民族問題を考えるー複雑な「旧ユーゴ紛争」
              鹿児島大学法文学部  木村 朗・助教授   
                   (『』朝日新聞1993年7月29日』)
  新・旧二つに分類
 
 
 最近、「民族問題」という言葉を耳にする機会が多くなってきました。この問題は、大ざっぱに見れば、旧ソ連・東欧地域での領土・国境をめぐる民族対立に代表される「旧(ふる)い民族問題」と、ドイツにおける難民襲撃事件に象徴される自由移動が引き起こす「新しい民族問題」の二つに分けることができます。ここでは、「旧い民族問題」の一つである旧ユーゴでの民族紛争を取り上げ、この問題にアプローチする際の重要なポイントを二、三考えてみたいと思います。
 
■大セルビア主義
 まず最初に指摘したい点は、旧ユーゴ紛争はその背景・原因がかなり複雑であり、大セルビア主義を掲げて「民族浄化」を行っているセルビア人勢力(とくにミロシェビッチ・セルビア大統領)にて(すべ)ての責任があるといった一般的な見方は必ずしも事態の全容を正しくとらえたものではない、ということです。ボスニア中部を中心にムスリム人(イスラム教徒)とクロアチア人の間で激しい衝突が発生し、双方の間で血なまぐさい「民族浄化」が行われているという最近の状況を見れば、そのことは明白であると思われます。重要なのは、大セルビア主義を生じさせた原因は何かという視点であり、この点ではクロアチアなどで逆に少数民族となるセルビア人に対する「同化」「排除」の動きなどをもっと重視する必要があるということです。
 
■国際社会の対応は
 第二点は、旧ユーゴ紛争への国際社会(ECや国連など)のこれまでの対応は適切なものであったか、という問題です。この点に関しては私はかなり否定的で、そもそも最初の対応から問題の多いものであったと考えています。具体的にはECやアメリカが当初の「ユーゴ統一」指示の立場を途中で放棄して、クロアチア、スロヴェニアなどの独立の早期承認に動き、内線に拍車をかける結果を招いたことです。とくに、国家的統一の条件を欠いたままボスニア・ヘルツェゴヴィナの即時独立承認を行ったことは、それを契機に今日まで続く泥沼の内戦が始まっただけに大きな誤りであったといえるでしょう。また、その後の新ユーゴへの一方的経済制裁や武力行使を許容する最近の動き(ソマリアに続く国連の「平和執行活動」)も、それが「セルビア人悪者論」を前提とし周辺諸国からの武装援助や義勇兵は県を事実上黙認するなかで行われているだけに無条件に指示することはできません。ここでの重要ポイントは、「民族自決権」を楯(たて)にした「力による独立」の動きにいかに対応すべきかであり、また力による紛争の強制的封じ込めは問題の根本的解決にはならないということです。
 
■身近な所で回答を
 冷戦終結後の世界各地では様々なタイプの民族問題が起きており、私たちもカンポジアPKOへの自衛隊派遣や国内の外国人労働者問題など、身近な所からその回答が求められているのは確かなようです。   (国際関係論)