my favorite その7

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2001年12月25日  「メリークリスマス♪」                           

  先日、伊豆の修善寺に会社の研修で行ってきました。まあ、研修という名の忘年会だったのですが(苦笑)露天風呂に入って、日本酒を飲みまくり、疲れた身体をよけい疲れさせて帰ってきました(笑)

  その帰りが修善寺から伊豆箱根線に乗って、三島へ行き、そこから新幹線だったのです。

  三島はもちろんみなさんご存知の通り、タカの故郷です。

  この日は晴天で新幹線のホームから冨士山が美しく見えていました。

  タカは中学時代に三島から東海大一中に新幹線で通っていたことを思い出し、この風景を数年前のタカも見ていたのかなあと思いました。

  とても、しみじみとした気持ちになりました。

  今、タカはアルゼンチンの空の下でサッカーをやっているんだな・・・と。

  その翌日には福岡で用事があり朝一の飛行機で出かけてました。来週は名古屋です・・・。ううう。時間が・・・。

  さて、今日はクリスマス。みなさんはどうお過ごしでしょうか(^^)

  Happy Christmas♪

 

  2001年12月14日  「坊主も走る・・・」                           

  12月です。なんともう今年もあと半月・・・。そうすると2002年がやってきます。

  私は今月に入ってなんだかまともに家で寝た記憶がないのですが(汗)

  出張で福岡、大阪へ行っていたので、実はチャンピオンシップも見れずじまい。でもジュビロ負けてしまったので見なくてよかったかも(爆)

  この後は怒涛の忘年会シーズンが・・・。さすが師走。坊主も走りますわ・・・。

  来週はまた福岡です。うう・・・。私の身体がもちますように・・・・。

  サイトの更新もままらない。雑誌もたまってるのに(W杯特集誌がたくさん出てますね〜。伸二とイナとタカが表紙で写ってるやつ。どこのだったけ。が良いです♪(笑))

  あー。誰か時間を下さい・・・(涙)

 

  2001年12月2日  「W杯 組み合わせ抽選 対戦国決定!」                           

  W杯の組み合わせ抽選が行われました。

  韓日W杯の日本の対戦国は「ベルギー」「ロシア」「チュニジア」に決定です!

  組み合わせを見た時、まず最初の感想は「難しい・・・」でした。

  日本はどうもあらかじめ「強い!」と意識している強国と闘う場合には慎重に慎重を重ねたプランを立てるのですが、この組み合わせの決定後、マスコミが「行けるぞ日本決勝リーグ」などと書いているのをみて、どこか「良かった」と思っているフシがあるぶん、対戦に油断が出来てしまうのではないかと危惧してしまうのです。

  この3国はどうみても日本より強いです。W杯の地区予選を闘ってきたこの国々の方がモチベーションも高く、チームのまとまりもしっかりしていると思います。

  たとえば日本が「イングランド」などと当たっていたら、日本中が「コレは気を引き締めていかないと!」と感じたはずです。「行けるぞ日本決勝リーグ」などという文字もスポーツ新聞を踊ることはなかったでしょう。

  昨日の抽選は日本にある意味「マズイ」組み合わせだったのかもしれません・・・。

  なんて心配性なことをいっても。泣いても笑ってもあと半年!!!日本、頑張れ!!!

 

  2001年11月20日  「トヨタ杯メンバー」                           

  先週末、京都へ遊びに行っておりました。今、京都は紅葉まっさかり。近頃ブームの「陰陽師」に因んで、思わず晴明神社へ行ってしまいました(苦笑)と、それはさておき。その帰りの新幹線の中の電光掲示ニュースで私はタカがトヨタ杯遠征メンバーから外れたことを知りました。

  正直、特に驚きませんでした。「やっぱりなあ」と感じたくらいで。

  トヨタ杯のメンバーに入るにはあまりにもアピール不足だったと思います。

  今の状態のタカが日本人だからという理由だけでトヨタ杯の遠征メンバーに選ばれるのは、チームのメンバーにとってもボカのサポーターにとっても、とても不満の残ることだと思います。

  海外移籍がいかに難しく大変かということを今、痛感しています。

  ただ、今の状況を一番悔しく残念に思っているのかが誰であるか。そのことも私は分かっています。

  「綺麗じゃなくていい。華麗でなくていい。俺の蹴ったボールがあのネットを揺らすんだという強引さ」

  それが自分の持ち味だと、タカは以前にそう言いました。

  この言葉をタカが忘れない限り、まだまだ彼は頑張ってくれると信じています。

  リザーブ戦のハットトリック。

  タカの気持ちは日本にまで届きました。頑張れ!タカ。

      

  2001年11月7日  「イタリア戦」                           

  イタリア戦へ行ってきました。タカの試合をこうして生で見るのは七夕の夜のジュビロ優勝Vゴールの試合以来です。帰国したタカは某Jチームの練習場でイナと一緒にずっとトレーニングをしていたようですね。12時間の時差って簡単には取れないだろうなあ・・・。大変だ・・・。>みーさん タカの某Jチームのサポの方々への対応がとても良かったよと褒めてくださってありがとうございました(^^)

  埼玉スタジアムへの交通手段としてバスがあるのですが、私はバスが予約制なのを直前まで知りませんでした(汗)。ということで?浦和美園駅からスタジアムへ。

  W杯用に新設されたスタジアムは私は横浜、新潟と見たので埼玉が3つ目でした。周りにホントなんにもないですね〜(苦笑)

  スタジアムにつくと既に試合開始10分くらいだったのですが、バックスタンド2F2列でとても見やすかったです。やっぱりスタジアムはサッカー専用ですね!!

  試合の内容はやはり本気でないイタリア(苦笑)でしたが、前半は面白い展開でした。ああ、トッティやっぱりカッコイイっすね。タカは体調も良いようでかなり動いてました。興味深かったのはタカとヤナギのポジションチェンジの妙。かなり頻繁に左右を入れ替わっていました。トルシエの指示なのか二人の約束なのか。タカとヤナギだとこういう風にできるのね・・・と改めて感心。これをシドニーでもっと出来てたらなあ。

  そして嬉しかったのは何より「タカ&イナ&伸二&浩二」を同時に試合で見れたこと(^^)。亮ちゃんとぽんこつリンゴちゃんと「この4人が一緒にこんなに長くプレーするのはもしかしてWユース以来じゃあ・・」と話してました。Wユース以来、誰かが怪我などで欠けていたので、同時に4人が一緒にプレーするのは久しぶりなんですよね。嬉しかった〜。もちろんソガも。

  タカは後半からベンチでしたが、下がった伸二がタカの横に座り、イナも下がってくるとタカの横に座り。・・・と3人並んで楽しそうに話しながら試合を見守っていました(^^)それに雄太が加わっていて、4人でまたお喋り。ユース組は本当に仲が良いですね。

  試合は1−1。親善試合にしては出来すぎ?の結果でしたが、イタリア選手の体調不良はさておき、メンバー的にも純粋に楽しめた試合でした。

  さて。問題の帰りです。

  交通手段はバスと電車。予約をしていなかった私は電車で帰ることに。

  しかし、浦和美園駅への道は1本しかなく、その道は正月の明治神宮への参拝客並の混みよう・・・。う〜ん。これってやはりW杯本番にはかなり問題なんでは・・・。結局、スタジアムを出て東川口に辿りつくまで2時間近くかかりました。疲れたーー!!

  スタジアムではまたまた知り合いの方にたくさんお会いしました(^^)みなさんお疲れ様でした。

  さあ、タカはアルゼンチンへ帰国ですね。移動で本当に大変ですが、体調にだけは十分気をつけて欲しいです。

  今度はボカでの活躍を楽しみにしたいと思います。

  タカ、イタリア戦お疲れ様でした。  

      

  2001年11月1日  「タカ帰国」                           

  タカがイタリア戦に向けてアルゼンチンから帰国しました。日本代表としての召集に対する帰国ですから、以前に「タカが外国のチームから日本代表に召集されて帰国」という夢に見ていた(?)ことが実現したわけです(^^)。

  ボカと日本代表。どっちが大切だったろう・・・。と考えてみたのですが。ボカに移籍してまだ確かな結果を残していないということは十分理解している上で言わせて頂くと、やはり日本代表の試合に出場するべきだと思っています。

  これが、翌年にW杯を控えている年でなければ、当然ボカでのプレーに磨きをかけるべきでした。しかし、来年はW杯で、開催は日本。

  日本代表の試合に呼ばれることはとても名誉なことだと私は思っています。

  日本代表のユニを着るからには、絶対にそのユニに込められた期待を裏切るようなことをしてはいけないと。

  その意味をタカはジュビロというチームの多くの日本代表選手から学んできました。

  そして日本代表というチームの意義をタカは十分理解している選手だと私は思っています。

  24時間以上の移動距離を経て、日本に帰国したタカ。お疲れ様。そしてイタリア戦がんばれ! 

      

  2001年10月31日  「エノ」                           

  ナビスコ杯決勝。ようやく気持ちの整理が出来たので、感想を。。。

  ぶっちゃけた話。ジュビロが優勝すると思っていました・・・。はあ・・。

  この試合は私が言うまでもなく横浜FMのGK榎本選手の試合でした。

  エノは、川口が守護神としてマリノスのGKとしている間ずっと控えのGKでした。GKというポジション柄確固たるレギュラーのいるチームでは控えの選手が試合に出られるチャンスはめったにありません。

  エノはユース時代のタカのチームメイトです。U−19アジアユースの時には正GKでした。タカと苦労をともにしたチームメイト達が各々のチームでどんな風に頑張っているかはいつも気になっています。彼らも頑張っている!タカもがんばれ!と・・・。

  エノの活躍はジュビロサポとしての私はとても悔しかったけれど、あのユースメンバーを愛している私としては嬉しかったです。。。

  そういえば、アジアユースの帰りにチェンマイーバンコクの飛行機が、応援に来ていたエノのご家族と一緒でした。エノにそっくりのお兄さんと美人なお母さんと気さくなお父さん。きっとようやく巡ってきたチャンスに喜ばれているんだろうなあ。。。 

      

  2001年10月6日  「タカの言葉」                           

  日本代表の欧州遠征のおかげで久しぶりにタカのコメントを聞くことが出来ました(^^)

  インタビューでタカはいつものように「ゴール」という言葉を言っていて、それでこそタカ!(^^)と変らない言葉にとても嬉しかったです。

  ところが翌日の新聞に俺がキングみたいに書かれていて、「?」な気持ちになりました。まるでアルゼンチンに行って、初めてゴールするのが一番大事だと悟ったように・・・。

  タカはずっとゴールすることがFWの仕事だと言っていました。ユースの頃からです。私はそういう姿勢を貫くタカのスタイルが好きです。

  Reportのページの「1999年 12月号 サッカーai」の所にも当時のタカの言葉が抜粋してありました。「FWは点を取ったヤツが一番偉いから」と。ぜひもう一度このReportのページに載せた4年分のタカの記事のひとつひとつを読んで見て下さい。     

  アジアユースもWユースもシドニー五輪もアジア杯でもタカはチーム最多得点者でした。

  タカは「ゴール」することがFWの仕事だといつでも語って、実際にその全ての試合でゴールを挙げ結果を残してきた。昨日今日、初めて「ゴール」と言ったのではありません。ちょっと新聞を見てむかついてしまいました。嘆息。とくに「〇ンスポ」(いつもはさっぱりサッカー記事が一面になることはないのに、こんな時だけ一面に持ってくるから嫌いだ。その点で、日刊とか結構頑張ってサッカーを取り上げていると思うんですけど。

  今のタカのスタイルを確立させたことに大きな影響を与えたのが中山雅史という選手であることは言うまでもありません。

  隊長のサッカーの信念の中に「ゴールをしないFW」などという言葉はありません。

  タカがいつでも「ゴール」に拘るのはそんな隊長の一番近くでずっとプレーをしてきたからです。今年のJでのタカのプレーはまさに隊長が乗り移ったようなプレーでした。そしてその気持ちはアルゼンチンへ行ってますます強くなっている。

  私はタカが「ゴール」に拘る限り、必ずその成果を出してくれると信じて疑いません。なぜなら、今までもずっとそんなタカのプレーを見てきたから。

  その期待は裏切られたことがない。

  今のタカは来年の大舞台へ向けていろんなことを模索している最中だと思います。環境や精神面で大きな負担もあるけれど、それも全ては来年のため、そして自分の将来のためです。

  タカから「ゴール」という言葉が聞ける限り、私はタカの信念を応援したいと思います!

  タカ、がんばれ!! 

      

  2001年9月29日  「ウォーターボーイズ」                           

  今公開されている「ウォーターボーイズ」という映画を見てきました。

  内容は知っている人も多いと思うのですが、男子高校の生徒がシンクロをやるというものです。

  で、なんでそんな話をするかというと、単に私はこの映画のモデルとなった埼玉県立川越高校の本物の水泳部のシンクロを高校時代に見たことがあるからです(笑)

  もう12、3年位前のことなんですけど(苦笑)

  私はこの川越高校の隣りの某県立女子高校へ通っていたので、川越高校のくすのき祭は毎年見に行っていました。その催し物の中でもやはり水泳部のシンクロは本当に面白くて、当時から人気がありました。

  確かにくだらないといえばそうなのかもしれないのですが(笑)、高校生の頃というのはこういうことに全てをかけて必死になったり楽しんだりするのが一番なんだと思います。

  私の自身の思い出の中でも高校時代が一番「くだらなく楽しい」時期だったなあ、と思い出されるので。

  このHPを見に来て下さっている方にも高校生の方がいらっしゃるようなので、一言。

  「高校時代はバカをやって弾けておけ!!」とアドバイスしておきます(笑)  

      

  2001年9月26日  「初ゴール」                           

  タカが23日のラヌス戦で、アルゼンチンリーグ初ゴールを決めました。

  アルゼンチンへ風のように渡ったのが7月終わりですから、新天地2ヶ月目の事になります。

  今回のゴールはタカがこれまで受けてきたプレッシャーの中で、最も重く意味のあるものだったのではないかと思います。

  例えば。ジュビロに入団して1年目のころはやはり出番も少なく、ゴールをしてアピールをという気持ちもたくさんあったのではないでしょうか。

  私が見ていた中で、プレッシャーのあったのは、オリンピックアジア最終予選でした。タカは1次予選を三角骨の手術で辞退していたので、オリンピックへのアピールをするために最終予選でゴールをという応援する気持ちがとても強かったです。

  でも、今回の初ゴールはそのどれにも属さない、別の重みがありました。

  タカがゴールをしたと徳田さんの書き込みを見て知った時、本当に嬉しくホッとした反面、どんな試合内容だったのかがとても気がかりでした。

  今のタカはゴールするのは当然だと思います。ゴールしなければ彼はアルゼンチンへ行った意味がない。

  そして良い内容の動きや活躍をしなければ認められない。録画放送を見て、他にもあった3度のチャンスが惜しまれました。

  でも、惜しいではダメなんです。決めなくては。

  こんな事は私が言わなくてもタカ自身が十分承知していると思うのですが。

  重要なのはいつもタカが言っている「カッコ悪くても、泥臭くても良い、自分がゴールするんだ」という気持ちですね。

      

  2001年9月8日  「チェンマイ会」                           

  今日は新宿のエラワンでタイすきを食べてきました。タイすき、大好きなんですよね〜。

  というのも98年のU−19・アジアユースが行われたタイ・チェンマイで知り合った友人たち12人で集まろうという話になったのでした。

  友人たちは全国、はたまた世界のスタジアムで良く逢うのですが(笑)、久々に逢う人もいてとても楽しかったです。

  みんな相変わらずのサッカーファンで(笑)。

  その中のTさん(男性)はユースをずっと応援されている方で、数年前から今のUー17は良いよ!と聞いていたのですが、そのUー17が今週末からトリニダードトバコで大会があるので行ってくると聞いて思わず「トリニダードトバコってどこの国の都市ですか?」とマヌケた質問をしてしまいました(苦笑)トリニダードトバコはカリブ海にある国名です。(一つ賢くなった・・・)

  その話に感心していたら別の男性のTKさんが「自分も行くよ、トリニダードトバコ」と言っていたので、全く相変わらずだなあ・・・。と(笑)TKさんとはシドニー五輪の時にブリスベンのスタジアムでばったり逢ってお互い大笑いでした。

  当然のようにみなさんに「アルゼンチンにはいつ行くの?」と聞かれたのですが、「アルゼンチンに行こうか、欧州でやる日本代表戦に行くか迷っている」と答えると「エールフランスはもうキャンセル待ちも出来なかったよ」と即答のように言われて、爆笑。

  既に確認済みかい!という感じで(笑)考えることはみなさん同じでした。(苦笑)さすがにユースの試合を見に、チェンマイまで来る人々だけあってツワモノ揃いです。(笑)

  そして食事をしながらチェンマイでの昔話?に花が咲き、「伸二もイナもタカも海外行って、満男もモトもバンも浩二もイチもヤットもみんなJで活躍してて、あのチームは本当に良いチームだったよな・・・」としみじみとしていたのでした。

  この友人たちとはサッカーを追いかけている限り、必ずまたどこかのスアジアムで出会うことになるのだろうと、思うのでした。

      

  2001年8月25日  15冊のスクラップブック」                           

  ボカへ移籍してからタカがスポーツ新聞の1面に登場することが多くなりました。

  私は何を隠そうスクラップマニアで(ってなんだそりゃ笑)、スポーツ新聞の記事を切りぬいてはスクラップブックに収めています。もちろん98年から集めているタカの記事です。

  タカのJデビューとなった記事はタカのゴールを伝えるとても小さな記事でした。それからナビスコ杯の活躍でタカは大きく取り上げられて初めて「高原」の名前と写真が1面並に扱われたのでした(^^)

  ついつい見返していると、ワールドユースの時など、自分がどんなにとち狂っていたかを思い出して思わず苦笑してしまいます。何しろ、スポーツ新聞全紙はもちろん、内外から東スポ、JAPAN TIMES、はたまた一般紙の夕刊までU−20の載った記事を全て切りとってるのですよ。(笑)というか毎試合、全部買ってた自分が怖い。

  マメマメ人間というか、何というか・・・。そんな、タカの記事で埋まったスクラップブックも、早、15冊です。

  その中にアルゼンチンへ渡ったタカの記事が加わりました。

  なんとも言えない気持ちです。少し胸がいっぱいになりました。

  これからこのスクラップブックにどんなタカの記事が増えるのでしょうか?

  輝かしい足跡の記憶としてこのスクラップが残ることを楽しみにしています。   

      

  2001年8月19日  「タカ、ボカジュニア−ズデビュー!!」                           

  アルゼンチン1部リーグの試合に初めて出場した日本人は高原直泰でした。

  タカがボンボネーラで戦う。

  そんな姿をほんの半年前の自分では想像がつきませんでした。いえ、ほんの1ヶ月前でも・・・。

  ボンボネーラの選手登場口にはチアガールが踊りピッチには紙吹雪が舞っていました。その中に登場したタカの表情は私が今まで見たどんなタカの表情よりも純粋に嬉しそうでした。

  そして、後半29分。タカは本当にボンボネーラのピッチに立ちました。

  スタジアムは(日本人)というコールで沸きかえったとのこと・・・。タカはそのコールをどんな想いで聞いたのでしょうか。

  サッカーが生活の一部となっている土地でプレーするということ。

  それを今肌で実感しているタカ。楽しさも厳しさも人一番だと思います。

  今のタカは私たち日本のファンだけのタカではなく「ボケンセ」たちの「タカ」です。

  彼らの期待を一身に浴びるプレーヤーです。その期待に応えてくれる瞬間を私も楽しみに待っています。  

  

  2001年8月8日  「1ヶ月」                           

  七夕の夜にタカのVゴールを見てから1ヶ月が経とうとしています。

  1ヶ月前の自分に「タカは1ヶ月後にアルゼンチンのボカへ移籍するよ」という言葉を伝えられたなら。あの七夕のゴールが生で見たJの最後のゴールになると分かっていたら。もっとちゃんと目に焼き付けておけ!!!そして喉が枯れるまで応援しておけ!!!と戒めるところなのに・・・。

  さて、ナンバーの南米特集を読みました。その中でこの一節が心に強く残りました。

  「アルゼンチン人にとってサッカーは情熱そのものであり、他の何にも代えがたいものだ。住居や仕事、宗教は代えられる。だが、サッカーだけは代えられない。どんなことがあっても、子供のときにファンになったクラブへの愛情は、決して変えることができない。なぜならそれはアイデンティティでえあり、人々にとって最も重要なものなのだから」

  この言葉を読んだとき、タカが飛び込んだアルゼンチンという国のことを深く考えました。

  そして、この言葉の意味を考えました。

  タカはとてつもなく大きなものを得るでしょう。それは良いものも辛いものも幸せなものも、色々だと思います。

  でも、それは日本にいては決して手に入らないものです。

  タカがこれから過すアルゼンチンという国の事をもっと知りたいと思う今日この頃。

  スペイン語の辞書と文法書を買いました。

  こんなことなら学生時代に第二外国語をスペイン語にしとけば良かった・・・などと思いつつ。硬くなった脳を酷使して、とりあえず、私もいっちょスペイン語の勉強でもがんばってみようかと思います。

  Hasta luego.(では、また!)  

                                 

  2001年8月5日  「タカ移籍」                           

  今日の日記が、この3年間書いてきたものの中で最も難しく最もいろんな思いがこもったものです。

  タカの移籍が決定しました。アルゼンチンリーグ。名門ボカ・ジュニア−ズです。

  いつかは海外へ。

  これはタカがユース時代からずっと言い続けていたことなので、私もいつかは海外リーグでタカが活躍する姿を見たいと思ってきました。そのことが叶う時がきたというのに、あまりの展開の早さにその事実を認識するので手一杯です。

  伸二がオランダへ、イナがプレミアへ。ジュニアユース以来、最もタカと仲の良い選手たちが次々と移籍していく中、タカ自身が「自分も」と思っていただろうことは容易に想像がつきます。

  磐田でのレギュラーの座を捨てて、タカが選択した道はとても厳しい道だと思っています。

  アルゼンチンという国、そして環境、サッカーについて無知な私には何も語れるものがありません。でも、これから学ぶことは出来る。

  私はスペイン語を勉強しようと思います。タカの載った記事を読むため、そしてタカの活躍を知ることが出来るように。

  22歳の青年が選んだその人生を手放しで喜んだり、不安に思うよりも、チャレンジしようとする姿と一緒にその成功を願って応援することが、自分に出来ることではないかと思っています。

  タカのプレーが私に勇気をくれたように、アルゼンチンの人々の心に勇気を与えますように。

  そう信じて、タカの選んだ道を力の限り応援したいと思います。               

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