my favorite その10 

   つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) 

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  2003年12月31日  「タカのブンデスリーガの1年」 

  タカがブンデスリーガに移籍してようやく1年が過ぎようとしています。

  昨年のジュビロの完全制覇から休む間もなく移籍、ブンデスの後期から参加し3戦目でバイエルンからゴール。その後は日本代表とブンデスとの往復。
   
  2003−2004シーズンはチームの不振、監督の交代などしょっぱならから波乱の幕開けとなりました。

  タカは厳しい環境の中で苦しんでいるように見えました。ピッチ上で自分のポジションを探るように必死に闘っていました。

  苦しく、辛い状況。それでも私はタカが幸せに見えます。

  海外の一流クラブで自分の力を試せる選手が今日本に何人いるでしょう。クラブが必要としてくれ仲間が認めてくれる。今のタカはそれに応えるだけのチャンスと力があります。
  
  アルゼンチンのボカで自分がどんなに望んでもチーム事情から帰国せざるを得なかったときとは違います。力を発揮さえすればクラブに残れるのです。

  タカが闘っているのは自分自身の能力の限界との闘いです。だからタカは頑張らなくては!!

  タカがサッカー選手でいられなくなるかもしれないと思ったあの病気時期のことを思えば、今、タカがサッカーと闘い、苦労している姿を応援できることの方がタカサポーターとして何百倍も幸せです。

  まだまだ、タカの闘いは続きます。

  2006年はドイツに私たちを連れて行ってくれる約束だからね!タカ!!

  2003年。タカ、お疲れ様。これからも、頑張れ!頑張れ!

  2003年8月20日  「日本代表背番号9」 

  私はタカの代表ユニを背番号「9」しか持っていません。

  一着は98年のアジアユースの時に作った炎の代表ユニ「9」。もう一着は99年のワールドユースの時に作った風の代表ユニ「9」。タカはユース時代の日本代表では必ず「9」を身に付けていました。
  
  この2着以降、タカのユニを他の背番号で作る気はありませんでした。

  いつか必ずタカはA代表で背番号「9」を付ける日が来る。それは中山雅史の着けていた日本代表の「9」を誰かが受け継ぐ日がくるならばタカであって欲しいという私の希望と夢でした。


 
  仕事の取引先の方の息子さんはあるJのジュニアユースの超難関(600人近く受けて合格者は20人弱だそう)のセレクションテストに合格したそうです。中学1年生の彼の夢は「Jリーガーになること」。

  その取引先の方はご自身でサッカーの4級審判を取り、小学生の指導などをされているのですが、「Jリーガーなんて宝くじに当たるより夢みたいな話ですよ。毎年高校サッカーからJリーガーになれる選手なんてたったの20人位です。息子の周りにはもっと強いJジュニアユースチームの選手が山ほどいる。」と言ってらっしゃいました。

  Jリーガーになること。それは日本全国のサッカー選手のほんの0.1%かもしれません。

  そのJリーガーの中からたった20人の日本代表になること。それはもう本当に宝くじの確率かもしれません。

  そして、その日本代表の背番号「9」を背負うこと。

  なんて凄い確率なんだろう。と思いました。
  
  そして、タカの凄さを身に沁みて感じました。

  「高原選手は小学生の頃から化け物みたいに上手かったらしいですよ」とその方は言ってました。きっと全国に化け物みたいに上手い選手はたくさんいたかもしれません。でもその選手が日本代表選手になるとは限りません。

  確率の話だけをすると、タカの人一倍の努力やタカに携わった周りの方々の力を無視しているようでちょっと申し訳ないのですが・・・。

  そんなタカを応援出来ていることが嬉しく、誇りです。

  日本代表背番号「9」。

  誰もがつけられるものではありません。

  本当に選ばれたほんの一握りのプレーヤーだけ。

  その責任とFWとしての宿命を改めて感じた今日のナイジェリア戦でした。


  タカ、2ゴール。心からおめでとう。

  ジーコJAPANホーム初勝利、ありがとう!
   

  2003年6月1日  「〜青い伝説〜初オフ会!」 

  サイトを始めてから、このサイトに訪れて下さるタカサポの皆さんと、何度かスタジアムでお逢いしたり一緒に応援したりしていたのですが、まだ改まってオフ会という形でお逢いしたことはありませんでした。

  いつかやりたいなあとは思ってましたが、ブンデスへタカが行ってからみんなで一緒に応援する機会があればいいねと時折言っていたので、それじゃあ、最終節はみなさんでタカを応援だ!!と思いつき、初の「関東タカサポ会〜高原直泰応援〜ブンデスリーガ最終節」を開催することになりました。

  当日は、渋谷のワールドスポーツカフェに、かなえさん、MARIさん、あやこさん、タケシさん、ボビージェットさんが集合し、真夜中の日本からハンブルクへ熱い念を送りました♪
 

          
   タカの登場に喜ぶタカサポメンバーズ(笑)                 噂のカクテル「スシボンバー(日の丸付き(笑))」

   噂のカクテル「スシボンバー」でタカの活躍を祈って乾杯〜!!(笑)お味の方は美味しかったです。お店に行った時はお試しあれ♪
  
   タカ登場の時には「タカー!」とみんなで拍手で盛り上がりました!!!

   
   HSVはこの試合2−0でロストックを下し、4位でUEFA杯の出場チャンスを勝ち取りました!欧州でのチャレンジの機会をまたタカは一つ掴みましたね。
   
   試合後、チームから配られたTシャツを着てチームメイトたちと輪になって喜ぶタカは楽しそうでした。
   
   いろんなことのあった、2002−2003シーズン。
 
   日本とドイツをかけて闘った、タカ&タカサポのみなさん。お疲れ様でした!!
  

  

  2003年5月1日  「〜青い伝説〜5年目突入」 

  久しぶりの日記です。

  毎年、3月4月は怒涛の仕事に追われているような気もしますが、今年は昨年のように入院することなく(苦笑)、なんとか乗り切りました(笑)。

  この5月1日でこのサイトを立ち上げて4年目を迎え、5年目へ突入しました。

  これもこのサイトを訪れて下さるみなさんとタカの活躍のおかげだと感謝しております(^^)。ありがとうございます。

  タカファンになってからの5年を思い返してみると、嬉しいこと涙したことたくさんあったなあと思います。特にサイトを始めてからは、その1つ1つに本気で感動したり、号泣したりと、タカを応援することが生活の一部になりました。

  高原直泰というサッカー選手に出会ったのは、ユースの試合を見ていて、「ああ、良いFWだなあ」と思ったのが最初でした。タカのひたむきにゴールを狙い、ネットを揺らすそのプレーに惹き付けられました。

  今だから言える話といえばそれまでかもしれませんが、当時からタカはいつか海外へ行く選手になると思っていました。ただ、それがJで得点王やMVPを最年少で獲る選手になると思っていたか、という質問だと、それは分かりませんでした・・・という感じなんですけれど。

  海外へ進出するというのは、タカと同世代の伸二やイナを一緒に見ていた時から、彼らの言動やプレーから世界へ挑戦する渇望みたいなものを感じていたので、尚更、タカも絶対にそうなるだろうと理由もなくただ信じていたのですが・・・。

  何がそう思わせたのかと問われると答えられないのですが、最初にタカを見た時に感じた「ああ、良いFWだなあ」と思った、その直感をずっと今も信じていると言うしかありません。

  タカはサッカー選手の中ではどちらかというと地味なタイプで(苦笑)、どんどん表に出るタイプではなく、若い女性サポに大人気!というわけではないのですが(笑)、タカのプレースタイルを愛してタカを応援している方がたくさんいることを知っています。

  タカの言葉が好きです。

  どちらかというと不器用な言葉が、ストレートな方に作用することもありますが、タカのまっすぐな言葉が素敵だと思います。

  「最終的に僕はゴールを決めなければ結果を出したことにならないし、出場している意味なんてないんですから」

  タカがプロに入ってすぐに語ったこの言葉も。

  「笛が鳴るまであきらめません」

  そう語った言葉も。

  タカのひたむきなプレーと重なって、高原直泰という選手を形作っていると思います。

  この先、まだ何年も私はこのサイトを続けていこうと思っています。当然ながら、タカが引退するまで続けようと思っていますので、あと15年くらい??(笑) 

  タカのプレーに歓喜し、タカの言葉に共感をしながら、ずっとタカの成長を追いかけていくサイトでありたいと思います。

  タカの挑戦はまだまだ長いです。

  そしてこのサイトもまだまだ続いていきます。

  いつか、タカが引退をするその日が、このサイトの最後の日になるのだと、そう思います。

 

  2003年2月11日  「タカ、ブンデスリーガ初ゴール vs バイエルン戦 1−1」 

  タカのブンデスリーガ3試合目がタカの初ゴールの試合となりました。

  相手は首位バイエルン・ミュンヘン。バイエルンのホーム、オリンピア・シュタディオン。GKはドイツの誇る守護神オリバー・カーンです。

  初戦のハノーファー戦、2戦目のブレーメン戦とWOWOWでの中継を真夜中に見ていたのですが、この2戦に関してタカのプレーに何か特別に書くことはないと思っていました。 それはタカのプレーが悪いのではなく、タカのプレーが想像以上にブンデスリーガで通用すると思ったので、そのうちにゴールを決めてから日記を書こうと思っていたのでした。

  想像以上にというのは、もちろんタカが02年のJリーグで見せたパフォーマンスをそのままブンデスで、というわけには行きませんが、ポストプレー、ドリブル、パス、と端々に「やれる」というプレーを見せてくれていたからです。この「やれる」という感覚を正直ボカでの試合で感じることは難しかったです。ポストプレー、ドリブル、パスが出来るというのは、仲間からボールが回ってくるというのが大前提ですので・・・。

  ただ、心配だったのはやはりシュートを打つ数の少なさ。もちろん相手がブレーメン、バイエルンとブンデスリーガの1、2位を行くチームと当たっているので簡単にシュートを打たせてくれるとは思ってはいませんでしたけれど、タカにはもっと積極的に勝負して欲しいと思っていました。

  バイエルン戦.。

  流石のバイエルンでした。まだもちろんブンデスは2試合しか見ていませんが、寄せの早さ、正確なパスともに手も足も出ないという表現でも良いくらいのバイエルンの守備でした。しいてもう1つ感想を言えば、これでバイエルンにアイウトンのようなFWが居れば、HSVは3−0くらいで負けていたかもしれないということでしょうか。

  しかし後半ロスタイム。

  タカのゴールが決まった瞬間、もちろん叫びました!(笑)お父さん起こしてごめんなさい(苦笑)でもこの瞬間叫ばずに何時叫ぶ!!「タカ〜〜!!やったー!」とやっぱり涙脆い私は涙涙・・・。

  この試合、うちの母も一緒に見ていたのですが(母も毎試合タカが気になって起きてくるのです)、母が「W杯に出られなくても、Jで頑張って、海外移籍して、こうやってカーンから点獲って。努力してる人はね、こうやって絶対報われるのよ・・・」と言うので、「そうだよね。タカ、頑張ってるよね」と二人でしみじみとTVを見ながら話していました。

  タカはこのバイエルン戦、良いプレーが出来ていたかといわれると、そうではなかったです。でもやっぱりFWは点を獲るからこそ評価されるポジション。タカの「笛が鳴り終わるまで諦めない」という言葉の通り、最後の数秒までゴールを狙い続けた結果のこのゴールを、心から祝福したいと思います。

  タカがゴールを決めた直後アナウンサーが「高原の夢がまた1つ現実となりました」と伝えていました。

  私はタカがHSVでゴールを決めること自体が夢だとは思っていません。今の夢は2006年ドイツW杯の舞台にタカが立つこと。それに繋がる一歩を確実に刻むこと。

  それ以外にありません。だから、タカはこのゴールに満足することなく2006年までの年月を一歩一歩大事に歩んでくれると信じています。

  タカ、ブンデスリーガ初ゴール、おめでとう!!!(^^)

  最後のクロスはマハダビキアでしたね。マハダビキアといえばなんといってもジョホールバル!!!

  思わず97年のフランスW杯最終予選、日本vsイランのビデオを引っ張りだして見てしまいました。

  あの時、日本をあんなに苦しめたイランチームの背番号「2」の選手が、こうして6年後に高原直泰という日本人選手と同じチームになり、その初ゴールのクロスを上げることになるとは。

  2006年のドイツ大会ではアジア枠を争うことになりますが、日本とイラン、両国がドイツのピッチで闘うことが出来ますように。

  サンキュー!マハダビキア! 

 

  2003年1月17日  「2003年 サッカー始め」 

  すっかり新年のご挨拶が遅くなってしまいました(笑)今年もどうぞよろしくお願いします(^^)
  
  今年の元旦は国立競技場で、京都vs鹿島の試合を観にいってきました。もちろん、本当はタカの日本ラストゲームを見る予定だったのですけれどね(苦笑)
  
  京都はエンゲルス監督。・・・かつて横浜フリューゲルスが優勝を決めたあの試合の時も私は国立に居たのですが、ゴール裏で「最後の記念に」と日付と時間入りでフリエのフラッグがたなびくポールの下から写真を撮ったのを覚えています。真っ青な空にフラッグがたなびく美しい写真で、今も大切にとってあります。

  さて、昨年の話になって恐縮ですが年末にいつものチェンマイ会のメンバーで忘年会を行いました(^^)
 
  チェンマイ会の事は今までも何度か日記で書いているのですが、1998年のU−19アジアユースのチェンマイのスタジアムで知り合った友人達の集まりのことです(^^)。このメンバーは相変わらずパワフルで・・・(笑)ちょうど、まぁねぇさんが次週からロンドンにプレミア観戦に行くとか、田中さんが9月にイナを観に行った話とか(^^)。田中さんは昨年、2度ロンドンへ行かれたそうですが、観戦した2試合ともイナのゴールが見れたそうです!ラッキーボーイですね!(因みに田中さんは「ゴールデンエイジフットボール」というユース世代を扱ったHPの管理人さんです。現在は改装中のようですが、以前はサッカーマガジンに紹介されていました(^^))田中さんは今月か来月にまた欧州に行くとか。

  そういえば、チェンマイ会のメンバーで一番多いのは誰サポなんでしょうかね?(笑)モト?浩二?鹿島サポが多いのは確かですね。タカサポは私と亮ちゃんだけです(笑)そんな、みんなで「欧州に3人を観に行くツアーしたいね〜♪」と盛り上がっていました。「プレミアでイナを観て、オランダで伸二を観て、ドイツでタカを観る・・・最高!!」と全員口を揃えて夢見心地(^^)早速、ロンドン、ロッテルダム、ハンブルクの交通の便について話が始まる当たりが、「さすが、チェンマイ会・・・」と思いました(笑)
  
  年が明けて、先日はうちの会社のサッカー部の新年会でした。それも題して「『6月の勝利の歌を忘れない』を見ながらひたすら酒を飲む新年会」(笑)

  新年会は本当に、ひたすらこのDVDを見てW杯を語る・・・というサポにはたまらないディープな会でした(笑)もちろん参加者で女性は私1人(笑)。
 
 
 『6月の勝利の歌を忘れない』のDVDを見るのは私も初めてだったのですが(タカがいないので興味がなかったのです)結構面白かったですね。
  
  このサッカー部の面々は自分たちでもちろんサッカーもするのですが、根っからの日本代表サポーターで、あの97年のフランスW杯のアウエー戦のソウル・チャムシルや、第3代表決定戦のマレーシア・ジョホールバルへ駆けつけていた人々なのです。彼らがジョホールバルのスタジアム前にいる映像とか、私は必死でワイドショー等をビデオで撮ったのだった・・・(笑)

  そんな彼らのDVDを見ている際の発言はセルジオ越後も真っ青な超辛口批評です(苦笑)。特に、練習中の映像になるとみんなが「こいつは上手い」「こいつは下手」というのをズバズバ言っていくので、これでは練習中も選手は気合入れて蹴らないと何言われるかたまったもんじゃないぞ!という感じです(苦笑)そんな彼ら全員が心から褒めていたのは、やはり「伸二」でした。彼らから見ても伸二のキックは柔らかく美しいのだそうです(^^)

  DVDを見終わった後は2006年のW杯について語っていましたが、みなさんFWは「高原だよ」と言ってくれていたのが嬉しかった(^^)。タカはともかくとして、1トップにするのか、タカのパートナーは誰が良いかということをいろいろ語っていてとても勉強になりました。

  そんなこんなで、2003年もサッカー漬けで始まりました。

  まずは、ドイツでのタカの勇姿。応援しています。

  欧州挑戦!頑張れ!タカ!!
  

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