「新ガイドライン安保体制と九州・沖縄

                          −地域から問う平和戦略の構築に向けて」

(『地域から問う国家・社会・世界−「九州・沖縄」から何が見えるか』ナカニシヤ 出版、2000年9月刊行に所収)

                                                  木村 朗(鹿児島大学法文学部)

  今日の日米安全保障体制(以下、「日米安保体制」と略称)は、冷戦期の対ソ抑止型(「日本有事」、「国土防衛型」)から地域紛争対処型(「周辺有事」、「海外出動型」)へと大きく変わりつつある。この背景には、冷戦終結後の米国の新しいアジア太平洋戦略と日米安保体制の見直し、すなわち、米国の「東アジア戦略報告」(95年2月)から日本の新しい「防衛計画の大綱」(同年11月)、さらに「日米安保共同宣言」(97年4月)へと続く一連の安保「再定義」のプロセスがあった。その具体化が97年9月に改訂された「日米防衛協力のための指針」(以下、「新ガイドライン」と略称)および「周辺事態安全確保法」(99年8月、以下、「周辺事態法」と略称)であった。

  この新ガイドライン下の日米安保体制では、日本における軍事的重心が東日本から西日本へと移動することになった。そうした中で、新たな軍事戦略の重要な拠点としてクローズアップされてきたのが九州・沖縄地域である。

  しかし、こうした日米軍事同盟の強化・拡大に対しては、全国各地でそれに反対する運動も新たな形で展開されつつある。その中でも地域から平和を創り出していこうとする試みとして最も注目されるのが、高知、函館、小樽、石垣、鹿児島など全国各地での港湾の非核化(後述する「非核神戸方式」の導入)を求める動きであろう。

  本稿では、米国の新しいアジア太平洋戦略と日米安保「再定義」のプロセスの特徴・問題点、新ガイドラインと「地域としての九州・沖縄」の関連、とくにその中間地点にあって近年その軍事戦略上の重要性を高めつつある南九州、とりわけ筆者が在住している鹿児島との関係を明らかにする。最後に、港湾の非核化をめざす取り組みを中心に「地域から問う平和戦略」を探ることにしたい。

 

1.米国の新しいアジア太平洋戦略と新ガイドライン安保体制の成立

(1)「ナイ・イニシアティブ」と「東アジア戦略報告」の提起

  冷戦後の日米関係は、共通の仮想敵国であったソ連が消滅したことによって軍事面での結束がやや緩み、貿易摩擦など経済面で利害対立が表面化して動揺する。すなわち、米国では、冷戦終結に伴う「平和の配当」を求める国民の圧力(内政重視、軍事予算削減、海外基地撤去の要求など)が強まり、日本側の貿易大幅黒字も一因とされる米国財政状況の悪化を背景に、「安保ただ乗り論」や「日本異質(脅威)論」が一部で声高に叫ばれた。その一方、日本においても、貿易・経済摩擦に端を発した米国側の「日本たたき」に反発し、日本の経済的自立性や外交の独自性の必要を主張する形で日本国民の「米国離れ」や「嫌米」傾向があらわれた<1>。

  この間の日本側の動きで重要と思われるのは、93年7月に誕生した細川内閣のもとで設置された防衛問題懇談会(座長:樋口廣太郎アサヒビール会長)がその後94年8月に村山首相に提出した「防衛問題懇談会報告書」(「樋口レポート」)<2>である。この報告書で特に注目される点は、「冷戦的防衛戦略から多角的安全保障戦略へ」の転換を日米同盟関係とは別に国連やその他の地域的機構を通じて促進することを打ち出していることであろう。そのため、この報告書は、日本の「自立化」の新たな動きとして米国指導部の一部に「警戒心」を生じさせることになった<3>

  冷戦後に揺れる日米関係に強い危機感を持ち、何とかこの状況を打開しようとしたのがジョセフ・ナイであった。ジョセフ・ナイは、国防次官補就任(94年9月)直後から、自国内部の日本に対する過剰な「警戒心」と日本側からの米国の「経済(優先)主義」への批判を考慮しつつ、日米安保の強化を機軸とした日米関係の再編に乗り出していく。そして、ナイ自身が作成した米国の「東アジア戦略報告」(95年2月)から日本の新しい「防衛計画の大綱」(同年11月)、さらに「日米安保共同宣言」(97年4月)へと続く安保「再定義」の一連のプロセスは、後に「ナイ・イニシアティブ」と呼ばれるようになる<4>

  この中でも特に注目されるのが、北朝鮮核開発疑惑(93年〜94年)後にクリントン政権によって発表された米国の新しいアジア太平洋戦略、すなわち米国防総省による「東アジア戦略報告」(正式名「東アジア・太平洋地域に関する米国の安全保障戦略」、95年2月)<5>である。この報告書(別名「ナイ・レポート」)は、第一に、世界経済で比重を増しているアジア太平洋地域の安定と繁栄は米国の安全保障・経済的利益にとってもより重要なものとなっていることを指摘し<6>、第二に、そのためにアジア太平洋地域での米国の軍事的プレゼンスを主に日本と韓国に基地をおく10万人の前方展開戦力という形で今後20年にわたって継続していく方針を打ち出している<7>。第三に、アジア太平洋地域においては日米安保条約などの二国間軍事同盟を冷戦後も引き続き重視し、ASEAN地域フォーラム(ARF)のような多国間の地域的安全保障機構はあくまでもそれを「補完」するものにすぎないことを強調している<8>

  この「東アジア戦略報告」で打ち出された米軍の東アジア10万人体制を維持する方針は、それまでの削減計画を一部見直すものであった<9>。この方針は、その後「日米安保共同宣言」(97年4月)、そして4年毎に米軍事力の総合的見直しを行う「4年期国防見直し(QDR)」(97年5月)や98年末の「東アジア戦略報告」においても再確認される。その意味で、日米安保「再定義」プロセスの核ともいうべき性格を有しているといえよう。

 

(2)日米安保「再定義」の進展と新ガイドライン策定

  「東アジア戦略報告」提出後、日本側はそれを前提として新しい「防衛計画の大綱」<10>を同年11月に作成した。この新大綱は、日米安保体制を「我が国の安全」および「我が国周辺地域における平和と安定」にとって「必要不可欠のもの」であると評価した上で、我が国周辺地域において我が国の平和と安全に重要な影響を与えるような事態が発生した場合」に備えて、日米安保体制の「円滑かつ効果的な運用を図ること」を盛り込んでいる。これは、日米安保体制の「信頼性の向上」をはかるために「周辺地域」での日米軍事協力を強化・拡大するという方向性を示したものであった。

  96年4月にクリントン米大統領が訪日して橋本首相と取り交わした「日米安保共同宣言」<11>は、「新防衛大綱において明記された日本の基本的な防衛政策」を評価し、「アジア太平洋の平和と安定の維持」のために、「約10万人の前方展開軍事要員からなる兵力水準を維持する」ことを再確認した。この宣言の中で特に重要な意味を持っているのは、78年の「日米防衛協力のための指針」(以下、「旧ガイドライン」<12>と略称)の見直しとの関連で「日本国周辺地域において発生しうる事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」における日米間の防衛協力及び政策調整を促進する方向性を打ち出していることである。ここにはまさに安保「再定義」の集大成としての同宣言の核心的性格が示されている。

  新しい「日米防衛協力のための指針」(以下、「新ガイドライン」<13>と略す)は、97年6月の「中間報告」を経て、97年9月にニューヨークで最終的に策定される。その主な特徴は、第一に、「防衛型安保」(「五条安保」)から「攻撃型安保」(「六条安保」)への転換である。これまでの安保は、旧ガイドラインにもあるように「日本有事」、すなわち日本に対する攻撃・侵略に対して日米が協力して対処することに力点が置かれていた。だが、「再定義」された安保においては、米軍の軍事行動に対して日本が単なる「基地提供」を越えて積極的に「後方(地域)支援」を行うことになり、安保の中心が第6条に明らかに移行することになった。

  第二に、「地域限定安保」から「地域無限定安保」への移行、すなわち安保体制の「グローバル化」である。これまでの安保では、在日米軍の軍事行動の範囲を「極東」という地域に限定してきた。ところが、今回の見直しでは、その地域限定が「極東」から「アジア・太平洋」、「日本周辺地域」、「周辺事態」へとなし崩し的に「拡大」され、事実上、安保条約の規定を越えた地域無限定の「グローバル安保」へと変質している。このことは、冷戦後のアメリカのアジア太平洋戦略において、フィリピンやグアムなどの米軍基地が撤退・縮小したため在日米軍基地の重要性が高まったことと明らかに関連している。

  第三に、「自衛隊安保」から「総動員安保」への転換である。すなわち、米軍の軍事行動に対して自衛隊が「後方地域支援」を行うばかりでなく、自治体や民間が人員・資材の提供や施設・区域の軍事利用という形で全面的に「後方支援」に協力することになっている。このことは、米国による日本の軍事・経済・技術力の全面的活用と事実上の「国民総動員」を意味している。

  第四に、「事前協議制」の形骸化と「自動参戦体制」への移行である。いうまでもなく、事前協議制は旧安保改定(1960年)の際に日本側の主体性を強化する目的で導入されたものである。だがこれまで事前協議のための日米の会議は、その必要性があった時(例えば、ベトナム戦争への在日米軍の出動や日本への核持ち込み疑惑の浮上の場合)を含めて一度も開催されたことはなかった。この事実は、日本側に自分から「事前協議」を「発議」したり、米国側の「回答」を「拒否」する権利・意志がないことを示していると思われる。今回初めて「包括的メカニズム」、「調整メカニズム」が盛り込まれたが、これは単に日米間の軍事協力をスムーズに行うための統合作戦本部のような役割を担うもので、(後述するように)「周辺事態」の認定を共同で行うための機関ではない<14>

  このように、新ガイドラインはまさに「戦争マニュアル(war manual)」(Japan Times,June9,1997)であり、現行安保の実質的改定と日本国憲法の平和原則の全面否定(集団的自衛権の事実上の行使)に他ならない。この新ガイドラインによって日本は、主体的な「戦争協力」という新たな段階へ一歩を踏み出すことになる。

 

2.新ガイドライン・周辺事態法と九州・沖縄の「最前線基地化」

(1) 周辺事態法と九州・沖縄の「最前線基地化」

  「周辺事態安全確保法」(以下、「周辺事態法」と略す)案は、他の二法案(「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」改定案、自衛隊法改正案)とともに99年5月24日にいわゆる「自自公」<15>の賛成多数で国会を通過した。

  この新ガイドライン関連三法のうち、最も重要と思われるのが周辺事態法(8月25日施行)である。その特徴と問題点として、「原則は事前承認、緊急時は事後承認」という国会承認の手続き、「事態の性質に着目したもので地理的な概念ではない」という「周辺事態」概念の定義、「後方地域支援」の実体と「武器使用」の基準見直しなども指摘できるが、ここでは、自治体・民間協力のあり方に関連する問題に注目したい<16>

  周辺事態法第9条では、新ガイドラインで明記された「米軍の活動に対する日本の支援」を具体化して、第一項で自治体協力(「関係行政機関の長は、法令及び基本計画に従い、地方公共団体の長に対し、その有する権限の行使について必要な協力を求めることができる。」)、第二項で民間協力(「前項に定めるもののほか、関係行政機関の長は、法令及び基本計画に従い、国以外の者に対し、必要な協力を依頼することができる。」)を定めている。問題なのは、この政府による自治体や民間への協力要請の具体的内容ばかりでなく、その協力要請をどのような場合に拒否できるかを明らかにしていない点である。

  政府は、法案審議の過程で協力内容を問う自治体側からの再三の要求を受けて、ようやく港湾・空港の使用や救急輸送、民間輸送事業者の協力、民間医療機関への患者の受け入れなど最小限の11項目(最終的には13項目)を盛り込んだが、依然として「あいまいさ」は払拭されていない。また、「国の要請に対する協力は義務か」という問題で、「一般的な義務」であるが正当な理由がある場合は断ることはできるとしながらも、その「正当な理由」の基準は示されておらず、実に「あいまい」である。結局、罰則規定は盛り込まれなかったものの、許認可権や補助金供与等の巨大な権限を政府が握っているため、自治体や企業にとって「事実上の強制義務」となる可能性は大であると言わざるを得ない。

  以上のように、周辺事態法はその内容からみてまさに「戦争協力」法であり、日本国憲法の平和主義や基本的人権・地方自治、議会制民主主義等の基本原則と相反する性格を持っていることは明らかと言える<17>

  新ガイドライン策定前後から、日米共同軍事演習・訓練が活発化するとともに、「周辺事態」を「先取り」する形で米軍機・艦船が全国各地の民間空港・港湾を日常的に軍事利用する事態が相次いで生じていた。特に九州・沖縄地域は、朝鮮半島や台湾海峡に近いという地理的要因から戦略的重要性を増し、「最前線基地化」の様相を強めていた<18>。米軍による日本の民間空港・港湾の一時使用は対米後方支援の柱であるが、米軍はすでに九州を中心に頻繁に使っており、「一時使用」が既成事実化されようとしている。外務省によれば、96年に米軍機が民間の空港に離発着したのは1048回で、そのうち長崎、福岡、鹿児島(長崎、福岡、奄美の各空港がそれぞれ全国1,2,3位)など九州地域に72%が集中していた。一方民間の港湾も、96年は米軍所属の艦艇が全国で15港に延べ20回寄港し、九州地域は博多、鹿児島などに7回と全体の4割近くを占めている(『西日本新聞』97年5月19日付)

  九州上空は近年、米海兵隊岩国基地所属機の訓練ルートとなっており、低空飛行訓練による騒音の被害などが中国地方から大分、熊本、宮崎など九州各県に広がっている。また、響灘や日向灘など九州の周辺海域にひしめく訓練区域では朝鮮半島有事を想定した訓練が繰り返されており、98年11月末には、宮崎県沖合の日向灘で日米合同掃海訓練が実施された。「北朝鮮工作船」進入事件(99年3月)を契機にテロ・ゲリラ対策が重視され、地理的な要因で九州地区に重点が置かれることになる。具体的には、防衛庁は2000年度予算の概算要求で北九州市の小倉曽根訓練場にわが国初の対ゲリラ模擬訓練施設の建設費を計上し、長崎県佐世保市には高速ミサイル艇二隻を配備する予算を盛り込んだ。また、99年7月2日には、陸上自衛隊西部方面総監部(熊本市)に「国境の島」を防衛するための「緊急即応部隊」(約400人規模)を新設することも明らかになった(『朝日新聞』99年6月21日付)。

  米海軍佐世保基地は、冷戦後に他の米軍基地の「整理」「縮小」が進む中で基地機能が質的にも規模的にも増強・拡大されることになる。米海軍は、94年に赤崎貯油施設内に寄港艦船への電力供給が可能な受電施設を要求し、日本側の「思いやり予算」で97年にそれを完成させ(44億円の事業費)。この間、赤崎岸壁の整備・拡充や「野戦病院セットを備えた施設」建設などが行われるとともに、基地関係の人口も大幅に拡大した。また、米原子力潜水艦が寄港するための施設も整い、修理点検のための米原潜の寄港も97年から急増した。強襲揚陸鑑ベローウッド(第11水陸両用支隊の「旗艦」で「ヘリ空母」とも呼ばれる)が92年9月に配備された後、ドック型揚陸艦ジャーマンタウン(上陸用の水陸両用船LCACを3隻搭載可能)などが相次いで配備された。現在佐世保基地を母港とする米軍艦は6隻となっている(この他に強襲上陸作戦の際に機雷を除去する掃海艇2隻がいる)。これによって、佐世保基地は「海兵隊の有事緊急展開の一個独立した攻撃基地」へと変貌を遂げた。この第11水陸両用支隊は、沖縄の米海兵隊(約1万8千人)や山口県岩国市の米海兵隊専用航空基地の第12海兵航空群(戦闘攻撃機など約60機)と連動する形で結びついている<19>

  また、沖縄に駐留する米海兵隊(第三海兵遠征軍)は、沖縄県具志川市のキャンプ・コートニーに司令部をおき、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブなどを拠点とする第三海兵師団と普天間基地(沖縄県)、キャンプの第三遠征軍役務支援軍、岩国基地(山口県)を拠点とする第一海兵航空団司令部などで構成されている。この第三海兵遠征軍はアメリカが唯一海外に師団規模で展開している部隊であるが、最近、新しく設けられた太平洋海兵隊に編入され、その作戦行動範囲を地球的規模にひろげている。米海兵隊は、「殴り込み部隊」の異名をもつように、有事の際に真っ先に戦場に駆けつけて敵地に強襲上陸を敢行する部隊である。湾岸戦争では、この沖縄駐留の米海兵隊が大挙出撃したことはよく知られている。在沖米海兵隊をはじめとする在日米軍の主な任務が日本防衛ではなく米国の世界戦略のための前方展開・戦力投入であり、沖縄が「太平洋の」(keystone)と呼ばれて戦略的に重視されているのはそのためである。冷戦後の在日米軍はその性格を一層強めており、新ガイドライン策定前後から現在にいたる沖縄・岩国・佐世保における米軍基地の機能強化の動きはまさにそのことを示すものである<20>

  以上のように、新ガイドライン下の日米安保体制では、沖縄の基地機能の新たな強化と「本土の沖縄化」の同時進行、すなわち日本列島の米軍による事実上の「全島基地化」が急速に進みつつあるといえる。こうした背景について、前田哲男氏は、冷戦終結で「北の脅威」(ソ連)から「西の脅威」(北朝鮮、中国)へと対象が変化して米軍や自衛隊の基地群の比重も東日本(特に北海道)から西日本(特に九州・沖縄地域)に重点が移ることになった、新ガイドラインの枠組みの中で『もしも』のときは日本の中で西日本地区が「最前線」に差し出されることを認識すべきだ、と指摘している(『朝日新聞』99年6月9日付、および『西日本新聞』99年9月20日付)。

 

(2) 新ガイドラインと鹿児島−霧島での日米共同訓練をめぐって−

  98年11月に霧島(鹿児島県姶良郡吉松町、宮崎県えびの市)演習場で初めて実施された日米共同軍事訓練は、新ガイドライン策定以来、全国各地でより頻繁化した日米共同訓練や米軍機・米艦船による民間空港・港湾の軍事利用と同じく、「周辺事態法」(99年8月制定)を先取りする動きであったと考えられる。 11月5日から15日にわたり霧島演習場で行われた日米共同訓練には、陸上自衛隊第八師団(司令部・熊本)約820人と米海兵隊第三海兵遠征軍(沖縄)約600人の総勢約1,420人が参加した。大型ヘリ・最新式戦車の使用や夜間訓練も含むかなり大規模の実戦的な軍事訓練であった。同時平行的に実施された熊本県矢部町の大矢野原演習場では実弾射撃訓練も行われた(『南日本新聞』99年10月16日付)。強襲上陸作戦を主任務とした「殴り込み部隊」とも言われる米海兵隊と陸上自衛隊との実戦訓練は、単なる「後方支援」を越えた「共同戦闘行為」であり、憲法の禁止する集団的自衛権の行使につながるものである。今回の霧島演習場での日米共同訓練の目的は、「周辺有事」、すなわち朝鮮半島での有事への日米共同対処を念頭においたものであったと推測できる。また鹿児島では近年、米軍機・米艦船による民間空港・港湾の軍事利用が頻繁に行われるようになっている。97年の米軍機による県内の民間空港の軍事利用では、奄美空港が一番多く(全国でも3番目)、次いで沖永良部空港、鹿児島空港となっている。鹿児島空港は霧島での日米共同訓練でも、米兵や物資(武器・弾薬を含む)の輸送に頻繁に利用された。鹿児島港への米艦寄港は、90年代以降では九州の民間港では最も多く、97年9月には駆逐艦ジョン・ポール・ジョーンズと強襲揚陸艦ベローウッドが相次いで入港した。その後も寄港は続き、鹿児島港は「準軍港化」されつつあるといってよい。米艦だけでなく、自衛艦の入港も年間約60隻と頻繁である。また志布志港には、98年11月末の日向灘での日米共同掃海訓練の際に海上自衛隊の掃海母艦、掃海艦、掃海艇など合わせて22隻が寄港した。米艦や自衛艦が鹿児島の港湾をたびたび使用する理由としては、「第一、高知沖にある日米共同訓練海域への近さ。第二、海に面した五十万都市の利便性。第三、旧海軍幹部を多数輩出した歴史と保守的な県民性。第四、貨物船の少なさと出入港の容易さ−。」(『朝日新聞』97年9月26日付)等が指摘されている。

  以上のように、鹿児島は、すでに九州で陸海空の日米共同訓練を経験した唯一の県である宮崎と並び、沖縄、佐世保、岩国の在日米軍基地を結ぶ新たな軍事拠点(「事実上の米軍基地」)になりつつあると言えよう。

 

3.地域から問う平和戦略の構築に向けて−むすびにかえて−

(1)鹿児島と港湾の非核化をめざす取り組み−「非核神戸方式」とその意義について−

  ここでは、(筆者自身も事務局担当として深く関わった)鹿児島県内における港湾の非核化運動に関連した意見広告の取り組みを紹介・検討することによって、地域から平和を考えることにする。

  鹿児島県では、すでに97年までに県を除く96市町村のすべてが非核・平和自治体宣言や議会決議、陳情・請願採択などを行い、何らかの形で非核・平和の意思を表していた<21>。またその一方で、(すでに述べたように)新ガイドライン策定前後から、鹿児島県内の民間空港・港湾を米軍機・米艦船が利用する回数も全国的に見て有数となっている。特に「非核三原則」の観点から問題なのは、ここ数年に鹿児島港を訪れた米艦船の多くが核積載可能艦船であることである<22>。

  こうした状況に危機感を抱いていた県内の研究者・弁護士・医者など16名が呼びかけ人となって、一昨年(1998年)7月に「錦江湾・鹿児島の海の非核化をめざす意見広告の会」が結成された。個人および団体にチラシなどで呼びかけて約4ヶ月間、県内港湾の非核化をめざす活動が展開された。こうした取り組み・活動の結果、約2,000人の個人および諸団体の協力で、南日本新聞(98年12月1日付朝刊)および朝日新聞(99年1月15日付朝刊)の計2回にわたり「非核・平和利用を求める県民宣言」を中心とした意見広告が掲載された。「意見広告の会」は、意見広告のポスター300枚の作成・配布を行うとともに、鹿児島県知事および県議会議長への要望書・陳情書を99年1月と2月にそれぞれ提出してその主な活動を終えた<23>。結局、この陳情書は2月議会で不採択とされた(『南日本新聞』99年3月28日付を参照)。

  次に、地域から平和を創造する試みとして「非核神戸方式」に注目したい。この「非核神戸方式」は、神戸港への寄港を希望する外国艦船に港湾管理権を持っている神戸市が「非核証明書」の提出を義務づけることによって核積載可能艦船の入港を拒否するものであり、75年に「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」(神戸市議会)が出されてから今日まで米艦船の神戸港への入港を一度も認めていない、という画期的な成果をもたらしている<24>。「非核神戸方式」が可能となったのは、神戸市が神戸港の港湾管理権を保有しており、アメリカ政府が「核抑止」論の立場から自国の軍用機および軍艦に核を積んでいるか否かを明らかにしないという政策を一貫して取っているからである。この「非核神戸方式」が、「核の傘」と「非核三原則」の矛盾という日米安保体制のもっとも脆弱な部分を突く性格を持つだけに、新ガイドライン策定以後、この神戸方式への関心は、賛成・反対双方の側でさらに強まったのは当然といえよう。98年5月に政府・外務省からの圧力もあって神戸港へカナダ軍艦が入港した事件が起きたことや、橋本大二郎・高知県知事がイニシアティブを取って県議会決議に加えて「条例化」という形でこの方式を導入しようとしたときに外務省や自民党から強い圧力が加えられたこと(『高知新聞』99年1月7日付)なども、そうした関心の高まりを示している<25>

  それでは、政府・国会が国是としてきた「非核3原則」を実質化させようとする橋本知事の提案に対して、なぜこれほどまでに政府・与党側は強く反発したのであろうか?その理由は、第一に、「核兵器の存在を肯定も否定もしない」という軍事戦略を現在も維持している米軍艦艇の入港が「非核神戸方式」の導入によって事実上困難となるためであり、第二に、「非核神戸方式」が神戸市や高知県ばかりでなく函館市、苫小牧市、小樽市、石垣市など他の自治体にも広がる勢いをみせており、新ガイドライン関連法の制定で日米安保体制をより実効性のあるものにしようとしていた政府にとって非常に「厄介なもの」と映っていたからである(「『非核条例』に潜む反安保の策動」『読売新聞』の99年2月22日付社説を参照)。

  ここで問題となるのが、核持ち込みについての「事前協議制」である。政府は、「非核3原則」の堅持を掲げる一方で、「核持ち込みの協議があれば、当然断る」「事前協議の申し入れがない以上、核の持ち込みはない」という対応に終始した。これまでラロック元提督など米国の元高官たちから、「寄港の際の核持ち込みは事前協議の対象とはならない」という証言が繰り返されてきており、有事の際の核持ち込み密約の存在もたびたび明らかになっている(最近では『朝日新聞』99年8月4日付、2000年1月6日付)。したがって、日米安保体制のもとでの「核の傘」と「非核3原則」の矛盾を覆い隠す装置としての「事前協議制」というレトリック・論理はいまや破綻していると言ってよい。国是である「非核3原則」と日米安保体制の下での米国による「核の傘」の提供とは根本的に矛盾しており両立することはできないことは今や誰の目にも自明であろう。この点で、今年3月に「非核決議」25周年を迎える神戸市や「非核港湾条例」の再提出の意向を表明している高知県・函館市議会の動向が特に注目される。

 

(2)「国家安全保障」から「人間の安全保障」への転換を求めて

                                                         −「地域」と「市民」の視点から−

  鹿児島では、国会で新ガイドライン関連3法案が審議中の99年3月に「『STOP!周辺事態法案』を考える相談会」が市民によって開催されたのを契機に、「かごしま平和ネットワーク」という新たな平和NGOが結成された。筆者もその事務局の一員として参加してきたその活動を中心に、地域から平和を問い直すことにしたい。

  「かごしま平和ネットワーク」には、「周辺事態法の成立に対して何とか声を挙げたい」という一般の主婦・社会人や学生、宗教家、議員、教員など多彩なメンバーが集まり、結成以来さまざまな活動を行ってきた。また、「かごしま平和ネットワーク」の特徴は、自らを「地域にあって一人ひとりの平和への思いを集めて活動するグループ」であると認識し、「党派や団体を横断した相互の結びつきを呼びかけるところから出発」した点にある。

  これまでの主な取り組みとしては、@県議会議員選挙立候補予定者85名への公開質問状A県知事に「政府に戦争協力法案の撤回を働きかけること」を求めた請願署名運動(約5、000名の署名簿を提出)B「『STOP!周辺事態法案』を考える市民の集い」の開催(4月17日)C「まっちゃったもんせ!! 新ガイドライン」のステッカー作成と販売D「コソボ難民とNATO空爆を考える市民の集い」の開催(5月26日)、E「盗聴法問題を考える市民の集い」の開催(7月3日)F「君が代・日の丸の法制化を考える市民の集い」の開催(7月25日)Gイージス米巡洋艦モービルベイの鹿児島港への入港に対する抗議活動(10月28日)H「周辺事態法と自治体協力を考える市民の集い」(11月7日)の開催、I県知事への「周辺事態法に基づく自治体協力のあり方に関する公開質問状」の提出などが挙げられる<26>

  新ガイドライン・周辺事態法で米国が日本に期待しているのは、自衛隊の後方地域支援活動以上に、自治体や民間の「(全面的)協力」であろう。その中でも最も重視されているのが、米軍による民間空港・港湾の軍事利用である。ただその一方で、政府が昨年7月6日に公表した「周辺事態法9条解説(案)」<27>では、「自衛隊艦船や米軍艦船が地方公共団体の管理する港湾施設をしようとする場合、周辺事態においても、通常と同様、地方公共団体(港湾管理者)の許可を得る必要がある」、「正当な理由がある場合には、地方公共団体の長は協力を拒むことができる。拒否の事由が正当な理由に当たるか否かは、個別具体の事例に則して、当該権限について定められた個別の法令に照らして判断されることになる」などとされている。

  ここには、戦後の民主的改革の一環として制定された港湾法(1950年)によって与えられた港湾管理権を持つ自治体の「合意」を無視して事をすすめることはできない、との政府の慎重な(かつ正当な)判断・姿勢が見られる。新倉裕史氏(非核市民宣言運動・ヨコスカ)は、周辺事態法は現行法と同じ単なる個別法である、自治体の「協力義務」は「法的に期待」されるものであって許可を行う「義務」ではなく「強制」することはできない、従って市民の側は、この周辺事態法の弱点を逆手にとって米軍による港湾の軍事利用を阻むことは当然できる、との明快な見解を示している。同氏は一方で、政府は、許認可権や補助金供与など自治体を締め付ける手段を現に持つだけでなく、地方分権一括法がらみで地方自治法や港湾法を「改正」しようとしており、有事立法の動きとも合わせて十分に対抗策を考えておく必要がある、とも指摘している<28>。筆者もこの立場・見解に同意する。

  新ガイドライン・周辺事態法関連でもう一つの重要な論点は、日本政府と自治体の主体性に関わる問題である。「事前協議制」の虚構性はすでに述べたが、この問題がもつ意味がいかに重大であるかは、「周辺事態」の認定を誰が何時どのように行うのか、を考えるだけでも明らかであろう。横田耕一氏が指摘しているように、「日本が米軍の情報に基本的に依存している以上、米軍の認定に日本は追随せざるをえない」し、日本に拒否権はあっても現実には使うことはできず、「実際の認定権は米軍にあるというしかない」からである<29>

  ここには、「自発的な(植民地型)従属同盟」という日米安保体制の本質がまさにあらわれている。

  自治体協力との関連でいえば、政府からの「協力要請」を受けた自治体はその内容をどの段階でどれだけ市民の側に知らせようとしているのか、また知らせることができるのか、といった問題がある。政府は、自治体への「協力要請」の内容で「米軍の作戦行動が対外的に明らかになる場合」は情報を一部非公開にする、との姿勢をみせている(『南日本新聞』99年6月6日付)。自治体に問われるのは、いかに地域住民の側に立って最大限の情報開示を行う姿勢(人権、すなわち、市民の生命と安全を最優先する視点)を持てるかである。いずれにしても、国是である「非核三原則」と日米安保体制の下での米国による「核の傘」の提供とは根本的に矛盾し両立することはできないということ、「国家の安全保障」から「人間の安全保障(Human Security)」への転換を早急にはかる必要があることを、強調しておきたい<30>。それはまた、新ガイドライン・周辺事態法の「軍事の論理」から日本国憲法の「平和の論理」へ転換して「武力なき平和」を実現する道でもある<31>

  最後に触れておきたいのは、日本政府が今やるべきことは米軍の恣意的な軍事介入(「米国の正義」は必ずしも「普遍的な正義」ではない!)に追随するのではなく、「周辺事態」を主体的に判断してその未然防止のための外交努力(「予防外交」と呼ばれる)に力を入れることである。つまり、「非核三原則」の法制化や「東北アジア非核地帯化」構想<32>の実現、あるいはアジア太平洋地域の軍縮ならびに多角的安全保障機構の構築といった課題を自らのイニシアティブで行うことである。また自治体にとって、今一番求められているのは、地域住民の生活・安全を守る観点から米軍を最優先する、行き過ぎた軍事協力を毅然と拒否する主体性を持つことである。そのためには、自治体としてできる平和行政・平和外交を平時から市民・NGOなどと進めると同時に、あらゆる問題に情報公開の原則を適用して実行することが最も重要である。

  この点に関連して、地域住民の中から「自分たちの安全は自分たちで守る」「国家中心の安全保障ではなく、『人間の安全保障』の実現を」という視点から、個人参加を中心に「市民による安全保障」の実現に取り組む新たな動きが鹿児島を含む全国各地で見られる。すでに名瀬市をはじめ、沖縄市、高知市、横須賀市など多くの自治体から「周辺事態法」に基づく自治体・民間の「戦争協力」に対する異議申し立ての声が数多く出されている(<表1>を参照)。これはまた、全国各地で今も増え続けている非核自治体宣言都市の動き(99年7月現在で2,456、『朝日新聞』99年8月13日付)とも連動する。こうした「地域からの異議申し立て」は、鹿児島での人工島問題も含めて全国各地で生じている住民投票の動きとともに、議会制民主主義の形骸化を克服する糸口となる意義と可能性を秘めていると思われる<33>

  今後、有事法制の立法化などの「戦争マニュアル=ガイドライン」の総仕上げ(終着点は憲法改悪か!)が当然予想されるが、市民の側も「地域から問う(市民・自治体の)平和戦略」、あるいは「平和のためのガイドライン」の構築とその実現を目指して粘り強く取り組んでいくことが今こそ強く求められているといえよう。

 

                <注>

<1>>例えば、栗山尚一『日米同盟−漂流からの脱却』日本経済新聞社(1997年)、122頁〜184頁あるいは船橋洋一『同盟漂流』岩波書店(1997年)、251頁〜266頁,292頁〜295頁を参照

<2>防衛問題懇談会報告書「日本の安全保障と防衛力のあり方−21世紀に向けての展望」細谷千博・有賀貞・石井修・佐々木卓也編『日米関係資料集 1945-97』東京大学出版会、1999年、1270頁〜1290頁にほぼ全文が所収。

<3>岩田修一郎「米国の軍事戦略と日米安保体制」日本国際政治学会編『国際政治』第115号、1997年5月、116頁。また、重要な関係者の一人でもあるマイケル・グリーン氏は、80年代のFSX(次期支援戦闘機)国産化問題に見られたような日本の防衛産業の自立化傾向が「樋口レポート」の背後にもあったとの指摘を行っている(Michael J.Green,ARMING JAPAN,Columbia University Press,New York,1995、pp.145-152.)。

<4>>船橋・前掲『同盟漂流』、276頁〜309頁。

<5>UNITED STATES SECURITY STRATEGY FOR THE EAST ASIA-PACIFIC REGION, Department of Defense、February 27,1995.(前掲『日米関係資料集 1945-97』、1297頁〜1313頁に原文の全文所収)。

<6> Ibid.,pp.2-5.(同上資料集、1200頁〜1305頁)。

<7> Ibid.,p.10.( 同上資料集、1310〜1311頁)。

<8>> Ibid.,p.2.,pp.6-7(同上資料集、1300頁および1306頁〜1307頁)。

<9>マイク・モチヅキ氏は、この3段階の削減計画(90〜92年の第一段階、93〜95年の第二段階ですでに13万5000人から10万人へ削減終了し、さらに96〜2000年の第三段階で引き続き削減する計画)は、米軍を前方展開している国々や東アジア地域の状況によって柔軟に対応できる性格をもっていると指摘している(Mike M.Mochizuki、American and Japanese Strategic Debates, Mike M.Mochizuki ed., Toward A True Alliance, Restructuring U.S.-Japan Security Relations,Brookings Institution Press,Washington D.C.,1997,p.10.)。また室山義正氏は、財政赤字から米国が東アジア「10万人体制」を今後は維持できなくなる可能性を指摘している(室山「冷戦後の日米安保体制−『冷戦安保』から『再定義安保』へ」日本国際政治学会編『国際政治』第115号、1997年5月、135頁)。

<10>「平成8年度以降に係わる防衛計画の大綱について」防衛庁編『(平成11年版)防衛白書』、375頁〜382頁。

<11>「日米安全保障宣言―21世紀に向けての同盟」(Japan-U.S.Joint Declaration on Security-Alliance for the 21st Century-)、前掲『日米関係資料集 1945-97』、1345頁〜1360頁。

<12>「日米防衛協力のための指針」(1978年11月27日)[The Review of Guidelines for U.S.-Japan Defense Cooperation]、前掲『日米関係資料集 1945-97』、964頁〜968頁。

<13>「日米防衛協力のための指針の見直し」(1997年9月23日)[The Review of Guidelines for U.S.-Japan Defense Cooperation]、前掲『日米関係資料集 1945-97』、1369頁〜1389頁。

<14>新ガイドライン問題については、浅井基文、「憲法の平和主義と安保『再定義』」『国際学研究』第16号(1997年3月、明治学院大学国際学部紀要)および「アメリカの世界戦略と日米軍事同盟」『日本の科学者』32巻8号(1997年8月)を参照。

<15>「自自公」とは、すなわち後に連立政権を組むことになる自民党・自由党・公明党3党を指している。この連立政権の特徴と問題点については、『世界 緊急増刊 ストップ!自自公暴走』第668号、岩波書店、1999年11月を参照。

<16>例えば、前田哲男「『周辺事態法』が変える日本」前掲『世界 緊急増刊 ストップ!自自公暴走』、88頁〜93頁、あるいは『周辺事態法Q/A』(岩波ブックレットNO.48、1999年4月)を参照。

<17>山内敏弘「憲法との齟齬をどうするか?」『法学セミナー(特集・周辺事態法でこうなる!)』第536号(1999年8月)、8頁〜10頁および山内敏弘編『新ガイドラインと周辺事態法』法律文化社(1999年)の第二部、49頁〜211頁を参照。

<18>この点に関連して、西脇文昭氏は『米国の国益』報告書(96年7月)を取り上げて、冷戦後における中国の海軍および核戦力の改善・強化を背景に米国が中国への警戒心を強めていること、戦略的重要性が極東ソ連の沿岸地域から中国沿岸地域から西太平洋への出口である「朝鮮半島−九州−沖縄−フィリピン−マレーシア−シンガポール−インドネシアを結ぶライン」に移動したことを指摘している(西脇「米軍事力戦略からみた沖縄」(日本国際政治学会編『国際政治』第120号、1999年2月)、127頁〜129頁)。

<1>野田峰雄『周辺事態』第三書館(1998年)、100頁〜115頁。梅林宏道『情報公開法でとらえた在日米軍』高文研(1995年)176頁〜177頁あるいは、今川正美「佐世保基地の現状と課題」『長崎平和研究』第4号(1998年8月)、46頁〜50頁を参照、

<20>冷戦後の沖縄米軍基地の動向については、仲地博「新ガイドラインと沖縄」前掲『法学セミナー(特集・周辺事態法でこうなる!)』、12頁〜15頁や沖縄県平和委員会編集『新ガイドラインと沖縄』(1999年10月)新崎盛輝「沖縄から見たガイドライン改定」前掲『別冊 世界−ハンドブック 新ガイドラインって何だ?』第641号、岩波書店、1997年10月、178頁〜183頁を参照。

<21>『鹿児島県非核・平和自治体宣言集』(非核の政府を求める鹿児島県民の会、1995年2月)を参照。

<22>全国キャラバン鹿児島実行委員会編・発行『鹿児島から見た「ガイドライン」』、1998年を参照。

<23>詳しくは、拙稿「地域から平和を考える-県内港湾の非核化運動を中心に-」『自治研かごしま』第66号(1999年4月)、42頁〜51頁を参照。

<24> 「非核神戸方式」については、『神戸方式の今日的意味と平和船団の不思議』(非核市民運動・ヨコスカ、1998年8月)、新倉裕史「『非核神戸方式』の今日的意味と吹き始めた『非核港湾の風』」『都市問題』第90巻10号(1999年10月号)、を参照のこと。

<25>神原勝「非核条例化は自治権の行使である」『世界』第661号、岩波書店、1999年5月、43頁〜49頁を参照。

<26>高橋明男「かごしま平和ネットワーク」『日本科学者会議鹿児島支部ニュース』第31年度第4号(1999年11月18日発行)、15頁を参照。なお、「かごしま平和ネットワーク」および「錦江湾の非核化をめざす意見広告の会」の活動については、筆者が主催している「平和問題ゼミナール」のHPURL; http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/)にある「国際関係論研究室」のページを参照。

<27>内閣安全保障・危機管理室、防衛庁、外務省「周辺事態安全確保法第9条(地方公共団体の協力)の解説(案)」(平成11年7月)『解説案全文と若干の解説』(非核市民平和運動・ヨコスカ)、1999年を参照。

<28>新倉・前掲論文、22頁〜26頁。なお、地方分権一括法(7月16日公布)は7月8日に成立して地方自治法、港湾法とも改正され、今年4月に施行された。

<29>横田耕一「『周辺事態』の問題性」山内編・前掲『日米新ガイドラインと周辺事態法』、62頁。また、日米安保体制下での日本の米国への従属性については、豊下楢彦『安保条約の成立−吉田外交と天皇外交』岩波新書(1996年)を参照。

<30>浦部法穂「『国家安全保障』から『人間の安全保障へ』」同右『日米新ガイドラインと周辺事態法』、259頁〜273頁、あるいは池尾靖志「自治体レベルからみた『安全保障』」『立命館国際地域研究』第10(19973)を参照。

<31>梅林宏道『アジア米軍と新ガイドライン』(岩波ブックレットNo.463、1998年),32頁〜40頁、および水島朝穂「武力なき平和の構築に向けて」山内編・前掲『日米新ガイドラインと周辺事態法』、276頁〜284頁を参照。

<32>山内敏弘「非核地帯条約の締結に向けて」前掲『日米新ガイドラインと周辺事態法』、243頁〜258頁、および梅林宏道「非核地帯構想こそが対案である」『世界』第660号、岩波書店、1999年4月、65頁〜72頁を参照。

<33>『かごしま自治研』(第67号、19998月)の人工島特集、あるいは拙稿「錦江湾の人工島問題を考える−軍事利用を許すな!」『まちづくり8・6ニュ−ス』(「まちづくり県民会議」発行、1999年3月号)を参照。また、「かごしま平和ネットワーク」は、「人工島・市民投票の会」「人工島・県民投票の会」など他の市民グループに呼びかけて実行委員会をつくり、今年の35日に鹿児島市議選立候補予定者を迎えての公開シンポジウム「いまなぜ住民投票なのか−地方主権と住民参加を考える」を開催した。

     <表 周辺事態法に反対もしくは慎重審議の意見書を決議した自治体>

     『都市問題』第90巻10号(1999年10月号)、79頁に掲載]

          [出典:田巻一彦「資料:新ガイドラインをめぐる自治体の動き」