my favorite その11 

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2004年8月26日  「サッカーの夏 五輪〜SBS杯〜全国少年少女草サッカー」 

  アテネ五輪のサッカーの日程が終了しました。
  結果は少し悔しい終わり方でしたが、この悔しさをバネに選手たちにはドイツのW杯を目指して欲しい!と思います。

  シドニー五輪からもう4年も経ったのかなあ、と思うと短かったような、長かったような・・・(笑)シドニー五輪日記を今更ながら読み返すとあの珍道中が蘇ってきます(^^)。

  アテネ五輪はタカは残念ながら出場することが出来ませんでした。そのことは本当に残念です・・・。

  ただ、私的にはやっぱり伸二が代表に入ったことが嬉しかった。4年越しの想い。。。選手にとってはやっぱり重いと思うのです。4年前に五輪に落選した時、伸二は泣いたと言っていました。サッカーではもちろんW杯が一番ですけれど、選手にとってやっぱり五輪というのも大切なものだとひしひしと感じました。

  山本監督が選手発表で泣いたという話に山本監督と落選した選手と4年前の伸二の涙がダブって胸が痛みました。

  五輪期間中、ここ清水ではSBS杯が行われました。タカや伸二が出ていたのは97年大会なので、もうかれこれ7年前になるんですね(^^)98年の大会は愛鷹と草薙のスタジアムで観戦したのですが、あの時のイナの(珍しい!?笑)キャプテンシーは熱かったなあ。播ちゃんもこの大会で彗星のごとく現れたんですよね(^^)
  
  他にも清水では全国少年少女草サッカー大会が行われています。清水の駅では小学生のサッカーユニ姿をたくさんみかけます(^^)。

  涙顔の小学生を見ると、「もっと頑張れ!」と応援したくなります。

  サッカーの夏。いろんな涙を流した選手がまた日本のサッカーを支えていくのですね。
  

  2004年4月24日  「清水便り」 

  埼玉から清水に引っ越してようやく1ヶ月弱が過ぎようとしています。

  生活環境が全て変わったので、今はまだ仕事と家事でいっぱいいっぱいなのですが、なんとか奮闘中です。

  清水は海あり、山あり、の自然の街で人も穏やかとの話の通り、東京と比べて時間がゆっくりと流れております。

  そんな清水でのサッカーの香りのするお話しといえば、私の会社の中でも例えば某Jリーグ選手の従兄弟がいらっしゃったり、某女子日本代表のエース選手の従兄弟がいらっしゃったり、市川選手の同級生がいたり・・・(笑)とあらゆるところにサッカーに関係のある人がいるところでしょうか。

  しかも会社の人々に聞いたところ、お子さんがサッカーをやると言ったら最後、親も巻き込んでそれはもう大変なんだそうです。清水でサッカーをやっている子供の親のほとんどはサッカーの審判の資格を持っているそうですよ・・・。

  さすが清水。これば日本代表に日本最大数の選手を輩出している街の基盤なのでしょうか。

  そういえば旦那さんのフットサルの応援にエスパルスのフットサル場に行ったのですが、チームの方々に「Jリーグではどこのチームが好きなんですか?」と聞かれ、「ジュビロです」と即答すると、大ブーイングを浴びました(笑)清水ですからね・・・。

  いいんです。私はあくまでジュビロサポの高原サポーターなんだい!!!

  2004年2月18日  「ドイツW杯アジア1次予選 オマーン戦 1−0」 

  思い出しました・・・。

  1997年9月19日(金)フランスW杯アジア予選UAE戦「0−0」。どうしても1点の奪えない展開。焦り。苛立ち。
  
  1997年11月16日(日)フランスW杯アジア予選イラン戦「3−2」。朝から物が喉を通らない程の極度の緊張。眩暈のするような試合展開。

  ジョホールバルでフランスW杯への出場を手にした試合後、岡田監督が興奮最中のピッチインタビューで「日本はW杯予選でこんなに苦しまなければならなかったのでしょうか?」という問いに「そんなに甘くないと思います。ワールドカップというのはそれだけの価値のあるものです」と答えていました。

  今日、朝からずっと緊張していました。埼玉スタジアムのメインスタンドで試合を観戦中には一切食べ物が喉を通りませんでした。

  「0−0」の展開を見守りながら、安易に勝利を確信していた自分を叱咤していました。

  『そうだ・・・。あんなに苦しんだフランスW杯予選のことを忘れていたのか?これはワールドカップ予選なんだよ・・・。そう簡単に行くわけがない。』

  どこの国もW杯出場には死に物狂いでやってきます。

  オマーンの戦い方はとてもしたたかで巧妙でした。プレーの質や精度は日本に比べるまでもありません。でも、自分達の力量を熟知した上で、最も勝利に近くなる戦い方をしていました。引き分けでもオマーンにとっては勝利に等しい結果だったでしょう。

  日本は本当に引いてくる相手に弱い。相手のペースに全部合わせてしまうんですよね。日本にオマーンほどのしたたかさがあれば・・・。

  タカのプレーは特に悪くありませんでしたが良くもありませんでした。オマーンの4番の徹底的なマンマークを背負ってチャンスを作ろうと奮闘していましたが、完全に守りに入ったオマーンを一人で崩すまでには至りませんでした。

  タカのゴールを見たかったです。しかし、この試合はいつもの親善試合やリーグ戦に対する思いとは全く違い、タカゴールという願い以前にまず誰でも良いからとにかく決めて欲しい。そう願っていました。
  
  タカに決めて欲しいのは当然ですが、W杯予選はタカの力だけでは絶対に勝ち抜くことは出来ません。

  W杯予選は勝たなければなんの意味もないのです。

  今日は久保に感謝です。引き分けを覚悟した試合でした。本当にありがとう!!

  W杯予選の厳しさを選手もサポーターも実感したと思います。

  これから長い長い試練の戦いが続いていきます。

  心構えと覚悟をするための貴重な試合になりました。

  まずは1勝。日本代表おめでとう!これから頑張れ!!

  タカもすぐにドイツに戻ってバイエルン戦!体調にはくれぐれも気を付けて、タカゴール!待ってるぞ!!
 
 

  2004年1月1日  「ジュビロ磐田天皇杯優勝 〜ドイツW杯予選開始の年〜」 

  元旦の天皇杯観戦が私の初詣行事になりつつあるここ数年です(^^)

  今年の元旦は特別。ジュビロが決勝に上がってきました!ジュビロの天皇杯優勝がかかった試合は21年ぶりとのこと。どうも縁のない天皇杯なので意気込みも十分です。
 
  さて、この試合のテレビ放送のゲストはタカでした。

  タカに古巣磐田のサッカーがどう映るのかが楽しみでしたが、一番強く願っていたのはタカに隊長のプレーをもう一度その目で見て貰いたいということでした。

  試合はジュビロもセレッソも決定的な攻め手を欠くせめぎあいでしたが、後半、成岡(成岡くんはまだまだこれからですね!ジュビロの先輩選手のプレーをしっかり勉強してもっと素晴らしい選手になっていって下さい(^^))に代わって登場の中山隊長のプレーから動き出しました。2003年シリーズは怪我の為途中交代の多くなっている中山隊長ですが、どんなタイミングに投入されてもその戦う姿勢は変りません。
  
  全力でボールを奪い、体を張って味方にパスをし、捨て身でゴールに向う。

  会場のボルテージが一気に上がるのはそのプレーに誰もが感動するからです。

  今の日本にこんなに素晴らしいプレーをする選手はいません!中山の年齢を言い代表にふさわしくないという人がいますが本当に隊長のプレーを見ているんでしょうか?あれほどの気迫を見せる選手が他にJにいますか?たった一人のプレーであんなにチーム全体を鼓舞し、サポーターを盛り上げる選手がいますか?
  
  今日、タカが国立で試合を見ていて良かったと心から思いました。

  隊長のプレーをタカにはしっかり目に焼き付けて欲しい。きっとブンデスでプレーすることにプラスになることでしょう。
 
  隊長のスピリッツとDNAは、隊長に直に育てられたタカに引き継がれているのだから!

  2004年、ドイツW杯アジア予選の始まりの年です。
  
  タカにとってはブンデスリーガも勝負の年。代表は一試合ごとが試練の闘いです。

  今日のこの日の試合を生で見れて良かった。ジュビロ磐田天皇杯優勝!おめでとう!!

  タカも頑張れ!!
  
  今年もどうぞよろしくお願い致します!
  

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