「大学受験とはなにか?−人生は一度だけである。」

福岡県立小倉高校 三年八組 木村 朗

 

現在、日本の若者は、世界的にみても歴史的にみても類のない自由というものを享受しているという。確かに、戦前(たった三十年前)と比べてみて、徴兵制一つをとってみてもそれは容易に察せられであろう。しかし、その自由は、戦って勝ち取ったものではなく、外から与えられたものである。宗教問題もなく一つの民族で国家を形成するという恵まれた条件をもっていながら、今日、日本で自由の混乱が起こり、また、真の民主主義が確立されていない根本原因も、そこにあるように思われる。

 

我々は、いま、学生(厳密に言えば生徒)の身分にある。義務教育ではない高等学校の学生である。自分の一生を左右するであろう進路決定の岐路に立っているわけである。この時期に、自分の一生を方向づけた本(著者)に出会った人は幸福であるとよく言われる。しかし、幸運にしてその機会に恵まれた人は、数少ないに違いない。本来、自分の進むべき道は、その人の確固たる人生観・世界観の上に立って決定されなければならない。が、我々は、まだはっきりとした自分の思想や信念、理念や自分自身の意見というものをもっているわけではない。人から意見を押しつけられることには強く反発し、拒絶しようとするが、自分とういうものをもっていないばかりに、結局、押しながされるというきわめて危険な状態にある。我々はこのことに気ずき、一個の人間として目覚め、自己の主体性を確立し、正しい批判力、判断力を養わなければならない。我々は学生であるが、その前に一個の人間であり、社会の一員であるということを自覚する必要がある。学校という社会から隔離された過保護的環境から、もっと、目を広く外に向けてみるべきである。また、同世代の若者のなかで、早くから厳しい社会のなかに放り出され、その中で力強く生きているものがあることを知らなければいけない。自分が無知で弱い存在であることを意識し、またそれを認識して初めて、正しい価値観や、鋭い鑑識眼・洞察力を持つことができるのである。

 

進学を希望する限り、受験という壁は、当然、前に立ちはだかってくる。一般に「受験地獄」とか「灰色の青春」などとい言われているが、目的意識を持ち、自己の眼の焦点を遠くにすえているものにとっては、「受験は人生のほんのひとコマにすぎない」かもしれないし、「青春のひとコマに受験がある。」という捉え方もできるであろう。要するに、本人の心構え次第なのである。我々は目先のことばかりに捉われすぎて、もっと大事なことを見落としてしまっているのではなかろうか、仮に人生八十年としても、そのうち六十年は“大人”として生きるのである。このことを考えると、いま、我々のおかれている青春の持つ“重大な意義”について考えずにはおられないはずである。ある先哲の「未来は、若者ものである。」という言葉がズシンと重みをもって胸に響いてくる−−。「人は生涯、毎日二時間学べば学者になれる。」とも、「人は二十年間、あることを成し遂げようと努力すればできないことはない。」ともいわれるように、長期的な展望、広い視野をもって物事を考える態度が、今、我々にもっとも必要なのではないか・・。

 

現在、“高校の予備校化”とともに“大学の就職予備校化”が問題になっているが、自分自身の問題としてこれを捉え、大学・学問・就職・人生などを自分なりに真剣に考えなければならない。また、社会に生きていくためには、誰も政治問題を避けて通るわけにはいかない。この場合にも、しっかりとした自分の思想や信念に基づいた主体性のある意見を持つことが必要となってくる。情報過多の世の中で人に惑わされることなく自分で判断することがいかに困難で重要であるかを、新聞一つ満足に理解し判断し、批判・評価する能力を持っていない自分に気付いて、初めて思い知らされるだろう。そこで、学生時代に何をするべきなのかが問題になってくる。学生の特権は数多くあるが、その中でも時間の蓄積が可能である点に注目して、自己の内にある可能性を能力にまでもっていくことが重要であると思う。例えば「倫社・政経」を受験科目にしたある人の話だが、「入試で点は取れなかったが、新聞を見る目が肥えたと思うし、興味や関心が以前とは断然差がある。」とのことだった。この人にとって、社会に生きていくために、弱い人間である自分を保護する一つの強力な武器、手段となったように感じられたのだろう。このように自分が進んで判断の資料を多く持とうとする態度が大切であると思う。日記や読書(特に自伝・伝記類)−−古本屋を利用するといい−−テレビ・ラジオ・映画など、そのチャンスは、身近な周辺にいくらでもあるものである。人との真剣な対話や討論も欠くことはできない。貪欲な知識欲や向学心がこれらを解決するだろう。

 

我々は、人に動かされない自分をもち、人間疎外の現代社会に埋没されないだけの人間形成をし、人間性を失わずに真の人間らしい生活をしていくために、「人生いかに生きるべきか」「真理とは」という根本命題を常に念頭において、自分をもっと一個の人間として大事にして生きていこうではないか・・・・。

 

                           人生は一度だけである−−−。