my favorite その10 つれづれなるままに・・・さっかーさっかー(にやり) |
2003年12月31日 「タカのブンデスリーガの1年」
タカがブンデスリーガに移籍してようやく1年が過ぎようとしています。 |
2003年8月20日 「日本代表背番号9」 私はタカの代表ユニを背番号「9」しか持っていません。 一着は98年のアジアユースの時に作った炎の代表ユニ「9」。もう一着は99年のワールドユースの時に作った風の代表ユニ「9」。タカはユース時代の日本代表では必ず「9」を身に付けていました。 |
2003年6月1日 「〜青い伝説〜初オフ会!」 サイトを始めてから、このサイトに訪れて下さるタカサポの皆さんと、何度かスタジアムでお逢いしたり一緒に応援したりしていたのですが、まだ改まってオフ会という形でお逢いしたことはありませんでした。 いつかやりたいなあとは思ってましたが、ブンデスへタカが行ってからみんなで一緒に応援する機会があればいいねと時折言っていたので、それじゃあ、最終節はみなさんでタカを応援だ!!と思いつき、初の「関東タカサポ会〜高原直泰応援〜ブンデスリーガ最終節」を開催することになりました。当日は、渋谷のワールドスポーツカフェに、かなえさん、MARIさん、あやこさん、タケシさん、ボビージェットさんが集合し、真夜中の日本からハンブルクへ熱い念を送りました♪ ![]() ![]() ![]() タカの登場に喜ぶタカサポメンバーズ(笑) 噂のカクテル「スシボンバー(日の丸付き(笑))」 噂のカクテル「スシボンバー」でタカの活躍を祈って乾杯〜!!(笑)お味の方は美味しかったです。お店に行った時はお試しあれ♪ タカ登場の時には「タカー!」とみんなで拍手で盛り上がりました!!! HSVはこの試合2−0でロストックを下し、4位でUEFA杯の出場チャンスを勝ち取りました!欧州でのチャレンジの機会をまたタカは一つ掴みましたね。 試合後、チームから配られたTシャツを着てチームメイトたちと輪になって喜ぶタカは楽しそうでした。 いろんなことのあった、2002−2003シーズン。 日本とドイツをかけて闘った、タカ&タカサポのみなさん。お疲れ様でした!! |
2003年5月1日 「〜青い伝説〜5年目突入」 久しぶりの日記です。 毎年、3月4月は怒涛の仕事に追われているような気もしますが、今年は昨年のように入院することなく(苦笑)、なんとか乗り切りました(笑)。 この5月1日でこのサイトを立ち上げて4年目を迎え、5年目へ突入しました。 これもこのサイトを訪れて下さるみなさんとタカの活躍のおかげだと感謝しております(^^)。ありがとうございます。 タカファンになってからの5年を思い返してみると、嬉しいこと涙したことたくさんあったなあと思います。特にサイトを始めてからは、その1つ1つに本気で感動したり、号泣したりと、タカを応援することが生活の一部になりました。 高原直泰というサッカー選手に出会ったのは、ユースの試合を見ていて、「ああ、良いFWだなあ」と思ったのが最初でした。タカのひたむきにゴールを狙い、ネットを揺らすそのプレーに惹き付けられました。 今だから言える話といえばそれまでかもしれませんが、当時からタカはいつか海外へ行く選手になると思っていました。ただ、それがJで得点王やMVPを最年少で獲る選手になると思っていたか、という質問だと、それは分かりませんでした・・・という感じなんですけれど。 海外へ進出するというのは、タカと同世代の伸二やイナを一緒に見ていた時から、彼らの言動やプレーから世界へ挑戦する渇望みたいなものを感じていたので、尚更、タカも絶対にそうなるだろうと理由もなくただ信じていたのですが・・・。 何がそう思わせたのかと問われると答えられないのですが、最初にタカを見た時に感じた「ああ、良いFWだなあ」と思った、その直感をずっと今も信じていると言うしかありません。 タカはサッカー選手の中ではどちらかというと地味なタイプで(苦笑)、どんどん表に出るタイプではなく、若い女性サポに大人気!というわけではないのですが(笑)、タカのプレースタイルを愛してタカを応援している方がたくさんいることを知っています。 タカの言葉が好きです。 どちらかというと不器用な言葉が、ストレートな方に作用することもありますが、タカのまっすぐな言葉が素敵だと思います。 「最終的に僕はゴールを決めなければ結果を出したことにならないし、出場している意味なんてないんですから」 タカがプロに入ってすぐに語ったこの言葉も。 「笛が鳴るまであきらめません」 そう語った言葉も。 タカのひたむきなプレーと重なって、高原直泰という選手を形作っていると思います。 この先、まだ何年も私はこのサイトを続けていこうと思っています。当然ながら、タカが引退するまで続けようと思っていますので、あと15年くらい??(笑) タカのプレーに歓喜し、タカの言葉に共感をしながら、ずっとタカの成長を追いかけていくサイトでありたいと思います。 タカの挑戦はまだまだ長いです。 そしてこのサイトもまだまだ続いていきます。 いつか、タカが引退をするその日が、このサイトの最後の日になるのだと、そう思います。 |
2003年2月11日 「タカ、ブンデスリーガ初ゴール vs バイエルン戦 1−1」
タカのブンデスリーガ3試合目がタカの初ゴールの試合となりました。 相手は首位バイエルン・ミュンヘン。バイエルンのホーム、オリンピア・シュタディオン。GKはドイツの誇る守護神オリバー・カーンです。 初戦のハノーファー戦、2戦目のブレーメン戦とWOWOWでの中継を真夜中に見ていたのですが、この2戦に関してタカのプレーに何か特別に書くことはないと思っていました。 それはタカのプレーが悪いのではなく、タカのプレーが想像以上にブンデスリーガで通用すると思ったので、そのうちにゴールを決めてから日記を書こうと思っていたのでした。 想像以上にというのは、もちろんタカが02年のJリーグで見せたパフォーマンスをそのままブンデスで、というわけには行きませんが、ポストプレー、ドリブル、パス、と端々に「やれる」というプレーを見せてくれていたからです。この「やれる」という感覚を正直ボカでの試合で感じることは難しかったです。ポストプレー、ドリブル、パスが出来るというのは、仲間からボールが回ってくるというのが大前提ですので・・・。 ただ、心配だったのはやはりシュートを打つ数の少なさ。もちろん相手がブレーメン、バイエルンとブンデスリーガの1、2位を行くチームと当たっているので簡単にシュートを打たせてくれるとは思ってはいませんでしたけれど、タカにはもっと積極的に勝負して欲しいと思っていました。 バイエルン戦.。 流石のバイエルンでした。まだもちろんブンデスは2試合しか見ていませんが、寄せの早さ、正確なパスともに手も足も出ないという表現でも良いくらいのバイエルンの守備でした。しいてもう1つ感想を言えば、これでバイエルンにアイウトンのようなFWが居れば、HSVは3−0くらいで負けていたかもしれないということでしょうか。 しかし後半ロスタイム。 タカのゴールが決まった瞬間、もちろん叫びました!(笑)お父さん起こしてごめんなさい(苦笑)でもこの瞬間叫ばずに何時叫ぶ!!「タカ〜〜!!やったー!」とやっぱり涙脆い私は涙涙・・・。 この試合、うちの母も一緒に見ていたのですが(母も毎試合タカが気になって起きてくるのです)、母が「W杯に出られなくても、Jで頑張って、海外移籍して、こうやってカーンから点獲って。努力してる人はね、こうやって絶対報われるのよ・・・」と言うので、「そうだよね。タカ、頑張ってるよね」と二人でしみじみとTVを見ながら話していました。 タカはこのバイエルン戦、良いプレーが出来ていたかといわれると、そうではなかったです。でもやっぱりFWは点を獲るからこそ評価されるポジション。タカの「笛が鳴り終わるまで諦めない」という言葉の通り、最後の数秒までゴールを狙い続けた結果のこのゴールを、心から祝福したいと思います。 タカがゴールを決めた直後アナウンサーが「高原の夢がまた1つ現実となりました」と伝えていました。 私はタカがHSVでゴールを決めること自体が夢だとは思っていません。今の夢は2006年ドイツW杯の舞台にタカが立つこと。それに繋がる一歩を確実に刻むこと。 それ以外にありません。だから、タカはこのゴールに満足することなく2006年までの年月を一歩一歩大事に歩んでくれると信じています。 タカ、ブンデスリーガ初ゴール、おめでとう!!!(^^) 最後のクロスはマハダビキアでしたね。マハダビキアといえばなんといってもジョホールバル!!! 思わず97年のフランスW杯最終予選、日本vsイランのビデオを引っ張りだして見てしまいました。 あの時、日本をあんなに苦しめたイランチームの背番号「2」の選手が、こうして6年後に高原直泰という日本人選手と同じチームになり、その初ゴールのクロスを上げることになるとは。 2006年のドイツ大会ではアジア枠を争うことになりますが、日本とイラン、両国がドイツのピッチで闘うことが出来ますように。 サンキュー!マハダビキア! |
2003年1月17日 「2003年 サッカー始め」 すっかり新年のご挨拶が遅くなってしまいました(笑)今年もどうぞよろしくお願いします(^^) |