my favorite その3
 つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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    2000年8月24日  「ビデオ掘り起こし、その3。 アトランタ五輪予選リーグ第1戦 日本vsブラジル」

  「見なきゃ良かった・・・。」見終えた後にちょっと後悔しました。

  そろそろ本格的に五輪モードに入ってきたし、ちょっとあの「マイアミの奇跡」のVTRを再び見ようかな、とまたビデオの山をひっくり返して見てしまいました。そして、その感想が↑でした・・・。

  この試合ほど「手に汗握る」という言葉のピッタリな試合はありません。ビデオだと分かっていても、何度見ても、手に汗握ってしまう。

  試合は90分中85分を守備していたようなゲームでした。とにかく、ブラジルの恐ろしい程の攻撃が日本のゴールに雨霰のシュートシュート・・・。川口の必死のセービングのおかげで何度命を救われたかという、心臓に悪すぎる試合。1トップの城くんも相手エリアで守備する状況。日本の攻撃は一発カウンターのみ。ブラジル強い強い強い・・・。

  伊東のあのゴールは本当に「奇跡」というしかないような、ブラジルの連携ミス。サッカーの神様のほんの悪戯。

  ゴール後もブラジルの猛攻。これでもかこれでもか・・・。

  シドニー五輪予選第3戦の相手は、またサッカーの神様が悪戯をした、金メダルを狙う、ブラジル。トルシエ曰く「モンスター。」

  果たして私はブリスベンのクリケットグラウンドで正気で試合を観戦出来るでしょうか。

  「見なきゃよかった・・・。」というのはちょっと自信がなくなった証拠です。ああ、私が弱気になってどうするんでしょうね(苦笑)

  「奇跡」はもう二度とは起こらないでしょう。そのかわり今度は現実の「実力」での戦いになると思います。

  今日発売の「Number」の西野監督のインタビュー。アトランタ五輪の話。私にはあまりにもタイムリーすぎました。

  読んでいる最中になんだか涙が出ました。

  「あの3戦で自分が一番印象に残っているシーンは、ナイジェリア戦のハーフタイムだね。指示を終えて、ピッチに11人を送り出した時、服部が一番最後、10人目が出た後に俺のところにツカツカ歩いて来て、監督、俺を外してください、勝つためには俺が外れた方がいい、このままじゃまずいから俺を外して下さい、と懸命に言うんだ。」

  西野氏のこの言葉と、服部の当時の行動。「一種異常な状況の中」と西野監督が表現した通りのことが再び起こるとすれば、今のU−23の選手の誰かが当時の服部と同じ行動に出る可能性もあるかもしれない。

  アトランタ五輪のチームとシドニー五輪のチーム。どっちが強いとかは比べられないけれど、予選の前2戦の結果次第ではブラジル戦が正念場になる可能性もあるわけで・・・。

  「やってみなけりゃわからない」けれど。そこが「スポーツ」の面白いところだけど。

  今からちょっと気を引き締めて、ドキドキする気持ちを冷静にして、「南アフリカ戦」を待ち受けなくてはと思いました。

 

    2000年8月20日   「踊る大捜査線+ホワイトアウト&頭文字D&慎吾ママのおはロック」                           

  ちょっと、今回はサッカーと関係ない話を・・・。いえ、私の近頃のマイブームを。

  先週一週間、フジTVで「踊る大捜査線」の再放送をしていました。私の中でこの「踊る」は最高を誇る面白ドラマです。連続ドラマ版も好きですが、その後のスペシャルも好きです。(←とくに言うなら年末厳戒スペシャルかなあ〜) THE MOVIEも!「踊る」の面白さはやっぱり複線の多さ!でしょうか。「あ、この人、ここでこんなことしてたんだ!!」とかいう発見がホントに何回もできて楽しい。そういえば、再放送のTV版ではビデオ版に無いシーンがたくさんあって、がっくり。一番面白い史上最悪の3人の掛け合いの所が抜けてたり。やっぱりビデオ版でしっかり見た方が良いですね〜。あ、このドラマの中で誰の奥さんになるのが一番良いかな〜と思ったんですが、私的には「真下警部」(ユースケ・サンタマリア)かな。一番、無難に出世しそうだから(苦笑)

  「ホワイトアウト」は今一番見たい映画です。9月になったら映画館が空くかな。「ホワイトアウト」面白そうだよね。と父に言ったら、おもむろに本棚から一冊取り出して、「オレは出た時にすぐ読んだぞ。」と言われて原作の初版本を貸してくれました(苦笑)

  「頭文字D」は弟が全巻持っていたので、暇を持て余した時間で読んだんですが。はっきり言って車のことはさっぱり分からないので「良く分からん・・・」と思いながら読みました(^^;;FRって何??FFって何??FCって何??ランエボって何??ととにかく弟にいちいち聞きながら読みました(苦笑)こんな私でも一応、普通自動車免許持ってるのですがね。でも、ペーパードライバーになって早5年・・・。とにかく峠を走る「走り屋」のマンガだということだけは分かりました。それ以来、一応、車のことをチェックするようになりました。(というか、弟くんが教えてくれるのだが、さっぱりまだ見分けが付きません。覚え悪すぎ・・・。所詮、私は車オンチ。ホントは5年前に親の車(パジェロのロング、しかもマニュアル!!そう、私はマニュアルで免許を取ったのだった。かなり時間オーバーで!!最終試験は3回くらい落ちたさ・・・!だっていきなり救急車とか来るんだもん!!)で4速のままカーブを曲がった時(←減速するのが苦手だったから)、死ぬかと思ったという経験をしたため、二度と乗るもんかー!!と心に誓った。あ、でも、このマンガが面白いということは分かりました。峠のバトルのシーンは迫力があって良いですね〜。

  そして、「慎吾ママのおはロック」。この曲が最近私のアタマから離れません(笑)ピチカートの小西さんの作曲だそうで。ほたるちゃん曰く。「ピチカートの曲は繰り返しが多いからその特徴が出ている」そう。私の場合ピチカート自体が田島さん(ORIGINAL LOVE)がいた頃の曲しか知らない・・・。それはさておき、何にも考えずに「おはロック」は楽しくて好きですよ(笑)もう、踊りもマスターさ!!(^^)おっは〜♪(笑)

  ああ、今回はまったく趣味に走ったお話でした。(苦笑)

 

     2000年8月16日   「日本代表vsUAE代表 in 広島」                           

  オリンピック前のA代表ラストゲーム。

  先発は予想通りいわゆるOAをたくさん使ってきました。FWは久保、西澤、そしてMFに森島の3トップ気味。

  そして久々に見た伸二の代表ユニ。13番でしたね。(^^)Wユースを思い出します。

  タカはベンチスタート。まあ、たぶん後半から出てくるだろうと思っていたので、とりあえず伸二の応援(笑)

  「伸二のゴールが見た〜いっ♪」と一人で合唱。全力疾走の伸二。やっぱり良いなあ。(^0^)

  前半はモリシのゴールと俊輔のFKで2得点。俊輔のFK。もう看板になってきましたね。

  そして、後半、FWをタカーヤナギの2トップに替えてきました。これで、トルシエの考えている五輪のFW構想がはっきり見えた気がしました。五輪の最終予選で、何故タカを3試合連続でスタメンで使ったか。そして、平瀬ではなくて柳沢を使ったこと。本当は五輪の最終予選でももっとヤナギを使いたかったんでしょうね(タカとコンビで)、トルシエは。そうしたら思いの外、平瀬が活躍してしまった・・・と。

  トルシエの考える五輪2トップのスタメンの1つは確実にタカとヤナギでしょう。なんとなくそんな気がします。

  今日の試合、タカ気合い入ってました!(笑)ちょっとね、Wユースのカメルーン戦を思い出しました(苦笑)でも、ドリブル突破もしたし(タカの得意技!!だんだん板についてきたぞー!!強くなった!)、ポストもこなしてたし、シュートも打ったし・・・外したけど。(汗)かなり動いてたのではないでしょうか。少なくともヤナギよりは。

  そして、タカーダイ、コンビの3点目!!さすがジュビロコンビ!!息合ってます(^^)あのスピードであの向きから左足であの角度に折り返しましたからねえ。おっくん、タカのアシストを決めてくれてありがとー!!(^−^)

  後ろの方は完全にA代表になってましたね。あとは宮本vs松田の一騎打ち?!やっぱり楢崎と服部はこのまま五輪に残すんじゃないかな。・・となると、OAで外れるのはやはり西澤??

  まあ、結果は24日に分かることですが。

  タカのゴールがなかったのは寂しかったけれど、ゴールに絡むことは大切だから!今日はナイスアシスト!ということで!!(^^)

  さあ、こんどは五輪の壮行試合でドテチンゴールを決めてくれ!!

  ps、BJ先生とS先生、病院のTVでタカの応援して下さって、ありがとうございました!(笑)

 

     2000年8月10日  「ビデオ掘り起こし、その2。U−19アジアユース1次予選 第3戦 日本vs香港」

  またまたビデオの掘り起こしをやっていたら「日本vs香港」と書かれたビデオが出てきました。いつの試合だっけ??と思って観てみたら、98年アジアユース1次予選、大宮で行われたU−19第3戦、日本vs香港のビデオでした。

  番組の冒頭からタカとイナのインタビュー!タカの頭に髪があります(爆)イナもちょっとプクプク。(爆爆)

  この大会、キャプテンはタカ。本来は小野伸二がキャプテンなのですが、その伸二にフランスからわざわざこのチームへのコメントを取っているあたりがテレビ東京、ぬかりなし。そういえば、この大会前の横浜合宿でU−19はフランスW杯へ向かう前のA代表とホテルが一緒で、その時、伸二がタカに「俺の代わりにキャプテンをちゃんとやれよ」と言ったとか。それでアジアユースの最終予選に戻ってきてキャプテンになった伸二が思いの外キャプテン業が大変だったらしく、「ちゃんとやれよ」とか気軽に言って申し訳なかったとかコメントしていて、伸二らしいなあ〜と思ったのでした。(笑)

  さて、この大会はすべて生で見たのですが、先ず予選のブルネイ戦は12−0の圧勝。続くベトナム戦では2−0の思わぬ苦戦。と、いうのも全部、選手の個人技に頼った試合運びだったからだと思います。今更言っても何ですが、清雲監督の采配はかなりイマイチでした。それはアジアユースの最終予選になっても変らなかった・・・。あのまま清雲でWユースに行かなくて良かった・・・。

  この試合のシステムは4−4−2。タカは小林康剛との2トップ。トップ下にモト、両サイドに満男とイナ。1ボランチに酒井。4バックは石川、手島、池端、加地。GKは榎本。今となっては懐かしいシステムだ・・・。

  前半は終了直前にイナの右からのアシストにタカが合わせて1−0で折り返し。香港相手にちょっと手こずっている様子。

  後半になると、先ず加地くんが2点目を入れ、またまたイナのアシストでタカの得点。今度はイナのアシストは左からでした。イナ、縦横無尽!次はタカが相手GKと競ってこぼれたボールを本山が押し込んで4点目。この後、小林に代わって古賀誠史登場。タカの1トップへ。

  続いては先ほどの逆で本山が相手DFと競ってこぼれたところをタカがかっさらって5得点目。タカ、ハットトリック!!会場にいたレッズサポが「福永」ソングの替え歌で「高原」ソングを合唱(^^)。タカがサポーターに向かって3本指を指す!カッコ良かったぞ〜(^^)!

  この後、酒井に代わって遠藤登場!しか〜し!酒井がピッチを出る前に遠藤がピッチに入ってしまったため、何もしない間にヤット、イエローカード・・・(汗)。気を付けようね・・・。

  そして、誠史の左からの強烈クロスにイナが頭で合わせて6点目。最後は三度イナの右からのアシストに本山が合わせて7点目。

  これで勝負あり。7ー0。ヒーローインタビューはタカでした。以下、抜粋。

  Q:これからアジア予選、そして世界を目指して、というのを周りに期待されていますが、どうですか?

  タカ:「そうですね、世界っていうのはホントにね、W杯をみても分かるようにホント厳しい所なんで、それがユースといっても同じことだと思うんで、とにかく世界に通じるチームをね、作って、世界へ行きたいと思います。」

  Q:まずはWユース、そして周りは4年後、というのを期待していると思います。

  タカ:「そうですね、まあ、その先を考えるよりも、まあ今を大事にして、やっぱ自分の土台というのをしっかり作っていきたいと思います。」

  キャプテン・タカらしいコメントでした。その通り、世界に通じるチームを作ってWユースでは準優勝してくれました。(^^)

  しかし、メンバー的にはサブ組も入れるとそれほど代わっていないのに、Wユースの時と全く別のチームですねえ。監督が替わるとこんなに変わるもんなのか、という典型でしょう。

  それにしても誠史の左足は良いよなあ〜。今だに埋もれさせているマリノス。なんとかして下さい。もったいないよ・・・。  

 

     2000年8月9日 「ビデオ掘り起こし、その1。98年高校サッカーのお話。〜なんで誠史か浩二のファンにならなかったんだろう〜(笑)」

  今年も夏の甲子園の季節がやって来ました。甲子園が高校野球の聖地ならば、高校サッカーの聖地は何と言っても「国立」ですね。と言うわけで高校野球を見ていたらなんだか高校サッカーが見たくなった私は、ビデオの山を掘り起こして98年の高校サッカーを見返しました。この年の優勝候補はなんといっても東福岡高校。本山、手島、古賀(誠)などを要するヒガシは、既にインハイと日本クラブユースを征して初の3冠を狙っていました。

  さて、この大会で一番私の印象に残っている「ゴール」は準々決勝の東福岡vs逗葉戦の中にありました。 

  神奈川代表の逗葉高校は初出場。東福岡という強敵にも恐れず果敢に挑んだ結果、前半は0−0で折り返すというなかなかの調子で終えました。・・・しかし、それで3冠を目指すヒガシが黙っているはずはありませんでした・・・。

  試合が動いたのはまずヒガシの宮崎の得点から、続いて千代反田、宮原、金古、そして、私の最も印象に残っている古賀(誠)のゴールが決まり5−0でヒガシの圧勝。

  古賀誠史は国体で左足の皿の怪我をしてからずっとリハビリに徹していました。選手権もその前の国見戦でようやく登場。古賀(大)のアシストをする活躍を見せ、そして望んだ準々決勝。この日も誠史は後半途中からの出場でした。

  出番は早くも訪れました。既に4−0という点差を付けていたヒガシ。ペナの左前あたりでFKを得たヒガシはボールの前に本山と誠史が立っていました。でも、その時、会場の誰もが、そしてTVを見ていた誰もが「誠史が蹴るだろう」と思ったでしょう。もちろん逗葉も。そして、その通り、誠史の左足が重いズドンという音を立てて振り抜かれました。1ステップでした。そのままボールはネットに突き刺さりました。本山は一歩も動きませんでした。始めから誠史にうたせる気だったわけです。

  誠史の左足のシュートを生で見たことがある人なら分かると思うのですが。もの凄いインパクトです。当たったら痛そ〜。という感じです。(苦笑)このゴールがどうして一番印象に残っているかというと、やはり復帰直後の誠史のゴールだったことと、復帰直後にも関わらずヒガシの選手はなんのためらいもなく誠史にFKを打たせたことでしょうか。

  この年のヒガシの強さは尋常ではありませんでした。赤い壁と言われた手島、金古、千代反田らのDFライン。本山ー宮原のコンビ。そしてW古賀(誠史、大三)の両サイド。(あ、全然関係ないんですが、ちよたん、この時の髪型の方が良いのにね・・・今は・・・(汗))その選手達がみんな地元の子というのも凄いことだと思います。モト、ミヤ、恭平なんて小学校から一緒ですからねえ。強豪高校を目指して越境入学の多い中、ヒガシにこれだけの人材が集まったのも凄い巡り合わせだと思います。

  そして、この大会で一番印象に残っている「試合」はやはりあの「雪の決勝戦」でしょう。

  この日は朝から関東地区はあいにくの大雪でした。平日の決勝戦なので、私は会社で仕事もせずにTVを付けて見てました。(←サッカー好きの多い職場なので誰も咎めない(笑)変な会社。アトランタのマイアミの奇跡の時も、日本の得点が決まった途端フロア中が万歳の合唱だった・・・。仕事しろよ・・・みんな・・・。って私もだよ・・・)

  東福岡vs帝京。手島キャプテン率いるヒガシvs中田浩二キャプテン率いる帝京。(これだけ考えると帝京有利??いや、ちょっとやる気の問題・・・ってああ、フォローになってない。ごめんねテッシー・・・。(爆))そういえば、帝京は大会中に小沼監督が選手を引き連れて、息抜きに温泉ランドみたいな所に連れていっていて、そこで浩二がカラオケ歌っている番組がありました・・・。こんなのまでビデオに撮っている自分のマメさに涙がでたよ・・・。

  試合内容は雪のおかげでどちらも苦戦。やっぱり雪のない中でやらせてあげたかったですね・・・。

  帝京は金杉のゴールで先制点を挙げたのですが、結局ヒガシに逆転されて、東福岡の3冠達成でこの大会を終えました。

  そして、一番わたしの中で印象に残っているシーンはモトやミヤの喜ぶ笑顔でもなく、木島や金杉が悔しがる顔でもなく、番組の一番最後、CFに入る直前。ベンチコートを着た浩二が雪の降り積もる中じっとうつ向いているシーンでした。浩二の悔しさがストレートに伝わって来た場面でした。負けたのにやけにカッコ良かったです。日テレのカメラマンもやるね。(あ、また全然関係ない話ですが、私の従妹は浩二と中学校時代のクラスメートでした。鳥取の米子で。叔母は浩二のお母さんとよく飲みに行ったらしい。いや世間て狭いなあ、と思ったという話です(笑))

  と言うわけで、この98年の高校サッカーの思い出は「誠史と浩二」なのでした。

  これだけ二人を持ち上げといて、なんで私は二人のファンじゃないんでしょうねえ。(笑)いや、好きな選手ですけどね。

 

    2000年8月3日   「2年という年月と、日本サッカーの輝かしい未来」                           

  タカが8/16に広島で行われるUAE戦のメンバーに選出されました。A代表です!今回はオリンピックのことも考慮したメンバー配分なのは分かります。でも、やっぱりタカがA代表に選ばれることはとても嬉しいです。(^^)

  2年前の秋に今の五輪代表がアルゼンチンと闘ったことがありました。俊輔のゴールで日本が勝利した試合です。

  あの頃、タカはまだルーキーで、U−19に度々選出されたこともあって、磐田でのスタメンもおぼつかない状態でした。そして、迎えた五輪合宿。FWの一番人気は柳沢、福田・・・。「高原」と声を上げてくれる人はほとんどいませんでした。当時、ヤナギや福田は既に3年目でJでもスタメンをとらえつつあり、ゴールも重ねて知名度もあり、タカが彼らに勝てる確固たるものはまだなく、その時ほど私は「2年分・・2歳分」の経験の差を大きく感じたことはありませんでした。

  でも、タカにはその「2年分」の差を埋めるだけの舞台が用意されていました。U−20Wユースと、王者ジュビロ磐田というチームです。

  ナイジェリアでのタカはFWの柱でした。3得点は日本チーム最多です。そして、3年目の今年、タカは王者ジュビロのFWスタメンの座を獲得しました。

  2年前に感じていた柳沢や福田に対するJリーグでの2年分の経験の差を感じさせるものは、今のタカにはありません。

  代表中のFW最年少のタカは堂々と彼らと渡りあって競っています。そしてA代表にも選ばれました。

  私はそれがとても誇らしいです。「どうだ!!高原は凄いだろーっ!!」と大声で言いたいくらいです。

  もちろん今回のA代表には同じ歳のメンバーがたくさん選ばれました。伸二、イナ、浩二、モト、ソガ。みんな歳の差分を跳ね返して勝ち取ったA代表です。

  もし、今のタカにあと「2年分」のJでの経験があったら、と思ったこともあります。そしたらきっと誰もが五輪代表のエースに1番に「高原」の名前を挙げてくれたのに、と。でも、今現在のタカにはそんなものは必要ないんだと思いました。今のタカのプレーや言葉の端々に見える自信のようなものがそんな思いも吹き飛ばしてくれました。

  このまま、タカは絶対にオリンピックの舞台に立ってくれるでしょう。そして、2002年だって照準が合ってきました。

  タカ。頑張ってくれてありがとう!タカを応援していることが今とても楽しく嬉しいです。

  怪我と体調だけには気を付けて、日本のエースの座をもぎとって下さい!

  

  そして、今日行われた「全国少年サッカー大会」準決勝。江南南vs浜松JFC。TVで見ていたのですが、驚きました。みんな巧い!CKをドンピシャでゴール前に合わせる技術は俊輔を彷彿とさせるくらい。解説の原さんも今の小学生のレベルは格段に高くなっていると言っていました。今、12歳前後の彼ら。例えば2006年には18歳になっています。伸二やイチがフランスに行ったのは同じ歳頃です。小学生の彼らを見て、日本のサッカーの未来は絶対に明るい!と確信しました。この中から未来の日本代表を背負う選手が続々と出てくるかもしれないと思ったら嬉しくなりました。(・・・江南南、後半のロスタイムに追い付いたのにPKで負けちゃって残念。やっぱり埼玉代表を応援しちゃうのだった・・・。でもまだまだこれからだよ!君たちの未来は!)

  日本サッカーの未来はきっと輝かしいに違いない!(^^)

 

     2000年7月23日   「キャプテン翼」                           

  今日、TVでNumberの500号記念の特別番組を放送していました。その中で中田英寿選手と高橋陽一氏の対談の様子が流れていました。「高橋陽一」といえばもちろん知る人ぞ知る「キャプテン翼」の作者です。

  私とキャプテン翼との出会いは小学生の頃でした。当時、週刊ジャンプで連載中で、毎号楽しみに読んでいました。

  多分、今現在のサッカー選手やファンの多くの人がこの漫画から少なからず影響を受けたと思います。

  「W杯」という存在を知ったのもキャプテン翼です。それから「GK」「DF」「MF」「FW」を覚えたのも。あ、「オーバーヘッドキック」も!(笑)「ガラスの貴公子」とか「地を這うロングシュート」とか「鳥かご作戦」とか「SGGK(スーパーグレードゴールキーパー)」とか!!!(笑)

  アニメ化もされて、1試合が何週間にも渡って放送されて「この試合一体何分やってんだ!?」(苦笑)と思ったり、若島津くんの三角蹴りに「ゴールポスト蹴ってもいいの?」(苦笑)とか、地平線の見えるフィールドに「この試合場って広すぎるんじゃあ・・・」(汗)とか、いろんな疑問をかかえつつ(爆笑)楽しんでいました。

  本編の連載終了とともに、すっかりキャプテン翼との接点がなくなってしまったのですが、ある時、その後(高校卒業後の彼ら)の話が連載されていて「若島津くんはフリューゲルスに入団したらしい」という話を聞き、「え、彼らがJリーガーになったの!?」と驚きました。

  そして「キャプテン翼・ワールドユース編」を全編買いそろえました。

  「ワールドユース編」元U−20の好きな方には絶対にお勧めです!!!イチ押し!

  たとえ、アジアユースの1次予選が国立競技場で行われていても(しかも満員)(現実は大宮の県営競技場だった・・・)、わざわざアジア1次予選のためにブラジルで活躍していた翼くんが帰国しても(実際は1次予選は弱弱チームとの戦いなので日本の圧勝確実。「伝説の記憶」参照。小野伸二はフランスW杯に行っていて帰ってきませんでしたよ〜)!!!

  U−19から始まっていろんな苦難を乗り越えてチームがまとまってワールドユースに望む翼くんたちは、実際のタカや伸二やイナを彷彿とさせてとても面白かったです。

  そして、私の一番好きな・・・・・岬くん(←結構定番。笑)がワールドユース直前に大事故に遭って・・・・。

  とにかく、キャプテン翼・ワールドユース編はとても興味深いお話なので、ぜひぜひご一読を!

  ワールドユース後、彼らはみんなプロの選手になるのですが、どの選手がどこのチームに入るのか!?面白いです〜。(^^) 

  そうそう、翼くんとあねご(早苗ちゃん)は結婚するんですよー!!(^^)  

 

    2000年7月21日    「このHPの出来るまで」                           

  今更なんですが、今年の5月でこのHPを開設して1年が経ちました。

  最初、タカのHPを立ち上げるのに、ちょっと悩んでいました。それは、フランスW杯の時、某選手・・・城選手のHPが大変だったことを知っていたからです。ご存じの方もいるかもしれませんが、それはもう見るに耐えられないくらい、掲示板が荒らされて大変そうでした。何故そんなことになったのか・・・。いろんな理由があると思いますが、「決定力不足」という点が一つの理由だったこともあると思います。彼はFWの選手です。フランスW杯を通して日本が点を取ったのは中山隊長の1点のみ。試合に負けた時、特に無得点で負けたとき、一番に責められるのはFWの選手です。「ゴールゲッター」という重要な仕事をFWの選手は担っています。だから、FWの選手が得点をしたとき、それは最高の試合になるのです。そして、得点出来なかったとき、サポーターの怒りの矛先はFWの選手に向かうのです。

  FWの選手のサポーターは「イバラの道」。私の心にいつも刻み込んでいる言葉です。

  高原選手を応援しようと決めた瞬間から、この「イバラの道」に踏み込みました。

  自分でHPを開設する以前は、りゅうじさんのHP「高原の風」によく遊びに行っていました。アジアユース最終予選の時はチェンマイから書き込みをさせてもらいました(^^)それから、ミキさんのHP「とびだせ満男NO1!」やNOKOさんのHP「帝王稲本潤一」とか大好きなHPです。(やっぱり元U−20の選手のHPばかりみてました(笑))そんなHPを廻っている時に、自分でもやってみようかな。という気持ちになってきました。・・・でもやっぱり踏ん切りが付かずにいました。

  でも、一番身近にいたAKIちゃん(HP「本山雅志選手の部屋」の管理人)が「やってみればいいじゃない」と言ってくれ、「やってみよう!」と決心しました。

  そして。「青い伝説」という高原選手の応援サイトを開設しました。

  「青い」というのはもちろんジュビロの色なのですが、真の狙いは「日本代表」のことです。

  「伝説」はタカに「伝説の選手」といつか呼ばれる位の選手になって欲しくて付けました。

  1年ちょっと経った今、このHPを開設して良かったなあ。と思っています。

  いろんな方々がタカを応援していることを知ることができ、そして嬉しかったことや悔しかったことをこうして自分の言葉で載せることができたからです。

  このHPはずっと続けるつもりです。・・・いつかタカが引退をする、その日まで。

  まだまだ、タカの「伝説」は続いていきます。

 

    2000年7月10日   「病気のことを・・・」                           

  最近、某お笑い芸人さんが「日本人は胃腸が弱い」という歌を歌っていて、それを聞くたびに「ああ、そうだよ。悪かったね」と毒づいてしまう今日この頃。

  退院のご挨拶をすっかりしていなかったので、ここでもう一度。

  6月半ばに無事退院いたしました(^^)今回はちょうど1ヶ月弱くらいでした。BJ先生>当たりでしたね(笑)

  昨年の8月に発症して、昨年末からの約半年の入院生活。本当は病闘日記をこのHPに載せるつもりでした。そのためにコーナーも作ったのですが・・・。実はちょっと載せられない位辛い日々の連続で、断念しました。1ヶ月半の栄養点滴(絶食)の日々。ステロイド薬の投与etc・・・。毎日2.3行の日記はつけていたのですが、今は読み返すのもちょっと戸惑う位、思い出すのが辛いです。今回2度の手術をしたのですが、こんなに大きな手術をしたのは生まれて初めてで、最初の手術は朝一に手術室に入って6時間くらいかかったそうで私の家族は最初から最後まで家族待合い室で他の患者さんが手術室から出ていく中待っていたそうです。

  それでも私の病気は治る病気だから。そう思うことでなんとか必死にがんばりました。(本当は毎日泣いていました・・・)

  今年のお正月。1月4日から病院が始まったのですが、その日に私の部屋(4人部屋)に入院してきた患者さんはちょうど私の母くらいの年齢の方でした。「どこがお悪いのですか?」というのはもう患者同士では「こんにちは」みたいなものなので、私もその方にそう聞くと「すい臓」と言っていました。そうなんだ。とただそう思っていたら、私の向かいのベッドでいつも私を励ましてくれているOさんが「あの方は末期ガンなんだそうよ」とそっと教えてくれました。そのことをご本人が知ったのは12月31日で、家族会議でそれを本人に伝えたそうです。私のいた病院に来る前にいろんな病院を廻ったそうですが、どこも「もう手の施しようがない」と言われたとか・・・。結局、私のいた病院でも治療は無理との判断で3日ほどで退院されて行きました。Oさんも実はガンだったので二人で夜中までずっとお互い励ましあっているのを閑かな夜、ずっと聞いていました。「末期だからっていって、何年も生き延びた人だっているんだから、諦めないで」とOさんはしきりに言っていました。その後、その方がどうなったかは分かりません。ただ、Oさんの言葉を私は信じています。

  今まで人の命とか人生とか、そんなことに興味のなかった私ですが、今回ばかりは本当にいろいろ考えさせられる毎日でした。

  私の病気は治る。それはただ唯一私がすがりついた事柄でした。

  そして、私を担当して下さった先生方や看護婦さん。特にBJ先生には本当に感謝しています。内科で治らず外科に移った私はBJ先生の手術でここまで快復しました。・・・ある日、私の部屋の患者さん(6人部屋)の私以外の5人に全員お見舞い客が来ていて、私は独りでベッドの上でぼんやりと寝ていたら、ひょっこり先生が「大丈夫?」と現れた時。嬉しかった。本当はとても寂しかったのです。BSの映らない病室ではサッカー中継が見られないのでわざわざ先生は車椅子を押してBSの映る部屋までこっそり連れていってくれました。そして一緒にタカの応援をしました。私は本当に良い先生に巡り合ったなあと思います。BJ先生本当にありがとうございます。

  今、もし病気と闘っている人が側にいるならば、ぜひお見舞いに行ってあげてください。「がんばってね」という言葉は月並みだけれどもとても嬉しい言葉です。

  さあ、私の今度の目標はオリンピックです。

  行くぞー!!地球の歩き方オーストラリアも買ったぞ!!

  がんばるぞ!!

  そして、タカも「がんばれ!」

 

     2000年5月12日  「シドニーオリンピック」                            

  シドニーオリンピックでタカが活躍して欲しいと初めて思ったのはいつだったかな、とふと考えてみました。

  あれはU−19アジアユースの最終予選がタイのチェンマイで行われていたとき、チェンマイのタイすき料理をチェンマイまで応援に来たサポーター(みんな個人で来ていたんだよなあ、情熱だね。今はみんな仲のよい友達です)と食べながらこのメンバーがワールドユースで優勝したらどうなるか、とか話していました。そして帰国の飛行機の仲で「タカは絶対にシドニーオリンピックに出るに違いない、その時はこユニ(炎のユニに9番のついたTAKAHARAバージョン)を着ていこう!!(それを着て応援していた)とか話した気がします。

  その後もJヴィレッジまで練習見学へ行ったりしながらU−20の、そしてタカのがんばりを見てきました。

  そんな私が病気にかかって入退院を繰り返すことになるとは、夢にも思いませんでした。

  今、私には大腸がありません。3月の手術で私のボロボロの大腸は取り除かれてしまいました。昨年の12月に入院してやっと退院できたのは4月でした。

  そして今月の22日に再手術を行います。私のお腹についている人工肛門(ストマ)を閉鎖する手術です。

  以前なら1キロもするカメラとレンズを担いで(笑)サッカー場をかけずりまわっていた私が今はほんのちょっと外で歩くだけで目眩がしてしまいます。

  22日はモロッコで行うハッサン国王杯の代表の発表日です。手術の麻酔から覚めたらタカが選ばれていたら嬉しい。

  きっとICUでBJ先生に聞くのです。「タカは選ばれましたか?」と。

  病院ではBSが入らないので試合を見られるかは分かりません。でも、絶対タカにはA代表に選ばれて欲しい。

  今の彼には経験が一番の糧になると思います。どんな環境でも戦えて、そして点が取れる。そんなFWにならなければ、絶対に海外では通用しない。タカには絶対海外でもがんばって欲しい。

  オリンピックも。タカには絶好のチャンスです。選ばれるのは当然です。絶対に活躍すると信じています。

  だからシドニーに行きたい。

  シドニーに行きたい。

  次の入院は19日です。退院は6月の半ばくらいになると思います。

  絶対にリハビリをがんばって、シドニーに行きます。タカを応援に行くんです。

  だからたくさん歩けるようにならなければなりません。リハビリだってがんばらなくては。

  サッカーの神様。どうか私をシドニーへ連れて行って下さい。

  そうしたら、心から精一杯タカを応援します。どうかシドニーのスタジアムでタカを応援させて下さい。

 

    2000年4月5日   「Jリーグ ジュビロ磐田 VS FC東京 in国立」                             

  2000年に入って初めて生で見たサッカーです。というか初めて外に出ました。(苦笑)

  病院の窓の外の世界へ出られることだけでも嬉しいのにそれがサッカー観戦というのなら尚更。

  退院の前日に連れて行ってくれた先生。本当にありがとうございました。(嬉泣)

  さて、問題は国立の階段を上れるか?(苦笑)ということだったのですが、足の筋力がおちているのデカなりきつかったです。筋力ってすぐ落ちちゃうものなのですね。

  先生と2人でメインスタンドの磐田ベンチの裏に陣取りキックオフを待ちました。

  そして開始!

  前半は結構押していたと思ったのに、後半になると「あり〜」という感じでひいちゃいました。

  タカもボールが回ってこないのでイライラしているよう。シュートも枠に飛ばない!ダメダメ。

  やっぱり昨年のJ王者がJ2上がりのチームに負けるのはプライドが許さない。というのが本音だったのですが・・・。

  先生の横で「しっかりしろ!」「キープキープ」などぶつぶつ言いながらの観戦でした。

  負けてしまったのはくやしかったけれど、あの国立の雰囲気はやっぱりいいですね。

  さあ、次はどの試合に行こうかな!

  やっと私の2000年のファーストステージが始まりました。

  PS、先生、ありがとうございますー!!!!(^^)

  

 

    1999年12月11日  「チャンピオンシップ第2戦 ジュビロ 対 エスパルス in日本平」                             

  さあ、年間王者を決定する第2戦。なんかのお話だと第1戦を取ったチームが優勝する確率は100%とか!おお、なんて良い確率。

  試合は白熱した展開でした。

  この日のスタメンにタカの名前はありませんでした。前の試合の福西の活躍を考えれば当然の流れかな。という感じでしょう。第1戦のタカの動きも悪くなかったけれど、福西ほどのインパクトはなかった。チーム戦術もあるでしょう。でもやっぱりタカより福ちゃん。ということです。まだまだタカには勉強の価値ありですね。

  前半、ハットのゴールはまさに磐田のゴールでした。中盤で巧く回してゴール。ああ、こういうプレーがセカンドステージでもっと見られたら・・・。おっしゃ!と思った直後、アレクが退場!正直にいうと、残念でした。アレクのいない清水に勝っても「なんかケチつけられそうだなあ」という気分だったので。アレクもまだまだ子供だな・・・。大一番なんだからさあ・・・。我慢しろよ〜。

  その直後、沢登のFKが決まって同点。振り出しに戻る。

  ここからはまさに白熱した試合。10人のエスパはさすがに必死でした。でも磐田もがんばってた。1戦よりは福ちゃんの活躍が少なかったけれど、安藤の上がりは相変わらず良かったし、文さんはサンガからこっちに来てホントに良かったよな〜。

  後半24分。ようやくタカ登場!!さあ、こうなったらタカゴールで優勝だ!と気合い入って応援。やっぱり交代で入るということは前の選手よりも活躍しないと意味がないですから。流れを変えたり、試合の流れをより良くしないとね。その通り、タカは走り廻ってました。後半最後のタカのフリーのヘディングシュート・・・。惜しかったなあ〜。あれが決まってれば・・・。次は決めてね。(^^;

  試合はそのまま延長戦へ。そして、清水のVゴール。

  ということは、PK戦です。

  タカは蹴るのかなあ〜・・・。と順番を気にしてしまいました。鹿島サポの友人はナビスコのことがあったので(最後、満男が外してしまって・・・)心配したそうですが・・・。なんとなくWユースのポルトガル戦の時よりは余裕かなという感じだったので(わたし的に(笑))多分入るだろう!と。

  1番目はハット。2番目がトシヤ。3番目がタカ!!!ズバッと決まりましたね!迷いはない!というPKでした。さすが強気!4番目がヒデト。サントス、ファビーニョが外し。

  ジュビロ磐田年間チャンピオン!!

  アジアクラブ選手権、Jファーストステージ、アジアスーパー杯、そして年間チャンピオン。大舞台で鍛えた強さは本物です。

  ひとつひとつ乗り越えた全てが選手に良い経験として残るハズ。それがタカの糧になってくれると嬉しい。

  この勢いのまま次は天皇杯!頂いてしまえ!!  

 

    1999年12月4日   「チャンピオンシップ第1戦 ジュビロ 対 エスパルス in磐田」                             

  世間の評ではエスパルス優勢。雑誌もTVもエスパ有利。・・・それだけ言われちゃあ黙ってられないでしょう!!という気合いで望んだチャンピオンシップ第1戦。 

  亮ちゃんの車で一路磐田へ!(←大宮ナンバーだ!)

  東名高速を通っている途中、青空だった天候が急に曇ってきたのですがそれが偶然清水市だったので、「清水には暗雲が立ちこめている!よっしゃ今日は磐田がもらった〜!!」と意味不明な勝利の確信をする私たち。←試合前からちょっとキレ気味。

  試合直前ギリギリに着いて、試合開始。

  セカンドステージ当初のぎこちない攻撃もかなり解消されてきたジュビロ中盤。攻撃のリズムも良くなってきているけれど、やっぱりまだミスが多い・・・。それはさておき、ジュビロとエスパは攻守を繰り返す面白い展開でした。特にがんばっていたのは安藤。アレックスとの対決は見物でした。いろいろ言われてたからね〜。安藤の意地を見た気がしました。それから前田!やっぱり「男前田」です!ケガを省みない果敢なヘッドでのクリアとか(涙)アジがいない穴を埋めてあまりあるがんばり!山西もよかった。

  そしてこの日の主役はやっぱり中山隊長〜ゴンゴール!!やっぱりこの人でしょう!(嬉)

  攻撃も守備も精力的に動き回るその運動量も精神力もミスタージュビロですね。ヘディングシュート!気持ちよかった!そして、かなりドキドキしたPK(苦笑)決めてくれました〜!ジュビロの優勝にはこの人の力なくしては辿り着けません。

  さて、タカは。この日の試合を見て思ったのはタカは自分の要求をすごく言うようになったなあ!ということでした。自分の欲しい所にボールが来ないと怒る!位の主張が何度も見られた!これがタカの言うところの「今年は去年よりも自信がある」という点なのでしょう!動き自体は良かったので、後半交代してしまったのは残念だけれど、まだまだ次へつながる動きでした。しかし、あのバックパス(ヒールパス?)は一体?(笑)お気に入りのプレーなのか!?この試合で5回くらい見たような・・・。最初は成功したけれど、途中で何度か失敗していたような・・・。

  それから、タカに代わって入った福西も良かった!福ちゃんはやっぱり巧いなあ。身体の入れ方とか強いし、飛び出しのタイミングも巧い。福ちゃんが入ってから試合の流れが代わったのもそういう彼の巧さのおかげです。まだまだタカには見習わなければならない選手が回りにたくさんいますね!

  さて、来週は第2戦。もちろん清水でのジュビロの完全優勝。信じています。

  タカゴールで決めちゃってくれ〜!!! 

  しかし、アジウソンは退団ですか〜!!!!(泣泣泣)そうか〜ああああ。寂しいなあ。(嘆息) 

 

    1999年11月30日  「やっぱりオイルダラーか・・・」                             

  トヨタ杯。マンチェスターU 対 パルメイラス。

  プラチナチケットと言われたこの試合を見に行ってきました。

  平日の19:00からの試合というのはやっぱり結構厳しい時間帯だよなあ、と毎回思いながら定時速攻で国立へGO!途中で買ったおにぎりを国立へ着いた途端、ほおばりながら試合観戦・・・・・というのは去年のトヨタ杯でもやったような・・・(苦笑)

  今年のトヨタ杯のお楽しみはなんといってもマンUのベッカム。ということらしいのですが、私はあまりベッカム好きではないので、彼よりもサンパイオやらジーニョやら元フリエ組が見られることの方が嬉しかった(^^)です。

  それにしても今更ですが上手いですねえ・・・。(嘆息)展開が早いのは言うまでもないんですけど。

  以下は試合を見ながらの友人との会話。

 私:「・・・彼(スコールズorジュニオール←私的に欲しい選手)を移籍させるには金持ちと結婚するのがいいよね。(すっかり買う気)誰と結婚するのがいいかなあ?」

 友人:「え〜・・・やっぱりビルゲイツとかじゃないと」

 私:「日本は不景気だからねえ」

 友人:「オイルダラーとかでもいいんじゃない」

 私:「そっか、どっかの名門クラブのオーナーと結婚するのがてっとり早いじゃん!」

 アホですね〜。天下のトヨタ杯を見ながらこんな会話。・・・まあ、夢は夢ということで。目指せJリーグオーナー!(笑)(byサカつく)   

 

    1999年11月27日  「涙を越えて、サッカーは続く・・・」                             

  99 Jリーグ最終節。J2降格争いの決着がこの日に持ち越されたJリーグ。レッズ、ジェフ、アビスパ。降格争いはこの3チームに絞られました。

  レッズ。今シーズン見た試合はどれも「得点が取れない!!!!」という展開ばかりでした。それが最後の最後まで解決されなかった・・・。そういう事だと思います。あの時の1点が・・・。まさに「得失点差」で降格が決まってしまいました。たかが1点。されど1点。1点がこれほど重いということを全ての選手に心に刻んで欲しい。

  レッズが降格というと・・・。よけいなことですが、伸二が気になります。「小野伸二」という選手はJ2というフィールドで闘わせておいて良い選手なのか?レッズにはいて欲しいけれど、伸二の将来を考えると・・・。こうなったからには周囲がほっとかないとは思うけれど、いらぬ心労が伸二にかかることが心配です。ホントに・・・辛いなあ・・・。

  降格の一方、昇格の決まっているFC東京。FC東京のサポをやっている友人も最後の方は本当に胃の痛い思いをしていたようです。長いシーズンを闘ってきて最後の最後で連敗。その気苦労は本当に身につまされる感じでした。でも最後の逆転で決まって・・・。 

  「こうやって(自動入れ替えが)文化になっていくんだよ」

  というのはFC東京サポの友人の言葉です。FC東京も、浦和レッズもこれからまだ何十年も続いていくチームでしょう。その長い歴史の中の1コマに昇格や降格があったと10年後くらいに振り返るかもしれない。

  海外のクラブチームはこうして数十年近くも入れ替えを経験しながらサポーターに愛されてきたんだなあ・・・。

  我がチームの身の上にたくさんの人がいろいろな涙を流して、サッカーは文化になっていくんですね。まだまだ日本が欧州や南米に追い付くには流した涙の数が足りないのかもしれません・・・。

  今日はタカが2試合連続で2ゴールをあげました!ジュビロでのタカのゴールはやっぱり嬉しいです(^^)Jリーグで点を取る事がタカの最大の仕事ですから!!1点の重み。この1点が選手やサポーターの信頼を築いてくれる。信頼される選手になるには誰もが認める結果をこつこつと残していかなければならない。この最終節でもその「結果」を見せてくれた!!タカ、ゴール、おめでとう!

  今日はなんだかいろんなことをたくさん考えてしまいました・・・。・・・涙を流しながら・・・・。

  福田が泣いてた。伸二も雄一郎もロボも泣いてた・・・。

  ・・あああ・・・・・・・レッズが落ちた・・・・・・・・。悲しい。

 

   1999年11月17日   「ローカルなネタ」                            

  浦和レッズ対ジェフ市原。

  J2落ちが間近に迫ってきた両チームの熾烈な戦い。この試合を見に駒場へ行ってきました。

  仕事を定時速攻して浦和へ向かったのですが、浦和駅まで行くと混んでいるのは分かっていたので、電車を南浦和で降りてタクシーに飛び乗りました。その飛び乗ったタクシーの運転手は、なんと偶然「田北」の大宮東高校時代のクラスメートだったのでした(笑)田北の高校時代の話をしながら裏道の方が早いからと細い道をビュンビュン飛ばして運転手は駒場へ向かったのですが、話しているうちにその運ちゃんはこの春まで大工をしていて今建設している福田の新居の基礎を作ったという話になって「なんてローカルな・・・」と爆笑してしまいました。運転手は南浦和から駒場まで¥1460円の運賃に¥2000を払った私に¥600のお釣りをくれました(^^)¥60おまけしてくれたらしい。運転手さん、ありがとう〜!!(笑)NACK5で試合を聞くと言っていたけど、ちゃんと聞いていたかな??

  そして、今日の試合で買った浦和のMDPにNHKの山本アナウンサーが川越高校の出身だと載っていたので(だからレッズを応援しているだろうということですが(^^;))「山本さんってカワタカだったのか〜」とまた妙にローカルなことに感心してしまいました。ニヤリ。いや私も近所の高校へ通っていたもので・・・。

  試合は福田のゴールでレッズの勝ち!

  あれだけチャンスがあったのに決まらなかった時は、「これじゃあ今までと同じパターン」と悪い予感ばかりしていましたが、最後に踏みとどまって良かった・・・。やっぱり伸二にJ2でプレーして欲しくないし・・・。でもそれは酒井くんも同じ・・・。J2に落ちたら移籍とかいう話もありますが、選手にとってもサポーターにとっても辛い話ですね・・・。特に酒井くんはユース育ちだしなあ。

  これから毎年毎年こんな思いをする選手やサポーターが出てくるということですねえ。自動入れ替えってシビアだ・・・。

  あと3つ。レッズにはがんばって欲しいです。特に伸二!!やっぱりね。

  ・・・ってジュビロもホントがんばって欲しいよなあ〜(^^;

 

    1999年11月6日  「シドニー五輪アジア最終予選第3戦 VSカザフスタンin国立」                            

  この試合に勝つか引き分けるかでシドニー五輪が決まる。

  昔見た、ソウルオリンピックアジア予選。対中国。あの試合も同じ展開でした。勝つか引き分けるかで決まる。

  しかし、ここで本当に勝てるかという所で「昔と今」の差がありました。これが日本サッカーの進歩だと思います。

  さて、徹夜組1000人が出たという話のこの日の国立。国立でオリンピック出場が決まるのは32年ぶりという事でみんなその目撃者になろうと国立のテンションは高かったですね。横断幕を貼ろうと4時過ぎに入った時にはすでにいっぱい貼られていました。さすが・・・。たまたま、お隣の段幕もタカのだったのですが、浜松から来たというジュビロサポの女の子2人組が通りかかって一緒にお話ししながら段幕を眺めていました。「タカに点取って欲しいですね〜」とか話してました(^^)

  さて、この日のスタメンにタカの名前はありませんでした。試合前、サブ組でボール回しをするタカの姿を悔しさと気合いの入り交じった気持ちで眺めていました。5万5千人の大観衆。この中でタカにプレーして欲しい。そう願っていました。

  前半。試合内容はもう既にあまり覚えていません・・・(^^;ああ、ここでシュートが決まってれば!!とかいう場面が何度かあったなあ、と言う位で・・・。というか気持ちはベンチ裏でアップするタカに集中していたらしい・・・。1点を取られた時は「これでタカが出て2点取って大逆転というシナリオだな・・・ニヤリ。トルシエ、早くタカを出さんかい!」とか思ったような・・・(^^;

  後半。中田−平瀬。の2トップ。タカの出番はまだか〜。という感じ。しかしこの二人の2トップは直前の福島合宿でずっと練習していたフォーメーションだった(亮ちゃん、ほたるちゃん情報)ので、トルシエも試してみたかったんだろうなあ、ということで一応納得していました。後半、15分くらいでサミアが立ち上がったのを私は食い入るように見つめていました!「よっしゃ!タカだ!」と眺めていると案の定、タカが呼ばれました。メインスタンドで見ていたのですが、アップの為に現れたタカに回りから「高原!点取れよ!」とか「高原!お前が頼りだ!」という男の人からの掛け声がいくつも飛んで!「その通り!!」と何度も心の中で相づちを打ってしまった。

  後半20分。多分この時間になったら投入と決めていたんだろうな、という計ったタイミングでタカ登場。しかし稲本と交代とは思わなかった。ちょっと驚き。思ったのはナカタと俊輔とモトが同時に3人がプレーしていたり、明神と酒井が同時にプレーをするスタイルもありなんだなあという新鮮な感想でした。このチームって本当になんでもありですねえ!しかもきっちりこなすし。すごい。伸二が帰ってきたら中盤は一体どうなるんだ!!ひえ〜。

  正直、やっぱりタカのポストは安心して見ていられます。ツボを抑えている。前半の福田と平瀬のポストは見ていて不満が。スペースを空けるための動きなのか、溜めを作る為の動きなのかが曖昧。サイド(モトと酒井←やっぱり良い仕事しますな。男前)の攻撃が効果的になったこととタカの積極的な動きでだんだんと日本ペースに。あとはいつ点が入るか時間の問題。そして、平瀬の2ゴール。いい加減決めてくれ〜。という感じだったのでやっと決まったよ〜。という気分でした。この日点が取れなかったら平瀬は危なかったですね。あれだけチャンスがあれば・・・。タカもヒデの折り返しでシュート!一瞬入ったかと思いました。あれが決まってたらヒーローだったのにね(^^;そして、タカが中央突破を試みてファールを貰う!そしてそれが俊輔の3点目のFKに繋がりました。俊輔ナイスゴール!

  終わってみれば3−1。勝って決めるところがこのチームらしいところです。

  終了後はタカはイナ、浩二、のいつものメンバーで場内一周。終わった後の盛り上がりにようやく「ああ、シドニーに行けるんだ」と実感しました。俊輔のインタビューの涙。ポジションのこと祖父のこと。・・・言葉に詰まった瞬間、なんだかもらい泣きしてしまいました。

  2回連続オリンピック出場!

  簡単に言うけれど大変な事です。ほんの以前までそんなオリンピックすら日本はアジアの壁の前に出場できずにいたのですから。

  あと1戦。タイ戦が残っています。タカにはまだアピール出来る戦いが残っている。

  多分、この日の試合。タカは点を取れなかったことがとても悔しかっただろうと思います。目前で平瀬が2点決めたので。

  FWは点を取った奴が一番偉い。その言葉通り、タカゴール!次に期待しています!!ケガにだけは要注意!!

 

    1999年11月3日  「日本にとっての五輪」                            

  横浜フリューゲルスの合併発表から1年が経ちました。

  知人に横浜FCのボランティア運営をされている方がいます。先日その方とお話をしたのですが、この1年のサッカークラブを運営することの大変さを色々を伺うことができました。練習場を借りることから始まり、ユニフォームの洗濯や、下部組織(ジュニアなど)の練習場確保や指導者のこと、ソシオのことetcetc。ご苦労されていることは山ほどあります。情熱だけでも、お金だけでも、どちらか片方だけではきっと上手くいかないことだと思います。チームを愛する気持ちを持ちながら、現実と対峙している。苦労話を聞きながらもなんだか羨ましい気持ちになりました。

  横浜FC、JFL優勝。おめでとうございます!!

  Numberで杉山氏のシドニー五輪についての記事がありました。サッカー界においてよく言われることですが、オリンピックという大会にここまで力を注いでいるのはアジアくらいだ。と。欧州の各国はオリンピックは単なる年齢別の大会としてしか見ていなく、トップリーグに出場している選手はリーグが優先でオリンピックには出ない。オリンピックはサッカー界においてはU−23という年齢別の大会です。A代表が闘うワールドカップとは違う。そんな大会にワールドカップのように過剰なまでに盛り上がっている日本はおかしい。と。

  はたして、そうでしょうか?

  日本がヨーロッパ大陸のどこか端っこにでもくっついている国であったならばこの理論はまさにその通りだと思います。欧州各国のリーグや大会に参加させて貰える国の一部であったならオリンピックなんぞはほっといてという言葉も出てくるでしょう。しかし、日本は東アジアの国です。サッカーのプロリーグが出来て数年の国です。まだまだ野球というスポーツが国技にも匹敵する国です。

  欧州や南米の国々の若い選手は国内リーグで頑張っていれば、強豪チームから目を付けられオファーも来ます。じゃあ、日本は。というと、日本国内で頑張っている若い選手に国外の強豪チームからオファーが来ることはありません。海外のチームが少しでも目を向けてくれる「世界大会」に出場しなければそんなチャンスもありません。

  五輪なんかに必死になっている日本サッカーなんて、というサッカー記事をたまに見かける度に???という気持ちになります。

  じゃあ、日本の選手はどこで世界にアピールし経験を積めば良いのでしょうか。いつから日本はそんなサッカー先進国になったのでしょう。W杯は1回出場したきり。五輪は前回28年ぶりに出場したのです。

  今回のシドニーは日本サッカーにとってとても重要な大会になると思います。それは今回の五輪に出場する選手が何人海外に行くかによっても日本のサッカー界の未来を左右するからです。ここで海外に出ていく選手達が2002年や2006年の日本サッカー界を率いていくことになるでしょう。

  過去、フランスやナイジェリアがそうだったように若手育成に成功した国(ワールドユースで優勝した国はその数年後のW杯において決勝リーグに進出している)はA代表に結果が必ず出ています。その基本からいうと日本は今回のワールドユース組が26,7歳になる2006年のW杯ではグループリーグ突破も夢ではないということです。しかし、その為にはもちろん選手個人のレベルアップが重要です。99 U−20はワールドユースで準優勝しました。しかし、その下のU−17はアジアで敗れています。まだまだ日本はアジアでも抜け出した国ではないということ。

  五輪に欧州各国が主力をださないというのなら、返って大助かりです。いっそのこと日本が優勝すればいいのだ!(もちろん南米の国々がいますがね・・・。ブラジルは優勝したいらしいし(^^;)

  なんだかんだと言っても次のカザフ戦!ここでシドニーを決めないとダメですからね!

  すっきり、きっちり決めてシドニーへ連れて行って貰いましょう!

  最後の2つの試合!しっかり見届けますよ! 

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