新潟中越地震チャリティーコンサート (2005/1/15)

 新潟中越地震の被災者の方々には、この長く厳しい寒さの中、どんなにか大変な日々を送っていらっしゃることとお見舞い申し上げます。
 私たちメンタル・ハーモニーでも、何かできることはないか、社会の中に生き、社会に貢献する合唱団として、何か行動したいという意見が高まり、チャリティーコンサートを行うことになったわけです。
 女声合唱団「響」さんと御一緒に企画したこの演奏会、約450名のお客様にご来場いただき、募金も416,887円という高額が集まり、大成功だったと一同感謝しております。さっそく福島市長を通じ、被災地の方々にお届け致しました。ご来場くださった皆様、大変ありがとうございました。
<<2005/3/1 Tuesday>>



第24回 定期演奏会 (2002/6/22)

 さて、演奏会終了から約2ヶ月も経ってしまいましたが、報告を書かせていただきます。
 メンタルの場合、割といつものことなのですが、今回の演奏会も、選曲には大変悩みました。骨子が決まったのは今年に入ってからで、実際に曲が確定したのは3月か4月だったのではないかと記憶しています。「美空ひばり」は早くから(一年以上前)構想があり、尾形先生に編曲をお願いするということも決まっていたのですが、私たちが最終稿を手にしたのは4月も終わりの頃でした。とにかくお客さんに喜んでいただける演奏会を創りたいと、前回から第一ステージにコンクールを意識した宗教音楽等を持ってくることはやめ、オープニングにふさわしい楽しい曲は何だろう? と皆で頭をひねりました。その結果、決まった曲は、そう目新しいものではなく、以前にも取り上げた「慕情」なのですが、この冒頭の“Love is a many splendored thing!”をいかに印象的に響かせてお客さんに演奏会全体への期待感を持っていただけるか、私たちはまず、そこに賭けることにしました。
 そして続くホームソングメドレーと黒人霊歌、第二ステージの歌謡曲、最終ステージの「蔵王」と、だれの耳にも親しみやすい選曲を意図して構成しました。ところが、ありふれた曲をただそのままに歌ったのでは、何の変哲もない、つまらない演奏会になってしまいます。誰もが知っているレパートリーに、如何にして新しい生命を吹き込むか。私たちの次なる課題は、これでした。
 そこで本領を発揮するのが吾等が常任指揮者、藏田堯先生の類い希なる感性です。どんなに歌い古された歌でも、彼の手に掛かればたちどころに新しい装いを得て生き生きと響く、そんな現場を私たちはこれまで何度も目の当たりにしてきました。美空ひばりの3曲は、私などから見ればただの古臭い歌ですが、彼にとってはまさに青春の歌。そこに彼の古くからの御友人(御本人の談によると、なんと御親戚なのだそうな)たる尾形秀重先生の斬新な編曲を得て、まさに鬼に金棒。「藏田節」が冴えわたったステージになりました。
 とはいえ、彼の指揮についていくのは本当に大変。音楽に生命を吹き込むためには、その時々のインスピレーションが大切、とばかりに、決して同じ指揮はしません。一度でも練習を欠席しようものなら、次は訳が分からない。私たちもそれぞれに本職を持ち、忙しい中必死でがんばりました。...と、それはともかく、尾形先生も、昨年郡山で開催された全国大会で聴いた現代曲や、吹奏楽曲からのアイディアなどを美空ひばりの編曲に盛り込むものだから、蔵田先生自身もかなり苦心していらっしゃった様子でした。それもこれも結果的には、聴き古した曲を「いままで聴いたこともない演奏」に仕立てるという、今回の演奏会のテーマに収斂していくものとなりました。
 さて最終ステージの「蔵王」ですが、古いメンバーにとってはもう何度目の演奏になるかわからないという手慣れた曲。一方、蔵田先生も負けじと新しい解釈を連発。尾形先生の味のある(音楽的な)朗読と相まって、まさに丁々発止の緊張感ある良いステージとなりました。こんなふうに書くと自画自賛の気味もあって何ですが、演奏会後に職場関係の方や別団体の方などに御好評をいただき、あの手応えは嘘ではなかったんだと自信を強めた演奏会になりました。
 私個人としては、多忙のため睡眠不足など、決してベストの状態ではなく、アンコールでまたフルートを吹くというときには、正直「もう勘弁して」という感じだったのですが、不思議と1回目より良い感じだったりしました。ついでに愛用のパソコン(PowerBook G3)がクラッシュしたり、実は個人的に踏んだり蹴ったりの時期だったのですが、唯一救われた行事でした。夏休みにやっとペースを取り戻し、パソコン環境も復活(PB G4 Get !!)してこれを書いた次第です。
<<2002/8/16 Friday>>



東京混声合唱団 福島特別演奏会 (2002/3/9)

 私たちは、この演奏会の最終ステージで、三善 晃氏の作曲になる「2群の合唱団とピアノのための《蜜蜂と鯨達に捧げる譚詩》」の演奏に参加させていただきました。
 思えば、この企画を知ったのはいつごろだったでしょうか。一年前頃には、メンタルのスケジュールとして参加可能かどうかをずいぶん議論したような気がします。そして、スケジュールとしては大変ではあるけれども、東混との共演、そして三善氏の新作への期待、その福島初演に関わりたいとの気持ちが諸々の不安を圧倒し、参加を決意しました。
 さて練習を始めてみると、速いテンポで自在にシンコペイトされたリズム、そして慣れない英語の発音などに面食らい、四苦八苦の毎日でしたが、次第に作品の持つメッセージに共感を覚え、是非とも演奏を成功させたいという思いを強くしてまいりました。
 そうしてむかえた当日、万全の練習をして臨んだつもりだったのですが、やはり反省点はいくつかありました。それでも、東混の皆さんとの共演で感じた感動、三善先生の作品から来る感動、観客の皆さんが私たちの演奏に何かを感じてくださったという実感、そういう思いが、「やはりやって良かった」という結論につながっていきました。
 少し冷静に振り返ってみますと、ここに至る過程では、FMCの皆さんとの合同練習も数多くもちましたし、直前には仙台の皆さんとの合同練習もありました。これらの合同練習では、いつもの私たちの練習とは違うやり方、違う考え方にいくつも出会い、なるほどと共感したり、時には疑問を感じてしばらく悩んだりと、いろいろな刺激を受けました。東北地方南部のそれほど広くない範囲にもこれだけたくさんの個性を持った合唱団があり、それぞれの理念に基づいて合唱活動を展開している。いろんな指揮者がいて、それぞれにすばらしい感性と、独自の理論を持っている。不器用な私は、その度に疑問にぶち当たり、内省によって解決しようとするのですが、直前の練習では、直前ということもあり、解決できないまま本番になだれ込んでしまったという面も多々ありました。
 しかし、そのようなさまざまな個性を認識しあい、理解しあうこと、そのこと自体がこの合同演奏の本旨であり、三善先生の作品の本旨でもあったのだと、そのことだけは強く肝に銘じて本番に臨みました。
 そして本番、私たちは精いっぱい表現しました。有らん限りの気持ちを込めて。しかし、その気持ちを時には抑制してコントロールしないと技術的な破綻をもたらすこともあります。技術的な迷いや、未熟さをたくさん引きずってもいます。自分自身が感動してしまって冷静さを欠く瞬間もありました。そういうとき、アマチュアとしての「限界」を感じてしまうことも確かでした。
 しかし、「限界」を感じてそのまましぼんでしまうか、それを乗り越えるべき目標としてまた努力を始めるかによって私たちの未来は大きく違ってくると思います。ぜひ多くの団員にとって、プラスの刺激、そして自信と前進意欲につながって欲しいなあと思う、そんな演奏会でした。