my favorite その8

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2002年6月30日  「2002年FIFA W杯ブラジル優勝」                 

  最後にブラジル代表のキャプテン、カフーが台の上に上がり、胸の前に持ったワールドカップを一呼吸置いて、笑顔で両手で高々と掲げた時、「あー、W杯が終わったあ〜!」と思いました。

  長いようで短い1ヶ月でした。

  始まる前は、中々日本中の雰囲気が盛り上がらなくて大丈夫なのか?と思った位でしたが、始まると一転、異常な盛り上がりでしたね(苦笑)

  自国開催のW杯。いろんな事を感じ、体験しました。思い出を書いておこうと思います。

  <電車でW杯、自転車でもW杯>

  自分の家の駅から電車に乗ってW杯。そんな夢が叶ったのが一番嬉しかったです(^^)6月4日の日本vsベルギー戦の時、私は武蔵野線に乗っていったのですが、東浦和から6駅離れている新秋津駅にも警察がホームにいたんですよ。驚いたというか、呆れたというか。いえいえ、そんな警察のおかげで安全でいられたのですから。

  で、東浦和から埼玉スタジアムに向かう途中で見たあの、「日本代表のユニを着て自転車を漕いでいた親子」。後で、よくよく考えたら乗りつけた「自転車」はどうするの??と思っていたのですが、『2002年8月号 Sportiva』の「世界蹴球杯漫遊記」という特集の中に埼スタの自転車置き場の写真が!!こんな写真撮っておいてくれてありがとう!(笑)

  草っぱらに自転車が止まっているだけなんですが、「やっぱり駐輪場もあったんだ!」と分かって嬉しかった(笑)

  それにしてもチャリチャリっと「自宅から自転車でW杯」に行った人もたくさんいるってことで。羨ましいーーー!!!(笑)

  <おばさんも女子高生もW杯・・・というか、ベッカム?>

  電車に乗っていたら、隣りに座っていた60代位の老夫婦が突然「昨日のあの試合のオフサイドは・・・」などと、語り始めてびっくり。そんな会話を普通そうに見える(笑)老夫婦から聞けるのは試合前のジュビスタ行きのバスの中か、駒場行きのバスの中だけだと思ってました。

  某デパートに特設されていた日本代表のグッズ売り場に行ってみると、物凄い人・人・人。誰もが代表のユニとマフラーを握りしめてました。そのほとんどが若い女性。女子高生もたくさん。そんな彼女たちの会話で「このタオルマフラーってレアなんだよ!」とかいうのがあったんですが。そんなレアなマフラーがあったのか・・・。

  書店に行くと、店の前のワゴンに山積みにされた「ベッカム」本に人だかり。「超〜カッコイイ!」という声が聞えてきます。ええ、ベッカムはカッコイイっすよね。(笑)

  しかし、某サッカー雑誌を読んでいた女子高生たちが「鈴木ってカッコイイ!」「柳沢だよ!」「えー、ベッカムだよ」と騒いだあげく、「この中村俊輔って人、代表じゃないんでしょ。なんでポスターになってるの」と言ったのを聞いた時には思わず怒りの鉄拳が飛びそうになり、足早にそこを離れました(爆怒)。

  <こんな所もW杯>

  チケット問題。日本戦のチケットが電話販売になり、発売開始になった時間。まったく関係なくiモードを使用しようとしたら、「使用できない」の表示が・・・。まさか、その時はチケットを取る為の人々の回線の混雑とは思いませんでした。2時間くらい不通でしたね。ひえ〜。あ、でもトルコ戦分の発売の時は「売り切れましたオペレーション」を記念に聞いてみました(苦笑)

  日本vsトルコ戦の日の東京駅。ホームが真っ青に染まってました。みんな代表ユニ。東京駅であんな風景を見ることももうないだろうと、写真を必死で撮りました。記念、記念。しかも、当たり前ですが、新幹線の車内もブルー一色。聞えて来る会話も当然サッカー話(^^)

  うちの最寄駅の駅前のたこ焼き屋さんにこんなプラカードが。「W杯開催記念特別価格1パック300円」。なんかイイ感じ(笑)

  BJ先生の韓国vsスペインの観戦のお土産に貰った、あの「BE THE REDS!」のTシャツ。今度、韓国に旅行に行く時にでもカバンに忍ばせて行こうかな〜。

  ということで、日韓開催のW杯も終わり。

  サッカー大好きな人もW杯期間限定サッカーファンも、いろんな貴重な経験や楽しい思い出が出来たと思います。

  これらの全てが、少しでも日本のサッカーに役立っていきますように。

  さあ、またJリーグが始まるぞ!!

 

  2002年6月19日  「トルシエ・ニッポンの4年間総括 たくさんの思い出とともに」                 

  フィリップ・トルシエを初めて生で見たのは98年10月に行われたアジアユースのチェンマイのスタジアムでした。

  トルシエは1ヶ月前の9月に就任したばかりで、まだ代表の指揮を取ってなく、わたしも顔を知っているだけの状態でしたが、わざわざA代表の監督が日本国内ならまだしも、タイのチェンマイまでユースの試合を観戦に来ていることに軽い驚きと期待を感じました。

  ここで活躍したらトルシエの目に留まってタカもA代表に選ばれるかもしれない。そう思いました。

  あれから4年。アジアユースに出場していた選手でW杯に出場した選手は伸二、イナ、浩二、満男、イチの5人になります。23人中5人は凄い人数だと思います。

  そして、トルシエは99年からU−20となったユースチームの監督に清雲に代わって就任しました。

  <フラット3>

  U−20が福島のJヴィレッジで行った合宿を何度も見学に行きました。最初にトルシエが選手たちに教え込もうとしていたのは、なんといっても「フラット3」です。それまでのU−19はもちろん4バックでした。トルシエは何度も何度も何度も繰り返し繰り返し選手たちにディフェンスラインの上げ下げの仕方を教えていました。

  フラット3については良かったか悪かったかという判断は今となっては私にはつきません。4バックでもやれたとも思うし、フラット3だからW杯で決勝トーナメントに上がれたのだとも思います。

  それにしても「よく怒鳴る監督だなあ」。福島で見たトルシエに対する最初の感想はこれです。そしてインパクトがあったのはなんといっても通訳のダバディでしょう(苦笑)トルシエが「GOOD!」と叫んだ言葉を、ダバディがすかさず「今のソレイイ!」と叫んだ時に、見ていた私たちは爆笑しました・・・。ダバディ、いくらなんでも「GOOD」で充分通じるよ・・・。ダバディの奇妙な日本語はいつも私たちの話題の的でした。

  <人間主義>

  トルシエはワールドユース前にブルキナファソに選手たちを合宿に連れて行きました。それまでブルキナファソなんていう国があるなんて私も知りませんでした。クーラーが壊れていたというホテルで選手たちは過し、トルシエは孤児院に選手を連れて行きました。これまでの日本代表と決定的に変ったことはこういう点だと思います。これまでのJFAなら絶対にブルキナファソで合宿するなんて考えつかなかったでしょうね。

  そして。戦術はもちろんですが、トルシエという監督は完璧なる人間主義だと私は思っています。選手の性格を一人一人非常に的確に把握しています。そして、時にその人間性で選手の起用を決めたりします。

  <世界で勝つ喜び>

  99年のワールドユースで日本代表として初めてFIFA主催の大会で準優勝しました。トルシエ・ニッポンが教えてくれたもう一つの大きなものは「世界で勝つことの喜び」でした。予選リーグを勝ちぬき、ベスト16、ベスト8、ベスト4、決勝と一つ一つ勝ちあがる喜びと感動、興奮を私は初めて知りました。ポルトガル、メキシコ、ウルグアイ、スペインと強豪、古豪と呼ばれるチームを全く恐れることなく戦う日本選手たちがこれまでにいたでしょうか。

  その興奮は2000年のシドニーオリンピックでも続きます。オリンピックで勝つこと。オリンピックで決勝トーナメントに進出するのは32年ぶりのことでした。そして、そのすぐ後にアジアカップが行われ、レバノンの地で日本はアジア王者となりました。

  ほんの5年前まで、日本代表は親善試合でタイに負けていたのです。フランス大会のアジア予選ではUAEにもウズベキスタンにもカザフスタンにも引き分けたチームだったのです。

  2002年に日本がW杯で1勝どころか、2勝1引き分け、勝ち点7という好成績で決勝トーナメントに進出するなんて、つい2年前でも容易に想像できませんでした。

  この4年の日本代表の成長ぶりに感慨を覚えないサッカーファンはいないのではと思います。

  <タカが代表に選ばれ続けたこと>

  タカは怪我で辞退したり、病気だったりした以外で日本代表に選出されなかったことはありませんでした。A代表に入らなかった時でもユースや五輪代表のチームに必ず呼ばれていました。

  私がトルシエに一番感謝しているのはこのことです。W杯は仕方なかったので、今更ですが、タカを代表にいつも選出してくれていたトルシエには「ありがとう」と素直に思っています。

  <チームを支えてくれた人々>

  トルシエ・ニッポンをずっと支えてくれた人々にもとても感謝しています。サミア、山本コーチはよくぞあのトルシエの元で選手をフォローしてくれいたと思います。この二人がいなかったらトルシエは多分1年も持たなかったでしょうね。サミアはいつも選手に対して笑顔を欠かさない人でした。私の友人たちはサミアの事を「トルシエ・ニッポンの母」と呼んでいます(笑)山本コーチも。山本さん、ジュビロに帰って来てくれるのかなあ。早く帰って来て下さい〜!!!

  決して表舞台には出てきませんが、エクイップの麻生さんや山根さんもずっとトルシエ・ニッポンを支えた人でした。選手の練習前にボールやコーンを運び、ビブスを用意し・・・。と忙しく働く二人の姿がありました。山根さん、W杯のトルコ戦の後、チラッとTVに映ったのを見たら坊主になってた・・・(苦笑)まだ誰かのバリカンの餌食になってしまったんでしょうか・・・(汗笑)。FIFAがW杯で日本チームのロッカールームが綺麗だと褒めたそうですが、彼らのような人がいるおかげ・・・。さもありなんです。チームを影で支えた功労者。二人ともアディダスに帰っちゃうのかなあ・・・。  

  <強くなった日本>

  一言でトルシエ・ニッポンを言うなら「強くなった」。でしょうか。でも日本はもっともっと強くなれると思っています。問題はこれからです。トルシエが残した善も悪もしっかりと日本は考えなくてはいけません。

  JFAはトルシエに懲りて次の代表監督を日本人にと言っているようなのですが、私はどこか外国の監督を招聘するのが良いと思っています。監督と選手、協会との文化の違いは摩擦を産むことも多いけれど、それ以上に日本人にもたらすものはきっと大きいと思うからです。

  ともかく、私はトルシエも、トルシエ・ニッポンもその力をこの4年間に渡って十分に見せてくれたと思っています。

  この4年間。日本代表に関わった選手、そして全ての人々にありがとうと感謝の気持ちを伝えたいです。

  日本代表、ありがとう!そして、トルシエ、ありがとう!  

 

  2002年6月18日  「2002 FIFA WORLD CUP KOREA JAPAN 日記 日本vsトルコ in宮城スタジアム」                 

  埼玉は朝から雨。

  ベルギー戦は念の為にジュビロポンチョを持って行っていたのですが、やっぱり重い・・・。ジュビロポンチョは丈夫な分重いので、今日は急遽購入した日本代表ポンチョをカバンに詰めて出発。

  今日も「TAKAHARA 9」ユニ持参です!

  東京駅に着き、ハイパーリンゴちゃん&あかねちゃんと合流。W杯ボランティアブースで今日の仙台行きの新幹線の情報を貰う。臨時便が出ていたので、それに乗り込むことに。さすがの臨時便だけに大宮の次の停車駅は仙台!という、超特急便〜。今回の新幹線切符も「W杯観戦切符」で宮城スタジアムの最寄駅まで込みで、新幹線自由席往復¥15,000というものでした。JR東日本さん、ありがとう♪ 

  途中、大宮から乗ってきた亮ちゃんとも合流。仙台駅には12時に到着しました。そのまますぐに地下鉄で泉中央駅へ移動。宮城スタジアムはスタジアムの入り口によってアクセスする駅が決まっているのです。・・・うーん。このシステムって有効なのかなあ・・・。

  そういえば仙台駅でチェンマイ会のTさんにばったり出会う!・・・これだけの人がいるというのに出会うとは・・・。あ、シドニー五輪の時もブリスベンのスタジアムでばったり会って驚いたのだった。「Tさん、もうたくさんW杯観戦したんじゃないですか?」と聞くと「うーん、そうだね。10試合以上は観たかな」と言ってました。日本全国を観戦しながら渡り歩いているとのこと。流石です。それにしてもチェンマイ会の友人はどこのスタジアムに行ってもいますねえ(笑)情熱です。

  泉中央駅ビルの中の「きすけ」という牛タン屋さんでお昼。「仙台で牛タンを食べて応援だ〜!」という欲求を満たしました(笑)店員さんも代表ユニ着てました。牛タン美味しかった〜。

  1時半頃に泉中央からスタジアムへ。泉中央駅を出るともう大雨・・・。駅の中から厳重に雨対策をして代表ポンチョも被って、バス待ちの列に加わったのですが、その列の長いこと・・・。バス停まで遠いのです。大雨の中これは辛い・・・。そういえば、どうして仙台駅から直接バスが出ないんでしょうね??

  宮城スタジアムのアクセスの悪さは既に行った友人から聞いていたのですが、やっぱり。スタジアムに到着した時点で、全身びっしょりで、始まる前に既にぐったり。

  スタジアム到着は2時半頃。雨は全く降り止む様子もなくゴール裏の屋根無しの席でひたすら冷たい雨に打たれました。

  キックオフ前。スタメン発表。

  え・・・?1トップ?1トップ〜!?これは・・・。FWが西澤であるなしに関わらず1トップというのは日本にはとても難しいフォーメーションだと思います。3−6−1で勝った記憶がないですから。これもトルシエらしいといえばトルシエらしい采配なんでしょうか・・・。

  そして試合開始。

  トルコは上手い。強い。速い。雨に濡れたピッチでのボールの扱いは基本的な自力が出るような気がします。中盤で繰り返しミスが続き、これではかなり厳しいです。

  前半、ドンピシャのコーナーからのセットプレーでで1失点。日本の攻撃はほとんど出来ず。アレックスも個人的に良くてもチームとして機能していたかは疑問が残ります。

  ハーフタイム。母がOさんもW杯に連れて行ってあげなさい。というので私が退院する日に一緒に撮った笑顔のOさんとの2ショット写真をカバンから取り出し、「Oさん、これがW杯ですよー!」とスタジアムを見渡しました。

  後半は2トップへシステム変更。

  前半よりもトップへ入るボールの数は増えましたが、フィニッシュ出来ない。「シュートで終わること」の大切さを選手全員が分かっているはずなのに・・・。「どうして打たない?」この疑問ばかり・・・。時間は刻々と過ぎて行く。

  宮城スタジアムは時計とビジョンが片方しかなく、私はこのビジョンの真下だったので試合中、何度も何度も後ろを振り返って時間を確認してました・・・。

  そして、試合終了。日本、ベスト16で敗退。

  びしょ濡れの格好で終了の瞬間を迎えました。物凄い脱力感と悔しさでしたが、最後なのに涙は全く流れませんでした。

  全然、泣けなかった・・・。泣けなかった理由は自分でも分かっているのです。「あの最後のピッチにはタカがいなかったから」。

  私にとっての今回の日本代表のW杯は、正直な所、スタジアムに入る直前でチケットを無くしてしまったサポーターのようでした。目の前に最高潮に盛り上がっているスタジアムがあるのに、スタジアムの外で歓声を聞いている感じでした。

  でも、そんなW杯での日本代表の戦いも終わってしまった・・・。ひどい喪失感だけが私の中で蔓延してました。

  帰りの新幹線で亮ちゃん&リンゴちゃん&あかねちゃんとトルシエ日本の4年間についていろいろ語りました。

  トルシエ日本の総括は明日の日記でゆっくり書きたいと思います。

  とにかく、日本代表!ベスト16、立派でした。頑張ってくれて本当にありがとう!

  W杯で勝つことの嬉しさを教えてくれました!!

  次はドイツで勝利を味わおう!!

 

  2002年6月15日  「夢を叶え 夢を終え 夢は続く」                 

  日本がW杯の決勝トーナメントに進出しました!!モリシの1点目でもう涙が・・・。最近涙腺が崩壊です。

  6月18日宮城スタジアムH組1位×C組2位。

  この試合のチケットを私は持っていました。でも正直、日本が本当に上がってきてくれるか・・・。半分以上は夢だと思っていました。

  日本H組1位。夢じゃなかった。夢じゃなかった・・・!!決勝ラウンドだ!!!

  きっと何度も思うと思うので、今更こう思うことを私は隠しません。

  タカに決勝ラウンドに居て欲しかった。

  18日は宮城スタジアムに日本を応援に行ってきます。

  4月29日に「人の優しさの重み」という日記を書きました。

  その中で私は入院していた時に向かいのベッドにいたOさんというおばあ様の話を書きました。

  孫たちにも応援させるから書いて欲しいと言われ、私は「ジュビロ磐田、高原直泰」とタカの名前をOさんに教えました。

  私が退院した後も何度かお見舞いに行って、W杯の代表にタカが漏れてしまった時も「高原さんは残念だったわねえ」と言ってくれていました。

  その後、一度は退院される程だったのですが、再度入院されていました。11日にお見舞いに行った時、「日本勝ちましたよ!」と話しかけたら、静かに手を力強く握り返して下さるくらい元気だったのです。

  今朝、Oさんの娘さんからお電話が来ました。今日の未明にOさんは亡くなられた、と。

  「miyukiちゃん、病室でお母さんを元気付けてくれてありがとう」と言われ、電話越しに号泣しました。

  娘さんは、「日本、決勝ラウンドに行けて良かったね」と言ってくれました。

  Oさんにタカのゴールを見せたかった。

  W杯が終わってJリーグが再開したらOさんにもジュビロを応援して欲しかった。

  私はタカのファンになるべき友人を一人、永遠に失いました。

 

  2002年6月9日  「W杯日本初勝利! 日本vsロシア!!!」                 

  試合終了の瞬間。TVの前で気付いたら何度も何度も飛び跳ねていました!「やったー!やったー!」と叫んでました!

  涙が溢れてきました。

  日本W杯初勝利!!!

  日本全国が勝利に酔いしれてましたね。

  そして、もちろん試合終了後は興奮さめやらぬうちにちゃんとタカのコメントを聞かなくては!!ともう一度TVの前に座り直し、正座して聞きました(笑)

  中山隊長の「肉食いに行こう!」の台詞にはゴンらしいユーモラスと優しさが詰まっていたと思います。タカの「自分も分も頑張って欲しい」という願いをしっかりと受けとめて、そしてタカが当たり前の仲間のように「一緒に」と言ってくれたのです。

  笑いながら嬉しくてまた涙が出ました。

  イナのゴール!!!!もう本当に嬉しい!!!

  イナはゴールの直後、一番に伸二と抱き合いました。試合終了後も伸二とイナは二人で抱き合って喜んでいました。

  ずっと10代から一緒にやってきた仲間の絆を見た気持ちで、ここにタカがいたらとその瞬間だけ寂しかった。

  いろんな友達からメールが来ました。

  みんな大喜びでした。

  日本、W杯初勝利おめでとう!!! 

  次も勝って予選突破だ!!!

 

  2002年6月4日  「2002 FIFA WORLD CUP KOREA JAPAN 日記 日本vsベルギー in埼玉スタジアム

  今日は6月4日。自国開催の日本の登場。場所は埼玉スタジアム。

  2001年1月29日の日記に後藤健生先生のサッカー雑誌のコメントのことを書きました。内容は、「自宅からワールドカップを見に行く」というのは生まれて初めての経験である。」この1節に夢を見た話です。

  その夢が今日、実現しました。「自宅からワールドカップを見に行った!」のです。言うまでもなく、今日の試合はどうしても見たい試合でした。日本の初戦、・・・そして今日はタカの23歳の誕生日。タカのバースデーゴールが見れると信じていたチケットでした。

  家を出る時、ユニを名前が何も入っていないものにするか、タカの名前の入っているのにするか、悩んだのですが、タカがスタジアムに居ても居なくても、私が高原サポだということには変わりない。と思い、「TAKAHARA9」のユニを着て出かけました。家からユニを着て出かけるなんていうのもW杯だからいいや!って感じで(笑)

  東浦和駅に14時半位に到着。亮ちゃんとももちゃんと合流。無料シャトルバスはW杯のチケットを持っている人しか乗れないようになってました。しかし駅の前は凄い警備・・・。バスで埼玉スタジアムに向かっていると、窓の外を日本のユニを着た親子が自転車を漕いでいく・・・。「自転車でW杯に行くなんて羨ましすぎる!!」と一人で感動・・・(笑)

  スタジアムには15時過ぎに到着。・・・しかし、盛り上がりがイマイチ。というか、やっぱり勝手知ったる埼玉なのでなんだか緊張感に欠けてしまう・・・。ももちゃんも「やっぱ大きい大会は海外やないと気分が盛り上がりませんわ」と言ってました。気持ち分かるな〜。

  会場からほどなくスタジアム内へ。チケットを半券を切られる時に「あ〜、もったいない〜」と思わず呟いた貧乏性な私にボランティアの女の子も思わず苦笑(恥)!そして中に入って直ぐに公式プログラムを購入。¥2,000也。ちょっと高いかな・・・。その後、キーホルダーを買おうと思ったらもう売り切れ。ええ?もうないってどういうこと!?開場30分も経ってないんですけど・・・。ブツブツ言いながら、おにぎりとジュースを買うと、プラスティックのコカコーラの「埼玉スタジアムオリジナル」カップを売っていたので思わず買う(笑)グッズに弱い私・・・。

  さて、ようやくスタンドへ入り席を確認。ホーム側のゴール裏。ちょうど真中辺り。周りは既に青いです。席に着く途中でB4の日の丸の画用紙が配られました。この日の丸は全国の小中学生が作ってくれたそうで、表の日の丸の赤も手塗りでした。裏側には各個人のメッセージがありました。私が手にしていた日の丸には「必勝!日本」と書かれていて「宮下嘉克」の名前がありました。宮下くんありがとう!!君が代斉唱の時にこの「宮下くん作」の日の丸を両手で掲げてました。あ、突如、飛行機が飛んで来た時は驚きでした(笑)

  フランス大会の時、私は例のチケット騒動に巻き込まれ予約していた応援ツアーをキャンセルして、初戦のアルゼンチン戦を浦和の公園に特設された大ビジョンで見ていました。一体どれだけの日本人がフランスに行けたのかと不安に思っていた画面から日本人サポーターのユニと日の丸が見えた時、思わず涙が出たのを覚えています。その時に聞いた君が代にまさるとも劣らぬ君が代。一生の思い出です。

  試合は、前半はう〜ん。という展開。どっちも様子見のような守備といい攻撃といい日本もベルギーも中途半端なイメージ。初戦の緊張もあると思います。0−0のままハーフタイムになった時は今日は点入るのか・・・とみんなで心配・・・。

  さて、後半。ベルギーの1点目は鮮やかでした。こんな点入るんですね〜。しかし日本追いつくー!!!鈴木、良く粘った!!FWは得点が全て!素晴らしいゴールでした(^^)。

  鈴木の同点ゴールの辺りから試合はW杯にふさわしい熱戦になったと思います。 

  そして稲本の逆転ゴール!!!!!!!!私&亮ちゃん&ももちゃん&あかねちゃん。大歓喜!!!イナ、ナイスゴール!!!イナらしいダイナミックなゴールでした。イナ。タカのバースデーゴールありがとう(泣)

  しかし、追いつくベルギー〜・・・。森岡の負傷交代の時にはガンバサポのももちゃん曰く「あかん、宮本はあかん・・・」としきりに呟いてたんですけど・・・。まさに交代直後でしたねえ・・・。あああ。

  稲本の2点目!!!あれ、入ってますよね?????なんでファールなんじゃーい!!!審判、良く見んかい!!!と会場全体で大ブーイング!

  試合はそのまま2−2で引き分けました。

  かなりヘトヘト。ゴール裏だったので座れず立ち通しでした。座って見たかった・・・。

  前半はイマイチな試合でしたが、後半はここ最近の代表戦では一番のエキサイティングな展開でした。楽しかった。

  あ、チケット問題。空席たくさんありましたね〜。コーナー辺りのブロックで空いているのがとても悔しかったです。FIFA!責任取れー!!

  会場内は携帯電話など全く繋がらなかったので、帰りのバスの中でようやくメールなどを打ちました。バスの中ではやっと繋がったサポーターの方々の携帯が鳴り捲ってましたが、着信音がみんな「アンセム」とか「Passion」とかで笑った〜。かくいう、私の携帯着信音も今は「Passion」です〜。

  バス内から道路を見ていると街の人々が道路脇に出て何やら集まっている。何だ〜?と思ったのですが、どうやら日本代表を乗せたバスが通過するのを待っていたみたいです。すごい・・・。

  そして、大体2時間半で自宅へ戻ってきました。

  まさに「自宅からW杯を見てきました!」。一生に一度の体験だ・・・。

  自宅に着いて急いでTVを着けると、韓国vsポーランドの解説でタカが出演していました。

  真っ黒に焼けて元気そうでした。

  タカは優しい表情でした。

  今日のチケットはタカのバースデーゴールのためのチケットだったんだよ・・・。ともう一度、思いました。

  本当はW杯へ向かう道で少し泣いていました。

  タカのユニを着て、タカをW杯で応援したかったんだよ・・・。

 

  2002年5月26日  「やっと私も参戦!」                                                            

  日本全国に各国代表がやってきています。

  キャンプや練習試合の様子はTVで見ていたのですが、実際に自分はまだどこの代表も生で見ていませんでした。

  そして、ようやく、今日、鹿島vsイタリア代表!国立で見てきました〜(^^)

  朝は良い天気だったのに試合開始の頃から雷と大雨に・・・。なんてこったい!

  国立ではたくさん友人に会いました(^^)みんな観に来てましたね。Sご夫妻の旦那さんにも久しぶりに再会(^^)でも、開口一番「身体の方は大丈夫なのか!?」と厳しく言われました。ええと、目下リハビリ中です(笑)Mさんにはアジアユース以来に会いました〜。4年ぶり!?

  さて、試合ですが、ビエリの・・・ビエリのゴールが目に焼き付いてます〜・・・。美しいゴールでした〜。

  あ、やられた!と思った瞬間に決められていたゴールでした。鮮やかでした。生で観れて感動です(笑)

  それにしても。昨日の日本vsスウェーデンの試合より面白かった・・・。と思ってしまったのですが、どうやらそう思ったのは私だけではなく、亮ちゃんもリンゴちゃんも、まぁねぇさんも口を揃えてそう言ってました(苦笑)

  今日は本山も良かったですね。モトも凄く良い選手だと思います。鹿島の10番は伊達ではないです。あ・・・モトは試合後、モンテラとユニ交換してましたね。・・・ほ、欲しい・・・。

  そして石川くん!!久々に観ましたー!彼のクロスは相変わらず上手いです。・・・石川くん・・・鹿島なんだよね。鹿島のスカウトは良い選手を獲るのが上手いなあ。

  モトも石川くんも必ず2006年に必要な選手だと思います。タカ同様楽しみ! 

  私の中でもようやくW杯が始まりました。

 

  2002年5月24日  「あと3回!」                                                            

  日本代表発表から1週間が経ちました。

  W杯の方も続々と出場国がやってきていますね(^^)まさに、いよいよ!と言う感じです。

  タカのNumberの記事を読みました。

  高原直泰に一体何が起こったのか。じっくりじっくり読むことが出来ました。記事は佐藤氏でしたが。

  タカはご両親の事をとても心配していました。

  実は5月の初旬にタカのお母様よりメールを頂きました。

  タカのご両親はオリンピックの前からこの私の拙いHPをご覧下さっています。

  私のような、いちサッカーファンにもタカのご両親は気を使って下さいました。本当に恐縮するばかりです。

  そんな優しいご両親に対してタカも「もし今回がダメなら俺の最大の目標は2006年ワールドカップに親を連れていくということになるね」と言っていました。

  私はこの言葉を心から信じます。

  そして、タカに「私たちサポーターも2006年にワールドカップに連れて行くと約束してくれ!!」と言いたいです。

  17日の日記に「タカにはW杯のチャンスがあと2回もある!」と書きましたが、間違いでした。あと「3回」だった!!!!

  26歳、30歳、34歳!(数学苦手なんで・・・爆)

  2002年はタカが命懸けで掴もうとしたW杯というものが一体何なのかというのを、しっかりと刻み付けておきます。 

  そして、2006年はまさにタカたちの時代。タカには素晴らしい仲間がたくさんいます。伸二もイナもみんな今回で貴重な体験をしてきてくれる。

  彼らが一番輝く年齢になる2006年(いえ、実際には予選が始まるのは2005年です。もう3年しかありません!!)がとても楽しみです。

  タカにはしっかり身体を治して、またゴールをそして海外で活躍して欲しいです。

  タカ、信じているぞ!頑張れ!頑張れ! 

 

  2002年5月17日  「無駄なことは何もない」                                                            

  2002年FIFA W杯日本代表が発表になりました。選ばれた23人の全ての選手に拍手を送りたいと思います。

  <伸二>

  アジアユースの試合前、「伸二、勝ってくれ!」とスタジアムに入る伸二に大きな声で叫んだ私たちに、笑顔と大きなガッツポーズで答えてくれました。あの時、こんなに頼れるキャプテンはいないと、心から頼もしく嬉しく思った事を今でもはっきりと覚えています。伸二&タカ&イナの3人は中々揃わないなあ。(苦笑)

  伸二、頑張れ!日本の運命はあなたが握っています。

  <イナ>

  代表でタカを応援する時には必ずイナの姿はいつもタカの隣りにあります。

  イナのパワフルなプレーが大好きです。イナの強く、溢れるような気迫が好きです。息のピッタリなイナ&タカのコンビ、見たかった。

  イナ、頑張れ!イナのパワーが日本を救うに違いありません。

  <満男>

  満男はいつも無表情だけれど(苦笑)、本当はとてもとても熱い心を持っている選手だと知っています。

  ずっと試合に使って貰えなかったユース時代に、ただ黙々と静かにピッチを駆けながらアピールしていたのを見て、満男の熱い気持ちを見せつけられました。Wユースの時のような素晴らしい伸二&満男のコンビプレーを見せてくれ!

  満男、頑張れ!満男の努力は必ず報われる。

  <浩二>

  いつも明るい浩二だけど(苦笑)、本当は誰より気がつく、そして芯のある選手だと知っています。

  いつも自分は「2番目」だと高校時代から言っていたけれど、鹿島に入って日本一になり、そして日本代表にも選ばれ、浩二の道は真っ直ぐに前へと進んでいますね。浩二の明るい性格が必ずチームに灯をともしてくれるでしょう!

  浩二、頑張れ!浩二のDFが日本の要だ。

  <中山雅史>

  日本一のFWとはあなたのことを指します。

  タカがどんなに好きな私でも、まだタカがゴンを超えたと思ったことはありません。

  中山雅史のプレーは見る者に力を与えます。パワーがたくさん伝わってきます。

  でも、必ずタカはあなたを超えるから。

  それまでは、日本一のFWの座はあなたの元で堅く守っていて下さい。

  隊長、頑張れ!日本の得点はゴンゴールで決まる!

  

  タカ。

  代表の中にタカの名前がなかったのを見て、涙が出ました。

  悔しかった。

  でも、誰が一番悔しいのかなんて、今更書くまでもありません。

  この悔しさは2006年に続いています。

  タカは最後の最後まで日本代表入りをあきらめなかった。その気持ちがとても嬉しいです。

  タカは22歳。中山隊長は34歳で2度W杯のチャンスをモノにしました。タカにはまだ後2回もチャンスがあるじゃないか!(^^)

  今回、こんなに悔しい思いをさせて貰った分は2006年に返して貰います。

  おかげで、このHPはあと4年必ず続くでしょう(笑)

  私は病気で大腸をなくしました。1年近く病気のために月日を費やしました。

  でも、損をしたなあ、と思うことはあっても、無駄だったとは思いません。

  人生の中でもこんな経験は中々出来るものじゃないと思いました。昨日のTV番組でタカもそんなことを言っていましたね。だから、とても安心しています。

  タカは、この経験を決して無駄にしない。

  タカがオリンピック前に好きだと言ったミスチルの「終わりなき旅」の歌詞。覚えていますよ!

  「嫌なことばかりではないさ  さあ次の扉をノックしよう

  もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」 

  2006年がもう始まっています。

  タカ!!!トレーニング、頑張れ!

  今年のJでの「得点王」ぐらい取って、この分の埋め合わせをして下さい!

  タカのW杯のゴールは、2006年までお預けだ。

  タカ、頑張れ!!タカ、頑張れ!!   

 

  2002年5月3日  「あきらめない」                                                            

  ぼんやりと自分で作ったTOPICSを読み返していました。

  これまでのタカの記事をいろいろ思い出していたら、この記事が目に止まりました。それで、TOPICSからコピーしてきました。

  2001年6/28 Number NO、528         

  「シュート、そして幸運を。『ホイッスルが鳴ってもあきらめない』高原直泰」 

  隔連載。増島みどりさんの記事です。

  高原選手にとってFWとは何でしょう?

  この問いにタカはこう答えています。

  「絶対にあきらめないことです」「鳴ってもあきらめません」

  いつあきらめるのですか? この問いにはこう答えています。

  「鳴り終わったら、です」

  この記事が高原直泰という人を一番表している文章ではないかなと思います。

  笛が鳴り終わるまで。

  あきらめない。

 

  2002年5月1日  「3周年」                           

  先日、このHPのサーバーをいじくっていたら「伝説の記憶」の写真のデータ-が半分位消えてしまいました(><;;

  なにせ1999年の写真などだったので今使っているPCではなく以前使っていたPCにデータを入れていたので掘り起こすのが一苦労・・・。苦笑。とりあえずなんとか上げておいたのですが、治ったかしら・・・。苦笑。

  その時に自分の自己紹介のhtmや闘病日記のhtmも消してしまったのですが、自己紹介の方だけは残っていたので、再度アップしました。

  データ-を直しながらなんとなく昔のFavoriteを読んでいたら、いろんな事を書いてますね、私。笑。

  99年の前半の日記は結構自分でも好きです。後半から2000年はずっと入院中だったので、苦しかった〜。

  あとシドニー五輪旅行記。自分で読んで珍道中を思い出しました。笑。

  実はこのサイトを開いて今日で3年が経ちました。

  明日からは4年目に突入です。

  これまでこのサイトを続けてこれたのも、ここを訪れてくれて下さっている方々のおかげです。本当にありがとうございます。

  私は今更言うまでもなく「タカバカ」なので(^^)タカのことばかり応援しています。えこひいきです。笑。

  それはタカのプレーが好きだからです。タカのゴールが見たいからです。

  1998年にまだ誕生日前で18歳だったタカのプレーを初めて見た時から、私はタカのファンになりました。

  もうすぐタカは23歳になります。

  6月4日。

  その日にタカが埼玉の緑のピッチに立っていますように。 

 

  2002年4月29日  「人の優しさの重み」                           

  病気を患ってしまい、2週間程の入院の後、経過が思わしくなくすでに1ヶ月以上ずっと自宅で療養をしています。

  食事が摂れなくなり病院で栄養剤の点滴を受けたりしました。退院後も何度も何度も病院へ通っています。もちろん会社への復帰はまだメドがたちません。最近はまた食欲が落ち気味で少しつ憂鬱です。

  入院中、私の向かいのベッドにいらっしゃったOさんというおばあ様はとても気さくな方でたわいのない世間話をたくさんしました。

  ある時、私がサッカーの高原選手が好きだという話しをしたら、ぜひ孫達にも応援させるからその選手の名前を書いて欲しいと手帳を渡されました。私は「ジュビロ磐田、高原直泰」と書きました。そして「彼は絶対にW杯でゴールをする選手だから」と力説しました。

  Oさんは先日お見舞いに行った時もその手帳を大事に持っていてくれました。

  そして、先日のコスタリカ戦。実は私はチケットを持っていたのですが、この体調のため横浜まで行けませんでした。

  その時、ハイパーリンゴちゃん達が偶然、シドニーオリンピックの時のツアーでご一緒したSさんご夫妻に再会し、私の病気のことを告げたそうです。すると翌晩、Sさんの旦那さんからお電話を頂きました。Sさんご夫妻は私の両親位の年齢の方でとても熱いサッカーサポです。

  電話に出た途端「お久しぶりですお元気ですか?」という言うと、「お元気じゃないだろう!自分の体調は大丈夫なのか?」ととても怒られました。

  自分の体調が一番大事なのだから無理は絶対にダメだと堅く言われました。そして一日もまた早くスタジアムでお会いしたいと挨拶しました。

  その他にもハイパーリンゴちゃんや、亮ちゃん、BJ先生、会社の仲良しの同期、ずっと見守ってくれている彼氏。

 たくさんの方々がいつも励ましてくれます。もちろん両親には一番迷惑をかけっぱなしで本当に感謝のしようがない位です。

  私なんぞに比べれば、タカにはもっともっと全国の大勢のファンの方々が心配をしていると思います。

  そしてタカのW杯の出場を信じていると思います。

  病気になってやっと実感するというのは少し恥じたい気持ちですが、人の優しさというのは本当に身にしみて嬉しいものです。

  メールで頂く「病気から頑張って下さい」という一言だけでもどんなに勇気づけられるでしょう。

  タカが一日も早く元気にプレーできますように。

  今は毎日祈っています。

  大切な大切なW杯。タカのこれまでのボカでの苦労。きっと報われる日がやってくるでしょう。

  タカ。いつでもその強気の気持ちを持ち続けて下さい。

  タカ、頑張れ!タカ、頑張れ!!!

  

 

  2002年3月28日  「日本vsポーランド戦」                           

  絶食2日目です。

  入院中はとっても暇なのでこうしてゆっくり日記なども書けて、嬉しいです。笑。

  昨日はポーランド戦でしたね。病室の消灯は9時なので、12時に寝過ごさないように、看護婦さんに12時に起してくれるように頼んで起きたのでした。笑。はい、無事に起きられました。笑。

  で、寝静まった病室のベッドの上でポーランド戦観戦。同部屋の方々の迷惑にならないように、ひっそりこっそりと見守っていました。

  伸二、イナ、タカの顔ぶれが並んだ「君が代」。やっぱりいいですね(^^)イチと浩二も!

  試合の方はタカも先発でした。

  トルシエの試合はもう随分たくさん見てきましたが、昨日のポーランド戦を見て、「トルシエニッポン」におけるタカの役割は確固たるものになってきたなあと思いました。

  99年のWユース以来、タカはトルシエ、サミア、山本コーチの「トルシエニッポン」の中でずっと戦ってきました。トルシエのサッカーの中ではFWも強く守備を求められます。前線でのポインターとして相手DFに負けない強さも求められます。ただ、前を向いているだけではなく、2列目の選手が前に飛び出すことが出来るよう、DFを引きつける黒子役に徹しなければなりません。

  そんな役割をこなしつつ、身につけた強さと、磐田特有の寄せの早さ、元来の泥臭さを、タカは表現していると思いました。

  タカは元々、派手な選手ではありません。私はタカの派手ではないけれど、信じていれば必ず力を発揮してくれる頼もしい強さがとても好きです。寡黙だけれど、そのプレーでチームやファンを引っ張ってくれるそんな姿勢が好きです。

  昨日の試合、タカのゴールが決まった瞬間、思わず大きく手を叩いてしまいました。(やばい!!っと焦ってしまった。さすがに声が出さなかったですけどね。笑)暗い病室でちょっと嬉しくて泣きました。

  今朝のスポーツ報知にタカと伸二が抱き合ってる写真があって、それも嬉しかった(^^)タカー伸二コンビも大好きだ!!!

  さあ、がんばって、とっとと退院してタカを応援に行きたいぞ〜!!! 

 

  2002年3月24日  「健康一番!再び」                           

  もうすぐポーランド戦ですね!代表戦を積み重ねる事にW杯が近づいてくるのかと思うと、なんだか勿体ないような・・・。苦笑。

  W杯の第3次発売も始まりました。

  って。こんな大事な時に、わたくし、入院です。爆。

  確かに2、3月は怒涛の出張月間で、仕事で全国を駆け巡ってました。・・・最後は香港へ行ってました。

  で、そのつけが身体にモロに返ってきたわけです。あああ。

  まあ、今回はすっきりきっちり早めに治す予定なので、っつーか治すぞ!!!気合。

  17日(でしたっけ)の代表戦までには絶対に治します。

  先生はBJ先生なので安心です(^^)先生すみません、またご迷惑かけます・・・。

  ・・・でも、明日からまた絶食の日々。ちょっと憂鬱。

  美味しい物たくさん食べたいです・・・。泣。 

 

  2002年3月21日  「2002年 日本代表初試合 〜アジアでのW杯〜 」                           

  とうとうW杯イヤー。初のA代表マッチです。

  今日はウクライナ戦でした。

  スタメンにはイチが入っていました。4年ぶりのA代表。そして満男。初のA代表(^^)

  中盤も激しいポジション争いで、本当にどの選手もアピールに必死だと思います。私にとってはイチも満男もとても大切な選手なので、絶対に最後まで残って欲しい。タカのユース仲間はみんな大切な選手達です。

  伸二と満男のWユースでのあのコンビプレーを本物のW杯で見たい!!!見たい!見たいぞ!トルシエ!!!見せてくれー!ああ、ここにモトがいたら・・・。

  今日はタカは後半途中からの出場でした。

  なんか唇切れてましたね・・・汗。りゅ、流血だ・・・。と一瞬焦りました。苦笑。相手のDFとぶつかったのでしょうか。ふう。怪我だけは勘弁してくれ!

  今日はタカの気合が良く現れた試合でした。振り向きざまのシュート。ナイスです。枠飛んでたぞ!

  タカのプレーの好きな部分に「強さ」と「あきらめない」ということがあるのですが、その両方がプレーから良く伝わって来ていました。

  今度はぜひスタメンから出場してゴールして欲しいです。

  次のポーランド戦も楽しみですね♪

  さて、実はおとといまで香港・マカオに行っていたのですが、マカオに住んでいる日本人の方(ポルトガル人の旦那さんがいらっしゃいます)が、今回の日韓W杯は大のサッカー好きの旦那さんとポルトガル代表の試合を見に、韓国へ行くと言っていました。

  日韓でW杯が行われることを香港やマカオのサッカーファンはとても嬉しく思っているそうです。香港、マカオはどちらもイギリスやポルトガル領だったのでサッカー熱が高いのですが、W杯はこれまで欧州や南米で行われて来たため、時差の関係で真夜中に試合を見ることになり、日本のサッカーファン同様とても大変だったそうです。

  それが、今回のようにアジアでW杯があると、香港やマカオの人々も時差を気にすることなく試合を楽しめるので、今から待ち遠しいとか。

  日韓でW杯が行われることを楽しみにしているのは日韓の人々だけではなく、アジア各国の人々もなのだと、初めて実感しました。

  W杯まであと70日。

  アジア全体でこの大会を盛り上げたいですね!(^^) 

  

 

  2002年3月12日  「2002年 J開幕」                           

  遅れ馳せながら、Jリーグ始まりましたね。

  開幕にエコパに行った後から大阪、福岡と出張で、その後も昨日まで名古屋に出張と出かけっぱなしだったため、ゆっくりとサッカー番組なんかも見る時間がなかったのですが、なんとかビデオに撮って置いたものを見れました。(って今週末から又、今度は香港なんですが・・・汗)

  まずはスーパーサッカー。

  タカでしたね(^^)

  点を取るのがFWの仕事。

  その通り!!隊長と共にまたJ最強の2トップでがんがん点を取り巻くって欲しいです!!

  アルゼンチンから戻ってまた一回り精神的にも肉体的にも逞しくなったタカが頼もしいです。

  きっと伸二もイナも「日本は予選を突破できるか?」と聞かれたら「できる」と答えると思います。

  彼らの中では世界は常に近くにあったものですから。

  W杯の日本の予選突破私も信じています。そしてタカのバースデーゴールも!

  それからJのセカンドステージ。あああ。生で見たかったタカのゴール。リンゴちゃんから速報メールが来て、名古屋にいた自分が恨めしかったです。ちくしょ〜。こんな大事な時に仕事なんて。

  でも、これでタカの中でも気持ちが吹っ切れたみたいで、良かったです。

  もっともっと調子を上げていって欲しいですね。今のタカのボディバランスはJの中でも群を抜いていると思います。

  タカ、次もゴール頼んだぞ!!(^^)

  


  2002年2月24日  「情熱大陸」                           

  TBSの特別番組「情熱大陸」のスペシャルを見ました。タイトルは「トルシエジャパン」決戦100日前。代表候補の素顔に迫る。

  タカは番組にトップで扱われていました。

  アルゼンチンでの生活と突然の帰国。

  タカがジュビロ入団1年目にドゥンガ親分にピッチで怒鳴られるシーンとか映って懐かしかった・・・。笑。

  番組の中でタカのアルゼンチンから帰国する前日と当日の様子が映っていました。

  最後の練習から帰るバスの中。外では子供達が必死に「タカ!タカ!」と手を振って歌を歌ってくれていました。

  タカは「これがボカの力なんです」と言いました。「これだけ応援してもらって嬉しかった」と。

  そして帰国することになったことに対して「南米っぽくていいんじゃないですか」と笑って言いました。

  タカが帰国することになってから、なんとなく私自身では仕方ないことだと物分りのいい大人の顔をしていたのですが。

  このタカの様子を見ていて、気付いたら泣けていました。

  「悔しいなあ・・・」と大泣きしました。タカバカな私ですから・・・。

  ボカは本当にタカにとっていろんなものを与えてくれた良いチームだったんだなあ・・・。

  もっともっとボカでサッカーをやらせてあげたかったなあ・・・。

  タカ!・・・あのアルゼンチンの子供達に今度はW杯で活躍するタカの姿をどうぞ見せてあげてください!!

  「タカ!タカ!」と彼らがアルゼンチンで歌を歌ってくれるように・・・。

  

 

  2002年2月17日  「続チェンマイ会in韓国料理屋」                           

  先週、いつものアジアユースで知り合った友人たちと食事をしてきました。今回はタイ料理屋でなくて韓国料理屋で(笑)。チェンマイ会もW杯モードです。 まぁねぇさん&亮ちゃん&りんごちゃん。お疲れ様でした〜。

  今回はいつも集まるTSくんなどがおらず(韓国へトレーニングセンターの見学に遊びに行っているらしい・・・さすがだ)でしたが、それでもTくんがイングランドまでイナを見に行った際に撮って来てくれた練習試合のビデオを見ながらサッカー話に花が咲いたわけです(^^)

  それにしてもみんな相変わらずのパワフルさです。

  Tくんは今年のアジアユースに行くのを悩んでいたようですねえ。今年はカタールかUAEでの開催だそうで。それなら来年のWユースがノルウェーであるのに行こうかと言ってました。

  それから今回のアジア大会は秋に韓国のプサンであるそうで当然のように全員が「行く〜!!!」と言ってました。笑。

  U−23だから、タカたちもまだ年齢に入ってるんですよねえ。

  で、今回のチェンマイ会での一言。

  「もう、ここまで来たら、北極で大会やるって言う位でないと応援に行くのを断念できないよね」 byまぁねぇさん

  この一言にサッカーサポの真髄を知った気がしました・・・。まぁねぇさん、さすがです・・・。笑。

 

  2002年2月3日  「磐田復帰」                           

  タカがアルゼンチンから磐田へ復帰することになりました。

  タカ自身、恐らくこのことをとても残念で悔しく思っているだろうということは安易に想像出来ます。

  8月に旅立ってから半年。

   この半年という時間。

  それは日本にいては決して過せなかった時間です。

  「アルゼンチンという南米の雄である国の最も愛されているクラブチームでサッカーをするということ。」

  これは今まで日本人の誰一人として経験していない体験だからです。

  半年の間にタカが経験したこと。

  嬉しいこと、楽しいこと、苦しいこと、辛いこと。

  本当にたくさんあったでしょう。

  それはどれもとても貴重であり、彼のサッカーだけでなく人生の中でとても意義ある時間になったと思っています。

  私は高原直泰というサッカー選手を応援しています。

  サッカーを通して知る高原直泰という人間を応援しています。

  何故なら、タカのプレーにいつも力を貰っているから。

  タカがサッカーをすることで自分の人生を励まされたことがあるから。

  タカは歯を食いしばって日本へ帰ってくるかもしれない。

  そんなタカに前を向いて「お帰り。そして、がんばれ」と。そう心から声をかけてくれるファンがたくさんいることを私はこのサイトを通じて知っています。

  だから、タカへ「これからもがんばれ!」と伝えたい。

  タカのサッカー人生はまだまだこれからもずっと続くんだ!

  タカ、がんばれ!!タカ、がんばれ!!

 

  2002年1月26日  ちょっと休憩」                           

  TOPページを変えてみました。

  やろうかな・・。と思いいじり始めると早いんですよ。2時間くらいで作ってしまった(笑)

  タカが移籍してから生でのサッカー観戦にとんと疎くなってしまった自分。

  W杯だというのに代表合宿もタカが合流していないのであまりチェックしてないし(苦笑)

  「ふーん。やってるのか・・・」ぐらいで。ははは。

  あ、ニュースステーションの久米さんのチュニジア紀行は見てました。チュニジアってあんな国だったのね〜。とやっと理解したり。勉強になりました(^^)あと、サッカー特番はチェックしてます。タカが映るかなあ、と!当然。

  最近の私はサッカーの代わりにライヴ三昧しています。

  今日はケミストリーの日本テレビAXの収録ライヴに行ってました。

  ASAYANはずっと見てたんでケミやSTEELやEXILEや藤岡くんのライブはかなり行っています。藤岡くんと佐藤くん(現EXILE)はASAYANで落ちた後に渋谷でやってたクラブのライブに通ってましたからね・・・(笑)実はこのことをさりげなく日記に書いたりしてたんですよ・・・。誰のライブとは書かなかったですが(笑)  

  ライヴ三昧も楽しいですが、早くサッカー三昧したいっす!

  まあ、泣いても笑ってもW杯まであと5ヶ月!!なんですけどね。

 

  2002年1月3日  「HAPPY WORLD CUP YEAR♪」                           

  明けましておめでとうございます。

  いよいよ2002年。 KOREA JAPAN WORLD CUP YEARの幕開けです。

  1998年から4年。

  なんだか長かったようなあっという間だったような・・・。

  4年前のフランスW杯の期間、私はU−19の試合を見に大宮へ行っていました。

  そこではタカ、イナ、浩二、モト、満男・・・。19歳の彼らがWユースを目指してアジアと闘っていました。

  あれから4年。今度は彼らが世界と闘おうとしています。

  日本と韓国での共同開催。いろいろな意味での国際感覚が問われる一年です。

  サッカーだけでなく、世界中の人々と絆を深める絶好の機会でもあります。

  2002年。世界中のサッカーファンにとって素晴らしい思い出が残る年になりますように。

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