my favorite その6 

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2001年7月21日  2001年1st タカ、ベストゲーム&ベストゴール!!」 

  2001年1stが終了しました。

  今更言うまでもなくジュビロの強さの光ったステージでした。勝負強さ、我慢強さ。いろいろな強さがありました。それも全て選手のスキルと意識の高さの現れ。そんなジュビロを応援できる自分がとても幸せだと感じます。

  さて、タカの1stステージベストゲーム&ベストゴールを選んでみました!独断と偏見ですのであしからず。(^^)

  <ゲーム>
   1位:鹿島戦   2位:横浜FM戦   3位:名古屋戦

  <ゴール> 
   1位:札幌戦同点ゴール  2位:横浜FM戦Vゴール  3位:鹿島戦

   ゲームの1位は鹿島戦です。記憶に残る磐田の好ゲームでした。しかもタカはゲームのMVP(^^)国立で燃えた名ゲームです!!

   ゴールの1位は札幌戦。ゴン−タカと繋いだ執念のロスタイムのゴール!!タカに隊長の面影を見た瞬間でした。もちろん優勝を決めた横浜戦のVゴールもサックスブルーの紙テープの中に駆けてくるタカの姿が記憶に焼き付いています(^^)

   みなさんはいかがでしたか?

   息つく間もなく、2ndが始まります。

   体調を戻して最高のプレーをまた見せ続けて欲しいですね! 

 

  2001年7月18日  海外移籍」 

  7月日。第14節Jリーグ浦和vs市原。駒場スタジアム。

  伸二、駒場最後の試合。さすがにチケットのなかった私はテレビ埼玉にかじりつき・・・。

  弾幕はほとんど伸二関係でした。「ありがとう伸二」とか「死ぬ気でやってこい!」とか。伸二がどれほど浦和の人々に愛されているかは駒場の雰囲気を見れば言わずもがなです。

  2点目。FKでした。伸二のゴール!伸二の弾ける笑顔は何度も見てきたけれど、この笑顔に比べたら全ては色あせるほどの最高の笑顔でした。その笑顔に涙涙・・・。

  最近、なんだか泣いてばかりいる気がします。

  試合後のgood luckセレモニー。

  ちょっと駒場にいなくて良かったと思いました。あんなのを目の前で見ていたらもう正気ではいられない。泣き虫王の自分はきっと号泣だったかもしれません。寂し泣きと嬉し泣き。

  「世界へ羽ばたけ小野伸二」大きな大きな赤いフラッグ。伸二の記憶にいつまでも残ることでしょう。

  そして、イナの記者会見を見ました。いつのまにか闘うプリンスは闘うナイトになっていた!(笑) 

  イナも挑戦ですね!がんばれ、イナー!

  ・・・でもなんだか、周囲がこんな移籍話になっているのですが、不思議と焦らないのは何故でしょう?(笑)もう、随分前からいつかはきっとタカも海外へ旅立つ日がくるだろうと、思っているからかもしれないですね。

 

  2001年7月7日  2001年7月7日 1stJリーグ第13節 磐田vs横浜FM 七夕の復活劇」 

  7月7日。第13節Jリーグ横浜FM vs ジュビロ磐田。横浜国際。

  前日の天気予報では雨・・・。とのことだったので、七夕というのは毎年雨が降るためにあるんじゃないか・・・と思っていたら快晴でした!日ごろの行いですかね!(笑)

  タカの復帰はいろいろ報道されていたのですが、やはり実際のスタメンを見てみないことには・・・。と思いながら横浜へ。 

  この日はタカサポの亮ちゃんとくーさんと私の3人で観戦。まさにタカサポトリオ。BJ先生も息子さんとジュビロの優勝を見に横浜へ駆けつけてくださいました(^^)「去年の今ごろ退院したんですよね」とちょっと思い出話。

  試合はナナも復活ということで、気合の入ったものでした・・・。前半は。後半になると攻めが同じパターンになり気味で、しかも磐田には珍しく中盤でボールを失うことが多くなっていたので、いや〜な雰囲気だなあ、と思っていたらオウンゴールで同点に・・・。

  タカは本調子ではなかったです。後半になるとちょっと前線でボールをキープ出来ていなかった。絶好調の今シーズンにしてみればワーストの出来だったかもしれません。いつ交代になってしまうか、ずっと心配していました。交代の前にゴールを・・・・。と祈るように応援していました。

  しかし。延長に入ってもゴンタカの2トップは代わらなかった。この時、心から「ゴンタカ」への期待と責任の重さを実感しました。「ゴンタカ」ジュビロ不動の2トップになったのだ、と。試合を託されたという想いが嬉しい反面、気の引き締まった延長戦でした。

  そして。

  延長Vゴール!!!

  タカは怪我でコンフェデ杯、キリン杯を辞退しました。3年前のアジア大会の時にタカには怪我で代表を辞退することがこれからなければいいのに。と書いたことがありました。これは今でも心底の願いです。しかし現実は現実。 

  正直、コンフェデもキリンもそれほど真剣に見てなかったのはタカがいない悔しい気持ちのせいでもありました。

  Jリーグ再開。復活。そして・・・優勝Vゴール。

  泣かないわけがないですよ。この涙脆い私が・・・・(苦笑)

  ジュビロ、1st優勝おめでとうございます。このままセカンドステージも優勝しましょう!完全優勝です。

  タカ。

  優勝Vゴールおめでとう。完全復活へ向けてまだまだ調整頑張って下さい。

  復活、ありがとう!  

 

  2001年6月29日  伸二」 

  6月23日。第12節Jリーグ、私は駒場におりました。浦和vs札幌。私にとっては「伸二&雄一郎vs播ちゃん」の対決でございます。

  試合は雄一郎の2ゴールで浦和の勝利。その両得点に伸二は絶妙に絡んでいました。

  そしてバンも相変わらずの元気っぷりで、ピッチを駆けまわる!相手GKが嫌がるような動き。

  私と亮ちゃん、ぽんこつりんごちゃんにとってはこのメンバーはもう我息子のように(笑)思っているので、伸二の移籍話が出ているこの時期、伸二vsバンが見られるのももう当分ないかも等と・・・目に焼き付ける気持ちで試合を見ていました。

  浦和の熱い応援もどことなく伸二のプレーを見届けるような感じでした。

  試合後、選手の挨拶の時、中心で仕切っている伸二が全員手を綱いでバンザイと上にあげるのに合わせて歓声が起こるのを聞いていたら、そしてその伸二の笑顔を見ていたら、いつのまにやら涙が・・・。

  海外へ行くのを心底祝う気持ちと、もう見られないかもしれない生の伸二のプレーを考えるとなんだか熱いものが込み上げました。

  がんばって欲しいと思います。まだ正式決定ではないという話ですが、伸二ならやれると信じています。もちろん、同じように話題に上がっているイナもそうです。

  私にとって「キャプテン」というのはいつでも「小野伸二」です。チームを鼓舞しながら率いる最高のキャプテンです。ユースでも浦和でも。

  そして仲間というのは雄一郎でありバンでありイナです。

  タカと共に戦ってきた、大切な仲間です。 

  いつかは・・・。タカも。

 

  2001年6月9日  いろいろと・・・」 

  6月4日。タカが22歳になりました(^^)。学生なら4年生ですか。私が大学4年だったころ。何してたっけ??就職活動と卒論か・・・。

  先日仕事の出張で名古屋と大阪に行ったのですが、新大阪で電車に乗ったら電車の窓とかに「2008年大阪五輪」という五輪誘致のステッカーとかポスターがたくさんあったのを見かけました。それで「あれ?この光景どっかで見たな〜」と記憶を掘り起こしたら学生時代に北京へ留学してた際、ちょうど北京が「2000年五輪」の誘致運動をしていて同じようにタクシーとか街の至るところにキャンペーンステッカーとかがあったのを見たと思い出しました。

  北京の留学を終えて日本に帰国する際にお世話になった先生方に中国語で「2000年にオリンピックを北京でやったらぜひお手伝いできるような仕事をします」・・・と挨拶したような・・・・。(今はそんな言葉は忘れて喋れない・・・)

  そんな私は2000年のオリンピックをシドニーで満喫したのだった。恩知らず〜。爆

  来週は札幌出張です。札幌ラーメン食べよう。あ、今週末は福岡だった・・・。この3週間の私の日本縦断距離を計算したい・・・。

  そんなこんなでほとんど見ていないコンフェデ杯・・・。新潟のカメルーン戦は現地で見たのですが、それ以外はスポーツニュースでしか見てません。ビデオを撮ってあるので後でじっくり見たいと思います。本当はブラジル戦のチケットも準決勝のチケットも持ってたんだけどな〜。あ、決勝は行きます!!

  まあ・・・仕事忙しかったし。タカ、出てないし(←これが見ていない最大の原因かも)。

  世間様ではすごい盛り上がりのコンフェデ杯ですが、私の気持ちは今月から始まるWユースに飛んでいます。

  今度のU−20がどこまでやってくれるか!?楽しみですね〜。

  

 

  2001年5月20日  躍らされてる・・・」                

  一つ目。世界クラブ選手権延期・・・。インターネットニュースで最初にこのニュースを目にしたときビックリというより「やっぱり」という気持ちの方が大きかったです。何かと問題のあった大会なのでちょっと万が一の心構えも少しはあったのかもしれません・・・。でもね!レアルとやれたんですよーーー!!!会社を休んでスペインへ行こうと思っていたのに!!!パエリア食わせろ〜!この気持ちどうしてくれるの!FIFA!!!怒!!!!

  二つ目。デカビタのCMを見ました。はい。デカビタでした(笑)前のカズ&城&岡野のバージョンを見ていたのでコメディタッチなのは分かってましたけど・・・。見た瞬間、ちょっと固まって爆笑。タカはどうも一般の方たちから「静かで堅い」というイメージがあるそうなので、こういうのもありかなあ・・・と思いました。あ、デカビタ買って飲みましたよ〜。

  三つ目。キリンの日本代表バージョンフィギア。
  電車の中で広告を見た時。「え、タカのフィギアも!?」とじっと見つめてタカを探すも見当たらず・・・。「そんなまさか!?タカが入ってないなんて!?」と何度見なおしてもタカはいない・・・。「キリン〜!!!!!(怒)」という気持ちを押さえつつコンビニでキリンビールを手にしてみると「2000年12月20日」の韓国戦のメンバーが基準という話・・・。タカはちょうど頬骨を骨折していた頃で・・・。「仕方ないか・・・」とちょっとだけ納得。でもどうせならアジア杯優勝メンバーでもいいんじゃないの!?と思うのは私がタカサポだからなんでしょうか。・・といいつつ伸二とイナのフィギア欲しさ(という名目のもと)キリンビールを飲む私だった。「美味いねー!(笑)}

  四つ目。3月にあった東京おもちゃショーでタカラのブースを見ていると日本代表バージョンのりかちゃん人形(男の子版)が発売になると展示されていました。
 その展示の前でじっと代表ユニを着ている人形を見ていたらタカラの開発担当の方が私に「どうですか?」と聞くので(その日はバイヤーズデーだったので私が関係者だったのは担当さんも分かっている。あ、私はタカラの社員ではありません)「これって髪型はこのパターンだけですか?」(人形はみんなの長めの金髪少年)と聞き返すと、「どんなのが良いですか?」と言われたので、私は間髪を入れず「坊主!」と答えたのでした。担当さんは「・・・難しいですね・・・」と呟きました。(爆)。・・・確か6月くらに発売だったんじゃないかな・・・。曖昧。でも買っちゃうな・・・。背番号「19」とか勝手に作っちゃうな・・・。(爆)

 

  2001年5月1日  青い伝説HP開設 2周年」                

  5月1日。浦和市と大宮市、与野市が合併して「さいたま市」になりました。そして、青い伝説という高原直泰選手を応援するHPを開設して2年目を迎えました。2年間続けて来れたのも青い伝説を訪れて下さるタカを応援していらっしゃる方々のおかげだと思っています。いつも本当にありがとうございます。

  インターネットという情報手段を通して、世界中が繋がっていることを実感したことはありますか?

  私が初めて世界中が繋がっていることを実感したのは99年のアジアユースでタイを訪れた際、チェンマイで唯一日本人の経営しているインターネットカフェからりゅうじさんのHP「高原の風」の掲示板に書き込みをした時でした。その当時、私がタカのファンサイトで知っていたのは「高原の風」だけで、チェンマイでのタカの様子を伝えたくて掲示板に書き込みをしました。日本でU−19がリアルタイムにどのように報道されていたのかを知ったのもインターネットを通してでした。

  何千、何万キロという離れた空間をインターネットは一瞬で繋ぎます。

  シドニーオリンピックの際に、私はノートパソコンを持って行きました。南アフリカ戦をタカの2ゴールで勝利し、興奮状態でキャンベラのブルーススタジアムからホテルに戻った私が真っ先にしたことはインターネットでした。

  繋げた自分のHPではたくさんの人がタカのゴールを祝福してくれていました。そして、私もキャンベラからBBSに勝利の書き込みをしました。

  場所は遠く離れていても同じ時を共有することのできる、不思議な空間がインターネットです。

  青い伝説を訪れて下さる方が日本全国にいらっしゃることを私は頂いたメールで知りました。

  タカを応援したいと単純に始めたHPですが、インターネットという手段の持つ幅広さを今は痛感しています。

  このHPを通して、これからもタカを応援したいと思っています。

  一人でも多くのタカを応援したいと思っている方々と時を共有できる空間でありたいと願いながら。    

 

  2001年4月17日  たまには雑談 最近気になる音楽の話」                

  たまにはサッカーでない話を。

  先日、某麻布のクラブイベントに行きました。(といっても踊りに行っているわけではありません。歌を聴きにいっているのです。パラパラはいまだかつて踊ったことない)

  この夜は海外のゲストも多数参加していて、来日中の「スマイルdk」の歌にDDR好きな友人は「生DDRよ!!」とかなり興奮していました。

  結構名立たるクラブミュージシャンにまじってこの日の私の一押しだったのは「F.O.H」!日本のクラブシーンから伸し上がってきたR&Bの実力派!でみかけはちょっと怖い(笑)3人組ですが、歌と踊りは本物です!トークになると見かけによらない礼儀正しさ(笑)。歌の巧さに加わった踊りの巧さにかなり参りました。「baby」とかカッコイイ歌だ!

  そして、最近行ったライブで感動したのは「S.O.S(Skoop On Somebody)」でした。男性3人組のボーカルユニット。(といっても実際は2人はキーボードとパーカッションですが)

  ボーカルのTAKEの歌はSLTの佐藤竹善の歌声に勝るとも劣らぬ巧さだった!!さすがだ・・・。しかも3人とも大阪出身でトークが面白いときた!S.O.SはSkoop時代のアルバムも持ているのですが、一番好きな曲は「バラ色」かなあ・・・。「eternal snow」も綺麗な曲です。(^^)

  女性ボーカルで好きなのは「m−flo」。おととしにアルバムを聞いて、好きだな〜。と思っていたら、今や凄い人気ですね。m-floの一番好きな曲は「Hands」です。入院中もずっと聞いていた。良い歌や・・・。

  そして、今一番カッコイイ!!と私の思っている一曲は「DEV LARGE feat 椎名純平」の「Music Maker」!!!ヤラレマシタ。マジ良いっす!

  ということで趣味走った管理人の最近気になる音楽話でした。

  そしてまたインディーズの歌を聴きにクラブへ足を運ぶ管理人だった。(苦笑)

 

  2001年4月7日  2001年 第4節 鹿島vs磐田 in国立 2−1 成長を見続ける喜び」                

  21世紀最初の鹿島戦。

  「どうして?」と言われても答えられない。それぐらい気合と意気込んでしまうこのカード。なんでしょう、鹿島にだけは絶対に負けたくないというはもう磐田サポのDNAなんですかね(苦笑)因みに私が絶対に負けたくないJチームは鹿島と柏だ!

  家を出ると「春だな〜」という暖かさで、ちょっと一安心。
  今日は自由席なのでちょっと早めに(というか最近は指定席で見ることの方が多いので開始ギリギリに会場へ入るのんびりぶり)出て国立へ。最初に着いたので自由席の隅の方を4つ取って待っていると、しばらくして男の子が「そこ空いてますか?」と席取りをしてる隣りを言うので「いえ、取ってます」と答えたのに関わらず前に回って座ろうとするのに「こいつ〜!(ムカ)」と思って顔を見上げると俊祐くんだった!(五輪のツアーで一緒だった男の子)「なんで君がここにいるの!?(俊祐くんは新潟在住の大学生)」と大ビックリしていると後ろでリンゴちゃんと亮ちゃんが大爆笑していた。爆。私を驚かせてリアクションが見たかったんだね。ああ、すっかりひっかかりました。恥。

  ということでオーストラリアメンバーで観戦(^^) 

  今日はBJ先生も奥さんと観戦に来ていてご挨拶(^^)タカゴールを見てもらえて嬉しかったです!あ、息子さんの大学合格おめでとうございますー!
  それからまぁねぇさんには韓国土産のサッカー雑誌も貰いました。いつもありがとうございます(^^)。韓国語勉強します!笑。 

  試合開始前の応援歌練習。アットホームで良かったです。開幕の時から「あれ?こんな応援歌あったっけ?」と思っていたら新しいのだったのですね。普段あまり早く会場で行かないのでこういう場面に遭遇することが少ない分(昔はエライ早く会場に行ってたんですが、今はもう歳なんで(爆))良い雰囲気だな〜。とサポーターの男の子達の指導にしたがって手拍子(^^) 
  
  さて過去、鹿島戦でタカが活躍したことってあったかなと記憶をひっぱってみたものの、う〜む・・・。という思い出しかないことに気付き、今日こそは活躍して鹿島戦の記憶の1ページを!と期待充分。

  しかし、さすがに優勝候補と言われる今年の磐田は良かった。中盤のパス回しの良さはこれまでは相手のせいか(対戦チームすみませぬ)と疑っていた分、鹿島相手でもこれだけ通るパスに「本物だ・・・」と強さを実感。あ、でも鹿島も調子悪いんだっけ・・・。

  今日の選手たちの運動量はハンパじゃなかったです。執念にも似た動きでした。特に服部。ボールにくらいつく姿は今日の真のMOMでしょう。
  そして名波。あのサイドチェンジの展開見事さには国立から溜息が溢れました。一瞬、99年の鹿島戦in国立に戻ったのかと思いました。名波の存在の重さを感じた試合でした。
  そしてそして隊長。ゴールがないと言われようと、やっぱりスゴイもんは凄いんだよ!のプレーでした。鹿島戦で見せる隊長と秋田の戦い。闘志溢れるプレーは見る者を黙らせる迫力があります。

  最後はタカ。今日のタカは一言で言うなら「成長したなあ・・・」という実感でした。周りとのコンビネーションの良さに4年目の充実を見た気がします。ゴンータカのコンビしかり、名波ータカのラインしかり。1年目や2年目などにはたまにしか見ることの出来なかった以心伝心のプレーが今は随所に見られます。もちろん、労を惜しまぬ運動量も良かった。隊長があれだけ身体をはったプレーをしたらタカも気を抜くことは許されまい。(苦笑)タカの気合見せて貰ったよ。成長を止めないタカのプレーは本当に心強く楽しみです。ナイスシュート、ナイスゴール、ナイスドリブルでした。あ、ナイスパスも!最近タカはパスがすごく良くなったと思うんです。そうそう気になる点は中盤からの独走ドリブルに入る時に選ぶコース取りがパターン化しているような気がするので気をつけて、ということと、やはりゴール前での落ちつきをもう少し。ですか。

  今日は横国で19:00から横浜vs浦和があったのでハシゴを予定していたのですが、同じ五輪ツアー仲間のA子ちゃんとご飯を食べようという話になったのですっかりみんなで新宿で飲みに入ってしまいました(^^;;勝利の巨峰スプリッツアー(巨峰酒をワインで割ったカクテル)も3杯くらいのんださ!勝利の酒は美味しいですねー。

  さて、この勝利におごることなく(私もだ)気を引き締めて優勝街道をひた走りましょう!
  めざせ!全勝優勝!!

 

  2001年3月10日  2001年 Jリーグ開幕! 第1節 磐田vs市原  4−1 〜たかが1点、されど1点〜 」                

  2001年度 Jリーグ開幕!また楽しくも胃の痛い日々が始まりました。タカも今年4年目。もう若手という言葉も卒業ですね。

  タカの昨年の怪我からのJ復帰戦ということで亮ちゃんと二人で磐田へ行ってきたのですが、しくじったのは「寒かった〜(涙)」ということでしょうか・・・。とほほ。家を出るときは良い天気だったのに(って埼玉だよ・・・)、磐田での試合中は雪?もちらほら・・・。3月のサッカー観戦で防寒対策に油断は禁物でした。

  さて、タカはもう「え?いつ怪我したの?」というくらい元気そうに試合前のアップ。今年は怪我のない一年にして欲しい、と願いながら写真を撮る。(笑)

  開幕試合の相手は市原ということでtoto予想もほぼ磐田勝利だとか。まあ、普通〜に考えてそれも当然なのですが、私的には「ジュビロにとって千葉のチームは鬼門!」という言葉があるので(おととしの1stで名波J最後の試合、臨海で市原に負けてしまった悔しさを忘れてはいけない)、気を引き締めて!と気合を入れる。

  試合は立ちあがり、「あれ?」と小首をかしげる。なんかイマイチリズムが悪い。まあ、まだ始まったばかりだし。そんなリズムもおっくんの今シーズンファーストゴール!からは良い感じになってきました。

  磐田のサッカー=流れるようなパスサッカー は本当に見ていて楽しいですね〜。まあ、あえて贅沢を言わせてもらえば、これで相手が柏あたりだったら・・・。という感じでしょうか(市原すまぬ・・・)

  さてこの日のタカはしつこいマークを受けてました。中山とタカに厳しいマークがつくのは分かっていたこと。ということでさすがに簡単には仕事をさせてもらえなかった。(ミリノビッチは良いDFですねえ)シュートもほとんど撃てず。でもそんなときはファールを貰う、ボールをキープする。という他にも仕事はたくさんあるわけで、実際タカがファールを貰って、FKになった場面はたくさんありました。

  そして、FWがダメなら周りが獲ります!ゴール!ゴール!ゴール!ゴール!!FWが脇に徹する試合もあるという典型的なものでしたが、その分周りがきっちり仕事をしてしまう所がさすがの「ジュビロ磐田!」でした。

  しかし!問題はあの1失点!DFとGKの連携ミス。もったいない1失点でした。4−0でもおかしくなかったのに。「たかが1点、されど1点」。磐田に大切なのはこの気持ちだと思います。いつでも点は取れる。だからこそ無駄に失点して欲しくないのです。最後に響いてくるのは「得失点差」これに泣いたチームを私たちは散々見てきたのだから。

  さあ、次節こそは、タカゴール!マークはやっぱりきついかもしれないけれど、とにかく「シュート!」

  がんばれ!タカ!   

 

  2001年3月3日  「大腸記念日」                           

  今日はひな祭り。ひなあられを食べてお雛様を飾って・・・。という行事はもう20数年我が家では行われておりません。

  まあ、世間様一般ではそんなめでたい日なのですが、私にとってはあんまりめでたくないと言いますか、一生忘れられない日だったりします。

  そう、昨年の3月3日に私は潰瘍性大腸炎の手術のために大腸をまるごと切除したのでした。

  一年前の私はかなりギリギリのところまで追い詰められていました。絶食は2ヶ月に及び、激しい腹痛とステロイド投与の副作用がひどく、精神的にもヤバかったのでカウンセラーの先生に精神安定剤を処方され、本気で「私の人生もここまでかなあ・・・」と思った位です。

  最後の治療(内科の。この治療で効き目が無かったら大腸を取りましょう。と内科の先生に言われた)だった「パルス療法」は足の付け根の血管から大腸の血管まで直接ステロイドを投与する、というものだったのですが、かなり・・・・辛かった。  

  辛かったのに、効果はなかった・・・。大泣。

  という訳で私は内科から外科へ移って大腸切除の手術を受けたのでした。そして人工肛門をつけたのでした。(ストマといいます。ストマはその後5月に閉鎖手術を受けました)BJ先生お世話になりました。(感謝)

  きっと、私はひな祭りが来るたびに、「健康って素晴らしい!」としみじみ思うことでしょう。

  しかし、去年の今ごろはまさか一年後にこんなに元気になっているとは思いもしなかった。出来ることなら去年の自分に「大丈夫。手術して元気になって秋にはシドニー五輪を見にオーストラリアへ行けるくらい元気になるよ!」と教えてあげたいなあ・・・。  

 

  2001年2月12日  「ザ・カップ 夢のアンテナ」                           

  最近サッカー誌で密かに話題の映画「ザ・カップ 夢のアンテナ」を見てきました。

  渋谷のBUNKAMURAでの単館上映にもかかわらずすごい盛況でした。  

  物語はインドのチベット亡命僧の寺院が舞台で、そこの少年僧たちが「98ワールドカップフランス大会」の中継が見たくて、夜中に先生の目をかいくぐってこっそり中継を見に抜け出すという話なのですが、中々良いお話でした。

  主人公の男の子が「ロナウド」と自分で書いた黄色のタンクトップを着ていたり、その割にはフランスを応援したり、少年僧たちがストリートサッカーしていたり・・・。ストーリーよりもその画面からにじみ出る「サッカー」への想いに共感しました。

  決勝戦を見るためにいろいろ彼らは苦心するのですが、「そこまでしてどうして見たいのか?」という問いに答えられるのは、実際に「そんな想い」を経験したことのあるサッカーサポだけだろう・・・と思いながら、最後はちょっと泣けてしまいました。

  「サッカー」って凄いスポーツだなあ、と感じるのは本当に世界のどこへ行っても「サッカーに夢中」な人がいることです。

  チベットに近いそんな山奥でも「サッカー」に夢中な人たちがいるということが、既に凄いことです。(この映画はほぼ実話です)

  そういえば、上映前のプロモで「シーズンチケット」という映画の宣伝が入っていたのですが(外国映画)、これも少年二人がサッカーチームのスタジアムの「シーズンチケット」を手に入れるためにいろいろなことをするという物語らしいです。

  「サッカー」が好きなことで少しだけ優越感に浸れる。そんな映画でした。

 

 2001年2月9日  「イチゴ狩り!はとバスツアー」                           

  「はとバス」を知っていても実際に乗ったことのある人って結構少ないのでは???と、思う今日この頃。

  私はとうとう「はとバス初体験」をしてしまいました!(笑)それも「富士の山・駿河湾を望む露天風呂と石垣イチゴ狩り」!ツアーです。(笑)

  朝8時半浜松町出発。休日に会社に行く日よりも早く起きて、出発。眠い・・・・。そして黄色いあの「はとバス」に乗り込んだのですが、客層はほとんど女性。(当たり前か??)おば様グループとかOLグループとか(私たちだ)家族連れとか。

  焼津の松風閣で舟盛りの刺身の昼食を食べて、冨士山を見ながら温泉に浸かって、マッサージ機の上でくつろいで、メインイベントのイチゴ狩り!

  「石垣いちご」とはなんぞや???と思っていたら、5,60センチくらいの石垣にイチゴの苗が植えられていて上から垂れる様になっていました。そしてそのイチゴの美味しいこと!!!!!!マジで美味しかったです!(嬉泣)それでも11個も食べるとギブアップなのですが、周りの人々は20個はゆうに食べていた。みんな昼食も食べたんじゃあ・・・・???(汗)デザートは別腹??

  その後、日本平で富士山を見るというのがあったのですが、日本平スカイラインを走っている間、「清水市」の説明の際、ガイドさんの、「清水市にはその昔Jリーグブームだったときに有名だった清水エスパルスというチームがございます」という台詞に、思わず「その昔有名だった」ってひどい〜!!と突っ込みたかったのですが、座席が後ろの方だったので言えなかった・・・。今もエスパは天皇杯で決勝を争うチームなんですよ・・・。ガイドさん・・・。エスパサポの方は抗議の手紙をどうぞ。(爆)

  しかし、日本平に「赤い靴の女の子」の銅像があるのは知らなかった。横浜じゃないの?と思ったら、なんでもあの童謡の女の子の母親が清水市の出身だったそうな。それと「日本平」という名前が日本武尊と関係があったことも初めて知った。ちょっと「はとバス」っていいな。と思ってしまった。日本平なんてエスパのスタジアムがあることくらいしか知りませんでしたよ〜。

  ということで、OL5人で参加したこのツアー。以外と面白かったので、また別のツアーに参加してみよう!と企てています。

  こんな旅もたまにはいいですね。  

 

  2001年2月4日  「アルコールはほどほどに」                           

  ここ数日、午前様が続きいいかげんマズイマズイと思いつつ、アルコール摂取をしているダメ社会人です・・・。

  年末は忘年会という国民的行事のおかげで毎週銀座通い。歳が明けてはこれまた新年会という名目の元、酒のみまくり。

  さすがにそろそろ私が「病あけだよ・・・」という事実をみんな忘れ始めている・・・。自業自得。

  そんな大人の付き合いもごく稀に良いこともあったりするのです。

  先日、接待で食事に連れて行ってもらった取引先さんは某Jチームのメインスポンサーさんでした。そして、話題はもちろん「サッカー」。(仕事の話も少しはした(苦笑))

  私はここぞとばかりに「W杯のチケットってないんですかねえ?」と大人の陰謀の顔をしたのですが、困リ果てた営業さんの顔に「私が悪かったよ・・・」と話題を変えたのでした。そんな営業さんはそのJチームのカレンダーとチケットを私にくれるそうです。(苦笑)まあ、それはともかく、都内某所から私の自宅まで「ん万円」するタクシー代を持ってくれた営業さん、どうもすみませぬ。(反省)

  まあ、お酒飲むのも付き合いのうち、って。ハハハ・・・・(汗汗)

  因みに私の勝利の酒は「巨峰酒」だったりします。磐田で勝ち試合を見た帰りは必ず飲む私にとっては縁起の良い酒なのです。

  今年もスタジアムの帰りにたくさん「巨峰酒」が飲みたいなあ。

  って、お酒はほどほどに。・・・説得力無し。

 

  2001年1月29日  「夢でも見させろ」                           

  2002年W杯のチケット発売概要が発表になりました。

  とうとうあのプラチナダイヤモンド100カラットチケットの発売なのです(涙)

  今回のチケットは言うまでなく「超超入手困難」が確実。予約開始の2月15日までに練っておかなければならない手段は山済み。

  聞いた話によると韓国内のプレスやスポンサー向けのチケットはもう回っているとかいないとか。

  半分、ダメでもともとと割りきって悔いだけは残さないようにチケット入手に奔走しようと思います。(泣)

  さて、それはともかく最近私は「夢」を見ました。

  その「夢」を見させてくれたものは某サッカー雑誌の後藤先生の記事2002年「W杯バーチャル観戦旅行記」でした!!

  バーチャルということで全くの想像の上でのW杯観戦。予選リーグ、決勝リーグを韓国中と日本中を渡り歩いて観戦を続けるというなんとも「夢のような」お話ではないですか!!

  その中でも最も私のハートを射抜いたのは、

 【6月4日(火)いよいよ日本代表の初戦を迎える。朝8時10分のエア・ドゥで帰京。自宅に荷物を置いてから、すぐに埼玉へ。

  「自宅からワールドカップを見に行く」というのは生まれて初めての経験である。

  この一説です!!!

  そうです。今更ながら実感する日本開催〜!!!埼玉県民の私も「自宅からワールドカップを見に行く」!なんてことが出来てしまうのですよ!!!(だから、今更・・・・)

  本当に夢のようなお話・・・・。まあ、そんな夢もチケット争奪戦を終えてから見たいものです。

  あああ、どうか夢で終わりませんように・・・。祈!チケットゲット!!!  

 

  2001年1月15日  「サッカーよもやま話」                           

  友人のHP(本山選手のサイト)の日記を読むのを楽しみにしています。何故かというととても可笑しいから(笑)彼女の書く文章は本当に面白くて、とても私にはマネできん!と思っています。彼女はサッカーのことになると(いつもか?ああ、ごめんごめん)とても毒舌で、チェンマイのアジアユースの時などかなりタカを酷評してくれたので(これがまた的確な評価なので、反論出来ず)、いつか彼女にタカを誉めさせたい!と思っていたのですが・・・。

  最初に彼女がタカを誉めたのは(笑)WYのポルトガル戦の時でした。どんな有名サッカー評論家がタカを誉めようと、私にしてみればそのことの方が嬉しかった。そして、次に誉めたのは先日、電話をしたときでした。(苦笑)

  彼女の日記のネタで一番ウケたのは、練習などを撮影しているときに「邪魔な緑のもの」の話。これは写真やらビデオを撮っている人にしか分からないマニアックな悩みです。・・・そう、写真のピントを邪魔する「緑のネット〜(泣)」ホント、写真撮ったりする人間には切実に邪魔なんです。

  撮影といえば、タカのCF撮影。全国区のCF出演ともなると、どんなCFになるのかとても気になります。本当、企画会社の力量を信じるのみ・・・。でも「デカビタ」だから・・・。バスに乗り遅れるとかいうオチだけは勘弁してください。(泣)

  CFのエキストラの話で、大学時代の事をふと思い出しました。

  まだ私が学生だったころ、大学のアルバイト求人の掲示板に「映画エキストラ募集」というのがあって、「面白そう」と単純に思った私は求人元(松竹だったような)に早速電話をすると「高校時代の学生服ってまだ持ってますか?」と聞かれて「多分あると思うんですけど」というと「それを着て欲しいんですが」と言われ、なんて怪しげな映画・・・。といぶかしんで「あの、どんな映画なんでしょう??」と聞くと「スマップのシュートというサッカー映画で、サッカーの試合を観戦している高校生のエキストラなんですが」と言われたことがあった。懐かしい思い出だ・・・。

  それはともかく一応私も仕事でCF撮ったりしてたこともあるので(前の部署)、今回のCFはちょっと楽しみなのでした。

  タカ、撮影頑張ってください。笑顔は大事。(爆)            

 

  2001年1月14日  「ラグビーなお話 その3」                           

  大学ラグビー決勝。関東学院vs法政。関東対決。

  どうもラグビーというと西高東低という気がするので、とても珍しい組み合わせになった今年の決勝。

  一押し明治は3回戦で散り(秩父宮で見た2回戦が最後だった(涙))、優勝だろうと予想していた同志社が準決勝で消え、どうなってるの?という気持ちで見た決勝。

  なんとなく強い関東学院。と思っていたらその理由が良くわかった。組織が良いのだ。個人戦じゃなくて組織。組織プレーが異常に巧い。個人でいったらSHの春口くんなんて158センチよ!?私とそんなに代わらないよ。ラグビーやる体型じゃないって。でもトライ決めてた。すごい。

  彼らを見ていて、今のサッカー日本代表を彷彿とさせるものがたくさんありました。

  まず、良い1年生が多い。ようするに若い子が巧い。そして、組織で闘う。点を取られても獲り返す。

  サッカー日本代表の進むべき道を大学ラグビーで垣間見たような気がした。

  ああ、でもラグビーって面白い。ルールはさっぱり分からんが。面白い!(いい加減ルール覚えようよ、自分)

 

  2001年1月7日  「新世紀 サッカーはじめ」                           

  1月1日。サッカー界の催しものとしてはやはり天皇杯決勝。例年、元旦は国立(去年は病室だったけど。・・・私の記憶だと、なんか鹿島の優勝ばかり見ている気がする・・・違ったっけ??もう記憶があやふやに)で過すのが恒例というわけで、リンゴちゃんと亮ちゃんと国立へ。しかし、3人ともチケットなしで「大丈夫、当日券あるよ、きっと〜」という軽い気持ちで行ったら入れなかった。それでも、鹿サポでもパルちゃんサポでもない私たちは「それじゃ、スポーツカフェで見よっか」と素直に渋谷へ。

  周りの客がお茶をしながら決勝を見ている傍らで恥ずかしいくらい料理をテーブルいっぱい頼み、頬ばりながら観戦。しかも昼間から酒飲んでます。私の酒は「ジョホールバル」というカクテルでした。鹿島に点が入っても清水に点が入っても拍手。どっちが勝ってもいいよ・・・。という投げやり気分。どうせ磐田には関係のない話さ。寂しい。

  応援していたのは浩二(キャプテンでびっくり)と満男とモトとイチ(代表に戻っておくれ〜)と平松(爆)。天皇杯の決勝で平松のプレーが見れるとは・・・。木島と平松を見間違えていたあのころが懐かしいよ・・・。(爆爆)

  結果は鹿島の3冠。それにしても恐るべし本山雅志。彼はタイトルを獲るために生まれてきたのだろうか・・・。高校3冠、プロ3冠って、ねえ。贅沢な話だ・・・。

  3日は高校サッカー観戦。今年はお姉さん方の愛する奈良育英が出場できなかったため、特に応援する高校もなく。久々に上がってきた武南と清商を見に駒場へ。しかし、こんな良いカードがここで当たるものもったいない。試合はPK戦で武南の勝ち。清商の佐野祐哉はおととしの選手権で見た時に「1年なのになんてふてぶてしい態度」と感心?していたのが、3年になったらすっかり大人になっていた。(苦笑)2年の時はベイブリッジユースで見たけど、プレーがイマイチだったような・・・。でも、小林くんと二人で川崎っていうのは。

  武南は谷くんのみんなが「本山に似てる」というプレーを見つつ(なんか似ている)、地元ということで小さい子からおばあちゃんまで武南びいきの応援を観察。

  その後、第2試合の真岡の応援席の真後ろでその応援のおかしさにやられる。3日の夜は横浜で日韓オールスターvs世界オールスター戦があったので、防寒対策で移動。しかし、横浜より駒場の方が寒かった。

  そんなこんなで新世紀の三が日は過ぎていったのでした。毎年こんな感じで良いのかしら・・・。

  あ、スーパーサッカーの新司会の徳永。ちょっとね・・・。名波が俊哉を目標にしてたことを知らないって「あんたもぐり?」とつっこまれても仕方ないっつうの。私はフランスW杯の時の彼のコメントがかなり気に入らなかったので苦手だ。まだ清水〇の方が良かった。カムバックテレ東。(爆)             

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