my favorite シドニー五輪旅行記 
       つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2000年8月27日  「シドニー五輪代表発表」                           

  サッカーシドニー五輪代表が発表されました。

  タカはメンバーに入りました。当然入るだろうとは思っていましたが、やはり蓋を開けてみないと分からないので名前を見て、安堵しました。ほっ。

  そのかわり、「小野伸二」の名前がありませんでした。噂は嫌でも耳に入っていたので、心構えはしていたのですが、いざ、本当に名前がないとなると、かなりショックでした。

  タカは五輪の最終予選の時「伸二をシドニーへ連れていく」って言ったんです。その通り、最終予選を勝ち抜いたんです。なのに、本番にその伸二がいない。本人もオリンピックに行きたがっていただけに、とても残念です。

  でも、発表されてやっぱり伸二の名前がなくて、今、よくその事実を考えて、伸二はシドニーへ行かない方が正解なのかもしれないとも思いました。今のままではWユースの時の稲本のような使われ方になるかもしれない。それでは行っても辛いだけです。何も得て帰って来れないなら、行かずに浦和の試合に出た方が良いです。帯同もよっぽど酷です。

  オリンピック中、もし決勝リーグまで上がったら、その期間J2で浦和は「水戸」「湘南」「大宮」「甲府」「札幌」「新潟」と当たります。浦和にとっては正念場、キャプテン伸二の仕事は重要です。

  10月にはアジア大会があります。A代表です。伸二の出番はそれまで取っておく、と思うことでなんとか気持ちの整理をしました。

  本当は、五輪のこのメンバーで一緒に闘って欲しかった・・・伸二のパスでタカにゴールして欲しかったけれど。10月までに伸二にはベストコンディションに戻して置いてもらおう!

  気持ちを切り替えて、さあオリンピックです!

  タカの活躍が今から楽しみです。FWを3人しか選ばなかったのは、それだけ守備が重要だということでしょう。アトランタの予選を久しぶりにビデオで観て、「守備」の重要さを今更ながら痛感しました。本番はもしかしたら1トップになるかもしれません。

  メダルを狙わない選手はいないと思います。どの国の選手もそう思っているでしょう。アジアのサッカーのアピールのためにも日本にはぜひメダルを獲って帰って来て欲しい。そうすれば、もっと欧州や南米のクラブの目も日本やアジアに向いてくるでしょう。そうすれば10月のアジア大会もずっと重要になってくる。

  タカも自分の未来のために、自分の未来を切り開くために全力で闘って来て欲しいです。

  タカにはWユースよりも一段落上の世界を十分に体験してきて欲しい!オリンピックの上には世界最高のW杯が待っているんだから!

  あ、壮行試合で怪我だけはしないでね〜・・・・頼むよ!!!!本番はオーストラリアだ!!

 

  2000年9月6日  「終わりなき旅」                  

  シドニー五輪の壮行試合も終わり、とうとう本番を迎えるだけになりました。

  トルシエ監督はシステムを1トップのダブルボランチが良いと最終的に判断したようですね。要するに俊輔は「中」で使った方が良いということ。俊輔は実力で自分のポジションを獲得しました。凄い!1トップは、タカかヤナギかと言うところが妥当だと思います。でも1トップのFWは点を取るのが難しくなるので、FW組には試練になりそうです。

  そういえば、今日TBSの夕方のニュースの特番で水沼さんがサッカーの予選の予想をしていた中で、サッカーゲームによるシュミレーションでコンピューターに闘わせていて、結果が

  南アフリカ戦 1−1 (高原)、スロバキア戦 3−0(高原、松田、中田)、ブラジル戦 1−1(松田) 

   ということになってました(笑)南アフリカ戦でタカはゴールを挙げた後、喜んで前転してた・・・タカのCGが!ちゃんとボウズなの!(笑)1勝2分けで決勝リーグ進出!だったんですが。本番もタカゴールで本物のタカの前転が見られれば良いなあ(笑:でもタカってゴールの後、前転しないよね・・・???なんでコンピューターだとやってるの??あれ?)

  ぽんこつリンゴさんに借りたビデオで、先日の日テレの「シドニーPOWER」のタカの回の分をようやく見ることが出来ました。番組の中でタカが大きな壁にぶつかった時期として「プロ1年目」と答えていて、自分の思い描いていたプレーが出来なかったと語っていました。そんなタカのパワーの素になったのが、ミスチルの歌で、その中でも「終わりなき旅」が一番好きだ、と言っていました。「聞いているとホントにやる気が出てくる」そうです!

  「嫌なことばかりではないさ  さあ次の扉をノックしよう

  もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」

  歌詞にのせてタカのゴールシーンなどがあってとても感動的でした。

  「もっと大きなはずの自分」を探しにタカはオリンピックへ行くんですね。そこできっと彼は世界を見るのです。

  オリンピックの後にもタカの「終わりなき旅」はずっと続いて行くのです。

  「世界」で闘うために。

  私の好きな曲が一つ増えました(^^)

  頑張れ!タカ!!   

  あ、私は今日で2×歳になりました。去年の誕生日は病室で迎えたことを考えれば、今は幸福です。今年一年、私にとっても良い年になりますように。 

 

  2000年9月11日  「シドニーオリンピック旅行記 その1 さあ、シドニー五輪へ出発だ!」                  

  さあ、とうとうシドニー五輪!!

  まずは緒戦のキャンベラへ向かいます。メンバーは弾けた愉快なお姉さん3人組み。私と亮ちゃんとリンゴちゃん。

  埼玉はあいにくの雨・・・。荷物が異常に重かったので、両親が心配して送ってくれました・・・ありがとう(涙)

  成田へつくとすでに夕刻のためいつもより客は少なかったものの、どうみても「五輪の応援だね・・・」と分かるような熱い(青い)人がちらほら。JALなどのカウンターには「がんばれ!日本五輪代表」の垂れ幕がありました。

  カウンターでは航空会社のお兄さんがオーストラリアに日本人がたくさん集まっているので向こうでお金を換えられないかもしれないので、成田で兌換して行ったほうがいいよ、と教えてくれたので、素直に日本でオーストラリアドルに兌換、レートは71くらいだったような。

  出国手続きの際、オーストラリアは食物や植物の持ちこみが異常に厳しかったりするので、念のため税関で確認。私たちのツアーの日程表に載っている禁止事項を見せると、税関のおじサンが

  税関のおじサン:「サッカー見に行くのかい?」

  私たち:「はい!」

  税関のおじサン:「俺もTVで応援するよ」

  私:「それならFWの高原選手を応援してください(笑)」

  税関のおじサン:「ああ、(こうげんくん)ね」

  私たち:「爆笑」

  税関のおじサン:「俺、ジュビロ好きなんだよね」

  私たち:「そうなんですか!?(喜)」

  税関のおじサン:「じゃ、がんばって行っておいで」

  私たち:「ありがとうございます!(^〜^)」

  という、心温まる会話をしました。(笑)

  さて、私たちは21:40発のブリスベン行きのカンタス航空に乗る予定だったのですが、同じ時刻にJALもブリスベン行きが出ていて、搭乗口も同じでした。

  「あっち(JAL)はリッチだね」などといいながら、時刻間近に搭乗口へ行くと、JAL便も同じゲートでした。不思議に思いながらチケットを差し出して、「途中から入り口がJALとカンタスに分かれるのかな」とか話していたら、そのままJAL機の入り口へ・・・!!「なんで??なんで?このままだと私たちJALに乗っちゃうよ!!??」と当惑していると、JAL機の入り口にいた乗員の人が「この機はカンタス航空とJALの合同運行になりました」とあっさり答えられてしまった・・・。「それならそうと早く言ってよ・・・。焦ったじゃん!!」というか、君たちが早く確認しろよ・・・。

  という訳で、JALに乗って一路、ブリスベンへと向かいました。 

 

  2000年9月12日  「シドニーオリンピック旅行記 その2 ブリスベンUNO大会!」                  

  朝の7時(日本時間5時)にブリスベンに到着。入国の申告書に亮ちゃんが乾物持ちこみに「あり」としていて、大丈夫かな・・・と思っていたのですが、(亮ちゃんの乾物は「梅干 純」(笑))、審査のお兄さんは亮ちゃんの差し出した「純」を見て笑ってOKと言って通してくれました。(笑)キャンベラへの乗り換えは午後1時30分だったのでそれまでの時間をどう過ごそうかと眠い頭で検討。ブリスベンの国際線から国内線の空港へバスで移動。

  とりあえず、朝食をとって空港内をウロウロしていたらいろいろな国のオリンピック代表らしき人々がちらほら。HONG KONGとかかれたバックを持っていた一団がいたので思わず「何の競技ですか?」と聞くと、「水泳」と言ってました。可愛い女の子でした。彼女とは「グッドラック」と言って分かれました。

  それにしても暇。時間のつぶし方に迷っていたら「トランプでもしようか」と思いついたので、トランプを探しに。しかし、トランプはどこにも売っていなかったため、シドニー五輪バージョンのUNOを購入。同じように暇を持て余していた、同じツアーの女の子3人組を誘ってUNO大会!(苦笑)

  ブリスベンの国内空港は異常に広いので誰もいない搭乗口のフロアに座ってUNO大会開始。しかし誰もやり方をうろ覚えだったためニセUNOゲームになってしまい、終いにはUNOで神経衰弱をやり始める怪しい日本人6人組。いや、決してあまり人目につかないところでやったので日本人の恥にはなってないはず・・・。(汗)

  そしてやっとキャンベラへ向けた国内線に乗りこみ、闘いの地「キャンベラ」へ。

  到着した途端、「寒いー!!」とみんな口にしてしまいました。まだまだこちらは早春。梅?は咲いてましたが。

  ホテルに到着して一段楽し、モバイルに挑戦したのですが、電話のジャックの配線が日本と違うためか失敗。夕食後に、夜のキャンベラの寒さを体感しようという名目のもと、タクシーでスーパーへ。そこで翌日の朝食などをゲットし、地元の電話のモジュラージャックも購入。

  再度、アクセスに挑戦すると、なんと日本につながった!!!!

  無理だと思っていたので超びっくり!

  というわけで、このHPを更新しています。

  そうそう、こちらの円のレートは67くらい。やっぱり昨日成田で兌換しておいて正解でした。

  さて、私はそろそろ寝ますが、亮ちゃんとぽんこつリンゴちゃんは知り合いになったツアーの人々と酒盛り中。明日の朝は遅くなりそうです(笑)

 

  2000年9月13日  「シドニーオリンピック旅行記 その3 愛を下さい!?ZOO・・・」                  

  昨日、空港で見かけた梅らしき花は「桜」でした。今、こっちは桜が満開。

  さて、今朝は昨日、おとといの疲れもあってか、爆睡!10:30頃に部屋掃除のおばさんがドアを激しくノックする音で飛び起きました。11:00にみんなとロビーで待ち合わせしていたので、かなり焦りながら朝食と出かける準備。しかし、みんなも同じだったらしく、結局11:30に出発。

  行き先は、「National Aquarium 国立水族館」。ガイドブックによるとオーストラリアでも有数の水族館とか。面白そうだから行ってみよう!と私たち3人と昨日知り合った4人と7人でワンボックスのタクシーで出発。ホテルから15分ほどで到着。運賃は21ドルくらい(日本円だと1400円?7人で行ったから一人入200円くらい)入場料は10ドルで、1ドルでカンガルーの餌を売っていたので思わず買ってしまう。まるで奈良の「鹿せんべい」のようだ・・・。あ、せんべいだったわけじゃないんですが。どっちかというと、鹿のフン・・・・。

  しかし、行ってみると、水族館はかなりしょぼい・・・。あり〜・・・・、こんなはずでは・・・。と思っていたら、そう実はここにはもう一つの目玉、「ワイルドライフ・サンクチュアリ」という動物園があったのです!そこで私は、念願のコアラとカンガルーとウォンバットとタスマニアデビルとエニューとペンギンと・・・とにかくたくさんの動物を見ました。せっかく買った「カンガルーの餌」はカンガルーが寝ていたのでエミューの餌へと変身。エミュー、大きくてそばによると怖い・・・。ラマにも餌をやったような・・・。結局、「ここって水族館っていうより動物園だね」という結論で全員の意見が一致。思わず「愛を下さい〜♪ZOO」とみんなで口ずさむ。それ以来、頭のなかでずっとこの曲が鳴りっぱなし(笑)

  次にお腹の空いたみんなでお昼を食べようとまたタクシーに乗って今度はキャンベラの中心地シティ・ヒルへ。途中、キャンベラにいる五輪選手たち全員が宿泊しているホテルの近くを通ったのですが、厳しいセキュリティでタクシーのボンネットを開けてまで点検。さすがというか・・・。

  お昼ご飯はこっちにきて以来ずっと「パン食」で、いい加減もうパンは嫌・・・(ってまだ3日目だよ・・・)だったので日本食か中華料理の店を探しに。途中でサッカーのチケット売り場に行列が出来ていました。代表ユニを着た日本人の男の子2人が余った日本戦のチケットを売っていた。そういえばその近くで「うじきつよし」を発見。彼もチケット売り場に並んでいたらしい。

  お昼は中華料理店でランチ。やっぱり米粒が良いよなあ〜。お箸の国の人だもの。しみじみ。

  その後、キャンベラ・センターという大きなショッピングモールでお買い物。ほとんどのものがここで手に入ります。何でもある。(そういえばこのシティのショッピングモールであのアジアユースのチェンマイや五輪1次予選の香港でお会いしたエスパサポの清水のおばあちゃんにまたもや再会!!!びっくり〜!!嬉しかった。(^^)このおばあちゃんはあのアジアユースのチェンマイでタカに「東(清水東高校)の時みたいな元気がないわよ!」とハッパをかけていたおばあちゃんです。おばあちゃんに会うのはいつも海外だなあ〜。あ、一度、磐田でも会ったかな。エスパ戦の時に)

  5時過ぎにホテルに帰ってきて、日本代表の練習を見に行こうとしていたのですが、ネットがつながらず今日の練習場の情報が得られず。無念。ホテルマンを巻き込んですったもんだしたのですが、どうやらホテルから電話の国外線のラインが切られていたらしい。かなり騒いでいたので、とおり掛かったご夫婦で同じツアーに参加している方の旦那さんの方が一緒になってホテルの人と交渉してくれました。結局そのときはつながりませんでした。昨日はつながったのになあ。

  その旦那さんは「酒井」くんのファン、というか千葉県民で古河の頃からのサッカー好きな方でジョホール・バルやフランスW杯へも行かれた熱いサッカーサポでした。そのまま2人で熱いサッカー談義をしていたら、ちょうどぽんこつリンゴさんが夕食の相談にやってきて、そのまま巻き込まれて3人でサッカー談義。ホント熱かった。いい加減、お腹が空いたので、続きはまた明日!とお互いに行って、私たちはもうすでに行きつけになってしまった「MANUKA」というショッピング街へ食事へ。今夜はイタリアンな気分。と言うわけでイタリアレストランへ。

  ピザもパスタも結構おいしかったです。しかし、今までアジア圏ばかり旅していたせいか、今回はなんだか不便なことばかり。その最大の理由がホテルの近所に「コンビニ」がない!ということでしょう。香港も台湾もシンガポールもタイもいつも「コンビニ」を重宝していたので。まったく「コンビニエンス・ストアー」とは良く言ったものだ・・・。オーストラリアも見習って頂戴・・・(涙)

  その後は部屋に戻ってこの日記を書いています。

  先ほどBJ先生から国際電話を頂いてアジア大会のメンバー候補にタカが入ったのを知りました!!おお!今日のイタリア五輪VSオーストラリア五輪の結果も教えて貰いました。まったくこっちにいるとさっぱり情報が入ってこないよ・・・。不便だ。

  ということで、もう一度日本へのアクセスを試みて寝ようと思います。 

 

  2000年9月14日  「シドニーオリンピック旅行記 その4 嬉泣・・・感涙・・・大号泣・・・南アフリカ戦」                  

  今朝は昨日のこともあったので、ドアに「起こさないで下さい」の札を下げていたため、ゆっくり眠ることが出来ました。しかし、11:10にみんなとロビーで待ち合わせをしていたので、(10:30に目覚めた)慌てて準備。

  ロビーへ行くと昨日の熱いサッカーサポのSご夫婦が土曜に日帰りでシドニーへ観光へ行く長距離バスの予約をしていたので、羨ましくなった私たちは思わず一緒に申し込んでしまいました。しかし、キャンベラの日本人?もみんな同じ考えらしく、予約を取るのが大変でした・・・。えと、料金は往復で62ドル(5000円前後くらい?)でした。

  その後、いつものワンボックスタクシーに乗ってシティへ行こうとしたら、タクシーの運転手が「サッカーを見に来たのかい?」と聞くので「そうだ」というと、「俺の友達はストイコビッチをタクシーに乗せたことがあるんだ!」と言い出したので「ええ!ピクシー!」といういうと、彼はユーゴスラビアから来たのだと言っていました。「名古屋グランパス」も知っていた!すっかり息投合した私たちは彼が「マウント・エインズリーへは行ったか?」と聞くので、「まだ」というと、「とても景色がきれいだから行こう!」と言ってつれて行かれました。(笑)

  マウント・エインズリーはキャンベラの街が一望できる、小高い山で842mくらいなのですが、ホントにキレイでした!ちょうど頂上の展望台では、日テレビのクルーが中継をしていて、藤井アナが「ここキャンベラで本日、日本代表のサッカーが・・・」とか言ってました。「藤井さ〜ん」と手を振ると降り返してくれた(笑)フレンドリーだ。(笑)

  その後、オーストラリア連邦議会下院の建物へつれていってくれたのですが、ここがものすごく美しい!!!中も見学できて結構人がいました。

  そして、午後の4時過ぎにホテルへ戻って、いよいよ南アフリカ戦の準備へ!

  防寒をしっかりして、カメラを持って出発!!もちろんホテルから「TAKAHARA9」ユニ着用!!

  私たちのツアー、総勢150人弱くらい??を乗せた3台のバスが出発。

  ブルーススタジアムへは5時過ぎに到着しました。ちょうど女子の試合の最中。(中国vsナイジェリア:3−1だったかなあ・・・・)

  2F席についてスタンバイをしていたらスーパーサッカーのみほちゃん発見。その後、食べ物を買いに行ったら、釜本と長沼にもあった(呼び捨て)。

  さて、いよいよ日本代表登場!練習開始!タカとヤナギが黄色のビブスを着ている!黄色のビブスがどうやらスタメンらしかったので、「2トップだ!」とちょっと予想外。でも、タカがスタメンらしかったので、かなり嬉しかった!!

  2階スタンド席にいたのですが、練習の写真を撮るために1Fへ降りたら、なんだかぜんぜんがらがらでとりあえず練習が終わるまでここにいようかと、みんなで言っていたら、結局そのままその席で観戦。席はかなりアバウトでした。

  そして練習も終わり、しばらく発つとあの代表の音楽が流れ出して、シドニー五輪日本代表の登場!

  タカの姿が見えた途端、涙が次から次から溢れました。今までのいろんなことが脳裏を走りました。アジアユースのこと、福島合宿のこと、WYのこと、五輪の1次予選を手術で辞退したこと、五輪の最終予選のこと、そしてジュビロでのこと・・・。

  「五輪の舞台に立ってくれて、タカ、本当にありがとう」

   心からそう思いました。涙でシャッターが切れなかった。

   とうとう、試合開始。

   前半は様子見っぽかったですが、何が悪いって線審!!!!(怒)あの南アフリカの1点目ってオフサイドじゃないの!?それから審判!カード出しすぎ!

   しかし、タカの同点ゴー−−−−−ル!!!(^0^)/

   悲鳴です。「タカーーーーーー!!!」(大泣)身体が震えましたから。

   慌ててガッツポーズのタカの姿を追っていたカメラ越しに涙涙・・・。写真また撮れず。

   1−1のまま折り返し。

   そういえばスタジアムは日本人、オーストラリア人、南アフリカ人の順に多かったのですが、日本人は席がばらばらになっていたので、たまにしか応援合わず。仕方なし。それとやっぱり寒い!途中からは手袋なしでは辛かった。スロバキア戦にいらっしゃる方は要注意!

   後半。また審判のあいまいな判定に怒り心頭しながら観戦。タカは後半も出場!!(しかし、今日の明神はちょっとまずかったですねえ・・・。ミス多すぎ。どうしちゃったの??)

   そして、タカの逆転弾が決まる!!!もう、今度は放心しました。うわ〜ぁ・・・・・・・・。と言う感じ。そのまま涙がまた溢れて溢れて・・・。

   亮ちゃんと抱き合って「ここまで来てよかったね!!!(涙)」と何度も呟きました。本当に涙が次から次から流れるので一生懸命拭っていたら、「あら、あの子泣いているわ(笑顔)」とか周りの人に言われた(泣笑)

   ロスタイム、長くなかったですか???早く笛吹けー!!!!(怒)と日本語でどなってしまった。

   でも、2−1。終わった途端、私たちの後ろに座っていた磐田から来たというジュビロサポのおば様方が「おめでとう!」と言ってくださって、本当に嬉しかったです。(おば様方は西、高原」と書いた弾幕を持ってました。

  試合後はみんな疲れ果ててまた放心・・・。ようやく立ち上ってのろのろと帰りの準備。すると17番のタカハラユニを着ている女性に会って、ともに喜びました。ずいぶんスタジアムの中でそうしていたんで、すっかり同じツアーの人々を見失ってしまい、バスの場所がわからず迷子に!!!(7人もいてバスの待ってる場所を全員忘れていた〔アホ))スタジアムの出口を行ったり来りしていると、「19」の二人がスタッフと一緒に歩いていました。一緒にいた女の子が声を掛けるとなぜか共に写真を撮ることに。私の「TAKAHARA」ユニをみて拍手してくれました。いい人だった(笑)今度CD買うよ(笑)

  その後、ようやくバスを発見!乗りこむとSご夫婦の旦那さんの方が「良かったね!」と言ってくださったので、「高原やりましたよ!」とハイタッチ!(笑)

  ホテルに戻ると、すっかり祝勝会の様相。お酒の買出し部隊などが出て、大騒ぎ。というか熱いサッカー談義。みなさん、自分なりのサッカー観をしっかり持っていて、興味深い話をたくさん聞きました。

  私はその前にインターネット(初日につないでから、つながらなくなっていた・・・)のを同じツアーのPCに詳しい方につないでもらって、アクセス。

  書き込みをしたあと、みんなの所へ。熱かったね、みんな。とりあえずスロバキア戦の勝利を願って乾杯。

  私は途中で切り上げてきましたが (みんな徹夜の勢いだし・・・)。さて、今日はとても疲れたのでもう寝ます。

  タカ。

  ゴールをありがとう。

  たくさん涙を流したよ!また、私たちに感動を下さい。次もがんばれ!

 

  2000年9月15日  「シドニーオリンピック旅行記 その5 シドニー五輪開幕!TAKA−CLUBのみなさんと遭遇(^^)」                  

  結局、眠ったのは今朝の4時でした・・・・。披露困憊で眠りについて、起きたのは9:30。まだ寝たりない・・・ともう一度寝る。次に起きたのは11:30。そろそろ起きようと朝食と着替え。そのまま、友人達の部屋に電話をすると亮ちゃんとぽんこつリンゴさん以外の人はもう起きていた(苦笑)2人は撃沈していたので、とりあえず二人を置いて6人で明日のシドニーの長距離バスの予約チケットを受け取りにシティへ。

  シティではまず兌換をしたかった人がいたので銀行へ、その次にチケットセンターへ、そしてAIR MAILを出しに郵便局へ。その後、郵便局の隣のコインショップを眺めて、外に出たら、日本人の方が8,9人くらいいらっしゃって、「こんにちは」というと、「サッカーですか?」と聞かれたので、「そうです」と答えました。すると一人の男性が「私たちは高原選手の後援会のTaka−Clubの事務局の者です。」とおっしゃるので、驚いた!!!!思わず「ええ!?私、会員なんです!」と言ったら、向こうの方々も驚いていた!(笑)「もしかして、遠藤さんですか?」というと「稲葉です」とおっしゃったのでますます驚き!遠藤さんや、稲葉さんとは入会の時や、ツアーの件などでメールのやりとりをしていたので、名前だけは知っていました。本当にお会いできるとは!こんなところで!そうしたらその中にタカのお父さんもいらっしゃって、周りの方々が一緒に写真を撮ってもらえば?と言ってくださったので、なんだか恐縮しながら一緒に写真を撮っていただきました・・・(汗)実は以前にアジアユースのチェンマイの時に、試合が終わってツゥクツゥク(タイのタクシー)に乗っていたら、「相乗りさせてください」と、4人くらいのおばさま方がいらっしゃって、実はその中にタカのお母さんがいたという・・・。そのときもタカのユニを着ていたので、タカのお母さんも喜んでくださいました。  

  こんな偶然もあるんだなあ・・・と本当に驚きでした。びっくり、びっくり。稲葉さん、これからもよろしくお願いします。

  それから道を歩いていたらオーストラリアの人が私たちに向かって「タカハラ」と言ってすれ違って行きました。ちょっと嬉しかった!そうそう、こっちの「The Canberra Times」の表紙にタカがゴールしたときの写真が載ってました。見だしは「Fan advantage a winner for japanese in clash against Sth Africa」でした(苦笑)でも、スポーツ面の内容的には結構タカが誉められていました。また日本に帰ったら詳しい内容をアップします。因みに、スポーツ面の見だしは「Japan extends astonishing streak」でした。

  その後、日本食料理の「太助」という店でお昼。私は「お茶漬け」を食べました(笑)8ドルだった。そして、明日の朝が早いので、おにぎりをテイクアウト。3個いりで6ドル。

  その後、ホテルに戻って、午後7時からの「ザ・キャンベラ・プラネタリウム&オブザベートリー」へ。プラネタリウムなんて何年ぶりに見たでしょう・・・。入場料は11,5ドル。そこで売っている宇宙人の形をしたびよ〜んと伸びる人形をみんなが面白がって買っていた(笑)ワンピースのルフィみだいだった。ゴムゴムの身体。(もちろんワンピースも知ってますよ。仕事で大変な思いをしましたから・・・ワンピース・・・)

  その後、そのプラネタリウムの中で開会式の日本の入場を見て、ホテルに戻ってきました。韓国と北朝鮮の同時入場はやっぱり感動。それにしても、あの日本のマントはなんですか!?みんなで一瞬見た途端、こけた。そういえば、開会式のピンクの女の子可愛かった!

  そして、ホテルへ戻ってきました。今、まさにトーチがシドニーの会場に入ってきました。もうすぐ点火です。生中継。

  明日は朝が早いので、もう寝ます。選手より先にシドニーを見てきます。 

 

  2000年9月16日  「シドニーオリンピック旅行記 その6 オペラハウスまでの歩き方 inシドニー!!」                  

  明日は午前4時起きなので、部屋の時計の間違っている時刻を直してもらうために夜中にフロントのお兄さんを呼ぶと、お兄さんの髪が緑になっていた!(金髪に頭の上のほうが緑!!(笑))「どうしたの?!」と聞くと、「オーストラリアカラー!!」と喜んで答えてくれました(苦笑)

  眠ったのは午前1時になっていて、目覚めたのが3時だったので2時間しか眠らなかった・・・。何しろ今回はまさかシドニーへ行けるとは思っていなかったので、シドニーに関する知識が無知に等しかったため必死に「地球の歩き方」を読みふける。

  朝ご飯は昨日の日本食料理店で買っておいた「おにぎり3個」。実は、Sさんご夫妻も今日の朝が早いので朝食を食べはぐれるかもしれないと、気を使ってくださって別の「将軍」という日本料理店で「おにぎり弁当」を私たちの人数分買ってきていただいていたのだった!!本当にありがとうございます。「おにぎり弁当」はお昼にシドニーで食べようということにして、いざ、出発。夜明け前のキャンベラは寒い!!

  シティにある、長距離バスの発着所について、チケットを見せると座席を教えられる。その時にシドニーまで4時間ということなのでバスにトイレがついているか確認すると、「ある」といわれたので、みんなに「トイレにバスが付いてるって!」と言うと、一瞬の間を置いて爆笑が返ってきました。(恥)「それじゃあ、走るトイレだよ!」とか言われた。すみません、寝ぼけてました。「バスにトイレが付いてる」んだった・・・。

  総勢9人の日本人一行は一路、シドニーへ。他にも何人か、日本人の方が乗っていました。

  バスの中では、今回の旅で知り合ったA子ちゃんと一緒にサッカーの話をしていたら、いつのまにか「数年前のメガレンジャーに江原君が出てたよね!!」というネタで盛り上がりました(苦笑)江原君とは知る人ぞ知る埼玉の「武南高校サッカー部」にいた選手なのですが、いつのまにか、キャベツーのCFに出たり、カローラのCFに出たりしてすっかり俳優になっていた人です。メガブラック、見てたよ・・・(笑)

  その後、つかの間の睡眠を取ると、シドニーへ到着。9時半くらいでした。(場所はセントラル・ステーション)

  そこでSさんご夫婦とは別れて、私たちは「シドニー・エクスプローラ」というシドニー市街をぐるぐる回るバスの1日乗車券を30ドルでゲット。しかし!乗りこんだ途端、みんなシドニーについた疲れで爆睡を始めてしまう・・・!!このままではシドニーの思い出がバスで寝たことになってしまう!!と思った私たちは「降りて歩こう!」と思い直し、バスを途中下車。ちょうどバス停の前にあったお土産やに入ると、お店の人は日本語の話せる方でした。そこでもっと大きなお土産屋があると教えられ、結局タクシーに乗ってタウン・ホールへ。そこはシドニーの街の中心でした。キャンベラののどかな田舎にすっかり染まっていた私たちは、まるでお登りサンのように「ビルが高い〜・・・」とか見上げながら歩きました。(また恥)仮にも世界に誇る大東京で働いていいるというのに・・・。そこで結局お土産あさり。私は昨日の五輪のオープニングセレモニーのCDをゲット!!あのピンクの服の女の子の歌とかが入っている。欲しかったので良かった。

  タウン・ホールで何件目かに入ったお土産屋さんのお姉さんは東洋系の人で日本語が話せる人でした。そこで、オペラハウスへの道のりを聞くと、しきりに「アンザック・ブリッジ」に行ったほうがいい。と言われました。「とてもキレイだから」。と。でも、私達には時間がなかったので、「今日中にキャンベラへ戻らなくてはいけないんです」というと、とても残念な顔をしていた。ごめんなさい。お姉さん・・・。そして、あまりに日本語が巧いので「日系の方ですか?」と聞くと「コリアン」です。と言っていたので、ますます驚いて「日本語巧いですね!!」と言うと、以前に日本に留学していた、と言っていました。そして、亮ちゃんが先週、韓国の五輪代表の壮行試合をソウルへ見にいったことや、みんな韓国の選手が好きなんですよ。というと嬉しそうに笑ってくれました。2002年は一緒にがんばりましょう!と握手をしました。国際交流だ!(笑)オーストラリアでね(^^)

  シドニーは本当に人種のるつぼと化していました。いろんな国の人々が自分の国の国旗を顔に書いたり、旗を持ったり、仮装をしたり。あ、ブラジルだ!とか、あ、イタリアだ!とか、すれ違う人がそれぞれ違う国の人々でした。

  それから私たちはどうしても見たかった「オペラ・ハウス」へ向かって歩き出しました。20分くらい歩いたかな。迷いながらもくもくと歩くと、海が見えて、あの「シドニー・ハーバー・ブリッジ」が見え、橋にオリンピックの輪がついているのを見ながら、「オペラ・ハウス」はどっち!?と迷いながら進んでいくと,突然目の前にその「オペラ・ハウス」が忽然と現れました!あの特徴的な白い屋根!とうとう目の前で見ました!!「シドニーだぁ!!」と一番実感した瞬間でした。オペラ・ハウスの周りはもう人・人・人!!で凄い込みよう。でもなんとか,海際のベンチを獲得して、「おにぎり弁当」を頂く。目の前に「オペラ・ハウス」、背中に「シドニー・ハーバー・ブリッジ」を置いて、おにぎりをお箸でつつく日本人7人。(笑)

  「オペラ・ハウス」を見るという目的を達成した私たちはとんぼ返りで「セントラル・ステーション」へ。そういえば、30ドルも払ってほとんど使わなかった「シドニー・エクスプローラ」。今回の旅での初めての失敗!!

  午後3時集合に少し遅れて到着。バスのチェックインをして、ちょうど戻っていらっしゃったSさんご夫婦と一緒にカフェでお茶。Sさんご夫婦は「トライアスロン」の試合の観客に巻き込まれて途中で動けなくなったと言っていました。

  午後4時にシドニーからキャンベラへ。わずか6時間ほどの滞在でした。でも、オリンピックの雰囲気を満喫できました!凄かった!

  シドニーからの帰りのバスの中で、昨日のオープニングセレモニーのあった、オリンピック会場を見ました。その横には巨大な選手村が広がっていた!

  キャンベラへ戻ってくると午後8時を回っていたので、シティのSさんご夫婦お勧めの中華料理店で夕食。おいしかった!その後、シティの広場に特設されている巨大モニターの前で日本人たちが騒いでいたので、何事かと行って見ると、そこにいた方々が日本が金メダル2個と銀メダルを取った!と教えてくれたので一気に盛り上がりました。ヤワラちゃん金メダルおめでとう!!

  今日はとても疲れたので寝ます。

  明日はスロバキア戦。絶対に落とせない大事な試合です。緊張してきた・・・。  

 

  2000年9月17日  「シドニーオリンピック旅行記 その7 大ぬか喜びスロバキア戦・・・ブラジル(怒)」                  

  今朝は疲れもあって、11:00ごろ起床。昨日着いた、別のツアーで参加のももちゃんが実は私の部屋で寝ていた(笑)ももちゃんは一人で別のツアー参加だったので寂しかったらおいでという話だったので、一緒に行動することに。

  そして、今日はBJ先生もキャンベラ入りしたので、みんなでシティでお昼を食べました。

  それと、そろそろ成田で兌換したお金がなくなりそうだったので、兌換をしに銀行へ行ったら休みだった!そう今日は日曜なのだ・・・・!!忘れてました・・・(汗)慌てて日曜でも開いている兌換所を教えて貰うと、選手達の泊まっているホテルのカジノだった(苦笑)一応,そこで兌換完了。ちらっと聞いた話ではそのカジノでサミアがいるのを見たとか見ないとか(笑)

   南アフリカ戦の前は結構、日本人を見かけることも少なかったのに、今日はものすごい日本人の数でした。スロバキア&ブラジル戦ツアーの方が多いからなのでしょうね。おかげでタクシーが捕まらず危うくスロバキア戦のホテルからのバスの出発に遅れるところでした。そして、やっと捕まえたタクシーの運転手のおじさんはこれまた日本語の巧い人でした。自分はエクアドルから来たんだよ、と言っていました。さすが移民の国。いろんな国から人々がきていますね。それにしても日本語が巧い。不思議に思って聞くと、長野オリンピックの時に日本へ行ってから日本が好きになって、日本語を勉強しているんだ、と言っていました。そして、運転席の横に置いてある、日本語の教科書とノートを見せてくれました。ノートには「ひらがな」と「漢字」を一生懸命練習している書き取りがありました。感心していると、「霰」という漢字を指して、これはどういう意味ですか?と聞かれたので、「え・・・・・。なんて言えばいいんだ。えとえと、アイスボール、アイスボール、これくらいの小さいヤツで空から降ってくるのです」というと、「ああ、分かりました!」と言っていました。・・・・本当に分かったのかなあ・・・。それにしても、彼の日本語に比べて自分の英語の表現力に無念・・・・(泣)彼は今日のスロバキア戦に来ると言ってました。もちろん「日本」を応援するんだ!と言ってました。・・・なんか外国で日本のことを応援してくれている人がいるのって嬉しいですね・・・。昨日の韓国系のお姉さんといい・・・。ありがとうございます。(泣笑)

  さて、とうとう予選リーグ2試合目。スロバキア戦!!

  気合を入れて出発。 

  試合前にBJ先生が持って来てくれた、15日付けのスポーツ新聞類をTaka−Clubの稲葉さんにお見せすると言っていたので持って行きました。

  本当にタカがたくさん一面で驚いた!!凄い!

  さて、試合開始。タカーヤナギの2トップは変らず。アツと酒井が代わってましたね。

  前半の様子から「そんなに強くない・・・・」というのがスロバキアの感想でした。「勝てそう」という感じもしました。しいていえば、最終予選のカザフ戦の時のような気分。先取点取られても多分勝てそうという気分(今回は先制されたわけではなかったんですが)。

  それにしても、トルシエはスタメンの2トップにこだわりますね。まぁ、トルシエのスタメンのこだわりはWYの時もでしたけど。これがトルシエサッカーなんでしょうね。自分の最も信頼している選手を使う。・・当たり前か・・・。

  そんな中、バッドな展開が!!!森岡とヒデのイエロー。げげげ!!累積だ!!!会場中、大ブーイングでした。またしも審判の質の悪さに怒り心頭。

  後半、ヒデのゴールで先取点!ヒデの笑顔にはみんなびっくり。後で話題になりました。

  それから、タカのドリブル、シュート。こぼれたところをイナが押し込んで2得点目。本当はやっぱりタカに決めて欲しかったけど、2試合続けてスタメンで途中からは1トップで走りまわっているタカの一生懸命な姿に拍手。後半は疲れているんだろうけど、ホント走り回ってましたね。それでこそ、磐田のストライカー!

  しかし、一失点は痛いです。得失点差が一番重要だから、出来れば完封して欲しかった。

  2−1で試合が終了したときは「これで決勝リーグ進出だ!」とみんなで大喜び!!!!だったのに・・・・・・・・・・・・・・・・。

  その後、ブラジルが南アフリカに1−3で敗れるという報を聞いた途端、全員が「えーーーーーー!?」と叫びました。

  帰りのバスの中は沈黙でした。誰もが勝ち点と得失点差の計算を頭の中でしていたんだと思います。

  私もずっとそればかり考えていました。日本が自力で決勝リーグに上がるには、結局、ブラジルに引き分けか勝つしかないんですね。

  ヒデと森岡抜きで・・・・・。ヒデよりも森岡が痛い。 

  まあ、日本はメダルを狙いにオリンピックに来ているんだから、こんなところでつまづくわけにはいかないということでしょう!

  要はブラジルに勝てばいいんです。3勝しかない。

  やるしかないでしょう!

  ホテルに帰ってからはすっかり決勝リーグ進出おめでとう祝勝会の用意(お酒の準備(苦笑))をしていたのに、すっかりブラジル攻略作戦会議になってしまいました。

  とにかく、ブラジルに勝つ。タカ!ゴールを頼んだよ!!!

  明日は慣れ親しんだここキャンベラを発って、ゴールドコーストに移動です。(ブリスベンじゃないんだな、うちのツアーのホテルは・・・(苦笑))

  ゴールドコーストから果たしてまたモバイル通信ができるのでしょうか!?また挑戦だ!

 

  2000年9月18日  「シドニーオリンピック旅行記 その8 バイバイ、キャンベラ!」                  

  今日はキャンベラ最後の日。

  慣れ親しんだこの街ともさよならです。ゆっくりめに起きて(というか昨日は3次会まであったので寝たのは4時ごろだった)、みんなでMANUKAへショッピング。するとそこの郵便局で探していたサッカーのシドニーオリンピック記念コイン発見!!シティにはもうどこにも売っていなかったので、ラッキー!という感じ(^^)

  その後、ホテルに戻って、出発の準備。一通りは今朝やっておいたので、なんとかスーツケースに荷物を押し込む!!亮ちゃんたちは2人でスーツケースにのって閉めたらしい。一体、何を買ったのでしょう(苦笑)

  キャンベラからの飛行機にはあの「五体不満足」の乙武さんが一緒でした。あと、風間さんと川渕チェアマン。搭乗まで時間があったのでまたニセUNO大会。(笑)私たちが飛行機に乗りこむと、川渕さんが荷物を上に上げていて通れず待っていたら、「ごめんね」と言われました(笑)

  ブリスベンに着くと、そのままゴールドコーストのホテルへ。バスで1時間の移動。ゴールドコーストはまさにリゾート地!!高級ホテルの立ち並ぶ一角に私たちのホテルがありました。アパートメントタイプなのでキッチンなどついています。電子レンジや洗濯機まである!

  キャンベラとブリスベンは1時間の時差があるので、時計を1時間戻す作業をして、荷物を部屋へ置いた後、早速買い物へ(苦笑)既に夜10時近くだったのですが、歩いて10分位のところにDFSがあったので、お土産を買い込みました。24時間のコンビニもあって、キャンベラよりも全然便利(笑)日本食のコンビニには赤いきつねからサッカーマガジンまで売ってました!

  夕食と明日の朝ご飯を買って、ホテルへ。

  明日はワーナー・ブラザーズ・なんとかへ遊びに行こうと思います(笑)去年できたばかりの映画スタジオ。

  そういえば、こっちに来て私は中学、高校、大学と10年間の英語教育の意味を思い知らされました!!

  ジャパニーズ・イングリッシュだって捨てたもんじゃないですね(苦笑)

  今までアジアンパッカーだった私にとっては英語圏の旅行は初めてだったのですが、アジア圏では中国圏はもちろん、東南アジアでも華僑の人が多いので英語より私の下手中国語の方が役に立っていたのですが、今回は下手英語が結構役に立っています。

  でも、さすがにオージーイングリッシュ(オーストラリア弁)は聞き取りにくい!!(><;;)たとえば、4:00am=フォー・エイ・エム。と発音するところを、オージーだと(フォー・アイ・アム)と発音する。つまりAはエイではなくて(アイ)なのです。そのため、単語を勘違いすることがしばしば・・・・。OKは「オーケイ」ではなく、「オーカイ」になる。難しいですねえ。・・・日本語を勉強した外国人が関西弁を聞き取るような感じなのでしょうか!?

  英語も奥が深いのう・・・。  

  モバイル通信は無事つながりました。同じツアーにはいろんな選手のHPの管理人さんが参加していたので、みなさんと協力しあいながら接続(^^)みんなVAIOのPCG-C1シリーズだったのが笑った。小さいからかな。

  中田英寿選手のファンサイト「SWEET ROOM」の管理人のみいなさんにはとてもお世話になりました。ありがとうございました。

 

  2000年9月19日  「シドニーオリンピック旅行記 その9 ゴールドコースト鍋大会!」                  

  かの有名なゴールドコーストは日本語がいっぱい。(苦笑)

  どの店の人も日本語が話せます。まるでハワイのようです。(行ったことないけど)

  そういえば、今回の旅行は本当に毎日天気が良くて大助かりです。キャンベラは毎日快晴でした。ここも朝から快晴!!!真っ青な空と海!

  今日はワーナー・ブラザーズ・ムービー・ワールド?へ行くつもりだったのですが、全員寝たのが朝の4時とか6時だったため、午前中は爆睡していたため、近くの「シー・ワールド」へ行くことにしました。

  お昼頃に着いて、水上スキーショーを見たり、海賊探検3Dシアターに入ったり(結構良く出来ていて、かなり面白かった!)、ジェットコースターに乗ったり、バイキングに乗ったり、日本で言うところの横浜の八景島のような感じの遊園地?でした。

  夕方の5時ごろにホテルに帰って、オプショナルの「土ホタル見学ツアー」に行く友人たちと分かれて、残った私と亮ちゃんとぽんこつリンゴちゃんと本当は別のツアーなんだけど、わざわざブリスベンのホテルからこっちに来たももちゃんと、ヴェルディサポの団長をしているというA君と、今夜は「鍋」をしよう!と買出しに!

  ここは本当に何でも手に入ります。本だしもぽん酢も、豆腐もしらたきも七味も昆布も・・・・。ホテルはキッチンのついたタイプなので3つの部屋のキッチンをフル稼働させて、味噌鍋と、キムチ鍋と、普通の鍋を作りました。総勢20人弱くらい集まって10時過ぎから鍋大会スタート!!美味しいと中々好評でした。良かった(^^)

  そういえば、「土ホタル見学」チームが帰ってきて、「土ホタル」の正体は一体何だったのか?と聞いたら、実は「光るミミズ」だったそうです。

  あと、「クルーズ」のオプショナルツアーへ行った俊祐(中村選手と同じ名前だから「しゅんすけ」とみんなに呼ばれている)君はダイバースーツを着てクジラと一緒に泳いだ!とかなり興奮していました。現地のガイドの人もクジラと一緒に泳げたのは初めてだと、驚いていたそうです。良かったね、俊祐(笑)

  それから、同じツアーの男の人達がキャンベラのシティで買い物をしている選手を良く見たとかいう話を聞きました。誰だったかな・・・明神とヤナギと平瀬と宮本と西???がいたとか言ってたかなあ。タカを見たよ、と言う方もいましたけど。私たちは今は昼と夜が逆転した生活を送っているので、街で選手に会うことはまったくありませんでした。選手が買い物に出るのは午前中だったそうなので。早起きは三文の得とは良く言ったものだ・・・。(そういえば、キャンベラのシティのショッピングモールの広場に小さなメリーゴーランドがあって、みんな「乗りたい〜」と言っていたのですが、恥ずかしいから止めとこう、と言っていたのに、聞いた話によるとそのメリーゴーランドに「明神」が乗っていたという話が・・・・・・・(><;;ああ、真実ならば明神のイメージがぁ〜)

  今日はとりあえず,この辺で寝ます。いつも朝まで起きているのでさすがに疲れている・・・・・。

  でも、明日のブラジル戦のことを考えるとかなり緊張してきました・・・。

  とにかく、勝って、もっともっと上へ行こう!!!

  タカ!ゴールを頼んだよ!!! 

 

  2000年9月20日  「シドニーオリンピック旅行記 その10 スリリング、ブラジル戦」                  

  とうとうブラジル戦。

  この旅の最後の試合になります。

  午前中はホテルでだらだらと過し、お昼は昨日の鍋の残りをみんなで食べました。

  午後3時。ゴールドコースト出発。ブリスベンのクリケットグランドへ。

  約1時間の道中、延々と続く高速道路をひた走るバス。(日本の国土の20倍あるだけのことはある・・・)キャンベラからシドニーへ行く際のバスからも4時間中、ず〜っと牧草地を眺めていました。これだけ土地があったら日本だったら即住宅地になるよなあ・・・とか思うくらい土地がある。当たり前か。

  4時過ぎにブラジルとの決勝の地。ブリスベンへ。

  会場の回りはブルーの人の海。みんな日の丸を顔にペインティングしていたり、国旗を振ったり、ほとんどが日本人!!

  私たちの席はメインスタンド真中の前から3列目・・・全然ピッチが見えない!!!!(怒)

  ピッチとの段差がないので正面の選手達のベンチが邪魔でまったく見えず。ぶーぶー!!そういえば、私たちのちょうど真上の中2階にサブ組の選手達がいました。吉原サポのA子ちゃん大喜び!こっちに来て初めて見られたと興奮していました。(笑)

  その後、とりあえずガイドさんお勧めの「ミートパイ」を買いに行ったら、その帰りに会場から外が見える窓があり、そこに2,3人の人がいたので見てみると、ちょうどブラジル選手を乗せたバスが入ってきたところでした。しかもその窓の前に入り口があったので選手の入りが丸見え!「日本選手はもう入ったのですか?」と聞くと「まだだよ」といわれたので、「待ってよう〜」と思って、じっとしていると、しばらくして日本選手を乗せたバスが到着!外から声援が飛ぶ!!私のいた窓の周りにも日本人がどっと押し寄せる。

  私はベストポジションで写真を撮ることが出来ました・・・(笑)後でみんなに「なんであんな前にいられたの??」と言われました(笑)ホントに偶然だったんだけどねえ。

  そして、選手たちがピッチに!丸いクリケットスタジアムに「ニッポンコール」が響き渡りました。

  アップにタカ登場!そしてヤナギも!ということはやはりトルシエは2トップのシステムのままできたか!と思いました。

  そして、試合開始!!

  前半、落ち着く間もなく「アレックス」のゴールが決まってしまいました!「アレックス」だよ〜!!!!!と悔しがる!(><;)

  しかし、アトランタの時のチームと違って、今回チームは思いきり引いてきましたね。攻撃よりも守備。そしてカウンター。みたいな感じ。ブラジルじゃないみたい、というか、それほどブラジルも必死だったということでしょう。

  日本は中盤でボールがカットされるので、前まであまりボールが回らない。・・・タカまでボールがこない。展開にちょっとイライラ。

  結局、0−1で折り返し。

  後半。試合途中でツアーの人からスロバキアvs南アフリカ=1−0の情報が回ってきて、みんなで「うわ〜。スロバキアがんばっている!!」と盛り上がりました!

  浩二負傷で松田投入。ヤナギ負傷で、平瀬投入。

  タイミング的には遅かったかな・・・とも思いますが、最後40分過ぎからサミアがベンチの裏を行ったり来りし始めて、「もしかしたら、スロバキアが勝ってるのかも!?」と思ってみていたら、45分過ぎにサミアがダッシュで走ってきて、山本コーチに抱きつきました!トルシエもなんか喜んでいる!?。それを見ていて「スロバキアが勝ったんだ!!」と俄然盛り上がる私たち!!

  ロスタイムにはタカが本山と交代。しかし、そのままタイムアップ!

  スロバキアvs南アフリカ=2−1の結果がスタジアムに流れる。その瞬間、大歓声が!ブラジル1位、日本2位で決勝リーグへ!!!

  おかげでスタジアムの雰囲気は穏やかに。お互いに決勝に上がれることになったのでブラジル人たちも笑顔笑顔。

  ブラジルのサポーターとたくさん握手をしたよ!と、同じツアーの俊祐が言ってました(笑)

  帰りのバスの中では、安堵の空気が漂っていました。当初の2勝1敗通りで上がれたことをまず評価したいです。ブラジルには黒星計算だったので、かなり順当な勝ちだったと思います。予選リーグは突破が全て。ブラジルに負けてしまったことは悔しいけれど、その上に行くことがまず目標なのでそれは達成したと思います。(韓国は2勝でも得失点差であがれなかったとか・・。アジアで残ったのは日本だけだったんですね・・・。残念だ。)ただ、アメリカはかなり2トップが良いと言う話を聞いているので、一抹の不安が・・・。カメルーンとどっちがよかったかなあ・・・。

  今日のMVPはなんといってもスロバキアでしょう(笑)

  ありがとう、スロバキア!!!D組の台風の目は南アフリカでしたね(苦笑)最後まで楽しませてくれました(苦笑)

  それから、感謝したいのはスタジアムのボランティアの方々!!!みなさん、とても親切で、本当に嬉しかったです。2002年。今度は私達の国がホスト国です。世界中から訪れる人々に感動を残せるような大会にしたいですね!

  ホテルに戻ってきてからはみんなで花火をしました。今年の夏の締めくくり!(^^)というか、こっちは春だけど(^^;;

  さあ、明日は日本へ帰国です。

  決勝トーナメントは日本からエールを送ります。

  がんばれ!ニッポン!がんばれ!タカ!    

 

  2000年9月21日  「シドニーオリンピック旅行記 その11 サンキュー!オーストラリア!」                  

  朝5時モーニングコール、6時出発だったため、結局、みんなで徹夜。みんなが集まっている部屋で20日付けの日記を書きました。

  そう言えば、昨日のクリケットスタジアムからの帰りのバスでは決勝リーグであたるのが「カメルーン」がよかったか「アメリカ」が良かったか?という談義がありました。噂によるとアメリカも結構強いらしいですねえ。カメルーン選手団は昨日の日本vsブラジル戦を偵察してました。 私的には「アメリカの方が良いかなあ・・・」という感想ですが、何しろ両者とも試合を見ていないのでなんともいえません。ただ、「カメルーン」にはWYの緒戦で負けていたので(タカのゴールで先制したのに、逆転されたんだよなー!!悔しいー!)「リベンジ」したかったという感じはありました。

  さて、夜明けにいったん部屋に戻って、荷物を整理。この旅は本当に大荷物でした。冬支度だった分、服が重い重い・・・(苦)行きの空港で図ったときはトランクが確か20kgだった・・・。それに背中のリュックにカメラ(レンズが1kg)とノートパソコン(約1kg)を背負っていたため、フラフラしながら6時にロビーへ。ホント、良く荷物がトランクへ入ったよ・・・。同じへ部屋のAさんに一緒にトランクに乗ってもらって閉めた(苦笑)

  私たちのツアーはブリスベンからケアンズ経由で成田だったので、まずブリスベンの空港からケアンズへ。 

  ゴールドコーストのホテルからブリスベンへ向かう道には「HONDA」のロゴがたくさんあって、公道の脇には観客席が並んでいました。実は来月このゴールドコーストの公道を使って「インディカーレース300」が行われるそうで、その準備が着々と進んでいたのでした。

  さて、ブリスベンの空港へ。今回の旅ではこの空港に何度立ち寄ったか・・・。行きの経由もブリスベンだったし。フロアでUNOもうやったし。もう庭だよ(笑)

  ブリスベンからケアンズへは約2時間。その間お隣の席だったお二人の女性の職業は看護婦さんでした。私がこの1年で最もお世話になった職業の方々。私にとっても尊敬の対象です。私の病気の話になったときは真剣に聞いてくださいました。片方の方はジュビロサポだったこともあって、話はとても盛り上がりました。

  今回のツアーは大人数だったのでその看護婦さんの方もそうですが、全くお話しできなかった方もたくさんいました。同じツアーの人の全員を覚えることすらできなかった。昨日の試合会場でも終了後、決勝リーグ進出を喜んでいる、二人組みの女の子に「良かったね〜!!」と一緒に喜んで、「ところでどこのツアーでいらっしゃったんですか?」と聞くと、同じツアー会社で、「ええ、じゃあどこのコースですか?」と聞くと同じコースで「ええ?じゃあどこの組ですか?」と聞くと全く同じく組だったという!!(爆笑)10日間も一緒にいて全然わからなかった!

  そんなこんなでケアンズ到着。

  ケアンズ空港では最後のDFSでお買い物。みんな結構買ってました(笑)私もあのマスコットの人形を買いました(^^)

  ケアンズを午後1時過ぎに出発。グッバイ、オーストラリア!!!ありがとう、オージー!!(^^)アデレードへ向かう日本選手、がんばれ!!

  成田へ向かう飛行機の中では、Mさんご夫婦の旦那さんがゴールドコーストの日本のコンビニで買ったという「マガジン」を借りて読みました。サッカー日本代表の特集とかあって、私も亮ちゃんもぽんこつリンゴちゃんもくぎ付け。Mさんご夫婦はなんと新婚旅行でこのツアーに来ていました。南アフリカ戦の毎日新聞にキャンベラのサポーターとして旦那さんの方が写真に映っていて、ちょうど奥さんの所で切れていたので、回りのみんなも残念がっていました。せっかくの記念の新聞になるところだったのに!!

  8時間弱くらいのフライトで成田へ。飛行機の中ではおのおの友人になった方々と住所交換などをしました。

  それとこれは内緒ですが(って書いてるよ(苦笑))、帰りのカンタス航空機の中の雑誌に「イアン・ソープ」(オーストラリアの水泳選手。多分、知っている方も多いと思いますが、17歳でゴールドメダルを3つも取った王者!みんなこのソープにぞっこん惚れてしまっていた(笑))の載っている記事、凄いカッコ良い記事。写真は黒のスーツ上下に裸足。195センチの身長に35センチの足。でかい!!その記事の部分をみんな切って持って帰っていた!(苦笑)良い子のみんなはマネしないように。

  そして、とうとう成田へ到着。ちょうど亮ちゃんとぽンこつリンゴちゃんと話しをしているときに着陸したんですが、これが凄い衝撃で「ガーン!!」という感じで降りたって、上の荷物棚のカバーとかバカバカ開いて、みんな「びっくりした〜!!」と言っていたら、後ろがざわざわするので振り返ると天井から「酸素マスク」がブラ〜ンと垂れ下がっている席が!思わず機内中大爆笑!!「酸素マスク」なんて初めて見たよ!!(←当たり前!!何度も見てたら怖い。)亮ちゃん、写真撮って!!」と頼んでしまった。結構みんな面白がって撮っていた。

  そうして、ツアーの方々とは最後のお別れ。

  みんなの合言葉は「またどこかの競技場で!!」(^^)

  日本各地から参加していたみなさんはそれぞれの自宅へ帰って行きました。

  みなさん、本当にありがとうございました。とても楽しい旅でした。

  サッカーはもちろんですが、旅が楽しくなったのはみなさんのおかげです。またどこかのスタジアムでお会いしましょう!!

  日本五輪代表の一つでも多くの勝利を願って、今度は日本の地からエールを送りましょう!!

  THANK YOU、 AUSTRALIA!!!

  ps、そういえば、オーストラリアでは日本の競技を何も放送してくれなかったので、ヤワラちゃんの試合もなにもまだ見てません。TVは全部オーストラリアの選手の試合ばかり。当たり前??しかも、水泳か、ボートか、乗馬か・・・といった日本人には馴染みのない競技ばかり。改めてスポーツ文化の違いを感じました。

  ああ、早くタカの2ゴールの試合のビデオが見たいよう。

 

  2000年9月22日  「シドニーオリンピック旅行記 最後に」                  

  私事を。

  この1年。私にとっては病気との闘いの日々でした。

  昨年の夏、突然「潰瘍性大腸炎」という名前すら知らなかった病気にかかり、その病が国の特定疾患にも指定されている難病だったことを知ったとき、我が耳を疑いました。昨年の夏に40日間の入院生活、そして一旦は回復したものの、年末に再発して、そのまま再入院。秋の国立の最終予選には足を運べたのが幸運だったくらい。

  年末からは絶食、栄養点滴の辛い毎日。2ヶ月くらい何も食べられず、ただ点滴の栄養に頼って生きている状態。同じ部屋の人の食事に時間には、美味しそうな匂いに絶えられなくなって、点滴をガラガラ引いて部屋を抜け出し、リラックスルームで何も食べられない自分に涙しました・・・。

  だんだん精神的にも肉体的にも参ってきて、精神カウンセラーに付いてもらい、睡眠薬で眠る日々。

  母に「お母さん、もう私はダメだよ・・・」と涙で話すと、母は泣きながら「あなたはオリンピックへ行くんでしょう!!絶対、元気になるから頑張りなさい!」と励まされました。そうだ!私は、タカを応援にオリンピックへ行かなくちゃいけないんだ!ベッドの脇に飾ったタカのジュビロユニと代表ユニを見て、絶対に治したいと祈りました。

  いろんな辛い治療も甲斐なく、結局3月に大腸切除。6時間の手術。BJ先生の執刀でした。

  お腹には人工肛門がついていました。まさか人工肛門を自分がつけることになるとは・・・。かなりショックでした。でも、私にとって幸運だったのは、BJ先生の存在でした。先生は私のサッカー話を真剣に聞いてくれました。先生はBSの映らない病室から歩けない私を車椅子に乗せてBSの映る部屋へつれていってくれて一緒にジュビロ戦の応援をしてくれました。「タカ、がんばれー!」と一緒に応援しました。退院の前日には「ジュビロvsFC東京」の国立の試合にもつれていってくれました(^^)そして向かいのベッドにいたOさんの義理の妹さんは書店に勤めていて、Oさんの差し入れのついでにいつもサッカーマガジンとダイジェストを持ってきてくれました。

  その後、一旦そのまま退院し、2ヶ月後に閉鎖手術をするからと、自宅で療養。でもほとんど歩くことが出来なかったので、家で寝てばかり。

  そして5月の末に再びBJ先生の執刀で人工肛門の閉鎖手術。

  退院したのは6月の終わりでした。その間、またBJ先生相手にサッカーの話をする私(苦笑)先生、話についてきてくれてありがとうござました(笑)

  今年の猛暑のおかげで家からほとんど出ないまま、夏が終わり、オリンピックが近づくにつれ、両親も本当にオリンピックに行けるの?と不安がりました。でも,タカはちゃんとメンバーに選ばれオリンピックへ出場することになったため、この一年の全ての思いをかけて、オーストラリアへ旅立ちました。

  正直に言うと、不安でした。こんなに長い間、外を出歩くことはなかったし、体力も戻っていなかったので。

  でも、行ってみると、全然元気でした。いつか母が「あなたはサッカーのおかげで病気に勝てた」と言ったことがありました。本当にそうだな、と思います。  

  昨日、日本に帰ってきて、オリンピックに行って良かったと思いました。

  タカのスタメンもゴールも見られました。たくさんの新しい友人も出来ました。

  まだまだ、サッカー日本代表の試合は続きます。もっともっと闘う姿が見たいです。タカのゴールも見たいです。

  ps・・・・・・・・。

  最後に私の家族、そして親戚のみなさん、友達たち、HPからメッセージをくれた方々、病院の看護婦さん、BJ先生。そして、五輪代表に選ばれてくれた高原選手。

  全ての方々のおかげで元気になりました。

  オリンピックはとても楽しかったです。

  ありがとうございました。(^^)  

 

  2000年9月23日  「シドニーオリンピック 決勝トーナメント vsアメリカ」                  

  今日はいつもの友達たち7人とオーストラリアで知り合った2人と一緒にまたホテルを取って観戦しました。

  まず、結果から。2−2、PK戦の末、日本五輪代表は準々決勝で敗れました。

  日本はメダルに届きませんでした。

  敗因はいくつもありました。その中で気になることを・・・。

  1、まず、前半。日本が攻勢をかけている間に柳沢の得点後、追加点を取れなかったこと。

    これに関しては、攻撃陣に問題があったわけで、もちろんその一角を担っているFWであるタカの責任は大きいと思います。

  2、交代枠を2つ残したまま終わったこと。楢崎の負傷のことも考えて、1つ分残したことは分かるとして、延長戦の足が止まった際に、どうしてあと一つを使わなかったのか。

  この2点です。

  酒井のPKと、延長後のPK戦に関しては、勝負の運なので何も言えません。

    

  さて、この大会の総括を。

  タカは3得点。日本チームの中では最多得点です。欲を言えばもちろん、もっと取って欲しかったですが(^^;;

  でも、タカの得点や動きがチームに貢献したことは確かだし、この大会前に「高原直泰」という名前を知らなかった人にも、タカの名前を知ってもらうことが出来たことは嬉しかったです。

  例えば、W杯やオリンピックだから「サッカー」を見る人がいるとします。その人たちは普段Jリーグなど見たことがないかもしれない。

  しかし、今日のような試合を見て喜んだり、興奮したり、ハラハラすることによって「サッカー」を知ってくれたら、彼らの闘いも無駄ではないと思います。(まずは日本の国内において)

  それから、サッカーを好きだという人の中にも、99年のWユースの試合を見ていなかった人もいると思います。

  あの、闘いも本当に苦しかった。よく、簡単に「99年Wユース準優勝組」の「高原」とか「稲本」とか言われますが、「準優勝」を勝ち取るまでに、彼らは厳しい闘いを勝ちぬいて来たのです。今日と全く同じく決勝トーメントの1回戦のポルトガル戦では、1−1のまま延長戦を迎え、それでも決着がつかずにPK戦にもつれこんで、勝利したわけで、その後の準決勝のウルグアイ戦では長いロスタイムをウルグアイの猛攻を耐えて耐えて、勝ち取ったのです。そして決勝戦ではスペインに完敗。

  そんな経験を積んでの「準優勝」だったのです。

  もちろん、その他にも97年のWユースを経験したり、前回のオリンピックに出場したメンバーがいたわけで、全ての選手がそれぞれの経験を持って臨んだ大会でした。

  選手たちが経てきた国際経験から言えば、まさしく史上最強の五輪代表だったと思います。

  結果は世界のベスト8。メダルには届かなかったけれど、選手は決して手を抜いたわけではないし、采配に疑問はあったとはいえ、タカをずっとスタメンで使ってくれたトルシエ監督には一言「ありがとう」と言いたいです。

  これで、彼らのサッカーが終わったわけではありません。

  これから、ずっと続くのです。アトランタに出場した選手の中でA代表に残っている選手が何人いるか?良く言われる言葉です。

  彼らはこれからA代表への階段を上がらなければなりません。海外へ行きたい選手もいるでしょう。

  闘いはずっと続きます。

  タカが好きだと言ったミスチルの歌。「終わりなき旅」のように。

  「もっと大きなはずの自分を探し」に、努力して欲しいです。

  シドニー五輪代表選手たち全員に、お疲れ様でした、そして、もっとがんばれ!!と言いたいです。

  ・・・タカ、3ゴール、おめでとう。本当はもっと決めたかったと思いますが、タカのゴールをオリンピックで見られたことが嬉しいです。

  まだまだ、先は長いです。2002年も2006年もあります。世界の大舞台にタカの姿がいつもありますように。

  いつでも信じて応援しています。 

  私のシドニーオリンピックは今日、終わりました。    

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