テリー
ある、5月も半ばのある日・・・。
学校の教室の窓際に座ると、ふと窓のあたりで
窓ガラスの向こうへ行こうと必死で羽ばたいている小さな虫を見つけた。
窓ガラスの向こうは太陽光が暖かそうだった。
しかし、その日は風が強く、窓が開かれる気配はない。
それでも彼らは羽ばたき、ガラスにしがみつく。
彼らは知っているのだろうか?決して開かれることのない窓であると・・・。
いや、彼らはきっと、あまりにも自分が小さいため
大きい壁となっている、透明な窓ガラスの存在に気づかないのだ。
いつまでも開くことのない窓ガラスにしがみつき
永久に出ることのできない明るい外に思いをはせる。
外へ出られることが幸せなのかはわからない。
とは言え、このまま幾度となく窓ガラスにしがみつき、いつか力尽きるのも目に見えている。
すでにその道を辿った者も少なくはない。
数多くの亡骸の上で彼らは意味のない羽ばたきを繰り返す。
羽ばたいてしがみつき、落ちる。また羽ばたいてはしがみつき、落ちる。
たまに羽ばたかずによじ登ろうとするが、いずれまた落ちる。
彼らはこんな事をするために生まれてきたのだろうか?なんの意味があるのだろうか?
そんな情景を自分に重ねる。
今、もしかしたら自分の目の前にも、見えない壁があるのかもしれない。
自分では必死に前に進んでいるつもりなのだが
目に見えない、透明なガラスの壁の前で、ただもがいているだけなんじゃないだろうか・・・。
確かに向こうに”光”は見えるのに・・・。
いや、実は向こうは真っ暗闇で、ガラスに反射した映像、すなわち
自分の後ろの画を見ているのかもしれない。
未だに過去に縛られているだけにすぎないのかもしれない。
このまま昔の画を追い続けることの方が幸せなのではないか?
たとえ、この目の前の見えない壁を乗り越えることができたとしても
そこは底なしの穴かもしれない。
越えたところで、また大きな壁が立ちはだかるかもしれない。
越えても越えても何も変わらないかもしれない。
しかし、だからといってこのままじっとしていてもどうしようもない。
もう戻ることができないのなら進むしかないのだ。
どんな進み方でもいい。
回り道だろうと、一直線だろうと、自分の歩んだ道筋に悔いを残さなければいい。
たとえどんなに大きな壁が目の前にあったとしても、いつかきっと乗り越えられる。
よじ登って越えようと、隙間が見つかるまで探し回ろうと、力ずくでぶち壊そうと
今までもきっと、そうして壁を乗り越えてきたはずなのだから。
教室を出るとき、窓ガラスを少しだけ開けておいた。
窓ガラスを越えようと越えまいと、彼らの意志に任せて・・・。