになりました。しかも，前篇で少し触れたように，批判の根拠に使われている金斗喆氏の論文も，正しく引用されてはいません。とはいえ，金斗喆氏の研究に触れる前に，穴沢・馬目両氏と金斗喆氏の間の20年以上の学史に寄り道しましょう。

特に重要なのは，福泉洞古墳群の発掘成果です。この調査をもとに日韓の鐙について申敬澈氏が発表した見解は，日本語でも読むことができます〔申敬澈1986〕。論点はいくつかありますが，ここで重要な点は次の3つ。

福泉洞10・11号墳が日本の七観古墳や新開1号墳などと同時期と主張していること。
福泉洞10・11号墳は皇南洞109号墳第4槨より新しく，皇吾洞14号墳第1副槨より古いと主張していること。
皇南洞109号墳第4槨は福泉洞21・22号墳と同時期と主張していること。

この論文で申敬澈氏が重視した鐙の輪の形態に関する論点は，千賀久氏が検討している〔1988：44-46〕ように，ちょっと引っかかる部分もありますが，上の3つの年代観については，各研究者の新羅土器の相対編年や，日韓の馬具比較論でも，大きな異論はなく，日本でも通説に近いものとなっています。

もっと重要なことは，福泉洞古墳群の調査によって，日本の初期馬具は，韓国の馬具の詳細な変遷の中に位置づけられるようになった，と言うことです。さらにその後，福泉洞48号墳の例〔釜山大学校博物館1990〕のように，韓国では馮素弗墓より明らかに古い鐙も見つかっているので，尾野氏の批判するような，遠く離れた馮素弗墓と，日韓の少数の馬具を似てる／似てないと言う研究はとっくに過去のものになっています。馮素弗墓と日本の初期馬具が同時期かどうか，という主題そのものが色褪せているのです。

そもそも尾野氏は架空の研究を批判しているので，「過去」というこの世界の時間軸に位置づけること自体がおかしいのですが。

尾野氏は申敬澈氏も千賀久氏も引用していませんが，もし尾野氏が両氏の基本文献を読んでいなかったとしても，それらを集大成した金斗喆氏の論文は明らかに読んでいるはずです。

金斗喆氏は，新開1号墳の鐙を福泉洞10・11号墳と近い時期に置き，七観古墳がこれより少し遅い時期であると言っています〔金斗喆1996：97,124〕が，この論文では韓国の鐙の編年と馮素弗墓との関係は明示されていません。

韓国の金斗喆は、日本の七観古墳・新開1号墳出土例を馮素弗墓出土例より後出するものと見なし、両者の間にはさらに1型式が介在するとしている（金1996）。〔尾野善裕1998：79-80〕

この「1型式が介在」は，原文の「別の型式が介在」〔金斗喆1996：96,124〕から来たのでしょうが，金斗喆氏の真意とは齟齬が感じられます。尾野氏は，韓国の馬具の変遷の中で，日本の初期馬具を明確に位置付けようとした金斗喆氏の研究の本筋を抹消してしまっています。

尾野氏の次の記述も，ニュアンスがずれています。

5世紀前半という年代は、七観古墳や新開1号墳などから出土する日本の初期馬具が、可能性として遡りうる年代観に過ぎないのであって、金斗喆が指摘するように、これらが5世紀後半側に降る可能性を否定することは難しいのではなかろうか。〔尾野善裕1998：80〕

金斗喆氏は，福泉洞10・11号墳が5世紀第2四半期の末ごろ（440年代くらい）と考えているので，新開1号墳や七観古墳を5世紀第3四半期の前半（450年代くらい）に位置づけています。つまり，暦年代はひとまずおくとして，10年単位という微細な変化の話をしているのです。韓国の鐙は細かい変化が明らかになっているので，日本の初期馬具をこれ以上遅くはできないという，下限が示されていると言っていいでしょう。つまり，「同時期か少し遅れる」という判断が，たまたま450年付近に適用されたために生じた「5世紀第3四半期の前半」という評価が「5世紀後半」に化けています。

ここまで見てくると，前篇で指摘した，尾野氏が韓国の鐙を（意識的かどうかはともかく）無視していることの重大さがわかってくるでしょう。

韓国の馬具を無視すると，「年代の上方硬直説」で暦年代論を破壊し，いくらでも新しくできる。
韓国の馬具を考慮すると，並行関係がある程度絞られるので，好き勝手な暦年代論が展開しにくい。

韓国の馬具を持ち出すと，日本の暦年代論は韓国の暦年代論と緊密な関係にあるということ（ま，常識ですが）が明らかになります。福泉洞10・11号墳や前後の馬具の年代次第では，日本の初期馬具を5世紀前半に位置づける可能性も残っています。

う～ん。少しも話が先に進みませんね。続きは次回。

今回登場した文献

穴沢咊光・馬目順一 1973「北燕馮素弗墓が提起する問題－日本・朝鮮考古学との関連性－」月刊考古学ジャーナルNo.85，東京，ニュー・サイエンス社，6-12
釜山大学校博物館 1990「東莱福泉洞古墳群第3次調査概報」嶺南考古学第7号，嶺南考古学会，113-150
千賀久 1988「日本出土初期馬具の系譜」『橿原考古学研究所論集第九』，吉川弘文館，17-67
金斗喆 1996「韓国と日本の馬具－両国間の編年調律－」『嶺南考古学会・九州考古学会第2回合同考古学大会 4・5世紀の韓日考古学』，嶺南考古学会・九州考古学会，85-141
尾野善裕 1998「中・後期古墳時代暦年代観の再検討」『第6回東海考古学フォーラム岐阜大会土器・墓が語る美濃の独自性～弥生から古墳へ～』，岐阜，東海考古学フォーラム岐阜大会実行委員会，75-94
小野山節 1966「日本発見の初期の馬具」考古学雑誌第52巻第1号，日本考古学会，1-10
申敬澈 1986「古式鐙考」古代文化第38巻第6号，古代学協会，22-43

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套餐の戒律・中篇－初期馬具vs福泉洞古墳群

萬維網考古夜話 第85話 9/Jun/2003

消された皇南洞109号墳

介在する韓国の鐙

今回登場した文献

萬維網考古夜話第85話 9/Jun/2003