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    『アメリカ行政法』出版記念記事
 


  「2010年代の―行政法学者から見た―アメリカの法学教材事情」
                           正木宏長    2017/07/01(初出、小修正は随時)
 
1 はじめに
 
 さて、このたびピアース教授(Richard J. Pierce, Jr.)の"Administrative Law"の、私、正木による翻訳本(邦題『アメリカ行政法』)が刊行されたわけなのですが、アメリカの最近の法学教科書事情は案外文献等で紹介されることがないなぁと思い、ここで、すこし紹介記事を書いてみる次第です。このホームページに文章を載せるのは14年ぶりくらい?ですね。ホームページに載せるものなので、論文のような学問的厳密性は最初からもたせておらず、もっぱら正木の主観的な印象論で構成されていますが、そういうものであると了解したうえでお読みください。だから間違いもかなりあるかもしれませんがご容赦ください。こういった記事も何かの役に立つかもしれない。
 
 
2 ケースブック(casebook)とテキスト(text)
 
 アメリカの法学教育といえば、判例ばかりがたくさんのっているケースブック(casebook)を使って、ケースメソッドで教育を行うというのが、一般的な理解だと思います。正木も大学の出張でケースメソッドによるロースクールの授業を聴講させてもらったことがありますが、たしかにケースブックを使ったケースメソッドが行われていました(出張で得た豆知識:行政法の場合、条文を見る必要があるが、アメリカでは携帯六法というタイプの本はないので、ケースブックの付録を使って条文を確認するよう、教員が授業で指示していた)。
 このあたりの知識は、日本の法学者にもあるので、あるいは人によっては「アメリカの法教育というのはとにかく判例を読むのが中心なので、教材はケースブックばかりで、文書中心のテキスト類はたいしていいものがないのではないのか?」という印象を持っている人がいるかもしれません。その印象は、田中英夫先生の英米法総論の、そもそもいい教科書がない場合がある、といった記述や(田中英夫『英米法総論』(東京大学出版会、1980)662頁)、裁判例の紹介で埋め尽くされた邦語英米法研究論文を目にすることで強化されているのではないかと思います。
 アメリカの法学では教科書タイプの本が少ないというのは、田中英夫先生が活躍された頃は、おそらくはそうだったのではないかという印象があります。ところが、最近(2000年以降くらいかな?)、教科書タイプの法学のテキスト(text)が急増加しているという印象が――少なくともadministrative lawには――ありまして、今回翻訳した本も、最近急に増えてきた教科書の一つなのですが、このあたりの動向についての私の印象を伝えるというのがこの記事の主眼になります。
 
 
3 アメリカの三大ケースブック・ブランド、ウエスト(West)、ファンデーション・プレス(Foundation Press)、アスペン(Aspen Publishers)
 
 少し脱線になるのですが、アメリカのケースブックについては、ウエスト(West)ファンデーション・プレス(Foundation Press)アスペン(Aspen Publishers)がよく見かける三大ブランドになるかと思います。そのあとにレクシス(Lexis)が続くのですが、三大ブランドに比べるとすこし差を付けられている次のグループといった印象があります(私の完全な主観です。ちなみに中国語版Administrative Law Treatiseの紹介だとレクシスを含めて四大出版社と位置付けています)。
「ブランド」と書いたのはM&Aの関係で真の権利者がどこなのか消費者にはわかりにくくて(おかげで企画をするとき正確な権利者はどこなのか確信が持てなくて苦労した)、単に本を買うときには、「ウエストの本」、「アスペンの本」ぐらいにしか認識していないからです。そこで、なじみのあるブランドのほうでここではまとめています。
 
 ウエストは、おそらくは法学教材の(たぶん)最大手になるかと思います。ウエスト・アカデミック(West Academic)社のホームページによると、1908年設立のウエスト社があって、この会社が1940年にファンデーション・プレス社を買収し、さらにウエスト社が1997年にトムソン・ロイターに買収された後、2013年にかつてのウエスト社(と後述するギルバート)の事業が投資ファンドに買収されて独立子会社化され、新たにウエスト・アカデミック社になって現在に至るということになります。
 ウエスト・アカデミック社は法学教材の二大ブランドとして「ウエスト」と「ファンデーション・プレス」を用意しています。それぞれ元は別の会社がM&Aで一つになったのですが、現在まで、この二つのブランドを中心に商品展開がされています。
 
 特徴を述べると、「ウエスト」はウエスト・アカデミック社の本家筋なのですが、テキストタイプの本が得意で、伝統的テキストである、ホーンブック(Hornbook)やナットシェル(Nutshell)といいう定番法学テキストで有名です。「ウエスト」ブランドでAmerican Casebook Seriesというケースブックも発売していますが、ウエスト・アカデミックでの位置づけでは「革新系(innovator、適当意訳)」のウエスト・アカデミック社が多彩なラインナップを揃えているというのが社内的な位置づけのようです。基本いろいろと発売しているので、ウエストのケースブックにもロン・フラーほかの契約法ケースブックのように、伝統のあるものはたくさんあります。発売時は若手だった人が時を経て権威になることもありますし。ウエスト・アカデミックは、近時、Interactive Casebook Seriesという別のケースブックのシリーズを展開していますが、こちらは、なんというか21世紀の近未来的法学教材という雰囲気で、様々な工夫がなされています。Interactive Casebook Seriesは別の記事でくわしく紹介しようと思っています。
 
ウエスト・アカデミックによる自社教材の解説はこちら
Westacademic.com Product Lines
 
 「ファンデーション・プレス」はブランド的にはウエスト・アカデミック社の法学教材のブランドの一つということになります。このことはあまり言及されないので、私はある時期まで「ファンデーション・プレス」という会社が今もあるのかなと思っていました。ファンデーション・プレスは相当昔にウエストに買収された会社なのですが、ケースブックを発行する会社としては当時から草分け的存在だったので、買収した時その名を惜しんだウエストが、そのままウエストの「ブランド」として「ファンデーション・プレス」の名前を残して、編集委員会も別々にして運営しているようです。ファンデーション・プレスはケースブックが得意で、ウエスト・アカデミックの位置づけでは、ずばり「権威系(prestigious、適当意訳、穏当に訳すと「名門」とか)」のケースブックとされています。憲法だとガンサー(Gunther、今はSullivanですが)、行政法だとゲルホーン&バイス(Gellhorn & Byse)のように、改版を重ねること70年超というようなそれぞれの法学分野の代表とされるケースブックが、ファンデーション・プレスから刊行されてきました。
 正直、最近はファンデーション・プレスのブランドが安売りされて、ファンデーション・プレスの本が以前よりもたくさん出る傾向がある感じで、ファンデーション・プレスの権威が落ちているような気もしますが、それでも存在感のあるブランドではあります。
 自社で2大ブランドを抱えているウエスト・アカデミック社は、自前のデータベースのウエストローを用意していることもあって(こちらはまだトムソン・ロイター傘下みたいだけど)、アメリカの法学出版社界の雄という印象があります。
 
 さて、三大ブランドの最後の「アスペン」なのですが、ここは現在、ヴォルタース・クルーワー(Wolters Kluwer)社の傘下に入っているようで、最近はケースブック類でも「アスペン」のほかに「ヴォルタース・クルーワー」の発行であることが明記されるようになっています。ですので、表記をどうしようか迷うのですが、ケースブックについては、私にとって馴染みがあるアスペンのほうで表記します。ちなみに、ヴォルタース・クルーワー傘下になる前は、 Little, Brown and Company社傘下だったようです。
 アスペンはウエスト・アカデミックのライバル的存在で、シェアはウエスト・アカデミックより低いのかな?と私を思っているのですが、各種商品を幅広くラインナップしています。どちらかというとケースブックのほうが得意という印象があるのですが、憲法のチェメリンスキー(Chemerinsky)のテキストや、行政法のピアースのAdministrative Law Treatiseのように有名なテキストタイプの本も出版しており、ウエスト・アカデミックと並ぶアメリカ法学教材界の二巨頭という感があります。
 なんとなくの印象なのですが、ウエスト・アカデミックのケースブックは、昔のタイプライターで打ち出したような字が太いフォントで、権威を感じさせる見映えを重んじる編集がされていると感じます(インタラクティブ・ケースブックは、アスペンみたいな編集ですが)。アスペンのケースブックは細い見やすいフォントを使い、教材としての使いやすさを重視するような編集をする傾向を感じて、好みの問題だろうけど、正木は個人的にはアスペンのケースブックのスタイルのほうが読みやすいので好きだったりします。
 
 他にカロナイナ・アカデミック・プレス(Carolina Academic Press)という出版社があって、ここがレクシスネクシス系の本の書籍版を出版しています。レクシスのケースブックはちょっと存在感を感じないのですが、テキストは、Understandingシリーズをはじめ、結構充実しています。この出版社は内容はともかくとしてすこしブランド力が弱く、ウエスト・アカデミックやアスペンに及ばないというのが個人的な印象です。
 
4 テキストの種類
 
(1)トリーティス(treatise、体系書)とスタディエイド(study aid、補助教材)
 
 3でケースブックを主な題材に各ブランドの説明をしましたが、本題のテキストについてです。英米法の昔の日本の教科書だと、そもそもテキストがないだとか質が低いだとか散々な言われようだったアメリカの法学教科書なのですが、最近は、いろいろな本が出版されるようになってきました。結局1000ページくらいのケースブックを読破して各分野に深い理解を...、というのは学生にとってかなり負担になるし、実務家や研究者からも、各分野のポイントを素早くつかむために教科書に対する需要があるのだということなのだと思います。
 アメリカの法学テキストについては、名称は色々なのですが、大きく分けるとトリーティス(treatise、意外と翻訳が難しいがアメリカの法学テキストについて言えば、日本で言うところの「体系書」に語感が近いと思う)とスタディエイド(study Aid、補助教材とでも訳そうかといったところだが、意訳して「入門書」でも良いような気もする)の区別があるとされます。トリーティスというのは複数分冊にもわたる体系書で、実務家や研究者が詳細なリサーチをするのに使うような本のことを指します。この種の本はサイテーションもしっかりしています。行政法だと典型例は、ピアースのAdministrative Law Treatiseになります。
 ウエストの昔からある伝統的法学テキストのホーンブック(Hornbook)は1冊もののテキストなのですが、ウエストのカタログでは位置づけとしては、Treatise/Hornbookと整理されていてトリーティスに近いものとウエストでは位置付けられているようです。もっとも、ロースクールのライブラリーの教材紹介では、「ホーンブックはトリーティスよりも学生使用向き」というようにスタディエイドよりの本であるとの注意がされることもあります。ホーンブックは1000ページ弱が標準的な分量なので、日本人的な感覚だとトリーティスに近いのではないかと感じます
 これに対して、スタディエイドはロースクールの授業の補助教材として学生が使うようなテキストで、例えば、1000ページくらいのケースブックを見て途方にくれている学生が、概略を把握するのに読む300ページ前後の本というようなイメージになります。study aidというのはウエスト・アカデミック社の商品分類で使っているもので、他にもいろいろな言い方があるのですが、treatiseと違うタイプの本としての入門書的な授業副読本のカテゴリーが存在することは一致があるかと思います。
 ウエストの昔からある伝統的法学テキストのナットシェル(Nutshell)はこの種の本の代表格という位置付けでありました。スタディエイドは授業の副読本で使うもので、あまり引用するようなものではないと説明されることもありますが、実際には、ナットシェルのようなロースクール教授が書いたしっかりとしたタイプの本は学者からも信頼できると認識されているようで、スタディエイドであっても論文で時折引用されています。
 
※文献の種類については、Morris L. Cohen & Kent C. Olson, Legal Research (11th ed. 2013) 37-38.を参照。この本だとホーンブックはstudy guideだがtreatiseとの区別が難しいという位置づけ。
 
 
(2) 1990年代末の私的風景
 
 上に書いたようなことが、一昔前のアメリカの法学教材のイメージで、各分野で種類が出揃っているのが、そもそもホーンブックとナットシェルくらいしかないというような雰囲気が、私が大学院に入った20年くらい前にはありました。
 1990年代には、行政法では電話帳サイズのホーンブック・タイプのテキストはそこそこあって、ピアース=シャピロ=バークイルの教科書は当時からあって重宝しました。レクシスネクシスのunderstandingシリーズはもともとはMatthew Bender社のブランドで1990年代には刊行がされていたのですが、少なくとも自分の周囲ではあまり認知されていなかった記憶があります。私より上の世代だと、デイヴィスやシュウォーツのテキストあたりが使われていたのだと思います。ただ、いずれにせよこの手の本は1冊ものとはいえ重量級テキストで、研究するにしてもスタート地点で使う手頃な入門書がナットシェルしかないという状況でした。
 当時、木鐸社がナットシェルの翻訳書の刊行を進めていましたが、ナットシェルのお世話になった研究者は多かったと思います。個人的な学生時代の思い出なのですが、ナットシェルは当時開店したばかりだった新宿駅南口の紀伊国屋新宿南店で店頭で買えたので、日本での入手性も比較的良かったです。私が学部生から院生の頃にかけてamazon他のネット通販が普及し始めたのですが、ネット通販が普及する前は、洋書はかなり高い手数料をかけて何ヶ月もかけて取り寄せるものだったらしいので、洋書の入手自体が個人で行うには高いハードルがあったのです。
 
 
(3) ウエスト・アカデミックに見る21位世紀のアメリカ法テキスト事情
 
 これが1990年代末での、日本から見たアメリカの法学テキストに関する私の印象でした。電話帳サイズの分厚いテキストは結構あるが、手頃な入門書的な本や、日本によくあるA5判300ページ前後の教科書はナットシェル以外にあまりないというのがアメリカのテキストに持っていた印象でした。『アメリカ行政法』の企画の時、「これまで他人があまりやらなかったのは、何かやりたくてもできない事情があったのではないか?」と心配されたのですが、事情の一つには、単に翻訳向きの本がそもそもナットシェル以外にあまりなかった、ということがあると思います。
 ところが、21世紀に入り、原因はよく分からないのですが、ナットシェルとホーンブックの間を埋めるようなタイプのテキストやナットシェルくらいの分量のテキストが、アメリカで増えてきているという印象です。結局テキストタイプの本はなんだかんだで使い勝手がいいのかなと感じるのですが、ウエスト・アカデミックのラインナップを中心に以下で見ていきます。
 
@ ナットシェル(Nutshell)
 
 ウエスト・ブランドの本。21世紀に入ってもナットシェルはあいかわらず刊行されていて行政法だとレヴィン(Levin)とラバース(Lubbers)の本が出ています。このシリーズは伝統があって、版を重ねているものも多くなっているのですが、古いものを廃版にしたり、新しく著者を変えて改版するなどの新陳代謝を行って、現在も刊行が続いています。
 ナットシェルは刊行時期的にサイズ的にも、日本の「有斐閣双書」みたいなシリーズで、文庫版よりも少し大きめの判型で300ページ前後の本が多いという印象があります。多彩なラインナップが特徴で法学のほぼ全分野をカバーしています。
 ナットシェルはシリーズ刊行時は試験対策用豆本的な位置づけだったのかもしれないのですが、一方で、アメリカの法学の入門書としてはこれしかないという状態が続いたせいか、長年を経て信頼を獲得して、安心感があるブランドになっていると思います。版を重ねた主要科目のものについては、どれも定評があるのではないでしょうか(最近新しく刊行されたものには、ちょっと雑だと感じるものもありますが)。ロースクールの授業で教授がナットシェルを薦めていたというような話も散見します。「入門書はとりあえずナットシェル」という雰囲気なのですね。
 ですが、なにせ歴史があるので本当の入門者向けの本としては固い感じの記述となっていたり、本格的な概説書として考えるとサイテーションが甘かったり、あるいは記述量が物足りなかったりと、中途半端な部分もでてきたと感じます。
 ウエスト・アカデミックは、おそらくは21世紀に入ってから新シリーズで、昔からあるナットシェルやホーンブックでは足りない部分を埋め合わせるような展開をしているのだと思います。
 
A コンセプツ・アンド・インサイツ(Concepts and Insights)
 
 ファンデーション・プレス・ブランドの本。本格展開は21世紀に入ってからっぽい。今回翻訳したPierceのAdministrative Lawはこのシリーズ。 ウエスト・アカデミックによると "new professor-recommended series of paperback texts"になります。「教授が薦める」シリーズというのが何かうさんくさいですね。ウエストの紹介文を見るとコンセプトは明瞭で、ウエスト・アカデミックのケースブックを編集している有名教授に、教員にとっては「教員マニュアルになるような」薄いテキストを書いてもらうというものらしいです。「教授が認め推奨した(Professor approved and recommended)」とか、「指導的学者の手による(Leading scholars)」を特徴として紹介文で堂々と挙げているので、つまりは「ケースブック以外の副読本を学生が使うのを嫌うような教員でも認めざるをえないような大先生の(薄い)テキスト 」というのが狙いなのでしょう。権威系の「ファンデーション・プレス」のブランドを投入しているところからも、ウエスト・アカデミックの狙いと気合いを感じます。位置づけとしては「最高級スタディエイド」で、ナットシェルの少し上を狙っているのでしょうが、ウエストのホームページだとstudy aidだけでなくhornbook/treatiseのところでも紹介されています。一番軽いhornbookにもなるよ、ということでしょう。
 サイズ的にはペーパーバックでA5判より少し大きい判型で、300ページ前後という、日本で馴染みがある分量の本が多いです。以前、ほかのシリーズで展開していたテキストをこのシリーズに移したりもしていますが、出版社が商品展開に熱心で、いろいろな科目の本がでています。基本的にはケースブックの編者やファンデーション・プレスの編集委員(名門ロースクールの教授)が教員マニュアルにもなるようなテキストを書くということなので、一流の学者による優れた本が多い感じです。ですが、手元にあるこのシリーズの本をみると、大先生に分量以外はあまり注文をださずに好きに書いてもらっているという感じで、内容はいいのですが、サイテーションの徹底の度合いのような本のスタイル自体に、かなりバラツキがあるような気がします。
 このシリーズは、副読本として使う際の主ケースブックになるものがファンデーションかウエストにあることが多く、その場合は、本の著者が書いたケースブックを使うと非常に相性がいいというのも特徴だと思います(ナットシェルでもこのパターンを時々見かけます)。
 
B コンサイス・ホーンブック(Concise Hornbook)
 
 ウエスト・ブランドの本。今日の学生のニーズにあった手頃なサイズのホーンブックというコンセプトらしい。行政法だとワーハン(Werhan)の本がある。これも本格展開は21世紀に入ってからだと思います。ウエストによると"Lightly footnoted to be student-friendly"が売り。要するに従来のホーンブックシリーズではちょっと分量が多くて学生のニーズに合わないので、ホーンブックよりも分量を減らしたが、スタイル的にはホーンブックに近い本という位置づけなのだと思います。「手軽なホーンブック」ということなのだろうけど、コンセプツ・アンド・インサイツと判型や分量が重なる傾向もあります。環境法とかはコンセプツ・アンド・インサイツのほうが分量が多いですし。ウエストのホームページでもhornbook/treatiseだけでなくstudy aidとしても紹介されるので、入門書としても使えるという認識なのだと思います。
 サイズ的には、ペーパーバックでA5判より少し大きい判型で、250〜800ページと分量は様々。平均すると400ページ前後かなと思います。これも出版社が力を入れているようで様々な本が刊行されています。コンセプツ・アンド・インサイツよりも、執筆者が若手中堅よりという印象がありますが、刊行が新しいぶん新鮮な問題意識に基づいていて、良い本が多い気がします。手軽でもホーンブックなので、大抵の本はサイテーションがホーンブックの形式に準拠して、しっかりしているという印象。
 
C ホーンブック(Hornbook)
 
 ホーンブックはただのウエスト・ブランドの商品ですが、「A4判くらいで1000ページ前後の法学教科書」の代名詞になっているような印象があります。行政法だとエイマンとメイトン(Aman & Mayton)のホーンブックがあります。上で説明したので、詳しく説明をし直しませんが、ケースブックと同じくらいのだいたいA4サイズの電話帳みたいな本になります。昔からあるシリーズですが、ナットシェルと同じくブランド化していて、改版を重ねているものが多いです。サイテーションはしっかりしています。ちょっと分量が多めなので、オフィスに備え付けの本という雰囲気があり、ゆえに携帯しやすいサイズのコンサイス・ホーンブックが新シリーズで刊行されたのではないでしょうか。
 
 
D ショート・アンド・ハッピー・ガイド(Short and Happy Guide)
 
 なんというかすごいネーミングセンスで、正木が気になっているウエストが最近展開しているシリーズです。『短く楽しい憲法』みたいな感じ。行政法はないです。難しいことを分かりやすくがコンセプトらしいですが、つまりはわかりやすい入門書。現物を見たことがないのですが、書籍版の情報を見たり電子版を試し読みする限りでは、A5判くらいのサイズで分量100〜200ページの入門書といったところでしょう。ロースクールの教員が執筆していて、いままでアメリカにあまりなかった、「初学者のための入門書」というカテゴリーの本で、ナットシェルが高級化したので、ナットシェルでも難しい学生向けに親しみやすい本を、という企画なのだと思います。電子版を試し読みする限り、刑法は最初に、ロースクールの授業と大学までの授業の違いとか、ノートの取り方や試験の受け方みたいなことが書いてありますし(日本の大学1年生向けの本みたいですね)。amazonでの評判はとてもいいです。
 こういう本が日本だけではなくアメリカでも現れているのは、最近の流行を示しているようで興味深いところです。時代はショート&ハッピーな本なのだろうか。
 
E ウエスト・アカデミックのその他の本
 
 エーシング(acing)・シリーズとかいう本が出ていますが、エーシングとは英語俗語で「A(優)をとる」という意味。『優がとれる憲法』とかそんな雰囲気です。行政法はない。amazonで電子版を試し読みする感じでは、中身はローの教授による意外と普通の教科書で、章末に図解があるのが特徴なのでしょうか。名前が悪いので、いまいち買う気になりません(研究用途だと引用がはばかられるような題名の本は、読んでも結局引用できないので、ちょっと使いにくい)。
 イグザム・プロ(exam pro)は、あー、定期試験のプロにでもなれる本じゃない?電子版を試し読みする限りでは、問題集っぽい。
 ユニバーシティ・テキスト(university text)・シリーズは、ファンデーションの一昔前の教科書のシリーズ。コンセプツ・アンド・インサイツが刊行されてからは整理対象になっているようで、新刊は最近は出ていないようですが、改版を重ねているものは、いまだに現役商品です。行政法ではピアース=バークイル=シャピロの教科書があって、これは名著。トライブ(Tribe)の憲法も有名です。
 
F ヴォルタース・クルーワーやレクシス、カロライナ・アカデミック・プレスの本
 
 私は、個人的にテキストタイプの教科書はウエスト・アカデミックの本が好きで、他社の教科書をそもそもあまり読んでいないのですが、他社を紹介するとヴォルタース・クルーワー(アスペン)も、やはり21位世紀になって教科書ものを次々刊行しています。
 製品ラインナップを簡単に見ると、スチューデント・トリーティス(Student Treatise)・シリーズは、ペーパーバックですがウエストのホーンブックに相当する本だと思います。行政法は出ていないのですが、チェメリンスキー(Chemerinsky)の憲法の教科書は、アメリカでも日本でも評判です。
 イグザンプルズ・アンド・イクスプラネーションズ(Examples and Explanations)は、分量やレベル的には、ウエストのナットシェルとホーンブックの中間あたりの層を狙った本で、基本的にはしっかりとした教科書なのですが、章末にチェック用の設問が付いていて学習者向け教科書としての特徴が出されている本になります。行政法についてはファンク(Funk)の本があります。実を言うと、私はこのシリーズは予備校本系なのかと思って敬遠していたのですが、最近になって、随所に問題と解答が付いているだけの、普通の教科書なのだとわかりました。イグザンプルズ・アンド・イクスプラネーションズ・シリーズはロースクールのライブラリーでも結構推薦されています。
 インサイド(Inside)・シリーズは分量的にはイグザンプルズ・アンド・イクスプラネーションズよりも少し少なめで、コラム欄を設けて、視覚的に見やすいようレイアウトが工夫されている教科書になります。ナットシェルより少し上を狙い、かつ学習者向けの配慮がなされた本という感じです。行政法についてはビアマン(Beermann)の本がありますが、読みやすくて個人的に好きな本です。
ヴォルタース・クルーワー(アスペン)は、どの本もどちらかというと学習者向けにとっつきやすさを重視した編集がされていて、教材としては優れているのではないかと感じます。
 
 レクシスネクシス系の本としては、アンダースタンディング(understanding)・シリーズがあります。この本は分量的にはホーンブックとナットシェルの中間を狙った感じの本です。私にはレクシスはデータベース屋という印象があって、いまいち手が伸びなかったのですが、このシリーズについては比較的、定評がある本が多いようです。行政法だとフォックス(Fox)のものがあります。日本ではこれの翻訳シリーズがでているので、結構有名だと思います。しかし、10年くらい前にフォックスの行政法を翻訳するという話があったのだけど、あれはどうなったのだろうか?
 あとは、カロナイナ・アカデミック・プレスから独自系の教科書が出ています。ちょっとブランド力低めの出版社なのですが、なかには良さそうなものがあります。行政法だとシュトラウス(Strauss)の"Administrative Justice in the United States"という教科書はなかなかの本だと思います。
 ほかにも大学出版系のものもあるのですが、商業出版は大体上のような感じになります。
 
 
5 まとめ
 
 と、ウエスト・アカデミックのカタログの解説みたいになってしまいましたが、このような具合で、以前はアメリカではあまりテキストタイプの教科書がなくて、あってもホーンブックみたいな電話帳サイズの本で、コンパクトな本はナットシェルぐらいしかなかったのですが、21世紀に入って日本によくあるA5判くらいのサイズで300ページ前後というような、ナットシェルとホーンブックの間を埋める本が多数出版されるようになっていて、テキストタイプの本も現在では結構あるということになります。
 この手の話をすると、伝統的なアメリカ法に関する見方から、「アメリカは基本的には判例法。薄いテキストは授業向けの補助教材!」というような声も上がるかと思いますが、しかし、コンセプツ・アンド・インサイツが堂々と「教員マニュアルにもなる」というのを売り文句にしているのを見ると、アメリカの教授も別にアメリカ法の全範囲を完全に分かっているわけではないのだから、馴染みがない分野を授業担当するようなときは、薄い本で要点や標準的な授業範囲を確認したりしているのだと思います。また、論文を書くときも、常識的な論点を軽く流したいときは、薄いテキストを引用してさらっとすましているとも感じます。
 日本の外国の法事情に対する通説みたいなものは、戦後初期の1960年代あたりに確立されたものが、ずっと言及されているような感じがするのですが、外国の事情も年を経て変わっていっているので、この種の法事情に対する認識もアップデートされていく必要があるのではないかと、最近特に感じているところです。研究関係者向けなのですが、アメリカ法関係書籍の価格高騰の折、図書の収集も、正直、高い割に使い勝手が悪いケースブックを何種類も揃えるよりも、テキストを中心に集めたほうがいいのではないかと感じ始めています。ケースブック1冊分の値段でテキスト4冊くらい買えますし。
 行政法の教科書と今回翻訳したAdministrative Lawについての解説は、別の記事でやろうと思っているのですが、それはまた後日に。
 
 
気になる人への参考用1 ウエスト・アカデミックのカタログへのリンクがあるページ。下の方にある画像のあたり
気になる人への参考用2 ヴォルタース・クルーワーのカタログへのリンクがあるページ。下の方にある画像のあたり
気になる人への参考用3 カロライナ・アカデミック・プレスのカタログへのリンクがあるページ。左上のPDFへのリンク 
http://www.caplaw.com/

 
※補論 スタディエイドのうちのアウトライン(outline)というジャンル
 
 20世紀末に私が日本から見た事情は、上に書いたのですが、アメリカでの市販テキストにおける変革は既に起こっていたのです。
 20世紀末にあった日本語の英米法の教科書は正直、今あるものとそれほどかわらないのですが、そこにはアメリカのロースクールではケースメソッドを使って高度な判例学習が行われリーガルマインドの習得がなされる、みたいなことが書いてあったわけです。そこから、隣接科学を統合した法学の教育研究の桃源郷みたいなアメリカのロースクールのイメージが醸造されて、日本型法科大学院に突き進んでいった、というのが1990年代後半〜2000年代前半に大学院にいた私が見た情景でした。上の世代の人は、設立に立ち会ったので違った見方があるのだろうし、司法修習所の定員問題、司法試験改革の問題、当時の流行した大学院重点化、専門職大学院の設立といろいろ問題が組み合わさっていたのだけど...。
 当時問題なっていたものとして、いわゆる予備校本問題がありました。司法試験での競争激化によって予備校が繁盛し、司法試験の答案でも予備校本の模範論証通りの金太郎飴答案が氾濫して、これではリーガルマインドが身につかないとか、この手の主張が法科大学院設立を推進するために唱えられていたところでした。
 
 なぜ、この話を出すのかというところで本題なのですが、アメリカのスタディエイドのジャンルの一つとしてアウトライン(outline)というものがあります。アウトライン、ここではカタカナ訳にしましたが、どういった教材かというと「市販まとめノート」になるのですが、教授陣からの扱いが、ズバリ日本で言うところの「予備校本」に近いものになります(司法試験向けの本はまた別にあるらしいのですが)。補助教材なのですが、定期試験で答案に書くのに適した形で、法概念の定義や要件効果、判例の要約みたいなことが箇条書きされているような本になります。「論点ブロック集」に印象が近いかもしれません。ロースクールのライブラリーのウェブサイトでは、「スタディエイドでもナットシェルみたいな本は論文で引用されることがあるけど、アウトラインはまず引用されない」みたいな注意をしているものを見た記憶があります。
 本来的に言うと、ケースブックを使って授業をする場合、ケースブックに載っている判例は長文でわかりにくいので、学生が自分で、事実関係や当事者の主張、論点、先例、判例のポイント、多数意見と少数意見の違いなどをまとめた講義ノートを自分で作り、授業や定期試験に備えます。その時に作るノートがアウトラインになります。この過程の中で学生は判決文の読み方や判決に内在する法理を理解していき、ケースメソッドによる授業でそれを深めるというのが、ロースクールの授業の理想なのだと思います。ですが、アウトラインづくりがうまくできなかったり、あるいは予習復習をサボりたい学生のために市販まとめノートが発売されていて、それが商業出版物の市販アウトラインになります。
 市販アウトラインについては、エマニュエル(Emanuel)ギルバート(Gilbert)ブラック・レター(Black Letter)が有名なブランドです。エマニュエルは現在ヴォルタース・クルーワー傘下です。ギルバードはもとは独立した会社だったのですが2000年にトムソン・ロイターにM&Aされて現在はウエスト・アカデミックのブランドになります。ブラック・レターはもともとのウエストの商品になります。アウトラインの草分けのエマニュエルなのですが、もともとはハーバード・ロースクールの学生のエマニュエル君が作った定期試験対策用のノートになります。英語ウィキペディアの"Steven L. Emanuel"
を参考に解説しますと、1950年生まれのエマニュエル君がロースクール生だった頃、試験対策用のノートを友達に売ってあげると大好評だったので、卒業後、会社を作って市販したらとても売れた。そこで、いろいろなエマニュエル・ブランドの本を商品展開するようになったということになります。現在は、M&Aされて、エマニュエルは法律書大手のヴォルタース・クルーワー傘下のブランドになっています。ウィキペディアを見ると、エマニュエルのようなアウトラインでは法律問題が過度に単純化されているとの批判があると書かれています。あれ??「アウトライン」を「予備校本」にかえるだけで日本でも聞いたことがある話のような。
 
 このエマニュエルの本、正木もamazonでアメリカ行政法関係の本を買い集めていた院生の頃から存在を知っていたのですが、この本は買う気になれませんでした。なんというか、表紙を見るだけでほかの法学書と違う怪しい感じがしますし、カリスマ的教材作成者らしきエマニュエルという人物の名前を強調しすぎている気がしましたし、本の紹介や信者化したカスタマーからのコメントが、日本の予備校本に雰囲気がそっくりなので、amazonでみただけで、「これはおそらくアメリカの予備校本の類いだろう」と思って手を出さずにいました。最近、少し現物を見てみたのですが、たしかに要点をうまくまとめているので参考にはなるしうまく使うと役に立ちそうだが、しかし、これだけで勉強すると法律や判例法の先例の要件効果を検討して具体的事実にあてはめていくという素養の習得には不安があるのではないかとも感じました。
 ちなみに、エマニュエルの行政法は、ケースブックの編集もしているわりとしっかりとした学者のBeermann先生が執筆で、なんだかなぁと思います。そもそもこういう本ってエマニュエル君が学生目線でわかりやすい教材をつくるのに意義があるのであって、大学教授が作るのは、なにかあべこべな気もするのですが、ウエストとかは「大学教授が作った安心して使えるアウトライン」を売りにシリーズ展開をしているので。商売のためになら手段を選ばないという気がします。
 
 実際のところ、アメリカのロースクールでのヒアリングの報告書でも、エマニュエルとかギルバートに対して示している教員の反応が、日本の学者の予備校本に対するそれと同じような感じです。ロースクールのライブラリーの学習のための文献紹介でも、実際には学生に使用されているにも関わらず一部のライブラリーでは紹介が意図的に避けられているような感じですし(紹介しているライブラリーもありますが)、ウエストやヴォルタース・クルーワーのpdfカタログでも学者の書いた教科書タイプのスタディエイドは大きく紹介されていても、アウトラインは大きく扱われていないような気がします。あちらでも日陰者なのでしょう。
 
アメリカ合衆国における 法曹養成の実情に関する調査報告書
http://www.congre.co.jp/lawschool-partnership/2007suisin_prog/pdf/usa.pdf
(13頁、24頁以下でアウトラインの話題)
 
 だがしかし!! 、上の報告書でも、1980年代初頭、教授が学生の頃、商業アウトラインの使用は教室では禁止されていたが多くの学生が自宅で使っていたと書かれています。英語ウィキペディアではロースクール生のアウトライン依存を嘆く初出1989年の文章が引用されていますし、日本人のブログのロースクール留学記とかでも、ケースブックだけじゃロースクールの授業がよくわからないからアウトラインを使っている人が多い、とか書いているものをよく見かけます。このあたりの事情も「アウトライン」を「予備校本」にかえるだけで、どこかで聞いたことある気がします。
 正直、法科大学院設立時に偶像化されたアメリカのロースクールでも、予備校本的なものは使われていたわけなのです。とは言っても当時から、「アメリカのロースクールの学生も試験対策本を使ってるよ」と言っていた人は結構いた記憶がありますし、阿川尚之『アメリカン・ロイヤーの誕生』(中公新書、1986)でもロースクールでのエマニュエルの使用に言及があったりして(79頁)、今になって振り返ると何とも言えない気分になります。予備校本が排除された桃源郷なんて最初から無かった。もう一度書くと、自作アウトラインを友達に売っていたエマニュエル君はハーバード・ロースクールの学生。


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