★ 市民の「参加と合意」の手法 − その概論(前置き?) さて、ローカルアジェンダのお話はこのくらいにし、今回から数回、市民参加 について述べていきたいと思います。市民参加は広い概念です。町役場に出か けて職員に意見を言うのも市民参加であり、中央省庁が政策への意見を求めて いるのに反応してメールを書くのも市民参加です。市が主催する住民集会への 参加や議員への陳情まで、さまざまな手段があります。しかし、ここでは、単 に参加ではなく、その結果、市民の「合意」が得られ、政策に反映させていく にはどうするかといった視点で述べさせていただきます。それが、街づくりに おける強力な武器になるからです。 言うまでもなく、望ましい政策決定は関係者全員参加により衆知を集め、徹底 した議論により合意を得ていくことです。はるか昔の古代都市では広場に全住 民を集め、ものごとを決める会議が行なわれていました。その後、神権を与え られた王の統治や武力を背景にした絶対君主という時代を経て、いま世界では ほとんどの国が(少なくとも表面上は)主権在民を唱えています。古代都市と 違い、多くの人々により構成される近代国家では、最初から直接民主主義には 大きな期待はされませんでした。国民投票やリコールなど、制度のうえで直接 民主主義の機能はありましたが、使いにくいものでこれまでも有効に使われた 例は少ないと言えます。議員を選出し、その議員が議会を構成して国の政策を 決める間接民主主義が国家の方向を決めていきました。 しかし、社会が複雑になり、人々の欲求も多様化した現代では、議員が市民を 正確に代表することが難しくなってきました。とくに、科学技術についてはそ の発展の速度があまりに急で、市民はおろか議員まで、科学技術の進むべき方 向について正しく示すことが難しくなってきたのです。二十世紀は多くの発展 途上国で民主主義が根づき、大きな成果を得つつも、先進国では間接民主主義 の限界が叫ばれた時代でした。詳細は省きますが、民主主義がかつてなく高度 に実現されたワイマール文化からファシズムが生まれたことは、多くの知識人 を絶望に導いたのです。間接民主主義を補完する形での直接的な市民参加の必 要性が叫ばれたのは必然といえるでしょう。 さて、その市民参加の「原点」は「なるべく多くの人の参加で、徹底的に議論 する」ということです。  地域での住民集会にその代表的なタイプが見られ ます。もちろん市民全員の参加は無理なので、なるべく多くの「立場」の人を 一堂に介して議論しようということです。日本ではこれを「円卓会議」と呼ぶ ことが多いです。残念ながら、その円卓会議の大部分は「円卓」の名にそぐわ ないものでした。たとえばもんじゅの事故をきっかけに設置された原子力エネ ルギー円卓会議も、参加者の選択が必ずしも公平でなく、十分な議論の時間を 与えられないものであったことが強く印象に残っています。 市民参加は円卓会議が基本であり、それで日常抱えている課題のかなりの部分 は解決できるものなのです。しかし、円卓会議では解決が難しいものが多くな ってきているのが現代です。たとえば、いわゆる環境ホルモンのように影響が わからないものなどには円卓会議は向きません。そのためより洗練された手法 が必要になってきます。それを、次回から述べていきます。 講座について何かご希望がある方はお気軽に鏑木(kabu@ops.dti.ne.jp) まで連絡ください。ご意見・ご感想・ご質問ももちろん歓迎です。