環境保全法第3回 「土地法の歴史」
正木宏長
1 近代土地所有権の確立(須田p27〜32)
1.1 江戸時代の土地所有構造 
 
・江戸時代 : 土地支配は領主的支配と農民的所持の二重構造
→ 農民は、田畑の売買を禁止され、地種の変更なども厳しく制限されていた。
 
・江戸時代末期 : 土地の質入れが行われるようになった
 → 地主的支配の発生
 → 江戸時代末期には、一つの土地に対する領主的支配、地主的支配、農民的支配が重畳的に存在するようになった
 
 
1.2 近代土地所有権の確立 
 
・1870年、明治政府は地租改正に着手した
・金納による土地からの租税の徴収のための改正
  → 封建的土地支配を廃止し、一物一権主義を確立する
→ 全国の土地の面積等を正確に把握する
 
・1871、太政官布告682号の地券発行地租収納規則により東京府下に地券が発行された
・1872年、全国に地券が発行された :地券発行地租収納規則を定め土地所有者に地券を発行した
 → 地券は発行を受けようとする者から、地引絵図、反別、地価等を申告させ、審査確認して発行された(壬申地券)
 → 一物一件主義の確立。
 → 地券の控えは編纂され、地券台帳となった(土地台帳や土地規制の基になる)
 
・1872年、太政官布告50号により、土地の永代売買の禁止や、身分による土地所有の制限が廃された
・地券の書換えが、土地所有権移転の効力要件であった
 
・1873年、地租改正条例が公布された
→ 土地の測量(字又は村単位で「字限図」が作成された。これが公図の基となった)
→ 地価の3%の地租の納税義務(教科書一桁間違えてます)
・1874年、地所名称区別改定が発せられた。全国の土地は官有地と民有地に大別された(須田p30の図参照)
 
・1884年、地租条例により再び土地調査(地押丈量)が行われた。
・1886年、登記法が公布された
   → 地券によって担保設定を公示することは難しかった
   → 裁判所が不動産の公示を担当することになった
・1889年、勅令による土地台帳規則により、土地台帳によって地租が課税されることになり、地券は廃止された。(これまでは地券によって地租が課税されていた)
 → 土地台帳は税務署で管理された
・1896年、民法が公布された
 
※ 戦後の改正
 
・地租は土地台帳によって課税された → 1947年の土地台帳法
・1949年、シャウプ勧告により、府県税であった地租や家屋税は市町村の固定資産税とすることとされた。
・1950年、土地台帳法改正により、土地台帳が税務署から登記所に移管された(登記所に土地台帳・家屋台帳と登記簿が併存することになった)
・1960年、不動産登記法の改正により、土地台帳が廃止されて登記簿に一元化された。土地台帳は登記簿の表題部に移記された
→ 現行制度の確立
 
2 土地利用規制の歴史(須田p32〜46)
2.1 都市計画の歴史 
 
◎1872年 銀座地区での政府による「銀座煉瓦街計画」
 
・火事跡地に、広い街路と煉瓦造りの建物の並ぶ街区を整備した
 
◎1888年の東京市区改正条例(勅令)
 
・東京の都市整備
・内務省による都市整備事業
・府知事が執行責任者。東京市区改正委員会を設けて都市計画案を審議し、内閣の認可を得て知事が公告した。知事には公債の発行も認められた
 
・@路面電車を敷設するための都心部の道路拡張(受益者負担の観点から路面電車にかなりの部分を負担させた)、A上下水道の整備(伝染病予防)、B日比谷公園の新設がされたとされる(官庁集中計画の遺産)。
 
→ 都市計画制度の原型
 
◎1919年の都市計画法
 
・ 地域地区指定、建築物制限、土地区画整理、等が内容
・「風致地区」制度の規定、都市計画区域内での工作物の新築・増改築への地方長官の許可
・道路、公園、河川等の施設に関する事業に必要な土地について、工作物の新築・増改築をするには地方長官の許可が必要。
 
◎1919年の市街地建築物法
 
・建築基準法の前身
・本法を適用する地域に用途地域(住居地域、商業地域、工業地域)を内務大臣が指定できることや、用途地域への建ぺい率指定、建物の構造を定めていた。
・住居地域では65尺以下(約20m)、その他地域では100尺以下(約31m)の高さ制限を規定していた
 
◎戦前の都市計画法制の問題点
 
・1919年の都市計画法は、都市計画委員会の議を経て、内務大臣が都市計画や都市計画事業を決定し、内閣の認可を受けるというものだった。
 → 土地所有権を制限できるのは、自由な土地所有権を創出した国だけがなしうるという中央集権的な考え方
・学校などの教育社会政策的施設、公営住宅の建築などが都市計画上位置づけられていなかった
・地域区分が3区分しかなく、規制も緩やかだった
 
2.2 戦後期の都市計画法制の展開 
 
・1950年、市街地建築物法に代わる建築基準法制定
 
・経済復興に応じて人工の大都市への集中が始まったが、スプロール開発を食い止めることができなかった
・市街地改造法や新住宅市街地開発法、土地区画整理法を使って、大阪駅前市街地改造事業や多摩ニュータウン、大阪枚方市の香里団地、千葉県松戸市の常盤平団地、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンなどの都市整備がなされた。
 
・1968年、都市計画法改正
→ 用途地域指定や都市計画区域の指定の権限が国から地方公共団体に移された(機関委任事務なので、本質は国の権限であった)
→ 市街化区域、市街化調整区域の区域区分や開発許可制度が設けられた
 
・1999年の地方分権推進一括法による地方自治法改正により、都市計画権限は機関委任事務から自治事務となって、名実ともに自治体の事務となった
 
2.3 土地利用規制の展開 
 
・1972年の田中内閣の「日本列島改造論」 → 地価が上昇し始めた 
・1973年、政府は、土地利用計画の策定と土地利用規制、土地税制の改善、宅地供給の3本柱からなる土地対策を決定し、国土総合開発法の全面改正案を提出したが廃案になった
→ 代わりに議員立法として1974年、国土利用計画法が制定された
 
※ 国土利用計画法の内容
 → 国土利用について国が全国計画を定め、都道府県が都道府県計画を定め、市町村が市町村計画を定める
 → 土地利用調整について、都道府県知事が、県内を、@都市地域、A農業地域、B森林地域、C自然公園地域、D自然保全地域に区分する土地利用基本計画を定める
 → 土地取引規制については、土地取引を許可制にする規制区域の規定
(規制区域はバブル期に指定されなかったため機能しなかった)
 
・1986〜90年頃までの地価高騰。バブル経済による土地投機の横行
・1987年、国土利用計画法の改正
 → 土地取引を届出制にする監視区域を設けた
 
・1989年、土地基本法の成立
 → 土地についての基本的な考えを示す基本法
 → 国民の具体的な権利義務を定めるものではない
 → 土地についての公共の福祉の優先や、適正利用・計画的利用・投機禁止などを定めている
 
・1992年、国会等の移転に関する法律
 → 1999年の国会等移転審議会の答申で、移転候補地として、栃木・福島地域、岐阜・愛知地域の2地域(条件付きで「茨城地域」「三重・畿央地域」)が選定された
 → 最終的な移転先については今日まで結論が得られていない
 
・2004年、景観法
 
2.3 戦後開発法の歴史 
 
・1950年、国土総合開発法が制定された
→ 国土総合開発計画(全総)を立てることが目玉
 
・1952年、電源開発促進法、1957年、多目的ダム法、1961年、水資源開発促進法
 → ダム建設推進
 
・開発の進展による人口集中
・1987年、総合保養地域整備法(リゾート法)
 → バブル経済の崩壊と共にリゾート開発も頓挫した
 
・2005年、国土形成計画法
 
2.4 戦後保全法の歴史 
 
・1918年、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(鳥獣保護法)
 → 狩猟のルールを定める
・1950年、文化財保護法
・1957年、自然公園法
 
・1960年代には公害が社会問題となる
 → 道路公害、空港公害、新幹線公害
 
・1972年、自然環境保全法
・1993年、環境基本法
 
             次回の講義は「土地基本法、国土利用計画法」須田p124〜138、p192〜199