my favorite その5

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2000年12月31日  「20世紀 日本代表ベスト5」                           

  さあ、今世紀もあと数時間。ということで20世紀のサッカー日本代表試合のベスト5を独断と偏見で選んでみました。独断と偏見なのであしからず。

   ベスト5:93年アメリカW杯アジア予選 日本vsイラク

  ☆「ドーハの悲劇」を私は当時家族でテレビ東京の生中継を見ていました。ロスタイムの得点が入った時、家族中で固まりました。サッカーの、スポーツの残酷さを思い知った瞬間。

   ベスト4:2000年シドニー五輪 日本vs南アフリカ

  ☆初めて生で触れたオリンピック。どうして人はオリンピックに夢中になるのか。少し分かった気がしました。参加してこそ意味がある。というのはまさにオリンピックのことを言うのですね・・・。
  キャンベラのブルーススタジアムで見た、この試合はとてもスリリングでしたがタカの2ゴールで試合の決まったタカサポにとっては忘れられない試合でした。

   ベスト3:99年ワールドユース 準決勝 日本vsウルグアイ

  ☆99年ワールドユースの試合は全て印象深いのですが、やっぱり一番しんどかったのと(見ていて寿命が縮んだ)、決勝進出が決まった嬉しさとが最高に入り混じった試合でした。タカのゴールも最高だった。一緒に見ていた友人一同大号泣、そして会社に行くまで(時差で日本は真夜中の中継)みんなで泣きながら(嬉しくて)飲んだ印象深い試合。(笑)

   ベスト2:98年フランスW杯 日本vsアルゼンチン

  ☆日本が初めてW杯を闘った試合。(チケット事件に巻き込まれてフランスへ行けなかった私・・印象深い大会)この試合を私は浦和の公園の特設会場で見たのですが、周りはとても興奮していて、内心なんでそんなに騒げるのか謎だった・・・。とにかく私は緊張して立っていられなかった。(倒れる勢い)私が緊張しても仕方ないんだけどさ。大きなビジョンから「君が代」が聞こえた時、号泣した。

   ベスト1:97年フランスW杯アジア予選第3代表決定戦 日本vsイラン

  ☆忘れもしない「ジョホールバル」。この年の夏、偶然旅行でマレーシアに立ち寄った時、ジョホールバルへ訪れていた。あの場所がまさか決戦の舞台になるとは・・・。4年前のことがあったので、この日は家族がそれぞれ自分の部屋のテレビで観戦。もうこの日は朝からずっとそわそわしていた。決まった瞬間、家中から「やった〜!!!」との叫び声が!!その夜は興奮して眠れず。だいたいこの予選は本当にイライラの募る道のりでした・・・。UAEに引き分けた時から苦難の道のりが始まった!「ジョホールバル」には会社の友人達がたくさん駆けつけていてニュースやワイドショーに映るのが面白かった。一生忘れることの出来ない試合。ベスト1はやっぱりこれです。
             

 

  2000年12月27日  HP 倖せの隣り」                           

  私のお世話になっているHPで、まみやさんの管理されている「倖せの隣り」というHPがあります。

  まみやさんはUC(潰瘍性大腸炎)の患者さんです。もう10年近くこの病気と向き合っていらっしゃいます。何度も入退院を繰り返されるという苦労をされながらも、ご結婚をされ、お子さんの育児をされたり、そのバイタリティにはただ感服するばかりです。

  私がUCとの診断を受けたとき、最初にしたことはこの病気について調べることでした。インターネットでたくさん調べました。そしてこのHPと出会いました。掲示板にはたくさんのUCの方々が治療の薬のこと、食事療法のこと、仕事のこと、生活のことを語っていてとても励まされました。

  UCの食事療法はとても難しくて食べてはいけないものがほとんどなので(油もの、野菜、きのこ類、脂身の魚、カレー、ラーメン、etcetc)、とてもストレスが溜まります。

  ある時、掲示板で「カレーが食べたいなあ」という書きこみがありました。するとたくさんの方が一緒に「食べたいなあ」と言っていました。私も「食べたいなあ〜」と遠い目をしました。それに対して「カレーの王子様みたいなのをすごく薄めて食べたら大丈夫(大腸が)だったよ」という返事があり、「私もやってみよう!」と薄いカレー風味のシチューを作って食べました。本当に美味しかった。たくさんの方がそれを見て「久々にカレーを食べられて美味しかった」と言っていました。

  こんな些細なことでもとても嬉しかったです。同じ苦労をしている人たちの言葉は本当に勇気付けられました。

  私は大腸切除をしたので今はもう食事療法や薬もないのですが、UCを体験した患者として、健康である人々にもこの病気のことをもっと知って欲しいと思います。そして今UCで苦しんでいる方もぜひ頑張って欲しいと願っています。

  今年一年のほとんどを病院で暮らしたあの体験をぜったいに忘れないでいようと思います。

  みなさんが健康でありますように。

  まみやさんHP 「倖せの隣り」 潰瘍性大腸炎の発症から長期緩解まで

  

 

   2000年12月23日   今シーズン終了」                           

  天皇杯5回戦。ガンバ大阪戦。

  立ちあがりから磐田のパスサッカーは良い感じで回る。・・・しかし、今日はこの「パスが回る」ことに全て尽きてしまった。 

  パスが回るだけで攻めきれない!!J最終節で大勝してしまったのがとてもこの試合に響いているような気がしました。パスも回ることで気持ちに余裕がある分、「多分勝てるだろう」という気持ちだけで時間が過ぎてしまった感じでした。

  10人になったガンバの方が集中が切れなかった、そして数少ないチャンスをものにした。サッカーの試合で良く見る、劣勢のチームがワンチャンスを活かして勝利するという典型的パターン。

  今日の山西はまったくクロスが悪かった!西と奥のポジションチェンジには新たな武器としてもっと磨いて欲しいなと大期待。あとは福ちゃんがもっと活きる方法を探るべき!

  まったくもって悔しい!!!(怒)どうして天皇杯には縁がないんでしょう??謎だよ、本当に。

  これで、タカの元旦復帰もなくなってしまった。残念無念。タカの姿を試合で見られるのは一体いつなんでしょう。

  今日は、あと大学ラグビーもあったのですが、花園で明治は同志社に負けてしまった。大敗だった・・・。・・・予想できたことなんだけどさ・・・ちくしょ〜う。4年生の最後の試合。見たかったな〜。桜井も滝沢も後藤も泣いたのかな・・・(涙)最後に国立に帰ってきて欲しかった。

  ジュビロも明治も勝ってたら元旦も2日も国立だったのに〜!!!(涙)

  こうなったら年末年始は高校サッカー三昧してやるーーーーっ!!!!(って毎年だよ)   

 

   2000年12月22日   モバイルのすすめ」                           

  最近、欲しいもののひとつに携帯モバイル機!があります。サンタさん、良い子にしているのでプレゼントして下さい。(祈り)  というわけで、モバイル機のカタログとにらめっこしています。

  最近は携帯電話からもインターネットできるのですが、私の携帯電話からはうちのHPは見れません。因みにJ−PHONE&PHS(モバイル用)。このHPはezだと見られます。

  携帯とPHS以外にモバイル機を持つというとても効率の悪いことをしようとしている。情けない・・・。

  自宅には3台PCがあるのですが、主に利用しているのはSONYのVAIO、デジカメの付いた小さいシリーズのものなので旅行に持っていくのに便利です。オリンピック中にオーストラリアからうちのHPを更新していたのはこれを持っていっていました。あと本体の方は基本的にゲートウェイのPCなのですが、オリンピック前に液晶のバックライトが切れた!ので仕方なくVAIOを本体で使っています。あとはデスクトップの富士通。

  オリンピック中、同じツアーの方でPCを持ってきていた方が何人かいらっしゃったのですが(みなさんHPの管理人さんでした)、全員VAIOでした。やっぱり小さいので持ち運びが便利なんでしょうか。お互いVAIOだったので接続方法を聞きあったりして助かりました。海外モバイルする時にはやはりVAIOがお勧めです。

  モバイル機は小さくて軽い!が一番です。なんだかんだといって重さには勝てない。さすがのVAIOは頭が良くていいのですが、やはり重い。いつでも持ち歩くわけには行きません。ということでもっと小さいのが欲しい!のです。 

  私のモバイルへの模索はまだまだ続く・・・。素直にezを持てば良いのだよ・・って・・・・。

  あ〜あ、カメラも高倍率のデジカメが早くもっと出ないかな〜。軽いやつね・・・。    

 

   2000年12月17日  サッカーから見る世界の国 ・・・朴康造」                           

  今日はTVで天皇杯を見ました。BS放送だったのですが、先にやっていたガンバvsレイソル戦がPKまで行ったので、遅れて放送。それにしても、PKでGKが蹴ったのを私は初めて見ました(汗;;)都築vs南・・・かなり因縁の対決だった・・・。

  さて、その後、磐田戦。名古屋はどうも調子を崩しているだけに、絶対に負けられない試合。・・・というか決勝でタカの戻ってくる可能性がある限り、絶対に元旦の国立まで行ってもらうしかない、と思っている。(当然)

  これをいうのは本当はちょっとあれなんですが、やっぱり名波がいるといないではパスのリズムが全然違う・・・。昨年の2stを思いきり苦心したのもさもありなん・・・です。今のジュビロのパス回しの良さはやっぱり彼のおかげでしょう。ジュビロのパスサッカーが戻ってきた!(^^)そして、前田くんの登場。これから磐田を支えていくだろう若きエースです。(^^)

  ジュビロの試合の裏ではフジテレビでシドニー五輪の裏物語の番組をやっていました。そこで取り上げられていた選手の中に、韓国五輪代表だった朴康造がいました。カンジョは昨年まで京都パープルサンガに所属していた在日3世。

  カンジョについてはいろいろサッカー雑誌でも詳しい話が特集されていたのでどういう経緯でこうなったかはご存知の方も多いはず。五輪前の取材でカンジョが「祖国は日本」といっていたのが、五輪後、「祖国は韓国と日本の両方」と言ったその言葉にいろいろな想いがあるのだろうと苦労を推し量ることが出来ました。

  カンジョのように苦労している在日の選手はこれまでにもたくさんいたのですが、私の最近知っている選手ではやはり横浜の岡山くんでしょうか・・・。彼は日本国籍を取ることを選びました。それとは別に清水のアレックスが日本国籍を取るとか。とてもデリケートな話なので一言ではそのことを表現することは出来ません。でも、みんなサッカーすることを考えた上で選んだ道です。

  サッカーを通じて世界を知ることがとても多いような気がします。例えば韓国との問題。例えば中東問題。例えばユーゴスラビア情勢。(ピクシーの自伝はとても辛い話でした)サッカーの試合を見るために私が出かけた海外の国々。

  世界で最も愛されているスポーツ「サッカー」が担う役割は、とても大きく重いのだと改めて思い知らされた話でした。 

 

  2000年12月16日  「続 ラグビーなお話し」                           

  第37回全国大学選手権。といってもまたラグビーです(^^;)今日は1回戦の日。秩父宮へ。明治vs日大。

  日大の応援はサッカーの応援のパクリである。「・・・のトライが見た〜い!」と歌っている。ちょっとウケた。(爆)

  ラグビーの観戦客は全体的に年齢層がとても高いです。老夫婦がそろって観戦というのはざら。おばあ様もちょっと興奮して「いけ!」と小声で叫んでいます。(^^)あとは学生とOBたち。

  ラグビーがサッカーと違っているところは役割分担がとてもはっきりしている所でしょうか。ラグビーには大きくFWとBKのポジションがあるのですが、FWは前でスクラムなどを組んだりする所謂「大柄」の人が多く、BKはFWよりも細身でトライなどをする足の速い選手が多いです。

  それからサッカーと共通する点では、ラグビー選手は結構、サッカー経験者が多い、という所でしょうか。慶応大の主将の和田くんは茨城県鹿嶋市の出身。そう、アントラーズの本拠地。彼も小学校時代はサッカーをしていて同じチームには1つ年下の曽ヶ端がいたそうです。

  試合は日大が先制し、そのまま得点を重ねる・・・。私の眉間にもしわが入る・・・。どうなってるの、明治!!(怒)なんとか逆転して、ハーフタイム。ラグビーは40分ハーフ。

  後半、トライのチャンスが来ても、明治はキックでのゴールにこだわる。「FWの明治」も今年はまったくその面影なしか・・・。キックでのゴールにしてしまうのはFW力に自信がないから・・・・。とりあえず自力で日大を引き離し、勝利!今日の私のナイスな選手はフルバックの瀬田くんでした(^^)。

  大学4年生にとってはこれが最後の試合。

  ノーサイドになって負けた日大の選手たちが泣いていた・・・。これこそまさに松任谷由美の「ノーサイド」。

  長い〜リーグ戦 締めくくるキックはゴールをそれ〜た〜(涙)

  アマチュアスポーツの醍醐味ですねえ。あ、ちょっと年よりくさい・・・(><;;そうだ、もうすぐ高校サッカーだ。今日はテレビで特番やってました。ビデオに撮ったので後で見よう。あの「君は美しい」もフレーズを聞くと思わず熱くなってしまうんですよね。(苦笑)

  明治は次は花園で同志社と・・・。苦しい!はっきりいって苦しい。相手は優勝候補。今日のような試合をしていては絶対に苦しい。

  もう一度、明治の試合が見たいのだよ!正月に国立で見せてください!打倒!同志社・・・う〜苦しい・・・。(しつこい)  

 

   2000年12月3日   「ラグビーなお話し」                           

  関東大学リーグ対抗戦。早稲田vs明治。といってもラグビーです。(^^)

  サッカーとラグビーの源が同じイングランドの遊びであるということは後藤先生の「サッカーライター講座」で学んでいたのですが、それにしもてラグビーのルールのややこしさは一体全体・・・・。

  足と手という違いはあるものの同じ球技。そのスポーツマンシップには共通点があると思います。

  私の勤める会社にはサッカー部もラグビー部もあるのですが、サッカー部はよくフットサルの試合を見に行き、ラグビー部は前にいた部署の人々がラグビー部の人が多かったので休日の荒川河川敷での練習見学に強制されたり(汗)、社会人リーグ戦の応援に狩リ出されたりしました。(全部強制では・・・)それにしても、私に「やってみる?」と言うのはどうよ・・・。「絶対に無理です」きっぱり。と答えた私の身にもなってちょうだい。

  そのラグビーのルールは本当に分かりにくくて「どうしてボールをどんどん前に出さないのか?」というごくサッカー的なオオボケな私の質問に、「ラグビーは前にパスをしてはいけないんだ」という答えで黙らせてくれたラグビー部の方々。すみませんねえ・・・(汗)

  あ、でもこの間(って、1年前)のラグビーのW杯の決勝は見てました(^^)

  さて、今日は大学ラグビー早明戦。

  NHKでの放送を温かい部屋で観戦。これが至福・・・。(^^)

  ・・・・しかし、やっぱりルールがよく分からない・・・・。あのスクラムを組んでボールを蹴り出すのはどういう基準でボールが回るのだろうか・・・。素朴な疑問・・・。

  明治のルーキー陣川くん!出場停止の桜井主将の分の奮闘!中々の大物ぶり。これからが楽しみです。試合はずっと明治の応援。試合は接戦の末、早稲田が勝ちました。

  冬空の国立もかなり埋まっていました。今度は国立に明治の試合を見に行こうかな。ねえ、亮ちゃん。(笑)

  それにしても、後藤くん。君はとても異色だよね・・・。(苦笑)

 

    2000年11月28日  「トヨタ杯 レアルvsボカ まったくもって寒すぎる!!」                           

  今年もトヨタ杯の季節がやってきました。

  毎年、会社をダッシュで退社して途中のコンビニでおにぎりを買い国立へ着くと同時にパクパクと食べる。というこれが恒例。

  国立へ着くといつものJや代表戦とはちょっと雰囲気が違う。(^^)会社帰りの背広姿のサラリーマンや出場クラブのマフラーを巻いた親子、はるばる海を越えてやってきたクラブチームのサポーターな外人さんたち、などなど。

  今年はスタジアムに入った途端、「何?このボカのサポーターの多さは・・・」という雰囲気に圧倒される。

  試合開始前にゴール裏に広がったビックフラッグには「でか〜・・・・・」と私もリンゴちゃんもダメ学生くんも亮ちゃんもあんぐり口で見つめるばかり(苦笑)あのフラッグをアルゼンチンから持ってきたのか?はたまた日本で縫い合わせたのか・・・?私たちの議論は続く・・・。

  さて、試合開始。有名どころしか分からない自分としては、「ラウル」はどこ??とまず双眼鏡を覗く。しかし、そうしているうちにもパレルモの電光石火の得点は決まってしまう。「これは一体、ボカは何点決めるんだ・・・」という想いが立ち込める矢先、左サイドを突破してきたロベルト・カルロスが「今のは何???」とまたあんぐりとするようなゴールをあっさりと決める・・・。

  そういえば「古賀誠史」が「和製ロベカル」と呼ばれたことがあったよな・・・と遠い目をする。

  その後はフィーゴのプレーにいらいらしたり、リケルメの方が断然良いじゃないか・・・。と思ったり・・・。

  試合はボカの勝ち!子供のようにはしゃぐ選手たちに「世界一おめでとう・・・」と羨ましい視線を投げかける。  

  試合中、近くの席で暴れまわっていたボカサポーターの外人さんたちは感極まった様子。(叫ぶと一人で女の子20人分くらいの発声量がある。その声が羨ましいよ・・・)

  それにしても寒かった・・・。久々に凍るかと思いました。これからは冬の観戦。防寒準備は怠らないようにしないと。

 

   2000年11月26日  「2000年Jリーグ最終節 磐田vsG大阪」                           

  2000年Jリーグ最終節。タカの活躍を期待して取ったこのチケット。しかし、その勇姿を見ることは出来なかった・・・。

  15:00磐田スタジアムキックオフということで「のんびり高速バス」で行こうかねえ、という打ち合わせは私とリンゴちゃんとダメ学生くんの全員(亮ちゃんは風邪欠席)が遅刻という失態により新幹線に。(恥)これが今日の不運の始まりだった・・・。

  リンゴちゃんもダメ学生くんもG大阪サポ。そして、磐田で会う予定の知人たちもみんなG大阪サポ。自分の磐田サポの友人の少なさにちょっと寂しい・・・。(自業自得)

  浜松まで行って、在来線で磐田へ。試合開始までに余裕の到着。

  開始前には大阪からきた友人達とご挨拶。(^^)

  試合を待つ間、その暑さにちょっとげんなり。西日が強いのよ、磐田のバックスタンドは・・・。寒さを見越して防寒してきたのがアダとなる・・・。ベンチコートは足元に丸める。(しかし、これが後で役に立った)リンゴちゃんとダメ学生くんは「これじゃあ、おととい(23日)の万博並に暑い!!」とご立腹。

  試合は磐田の「中山隊長に得点王を!!」この一色!とにかく最後は「中山!!」。ということは分かっているはずのガンバはまったく対処できず。宮本も途中退場で、打つ手ナシ・・・。

  私は試合開始とともにベンチ横に座るタカを発見し、磐田にチャンスが訪れる度にカメラを覗きながら「その時のタカ」といって試合を見守るタカの観察していた。(危ない??)

  西くんのちょっと相手を小バカにしたようなパスで中山隊長の2得点目が決まる!これで「得点王は決まったでしょう!!」(^^)という喜びも、隣のリンゴちゃんとダメ学生くんの不機嫌さの前に披露できず・・・。二人はしきりに「自分たちの知っているころのガンバに戻ってしまった」と呟く・・・。それって・・・。

  試合終了。国立の鹿島vs柏が無得点で延長に入ったので「中山隊長、得点王!」が決定!いえ〜い!(^^)

  場内挨拶ではタカも元気にご挨拶。(^^)早く元気になってください!

  さて、帰り。またもや高速バスに乗ろうとした私たちは高速のバス停までのタクシーを待つ。ここで1時間の待ち。辺りはだんだん暗くなる。昼間の暑さがウソのように寒さが・・・。

  ようやくついたバス停で東京行きの最終便を待つも、既に10人ほどの待ち人が・・・。「乗れないかもしれないねえ」という予感がビンゴ!(爆)私たちと同じくバスに乗れなかった東京からきたというG大阪サポのお姉さん2人組みとともに、そのまま再び磐田タクシーを呼び、磐田駅へひき返す。一苦労。

  すっかり帰りのラッシュも収まった静かな磐田駅。今ごろ電車に乗る観戦者はさすがにいない。閑散としたホームで電車を待っていると、ふと見なれた姿の男性が・・・。??あれ?山西くんでは??と良く観察するとやはり!手には記念品と花束。今日はお疲れ様でした。と思いながら、サインを貰う(笑)

  そのまま、新幹線で東京へ。帰りはその先ほど知り合ったばかりのガンバサポの方と語らいながら帰宅。しかし、サポ率でいうと4対1だった。ジュビロサポは私だけかい・・・。さらに寂しい・・・。

  隊長も得点王だったし!タカの姿も見れたし。大変だったけどまあ良しとしよう!と思った2000年最後のJ観戦でした。(^^)  

 

  2000年11月9日  「眼窩底骨折及び頬骨骨折について」                           

  タカが昨日の2000年Jリーグ2st11節FC東京戦にて顔面骨折の怪我を負いました。

  五輪の1次予選の時にも、怪我の内容(フットボーラーズ・アンクル)について記載しましたが、今回も私たちサポーター自身が知っておかなければならない知識として、今回の高原選手の怪我について調べました。以下、各医療関係のHPよりの引用です。

  ★眼窩底骨折について★

  顔面外傷

  顔面外傷にて見逃してはならないのは次の二つである

  吹き抜け骨折(Blowout fracture)

  眼窩底骨折にて起こる.上顎部を打撲していると周囲の腫脹が強く,眼球運動が見にくいこともあるが,必ず上転視(上を見させる)させ,眼球運動の左右差を見ながら,複視が無いかどうかのチェックをしなければならない.受傷側に上転障害が起きる.二週間以内に処置を行えばよく,全身状態が落ち着いたら,眼科医もしくは形成外科医に相談する.

  「宮崎市郡医師会病院ホームページ」改め救急治療室ホームページ

  ★頬骨骨折について★

  頬骨・頬骨弓骨折

症状と所見

容貌:頬骨部が扁平,頬骨弓部の陥凹.外眼角部の下降(頬骨の下方転移であった場合).

眼症状:眼球運動障害と複視(blowout fractureの不純型).

知覚障害:眼窩下神経支配領域にみる.

開口障害:骨折片が側頭筋を刺入,圧迫している場合以外は経過とともに軽快する.

治療

麻酔:全身麻酔.ただし,頬骨弓骨折に対するGillesの側頭切開法は局所麻酔でも可能.

整復の時期:全身状態が許す限り早い方がよい.遅くとも1週間前後に行う.1ヶ月以上経つと整復に骨切りが必要となってくる.

整復:

Gillesの側頭切開法:頬骨弓骨折に用いる.側頭筋膜深葉と側頭筋の間にエレバトリウムをいれ,頬骨弓後面に達して整復する.

観血的整復法:

   下眼瞼切開:経下眼瞼切開法で眼窩下壁の骨折部に到達.逸脱した眼窩内容を元に戻した後,シリコン板あるいは自家骨片で骨欠損部を覆う.

眉毛外側切開:頬骨前頭縫合部の転位に対して.顔面神経の枝に注意.

固定:骨折部の固定はステンレス軟鋼線やキルシュナー鋼線を用いる.

固定期間:キルシュナー鋼線抜去は約6週.

参考文献:伊丹康人・西尾篤人(編),整形外科MOOK(16)「骨折」,金原出版

 

  2000年10月31日  「中山雅史」                           

  Jubiloのサポーターマガジン。Vol、30。

  この中で今「連載 中山雅史」という時見宗和氏のコラムがあります。タイトルは「200パーセントの欲求」今回のテーマは「いくつかの事実、いくつかの真実」。

  内容はジュビロのフィジカル・セラピスト(理学療法士)のオランダ人のマルコ・ファンデル・スティーンさんから見た「中山雅史」でした。 

  私はこの記事の中で、愕然とするくらいの気分を味わったのはマルコ氏の目に映る中山像とはどのようなものか?という問いに対する回答です。

  答えはこうでした「一言で言えばオール・オア・ナッシング。生きるか死ぬか。すべてに関して」

  これが、中山雅史というプロサッカー選手なんだ。日本で唯一W杯でゴールを挙げた選手なんだ、と思いました。

  タカは最近「中山」に似てきた。と、言われていますが、私は似てきたのじゃなくて、中山雅史という選手のプレーを吸収してきたのだと思っています。

  タカは中山にはなれない。タカはあくまで高原直泰というプロのサッカー選手です。他の何者でもありません。

  でも、一番身近に最も尊敬すべき選手がいることはタカにとって、とても幸福なことだと思います。

  「生きるか死ぬか」。中山の泥臭さはここから来ているのです。タカには「生きるか死ぬか」のプレースタイルは求めません。でも、それを見に付けて欲しいと思います。

  12歳年上の大先輩の生き様を真摯に見つめて欲しいです。

  そうすれば10年後、タカは中山雅史という選手を超えていける選手になれると思う。なって欲しいと思う。

  中山−高原という2トップが日本で最高のFWであることを証明するために、残りのJでの活躍を期待しています。

  ゴン隊長、そしてタカ!日本最強の2トップで相手を粉砕してください!!!  

 

  2000年10月30日  「アジア杯優勝!ベストイレブン!そして、これから!」                           

  アジア杯が終わりました。日本の優勝!!

  緒戦のサウジ戦から日本は圧倒的な攻撃力で勝ち進みました。

  その一角を担っていたのはもちろん「タカ」でした。タカはカタール戦以外は全てスタメン出場。オリンピック、JOMO杯、アジア杯と長い長い闘いを潜り抜けてきました。

  この大会でもタカは「結果」を残しました。5ゴール。アシストもありました。

  大会前にこの大会でゴールがなかったらオリンピックの結果が無しになってしまう。と思っていた分、とても嬉しい結果でした。

  ただ、私にとって不満なのはタカを「アジア杯で成長した」とか「オリンピックで成長した」とか言う評価です。

  タカはそれぞれの大会で急激に成長したわけではないと思います。WYでもタカはチーム最多の3ゴールを挙げました。オリンピック前のジュビロの試合でもタカはずっと好調でした。体調管理も完璧で、万全で臨んだ大会でした。だから、この2つの大会の結果は「急激な成長」なわけではなくて、当然の結果だと思うのです。

  タカはタカらしくプレーしていました。前へ前へ。

  「いつでもゴールを狙う」というタカの発言は大きく取り上げられましたが、タカは急にこの言葉を言い出したわけではなくて、ず〜っと以前からいつでもインタビュー等で「ゴールするのがFWの仕事」と公言していました。

  だから、全てがタカがタカの信じる道を進んだ結果なのです。

  アジア杯はベストイレブン。得点王は李東国に奪われましたが、それに次ぐ5得点。素晴らしい結果だと思います。(本人はもっと取れたと思っていることでしょうが・・・(苦笑))

  李東国は私にとってのタカの最大のライバルです。アジアユースを見たときから、日本が韓国に2度負けてから、同じ歳の李東国という韓国のFWの選手と高原直泰という日本のFWの選手がいつか「アジアNO1」のストライカーの座を争って欲しいと思っていました。それは「伝説の記憶」のアジアユースの中でも書いたとおりです。

  タカはそんな期待をどんどんとクリアして行ってしまいます。もしかして私の期待が小さすぎたのか?と思うくらいに。

  アジアユースが終わった夜、日本が韓国に決勝で敗れた夜。選手たちのホテルでは日本と韓国の選手たちの交流会があったそうです。

  そこで、東国は「またお互いにこのメンバーで2002年に闘いたい」と言ったそうです。

  タカや伸二やイナや東国や殷中などが集まってユニフォームを交換したり(確か東国は伸二と交換したって書いてあったような・・・。タカは殷中だったのかなあ・・・??)朝まで語り合ったエピソードはとても心に残っています。

  タカはこれからも彼の信じる道を進んで、W杯という最高峰の舞台でそのプレーを見せて欲しいと思います。2002年だけではありません。2006年もです。

  タカの闘いはまだまだ続きます。

  彼の成長の速さに置いて行かれないように。その瞬間をしっかりと目に焼き付けながら、応援したいです。

  タカ、オリンピック、アジア杯。本当にお疲れ様でした。そして、感動をくれてありがとう!!

  次はJリーグ!優勝、頼んだよ!(^^) 

  そして、来年は世界との闘い!世界へ飛び出すチャンスを逃すな!!!(^−^)/

 

  2000年10月22日  「それぞれの闘い」                           

  昨日、今日と日本のサッカー界では、ある重要な試合がありました。

  昨日、コンサドーレ札幌のJ1昇格が決まりました。関東大学リーグでは筑波大が優勝しました。

  そして、今日、J1昇格へのもう一つの座をかけた大分vs浦和の試合がありました。

  札幌には播戸、湘南には高田、筑波大学には石川、鶴見、大分には加地、浦和には永井、そして小野。

  特に、播戸はタカと一緒にFWとしてアジアユースを闘いぬいた仲間、そして、雄一郎と高田はナイジェリアで世界を闘った仲間。

  バンと雄一郎はそれぞれゴールを挙げ、チームの勝利に貢献しました。

  今、タカはA代表としてレバノンでの闘いの途中です。オリンピックにも出場しました。

  タカが日本代表に選ばれることは、タカのファンにとってはとても嬉しいことです。でも、それはこうした仲間をライバルとして勝ち取った結果なのです。「日本代表」に選ばれるということは常に「選ばれなかった」ライバルたちがいるということ。彼らだってオリンピックに出場したかったはず。当然、A代表も。

  しかし、勝負の世界ではそれはごく当たり前のことです。実際、伸二やイチ(帯同)が「フランスW杯」に選ばれた時、タカやイナはどんなに内心「悔しかった」だろうか・・・、ということは容易に察することが出来ます。

  バンのゴールも雄一郎のゴールも私にとって嬉しいゴールでした。ライバルだけど仲間。ずっと見つづけてきたあのチームで闘った、仲間です。

  タカが「日本代表」として戦う限り、私はこうした「仲間」に決して恥じないプレーをして欲しいと思っています。「代表」というものの影にはいつでもこうしたライバルがいるのですから。

  タカが代表の試合を一つ終える度に「今日のタカは恥ずかしくないプレーだっただろうか」「彼らが見て納得されるぐらいのプレーだっただろうか」と思います。

  タカだっていつライバルに追い越されたりするか、分かりません。そんな時、もしタカの代わりに選ばれた選手が不甲斐ないプレーなんぞした日には私は多分「怒り狂う」でしょう(苦笑)「ふざけんな、そんなプレーするくらいだったらタカに代われ〜!!」と。

  だから、タカには精一杯のプレーを見せつづけて欲しいです。まあ、私がそんなことを言わなくたって、いつでもやってくれる選手ですが。(^^)

  仲間たちもみんな、それぞれの闘いを見せてくれています。   

  タカも。自分の持っているすべての力のプレーをどうぞ見せてください。  

 

  2000年10月11日  「本当の闘い」                           

  いよいよ、明日からアジア杯が始まります。

  急成長していると言われる日本がアジアでとれだけの結果を残せるのか。2002年を見据えたA代表での闘い。

  タカは、オリンピックで3ゴールを挙げました。FWとしての結果を残したと思っています。

  しかし、このアジア杯の結果次第ではオリンピックの活躍も「無し」になってしまう恐れもあるだろうと思っています。

  もし、タカがこの大会無得点で、西澤やヤナギが得点を挙げたら、マスコミやサポは一斉に彼らをA代表のエースだと、話題にするでしょう。

  もちろんFWの仕事は「ゴール」である以上、それは当然です。

  だからこそ、タカにはこのアジア杯でなんとしても頑張って欲しいのです。

  以前にも書きましたが、タカは21歳。A代表最年少FWです。タカには他のFWの選手達と年齢差分のJでの経験がありません。それでも彼は各年代の世界大会、そしてジュビロでの活躍で「A代表FW」の座をもぎ取りました。

  タカがしきりに「ゴール」という言葉を口にするのは、年齢に関係なく「結果や実力」を見て欲しいという心底の要求なのではないかと思います。

  年齢順で見られたらタカはまず不利ですから。背番号が良くそれを語ってます・・・。タカが「29番」・・・。「9」がつけば良いってもんじゃ・・・。(怒)サッカーには年齢は関係ないんだと言う証拠をどうか見せ付けて欲しいです。「私の中での『9』はいつでもタカです」

  タカ!!自分の信じるプレーでゴールを挙げて、A代表FW不動の地位を確立して下さい!

  がんばれ!!いつだって信じているよ!

 

  2000年10月5日  「応援について」                           

  「Number NO、507」号を読みました。

  この号はオリンピックの総集編の形で、いろいろな競技の記事が満載でした。サッカーも検証記事を後藤健生氏が書いており、いろんな意味でオリンピックを振り返ることのできた興味深い号でした。

  その中で、私の心に残った記事が二つありました。

  一つは金子達仁氏の記事、もう一つは杉山茂樹氏の記事。両方とも日本人の応援についての記事でした。金子氏は日本人の「声量」についてを語り、杉山氏は「応援の雰囲気」について語っています。

  私には応援について、過去とても気に掛かっている試合があります。

  それは、1998年U−19アジアユースがタイのチェンマイで行われた中の、予選リーグ最終戦、対韓国戦でのことでした。

  日本代表の試合とはいえ、ユース、しかも海外ということで、日本から駆けつけたサポーターはせいぜい3,40人位。鳴り物も何もない私達は自分自身の声と手拍子をフル回転させて、必死に応援していました。それでも、韓国戦までは、地元タイの人々の「日本びいき」のおかげで何とか日本の応援が相手チームの応援を上回っていました。

  しかし、韓国戦は違いました。

  試合前、偶然会場前で赤いあの韓国ユニを着たサポーター(レッドデビルス)の太鼓を持った男性群に会い、握手を求められたので「良い闘いをしましょう」と挨拶しました。

  試合開始。韓国の応援はメインスタンドに集まって、サポーターも現地在住らしきコリアンも一団となって応援。良く見ればあの握手をした男性が必死に太鼓を叩いている。

  一方の日本は、駆けつけたサポーターが寄り集まって(少ないのでなるべく集まって声を合わせる)の応援と、現地の日本人会の人達の鳴らすラッパと、日本を応援してくれているらしいタイ人の人達の太鼓と、で各自バラバラの応援。この試合になってやってきた某日本代表サポーターの方々は最初は同じメインスタンドで応援していたもののいつのまにか、ゴール裏へ移動して遥か彼方で応援。  

  応援で、はっきり言って韓国に負け。日本の応援てんでバラバラ。スタジアムの雰囲気は完全に韓国の応援へと傾いている。試合も韓国に確かリードされており返したような・・・。

  ハーフタイムになった時、一人の10代後半くらいの若い女の子が私達の所へやってきて、「このままでは応援がバラバラだから、あの人達(某日本代表サポーター)のところへ行って、メインスタンドで一緒に応援してくれるように頼みに行って下さい」と必死の形相でやってきました。その時、一緒にいた男性人たちは「あいつらにはあいつらのやり方がある」から行っても無駄。と言って断っていたので、女の子は一人で行ってきます、とゴール裏へ行こうとしていたので、私は気になって後ろをついて歩いていきました。

  そして、ゴール裏の彼らの所についた彼女は「このままでは応援で日本が負けてしまうので一緒に向こう(メインスタンド)で応援して下さい」というようなことを言いました。すると彼らは「俺達は日本を応援に来たんだよ」と苦笑しました。

  私はその一部始終を傍で見ていました。私は何も言いませんでした。言いたかったことはあったけれど言いませんでした。女の子は泣きながらメインスタンドへ戻って行きました。

  その後は私も再びメインスタンドへ戻って必死に応援。しかし、試合は日本の負け。応援も日本の負け。本当は試合に負けたことよりも、応援に負けたことが悔しくて仕方なかった。

  もし、私にもっと声量があったら。もし、私が太鼓を持っていたら。もし、私が男性だったら。

  あの試合の後、いろんな事を考えました。

  なぜ彼らは「俺達は日本を応援に来たんだよ」といったのでしょうか。私も日本を応援していました。所詮、女のミーハーサポーターだと思われたのでしょうか。別に答えを聞きたいわけではないのですが、あれ以後、私はゴール裏などで立って声を上げて応援することをしなくなりました。

  メインスタンドなどで座って静かに応援するようになりました。

  サポーターって何だろう。応援って何だろう。本当に難しいなあ・・・。そう切実に感じさせられた試合でした。

  でもね、私は「日本」を応援する気持ちはあの会場に駆けつけた日本人のみんなが同じくらい強かったと思うんです。

  本当は、私が一番嫌いなのは「女だから」と軽く見られることなのかもしれません。女だって応援する気合は同じくらいあるんだよ。  

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