大江慎也への想い入れ


大江慎也への想い入れメールをまとめました。



■素直に嬉しい / 山口 (2009.09.04)

もう、このWebPageを訪れる人はいないと思う。
一年ぶりの更新かなぁ。色んな事があったけど。。。。

前回の書き込みは大江慎也のブログが消えてしまった
という絶望的な内容だったのだけど、きょう、フラフラと
ネットを徘徊中していたら見つけました。
あたらしい、新規オープンの大江ブログを。
これはもう、だた、素直に嬉しい。
それだけ。

見たい人はYou Tubedeで大江慎也を検索して下され。
Yeh!!!!! We're Gonna Have a Real Good Time Together!


■再び、砂塵の彼方へ / 山口 (2008.09.24)

二年半ぶりの更新だというのに残念な話題になってしまった。

大江慎也のブログが消えてしまった。
その出会いはネットを徘徊中に偶然見つけたものだった。
You Tubeで大江慎也を検索すると、自身のブログのURLを
広報するビデオがアップされていて、そこから大江のプライ
ベートBLOGへ辿り着くという仕組みは鮮烈だった。

二年前、大江のオフィシャルWeb pageが開設され、
大江の書く文章を読むことができて狂喜したことを憶えている。
その後、オフィシャルWeb pageは更新を停止してしまった。

大江のBLOGとのその接点はYou Tubeを使った方法だった。
いかしてると思った。
ブログを介して大江の撮った画像、イラスト、エッセーなどの
創作に触れることができて興奮した。 でも、今はもう無い。
最後のほうのブログの書き込み内容が破綻気味になっていると
感じていたが、それが大江の曝け出す現在であり、忽然と
消える予兆とは思えなかったのだが。。。。。
これでまた大江との接点が絶え、その存在はネット砂塵の彼方へ
消えてしまった。


■BABY RELAX / 山口 (2006.01.17)

大江慎也自身のWeb Pageが開設されている。

URLはこちら => http://www.shinyaoe.jp/


大江自身が自らの意志で発信するメッセージに触れることが
できるようになった。
これで、フィルターのかかった下衆なマスコミ雑誌の大江記事に
気を病む必要がなくなる。 ここまで長かった。
10年くらい前に、大江慎也の創ってきたものが風化しないよう
その軌跡をネット上に刻んできたけど、本人がネット上に登場
するようになったことで、もう私のやる事も無くなりました。
ただでさえ年1回の更新なのに、さらに間隔が空いてしまいそう。


■過去は要らない / 山口 (2005.01.06)

大江のバンド UN(アン)のアルバムを毎日のように聴いている。
CDで聴くのは面倒なのでPCに落として聴いている。
それをCD−Rに焼いてクルマを運転している時も聴いている。
どこにいても聴けるので御機嫌だ。  とても良い。
ルースターズ時代の大江やソロ後の大江ではなく、現在の大江に
出会えることを長い間望んできた。
それはもう無理だと諦めていたのに、気負いも無く、何の違和感も
無しに大江は復活し、ライブをし、アルバムまで出してくれた。
アルバムの出来に対してコメントなどはしない。 無意味だ。
ただ拝受するだけ。  だから殆ど毎日聴く。

柏木などとは関係のない、大江自身がやりたい本当の音楽。
それが "KNEW BUT DID NOT KNOW" だ。
私は殆ど毎日聴いている。  とてもハッピーな気分だ。

余談だけど、ルースターズのBOXセットは結局買わなかった。
完全版ともいえるBOXセットだから、今まで聴いたことの
無かった音源に触れて感動することもあるんだろうけど、
私はコレクターではないので購入する気持ちは無かった。
だって同時代に大江が戻ってきたんだもん。  昔の音源を聴いて
想いを馳せているくらいなら、現在の大江を聴いたほうが良い。
過去に溯っても仕方ないからね。


■大江さん復活 / みゆきさん (2003.11.28)

私の大好きなルースターズがこんな形で拝見できることをとてもうれしくおもいます。
中学の頃から大好きなバンドでした。その頃はまだルースターズじゃなく人間クラブ
の頃だったと
思います。私が高校になってからは、友達とBOXにライブをみにいきました。
たしか、産業医大の学園祭のライブが急に中止になり代わりにARBがしたと思う。
花田さんがギターで参加してました。その時から大江さんが体調を崩していたと後で
東京に行った友達から聞き心が痛くなりました。ちょうどその頃私は、看護学校の精
神科実習中で心の疾患の苦しさを見ていたから大江さんとだぶってなんともいえなく
せつないきもちになった事を覚えています。その後元気になって帰ってきたレコード
は、無理している感じにきこえました。
たまたま、お店で見つけたビデオを買ってみたときはうれしさより痛々しさで涙がと
まりませんでした。
心が苦しくて息できない感じに見えてその時1回見た後は二度とみれませんでした。
それからは、最初の方のレコードしかきかなくなりました。そのせいか10歳の次男
が、時々 やりたいだけと口ずさんでいます。
今年になってここ最近大江さんが復活の情報がたくさん出てきて、ファンとしては
とっても
うれしくて待っていたことなのに、心と体はは苦しくないの?ていうくらいハードそ
うで心配です。
大江さんやルースターズは私にとって大切なずーと大事にしていきたい宝物なのです
だからゆっくりでいいから長くやっていってほしいのですが、ちょつとスピードつい
ているみたい。


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[山口のコメント(2003.12.5)]
K氏が絡んでいた頃のようなボロボロの大江の再現は困ります。
あくまでも「やりたい時にやる」という大江自身のペースで活動して
欲しいものです。
ライブでは新曲を演奏しているそうですし、新曲のレコーディングの
予定はないのかな。 あと初期のナンバーのセルフカバー集も欲しい。
アルバムだとか関東地区でのライブだとか、大江に対する妄想は尽きません。


■はじめまして! / xxxxさん (2003.07.24)

 私は30歳(女)です。ルーズターズ、大江慎也の大ファンです。でも実際にライブ
を観たのは大江ぽんが1984をやっていたころですので、ルースターズのライブはビデ
オでしか知りません。特に初期のルースターズが大好きです。(ソロの一枚目も好き
ですが。)ルースターズの前のバンド時代の
(人間クラブ?)テープを知り合いの知り合いの人にいただいたんですが、そのテー
プに入っていた「土曜の夜はロックンロール」っていう曲がお気に入りです。もしか
してルースターズでもやってたでしょうか。と、前置きが長くて申し訳ないんです
が、このメールをなぜ打ってるかというと、6月に大江ぽんがライブハウスに飛び入
りして歌ったというのを読んでびっくりしたからなのです!生大江ぽん!しばらく前
にロッキンオンジャパンに大江ぽんのインタヴューが載っていましたが、その記事に
対してのファンの人の反応で、復活しないでほしい、昔の伝説のままの大江ぽんでい
いいというような意見がありましたが(本文がなんて書いてあったか忘れてしまいま
したが)私は本人がやりたいならやって欲しいと思っていたので、是非また大江ぽん
に会いたいと思っていたので、実際に大江ぽんがまた歌った、という事実をとても嬉
しく思ったのでした!大江ぽんってロックの初期衝動って言う感じで...まさに落ち
ていく私って感じで、存在そのものがロックだと今でも思っています。いつか私もス
テージで歌う大江ぽんに会えますように!



■大江慎也 / yamagishiさん (2002.12.14)

 私にとって大江慎也とルースターズは物凄く不思議なバンドです。私がルースター
ズを知ったのは『φ』からで、
好きになった途端大江慎也は脱退してしまったのですが、花田さんと下山さんも結構
好きだったのでその後も
レコードを買って聞いてました。『NEON BOY』なんてかなりよかったと思います。
 しかしながら、『φ』および、そこから遡って聞いた『GOOD DREAMS』『ニュール
ンベルグで囁いて』から受けた印象は
かなり深かった、としか言いようがありません。そしてそのことが不思議で仕方ない
のです。
 ルースターズの楽曲は特に際立って完成度が高いわけでもなく、また、バンド自体
がスキャンダラスな先鋭性を持っていたわけでもなく、
あるいは歌詞が優れて文学的であったわけでもなく、更に大江のボーカルにいたって
はハッキリ下手だ
と思っていたほどですから、何故このバンドに惹かれたのか、はまったのか、いま
もってわからないのです。
 皆さんの文章を読んでいると、一瞬ではあったが圧倒的な疾走感(池畑潤二のドラ
ムが大いに寄与していたのだと思う)に乗った大江慎也はホントに輝いていた、
というような記述があり、成る程、とは思いますが実際私はその疾走感溢れるルース
ターズをあまり知らない(C.M.Cにその余波は認められるような気はするが)
わけですから、ルースターズの、大江慎也のどこが良いのか?と問われても答える術
がないのです。
たまたま偶然好きになった、のかもしれませんが、このサイトを見ているととても偶
然だとも思えず、謎は深まるばかりです。
ルースターズおよび大江慎也には絶対「何か」特別なものがあったのだと思います。
それは確信できます。
しかし、それが何だったのか、わかりません。ホント不思議です。



■すごーく真面目な大江慎也 / ikehataさん (2002.03.04)

最近僕の会社の後輩でルースターズのファンなんですよ。
という声を聞きまして、懐かしくなり色々とパソコンの画面を見ているうちに
山口さんのHPを見つけうっわーこんなたくさんの人の心の中に大江慎也そして
ルースターズが存在してるとは.
私は池畑潤二の二つ下の弟でもちろん薔薇族人間クラブそして東京初登場となる
ラフォーレ原宿でのどこの主催だか忘れましたが音楽祭,ロージーを引っさげての、
確かグランプリ獲得だったと思いますが。
それから初期のルースターズがこれから全国区になろうとするまでの間関東圏の
ライヴには欠かさず顔をだしてました。 当時の頃をすこしずつ思い出してみようと
書きこんでみようと。最初に大江君を見たのはその頃住んでた北九州の家に兄に
一緒にバンドをやろうと必死に口説く姿でした。 かなり長い間話をしてたようです。
かなり自信があったのでしょう. 地元の企業に就職しようとしてた兄もその気に
なったようです。


■どうしようもなく好きなBAND / (2001.09.18)

ここを見るたびに思う!
いつまでも、何かを感じさせてくれる!
リアルタイムじゃなくても心に残る!
そして知らない世代に伝えます!
大江さんの凄さをいつも感じ、いつも鳥肌をたてました!
時代は常に新しい物を探すけど世紀を越えて大江慎也の声は僕に届きました!
何かに負けそうな時に『どうしようもない恋の唄』はいつも勇気をくれた!
生きていく中でどうしようもないことがあるよって独り思います!
どうしようもなく好きになった大江慎也!
いつまでも、あの声が響きます!ここを見るたびに思う!
いつまでも、何かを感じさせてくれる!
リアルタイムじゃなくても心に残る!
そして知らない世代に伝えます!
大江さんの凄さをいつも感じ、いつも鳥肌をたてました!
時代は常に新しい物を探すけど世紀を越えて大江慎也の声は僕に届きました!
何かに負けそうな時に『どうしようもない恋の唄』はいつも勇気をくれた!
生きていく中でどうしようもないことがあるよって独り思います!
どうしようもなく好きになった大江慎也!
いつまでも、あの声が響きます!



■大江慎也の事 / TOSHIさん (2001.09.08)

はじめまして。32歳の男性です。この様なページが有る事に驚きと喜びを感じています。
私が初めて大江慎也を知ったのは中3の頃、INSANEを聞いたのが最初でした。
それまでMODS ARB 等を聞いていましたが現在まで十数年に渡り聞いている
日本のミュージシャンはROOSTERS(大江慎也)だけです。
初めてライブを見たのが某ライブハウスでのDISの時のツアー、最後に見たのが
某ホールでのヒューマン ビーイングの時でした。その間数回に渡りライブを
見に行ってましたが、何か彼を見るたびに大江慎也が壊れていくような気が
していたのを覚えています。
特に脱退直前、また、ソロで復活した直後のそれなど(ROOKIE TONIGHITの頃)です。
ROOKIE TONIGHTのライブの時、終了後出てくるのを待ち一緒に写真を撮ってもらい
握手までしてもらいましたが一言もしゃべらず終始タバコを吸い続け、ほとんど力の
入らぬ手で握手をした事を今でもはっきり覚えています。
その後少し元気になったようですがFAREWELLのビデオを見る限りそうでもなかったの
かも知れませんね。
またパラノイアックライブのTHE AIR ・ CASE OF INSANITTY ・ GODD 
DREAMSの時彼には何が見えていたのでしょうか?あの瞳に吸い込まれそうでした。
数え切れないほど繰り返しビデオを見ました。

他にもいろいろ有りますがこの辺にしておきます。ちなみに私が一番好きな
アルバムはDIS、曲はGOOD DREAMSです。それから仲間内で柏木省三の事を黒幕と
呼んでました。あともうひとつ、10年前後昔、NHKのローカル番組で大江慎也の
事をやってました。今で言う人間ドキュメントみたいなのですが題名は確か
「ガラスのようにきらめいて」でした。録画し損ねた事を死ぬほど後悔しています。



■ルースターズ(大江慎也)について / 平田さん (2001.08.25)

私は福岡出身の32歳で現在横浜に住んでいます。
中学高校時代(80年代前半)福岡県人の例に漏れず私もめんたいビート系の
みゅーじっしゃんのファンでした。
でも当時私自身はルースターズにはそれほど興味がなく、やはりモッズを中心に聞
いていました。
友達が聞いていてそれをちょっと聞いていたくらいです。
余談ですが当時六本松のレンタルレコード屋にロッカーズのアナイがいました。働
いてたと思うんですが、、、
たぶんバンドが解散したあと暇してたのかなぁとおもいます。

ルースターズに興味を持ったのはむしろ解散したあとで、宝島で(昔のね!)ルー
スターズの軌跡の特集を読んでからです。その後急速に興味を持ち始め、当時レンタ
ルレコード屋がCDに切り替わる頃で、レコードの大放出を始めた頃で、レンタル屋
をまわってルースターズやRCサクセション、モッズのレコードを集めました。大江
在籍時のルースターズものは全部集めました(EPをのぞく)
ビデオもアーリーライブ、解散ライブ、パラノイアックライブと買いましたが、や
はりアーリーライブが一番大江が生き生きしていていいですね。
明治公園のフリマで”爆裂都市”のビデオ買ったらコピーものでした。ちょっと怒
り爆発でしたが、大江の変な北九州弁のセリフ棒読みには笑ってしまいました。



大江を見た。

大江慎也がONESを結成した頃FM東京の公開ライブを見に行きました。土曜の
午後4時頃にやっていた番組です。浅草のROXでやりました。当時遊んでいた相棒
を無理矢理連れていきました。彼はルースターズとか大江とかあまり興味のないやつ
でしたが。
対バンは忘れたけど、そこで生大江(ONES)を見ました。今では何を演奏した
のか曲も忘れてしまったけど、大江のどこを見ているのかわからないうつろな目と作
山の坊主頭だけは忘れません。WILL POWERの曲を中心に10曲ぐらい演奏
してたと思います。
今思えば、なんかつらそうに歌ってたなぁ...絞り出すような声でした。
観客のほとんどは対バンを見に来ただろう女の子たちだけだったように思われま
す。
大江の唄に結構さめてて熱気はほとんど感じられませんでした。(あくまで主観で
すが...)
反応もほとんどなかったような。
インタビューもあった気もしますが何を話してたのか忘れてしまいました。
私が21歳くらいの頃の話でした。たぶん11年前かな...



■最後に大江と会ったとき / 三宅さん (2001.04.08)

今から数年前 福岡のライブハウス Be−1で大江のオールナイトコンサートが
ありました。
夜10時ぐらいから朝の5時まであり、おまけにその日の昼から福岡歯科大の学園祭に
出るというかなりハードなスケジュールで大丈夫かなと思いながら足をはこびました。
すると登場した大江はすこぶる元気で、「みなさんこんばんわ、源 頼朝です。」
と会場を脱力させつつ前半は弾き語りで始まり1曲目はいきなり ガールフレンド!
それからCASE OF INSANITY,GOOD DREAMS,THE AIR,
SHE MADE ME CRYとつづきまるで夢心地でした。その時柏木氏が「大江の
映画出演の件は大江が年をとりすぎたのでボツになりました。」とか言ってました。
それから少しのインターバルをはさみONESを従え再登場、 ドライブのきいた
演奏でTELL ME,COME‘ON TO ME等会場は大盛り上がりとなりました。
そしてそのあと福岡歯科大のほうにもいきましたがそこではひともまばらでその晩の
狂騒がうそみたいでしたが力強い演奏で大江は本当に元気になったんだと感慨に
ふけってました。そこの音響関係者に柏木氏が、「うちらはストレートなロックバンド
に生まれかわったからVOCAL ,GUITER,BASS,DRUMはほぼ同じ
音量にしてくれ。」と言ってました。
それからしばらくして花田 裕之がソロで福岡にきました。ロビーでタバコを吸って
いるとなんと向かいの席に大江が座ってくるではありませんか、奥さんと来られてました。
とりあえずフアンです...と声をかけると「そう!また福岡でライブやるから見に
きてよ!」と元気一杯で、前にサイン会で何回か見てたのですがそのときの一言も
喋らない姿しか見てなかったので本当にうれしくなりました。
しかしそれが彼をみた最後でいつのまにか音楽業界から姿を消してしまいました。
今度接することがあるならば、何にもしばられずにリラックスしてR&Bなんかを
やっていてほしいです。



■雄 だとか 雌 だとか 老 だとか 若 だとか・・・ / 村本さん (2000.12.13)

ルースターズという名前は
ロッキンオンジャパン の 大江慎也氏
の インタビュー で 知った。

あのインタビューを読んで
心が 痛くなった。

私が生まれたのが1981年。
リアルタイムで体感できなかった音楽。
その音楽に触れたくなったときに
情報がなかった。

CD屋さんで
I'M A KING BEE 〜 early sounds of the roosters 〜
をみつけた。

声 が 音 が 体 の 芯 まで
浸透していく・・・
変な感じだった。
私は 良い 音楽 は
体で聴くのです。
だからどんどん体の中に入ってくる
音 に戸惑いを感じた。

復帰してほしい と そこまで 思わないんです。
インタビュー を 読んで そう 思ったんです。
ルースターズは 今 の まま が 良い。
このホームページを見て
皆さん ルースターズが好きで、
皆さん 自分の ルースターズ論 があって、
皆さん 自分の ルースターズベストがあって、
皆さん ルースターズが大好きで、
だから 復帰とかせず 今 の まま が 良い と 思ったんです。

リアルタイムで聴けなかったことを
悔やんだりはしないけれども、
今、19歳という このなんともいえないような年に、
というより 私の今の精神状態 のときに
大江慎也氏 の インタビューを 読めたこと、
ルースターズを 知ったこと、
CD を 買って 音に 触れ 体に 浸透したこと、
このページにたどりついたこと、
すべて 嬉しく思います。



■空白の時間 / 天川さん (2000.11.25)

今日此処に辿り着きました。
私が大江慎也を知ったのは二十年前でした。
それから5年の間、日本のロックやPIL、ジム・フィ−タスなど
を聴き、ライブハウスに行き、人と会話をしながら彼の事を思って
いたのは、彼の声があまりにも痛かったからです。
そのうち 病気になった と知り、「やっぱり・・・」
それから15年。
私はずっと自分の時間の中にいました。
ルースターズのテープだけを聴きながら、「大江に会いたい」
という意思だけが唯一の外界に対する意識でした。
そして今年の1月に私は福岡に行きました。肉体的にもうもた
ない気がしたので、さっさと行ったのです。これは衝動でしょうね。

点、点、点、と時間が過ぎて、私はやっとインターネットを始め
ました。外に向う行為が全く出来なくなっていましたが、大江の
事を知りたくて、箱の蓋を開く気になったのです。
此処を開いた時胸が痛くなりました。



■おしえてください / 鈴木さん (2000.11.11)

実は,最近,大江慎也氏の記事のことを知り,ぜひ読みたく,ロッキンオン
1999/10 を古本屋などでさがしているのですが,全く見つかりません。
一体,どんな記事だったのでしょうか,教えていただけないでしょうか。
厚かましいお願いで申し訳有りませんが,よろしければ,お願いいたします。

P.S. 先日,「Rookie Tonight」の再発売CDを購入しました。
なつかしく聞きながら,ふとレコード盤をだしてみたところ,大江氏の写真と
サインがでてきました。当時,ポートレートレコードの通信販売で購入した記憶
があるので,おそらくその付録だったんだろうと思います。
「 I hope you to success. Shinya Ohe 」
当時,わたしは,どんな気持ちでこのサインを見たんでしょうか?
決して,当時成功していたとはいえない彼からのこのメッセージをどうとらえ
たんでしょうか? なにか,すごく考え込んでしまいました....


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[山口のコメント(2000.11.11)]
大江慎也インタビューの件ですが、御参考までに連絡します。
ロッキンオンジャパン 1999/10月号に登場しています。
デビュー当時の事や、近況についてインタビューに答えています。
インタビュアーはロッキンオンジャパンの山崎ですが、彼の主導的な
進め方が気になるところですが、大江慎也については少ない情報しか
無かったのでこの記事は強烈です。
本は私自身も持っていたのですが、不注意にも紛失してしまい、
今となっては記憶だけしかありません。

大江さんは、親の介護をされているそうです。
音楽を聴く習慣はあるのの自分でやるまでには余裕が無いと書かれてます。
いま、手元に記事が無いので実際の言い方は違っているかもしれませんが、
「頻繁に暗くヘビーな状態になって、それが1週間かもっと続く」という
ような事を言っていました。
「このまま介護だけで終わってしまうんじゃないか」というような事や、
活動当時の事を思い出せない事や柏木との事等、いろいろと痛々しい
記述がありました。 つらかったんだろうな、と感じます。
しかしながら、大江さんが100%音楽への気持ちを捨てていないということが
感じられて、その部分についてはファンとして喜びでもありました。


■どうして大江慎也が好きなのだろう? / ノリコさん (2000.10.17)

こんなにもたくさんの人が大江を愛しているのですね。
私もその一人ですが、彼の何に惹かれるのかよくわかりません。

私が大江を知ったのは、すでにソロ活動しているときでした。
なにげに見ていたMTVで「LOVE LOVE LOVE」が流れ、それが
たぶん初めて聴く大江慎也の曲だったと思います。
マイクスタンドの前に突っ立って淡々と唄う大江慎也。”何者だろう?”そんな
印象でした。

そのときは、それくらいで終わってしまったのですが、あの映像が頭のどこかに
ずっとずっと残ってたんですね、きっと。

それから何年かしてあの時の、あの「LOVE LOVE LOVE」を
もういちど聴いてみたい、という衝動にかられ中古屋を探してました。
唐突な出来事だった。自分でもどうして大江を思い出したのか不思議です。

運よく「A TRUE STORY」を見つけ、エンディングで付け加え見たいな
かたちだったけど、再び聴くことが出来てうれしかった。

大江慎也が病気なこと、唄がヘロヘロなこと、ひどい姿なこと(ごめんなさい)、
そのビデオで知りました。・・・拒絶・・・。
でもなんだろう?大江慎也が好きです。

それからずっと、大江を聴いていました。大江の存在を密かに喜びました。
大江が居てくれれば大丈夫。そんな風に思ってた。わからないけど。



■大江のいたルースターズ / 牧さん (2000.10.28)

ルースターズ…好きでした。
結局デビューから解散まで、
ずっと見続ける事になったバンドです。
10代の多感な時期にめぐり会ったバンドだったから
というのも理由の一つだったように思います。

でも大江在籍のルースターズで好きなのはInsaneまで。
Good DreamsやDISはあまり好きではありませんでしたね
(Phyは好きだけど、あれは大江のルースターズじゃない)。
池畑と井上が抜けた時はショックで
しばらくライブからは遠ざかってしまったほど。
その後持ち直して、花田のルースターズにつきあったという感じです。
ここでは全く無視されていますが、
私は下山と花田のギターが結構好きでした。
リズム隊が良ければ、もっと評価されたんじゃないかと思うのですが…。

初期のルースターズは、本当に目の覚めるような圧倒的なパフォーマンスで
当時ロッカーズとかとよく一緒にライブをやったりしていましたが、
もう格が違うという感じでした。
でもルースターズは、何か玉虫のようなバンドで、
見るたびに、アルバムを出すたびに変化していったように思います。
だから私の印象では、大江が輝いて見えたのはほんの一瞬。

若い時は、誰でも一度は必ず天才になるチャンスがある
という話を聞いたことがありますが、まさにそんな感じでした。
だってその後のソロとか、もう全然ひどかったから(あくまでも私見ですが)。

すごく短い鮮烈な花火のような…だからこそみんな
ここまで魅かれてしまうのかもしれませんね。


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[山口のコメント(2000.11.01)]
1stからφまで、各アルバムとも違った個性の大江を見ることができますね。
ソロになってからの大江のライブは辛そうでした。 あんな状態でライブを
続ける意味があるのかどうか疑問にも思いましたし、個人的には大江の体調
のほうが気になってしまい、ライブを楽しむなどという余裕はなく、ただ
ひたすら大江を見続けるという行為に徹してたのを憶えています。



■ルースターズ・・・ / 百合さん (2000.10.24)

ルースターズそして大江さんのことを今でもこんなに熱く支持してらっしゃる
方がたくさんいるのには驚きです。とても嬉しかったです。
私は大江さんが脱退したあとのルースターズはいっさい聴いていないので・・
ある意味狂信的なファンだったような気がします。(大江さんの)
ルースターズのファンをやめてから洋楽ばかり聴いていたので大江さんがソロで
でていたのも全く知りませんでした。数年前から邦楽に戻ってきて(笑)再販の
CDを聴いてやっぱりルースターズを超えるバンドはないなと実感してしまいます。

私がルースターズを知ったのは1stが出た頃です。
当時まだ小学生でしたが高校生だった姉が友人のお兄さん(井上さん)がやって
いるバンドがデビューしたとかいって聴いていたのです。 その後姉より夢中に
なってしまって81年以降の地元北九州のライブにはほとんど行ってると思います。
その中でも特に印象に残ってるのが82年頃のヤマハホールでしょうか地元だった
のですごい人気でみんなが前に押し寄せて特設のステージの床が抜けてステージが
崩壊してしまいました・・・・ 最前にいたので怖かったですが幸いケガ人もなく
その後なんとかステージを復旧してみんなおとなしく座ってライブが再開されました。
とはいってもイスのないスタンディングライブだったので床に座ってました。
後にも先にもあんなライブはありません。

大江さんの想い出というとよく出待ちとかしてサインもらったりしてました。
あのオドオド口調でぼそぼそと「宿題はちゃんとするように」とか意味不明な
ことを言って笑わせてくれたり・・・・中学生になってからの私は学校もサボリ
がちて地元バンドのライブばかり行っててライブのない日も小倉のBOXに
いりびたってまして。いりびたり組にはUP BEATを結成したばかりの
広石君なんかもいました。私もバンド始めたばかりで・・・・
ルースターズのメンバーが帰郷してる時井上さんと花田さんはよく顔をだして
ましたが大江さんに会えたのは1回だけです。
大江さんって独特のオーラがあって気軽には話しかけれない感じでしたが、
なんと私のところに来て「バレーボールしよう」って・・・・何故かホ゛ールが
あって客のいないライブハウスの中で1分くらいですけど2人でバレーをしました。
結局「ここじゃできんね」といってすぐやめました。
今でもあれは何だったんだろうって感じです。



■20年前のロック小僧です / Tさん (2000.05.10)

私はジャンゴラインハルトからソニックユースまで
幅広い割にピンポイントで聞くタイプですが
コト邦楽のロケンロールでは大江ルースターズと
BJCのセカンドを好んで聞いています。
今日のニュースでBJCが解散するそうですが
この辺が妥当かな?とも思います。(関係ないかな?)

4年前に、たまたま花田氏と話す機会がありましたので
思い切って大江氏との決別について、お聞きしましたが
はぐらかされました。
今となっては、どうでも良い事なのかも知れませんね。



■ロックンローラーでしかない / Inoueさん (2000.03.04)

色んな方の、大江に対しての想い・・・
俺もまた、人とは違う想いを持ってます。

Roostersは東京に来た当時からお気に入りのバンドで、年中ライブに行ってました。
あの狭いロフトで、フロント3人がジャンプしまくっている姿が、格好良かった・・・
野音で当時よくやってたイベントでは、大概トップで出てきて、あっという間に
腰を浮かせてしまう、Roostersは、そんなバンドでした。
俺が聴いていたのはせいぜい「C.M.C」あたりまで、圧倒的な疾走感が大好きだったから。

俺も当時バンドをやっていて、少なからずも影響を受けていた。
そして、今のカミサンも某バンドで歌っていて、更にRoostersの手伝いみたいな事も
してた、大江が好きだったのね、彼女。
俺と付き合うようになってからも、たまに大江の相談に乗ったりしてたみたいで、
ジェラシーを覚えたモンだった。若かったからな〜

そのうち俺達も、自分のバンドの事で忙しくなって、結婚したりもあって、段々大江、
Roostersとも縁遠くなっていった。
風の便りで聞く大江の話は、いつも「病気なんだってよ」って話ばかりでさ、、、

俺にとって、Roostersは大江だったし、そいつはいっつも俺を悩ませるイカした
ロックンローラーだった、俺もバンドを辞めてからかれこれ10年経つけど、
たまに会う古い知り合いに「アレ〜?生きてたの?」とか、「イギリス行ったって
聞いてたけど〜」とか、ようわからん噂が流れてる。
でも、俺はいまだに音楽創ってるし、これから先も音楽家として生きていくんだ、
誰も知らないだろうけど。

大江をシドバレットにするのも面白いけど・・・きっと音楽やってるよ、 本当の音楽家、ロックンローラーだと思うもん。
農業してても、家作ってても、点滴打ってても、本読んでても
ロックンロールっていうのは、そういうもんだから。



■エピソード / HIROさん (2000.01.18)

ぼくが中学生のころ 行ってた 小倉の"北九楽器”という店で、大江さんが
当時バイトしてて よくギターを教えてもらってました。
ある日、僕か゛図書館から借りていた ミック&キースの 伝記っぽい本を
北九楽器で読んでたら、 『それ、ちょっと貸しとってくれん?』(北九州弁です)
というので 又貸ししました。 熟読してたのか なかなか戻って来ず、催促して
返してもらった時は 本の中ほどに たこ焼きがはさまってまして、図書館に
返す時に困ったことを覚えています。
まだ バラ族が解散して、人間クラブが出来る前の頃です。
井上さんは 僕の兄と同級生で一緒に バンドをやっていたし、(アマチユアで
したが)そのバンドには かの DDマルヤマさんがボーカルをやってました。
当時の彼らのフェイバリットは やはり サンハウス、もちろんストーンズ、
それからラモーンズの影響も大きかったと思います。
他にもいろいろエピソードはありますが、当時の大江さんは 本当にやさしくて
やっぱりカッコいい人でした。



■Some memories about Shinya Ohe / 大滝さん (1999.12.19)

今年の4月に発売されたルースターズのトリビュート版がきっかけになって、
数年ぶり(?)に私の10代を語るのに必要不可欠なところの大江君の音楽が聴きたく
なって、かろうじて手元に残っていたルースターズのレコードを聴きまくっており
ました。そんな折り、偶然このHPを見つけまして。。。今更ながらインターネット
って凄いんだなぁと(笑)。

私の10代の頃の大江君への思い入れは、自分で言うのもなんですが相当なもので、
多分彼に、彼の音楽に出会わなければ、私の人生はもう少し平凡なものだった
ろうと思います。 あんなに心を持ってかれるミュージシャンに、あれ依頼遭遇し
ません。 まぁ、ちょうど様々な事物を、とてつもない勢いで自分の中に取り込ん
でしまう年頃だったのだなとも思いますが。

私が大江君のライブを見始めたのがDISの頃で、実はその2年程前からルースターズ
のレコードは聴いていましたが、諸々の事情でライブを見始めたのは、本当に
大江君がルースターズからいなくなる直前だったのですね。
新宿Loft 5 Daysとか、毎日行きましたよ、体力あったなぁ(笑)。
日帰りするつもりで筑波までルースターズのライブに行ったこともありました。
あれは、84年?85年だったのかな。
行ってみたら、最後まで大江君は会場に現れず、花田君が代わりに慣れない
ボーカルをとっていました。 あれからルースターズに大江君が戻ることは
なかったと記憶しています。
その後、ソロで復活した大江君を最後に見たのは87年のツアーだったと思います。
秋に明治大学、駒沢大学と学園際で続けざまに。このHPのどこかにも記述があった
と思いますが、あの年の大江君はとても酷い状態で、見ているこちらが罪悪感に
襲われる程でした。
それがRookie tonightとHuman beingの頃で、その後大江君は休養に入って、再び
復活した後は私は大江君を避けてしまいました。再復帰した大江君に、音楽的部分
では残念ながらちょっとがっかりしてしまったのだと思います。。。がっかり
して、裏切られたような気分で、悲しいけれど避けてしまったのでした。そして、
そのまま現在に至っています。
ここ数ヶ月久々に聞いているのは、私の中でルースターズの旬だったと思って
いる、InsaneからDISへ至る頃のものです。



■ジャパンでの大江さんのこと / yukiさん (1999.09.23)

ロッキン・オン・ジャパンの大江慎也のインタビューを読みました。
もう何遍読んだか分からないぐらい、繰り返し読んでいます。
ルースターズがデビューした時、私は小学生でした。
だから、リアル・タイムでルースターズを聴いたことがありません。
でも、「ロージー」を初めて聴いた時の衝撃は今でもはっきり覚えています。
80年代初頭に、日本にもこんな素晴らしいバンドが存在していた、という
驚きもあったのですが、なによりも大江慎也のボーカル、曲、詩、全てが
衝撃的でした。(だから、私にとってのルースターズは、大江慎也がいた
時までになってしまうのですが・・)
それから、ルースターズを狂ったように聴き続け、大江慎也の存在は
私の中で特別なものになりました。
もし、隠遁生活に入る前の大江慎也を目の当たりにしていたなら、
「彼は、もう過去の人だ」と諦めることができたのかも知れません。
でも、その頃さえ知らない私はずっと、いつか戻ってきてくれると
信じてきました。 だから、今、曲を作れずにいる現実、そしてずっと
引きずり続けてきた精神的な痛手を知って、とてもショックを受けています。
彼は、ずっとこんな風に苦しんできたのでしょうか・・。
それではあまりにつらすぎます・・・
ただその現実を知った今でも、私はやっぱりルースターズにこだわり続けるし、
かすかな希望をもって大江慎也の復活を願っています。
アルバムも出ましたが、ルースターズをリスペクトするバンドはたくさん
あります(特にガレージ・シーン。ミッシェルのDo The Boogieはカッコ
良かった)でも大江慎也ほど「カリスマ」と呼ばれるのにふさわしく、
才能のある人間は現われないでしょう。
時代錯誤といわれても仕方ないかもしれませんが、私はそう信じています。

よく知りもしないのに偉そうに、と思われるかも知れませんが
リアル・タイムで彼らを知ることのなかった人間にも、これだけ多大な
影響を与えているんだ、ということを知ってほしくて書きました。



■ロッキン・オン・ジャパンの大江慎也インタビュー / 山口 (1999.09.29)

私は大江慎也が在籍していた頃のルースターズが大好きです。
特に疾走感のある初期のルースターズに強く惹かれます。
当時のルースターズを生で見たことはありませんが、音源を
聴くと強烈な印象を受けます。

私は大江信奉者です。 私は大江との関わりを断ち難く、
何らかの形で繋がっていたいと思い、このWeb pageを始めました。
Web pageをやっていると大江の情報が寄せられることがあります。
しかし、その多くはガセネタとも言える情報で到底信じ難く、
信頼すべき大江情報を欲していました。

そんな折に大江慎也のインタビューが雑誌に登場しました。
本当に久しぶりの登場です。
内容は非常に重いものでした。 と、同時に安心しました。
何故なら、昔は口を開くのも一苦労だったのに、今回のイン
タビューでは聞かれた事にはしっかり応えていたからです。
時には饒舌なほどの話し振りには正直驚きました。

I'M A KING BEEの発売などで現在でも大江さんとルースターズ
との繋がりがあるという事を知ることができました。
大江さんが我々と同時代にしっかりと生活しているという事実に
満足しています。 だから、もう復帰がどうのとか、そういう
事はどうでもよくなりました。


■大江さん、お元気ですか / 野崎さん (1999.5.12)

ルースターズについてこれだけのホームページを作成されたことに敬意を
表します。 何気なくインターネットで「roosters」を検索したら、
このページに出会いました。
ディスコグラフィーを見て、もう解散してから10年以上もたっていることに
改めて感慨深く感じます。

 高校時代からルースターズを聴いていましたが、LPは全て実家に置いて
きたため、今、手元には何もありません。 ただ、高校から大学にかけて、
強い印象を受けたバンドはルースターズです。 特に、大江が壊れ始めた
「INSANE」あたりから「CMC」「DIS]「GOOD DREAMS」
にかけての不安定さは、当時の自分の心情にあっていたのでしょうか、LPや
CDを聴かなくても、一曲一曲頭の中に浮かんできます。

コンサートは、84年の赤坂のラフォーレのライブに初めて行きました。
ただ、あのときは、大江の眼を見ていると、「この人はもう違う世界へいって
しまったな」という気がして、複雑な気持ちで帰ったのを覚えています。
それ以降はあまりルースターズを聴かなくなりました。

その後は花田・下山のROOSTERZを観に、一度だけ芝浦のインクスティックには
行きましたが、ずいぶん変わったなあという気がしました。

あのとき、どうして大江が不安定になっていったのか理由は知らないのですが、
そのぎりぎりのところで編み出した詩、音楽は秀逸ですし、今後、同じような
音楽を作り出せるバンドは出てこないでしょう。
やはりルースターズは「孤高のロックバンド」です。

 大江さん、お元気ですか。 たまには世の中に顔をだして下さいね。

野崎さん(1999.5.12)

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[山口のコメント(1999.5.12)]
元気である事を私も望んでいます。
そして、音楽シーンに戻ってくるとか、一時的な復活だとか、もうそんな
事はどうでも良いです。
何か創作的なことに携わっていると嬉しいなとは思いますが、元気でいて
くれれば何よりです。


■大江慎也とルースターズに関する私の記憶 / akikoさん (1999.02.02)

私が始めてルースターズと大江慎也の名前を知ったのは、83年ごろに雑誌か
何かに載っていた作家の松浦理恵さんのインタビューを読んでいる時でした。
(私は別に松浦さんのファンだったわけではなく、偶然読んだ記事でした。)
松浦さんがその当時気に入っているものの中にルースターズがあり、大江慎也
さんと結婚したい、みたいなことを言っていたと思います。
その記事の片隅に載っていたa-go goのジャケットの写真から何故か目が離せ
なくなったことを憶えていますが、その時はそれっきりルースターズのことも
大江のことも忘れてしまいました。

同じ頃、ラジオのオーディオ製品のCMでルースターズのvenusが使われていて、
「誰の曲なんだろう」といつも思いつつも、そのうち忘れてしまいました。

大江がルースターズを脱退した時も、そのころは別にファンだったわけでは
ありませんが、雑誌の記事を、何故か読んでいます。
大江が(多分アマチュア時代)楽屋かどこかに高倉健(だったと思う)の写真
かポスターを飾っていたこととか、大江が花田をルースターズに入れたのは
顔が良かったから、とか、そんなことが載っていたように思います。
肝心の大江の脱退の理由に関しては、体を壊したから、というふうなあいまい
な記憶しかありません。

その後、KAMINARI発表の前後に、友人から「これ聴いてみて」と渡されたのが、
φphyでした。
その1曲目を聴いたとき、「あ、あの曲だ」とそれまで忘れていたことが1度に
よみがえってきました。 それからは大江時代のルースターズにハマリまくって
しまったことは言うまでもありません。
その友人とは「大江慎也は凄い詩人だ」と意見が一致しました。
それと平行して花田ルースターズもやっぱり好きだったので、よく聴いていま
した。 そのころ雑誌のインタビューで下山が花田の悪口(?)を言っていて、
思わず下山が好きになりました。(でも花田も好きでしたよ。)

ルースターズは最後のアルバムfour piecesをレコーディングする時からすでに
解散が決まっていたと、花田が言っていました。 そのfour piecesのアルバム
評で「花田も下山も歌が上手くなった」と雑誌に載っていて思わず笑ってしまい
ました。

ルースターズが解散した時は、すでにルースターズ=大江慎也という式が出来
上がっていたので、やっぱり、という感じであまりショックではありませんで
した。 当時、ちょうど受験生だったので、解散ライブに行けなかったことが
とても残念でした。解散ライブで、最後までルースターズに残り、ライブでも
何曲も歌った花田に対してよりも、CMC1曲だけを歌った大江に対する拍手の
ほうが大きかった、という記事を読んで「花田さんかわいそう。でも仕方ない
よな。」と思いました。

私が大江のソロを聴くようになったのは、ルースターズが解散してからでした。
peculiar発表後、ポートレイト時代のものも、いくつもレコード店を探しまわ
ってみつけました。 そのころから音楽雑誌をまったく読まなくなったので、
大江に関する情報も(もともと少なかったのですが、)全く入ってこなくなり
ました。 それでも、レコード店に行くたびに大江慎也のコーナーをチェック
していましたが、will powerを見つけてからは音沙汰がなく、いつのまにか
チェックすることもしなくなっていました。

akiko (1999.02.02)

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[山口のコメント (1999.04.12)]
私もa-go goのジャケットの写真から目が離せなくなった者の一人です。
レコードジャケット一面に大写しになった大江の顔や「眼」は衝撃的でした。
大江は花田のように男前でもないし、はっきり言って変な顔かも知れません。
けれども一度見たら惹きつけて離さない不思議な魅力を持ってます。
will power以降、音楽活動をしているのかどうか定かではありません。
望むべくは何らかの創作活動を続けている事ですが、私は大江の詩を読んで
みたいです。 現在進行形の大江に触れてみたいです。


■私も覚えがあります / 滝本さん (1999.02.02)

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1999/02/01の投稿文「これ本人?」についての情報が寄せられました。
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池ぞうさんのQ2のそれ知っています。
私も一度かけて聞いてみたことがあります。
もちろん聞いただけで発言はしませんでしたが。

確かに「Case Of Insanity」を唄った人がいました。
多分大江じゃなかった気が....物まねのような気が...
私の勝手な考えですけれど。
でも大江だったら面白いですよね。録音しておけばよかった。

その曲の何人か後の人が「ふざけんな馬鹿野郎」と言う感じで
その人に怒っていませんでした?
その怒りを聞いて「そりゃあ,怒るのも当然だ」と私は
他人事のように(他人ですけれど)納得していました。

このミステリアスなところがなんか大江っぽい?

滝本 (1999.02.02)


■「これ本人?」 / 池ぞうさん (1999.02.01)

私はルースターズが解散してから聞くようになったので
(ていうか、ソロ活動もやめちゃってから)なんか情報が
ないかなーと、ルースターズを聴き始めた頃思っていました。
その頃はちょうどバンドブームで(今から6.7年前)
宝島とかに「Q2でミュージシャンの情報やファンのメッセージが
聞ける」というものがありました。たまたまその広告を
見ていると、ルースターズの番号があります。
「へえ、今頃になってもこういうのがあるぐらい人気があるんだ」
と思いつつその番号にかけてみると…。

最初は、ファンの方のメッセージが3.4件入ってました。
さらに聞き続けると、突然「こんにちは、大江です」の声。
ラジカセのスイッチが入る音がして「ケース・オブ
インサニティ!」と言った後は、電話口でラジカセに合わせて
歌っていて、そのままメッセージは途切れました。
どう思いますか? でも思いっきり大江本人の声だったんですよ。
誰か他に、このメッセージ聞いた人っているんでしょうかね。
メッセージは、ある一定の時間が経ったり、メッセージ件数が
増えると、古い物から順に消去されるようで、2〜3週間後には
聞けなくなってしまいました。
私が大江の声を聴き間違えるわけはない! とは思うんですが。

ちなみに、『All about Shinya Ohe』が出た直後ぐらい
の時期だったと思います。それでイタズラ心が動いたんですかねえ…。

池ぞう (1999.02.01)


■VENUS IN FURSへの想い / 彩子さん (1999.01.28)

私が、大江に出会ったのは、14才の時でした。深夜に放送
していた、「爆裂都市」を見たのがきっかけだったように
思います。今から、11年ほど前のことでしょうか?
最も、14才の子供が、内容を理解できるわけでもなかった
のですが、「バトル・ロッカーズ」の演奏シーンと、
「セル・ナンバー・8」だけは、強く印象に、残っていました。
ルースターズの解散ライブも、雑誌の囲み記事で読んだのを
覚えています。
既に、高校生になっていましたが、「大人のバンド」という
印象だけで、忘れてしまっていたのですけども。
ただ、不思議と「大江慎也」という、名前だけは、常に記憶の
片隅にありました。
彼が、どんな人間で、何をしているのかすら、ロクに知らなかった
にも、関わらずです。

「再会」は、3年程前にやってきました。その、きっかけが
何であったかは、もう覚えていません。
気がついたら、ルースターズ在籍時のアルバム、大江の
ソロアルバムを、中古屋で探し回っていたのです。
14才の頃の出会いは、運命づけられていたのでしょうか?
いつの間にか、大江の奇妙な声は私の1部になっているのです。
まあ、始終聴いているわけではないですが、2ヶ月に、一度は
聴かなければ耐えられない(笑)状態になります。
タチの悪いドラッグ中毒のようですね。(笑)
どうして、こんなに大江に惹かれるのでしょうね?
彼は、もう現役ではないし、たぶんシーンに戻ってくる
こと(願ってはいますが)はないでしょう。

それでも、なお求めているのです。彼の歌が聞きたいのです。
かなわぬ願いでしょうか?
大江は、確かに歌の上手いシンガーではありません。
だけど、聞いている者の魂を、鷲づかみにすることが出来る
シンガーは、本当に数少ないと思います。
私は、大江の歌で魂を鷲づかみにされたいのです。
歌で魂が抜けてしまうような経験をしたいのです。

大江の歌の中で、最も愛するのは
VERVET UNDERGROUNDのカバー曲
「VENUS IN FURS」です。
大江バージョンを聞いて、原曲を知りましたが
私には、この歌は「大江慎也」のものです。
凄まじい孤独と虚無の中を、泳いでいる
ような、歌声をきく度に、大江の世界からは
逃げられないと思ってしまいます。
そして、その世界の住人であることに
不思議と安心を感じます。
やはり、私も、どこか病んでるのかなーと
時々、考えますが(笑)。

ファンになった時期が、遅かったせいで数々の映像が、廃盤に
なっています。
私が、ちゃんと見ているのは、久保講堂のライブ映像と、前述した
「爆裂都市」(これは、大江と池畑さんだけですが)のみです。
「パラノイアック・ライブ」だけでも、せめて見られないかと
中古レコード店や、中古展示会なども見て回って2年近くたちますが、
いまだに出会うことが出来ません。
すごく、見たいのですが・・・・・。

このページで、初めて大江の生年月日を知りました。
大江は、もう40才になっていたのですね。
14才の時、初めて会った映像の中で、彼は皮の上下を着てベースを、
弾いていました。
九州の言葉で話し、目の大きな少年の印象でした。
人は、変わっていきます。
だけど、私の中で「VENUS IN FURS」が、流れている限り、
「大江慎也」は決して年をとることはありません。
朴訥で誠実な、パンク・ロッカーのままなのです。

彩子 (1999.01.28)

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[山口のコメント(1999.01.29)]
大江慎也への熱き想い、ありがとうございます。
「爆裂都市」は、室井滋に抱きつかれて迷惑している大江が印象的です。
大江の演技はセリフ棒読みなのですが存在感はありますね。
私はストーリーそっちのけで大江ばかりを探して観てました。
映画の内容は、あれもこれも詰め込み過ぎのような気がしますが、
それと大江とは何の関係も無く、二回目以降は大江が出るシーン以外を
早送りして見てました。

何故大江に惹かれるかと言えばやはり「本気」で唄ってからだと思います。
決して上手いボーカルではありませんが、心を惹きつけるのに上手い下手
は関係ないですよね。

現実的には40を過ぎていて音楽シーンからも隠遁している大江ですが、
彩子さんが言われるとおり、ファンの心の中では当時のままの大江が存在
しているのだと思います。 この気持は今後も揺らぐ事は無いと思います。


■「アマチュア時代の大江慎也」へのRESです / C.G.さん (1999.1.5)

はじめまして。
「アマチュア時代の大江慎也」(1997.12.20)nobさん へのRESです。

僕もほぼ同じ時期に北九州で高校生やってました。
1年以上も前の投稿文に対して揚げ足取りのようで恐縮ですが、
以下の記述について思い出したことがあります。

>そういえば、こんなエピソードがあります。
>ボーカルの南が花田裕之に会いに花田の高校に来たら、学校中大騒ぎになっ
>たということです。
>そのときの南の格好は、金髪に学生服、そして赤のスリムのジーンズ。
>こんな高校生、当時ほとんどいませんでした。
>妹の友達が、人間クラブが大好きでよくライブに行っていました。
>ほんと、地元のバンドという感じでした。
>懐かしいですね。

南くん、花田くんは同級で、北九州市内の別々の県立高校出身ですが、
いくら当時の北九州の高校生が悪かったと言っても、
県立高校が金髪を許すほどではなかったと思います。
(ちなみに当時の北九州の不良高校生の風俗は、
 そのまんま漫画のビーバップハイスクールになっています。
 作者が、やはり同世代の北九州出身だから)
僕の記憶では、南くんが金髪にしたのは、人間クラブを始めた頃だから
高校は卒業していたはず。
で、なんで、nobさんが上記のような勘違い(記憶違い)をされたのだろうと
考え、ふと思いついたことがあるのです。
それは、花田くんは高校を1年留年している、つまりダブりなのです。
だから、上記のエピソードは、高校を卒業した南くんが、
まだ高校生だった花田くんに会いに言った時ではないかと思われます。

ちなみに、南くんと灘友くんは同じ高校で、
「自慰獣」(ジージュ)というバンドをやってました。
まだパンクというより、ニューヨークドールズあたりのカバーをやってた ように思う。
井上くんはまたまた別の県立高校のいっこ下ですが、
彼も「自慰獣」に参加していたような・・・・(この記憶はかなり曖昧)。
さらに、「自慰獣」解散後、「人間クラブ」に到るまでのかなり短期間ですが、
「南浩二&CLUMP」というバンドがありました。
このバンドは、かなりロンドンPUNKを意識したサウンドで、
この時はじめて花田くんが参加したんだと思います。
ちなみにドラムは、やはり南くんの同級でまたまた別の県立高校生の東川くん。
(ややこしくてスイマセン。別に高校の実名だしてもいいだけど・・・(笑))
彼はのちの「UP-BEAT」デビュー当時のギタリスト東川のお兄さんです。

また、「人間クラブ」初期のベーシストは、井上くんではなく、
これまた南くん、灘友くん同級生の・・・・・名前はど忘れした。
この頃、井上くんは「ラグドール」というバンドでボーカル&ギターやって
ましたね。
この時のドラムは、のちに池畑くんの後がまとして
「ゼロスペクター」→「カッティングエッジ」に参加する広瀬くんでした。

うーん、書き始めると約20年前の記憶が一気に蘇ってきました。

最後におまけですが、「人間クラブ」のバンド名は太宰治の「人間失格」から
きているということは、大江くん本人から聞いたことがあります。
(これって、みんな知ってる話なのかな?)

C.G. (1999.1.5)

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[山口のコメント] 当時を知る人しか書けないエピソードですね。
「人間クラブ」のバンド名の由来については初耳です。
花田の留年についても初めて知りました。

(追記) nobさんから「C.Gさんの指摘の方が、どうも正しいようだ」との
連絡がありました。 20年近くも昔の話ですから、記憶が不確かになる
のは仕方の無い事だと思います。


■いつになっても最新型 / SHOさん (1998.12.29)

大江慎也の歌 たとえば ロージー は今になっても
またいつになっても最新型です

だから いつだっていいんだ また歌いたくなったら歌えば。
あせることはない。

最高の歌は十年にひとつあればいい

SHO (1998.12.29)

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[山口のコメント(1998.12.29)]
ロージー・・・・・ 確かに色褪せないですね。
20年近く経とうとしているのに、いまだに大江の声が新鮮に聴こえます。
大江とその楽曲は、大量に消費される昨今のロックとは別次元の存在だと
思っています。 古いとか新しいという時間的な観念は関係ないですよね。


■大江さん、そして菊について思うこと / 秋津さん (1998.05.08)

私は2年程前に人に誘われてたまたま行ったライブで
初めて元サンハウスの菊のライブを観て以来、
とても菊が好きになり、サンハウスが大好きになりました。
そのサンハウスが20数年振りに再結成するということで、
先日3月1日に博多の福岡サンパレスというホールでライブがあり、
東京から観に行きました。

そのライブは博多のバンドにはとても縁のある
九州朝日放送のとあるディレクターの方が定年退職するということで、
その方に感謝の意を表そうというのがコンサートの趣旨でした。
そのため、その方にゆかりのあるたくさんのバンドが出演しました。
ARBや花田裕之さんが下山さんや池畑さんと現在組んでいるバンド、
元アンジーの面々、シーナ&ロケッツ、菊の今のバンドRuby、
そしてサンハウスです。

そのライブで花田さんが「ロージー」を歌うのを初めて聴いて、
とてもいい曲だなあと思い、
初めてルースターズのアルバム「The Roosters」を聴きました。
そして初めて大江さんの歌声を聞いたのです。
このホームページもそんな縁でみつけました。

「The Roosters」を聴いて感じたことは、
ルースターズってとてもサンハウスの影響を受けているんだなあって
ことでした。
それに大江さんってきっと菊がすごく好きなんだなってこと。
「ロージー」はすごくいい曲です。
ここ一週間ほど私の部屋でパワープレイされています。
「ロージー」を何度も聴いているうちに、
これは大江さん自身のことを歌っているんじゃないかと感じました。

事情はよく分かりませんが、
大江さんは今精神的な問題もあって歌を辞めているそうですね。
私はなんだか大江さんが、
福岡サンパレスでのサンハウスのライブを観ていたらいいのになあ、
と思ってしまいました。
菊が歌う姿を観てほしいなあ、と。
サンハウスの福岡サンパレスでのライブは私の感想としてはあまり良く
ありませんでした。
正直言って菊があまり良くなかった。
菊を愛する私としては複雑な心境でした。

福岡サンパレスでのライブが終わって、
鮎川さんのHPのゲストブックなどで福岡サンパレスに行った人達の 感想を読むと、みんな良かったと書いている。
良くなかったと感じたのは私だけだったのか?
本当にあのライブは良くなかったのか?
なんだかその後1ヶ月以上も悶々と、
自分の中で消化できないまま過ごしてしまいました。
そして今は私の個人的な感じ方としては、あのライブは良くなかったと
思っています。
だけど私たちファンは、ただただサンハウスを観たい、観たい、と言う。
けれどサンハウスのメンバーそれぞれの現在の状況があり、
いろいろな現時点での想いもあるだろうと思う。
そして現在の周りとの関係性もあるでしょう。
そんないろいろな事が混ざり合った結果として、
あのサンハウスのライブでの菊があったんだと思う。

私はただなんか夢をしゃぶるみたいに、素晴らしいライブを観たいと
望むのだけれど、相手は(菊は)生きているんだから、いろんな答えが
返ってくるんですよね。
なんか「Rockは生き様だ」とか人はよく言うでしょう?
以前は「何だそれ?」とか思っていましたが、
最近は本当にそうなんだなあ、と感じています。
それは“どうしようもなくその人自身であること”なのだと思います。
だからRockを続けていくことが、歌を歌い続けていくことが
菊にとっての切実さなんだろうと菊を観ていると感じるのです。
それは別に格好良いことだけじゃなくて、
情けなかったり、悲しかったり、みっともなかったりもするんだけど、
それでも菊自身であるその切実さを表現し続けているということが、
私にとってはとても凄いことだと思えるし、かっこいいとも思うのです。
だから大江さんにもそれを見せてあげたい。
菊は、あの菊は今も歌ってるよ。ああやって、と。

昨日も現在菊がやっているもう一つのバンド、Blues Lionのライブを
観ていてそう感じました。

随分長くなってしまいました。
それでも私の思うところがうまく伝わっているかちょっと不安です。
すごーく勝手な本当に私個人の思いこみだけでいろいろと書いてしまいました。
ただこんなことを感じている者がいることをお伝えしたかったので。
最後まで読んでいただけたらどうもありがとう。
それでは。

秋津 (1998.05.08)

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[山口のコメント(1998.05.09)]
博多の福岡サンパレスに実際に行かれての感想ありがとうございます。
元々サンハウスがあって、その後にルースターズやロッカーズが出てきました から、ルースターズにとって一番関係の深いバンドではないでしょうか。

「ロージー」は大江氏自身のことを歌っているのでは? との見解は興味深いです。
大江に置き換えてみると、その後の大江を暗示しているようにも思えますね。

本当の意味で「Rockは生き様だ」を体現できる人は少ないと思います。
それは、知名度とかレコードセールスとか上辺だけの事実とは無縁のもので、
もっともっと次元の高い世界のものだと思います。


■いかしたバンド! ルースターズ! / Kenji Oouchiさん (1998.01.26)

はじめまして! 私は今年で30代も半分にさしかかる男です。

『大江慎也』というキーワードで検索したら,このWebを見つけ,
おお〜,こんなWebもあるのか!と驚いています。
そして,みんなの熱い想いが伝わってくるWebだと想い,私も
是非投稿したくなりました。
私はそんなに熱狂的ではありませんでしたが,ルースターズのアルバム
は良く聞いていました。(初期の頃が好きです)

LIVEは2回見たことがあり,1回目は私の地元で10数年前にやっていた,
知る人ぞ知る,『ロックンロールオリンピック』というイベントです。
彼らのセカンドアルバムが出た頃だと思いますが,大江がめちゃくちゃ
格好良く,黒のストラトみたいなギターをかき鳴らしながら,ストレートな
ロックをシャウトする姿に衝撃を覚えたのを記憶してます。

そして2回目は,たしか大江が病気から復帰して初のLIVEだったと
思うのですが,法政大学でのLIVEでした。
このときはメンバーも増え,サウンドもガラリと変わっており(当時流行っていた
U2というバンドのサウンドに似てた)そして大江の唄う姿がとても病的でした。
表情も何か怯えた感じで,『LET'S ROCK』では途中歌えなくなってしまい,
みんなで大合唱して励ましたのを覚えています。
当時は何の病気で入院していたのか知らなかった(今も分からないのですが)ので
精神的な病気なのかな〜,などと思っていました。

そして私もしばらく音楽から離れていたので知らなかったのですが,
大江氏は引退して帰郷してしまっているのですね。(Webで知りました)
なんか結構ショックですね。
また熱い音楽を聴かせて欲しいです。

なんか昔を思い出して長々と書いてしまい申し訳ありません。
これからもこのWebをちょくちょく見に来ます。頑張って下さい!

PS:
映画『爆裂都市』のバトルロッカーズ(vo:陣内 g:大江 dr:池畑 他:
不明)
はメチャクチャ格好いいです!
俺のカセットテープ,どこいってしまったんだろう...

Kenji Oouchi (1998.01.26)

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[山口のコメント(1998.01.26)]
隠遁して早10年近くが経とうとしているのに、いまだに気になる存在なのは、
大江が現役でない分、美化というか神格化している部分があるからだと思います。
けれども、そうするに値する表現者だと思っています。


■アマチュア時代の大江慎也 / nobさん (1997.12.20)

はじめまして。nobと言います。
大江慎也はアマチュア時代からのファンでした。
当時、私は北九州市八幡で高校時代をすごしたので、彼らとほとんど同じ年齢で
すからリアルタイムで彼らを知っていました。

大江は、バラ族時代からバンドをやってる学生の間では有名でした。
というより、バラ族というバンド自体が有名でした。
そして、人間クラブになると当時の北九州の音楽好きの高校生の間では
知らない学生はいないくらいになっていたと思います。
金髪のボーカリスト、南浩二の横でギターをかき鳴らす大江さんはほんとに格好
良かったです。

当時「L−MOTION」のテレビがあっていて、それに何度か出演していました。
「ガキども、こんにちは」と南浩二がひとこと言って演奏したこともありました。
人間クラブは、不良の匂いのプンプンするバンドでした。
そんなバンドに、県下有数の進学校である福岡県立東筑高校出身の大江さんがいる
ことが格好良かったし、ボーカルの南浩二がほんとにめちゃくちゃ格好良かった。

妹の友達が、人間クラブが大好きでよくライブに行っていました。
ほんと、地元のバンドという感じでした。
懐かしいですね。

nob (1997.12.20)


■はじめまして / ぐっちさん (1997.12.17)

このような大江慎也の話題を扱うHPがあるとは驚きました。
同時に非常に嬉しくもありました。

私はもうロックとは縁遠くなってしまい、新譜などはまったく買っていませんが
大江やルースターズは今でも聴きます。
大江のソロを熱心に聴いていたのは、もう十年も前になるでしょうか。彼の歌は
私を恐ろしく不安にし、どこか異世界に漂っているような気分にさせました。
私は大江の病的な部分にひかれました。本来、彼がもっとも解放されるはずの歌
うという行為なのに、全身から不安感と違和感を発してしまう大江。それでも歌
うことしかない大江。 痛々しい姿ではありますが..

私は彼のライブは3回見ています。川崎のライブハウスでのスターリンとのジョ
イント。どこかの大学祭で2回。いずれも何かに追いかけられいるような大江の
姿が印象的でした。
やはり川崎のライブハウスでのチケットを手に入れ、喜び勇んででかけたら、都
合により中止。それ以来大江の姿は見ていません。 どうしているのでしょうか。

私はALIVEのビデオが一番好きです。あの大江の歌声、姿はどこか神々しく
さえあるように感じます。

ぐっち (1997.12.17)

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[山口のコメント(1997.12.17)]
私も大江が好きで(大抵酔っ払った時ですが)彼の映像をビデオで見たりします。
「FAREWELL」というライブビデオもあるんですが、毎回結論に達する
のは、何故あんなに痛々しい姿で唄わなくてはならないのだろうかという疑問です。


■大江さんの時代が好きです / 戸越由希子さん (1997.12.15)

インターネット始めてから約1ヶ月。
ダメモトで ”大江慎也”を検索したらナントこのページがあって驚きでした。
嬉しかったので 初めてメールを送りました。

ルースターズのライブって恐いイメージがあって、一度も行ってないけど
そのぶんレコードを聞きまくりました。

聞きまくったレコードの中でもいちばん好きなのはルースターズ1st.
ジャケット写真は恐い感じでクールスみたいだったけど 曲はメチャカッコ
よかった。

レコードはひととおり聞きましたけど φPHYあたりからダメになった。
今聞き直すのって大江クンが元気なころの1枚、2枚目あたりです
ハナダくんもルックスは良いけど、あの路線にはついていけなかったし、
ソロの大江ばかり気になってたし....

とゆうワケで、 ルースターズ(大江のって言ったほうがアタリ?)のページを
見つけて嬉しくてメールしました。 まさか あるなんて思ってなかったから

戸越由希子 (1997.12.15)


■自己投影できる唯一の存在 〜大江慎也 / 山口 (1997.11.28)

何で、こうも大江の事が気になるのか自分でも分からない。
もう遥か昔に隠遁したというのに・・・。

酔うと大抵、大江のビデオを観てしまう。 特に滝本さんから貰った初期の
ライブ映像を繰り返し観ている。 鬼気迫る大江ギター、池畑のドラム、
紙一重の状態の大江を表現する言葉が見つからない。

ハッキリ言って大江慎也は過去の人。(残念だし、認めたくないけど)
だからこそ、自分なりの大江像を作り上げる事ができて、それに酔って
しまえるのではないだろうか?
そこまで、こだわってしまうのは、やっぱり大江が好きだからであろう。

私はエレファントカシマシというバンドも好きで、別なページで取り上げて
いる。 ボーカルの宮本浩次も相当な個性を持った男だが、大江ほど良く
知ろうとは思わない。 一応、本とか買ったけども少ししか読んでいない。
思い入れがあるのはエレカシの唄であり、メロディであり、バンドサウンド
であって、宮本個人を深く知りたいとは思わない。
所謂アイドル的なものとして捉えてはいない。
どんな気持ちでアルバムを作ったのか、精神的な背景には興味があるが、
なんでも知りたいとは思わない。
曲は良いし評価するけれども、自己の思い入れを投影する存在とは違うなと
最近思うようになってきた。

それは多分に宮本が現役で、TVや新譜でメッセージを発信しているから、
それで充分であり、わざわざ知る必要がないからだと思う。

対して大江は、休養中で復帰しそうにも無い。 もっとも復帰したからと
いって、1st、2ndのような圧倒的な聴く者をねじ伏せるパフォーマンス
など期待できないでしょう。
あの頃の大江は、あの頃の大江でしか無いのだから。


■「ALIVE」のビデオについて / 潤 ルモコさん (1997.11.16)

ALIVEのビデオ、今でもたまにみてますよ。
僕はあのなかでは、SO ALONEがすきです。
あのビデオに関してはヴォーカルはいれかえてないもんと思ってたんですが..。
サタデーナイトもそのままじゃないでしょうか?
このライヴCD・はVICEのほかにも、日本クラウンからもでてますね。
クラウンの方は、

1. 1970
2. Just Walkin'That Road
3. Revolutions In Communication
4. Kareidoscope
5. Love Love Love
6. Vision Of Dusk World
7. I Know It's Veautiful
8. Birth Of Gel
9. Sad Song
10. Street Light
11. She's Got Away
12. Saturday Nihgt
13. 1970

CDの方はいまでもしょっちゅう車できいてます。
ホント、よく飽きもせず聴いてます。

P.S. Let' Rockは日本語のほうが好きです。

潤 ルモコ (1997.11.16)

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「ALIVE」の追加情報を潤 ルモコさんから頂きました。
Let' Rock の日本語版は、聴かせてもらった事がありますが詩と疾走感が
一体となって素晴らしいと思いました。 私も日本語版のほうが好きです。
山口 (1997.11.16)


■大江のビデオ「ALIVE」 / T.YAMAMOTOさん (1997.11.15)

T.YAMAMOTOです。(といっても「RUMI YAMAMOTO」
さんとは全然関係ありません。 ちなみに私は男性です)
このHPをみていて、本当に懐かしく思います。 といってもそんなに年寄りでは
ない。 まだ30代です。(30代も年寄り・・かな?笑)

「彷徨する魂・大江慎也の軌跡」のなかで「ALIVE」のCD版は載っていま
したが、ビデオ版があるんですよ。

曲目
1. JUST WALKIN’ THAT ROAD
2. KALEIDOSCOPE
3. LOVE LOVE LOVE
4. VISIONS OF DUSK WORLD
5. SHE MADE ME CRY
6. BIRTH OF GEL
7. DROOPING AFFECTION
8. SHE’S GOT AWAY( NO NO NO ) 
9. LET’S ROCK
10.SATURDAY NIGHT
11.SO ALONE
12.IF YOU LEAVE ME
               以上12曲 (知っていたらごめんなさい。)

CDと同じく「vice(クラウンレコード)」で、私のはβテープ(今じゃ
超マイナーな)版で「78CB−14」です。 VHSも友達の加藤氏が持って
います。
CDに入ってない未収録曲もあり、CD・テープ両方持っています。(全部の曲
聞きたかったため)

中でも「9. LET’S ROCK」「10.SATURDAY NIGHT」
は、客の盛り上がり方が異常です。

このビデオを見て、「人間クラブ」時代(だと思うが)の「SATURDAY 
NIGHT」を知った。
「パラノイアック・・」の時と同じくボーカルの「後録り」がわかります。(口
と歌とあわない)

「7. DROOPING AFFECTION」のギター(YUICH KA
SAMATSU)のソロの入り方はハードロックしていておもしろいです。(笑)

で、私はこのビデオを見てインクスティックでのライブへ行きたくなり、「FA
REWELL」を見てきました。
ビデオ「FAREWELL」では何事も無いように見えますが、実際はPAスピ
ーカーがとんでしまい、会場中一時生音を聞いていました。
「バンマス柏木」のあわてているのがよくビデオでわかります。曲名はビデオを
みて当ててください。(笑)

しかし生で見た「バンマス柏木」のギターは、はたして曲とあっているのかな?
と思いました。(いい加減な感じがした。)もし見る機会があったら見て、そし
て聞いてみてください。

個人的にはバンドでBASSをやっているので「KIYOMI SUMI」さん
が気になってしかたありませんでした。彼女今どうしているのかな?

いろいろ言いたいこと(ルースターズのコンサート関係や大江のロフト3DAY
S等)がまだまだありますが、今回はこのようなところでおしまいとします。

T.YAMAMOTO (1997.11.15)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ビデオ「FAREWELL」は、大江への想いと、柏木への怒りを交錯させ
ながら何度か見ましたが、PAのアクシデントがあったとは気がつきません
でした。 私は まだまだチェックが足りないようです。
「KIYOMI SUMI」さんは、確かメンバーの人と結婚したとか言う
ハナシを耳にした事がありますが、ホントかどうかは自信無いです。
山口 (1997.11.15)


■柏木省三は見世物小屋の主人なのか? / 山口 (1997.10.22)

ソロ活動中のライブビデオ「FAREWELL」をみて、これは酷いと
思った。 大江はこんな状態で唄ってて大丈夫なんだろうか?
懸命に唄う大江慎也の表情を直視できない。

ビデオを最後まで観て無性に腹が立ってきた。 大江に対してではなく、
このツアーを敢行した1984のバンマス柏木省三にである。

大江がこんな状態なら、休養を勧めるのが普通ではなかろうか?
なのにこの柏木という奴は大江を見世物にしている。
大江が、あんな状態でさえ懸命に精一杯やっているのが痛々しい。
大江慎也だけに、余計腹が立ってくる。

そりゃあ、ファンにしてみれば、どんな状態にせよ大江を見たいだろうし、
その欲望を抑えることは無理だろう。 大江ファンなんだから当然だ。
ただ、こんな状態の大江ライブなんて、フリークショウと同じではないか。
もっと元気な大江慎也を見たい。 それが無理なら出てこなくていい。
大江の幻影が崩れるばかりだもの。


■「大江慎也に関わった3人の男について」考 / 竹田さん (1997.9.19)

私はちょっと視点を変えて、大江についてではなく、大江が音楽活動をする
上で関わった3人の人物について語りたいと思います。
なお、この3人を選んだのは完全に私意によるものです。あしからず。(^^;

1.池畑潤二
ウムム、怪物だ(By 山名昇)。81年の夏に初めてこの人のドラムミングを
目の前で見た時から、ドラムに対する考え方が変わりました。
大江も早くから、この中学時代の同級生の才能には目をつけており、高校
時代に結成したバラ族からルースターズがデビューするまで自分のBandに
引っ張りこんでます。

人間クラブ解散後、ハイスクールというBandをやるがうまくいかず、再び
花田、井上を巻き込むのに、「池畑もいっしょだから」という口説き文句が
あったと聞いてます。
大江の音楽的指向と池畑の爆裂ドラミングがマッチングして、歴史的名盤が
生れております。
「ニュールンベルグでささやいて」です。
当時、こんな音を出すBandが日本で存在したというのは、奇跡だと思います。

大江はこの頃、ジョン・ライドンを意識しているとよく発言していましたが、
PILにも十分対抗しうる説得力がある(ミニ)アルバムでした。
たった4曲入りなのに、密度の濃さは発売したアルバムの中ではNo.1です。

その後、ますますオルタネイティブな指向を深める大江の音楽性に「ついて
いけなくなった」と脱退する訳ですが、彼の才能は大江によって引き出された
面も大きいのではないでしょうか。

2.柏木省三
今となっては、この人にはあまりいい印象はありません。
確かにルースターズを表舞台へ引っ張り出し、Bandの初期においてはレコ
ーディング等にアイデアを提供、アルバムそれぞれにカラーをつけた功績は
認めるところです。
(でも、「Radio上海」にしてもあまりセンスがいいとは思えないのですが・・・)

大江がソロになった頃から、どうも商売っ気ばかりが目に付きだしました。
ファン心理を逆手にとったような未発表音源を発売したり、ソロになった
大江を操り人形のように扱っていたりと…。(ちょっと、言葉が悪いですが)

大江の良き理解者だったとは思うのですが、プロデューサーという立場を
考えれば、少しでしゃばり過ぎたというところでしょうか・・・。

1984のLive後のサイン会で、うつむいたままの大江に対して、「握手くらい
してあげろよ」と命令(?)する姿を見て、ほんとに嫌悪感を感じてしまい
ました。

現在、充電中の大江が仮に復帰する事があるとすれば、彼の手に染まらず
にシーンに戻ってくる事を切に望んでおります。

3.下山淳
最後はちょっと意外ですか?
1984からルースターズに加入した訳ですが、大江との共同作業自体は少な
かったと思います。

山形出身という事が関係あったかどうか分からないが、下山は大江をかなり
客観的に捉えていたようでした。
それは、花田が大江を見ていた目とは明らかに違うものでした。

下山はルースターズ後期の大江の状態には、相当いらだちがあったようです
が、仮に病気前の大江と火花を散らせて、曲作りをしていたらどんな音が出
来たのだろうかと想像してしまいます。

「DIS」は大江色満開のアルバムですが、下山はまだサブ・メンバーという
位置づけで、音の主張が強く感じられません。
また、「Phy」は下山と花田の共同作業で生まれた名作でありますが、大江の
存在はこれまでの中で一番薄いと感じております。
(「Good Dreams」もありますが、どうも寄せ集めという感が強く、トータル的
なアルバムとしては考えにくいのです)

ただし、下山の場合は音の「骨」を作ることより、「肉」づけと得意とする
タイプだと思われるので、2人で作業したとしても、結局は大江色の強い曲が
出来ていたかもしれません。

ルースターズの一番しんどい時期を真正面から受け止めていた苦労人でも
あります。

竹田(1997.9.19)

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[山口のコメント(1997.9.19)]
「ニュールンベルグでささやいて」の池畑のドラミングを生で
見たかったです。 この曲は池畑だからこそ可能なんだと思います。


■Roostersとの出会いから現在まで / 滝本 健さん (1997.9.7)

Roostersとの出会いは1stの頃だからかれこれ16,7年の付き合いになる
Roostersを知ってから日本の同じようなバンドをこれ程までに好きに
なったことはない.どうしても比べてしまうからだ
Roostersを聴くまではこの手のバンドではMODSが好きだったのだが
MODSも聴かなくなってしまうほど.強烈なインパクトがあった

私の中のRoostersは大江で始まり大江で終わっている
その後のRoosterzも好きなのだが大江在籍時の様に熱中はできず
解散LIVEも後から知ったほどだった
大江の声,ギターの弾き方,そして狂気性を感じる眼すべて好きだった
そう,その振る舞いにわざとらしさが全く感じられないからだ
それがあだとなってソロの大江はひどくなっていくのだが...
とにかく大江の一挙一動に注目をしていた

Roostersは私が理想としているバンド体系をすべて兼ね備えていた
無駄なMCは一切せずただただマシンガンのように演奏をし,そっけなく
帰っていく.そのそっけなさ(メンバー全員)が大好きだった

DIS以降の大江も大好きだった.下手なパフォーマンスよりずっと緊張感があった
あの奇妙なダンスも慣れてくるにしたがって不思議と「もっとみたい」という
欲求がわいてきた.あの頃私はもう完全に大江のことしか見ていなかった

Roosterzから大江が抜けたのを聞いた時はショックだった.
大江がソロになるまではいろいろな音楽雑誌を毎月立ち読みして復帰記事が
出ていないかチェックしたものだった

ソロになってからも頻繁にLIVEには通ったのだが大江自体の曲が少なくなった
事もあってRoosters時代ほど熱狂はしなくなった.
けれどソロの大江は不格好だが格好良かった
早川義夫の「かっこういいということは,なんてかっこう悪い事なんだろう」の
逆を歩んでいたような気がする.大江の基本的なスタンスはおそらくRoostersの
頃と変わってはいないはずだ

今大江は実家にいるそうだが復帰して欲しい気持ちとそうでない気持ちが
半々だ.私も年を取っているように大江も年を取っている
他のRoostersのメンバーのように格好良く年を取っていない気がする
不様でもその時のありのままの姿を見せていてくれたように...
その姿を見るには今の私には心の準備が必要だ
滝本 健(1997.9.7)

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[山口のコメント(1997.9.9)]
本web pageの公開前に原稿を依頼するという無理なお願いに快くこたえて
下さいました。 ありがとうございました。
滝本さんは大江の復帰について複雑な思いのようです。
ミーハーの域を抜けきれていない自分としては、はやはり復帰して欲しいと
思っています。



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