U−20 3月福島合宿 in Jヴィレッジ

              1999年3月22日〜25日

  U−20国内最後の合宿です。

  このチームを追い続けている内にU−20が「最も愛するチーム」になっていました。彼らが私たちの眼前に見せてくれる無限の可能性がきっと私たちを惹きつけて止まないのだと思います。

  この合宿では数人の新しいメンバーが呼ばれました。しかし、結局予防接種の問題などで最後のメンバーに残ることが出来ませんでした。金古と市川が抜けるという事実は私自身も相当危機迫るものを感じていました。それは当然現場スタッフも感じていたでしょう。その意味で、あらかじめ呼ばれるであろう選手達へ予防接種を怠った協会には不満があります。ロボの入った最終ライン見たかった・・・。

  練習は2月のブルキナ合宿で行っていたことの反復で、主に攻撃の練習でした。遠藤が高原(トップ)に当てて落としたボールを伸二が両サイドにはたく。そのボールを本山、酒井が持ち上がって中に入れる。それをタカがフィニッシュ。その繰り返し繰り返し。トルシエの練習の特徴はとにかく「繰り返し」何度も何度も。組を代えては(大体2,3チーム)同じことをやる。紅白試合などは一度も見ることが出来ませんでした。氏家と浩二のDF起用も驚きだったけれど、一度は外された石川くんが最終メンバー発表日の午前練習でとにかくトルシエにマンマークで怒鳴られまくっていたのは(「一体、どうしたんだ石川!!と思った」)最後に残るということだったのだな・・・。やっぱり「怒鳴られる」選手はトルシエの目に叶った選手なのでしょうか。

  見学中、私の隣で高校生の男の子2人組(Jヴィレッジにサッカー合宿に来ていたらしい)が食い入るようにU−20の練習を見ながら「すげー・・・」「うめーよ・・・」としきりに呟いていました。U−20のメンバーはこうした日本全国のサッカー少年達の代表なのだということを改めて実感しました。 

 もう、このチームをこの目で直に見ることはないのだと思うととてももったいないような気分でした。ナイジェリアへ行く!とか言うと思い切り家族や会社の人々に反対された(当然か・・・・)友達たちは行きたがってる人々ばかりだったからな・・・(^^;

 Wユースで優勝して欲しい。と漠然と思っていました。このチームならやれると、心のどこかで期待していました。

 一試合でも多くU−20の試合を見せて欲しい。それが心底の願いでした。 

 タカのWユース「得点王」も私の夢でした。そして、海外へ・・・と。   

      たくさんの想いの籠もったU−20が最後の戦いへ向けて日本を旅立って行きました。

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