本用語はC.W.D.M的な角度より、追求。情報は出来るだけ正確にしていますが、すべてにおいて保障するものではありません。
敬称略称。



■板野一郎
1959年3月11日生まれ。横浜出身。B型。「クラッシャージョウ」劇場版の時にスタジオで河森と出会う。板野サーカスと呼ばれる作画でマクロスの世界を広げた人間。ミサイルの飛び方が、うねる様に飛び、また奥と手前のミサイルの軌跡の描き方、タイミングを変えることで画面に奥行きとメリハリを持たせることに成功する。以後数々の人間がこの作画に挑戦するも、正当なる後継者といわれるのは、庵野秀明、後藤正巳の二人と言われている。庵野秀明のアニメーターとしての師匠としても有名。河森正冶とは、その後のマクロスの仕事をともに続ける。作画から3Dまで、メカに関する部分はあらゆるところに関わっていく。過去に板野のバイクの後ろに河森を載せて、車とすれすれですれ違ったりと、かなり無茶な経験をさせる。

■クリコン
河森たちが学生時代にあったSFコンテスト。ここでスタジオぬえのメンバーと出会う。

■慶応高校
河森、美樹本晴彦、細野不冶彦と、後のマクロスのメンバーとなる人間が出会った場所。河森にとっても、他のメンバーにとっても大きな転機となる高校。後に大学にもエスカレーター式に上がっていく。

■サテライト
1995年に設立。現在河森が仕事をしているスタジオ。「アルジュナ」、「マクロスゼロ」と仕事をしている。河森が監督、脚本を担当した「KENJIの春」でCGパートを担当するのが河森との始めての仕事となる。札幌と東京にスタジオがある。また、取締役役員を河森は担当している。代表取締役は佐藤道明。
WEB

■スタジオぬえ
河森が在籍しているスタジオ。宮武一貴、高千穂遙らが生み出した、日本を代表するSF集団。

■高梨 実
バンダイビジュアルプロデューサー。近作の河森作品には必ずといっていいほど参加している。忘れてはいけない、河森を支えている一人。

■原田知代・松田聖子
かつて学生時代に、河森達がはまったアイドル。その影響が後のマクロスに出る。

■美樹本晴彦
1959年8月28日生まれ。フリー。現在はイラストレーターとしての仕事の方がメイン。河森正冶と同じ慶応で学生時代をすごし、共にマクロスに関わる。マクロスではキャラクターデザイン、作画監督を担当する。

■レゴ
デンマークのおもちゃ。1960年に日本に上陸。「LEGO」の語源はデンマーク語で「よく遊べ」を意味する「LEG GODT」を元にした造語(ほかにラテン語で「組み立てる」の意味もある)。河森がバルキリー等変形メカを作るときその説明として、レゴを用いて変形システム、フォルムをスタッフに説明する。マクロス当時から、このレゴによる説明は行っており、現在でも、そのスタイルは変わらない。




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