行政法U第27回 「損失補償(1)」
正木宏長
1 損失補償(総説)(大橋p467〜468)
 
・損失補償制度は国の適法な活動による私人の特別の損失を補償するもの
 → 違法な活動による損害を賠償する国家賠償制度とは異なる
・1889年の明治憲法は損失補償の条項を置かなかった
・1949年、日本国憲法で財産権の保障とともに損失補償も憲法上の制度となった(日本国憲法29条3項)
 
2 損失補償請求権の根拠(大橋p468〜469、489)
 
・法律又は条例に規定がある場合、国民はそれに基づいて損失補償を請求することができる
・補償が憲法上必要であるにもかかわらず、補償条項が法律にないとき、憲法29条3項によって直接、損失補償を求めることができる(通説、最高裁昭和43年11月27日大法廷判決、刑集22巻12号1402頁、行政判例百選251事件)
 → 損失補償条項を持たない法律が違憲となるわけではない
 
※損失補償の訴訟法上の請求方法
 
・公法上の当事者訴訟による、給付訴訟ということになる
 → 法律上の定めがあるときはその定めによる。土地収用法の場合、損失補償額に不満がある場合は形式的当事者訴訟である(土地収用法133条2、3項)
 
3 補償の要否(大橋p470〜478) 
 
(1)特別の犠牲の有無
 
・損失補償が必要なのは、損失が特別の犠牲にあたるとき
 

田中説(田中上巻p214〜215): 下の二つの基準の客観的・合理的判断により特別の犠牲の有無を判断する
 
@形式的基準 : 侵害行為の対象が一般的であるかどうか、いいかえれば、広く一般人を対象としているか、それとも特定人又は特定の範疇に属する人を対象としているか − 被侵害者が全体に対してどういう割合を占めているか − どうか
A実質的基準 : 侵害行為が財産権の本質的内容を侵すほどに強度なものであるかどうか、いいかえれば、社会通念に照らし、その侵害が財産権に内在する社会的制約として受忍されなければならない程度のものであるかどうか
 
ex. 一人の土地の強制収用のような場合、損失補償が必要であるが、都市計画法の用途地域規制による建築制限には損失補償は不要である

 
 
・田中説の実質的基準は、下の今村説(今村入門6版p179)によって具体化されていると考えられている
 
@財産権の剥奪又は当該財産権本来の効用の発揮を妨げることとなるような侵害については、権利者の側にこれを受忍すべき理由がある場合でない限り、当然に補償を要するものと解すべきである
A上の程度に至らない財産権行使の規制については、(a)それが、当該財産が社会的共同生活上の調和を保ってゆくために必要とされる制限である場合には、財産権に内在する社会的拘束の現れとして、補償を要しないものと解すべく、(b)他の特定の公益目的のために、その財産の本来の社会的効用とは無関係に、偶然に課せられる制限であるときは、補償を要する
 
・宇賀は損失補償の要否の基準については、@侵害行為の特殊性、A侵害行為の強度、B侵害行為の目的、等を総合的に判断する必要があると考えられるとする(宇賀Up505)
・財産権規制を受ける側に原因が存在する場合、損失補償は不要と解されている
 
(2)補償の要否
 
消極目的と積極目的の区分
 
・公共の安全を維持するための消極目的規制は最小限度規制であるから補償が不要であり、公益事業の発展を目的とするような積極目的規制は特別の犠牲であるので補償が必要であるとする説がある(田中上巻p215)
 

判例@(奈良県ため池条例事件) 最高裁昭和38年6月26日大法廷判決(刑集17巻5号521頁、行政判例百選251事件)
 
 奈良県ため池条例は、ため池堤とうに農作物を植えることを禁止しており、違反者には罰金が科せられるとしていた。Xはため池堤とうに農作物を植えたため刑事訴追された
 
 本条例は、「ため池の堤とうを使用する財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上巳むを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受忍しなければならない責務というべきものであつて、憲法29条3項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。」

 
・都市計画法の用途地域規制は積極目的規制だが、損失補償の規定はないので、積極目的・消極目的で区別するのは難しいのではないか。
 → 土地利用規制は現代土地所有権の内在制約である(「計画なくして開発無し」)
 ex. 自然公園法64条1項(国立公園の特別地域等での行為規制への許可が得られなかった場合の損失補償の規定)に基づく補償は、積極目的である為に憲法上の補償を定めたものとされるが、実際には機能していない
 
鉱業権行使の制限
 

判例A 最高裁昭和57年2月5日第2小法廷判決(民集36巻2号127頁)
 
 鉱業法64条によると、鉱業権者は、道路、河川、公園のような公共施設付近で鉱物を採掘するには管理庁又は管理人の承諾を得なければならないのだが、承諾が得られなくて採掘ができない場合に、損失補償は必要か?
 
 「鉱業法64条の定める制限は...公共の福祉のためにする一般的な最小限度の制限であり、何人もこれをやむを得ないものとして当然受忍しなければならないものであつて、特定の人に対し特別の財産上の犠牲を強いるものとはいえない」

 
破壊消防
 
・価値が消滅している財産の収用に補償は不要である
ex. 延焼のおそれがある家屋への破壊消防(消防法29条2項)、病原菌に侵された食品等の廃棄処分(食品衛生法54条)
 

判例B 最高裁昭和47年5月30日大法廷判決(民集26巻4号851頁、行政判例百選246事件)
 
 破壊消防により家屋を取り壊されたXが、損失補償が必要な消防法29条3項(延焼のおそれのない家屋の破壊)の場合にあたるとして損失補償を求めたところ、Y(村)は損失補償が不要な消防法29条2項(延焼のおそれのある家屋の破壊)の場合にあたると主張した事例
 
 「火災の際の消防活動により損害を受けた者がその損失の補償を請求しうるためには、当該処分等が、火災が発生しようとし、もしくは発生し、または延焼のおそれがある消防対象物およびこれらのもののある土地以外の消防対象物および立地に対しなされたものであり、かつ、右処分等が消火もしくは延焼の防止または人命の救助のために緊急の必要があるときになされたものであることを要するものといわなければならない。」
 本件では破壊消防は適法であるが、「延焼のおそれがあつたとはいえない」ので損失補償を求めることができる

 
危険性への着目
 
・その物の有する危険性ゆえに負担の受忍が義務付けられる場合がある(判例B)
 

判例C 最高裁昭和58年2月18日第2小法廷判決(民集37巻1号59頁、行政判例百選247事件)
 
 消防法10条4項、危険物の規制に関する政令13条によると地下ガソリンタンクは地下道から10m以内には設置できないとされている。本件はガソリンスタンドが営業をしていたところ、近隣に地下横断歩道が設置されたため、地下タンクの移設工事を余儀なくされたので、国に道路法70条の損失補償を求めた事例である
 
 「道路工事の施行の結果、警察違反の状態を生じ、危険物保有者が右技術上の基準に適合するように工作物の移転等を余儀なくされ、これによつて損失を被つたとしても、それは道路工事の施行によつて警察規制に基づく損失がたまたま現実化するに至つたものにすぎず、このような損失は、道路法70条1項の定める補償の対象には属しないものというべきである。」

 
行政財産の使用許可の撤回
 

判例D 最高裁昭和49年2月5日第3小法廷判決(民集28巻1号1頁、行政判例百選90事件)
 
 XはY(東京都)の土地の使用の無期限の許可を受けたが、12年後、東京都は使用許可を取り消した。Xは取消処分を争った
 
 「本件のような都有行政財産たる土地につき使用許可によつて与えられた使用権は、それが期間の定めのない場合であれば、当該行政財産本来の用途または目的上の必要を生じたときはその時点において原則として消滅すべきものであり、また、権利自体に右のような制約が内在しているものとして付与されているものとみるのが相当である。」
 「Xは、むしろ、Yに対し、本件行政財産についての右の必要のもとにされたと認めうる本件取消によつて使用権が消滅することを受忍すべき立場にあると解される」

 
 最高裁平成22年2月23日第3小法廷判決(判例時報2076号40頁)は、市営と畜上の廃止について「利用業者等が本件と畜場を利用し得なくなったという不利益は,憲法29条3項による損失補償を要する特別の犠牲には当たらない」とした
 
長期間にわたる土地利用規制
 

判例E 最高裁平成17年11月1日第3小法廷判決(判タ1206号168頁、行政判例百選253事件)
 
 60年にわたって事業未着手の都市計画に基づく土地利用規制に、損失補償は必要か
 
「Xらが受けた上記の損失は,一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲を超えて特別の犠牲を課せられたものということがいまだ困難であるから,Xらは,直接憲法29条3項を根拠として上記の損失につき補償請求をすることはできない」

 
3 「正当な補償」(大橋p478〜480)
 
日本国憲法29条3項の「正当な補償」とは
 
@相当補償説(判例) : 「その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでない。」
A完全補償説 : 収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべき
B修正完全補償説(現在の通説と言ってもよい): 完全補償を原則として、農地改革のような例外的場合は相当補償でよい
 
・@は自作農創設特別措置法の合憲性について最高裁が判示したものである。(最高裁昭和28年12月23日大法廷判決、民集7巻13号1523頁、行政判例百選248事件)
・Aは旧土地収用法71条の「補償すべき相当な価格」について、最高裁が判示したものである(最高裁昭和48年10月18日第1小法廷判決、民集27巻9号1210頁、行政判例百選250事件)
 
・最高裁が憲法29条3項について相当補償説をとることは、土地収用法の補償金額について事業認定時を基準とすることが、収用裁決までの価格変動は起業者が負担すべきことや補償金支払請求制度(土地収用法46条の2、46条の4)の存在を理由に、合憲判決を下した最高裁平成14年6月11日第3小法廷判決(民集56巻5号958頁)で再確認された
 → 最高裁は憲法29条3項の憲法解釈としては「相当補償説」を、土地収用法71条の法律解釈としては「完全補償説」を採用しているものと思われる(参照、行政判例百選(6版)の昭和28年判決の内野解説)
 
 補償の支払時期について、最高裁昭和24年7月13日大法廷判決(刑集3巻8号1286頁、行政判例百選249事件)は、憲法は「補償の時期についてはすこしも言明していないのであるから、補償が財産の供与と交換的に同時に履行さるべきことについては、憲法の保障するところではないと言わなければならない。」としている。
 土地収用法は事前補償ないし同時補償の原則を採用しており、95条以下に定めをおいている
 
次回の講義は、「損失補償(2)、国家補償の谷間」「公務員法」大橋p480〜497、宇賀Vp346〜538