〜 TOPICS 〜 
 
タカの載った雑誌の記事を拾ってみました。

過去のTOPICS

   1998年12/30 サッカーダイジェスト NO、448                                             

    「悔しき幕切れ」  選手寸評ガラスの翼「解き放たれるときまで」 高原直泰

  アジア大会の総括。誰もが思い通りの活躍が出来なかっただけに、反省の目立つ記事です。

  何が通じ、何が通じなかったのか。それも改めて確認し、修正していくことが大切だと思います。

 

    1998年12/2  サッカーダイジェスト NO、444                                              

   「U−21日本代表選手名鑑」

   「アジアユースでの18日間 チェンマイが教えてくれたこと(後編)」

   川原氏の記事。アジアユースで2度韓国に負けたことの酷評です。痛く、鋭い指摘もその通り、と認めざるを得ない、2度の敗戦でした。

   しかし、「日韓夜明け前」という記事はすごく良かった。韓国チームの選手たちと日本チームの選手達が決勝戦の後、お互いの部屋で朝まで交流会をしたという話です。

   李東國の「日韓ともに今回のユース代表で2002年のW杯を戦えたらいいね。その日が来るまで互いに切磋琢磨し、そして4年後にも今回のように夜通しで語り合いたい」 

  伸二の「あの夜のことは絶対に忘れない。これからも、あんな交流があればいい。韓国とはこれまで何度も対戦したけど、今回のメンバーは最高だよ。お互い頑張って、アジアから世界に飛び出したい」

  この二人の言葉が全てを表していると思います。とかく、韓国とはいろいろな過去の問題で難しいことが多いのですが、ライバルであり最高のパートナーとして二つの国がサッカーで深く結びついていくのは、未来に向かってとても重要だと思います。このU−19のメンバーがそれぞれの国を率いて活躍する時がくるのがとても楽しみだと思いました。   

 

 1998年12月号  「サッカーai」                                                            

  「強気 ー19歳の青きプライドー 高原直泰」

  タカの強気がいいですね。「絶対に負けたくないっていう、そいういう気持ちがあるから。それが「誇り」なんじゃないかな」

  この言葉。好きです。写真は黒のスーツで。カッコイイじゃないですか!(^^)

  U−19の合宿おっかけの記事の充実もさすがai!読んでいて楽しいですね。 

 

 1998年11/25  サッカーダイジェスト NO、443                                                

  「チェンマイが教えてくれたこと(前編)」

  「日本のMVPは酒井だ!」

  川原氏の記事。アジアユース総括の前編です。清雲監督の采配に対する不審論が主流ですが、それはまさにチェンマイで私自身が感じたことでした。酒井を初戦で外したこと。市川のCB。鶴見の使い方etc・・・・・。あげればきりがないです。・・・個々の選手の力は絶対に日本の方が上回っていました。それをいかせず韓国に2敗したということは、やはり監督の采配に問題があるとしか言えない。そう思いました。

  そして、さすがによくみているダイジェスト!日本チームのMVPはやっぱり酒井ですね!!この大会の酒井は良かった!!ピンチの時の酒井!!何度も救ってくれました。男前!!そしてダイジェストの大会MVPは金殷中!殷中と東國のコンビは良かった!!日本はこの二人にやられた!次にやるときは絶対まけないぞ!!待ってろ!殷中!東國!!(^^)

 

   1998年11/4 サッカーダイジェスト NO、440                                               

    「翼をひろげて 高原直泰」

  アジアユース直前のインタビューです。精神的なもの高めていけば世界の4強も狙えるチームだと断言しています。得点王も狙いたいと言う言葉。その通り、アジアユースでは得点王でした。(^^)ハングリーなタカの言葉はいつだって頼もしいです。 

 

   1998年11月号  「mc Sister」                                                        

  「Soccer 未来の日本代表青田GUY」

  おっとびっくり。なティーン女性誌での特集。浩二、モト、タカ、エノ、飯尾(一)がそれぞれ1P。その他にも、イナ、酒井、満男、バンなどが載っています。しかし、タカの写真はまさに「ドテチン」!!いいですね〜。(^^)タカの目のない笑顔。好きなんだよな〜。 

 

  1998年11/18 サッカーマガジン NO、686                                

  「ステップの2位 U−19日本代表、アジア制覇ならず」 

  タイ・チェンマイの地で行われた決勝は日本vs韓国。1−2で日本は優勝を逃しました。

  私は予選を見に行ってきました。決勝はTV観戦でしたが、韓国になぜ日本が負けたのかは大体分かるような気がします。

  まずは韓国のポテンシャルの高さ。どの世代にも言われることですが、「日本」を相手にした時の韓国の底力はやはり異様です。

  そして、監督の采配。最大の敗因だろうと思います。

  そして強行な過密スケジュール。11日で6試合を南国タイで行うというのは結構無謀だったような・・・。

  しかし、今更言うまでもなく2度も韓国に負けたのは屈辱以外のなにものでもありませんでした。

  そんな韓国チームも宗鐘国、ソル・ギヒョンといった後のA代表選手や、李東国、金殷中という才能溢れる選手の宝庫だったのも事実です。

  「エースの本領 高原ハットトリック!後半の猛攻でサウジ粉砕」

  プロになってから2度目のハットはサウジ相手でした。4−2で勝利したこの試合。イチやモトからのパスを決めタカのハットトリックが決まりました。攻撃陣の本領が出た試合。

 

  1998年10/21 サッカーマガジン NO、682                                

  「アジアを蹴れ! U−19アジアユース決勝大会総力特集」 

  タイトル通り、この号は巻頭からU−19の大特集です。表紙はイナ(^^)

  「闘うプリンス」のコピーでまずイナの特集。

  続いて「高原のパートナーはだれだ? 頼れるエース高原直泰」。

  炎の代表ユニ「9」を着た、まだ髪のあるタカの1面カラーの写真は若若しくまだ未完成な魅力に溢れています。

  各ポジションごとの分析ポイントでは、「98年組」VS「96年組」のユース代表徹底比較の企画。

  増える攻撃のバリエーション。攻撃力は史上最強!前回は大会直前に司令塔に抜擢された高校生の中村だけだったが、今回チームには小野、本山、小笠原とJデビューしている選手が豊富な攻撃バリエーションを作るとあります。

  この他にも選手20人全員の名鑑もある、貴重な特集号です。  

 

  1998年9/30 サッカーダイジェスト NO、435                                

  「U−19 日本代表候補 タイ遠征レポート 10月の本番を前に」 

  A代表で活躍して伸二はU−19には戻らないというサッカー協会の決定で、伸二を抜きでアジアユース最終予選に臨むことになりそう。しかし伸二、イチ以外はほぼベストメンバーで臨む本番前のタイ遠征。

  キャプテンはタカです(^^)

  懸案だったタカのパートナーにはタカが怪我で辞退した8月のSBS杯でキラ星のごとく登場した「播戸竜ニ」が踊り出ました(^^)

  タカとイナがこのチームを引っ張っている様子が伝わってきます。                    

 

  1998年7/1 サッカーマガジン NO、664                                

  「必要な答えは「勝利」」 

  アジアユース1次予選に挑む直前レポート。

  おりしもこの号の表紙はフランス98W杯で初戦のアルゼンチンに負けた日本の写真で(ヒデ)、表紙の見だしは大きく「フランス98 日本、歴史的第1戦でアルゼンチンに惜敗!」とありました。

  U−19のキャプテン伸二が戦っていたフランスと遠く離れた日本では、後を託されたタカやイナたちが奮闘中でした。                    

 

  1998年6/17 サッカーダイジェスト NO、420                                

  「現状に満足すべきではない U−19横浜合宿レポート」 

  川原氏の記事。

  「中学時代から気の知れた仲間も多く、何でも語り合える物同士なのだろう。とても仲が良い明るいチームといった印象を誰もが受けるはずだ」

  それ自体は決して悪いことではないけれど、前U−20(中村俊輔、柳沢)に比べ、かなり牧歌的なム−ドが漂っている。とあります。

  U−19の合宿を見た人が全くもって同様の感想になると思います。私ですら「このチームは仲が良すぎる・・・」と心配なくらいでしたからねえ。

  それがこのチームの最大の武器といえば武器なんですが。

  伸二がいない1次予選にそれぞれ選手たちが「俺がやるんだ!」という自覚を持って臨めるかが馴れ合いチームからの脱却だとあります。

  全くその通り。

  因みにこの時点でのU−19のダイジェスト選定ベスト布陣。(伸二とイチは98年フランスW杯日本代表のため入ってません)

       小林   高原

         小笠原

   本山           稲本

         遠藤

   石川  池端  飯尾  中村

         榎本

     (横浜マリノス戦)

       小松原   高原

   稲本            小笠原

       中田   酒井

   石川  手島  金古  加地

         曽ケ端                              

 

  1998年4/29 サッカーマガジン NO、655                                

  「新たな刺激 日本五輪代表(U−21)候補キャンプ Jヴィレッジ」 

  98年はタカはU−19とU−21のかけもちです。磐田ではあまり試合への出場機会が少ない分、こうした年代別の代表でしっかりと存在をアピール。

  合宿の写真にはタカ&イナ&戸田が談笑している写真が(^^)練習写真でもタカと戸田がボールを奪い合うシーンがあります。

  U−21のキャプテンは宮本です。                        

 

  1998年4/1 サッカーマガジン NO、651                                

  「ニュー・ジュビロ、連覇の予感 新2トップ宣言! 高原直泰&川口信男」 

  見開きカラーでタカとノブが肩を組んでいます。二人とも初々しい・・・(笑)

  「FWだからゴールを狙うのは当たり前ですけど、その前に試合に出られないと意味がないので、まずはトップの試合に出ることを目標にしています。1、2年、棒に振る気はありません」

  タカの言葉は力強いです。

  ノブの「うまくなくていいんです。すごい選手になりたい。速さを生かして、「おお!」って言われるような」。

  しっかりと自分の特性を理解しています。

  同期入団の二人の先には中山という大きな存在がありました。ゴンの後を追いかける二人のスタート地点のインタビューです。                              

 

  1998年3/18 サッカーダイジェスト NO、407                                

  「いざ、アジア制覇へ」 

  U−19の宮崎合宿の特集です。『稲本が躍動し、高原が吼え、小野が舞う・・・』の表現が素敵です(笑)

  巻頭の方で全カラー特集な所からも、このチームに対する期待が見えます。川原崇さん特集、ありがとうございます!!

  トップはまずU−19キャプテン小野伸二のカラー写真から。

  MFの選手層の厚さがクローズアップされる一方でやはり「問題はやはりFW。高原のパートナー探しは以前難航している」とあるように、タカの相方が見つかりません・・・。

  この合宿はタカはジュビロの極東クラブ選手権に帯同して3日遅れで合流。

  サッカーaiにも写真がありますが、ホテルからの移動は全員「自転車!」(笑)

  伸二とタカが自転車のカゴに荷物を詰めて、走ってる姿がなんとも微笑ましいのでありました(笑)                            

 

  1998年2/4 サッカーマガジン NO、643                                

  「世界4強を狙う 日本ユース、本格始動へ FW高原のベストパートナーはだれ」 

  U−19の始動に合わせて組まれた特集です。各ポジションごとの戦力分析が書かれています。

  黄金のミッドフィールド好素材が目白押しとあるMFは伸二、モト、ヤット、イナ、浩二、満男、酒井の分析。FWはタカのパートナー探しをするのが懸案とあります。

  この号はその他にも第76回全国高校選手権・優秀選手合宿のレポートがあり、モト、石川(竜)、手島、金古、満男、浩二、羽生、などなど。高校生の彼らが載ってます(^^)                          

 

  1998年1/21 サッカーマガジン NO、641                                

  「ウイークリー・インタビューFACE 高原直泰(清水東高)」 

  清水東高校の学ラン姿でインタビューに答えています。

  子供の頃の事から、高校でのサッカーの話、そして海外への夢。率直な言葉が良いです。この当時一番の目標は「フランス行きたい」その目標は叶わなかったけれど、常に上を狙う姿勢はこの頃から健在という感じでしょうか。