■About Us
  ■Meet the CFN
  ■History of CFN
  ■Contact Us
  ■News Letter


  1997.7
ウダ、世界未来学会で、ミレニアムプロジェクトを知る。

  1997.9
菱研主催の「第一回国際フューチャーフォーラム」幕張にて開催。
菱研ピーダーセン氏が中心となり企画。ウダ、柴田氏ここで始めて会う。
(柴田、ウダは世界未来学会会員)

  1997.11
ウダ、ミレニアムプロジェクトの広報活動の一環として、 ニフティサーブの「未来フォーラム」に情報提供。ここから、FMIRAIにおける 会話が始まり、ワルキューレこと鏑木より、MLやホームページなど コンピューターリソース提供の申し出があり、 「未来志向のグループ」立ち上げの話が具体化。
(ワルキューレは1993年から95年までFMIRAIのスタッフ)

  1997.12
鏑木、ウダの初対面。 日本未来ノードという仮称にて、 ML(GOOD-PUB)開始。活動領域の議論など開始。 「ノード」の意味は、「未来を創造する人々が集い、つながる場所で ありたい」との気持ちがこめられていた。
  1998.2
ウダ、ワシントンDCへ行き、ミレニアムプロジェクトのジェリー・グレン氏に 会うが、ミレニアムプロジェクトのノードとしての活動を中心に据えることに疑問。 しかし、ここで今村氏に会い、未来工学研究所の和田氏を紹介される。 メールのやりとりの後、和田氏MLに参加。
  1998.3
新宿にて、初のオフラインミーティング。関西から夜行バスにて諏訪氏も参加
長尾、和田、鏑木、諏訪、ウダの初顔合わせ。
会の名前をCFN(CREATIVE FUTURES NODE)と決定。

  1998.4
菱研主催の第2回国際フューチャーフォーラムの「電子会議室運営」 業務受託。東京駅近くの喫茶店「オールドステーション」にて、ミーティング を重ねる。菱研との契約のため、会の代表者が必要になり、呼びかけ人であった 鏑木・ウダが共同代表となる。

  1998.6
菱研側の都合により、第2回国際フューチャーフォーラム中止決定。
9月のフューチャーフォーラムに協力しながら、CFNの方針を作っていこうとしていた 矢先だったので、多少の混乱。それに代るものをCFN主催で行うことを決め、 国際文化会館を10月10,11日予約。

  1998.9.12-13
【大島ミーティング】
志賀さんの招きで大島ミーティング。志賀さんは大島で実際に持続可能社会の 構築に関わっている。このミーティングでD@Liプロジェクトの骨格が 固まる。名称を Creative Futurists Node に変更。

  1998.10.11
【未来人ノート・キックオフミーティング】
国際文化会館にて、多くの方のご支援をいただき、開催にこぎつける。
ここから生まれる未来は、今、ここにいる私たちの手の中に。

  1998.10
World Future SocietyとCFNの関係について検討。CFNの中にWFS東京 チャプターを作ることとする。窓口はウダが担当。1999.7のWFS総会で CFNとしてプレゼンをすることとし、申し込む。

  1998.11
CFNのニュースレターとして、メールマガジンの発行を決定。
  1999.1
CFNホームページ大改訂。
18日付け東京新聞にちょこっとだけCFN取り上げられる。

  1999.5
CFNサーバ切り替え。VCOMから独立しノード(cfnode.com)も取得。 会議室もリニューアルし、いよいよ未来人ノート出版についての 検討を本格的に。

  1999.7
WFS総会でCFNとしてプレゼン、参加者は和田、ウダ、鏑木に宗教学者の久保氏が加わった。

  1999.8
WFS総会を経て、英語でのMLの運用を開始。一方、「未来人ノート」について検討を深めるが着地点見えず、中断となる。

  1999.12
新世紀のコミュニティ作りに寄与するソフトウエアを開発する「デジタル・コミュニティ・プロジェクト」を立ち上げる。(石塚のコンセプト)

  2000.3
「デジタル・コミュニティ・プロジェクト」立ち上げイベントを開催。この後、科学技術庁の提案募集に応募するも、落選。

  2000.12
世紀末大宴会の開催。

  2001.5
明るい未来を作るために何ができるか? あらためて議論、元気のでるニュースレターを週刊で発信することとした。

  2001.7
英語メーリングリストをリニューアル、"Creative futurists Forum"としてYAHOOに議論の場を移動。同時期に日本語メーリングリストも移動。