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タカの載った雑誌の記事を拾ってみました。

過去のTOPICS

     2001年10/3 サッカーダイジェスト NO、590

    「南米サッカーのススメ」 

  南米サッカーの特集です。廣山選手のインタビューが巻頭トップ。その中でタカのことにも触れています。

  『ブエノスアイレスは街も大きいし、チームの大きい。メディアの数も多いし、僕みたいにのんびりと、サッカーに打ち込めるという環境にはないと思います。フィールド外のストレスをできるだけ少なくすること。それが重要。能力はある選手ですから、運さえあれば一気にいけると思います』

  同じ南米に渡った日本人選手として先輩の廣山選手の言葉には重みがあります。

  今、タカの中のフィールド外のストレスは本当はとても大きいのかもしれません。でも、彼が評価されるのはサッカー。

  海外移籍の一番大きな点はやはりこういう障害を乗り越えて、活躍する「強さ」なんですね。

 

     2001年9/27  Yeah! NO、027

    「日本では考えられないことが毎日起こる 高原直泰」                                                 

  お馴染み寺野典子氏の記事です。写真は梁川剛氏。梁川氏は南米のサッカー取材へ行かれて「大変な目」に逢われたみたいで・・・。甘く、危険な甘い誘いですねえ・・・(苦笑)梁川氏はワールドユースもナイジェリアへ行かれてタカを撮ってくださってました(^^)

  早速、トップの写真はタカがボンボネーラでチアガールに囲まれてピッチへ飛び出していくもの。始まる緊張感が迫力で伝わってきます。

  『通用しないかも、なんて思っていたら、プロになんてならなかったよ』

  タカの言葉です。寺野氏との会話も載っています。

  『何をやっていても、マイナスになることは何ひとつないと思う。大丈夫、慣れれば大丈夫だから』

  タカは会話中何度も「大丈夫」という単語を使ったそうです。タカが自分にそう言い聞かせながら常にプレッシャーと闘っているのだと、実感しないわけにはいきません。

  『ボカが特別なチームだってことは、こっちにきて毎日感じていることだからね(笑)本当、日本では考えられないことが毎日起きてるから』

  タカが私服を着て、少しはにかんだ笑顔で写っている写真。

  がんばれ!と思わずにはいられない写真です。  

 

     2001年9/13  Yeah! NO、026

    「ハポネ・センセーション  高原直泰が刻んだ第1歩」 

  徳原隆元氏の記事です。

  タカのデビュー戦の現地取材。『それにしても「外国人」である高原に対するジャーナリストやサポーターの接し方には正直、安心した』こう一文を読むだけでも、私も少し安心します。

  「ハ・ポ・ネ!ハ・ポ・ネ!」と大きく沸き起こった歓声にタカは後押しされるようにピッチに出ていきました。

  もちろん、このサポーターは活躍次第で一転最大の敵になるとも書かれています。

  でも、『高原がピッチ内外のあらゆるハードルを乗り越え、精神的にも技術的にもレベルアップを遂げたとき、それは高原個人の成功だけにとどまらず、日本代表の2002年の成功につながる』

  国を背負う、というのは本当はこんなことを言うのだろうかと、ふと考えしまいました。

 

     2001年9/6 Number NO、530

    「ラ・ボンボネーラ 笑顔の日々」 

  チヅル・ガルシアさんの記事です。

  練習中のタカのことが詳しくレポートされています。 

  最初、「ハポネス」ということばかり強調されていた地元のマスコミの記事が、だんだん「ハポネス」という言葉がなくなっていった様子が書かれています。

  「タカ、タカ」とチームメートに呼ばれ、ふざけあったりしている。

  これから!という記事です。

 

     2001年9/5 サッカーダイジェスト NO、586

    「タカの勇敢な挑戦」 

  巻頭トップの見開き写真・・・。思わずじっ〜と眺めてしまいました(^^;;

  すごくいいですね!ボンボネーラの写真をバック大きなタカの写真。うん、いいです!

  ダイジェストはガルシアさんの記事なのでとても詳しく載っています(^^)

  チームメイトのタカに対するコメントも載っているのですが、トラベルソの「タカの面倒はボクらが見るから心配しなくていいよ」というコメントはなんだかちょっと安心。。。

  タカの写真をよく見るとチームメイトのワタリさんという日本人の選手が隣りにたくさん写っています。タカのために通訳をして下さっているとのこと。

  選手としてボカのチームにいながらタカの通訳をしてくれるというのは本心ではとても複雑なのかもしれません。でも今のタカにとってとても大切な存在であることが間違いないのです。実力の世界といえば、そうなのかもしれません。

  でもきっと、タカが頑張れるのはワタリさんのような「今」のタカを支えてくれている周囲の方たちのおかげなのだと思っています。そんな方たちに報いることが出来るように!タカ!がんばれ!!

  そうそう!ボカのスケジュールも載っていてとても重宝しています!ダイジェストさんありがとう!(^^)

 

     2001年9/5 サッカーマガジン NO、829

    「JAPONES!JAPONES!ボンボネーラがTAKAHARAで揺れた!」 

  タカのアルゼンチンデビュー試合。ボンボネーラの観客は「JAPONES(日本人)!」という歓声でタカを迎えてくれたようです。

  ボカのユニを着たタカがピッチに登場した様子の写真はとても清清しくていいですね!(^^)

  ボンボネーラがTAKAHARAのゴールで揺れるとき・・・。そんな日が待ち遠しいです!   

 

     2001年8/29 サッカーダイジェスト NO、585

    「視線は常に世界を捉える 高原直泰」 

  現ジュビロ担当の粕川哲男氏の記事です。

  「サッカーがあるから平気でした」ナイジェリアWユースを振りかえったときにタカが答えた言葉です。

  タカは確かWY直前のブルキナファソへ行って帰ってきた時も劣悪な環境のことを聞かれて同じような回答をしていたと記憶しています。

  タカは本当にハングリーだと思う。そして貪欲だと思う。そこにサッカーがある限り。

  C大阪戦でイエローを貰ったプレーに関しての、

  「ああいったプレーを怖がっていたら、ボクがいる意味がない」

  この言葉が私はとても好きです。

  私がタカを応援しているのはそんなタカのプレーが好きだからです。FWの原点である「貪欲にゴールを狙う」。その一番近くにいる選手だと思う。 

  ゴールを取らなくてはFWである意味がない。この言葉を具現化している「中山雅史」というFWがいます。そしてその最も身近でプレーしたFWがタカです。

  私はこの姿勢を貫き通す、タカが一番好きです。

 

     2001年8/23 Number NO、529

    「ボカはなぜ高原直泰を求めたのか。」 

  チヅル・デ・ガルシアさんの記事です。

  ボカが日本人FWを選択した理由が書かれています。どうしてタカの元にオファーが届くことになったのか。その理由がなんとなく分かってきます。

  『ボカは名門クラブだが、スノッブではない。庶民的でアットホームな空気が流れている』

  この言葉に少し安堵しています。厳しい環境であることには代わりは無いけれど、やはり心配なものは仕方ないです。

  『ボカの高原』。真にそう呼ばれる日が楽しみになってきたぞーー!!

  そしてそして、この号はジュビロの特集(^^)

  隊長の表紙はさすがです!!今号はとてもお得なナンバーです。

 

     2001年6/28 Number PLUS WORLD CUP 「世界戦記2002」

    「南米の征服者」 

  ナンバーの南米特集です。

  日本代表記事としてタカとイナと明神が載ってますが・・・(佐藤氏の記事なんで読み流し)。

  不覚にも涙しそうになったのは小斎秀樹氏の「廣山望が愛した国、パラグアイ」の記事です。

  南米大陸でサッカーをすること。それがどういうことなのかをこの記事は切実に伝えてくれます。 

  タカの移籍が決まった今、この記事の持つ重さをひしひしと感じます。ぜひぜひ読んで欲しい一作!!!

 

     2001年8/22 サッカーダイジェスト NO、827

    「前へ、ゴールへ、アルゼンチンで 高原直泰、ボカ・ジュニア-ズへアルゼンチンから世界へステップ」 

   ボカのユニを着たタカがカラーで載っています。

   練習の様子、契約の場面、アルゼンチンの雑誌に載った記事等など。アルゼンチンに渡ったタカのいろんなシーンが見られます。

   これは必見、

   タカはこれからいばらの道を切り開くべく戦うのですね。

 

     2001年8/22 サッカーマガジン NO、584

    「高原ボカ移籍決定」 

  チヅル・デ・ガルシアさんの記事です。

  ボカの「30番」のユニを手にし、マクリ会長と握手をしたタカが大きく載っています。

  8月4日の移籍入団会見のレポが詳しく載っているので必見です!

  タカの海外への第1歩の記事。必読でしょう。

 

     2001年6/28 Number NO、528

    「シュート、そして幸運を。『ホイッスルが鳴ってもあきらめない』高原直泰」 

  隔連載。増島みどりさんの記事です。

  高原選手にとってFWとは何でしょう?

  この問いにタカはこう答えています。

  「絶対にあきらめないことです」「鳴ってもあきらめません」

  いつあきらめるのですか? この問いにはこう答えています。

  「鳴り終わったら、です」

  タカのこの言葉の有言実行をこの1stで私たちは何度も目の当たりにされました。タカはいつだって諦めていない。最後の最後までゴールを狙い続ける。

  この記事の中でタカは「刹那のストライカー」とそう呼ばれていました。でもね「刹那」ではないと思うのです。

  「刹那」という瞬間があるのはタカが90分間、ずっとゴールを狙い続けているからなのだから。

 

     2001年8/2 Yeah!No、023

     「名波浩&高原直泰」 理想へのリスタート

  川端康生氏の記事です。

  同じ七夕の夜。怪我から復帰したナナとタカ。

  タカの「監督が最後まで使ってくれたので、そのことに感謝したい」という言葉。私も感謝しています(^^)

  「代表ですか?出たいというのももちろんありますが、それほど気にはなりませんでした」・・・このあたりの大らかさが、図太さと大物ぶりを感じさせるのだろう。そして、期待はますます膨らんでいく。

  タカは昔から大らかでしたよ(^^)

  ナナの「高原たちの代は、すごくいい選手がいるので、2002年の後に、ベスト8に入れるようなチームを作ることも考えるべきでは。目先の勝利ばかりではなく、2006年、2010年を目指していく必要もあると思う」

  さすが、名波。まさに達観です。

 

     2001年7/9 週刊DIAS 創刊2号

     「世界と闘うために 高原直泰」 

  週刊DIAS初めて買いました。創刊2号だったのですね。雑誌的にはなんでしょうSPAと週刊新潮の間くらい?(笑)の雑誌ですか・・。

  さて「TOP ATHLETE INTERVIEW」としてカラー2P。横顔の写真がいいです。そして、もっといいのがインタビュー内容。

  「ゴールが見えたら撃つ勇気」と「好機をものにする決定力」。この言葉をタカのうたい文句にしてくれているのが本当に嬉しい。

  そして、「目の前の1試合1試合を大事にしたい」というタカの言葉はいつも変らず謙虚で前向きだと思います。

  何も言うことはありません。タカが信じる道は正しい。そう思えるタカファンの自分はとても幸せです(^^)。

  記事は仲本剛氏です。

 

     2001年6/28 Number NO、525

    「シュート、そして幸運を。『中山雅史がかけた魔法』西澤明訓、鈴木隆行、高原直泰」 

  増島みどりさんの記事です。久々に記事を読んで感動しました!

  中山隊長の記事を中心に若手FWを語っているのですが、コンフェデ杯における隊長は本当に若手FWたちに「FW」とはかくあるもの!という姿をとくと見せてくれました。

  タカが他の若いFW選手より確実に勝っていると思う点は一番身近で中山雅史を見ていること。だと思っています。

  タカの「これまでのことに本当の意味で報いるためには、正々堂々と中山さんに挑みたいです」

  隊長の「僕自身も、タカが言うように果敢に攻めていくつもりです。胸を借りるのはこちらのほうでしょう。正々堂々と戦いたいと思います」

  このお互いの言葉に全てがこもっていると思います。

  ジュビロの2トップは日本一!そう思わせてくれる記事でした!

 

     2001年6/7 NO、019 SPORTS Yeah!

    「高原直泰が見つめる世界 『蒼き炎』」 

  佐藤氏の記事です。巻頭特集。

  写真がいいですね!梁川剛氏の写真、実はワールドユースの頃から大好きです!!    

  代表の背番号「19」ってやっぱりいいな〜と思います。  

 

     2001年6/5 Number PLUS WORLD CUP 1

    「それぞれの再生 高原直泰」 

  Number佐藤氏の記事です。(←まだ嫌いらしい(笑))フランス代表戦の惨敗の記事ですが、タカはこの試合後半からしか出てなかったし、それほどボールに絡めなかったわけで・・・そんな試合の話しを記事にされてもねえ・・(やっぱり嫌いらしい)。でも写真は良かったです!やっぱり写真はNumberですね〜!!

  面白かったのはアスカルゴルタのインタビュー!アスカルゴルタは私の好きだった外国人監督の一人なんですが、スペイン戦の後で「高原が良かった!」とコメントしてくれていて、「おお!」と思っていたらこの記事でもFWはタカを中心に考えていてちょっと嬉しい!

  あと、李東国と李天秀が載ってます!ソルギヒョンも!

  東国・・やはりドイツで苦労しているようですね。でもこの経験は必ず役に立つときが来ます。何かのインタビューで東国が「タカは最高のFW」とか言っていたのを見て、「サンキュー東国!」と嬉しかったー!

  タカと東国は私の中では永遠のライバルです。

 

     2001年5/23  サッカーマガジン NO、814

    「the terrible その男危険につき。 ひたむきな鬼神 何も恐れない「恐怖の男」 高原直泰」 

  タカの特集です。「妥協を許さないひたむきな姿勢と、鬼神のごときプレーで相手を震え上がらせる磐田の牽引車、高原直泰の原点から成長過程、未来へのストーリー」

  タカが大きく扱われるのはアジア杯以来くらいですか。タカ本人も言っていますが「あれがなければ僕の存在価値はない」というプレー。私も好きです。貪欲に狙うゴールといいうのはこういうプレーから生まれるものだからです。厳しく言えば、いくら巧いストライカーでも敵に恐怖を与えられなかったらそれだけでFWという価値はないのです。 

  タカには全てのDFに恐れられるようなFWになって欲しいです。

 

     2001年4/25  サッカーマガジン NO、810

    「突き進む鉄則 高原直泰」 

  2001年第4節鹿島vs磐田戦の記事。N-BOXの産声。「N−BOX」か・・・。似た名前のゲーム機が・・・・。

  「ゴールが見えたらシュートを打て」という鉄則通りにシュートを打ちつづけたとタカの評にあります。タカはゴールに貪欲なストライカーですから!

  財徳建治氏のコラム「中山の背中が示すセンターフォワードの真の姿」。

  「中山と高原のFWも素晴らしかった。屈強のディフェンダー秋田をして、「成長している。以前は、うまいけど点は取れない感じだったが、いまは中山さんくらい警戒しなくてはならなくなった」と言わしめた高原に力強さ、迫力を感じる。その高原が、「体調は悪いけど、いるだけでもプラスになる」と信頼を口にするベテラン中山の存在を忘れるわけにはいかない。」

  「中山のプレーからは「全力でやり抜く」熱い心が伝わってきた。そして、その背中は、絶対に不平、不満を言わない。常に戦う姿勢を崩さない。これこそが強い磐田の象徴のように思えるのだ」

  その通りだと思います。タカの最も幸運なことの一つに同じチームに中山雅史というFWがいたことだと思います。

  タカにもその「背中」でチームを引っ張っていくFWになって欲しいと願っています。 

 

     2001年4/25    サッカーダイジェスト NO、567

   「J1 2001 第4節 勢い止まらず! 鹿島vs磐田」 

   タカの写真が大きく載ってます。

   「高原は恐ろしいぐらいの思いきりのよさで、幾度となくゴールを脅かした」とのコメントでダイジェストではタカはMOMの評価です。

 

     2001年4/15刊    サッカーマガジン 2002 日本代表ワールドカップへの道 VOL、1

   「日本代表 いまむかし 第1回 ストライカー編」 

  イナが表紙のマガジンの別冊。W杯が近づいてきたんだなあ。とちょっと実感してきました。

  タカに関しては日本の歴代ストライカーの話の中に出てきます。

  しかし、この雑誌で一番心に残ったのは伸二の記事でした。シドニーの選手発表の真実について書かれていたのを読んで、泣きたくなりました。あの時、確かに伸二は空港で「(落選を)今、知りました」と答えてました。既に知っていただろうとは思っていたけれど、改めて真実を知ると泣きたくなります。

  伸二が泣いたというんですよ・・・。

  タカ、イナ、伸二、モト、浩二、満、バン、ヤット・・・。あのU-20の選手たちが揃ってまた世界で戦うのが見たい。いや、見せて欲しい。

 

     2001年 4月号 STRIKER

  「日本代表 Road」 「デサイーはすごく強いし、巧い。そういう相手とやりたいし、やらなきゃいけないと思う」高原直泰

   今年の代表戦が来年のW杯へつながることをとても意識した、タカのコメントです。

  フランス、そして世界クラブ選手権と挑戦できることを楽しみにしている様子。チャンスを逃さず闘って欲しいです。

  この記事は西部謙司氏です。

 

     2001年3/20刊    スポーツ20世紀 9 ベースボールマガジン社

       「NEXT WHO?」 21世紀ジャパン ゴールゲッターは誰だ!?

   『万能型ストライカー・豪快さの高原』

   現在の日本のストライカーを語る上で、まず一番最初にタカの名前を挙げています。
   タカはこれまでも所謂「万能型」といわれてきたわけですが、以前ならこれを「取りたてて強いものがない」と酷評される裏返しとして使われていたことをとても口惜しく感じていた分、ようやく的を得たりという気分です。

   「オフ・ザ・ボール」の動きの質を高めることが今後の課題。とあるのですが、タカがここ2年で最も成長したものの一つがこの動きだと思います。そう考えると、タカはもっともっと巧くなる!と期待しています。

   この本には他にもWYやアジアユースのサウジ戦(昨年のアジア大会の前に、タカがハットトリックをした試合だ!(^^))の時のタカの写真も載っています。

 

     2001年2/28 サッカーダイジェスト NO、559

    「世界標準の自負心」 追い求めてきた”世界”で結果を残して 高原直泰

   『背番号17と29をつけたストライカーは、その重さを感じさせない軽快さでピッチを駆け、鮮烈な印象を刻んだ』

   この表現にピンと来る方はかなりのダイジェスト通?ということで(笑)ダイジェストNO、543「万能ハンターの向上心」高原直泰の記事で藤沼氏が用いた表現です(^^)=「重い背番号」

   ということでこの記事は藤沼氏の記事でした(^^)

   なんだか最近、めっきり日本の2トップは西澤とタカで決まり!みたいな感じですが、私自身はまだまだまだまだ。と思っています。

   これまでの日本のエースストライカーというのはやはり、カズだったり中山だったりするわけで、日本のFW=カズ、中山というイメージを持っている人にも、新しい日本のエースは「高原だ!」と口をそろえて言わせるくらいにならなければ、私自身が内心どんなに「日本のエースは高原でしょ!!」と思っていてもダメなんだと思います。

   今だけの評価に捕らわれることなく、もっともっと高い目標へ向かって闘って欲しいと思います!

   がんばれ!タカ!タカなら絶対にやれるよ!!

 

     2001年1/31 日本代表SPIRITS 日本代表の肖像2001

    「序章」 高原直泰

   11キャップ8ゴールという数字は、実は凄い数字だと思っています。

   タカの代表への道のりを「99年ワールドユース」から語るのはちょっと違うんじゃないか、というのが私の考えです。

   タカの代表を語るのならやはり「U−17、エクアドルからでしょ!」と。

   それから、タカがシドニーとアジア杯で成長したというのも、「否」。

   タカの成長は2000年のJリーグを持ってして語るべきです。 ということで、また佐〇への批判でした(苦笑)

   それはさておき、今年はぜひぜひタカに「得点王!」を狙って欲しいです(^^)

   タイトル争いという高いモチベーションの中でぜひともプレーして欲しい。今年、彼が得る経験は必ず2002年に還元されると信じています。

 

     2001年1/25  Number NO、530

    「本格派への脱皮」若きストライカーの独白 高原直泰

   課題としてタカが自分のことを分析している言葉で「自分の力、個人の力で局面を打開できること。FWだったらドリブルで抜いてシュートを打つ」と語っているのですが、確か『日本代表SPIRITS VOl、3』のデーターから浮かび上がるもの。という特集の中で、「タカは自分でボールを持った後、高い確率でドリブルを選択している」と分析してあったので、これこそまさにタカの有言実行だわ、と感心してしまった。

   やっぱり希望は「スペイン」なんですね。大丈夫、必ず叶うよ!(^^)

   しかし、記事は佐藤俊。佐藤俊といえばNumber。Numberといえば佐藤俊。(爆)   

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