Sport, Aging men, and Constructions of Masculinity By Murray Drummond
スポーツ、高齢化する男性、男性らしさの構成
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Older Men, Sport, and Mascuritnity
スポーツから遠ざかり、体を使う活動からしばらくの間遠ざかることは、高齢化する男性にとって、多くの主要なマイナス要因をつくりだす。
以前は行っていた定期的な運動のもたらす身体生理学的な効用だけではなく、チームスポーツにまつわる社会的交流を失い、
スポーツや、運動や、身体的活動に付随した継続の感覚も喪失する。
継続性をいったん喪失すると、人は、人生の後年において、
こうした活動を再開することが著しく困難になる。
男性にとって、20歳から40歳代において特に身体活動が途切れた後で
親しく人と交わるという感覚はスポーツや運動をまた始めようとする主要なきっかけとなっている。
男性が、より専門性の高い男性、女性や実践家たちと自分を比べるとき、男性らしさの感覚を著しく損なうことは、
一番恐れ、回避したいことなのである。何年かぶりに男性が運動を始めると、
自分の身体能力を感じ、長い間体を使っていなかったことで、動作レベル範囲の限界を思い知る。
つまり、動力的なものを操作したりする技能感覚を維持する機能範囲がいったん制限されると、「男性らしさ」にプラスに働くような
専門的技能を新たに得ることは、非常に難しいと感じるようになる。(Heywood and Getchell, 2005 )
私の研究対象になった多くの男性は、この体力の低下が、後年、特に、50歳代になって
スポーツをまた始めようと思う大きな決定理由だと答えていた。
小さなころから運動をしてこなかった人にとっては、一生を通して体がスポーツや運動で味わう昂揚感を経験してきていない。
ある男性は、体をどう適切に使ってよいかわからない。高年に差し掛かり、仕事でもはや満足感をかつてのように味わえなくなり、
替わりに「男性らしいこと」をする何かとして、スポーツをしようと思った。
しかし、スポーツや運動に取り組んだことがないので、運動しようと決断するのになんと7年もかかった。
その結果、ウエイトトレーニングなら、生きがいとしても、男性らしさを保てるかなと考え、取り組むことにした。
これは、「スポーツジム文化」として、多くの男性が後年の生活オリエンテーションとして取りくみ始めている、興味深い運動の追求である。
「体」づくりを商品としてみる観点から、若者たちをターゲットとして見がちで、
よく我々は、フィットネス文化とスポーツジム文化を若者と切っても切れないものだと分類しがちである。
どこに行っても私は論じるのであるが、男性高齢者は、こうした身体に基礎をおいた現象に対応することことに免疫ができていない(Drummond, 2002, 2003, 2005 )
彼らは、身体にまつわる「審美的」問題には関心がない。もっとも、体の機能になら関心があるのだ。
特筆すべきことだが、私が高齢化と運動について実施した研究においては、
男性は、身体については、メカニズム的で、「機能」重視だった。男性にとって、体は「道具」なのだ。体が機械として見られると、壊れた時が問題なのだ。
健康増進のアプローチではなく、「壊れた、では直さなくては」 である。人によっては、こうした機械対応的考え方で、
健康的活動に参加するプラス思考になる人もある。Messner (1992) は、リタイアしたスポーツマンと男性らしさは、
「道具としての男性」のような枠組みであると述べている。
ーー定期的な運動を週3回、フィットネスの先生に教えられて、実施すること――これは、道具としての身体へのアプローチなのだ。
だから、男性高齢者にウエイトトレーニングは人気があるのだ、フィットネスセンターの運動、ウエイトトレーニングセット、
繰り返し行うこと、すべては社会的環境の中で、男性らしさと強さを育むことになるのだ。
中略ーー 2009 Spring ASA Generations 「世代」より
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