成熟した大人の最高の楽しみ

未来の自分がほしい社会を 
「まず想像する」
         いいんじゃないでしょうか^^


「自分のできること」って、周囲の若者と同じ、
未来生活を描き、「できることを工夫する」 ことからです


同時に、たまたま手に入った時事ニュース・手記に、
立ち止まって考えたいですね
  



行動・無行動の中の

自分と、 相手と、 社会への  インパクト・バランスを。




南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.43より抜粋  11/16

*********************************** 2011-11-16


Harvest

 

大きな問題に直面した時や重大な決断を迫られた時、

キリスト教の宗教教育では、

「ある質問」--

"What Would Jesus Do?"
「イエスはこんな時に何をなさるであろうか」、という

自分自身への問いかけを伝統的に大切にしてきた。





言うまでもな
く、
こうした指導方法はキリスト教に限る慣習ではなく、

自分が模範と思
う人物に倣い
アドバイスを仰ぐことは、


文化や時代を超えて、

人間の成長
過程に欠かせない 根本的な姿勢であろう。

 

++++++++
 

イエスは 数えきれないほどの群衆が集まって来たとき、
「足を踏み合
うほどになった」 有様を見て、

自分の弟子


「収穫は多いが、働き手が少ない。」と
その現状を分析し、



「だから、収穫のために

働き手 を送ってくださるように
収穫の主に願いなさい。」 
(ルカ10,12)、と教えている。



私には、

マーケットシェアを広げるチャンスを前にしたとき イエスが




「予想外に大きく実った 収穫はいったい誰のものなのか


一歩下がって考えてみなさい



といっているように聞こえる。






―――― 11月の下旬になると、

アメリカ合衆国では
Thanksgiving Day(感謝祭)、
日本では勤労感謝の日


私が生まれ育ったドイツのカトリック教会では、

10月の初め頃に

Erntedankfest (収穫を感謝する祭り)を行う。




--- 前人の知恵に倣って 

感謝の気持ちを忘れずに
努力し続けることこそ大事 であると

実りの季節に 私は改めて思った。



                                     南山大学長 ミカエル・カルマノ





+++++++++++++++++++++++


南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.42 より抜粋   10/19

*********************************** 2011-10-19


Thank you for your cooperation

 

自分の人生の3分の2を、
ほとんど母国語を使えない環境で過ごしてきた私
ではあるが、
それでも相変わらず
「何故」と考えさせられる単語や言い回し
に出会う。




特に気になるのは、異なる言語で同じ意味を持つ単語の微妙な表
現のズレである。




例えば、高等学校でフランス語を勉強していたとき、




ドイツ語の

"heissesWasser" (hot water) 
"l'eauchaude" (water hot)


であると説明されてなんとなく納得できたが、

同じことを日本語で言おうとするときに


何故

「熱い""

と言えないのか大変不思議に思った。



どうも我々人間が話している言葉は、
「単語の足し算」で成り立つものではないようである。

 



日常会話でよく使う言い回しになると、事情は単語よりもっと複雑である。

通訳ソフトの発達で生活は便利になったかもしれないが、
人間と同様、コンピュータも一つひとつの単語にこだわりすぎて、


全体の意味を正確に伝えきれない 危険がある。

 

 先日宿泊した、結構気に入ったホテルのアンケート用紙の裏には

"Thank you for your cooperation"

―「ご協
力ありがとうございました。」と書いてあった。



ホテルから
その前倒しのお礼の言葉を頂いたにも関わらず、
私はアンケートに協力しなかっ
た。



しかし、そのお陰で何気なく使われる感謝の言葉の意味合いについて、

色々考えることができた。



____過去形となっている日本語の表現には

英語に比べ
て、
もっと深いメッセージが隠れているように読み取れたのである。

なぜな
ら、この過去形の表現からは、
私自身がアンケートに協力する一員と最初から 「見なされている」 印象を受けるからである。





英語の 
"Thank you very much" を日本語で表現する時、
「ありがとう」 のあとには 


「ございます」 だけでなく、
「ございました」と
いう過去形の表現を付け加えることができる



(私が好んで使う「おはようございまし
た」は残念ながら
(まだ?)標準語となっていないようであるが)。

 


*******

互いの貢献を認め、感謝しあいながら協力する人間が集まれば、
この世は
もっと住みやすい場所になるに違いない。


改革に力を入れても、多くの人の意見を取り入れなければ、
本当の改善にはつながらない。

いうまでもなく、


その時スペルの間違いや 多少可笑しな言い回しがあっても

問題にはならない。




一昨年から実施している、一年生全員を対象とする宗教論の講演会の後に、

私は必ず

「あなたにとって南山のカトリック精神とは何でしょうか?
ご自由にご記入ください」 

という感想文を書いて頂く。



それを読むたびにいつも思うが、

教育もやはり一方的な伝達だけでは成り立たない。



南山のカトリック精神に貢献してくださる学生諸君、
そしてこのEPISTOLAを読んでご感想を寄せてくださる皆様に、この場を借りてお礼の言葉を述べたい。



"Thank you very much for your cooperation!"

     

                               




南山大学長 ミカエル・カルマノ

 





南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.39   より抜粋

*********************************** 7/20

Sign Language

 

 私が11歳の時にカルマノ家は新築の家に引っ越し、その時から毎朝電車で通学した。




まだ一部に機関車が走るローカル線であったのに、
その車両の窓
とドアには四ヶ国語で注意書きが記されていた。



ちょうど第一外国語として
ラテン語を勉強し始めた頃であったが、
その時にはまだ、 ドイツ国内に 「ドイ
ツ語の分からない人」がいることを 自覚できておらず、
外国語での注意書きに
さえ 「未知の世界」 を感じたものであった。



このローカル線はもう随分前に廃線と
なったが、
あの時に読んだフランス語と英語の注意書きは今でも頭のどこか
に残っている。

 

 そのドアには

"N'ouvrez pas avant l'arret du train"
窓には
"Do not lean out"    

(乗り出さないこと)   と書いてあった。



現代ならば新幹線は言うに及ばず
名古屋の地下鉄でさえも無用の注意書きであろう。


ドアは自動的に開くし、窓が開かないので身を乗り出す事は不可能である。
その代わりに、駆け込み乗車の 危険  を訴える看板が目立つ。






注意を呼びかけるアナウンスもあるが、どちらにしてもそれらは
すべて日本語でしかされていない。





名古屋の全ての交差点や駅の標識に
ローマ字表記が入るきっかけとなったのは、



1989に 名古屋で開催された 世界デザイン博覧会 ではなかったかと思う。



日本語の出来ない外国人にとって、それがどれほどの救いであったろうか。



 

 言うまでもなく、日本語が不自由な外国人のことを考慮して、
標識に イラストとローマ字 を使ってくれる行政や民間の方々の親切さには、
深い敬意を表している。




しかし、イラストとローマ字を使ったからといって、
そのメッセージがすぐに外国人に伝わるわけではない。


特にシンボルマークになると、国際的に共有されているものは極めて少ないように思う。

 

 私たち人間が使っている言語は、すべて「イメージ」と「言葉」から成り立つ

sign language ではないかと私は思う。



上南戦に併せて今年も開催した
合同進学相
談会のポスターは実に興味深く、


「違い」と「共通点」 の双方を意識させる 

sign
language の具体例であり、


左側の上智マルーンと  
右側の南山ブルーは、

下端のところでは区別のつかない (カトリックの) ブラックとなっていた。


共通の精神が、多くの人を楽しませる違いを支えているのである。

 


+ + + + +




 イエスが残した言葉に、


「朝には  『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』  と言う。
このように 「空模様」 を見分けることは 知っているのに、

  
「時代のしるし」   は見ることができないのか。」   (マタイによる福音163節)


という、有名な戒めがある。 





イエスが考えた 
「時代のしるし」 は、

注目を引く大袈裟な看板
やイベントのことではなく、



地味な説教であった 「ヨナのしるし」 であった
り、
警察の交通安全キャンペーンやたばこの箱に印刷されている
「注意書き」 のようなものである。



このようなサインを正しく読み解けなければ、
そして、もっと注意深く生活しろと自分に言い聞かせなければ、


わたしたちは、自分の生きる時代についていけない 
「外国人」 になってしまうのかもしれない。

 




                                       南山大学長 ミカエル・カルマノ

 







++++++++++++++++++++++++









南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.38    6/15

*********************************** 2011-6-15

Unexpected

 

  最近、 「天気予報」に代わって 「気象情報」という言い方が
よく使われる
ようになったが、

「今日と明日の天気はどうなるのか?」という 切実な問いに対する答えは、
相変わらず 
"expect the unexpected" でしかないようである。



情報をいくら丁寧に分析しても、予期できないことが起こりうる。





"Expect the unexpected"  (予期できないということを予想しなさい)
という言葉は、古代ギリシア哲学ヘラクレイトスの名言集

『断片』 から来ており、 時に 激励 のための諺 のようにも使われる。





宇宙 は

私達の期待を裏切り、 私たちが考え出す説に対して必ず
 逆説 で応えるのである。

 




 expect(予期する)」 と
the unexpected(予期されていないもの)」



について、ギリシア語の原文にあたってみると、
そのルーツとなっている 「エルピス」 という言葉は、


文脈によって
 「希望」 とも 「予期」 とも翻訳することができる。 






この言葉について私は、




自分で予期できる狭い世界に留まることなく、




予期できないことへの 
「希望」 をもつ ことで、
本当の 
進歩 がもたらされる、

と解釈したい。

 





+ + +

  「自分の経験からくる期待感」 と 「神への希望」 との 乖離 は、
いつになっ
ても悩みの種であるが、これを考えるには



「聖霊降臨」 の話が一つの具体例になる。






大きな期待を寄せていた師匠のイエスがいなくなって途方に暮れた弟子達は、


イエスが委託した
 

・使命 (「全世界に行って福音を述べ伝えよ」) と、 それを実践するための

・知識 を持っていたが、



あと一歩前に出るための


・何か が足りなかった。








そのようなとき、 

「聖霊が降った」ーーーーーーー









ーーーーーーーーー その瞬間に、
弟子達に全く予期できなかった 
「希望」 が湧き上がってきたのである。









「私たちは一人ぼっちではない」

「イエスは私たちとともにいる」 
    ということを、


イエスの霊が弟子たちに悟らせてくださったのである

 

 


「想定外」 という言葉が頻繁に使われる昨今にこそ、

この 「聖霊降臨」 のメッセージが非常に重要だと感じる。






本当に価値があるものは、


私たちが予期できる範囲を 遙かに超えて 


存在している





従来の経験を踏まえた 予期 よりも、

自分の経験を超える世界、すなわち  予期できない 将来に対する



 
「希望」 こそが、

人間らしい生き方をしていくうえで真に必要なのである。





You are not alone  あなたはひとりではないーー

被災地の方々に、具体的な形で、このメッセージを伝えたい。





 最後にもう一つ、


「博識は分別を教えない」(断片40)という   

ヘラクレイトスの言葉を示しておきたい。






「想定外」 という言葉を使い続けている限り、




私たちは、過去に蓄積してきた知識の  
「限界」  

気づくことができない のかもしれない。









                                       南山大学長 ミカエル・カルマノ




・・・






 

 厚労省  精神障害の労災認定基準検討会
 
4/15




「ほんとうのさいわい」


611号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくとより抜粋 
4/9
                    201149日現在 参加者人数4590
 


丈さんからのメールです。
・・・・・


こんにちは、丈(たけ)と申します。メルマガをいつも拝見しています。
前に何度かメールをさせていただいたことがあり、
そのたびに丁寧にお返事をいただきありがとうございました。


僕はある企業の管理職をしています。

不況となり、大切な部下をリストラのために切らざるを得なくなり、
しかし、自分は職についていることなど、大きな葛藤と戦っているうちに、
いつしか、自分の身体や心にも変調をきたしていることに気がついていました。

そんなときに、いつも丁寧にメールをくださったことで、
乗り越えることができました。



今、震災が起きてさらに、会社が深刻な状態になっています。
会社が元気になったら戻ってくると言ってアルバイトをして
待っていてくれている部下がいます。
僕が前に心を病んだときに、なぜ気持ちを立て直せたかについて考えると、

かっこちゃんが

「いつもここにいます。いつも想っています」
と言い続けてくれたからに他ありません。

僕はその言葉を今は、元部下に言い続けています。

「暑さが厳しいけれど、どんなふうにすごしていますか? 
いつも君たちのことを想っています。
君たちのことをはげみにして働いています」 と。




僕たちが生きていけないと思うのはどういうときでしょう? 

どんな困難が立ちはだかろうと、
人はそんなことで、だめになったりはしないのです。

誰からも思われていないんだ、
この困難をひとりで乗り切らなくてはならないんだと思ったときに、
人はだめになってしまうのだと思います。

ひとりなんだと思うとき、生きる希望をなくすのだと思います。


僕たちができることは、やはり、 思い続けること、
ここにいて、あなたのことをずっと思っているよ、できることがあれば何でもするよ
ということを伝え
 行動に移すこと しかないと思います。

かっこちゃん、ありがとう。

・・・・・

丈さんありがとうございます。昨日も大きな地震がありましたね。
ああ、どんなに不安だろうとみんなが思い、みんなで祈り続け、
またできることがあれば何でもしようと思い続けること、
行動すること。

私もそうでありたいです。



新学期を迎える中学校,高等学校段階の生徒の皆さんへ 


菅内閣総理大臣・高木文部科学大臣からのメッセージ (平成2346日) という
以下のプリントが日本中の中学生、高校生に配られました。


・・・・・




新学期を迎える皆さんへ

皆さん、入学、進級おめでとうございます。
皆さんは、この4月、希望に満ちた春を迎えるはずでした。
しかし、この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。

御存じのように、311日、あの未曾有の大地震と津波が日本を襲ったのです。
皆さんの中にも、ご家族を亡くされたり、あるいはいまも避難所から学校に
通ったりしている生徒さんがいることでしょう。

避難所の中では、皆さんが率先して、
お年寄りや身体の不自由な方を助け、掃除をしたり、食事の準備をしたりしてく
れているという話をたくさん聞いています。

皆さんがボランティアで活躍しているという知らせも、たくさん届いています。
本当にありがとう。


直接被災をした皆さん。

皆さんは、十代のもっとも人間が成長する時期に、
この大きな試練に立ち向かわなければならなくなりました。

いま抱えているすべての悲しみや不安から、
完全に逃れることはできないかもしれません。
でもいつか、皆さんが、その悲しみと向き合えるようになる日まで、
学業やスポーツ、芸術文化活動やボランティア活動など、
何か一つでも夢中になれるものを見付けて、
この苦しい時期を乗り越えていってもらえればと願います。

学校は、あらゆる面で、皆さんが、この逆境を乗り越えていくための
サポートをしていきます。



災害にあわなかった地域の生徒の皆さんにも、お願いがあります。

どうか、皆さんの学校にやってくる、避難してきた仲間たちを
温かく迎えてあげてください。
すぐ近くに、そういった友達がいなくても、
遠く離れて不自由な生活をしている同世代の友達を、
同じ仲間、友達だと思ってください。
そして、被害を受けた仲間の声に耳を澄ましてください。


この大震災を通じて、日本国と日本社会は、大きな変化を余儀なくされます。
この大震災からどうやって国を立て直していくのか。
自然と共生して生きてきたはずの日本社会が、
その本来の姿を取り戻すためには何が必要なのか。


もちろん復興の過程では、「がんばろう」という元気なかけ声が必要です。
しかし、それと同時に、新しい社会、新しい人間の絆 (きずな) を作っていくために、
大きな声にかき消されがちになる、

弱き声、小さな物音にも耳を澄ましてほしいのです


東北が生んだ詩人宮沢賢治は、
科学と宗教と芸術の力で、
冷害・凶作の多かったこの東北地方の農民を、
少しでも幸せにしようと考え、そのことに一生を捧げました。

どうか、他人の意見もきちんと受け止めながら、
自分で合理的な判断ができる冷静な知性を身に付けてください。
しかしそれだけではなく、他人のために祈り涙する、温かい心も育んでください。
そして、芸術やスポーツで人生を楽しむことも忘れないでください。

宮沢賢治の 『銀河鉄道の夜』 には、こんな言葉があります。

「僕、もうあんな暗(やみ)の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」


賢治の言う 「ほんとうのさいわい」 とは何でしょう。

この大きな災害と混乱の中で、皆さんに、このことを考えて欲しいのです。


もしも、それを皆さんが本当に真剣に考えてくれるなら、
きっと皆さんは、どこまでもどこまでも、一緒に進んでいけるはずです。
そしてその先には、もっともっと素晴らしい新しい日本の国の姿があるはずです。

忘れないでください。

一緒に進んでいくのは、決して日本人だけではありません。

回の東日本大震災では、世界中からたくさんの支援が寄せられています。
また、この非常時にあっても秩序正しく、理性を失わない日本人の姿に、
世界中が驚き賞賛の声を揚げました。

私たちは、世界と共にいます。

原子力発電所の事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう
消防士や自衛官、電力会社の人たちの姿。
各地の被災地で、救命救急活動にあたった警察官や医療関係者、

そして何より、本当に命がけで皆さんを守ってくれた学校の先生たちの姿を
忘れないでください。

そして、みなさんも、もっともっと身体を鍛え、判断力を養い、
優しい心を育んで、

他人のために働ける人になってください。
日本の未来は、皆さんの双肩にかかっています。



あなたたちのその笑顔、ひたむきな表情が、

いま家族や地域の人々を支えようと懸命にがんばっている大人たちに、

勇気と希望を与えています。




私たちも、全力で、皆さんの支援に取り組みます。
本当の幸せを求めて、一緒に歩んでいきましょう。



内閣総理大臣  菅 直人 文部科学大臣  高木 義明



・・・・・

宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくとより   http://ohanashi-daisuki.com/info/story.htmly






◆ 
自分の居場所の放射線の強さが安全かを知る方法



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村田裕之    スマートシニア・ビジネスレビュー 11.3.23 Vol. 150  3/23

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上記より 引用/  リエゾン編 


≪メディアの報道に振り回されないために≫

 ーーあなたの場合は大丈夫ですか

自然の放射線量の世界平均値は 年2.4ミリ・シーベルト

 

放射線値 判断方法


1.      文科省のホームページ http://www.mext.go.jp/ の
「全国の放射線モニタリング状況」から
自分の居場所の都道府県をクリックする。


2.      該当する地域の「環境放射能水準」のグラフが表示されるので、
その数値を読み取る。

たとえば、埼玉県だと、 ほぼ東京都と同じ数値0.1ミリ・シーベルト)
が読み取れる。


3.      仮に、現状数値が一年間続いた場合の数値を次の通り計算する。   

埼玉県の場合0.1×24時間×365

876マイクロ・シーベルト=0.876ミリ・シーベルト


4.      自然の放射線量の世界平均値 年2.4ミリ・シーベルトと比較する。
2.4
ミリ・シーベルト以下であれば、普段の生活で浴びている数値と
同程度以下と評価できる。


こうした 確認を 常に 行えば、
風評に惑わされることも
なくなるのではないでしょうか。





参考情報

河北新報321日 川島隆太教授
「放射能の影響をどうとらえたらよいのか?」はこちら
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110321t73060.htm

各都道府県の放射線計測値についてはこちら
http://www.mext.go.jp/

放射線数値の意味についてはこちら
http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i3

村田裕之オフィシャルサイトはこちら
http://hiroyukimurata.jp/
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ロコモティブシンドロームと当事者意識


先日東京大学高齢社会研究機構で講演した際に拝聴した
中村耕三教授のお話が印象的でしたので、
今回はそれをお伝えします。



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スマートシニア・ビジネスレビュー 11.2.28 Vol. 149
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中村教授は「ロコモティブシンドローム(運動器症候群)」
(略してロコモ)という概念の提唱者として著名な方です。

ロコモとは骨や関節などの運動器の障害による
要介護の状態や要介護リスクの高い状態のことを言います。

ロコモの人数は現時点で予備軍を含めて4700万人存在し、
60
歳過ぎの団塊世代が75歳以上になる頃、
この人数が莫大な数になると教授は警鐘を鳴らしています。



私が特に印象に残ったのは、次のくだりでした。

60代の人に介護と言っても
『俺には関係ない』と言われるが、
『あなた、足腰が弱っているでしょう』と言えば、
『そうなんです』とうなづく」

このくだりは、私たちの行動の習性を
よく表していると思いました。



私たちは、たとえそれがどんなに重要なことだと
頭で理解しても、自分がその当事者にならない限り、
なかなか行動に移りません。

身体の弱りを自覚しているものの、
具体的な行動に取り組んでいない
予備軍の人が大変多い。



だから予備軍の人に、
「運動器症候群とはあなた自身のことですよ」
と気づいてもらうことが必要なのです。

しかし、実際はこれがなかなか難しい。
そこで中村教授は、運動器症候群という代わりに、
もっと親しみやすいロコモという言葉を
提唱されたとのことです。




「親がもし倒れたら自分がどうなるかを
想像して聴いてほしい」
という中村教授の叫びは、
私には他人事に聴こえませんでした。

それは私自身の親や親せきが実際に倒れており
自分が当事者だからです。
当事者だから、実際にどういうことになるのか
容易に想像がつくのです。




一方で次の疑問が湧いてきます。

私たちは、それが重要なことだと頭で理解しても、
自分がその当事者にならない限り、
行動に移せないのか?

自分が直接の当事者でなくても、
単なる自己満足ではない
当事者意識を持つことはできないのか?

中村教授の話を聴いてこんな疑問を持ちました。





参考情報

日本整形臨床外科学会「ロコモティブ症候群」
http://c1c.jp/1098/qXNmLL/604724

親が70歳を過ぎたら読む本
相続・認知症・老人ホーム・・・について知っておきたいこと
http://c1c.jp/1098/gXWNb7/604724

村田裕之オフィシャルサイト
http://c1c.jp/1098/4RMeC6/604724








KOL NET  河北新報社 TOP

第3部=追跡             2/23

調査から(7完)届いた声/胃ろう、重い問い掛け

 <施設に入所してから数年を経て、
摂食ができなくなると病院で胃ろうを増設され、また施設に戻る繰り返しです。
胃ろうの方ばかりのケア介護に追われ、そのほかの利用者に手が回らなくなっています>

 <施設に戻るために胃ろうの増設にサインするご家族の気持ちもよく分かります。でも、人としてそれでいいのでしょうか?>

 


河北新報社と広南病院(仙台市太白区)が実施した遷延(せんえん)性意識障害に関する調査の用紙に、
介護老人保健施設の看護師がチューブで栄養物を胃に送る「胃ろう」について正直な思いを記していた。


 私たちは看護師が抱える葛藤を知りたいと思い、昨年12月末、仙台市宮城野区の施設を訪ねた。
看護師は「福祉に携わる人間がこんなこと言っていいのかと自分でも思う。
誤解を受けるから、名前は出さないでほしい」と話した。




<負担増え疲労感>
 一緒に部屋を回った。
 「雪降ってるよ」。寝たきりの女性の耳元で、看護師が大声で話しかけると、女性は目を開けた。
会話はできず、女性の視線は漂う。


 遷延性意識障害に該当する入所者として施設が回答したのは11人。
全員が70歳以上で、原因は脳卒中がほとんどだという。
最長で8年間、ここで暮らす。例外なく、胃ろうを設けている。


 看護師は言う。
 「以前、病院に勤めていたときは、食べられなくなったら胃ろうは当然だと考えていました。
でも、老健で働くいまは疑問がよぎるんです。
無理に生かしているのではないか、本人や家族にとっていいことなのかと」
 栄養物を注入したり、胃ろう部分を清潔に保ったりと、看護師は昼夜なく管理に追われている。
「医療依存度が高い人が増えると、仕事の負担も増えます」と、深い疲労感をにじませた。


 胃ろうを設けている患者は国内で30万人とも、50万人ともいわれる。
口から食べられなくても、栄養補給できる。
症状が改善して再び口から食べられるようになる人がいる一方、意識のない寝たきりの患者に対しては
「無用な延命治療になる」との疑問や批判が、医療・福祉関係者からわき起こっている。


 こんなデータもある。東北大医学部が2003年、仙台市内の病院で高齢者を対象に行った調査によると、
胃ろうを設けたり、鼻にチューブを通したりする「経管栄養」を実施した場合の平均生存期間は1年2カ月、
腕などの細い静脈から低カロリーの点滴を受けた人は2か月だった。



<手を握り返す母>
<経管栄養で生きている人の、生きる意味をお伝えしたい>

 連載が始まって間もなく、昨年12月に私たちは仙台市太白区の女性(59)からファクスを受け取った。
 女性は09年12月から、84歳の母親を自宅で介護している。
特別養護老人ホームに入所後、意思疎通が難しくなり、搬送された市内の病院で「意識障害」と診断された。
 

胃ろうを設けるかどうか判断を迫られた。

「声をかけると手を握り返す。ときどき笑い、泣く。
この人は生きている。このまま死なせられない」と感じて、付ける決断をしたという。


「命の一滴」。

女性は「介護者のわがままかもしれないけれど」 と前置きして、
胃ろうを続ける意味を語った。

「単に生きているだけではないかと毎日悩む。
でも、母がいるから、私のきょうだいが家に遊びに来る。
母は親戚に囲まれ、穏やかな顔をして寝ている。
それも天寿なのだと思う」
 

(2011/02/09)





南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.35  
*********************************** 2011-2-16


Alumni



 
今年の初めごろ、
ある会合から帰る電車のなかでの出来事である。
サラリーマン風の若い男性が、
名刺を差し出しニコニコしながら
私の方に近寄ってきた。
顔と名刺に印刷された氏名を見て、私は直ぐに思い出した。



彼は、十数年前に当時教育学科の カルマノ・ゼミ に属し、
現在は大きな企業に勤めている卒業生であった。
毎年の年賀状で挨拶を交わしていたが、
実際に会ったのは21世紀に
入ってから初めてではないかと思う。
 


 
情報交換をまじえて色々と話しこむうちに、
私は危うく降りる駅を乗り過ごすところであったが、
そのうちだんだんとある一つのことが気になってきた。


それは、彼が属していた
私の「比較教育ゼミ」 と、現在の彼の仕事内容が
殆ど関係なかったことである。

このような違和感を抱かせるのは彼だけではない。
お正月に会った別のゼミ卒業生は、
今年中に自分の会社を興そうと考えていた。
 


 
在学していた学部学科と全く違う方向に進んで行く卒業生は、
カルマノ・ゼミ出身の変わり者たちだけではない。

去年の秋ごろ聴きに行ったコンサートでは、
南山大学経済学部を卒業した作曲家の曲も演奏された。




彼らに比べれば、私はかなりストレートな道を歩んできたほうだ。
南山大学 神学科で学んだ神学と、アメリカの大学院で学んだ教育学の
双方を生かしながら仕事をしているからである。
 


 
それぞれのキャリアに必要な知識とスキルを
彼らは何処で学んだのであろうか?


英語で大学の卒業生を"alumni"と呼ぶ。


元々ラテン語の言葉であるが、その単数形は 「養子」 という意味である。


つまり卒業生とは、"Alma" (優しく養う) "Mater" (母親) である大学が
丁寧に育てた人を指す はずであるが、

教員が気づかないところで

学生たちは教育のかなり大きな部分を
「自分で」 身につけているようである。
 



 
私は教育者としてそれを謙虚に受けとめながら、
それでもやはり卒業生の出世ぶりを自慢話にできることを喜んでいる。


そして卒業生も南山大学を誇りに思ってくれていることを、
去年12月に南山大学アメリカンフットボール・チームを応援するために
わざわざ 神戸王子スタジアム に集まってくれた多くの卒業生を見て、肌で感じた。

立派に育ったalumniに心から感謝する。


                    
                             南山大学長 ミカエル・カルマノ





南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.34

*********************************** 2011-1-19

Gold Standard


 

  移動の足として 名古屋市営地下鉄を使っている私は、
いつも車内の見慣れた
風景を見て、到着駅での同じアナウンスを聞いている。
しかし時々、時間の流
れや時代の移り変わりを考えさせられるシーンに出会うこともある。



化粧直し
をする若い女性(さすがに男性の化粧直しはまだ見たことはない)が
最近少な
くなったように思っていたら、その代わりに
携帯電話を2台同時に操作する若い
男女を見かけるようになった。



 広告のスタイルにも変化が見られる。これまで大きく印刷されていた
フリーダイヤルの代わりに、最近は「『○○○』で検索!」という、
インターネット情報を提供する広告が多くなっている。

なかでも私に時世を考えさせてくれたのは、
昨年の秋頃からしばらくのあいだ並んで掲示されていた三つの広告である。




1. 一番左は、ある女子大の広告だった。それは高等教育機関に相応しく、

「犬にも税金がかかるの!?」 と面白い問題提起をし、
ペットと税金の国際比較を紹介するミニ・レクチャーであった。 

2. つぎにその直ぐ隣にある広告は法務事務所のもので、
「借金問題で悩んでいる方は是非相談してみてください」と
優しく呼びかけていた。

3. そしてその隣には飲料メーカーのキャッチフレーズで
Rich Taste
 と Relaxing Time を約束する
 「金○」 の宣伝があった。


 

 三つの広告はそれぞれ大分違う内容ではあったが、
いずれも 「金」 が中心と
なっていた。
私にはそれらが 「人間にとって大事なこととは何か」 を考えさせ
るメッセージに見えた。

「金」 を払って地下鉄に乗っている私は
一体何処に向
かっているのであろうか、 と考え込んでしまうほどであった。
新しい年を迎え
ている今、これほど時宜にかなう問題提起はなかろう。

 


 「金」 にもし価値があるとすれば、それはどういうものなのか?
南山学園が教育モットーとしている 「人間の尊厳のために」 は
それに対する一つの答えであるが、カルマノ・ゼミの一人の4年生が
今取り組んでいる卒業論文のテーマも参考になると思う 


― 「お金は人をしあわせにするか」。

 

 2011年が皆さんにとって良い年となりますように。

 

                                       南山大学長 ミカエル・カルマノ









509号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
12/28

                    20101228日現在 参加者人数4439

 12/28 昨日の宮ぷー」      

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昨日のことでした。車いすでエレベータに午前中に乗った時に、
一緒になったおばあ
ちゃんが  「あらあ、たいへんやね。えらいねえ」  と言われました。



おばあちゃんは
きっと優しい方なんだと思います。でも、私は 
「たいへんじゃないです。毎日来るの
は楽しいんです」 と言いました。



「がんばってくれるので、いっそうはげみになるん
です」 って言いました。
だって、宮ぷーが私が来るのが大変だなんて思ったら、そん
なのいやだもの。



でも、おばあちゃんは  「そんなことないやろ。大変や、大変なはず
や」  と優しい口調でおっしゃったのでした。
私はちょっと困って、 「本当なんです」
 とまた言いました。

 

そして、お昼からエレベーターに乗ったら、今度は違うおばあちゃんと一緒になりました。
車いすに乗っている宮ぷーを見られて



「わかいのに、可哀そうや。可哀そうやね」って言われたのです。
それで、私はまたむきになって  「そんなことないです。可哀そうじゃないです」 と言ってしまいました。



そのおばあちゃんも優しい方なのだと思います。


でも、宮ぷーが悲しい思いをするということに、
気がついておられないのだと思います。




誰だって「可哀そう」って言われるのは嫌だもの。 そして、私は本当に毎日来るのが楽しいし、
宮ぷーは可哀そうじゃないよ。 こんなにたくさんの方がいつも応援してくださるし、
宮ぷーに幸せ?って聞くといつも、うんってうなづくよ。



つらいことだってある。 悲しいことや不安なこともきっといっぱいあるけど、
でも、嬉しいことや幸せなことがいっぱいだもの。


 ++++++++++++++++


昨日の夜、宮ぷーからメールがきました。
夜に、レッツ・チャットに伝の心をつないで帰ったので、それでメールができたのです。
それも4つも。


「くるまいす ながくのる」

「もっとしっかりすわりたい」

「みていてください もっとがんばります」


「かくごがたらなかったようです」


いったいどうしたんだろう?もしかしたら、私の言葉がきつくあたったのかな? 
れとも、宮ぷー自身がそう思ったのかな? 



 

私は昨日、少しいじわるを言ったかもしれません。

「かっこいいね。車いす。
(昨日
ネットでオーエックスエンジニアリングの車いすを見たとき)
でも、車いすは、かっ
こいいものを持っていたいとか、
お部屋に置いておいてみていたいというものじゃな
いよ。
毎日毎日、本当に毎日ずっと乗れるようじゃないとと私は思う。
朝からずっと
ずっと乗れるくらいにならないと」



私がそう言ったときに、宮ぷーは「(長く乗るの
は)くるしい」 と言いました。
私は宮ぷーの目の前に座って、宮ぷーの目を見ながら
言いました。



「くるしいのは当たり前だよ。でも、その苦しさが脳へ伝わって、首を
しっかりさせないとと脳が感じるよ。
そして、首の筋肉もしっかりしていく。宮ぷー
のしようとしていることは、ものすごく大きなことだよ。
宮ぷーを見て頑張ろうと思
えるっていうメールを今日もいただいたよね。



海水浴、運転。言葉にするだけなら、
簡単。ちゃんとそれに向かっていかなくちゃ。
そんな覚悟の上で口にしてほしいの」

そして時間になったので、私は帰ってきました。



 


でも、宮ぷーががんばると言ってくれている。
私も頑張らなくちゃ。  まだ昨日で、
集中リハビリを 3日しただけなのに、
私は指の関節と手首の関節がもう痛くなってし
まいました。



車いすに乗るときや起き上がるときなどに、痛みが走ります。
腰や足や
お尻の筋肉もおんなじ。 でも、当たり前だよ。



宮ぷーが頑張ると言っているんだも
の。私もがんばるよ。絶対に頑張る。
だって、毎日こんなに宮ぷーはできることが増えているもの。



少しずつだけど必ず増えてる。だから、やります。

 

かつこ


 

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499号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  12/28

                    20101218日現在 参加者人数4421

 12/18 昨日の宮ぷー」      

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私は理科の教員をしています。

今ちょうど、教育課程の入れ替わりということもあっ
て、
月の勉強は小学校4年生、6年生、中学3年生でします。どうして月が満ちかけす
るかということも、
小学校6年生と中学3年生がしています。

 

何日か前、とても大きな三日月が夕方見えました。その写真を撮りました。
不思議
な国のアリスに出てくるチェシャキャットが笑っているような形の三日月でした。
供たちに見せながら、このお月様を見て、どんなことを考えるかな?と聞きました。

 

子供たちは「お月様の形が三日月」だけど、それからまだわかることがあるの?っ
て言いました。
「そうだよね。きれいな三日月だねって思うよね。大きな三日月だ
ね」って思うよね、
でもね、私はこんなふうに思ったよという話をしました。

 



 「ねえ、太陽はどこにあるんだろうか?」 みんなはうーんと考えてくれました。
して、「そんなことわからない」 と言います。
「だって空が真っ暗だから、お日様の
場所なんてわからない」 と言います。


でも「ほら、お月様は自分では光らない、お日
様に照らされて光るんだよね」
と言うと、みんなの顔がぱーっと明るくなって、

「そっか、地平線の下のところにお日様があって光ってる」と言いました。




そうなの
です。お月様と地球と太陽の位置関係がわかります。そして、もうひとつ、
地球はお
月様と一緒に太陽の周りを回っています。
だから、三日月が見えている下にお日様は
輝いていて、
そこを軸に私たちが公転しているってわかるのです。わあ、そんなふう
に考えると、
太陽や月や地球がどんなふうにあって、自分はどこにいるかわかるよ
ね。

 

そしてね、私は思うんだよ。

わあ、私は宇宙にいるんだなあ。宇宙に浮かんでいるん
だなあ。
そしてね、宇宙の大切な一部なんだなあって急に涙が出そうになるんだよ。



そう言ったら、一人の女の子が泣き出しちゃったのです。どうしたの?どうしたの? 
抱きしめて尋ねると、




「私はずっと思ってた。私なんていらない子、私はいてはいけない子、
そう思っていた」と泣くのです。


こんなふうに泣くのは二度目でした。
抱きしめると震えていて、私も涙が出ました。
ご家族もみんな、その女の子を大切に大切にしておられます。
でも、そんな気持ちがときどき吹き出してしまう。



心の底に持ち続けている悲しみの代わりに、
月が、自然が、宇宙が、自分は自分でいいんだ、
大切な自分なんだ と きっと教えてくれるはずと思います。

 

 「かっこちゃん」の漫画を出してくださっているインフィニティさんが

「植松電
気」という漫画本を送ってくださったのです。
その本を読んで、すごく勇気をもらい
ました。



子どもたちにも読んでもらいたくて、学校に置いておいたら、順番待ちで人
気なのです。
植松努さんという方がおられます。植松電気の取締役さんです。努さん
は、小さいときから、
飛行機が大好きで飛行機の関係の仕事につきたいと思っていま
した。



中学校のときに、それを先生にお話したところ、「おまえの頭では無理、
そも
そも北海道の芦別に生まれた段階で、無理」と言われたのだそうです。
「飛行機やロ
ケットを作るには、東大に行かなければならない。
芦別から東大に行ったなんて聞い
たことがない」


でも、努少年はあきらめませんでした。




お母さんが 「思うは招く」 つ
まり思っていたらそうなるよと言ってくれて、

努少年はあきらめずに、夢に向かって
突き進むのです。



植松さんの紹介がネットにはこんなふうに書かれてありました。

・・・・・



北海道赤平市にある株式会社植松電機。
現在、社員数18名のこの小さな会社で、
次世
代スペースシャトル用のエンジン開発が進められており、
今年中にも打ち上げ実験が
行われようとしています。



「『どうせ無理』、 こんな言葉が今の世の中、あちこちから聞こえてくる」 と植松電機専務の植松努さん。


「『どうせ無理』、 この言葉ほど人の心を、特に子供の心を殺
してしまう一言はない。




未来を担う子供たちのために「どうせ無理」 を世の中からな
くしたい。
それなら、「どうせ無理」 だと思われていることを
北海道の片田舎にある町工場が
やってやろう」植松さんは、そんな想いをこのロケット事業に託しています。

・・・・

 

漫画の中にも心に残る場所がたくさんありました。
植松さんが何か始めようとしたときに 「一人でやったって何にも変わんないですよ」 と言われます。

でも、植松さんは言うのです。


「坂本龍馬もトーマスエジソンもみんな一人、すべては一人から始まるんです。

あのトヨタだって、豊田佐吉がたった一人で始めたんです。一人が変えていくんですよ。


できない理由ばかりで何もしない人になってはなりません。


だから何かを始めようとする人に 「それは無理」 というのではなくて、


「だったらこうしてみたら?」と 言い続けたら、
世の中すごい勢いでよくなっていくと思います」





 本当に無理と思ってあきらめていること、無理と言われてあきらめていることの
んと多いことだろうと思います。
でも、植松さんが言われるとおりですね。

みんな最
初は一人。

そして、多くの力を得て、仲間を得て、一緒に変わっていくことができ
る。
自分は何の力もない人だと思わなくていいということを、子どもたちに知っても
らいたいです。
今日、私の腕の中で泣いていた女の子にも、伝えたいです。




+++++++++++++++++++++++ 

 宮ぷーの写真の顔の赤いところは、前にぶつけたところ?大丈夫?とメールをいただきました。
そうじゃないのです。脂漏性湿疹が頭にできていて、
それは、いろいろ
な方に送っていただいたシャンプーを順番に使わせていただいているうちに
ずいぶん
よくなってきました。


まだ少しあるけど、フケがずいぶん減ったのです。でも、同じ
ようにお顔もそのとき拭くけど、
お顔はなかなかきれいになりません。ときどき、膿
のような黄色い汁が出てきて固まります。


それをオイルで溶かしてふきとっています
が、そんなときに、赤くなってしまいます。
そっと拭き取っているつもりでも、
ちょっと刺激になってしまったのかもしれません。
でも、かゆくも痛くもないそうで
す。

 

 明日は名古屋。宇宙の約束のがくとくんとひろとくんのお母さんのゆみこちゃんとお仲間が呼んでくださったのです。
明日お目にかかれるのがとてもうれしいです。そ
れから、あさっては大阪。初めて、
「満月はきれいと僕は言えるぞ」が並びます。ど
きどきします。

宮ぷーは「さびしいけどがんばってきてね」と言ってくれました。
して「メールも送るね」と言ってくれたよ。ああうれしい。

 

録音は間違えてばかりです。宮ぷーの前でも読みながら録音しました。
宮ぷーは何
度も聞きたいからと言ってくれたから・・上手に読みたいな。

 

かつこ

 

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南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.33

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Happening    12/16



 「人間とは何か」 を考える時に、直ぐ浮かんでくる言葉の一つは

「自由」
であろう。



実際の生活では生まれつきの条件がたしかに大きな影響を及ぼ
すけれども、
他の動物と違って、その条件だけが地上での生活を完全に
めるものではないからである。



自分で考え、
条件を変え、
新しい方向を自
由に決めることができることこそ、

我々人間の自負である。


 

 各人の自由な行動を基盤とする市場経済の結果はカオスではなく、
国家・
個人の繁栄につながるものである、 とある有名な経済学者が主張したが、

彼は個人の自由な行動を支持すると同時に、
各自のニーズに応える経済活
動を導く「見えざる手」にも期待していたようである

(それが果たして誰
の手であろうかと、私はいつも不思議に思っているが)。

 

 しかし、地上では避けられない 「ハプニング」 も起こる。

今年の第44
野外宗教劇 『受難』 の上演は、
豪雨のため延期になった。

幸い次の週末は
良い天気に恵まれて大勢の方が来場してくださったが、
1030日に予定さ
れていた聖南祭のオープニングセレモニー、
そして南山大学附属小学校の
「南山っ子フェスティバル」も 台風接近のため中止となった。

 

 私達の自由な計画と活動に 「待った」 をかけるのは 大自然の力 である。


しかし言うまでもなく、大自然に対する無力さは
人間が持っている自由を
無意味化するものではない。


ナチス・ドイツの収容所を経験したオースト
リアの精神科医
V.E.
フランクルが指摘したように、


強制的に非人間的な環
境に置かれた時にも、人間には自由がある。
その環境に対してどのような
態度を取るか、と言う自由である。

 


 「神よ、

変えることができない事柄を受け入れる 「心の平静」 を、
変えるこ
とができる事柄を変える 「勇気」 を、
そしてその区別が分かる 「知恵」 を

私にくだ
さい 」


これはアメリカの神学者R.ニーバーの有名な祈りである。


クリス
マスに相応しい 祈りの言葉 ではないだろうか。



幼子イエスの姿を見ると希
望が湧いてくる。
次から次へと色々なことが起こりつづける世の中にあっ
て、

既にそれを良い方向に進むよう
神が変えてくださった事柄への 「希望」 で
ある。

                                   

南山大学長 ミカエル・
カルマノ

 





 香港から日本の高齢者政策をみる    スマートシニアビジネスレビュー 村田裕之  12/1










「どうしてどうして」 

479号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくとより  11/28

                    20101128日現在 参加者人数4338

 「11/28 昨日の宮ぷー」      

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宮ぷーはこのごろ、車いすに座って、食堂のテレビの前で私のことを待っていてくれます。

そのときに、一緒なのが、ひとりのおばあちゃん。おばあちゃんは、
じっとテ
レビに見入っていて、おばあちゃんはちゃんと筋を追っているんだとわかる。

でも、たぶんおばあちゃんの娘さんとご主人がこられて声をかけて、
でも、おばあ
ちゃんはどうして、娘さんの方を見ないのだろう。
娘さんが 「何もわからんくなって
しまって」 とご主人に話して、
でも、娘さんはおばあちゃんの髪を触ったり、一生懸
命しておられるのに、
どうして、おばあちゃんはそちらを向かれないのだろう。


45日前は、こんにちはと声をかけると、おばあちゃんは私をじっと見てくれた。
とといは、「おばあちゃん、今日はお元気ですか?」と言ったらうなづいてくれた。

昨日は、少しだけ微笑んでくれたのに・・・。


そして、昨日は、また娘さんが来ておられた。私が「こんにちは」と言ったら、
娘さ
んが「ありがとう。でも、何もわからなくて」 と言われて、
私が 「いえ、そんなこと
ないです。いつも私にあいさつしてくださるんですよ、ねー」 と
おばあちゃんにお話
したら、おばあちゃんがうなづいた。



「この間は笑ってくださったんです。ねえ」 と
またおばあちゃんに言ったら、
またうなづいてくださった。娘さんは 「えー!?」 っ
て言って、そして、うなづいている
おばあちゃんを見て涙を流された。こんなにおば
あちゃんのこと愛しておられて、
愛されているのに、どうして、おばあちゃんは、娘
さんを見なかったんだろう。


どうして娘さんだけでなくて、「しらんかお」をいつ
も、されているんだろう。

 

「よかったね、よかったね」って娘さんが言われて、深々と頭をさげられたよ。
「い
え、私は何もしていなくて」 って。そのあと遠くで娘さんがおばあちゃんに
いっぱ
い話しかけておられるのが見えました。

それで、家に帰ってからも、ずっと考えてい
ます。


どうしてだろう。おばあちゃんも、それから、宮ぷーが4人部屋だったときの

おじいちゃんも、ずっと上を向いておられた。


話しかけたら、うなづいてくれるの
に、手を握ったら、笑ってくれたのに、
「おじいちゃん、だいすき」って言ったら、

泣いてくれたのに、どうして、「しらんかお」 してるんだろう。


私はそのことを知り
たいです。 どうしてどうして?って知りたいです。


しらんかおしていたら、「わかん
なくなってしまって」って思われちゃう。
だから、私は「おじいちゃんが笑ってくれ
ました。ねー」 って“宣伝”しちゃいます。
でも、本当に私、知りたいです。
娘さん
はぜんぜん話しかけないわけじゃない。



よくこられて、おばあちゃんのそばにおられ
るのに。
おじいちゃんのところにも看護師さんが、いっぱい話しかけておられたの
に、
「しらんかお」 だったよ。

おじいちゃんやおばあちゃんの本当の気持ちはどこに
あるんだろう。

私はやっぱり知りたいです。

 

やまもとかつこ



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南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.32 より抜粋  11/18


*********************************** 2010-11-17



Tea Party


名古屋開府400年祭の一環として、
10
月上旬に三日間の 「名古屋大茶会」 が
開催された。
「椅子に座るスタイルの茶会」と
いうことで、
(正座が苦手な)私は安心して
茶会二日目の1011日に名古
屋城へ出かけた。
二日目は良い天気に恵まれ、
地下鉄の駅から名古屋城までの道のりは大勢の人で賑
わっていた。



 外国人に 「日本文化を象徴するものは何か」とたずねると、
その答えは恐ら  茶道(Sado) や生け花(Ikebana)  になるであろう。


「南山大学裏千家茶道部※1
「茶道松尾流南山会※2
知人の茶席


三つの茶席に参加して、



日本の茶道は決して
過去の習慣を保つための博物館ではないと私は感じた。





お茶の伝統を支えている精神の深さと広さは、
若い世代に新しい表現を通して貴重な伝統を生かす機会、
そして自分のユニークさを大きな全体の中で発見する機会
を与えているのである。





 南山大学長   ミカエル・カルマノ


1 南山大学文化系クラブ文化会所属団体
2 南山大学文化系クラブ公認団体





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南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.31

*********************************** 10/20

Candlelight

先月(9月)19日に名古屋の白川公園で「キャンドルナイト・フェスタ」という
イベントがあった。

蝋燭は、バースデー・ケーキ、クリスマス・ツリーなど二人で

楽しむディナー等を連想させるだけに、このタイトルでは、イベントの趣旨につい
多少の誤解を招いてしまうかもしれない。

このイベントにも「絆」を祝するとい
う重要な共通点があったが、
私の印象に強く残ったのは、スケールの大きさから浮
かび上がってくる相違点であった。
蝋燭の数はなんと4万個であり、そこに示され
る絆の規模は、
生命を持つ全ての生き物の共同体であり、そのなかには我々人間も
含まれている。

じつはこの共同体から毎年約4万種の生物が絶滅することを気づか
せようとするのが
このイベントの趣旨で、現在名古屋で開催されている
COP10(生
物多様性条約第10回締約国会議)に因んだ企画であった。

 それを思うとロマンチックな気分は流石にどこかに消えてしまい、
環境問題の厳
しさを肌で感じたのである。


4
万個の竹灯籠が作り上げた幻想的な美しさや蝋燭が
醸し出す暖かみとは、
どこか似合わない厳しさが潜んでいたからである。

石川県輪
島市の「白米(しろよね)の千枚田」は、
2007
年の能登半島地震で被災した地元を元
気づけるために、
2008年から年に一度3万個の蝋燭で「ライトアップ」されているが、

その写真を見て私は考えた。

名古屋のフェスタは「ライトアップが目的ではない、

逆に、消えていく一個一個の光と命を見つめて!という一つの切実な呼びかけである」 と。
我が身を削りながら光と暖かみを発する蝋燭が語ってくれるのは、
ロマ
ンチックな気分だけではないのである。

 

点火後の簡単な式典のなかで紹介されたところによれば、
この企画は新聞社など
が主催したもので、南山生を含む愛知県の大学生たちが、
夏休みを返上して里山の
竹を切り、100パーセント手作りで灯籠に仕上げた、
という。蝋燭も同じように全て
手作りであったのか、と聞いたところ、
それらは蝋燭製造会社の寄付によるもので
あった。

学生の活動を紹介するビデオを見ると、慣れない手作業が徐々に早くなっ
てきたことがわかり、
彼らの味わった苦労がよく伝わってきた。環境問題を研究す
るのに、
このようなアプローチは時間の無駄であり、本を読み、
周到に計画された
実験に取り組んだ方が効果的ではないか、
と考える方もいるかもしれない。

 

 それについては、キャンドル・ライトと同様に 「大学教育」 も誤解を招く表現である。
何故かというと、情報を効率的に伝達し獲得させるだけでは大学教育になら
ないからである。

「考える動物」である人間には、考える時間が必要である。


今回
のキャンドルナイト・フェスタ学生プロジェクト実行委員会メンバーの
学生による
発表を見てわかったのは、
彼らは単純労働を繰り返しながらも時間を有効に使って
いたことである。

それは「考える」ための時間だったのである。何か(例えば環境
問題)について
教えている大学の授業だからこそ、場合によっては、時間の無駄が
あってもよいであろう。

そのようなことを思いながら、私は毎週木曜日の教壇で教
育学を教えている。

                                           
南山大学長 ミカエル・カルマノ








  議会リコールの意味 ・素晴らしい教育効果  9/29  河村サボーターズ e-flyer より

  スマートシニアと新市場から11年 9/21 村田裕之


++++++++++++++++++++++++++++ 


Borders 国境                南山大学 e-flyer  EPISTOLA No.30 より抜粋  9/15
::::::::::::::::::::::::::



海外出張で国際会議に出席しても、プログラムに組み込まれたイベント以外、
会議の前後に敢えて観光に出かけることは殆どしない。 



唯一の例外は帰省の時で
あるが、
それも生まれた町のリンブルクを数時間の「おきまりコース」で
歩き回
るだけである。



古い城下町に一端足を踏
み入れると、
懐かしい想いのつまった国へ久々に入国した、と言う気分を味わう。


◆◆

 考えてみれば、今のヨーロッパは国境のない 「国」 になってきた。
19世紀初
め頃、ドイツの領土は
35以上の「独立国」から成り立ち、 「国境」 だらけであ
った。



私が11歳の時、家族と一緒にブライデンシュタット村に引っ越したが、

そのとき、隣の村といっても交流があまりないと感じた。



自分が属する国はどこか。  その国は誰のものか。
個別的存在としての個人では
なく、
特定の家庭、地域文化に生まれてくる社会的人間にとって、
それは自然な
問いかけであろう。

しかし、その問いかけは、常に政治・外交問題に発展する危険がある。


◆◆


8月末にバンコクで開催された
ASEACCU
(アジア・パシフィック地域のカトリック大学連盟)総会には
例年通り加盟大学の学生も参加し、 彼らは二日目の夕方に
パワーポイントを使って自分たちの議論を発表してくれた。



キリスト教精神を共通の基盤としているこの若い人々こそ、
「国境」 というフィクションに 穴 をあける役割を担っているーーー

ーー-これはその発表を聞いて私が受けた印象であった。




会場となった
Assumption Universityの図書館の壁に掲げられていた文章、



"There is much to learn and to love in others."
学び、愛するものは、他人の中に多い



は非常に意義深いと思った。




学ぶのは本からだけ
ではない。 
国境を超越して初めて本物の学びになるのである。




                                           南山大学長 ミカエル・カルマノ



◆ 「自殺・うつによる経済的損失」は2009年だけで2.7兆円の損失と推計
  9/8
  





********************************** 2010-8-25


  Talk」  南山大学長 ミカエル・カルマノ  

     南山大学メイルマガジン EPISTOLA No.29  8/25


 「学長の仕事って、何ですか」と聞かれるとき、
私はよく 「名刺交換と挨拶」 と答える。

大学の代表者として挨拶する時には、
南山大学の現状と展望について話すことが多いが、
講演を頼まれるときに演題を自由に選ぶことができることもある。
おしゃべりが好きな大学教員なので、講演は鬼に金棒と思っていた。

しかし、最近の二つの講演は私に反省と気づきの材料を与えてくれるものとなった。


一つは函館にある(財)北海道国際交流センターでの「外国語習得と国際理解」、

もう一つは私のふるさとの教会での「日本における宣教活動」についての講演であった。


両方とも私の経験、つまり40年間日本で生活・活動した経験を
目当てにしていると思われる依頼であった。
 
 40年日本で仕事をしてきた人間なので、私を招いてくださった方々は
それなりの情報と専門的知識を期待するであろう。

しかし、40年の経験は必ずしも信用できる情報や適切なアドバイスを保証するものではない。
特に「外国語習得と国際理解」を準備したときに気づいたが、
自分の40年の経験を振り返ってみても、結論は出ない。

話によると、ある有名な実験心理学者は
"Experience is just another word for a badly structured scientific experiment"
「経験は、よろしくなく構成された科学的実験ともいえる」
と言ったそうであるが、

やはり自分だけの経験を絶対視することは、
でたらめな実験データで世間を誤魔化そうとすることに過ぎない。

私の40年の経験も 「対話や話し合いの糸口に過ぎない」 と痛感した。
+++++++++++++++++++++++
 ドイツでの講演は地元の新聞にも取り上げられた。
内容は先進国である日本でのキリスト教の宣教活動の可能性、
特にカトリック大学である南山大学の教育についてであった。

26年間、日本の私立大学で教鞭を執っている経験者に対する期待感もあって、
講演が終わってからかなりの質問が出た
(ちなみに、この講演は私にとって生まれて初めてのドイツ語での講演となった)。

住み慣れた日本のことを紹介しながら私は考えた。
日本に行った経験がないのに、日本について豊富な知識を持っている人が
ここにいるかもしれない、と。

その方にとって、私の「経験」とは何であろうか。
 
 「経験者が語る」 というが、一方的な語りではあまりいい結果は期待できない。
「聴衆と分かち合って初めてわかる、自己の経験の意義」
と私は思った。
 
                     南山大学長 ミカエル・カルマノ





  屋根の上の家庭菜園  8/19  村田裕之

  在宅ケアこれからの方向性  8/10 update

  名古屋市会3分スピーチモニター  ≪神奈川県会議員 菅原直敏氏7月報告≫ 7/26

   高齢者になっても働きたい理由 7/12  村田裕之 

  勇気ある医師たち  upfront from US  6/3  村田裕之

 




トヨタ財団2010年5月26日e-flyerより抜粋
「地域社会プログラム」高知シンポジウム開催レポート


共催・トヨタ財団とNPO高知市民会議

「地域社会プログラム」 開催報告
トヨタ財団によるシンポジウム実行委員会 / NPO高知市民会議や地元の学生


2010年5月16日(日)  芝居小屋「弁天座」 (高知県香南市赤岡町)

 「人がつながり 地域が動く ~女性を支える高知のチカラ~」

シンポジウムのテーマ:地域の特性
「高知県は他地域と比べて女性が元気」

目的: 
「高知のチカラ」とは何であるかを見つけること」

シンポジウム
・「旗あげ形式」によるウォーミングアップ
・高知女性6名 「トークショー1」
・愛媛、徳島、香川女性3名 「トークショー2」




1)ファシリテーターの畠中智子氏によるウオーミングアップ
「どこから来たか」
「高知の元気は女性で持っているか?」

登壇者・参加者らが5色のカードで
質問に回答・その場で模造紙にまとめ


2)トークショー1“高知のチカラ”について考える場
畠中氏の進行:活動、世代の異なる6名によるお話

共有
“出会い”から“縁”や“つながり”に結び付け、新しい試みや活動への賛同者を得る 
「難しさ」
地域の人が次第に協力的になってくれた「嬉しさ

少し頼りなく見える“女性”だからこそ、

地域の人は協力してくれる、おせっかいをやきたくなる


「周りの人びとに支えられて
今の自分がある」
ふれあいを重ねていくごとに、強固な“つながり”へと変化し、活動を支えるチカラとなる

活発な地域活動は“つながり”の化学変化 によって生まれる

共感
コーディネートする役割の人が地域には必要
 


3)トークショー2では、石筒覚氏(高知大学准教授)の進行により、

“高知のチカラ”をより広い視野で見ていくことを目的: 
ゲスト3名
による 他県や男女差による比較


・「高知は言葉を使った情報発信力が極めて高い」
・「香川は発信力が弱い」
・「愛媛は組織力に優れている」
・「高知は組織化・事業化することが苦手」

女性として地域で活動をしている立場として、
・男性の多くは「組織づくりから考えて活動を始める」
・女性の多くは、「みるに見かねて活動を始めるひとが多いのでは?
・「女性の場合は、“想い”がないと共感できない部分が強い」

双方のトークショーの共通点:
女性の活躍の背景: “地域のチカラ”に加え、“女性らしさ”が後押し

「女性のチカラをもっと活かしていかなければ」^^




 ♫♬♫♬
シンポジウム後に行われた交流会の
 彩

土佐名物の皿鉢料理:
果物・野菜・カツオ・シラス/地域の食材を利用した手作り料理:
干物や魚なども、地域の方の協力・アイディアによって、

自分たちで焼いて食べられるよう工夫





今回のシンポジウム:


複数の近隣県・他地域の方・大学生や大学関係者・
地域で頑張っている若者・その他これから活動をはじめたいと考えている人と人とをつなぐ

ひとつの場としての機能 も果たすことが出来たのでは




「ヒント」と、 美味しい高知の食事から得た「元気」を、

参加者みなさんのこれからの  
 活動の活力  につなげていっていただけたらと思います


 Ⓒ2010 トヨタ財団  〒163-0437 東京都新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル37階



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 ◆ 糖尿病ネットワークe-flyer より抜粋


「今、I型糖尿病は」 ―――もう知っていたかもしれませんね・・・
内潟安子  東京女子医科大学 糖尿病センター教授  2010年1月

 私は、ついぞ、知りませんでした。2008年のオリンピックのウエイトリフティングで優勝して
金メダルの栄誉に浴したマチアス シュタイナー選手は、1型糖尿病であったのですね。

 彼はオーストリアで育ちましたが現在はドイツ人です。
ドイツでは、自分が1型糖尿病であることをすすんで話すことはないそうです。
どちらかというと、隠しておくことが多いと。
そういった環境の中で、彼が学会に来て、
「自分が1型糖尿病である」と世間に公表したことはすばらしい、とナースは言っていました。

 もちろん、金メダルをとったから、言うことができたともいえます。
阪神タイガースの岩田投手もそうですね。2008年の成績はすばらしいものでした。
前回のワールドベースボールクラシック(WBC)の日本代表選手の1人としても選出されて、
日本がWBCで優勝したことはいまだ記憶に新しいところです。
ときどき、テレビでも彼が投げてるところが映りますが、真剣そのものですね。妥協を許さない顔です。

彼も罹患者として、糖尿病のみなさんへのエールをおくる気持ちを十分持っていることでしょう。

エアロビクスの大村詠一クン(もうクンではありませんが)も、数年前にお会いしたことがありますが、さわやかですね。

 当方の外来にも、1型糖尿病ではあるが運動選手で日本代表の1人としてがんばっている若い方や、
県大会でいつも優勝するような運動大好きの小中学生がおります。とても、さわやかです。こだわりがない。


 ウエイトリフティング、野球のピッチャー、エアロビクス、
それらが好きだから、そして、どうもそこに自分の才能があるらしいと、たぶん気づいて邁進しているだけ、ということでしょう。
そこに、たまたま、1型糖尿病があったというだけ。

 いい成績を大会で残すために、その一瞬のパフォーマンスに賭けるために、日々努力しています。
高血糖だと良いパフォーマンスができない、からだのキレが悪い、と彼らは言っていました。なるほどと思いました。


 彼らの血糖コントロールの仕方ですか? 
これは、それぞれ、
いろいろな場面に遭遇してから経験的に学びとってくる、といったほうがいいでしょう。
うまくいかないときは相談に乗りますが、基本的には各人、自分でやり方を見出していかれています。

©2010 内潟安子 2010年1月

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「今、I型糖尿病は」  -高校生まではうまくいっていたのに・・・
内潟安子  東京女子医科大学 糖尿病センター教授  2010年04月

高校生まではうまくいっていたのに・・・。これはよく糖尿病の患者のお母さん方から、聞く言葉です。
 大学生になったら、言うことを聞かなくなった、社会人になったら、言うことを聞かなくなった、このことです。
 いつ帰宅しているのかわからない、何をたべているのかわからない、
電話をしても通じない、電話しても「うるさい」と言われ、切られてしまう・・・
 そして、一番の頭痛のタネは、
HbA1c(1~2ヶ月前の血糖の状態・正常値は、4.3~5.8%)
が上がってしまって、下がらない!
 
このことでしょう。

親がかりになりがち? 高校生まではうまくっていた、HbA1cは悪くなかった、たぶん、そうだと思います。
それは、食事の内容から、カロリーからすべて、「親がかり」でやっていたから、お母さんの「意のままに」できたから、
お母さんが先生に“言われた通りに”やっていたからでしょう。
 言い換えれば、
「自分でなにもできていなかった」 ということでしょうか。

自立した生活を掴む 大学生になったり、社会人になると、世界は広がります。
保護者がいないわけですから、血糖値を下げるインスリン注射の必要のない若者だって、
お酒で失敗したり、寝坊したり、忘れものをしたり、お金を盗まれたり、いろいろあるでしょう。
 しかし、そのような「にがい経験」を通して、学んでいくわけですね。もう二度としないぞ!と。
そして、お酒の飲み方が上手になっていき、付き合いも上手にできるようになっていき、
体調の悪いときでもうまく仲間と付き合うことを覚えていくわけです。
 「高校生時代まで親がかり」で、
インスリン注射をしている若者も、
大学生になったから、社会人になったからといって、全員が
HbA1cを悪化させるわけではありません。

 一時、HbA1cが悪くなっても、うまく順応していく若者を多く知っています。
ですから、最初の1年間くらいの
HbA1cの悪化を、あまり追及せず、
大丈夫、「来年になったら、勝手がわかってくるからうまくいくよ」と励ますことも、多いのですね。


ところが、来年になっても再来年にもなっても、
30歳近くになって、うまくできない若者も多くいます。
こういう若者のお母さんはとても心配されます。そして、おっしゃいます、「高校生まではうまくいっていたのに・・・」。

 
自立できない 20歳過ぎてもうまくできない若者をみていますと、まず、
自分の生活を自分のこととして考えていない
といえます。
なぜなら、これまですべておかあさんが面倒をみてくださっていたから、
これからも「だれかなんとかしてくれるでしょ」という考えが、強くあるように思えてなりません。
 ですから、
基本的なことをマッタクといってもいいほど知らない。
自分のための、インスリン注射量の調節の仕方を知らない
食物のうちでどれが血糖を上げやすいものか下がりやすいものか、知らない。


言いかえるなら、朝になったら決まった量の注射を打てばいいのでしょ!昼前も打てばいいのでしょ!
という気持ちから、前に進んでいないのですね。
 食事時に食べるのを逸したらどうしよう?、どうしていいかわからないから、
食べないのだから注射も打たないでおこう、ということになってしまう。
 簡単にいえば、
なぜインスリン注射を自分はしているのか、わかっていない、ということになりましょうか。

それから、もうひとつ、あるように思います 高校生までは親がかりであった若者が、
もう自分で全部しなさい、と親に言われたとたん、
親から見離された、と思ってしまうのです。もう自分は親から愛されていない・・・、
親から無視されてしまった・・・、もうどうでもいい・・・、無気力な若者になっていってしまいます。
うつ状態、ニート、無気力、適応障害・・・いろいろな名前が、新聞でもでてきますね。
 
大人になるにはすこし早いのですね。
年齢では大人、選挙権はもらえるのですが、心は大人にまだまだ、なれないのですね・・・。


©2010 内潟安子 2010年04月




 高齢化対応ロボットは誰のために?     2009 11    村田裕之
  



   
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