まちづくり県民大学 第四十一回 一九九九年九月一八日(土) 鹿児島市加治屋町公民館

 

  新ガイドラインと鹿児島

             -地域から平和を考える-

               

                           鹿児島大学法文学部 木村 朗(きむら あきら)

      

はじめに ー自己紹介と日本の今日的状況ー

 

    湾岸戦争と日本の「国際貢献」

 

   日米安保体制の本質と「九州・沖縄から問う平和戦略」

 

   新ガイドラインと鹿児島ーこれまでの平和運動の経験からー

 

     討 論

 

 

 

 はじめに ー自己紹介と日本の今日的状況ー

 

 こんにちわ。鹿児島大学の木村です。ご紹介いただきましたように国際関係論というのをやってますけれども、平和研究と言いますか、教育のほうでも平和学を担当するようになりましたし、自主ゼミで「平和問題ゼミナール」もやっています。二年くらい前から非核神戸方式の鹿児島への導入を求める意見広告の会とか、今年三月に発足した「かごしま平和ネットワーク」の事務局メンバ−などの形で市民・平和活動にも参加しています。今日は、最初に日本をめぐる最近の内外の状況を押さえて、それから新ガイドラインと九州・沖縄、そして我々がそれに対して何ができるかということなどをお話できたらと思っています。

 国内状況からいけば、第一四五通常国会で事実上の自自公連立で相次ぐ一連の危機管理法案と言われるような周辺事態法、国旗国歌法案、盗聴法、住民基本台帳の改正などの法案が成立しています。また、有事法制化の動きや教育基本法の改正、憲法改正の動きなども表面化していて、今私たちのいる状況は「新しい戦前」だというような共通認識になっているのではないかという気がします。

 一 湾岸戦争と日本の「国際貢献」

 

 日本が今のような状況になった背景や経緯を世界との絡みで少し考えてみたいと思います。冷戦終結後の世界は、一時期は国連を中心とした民主的な平和的な秩序ができるのではないかという楽観論があったのですが、現実には世界各地で起こる民族地域紛争の頻発や「唯一の超大国}となったアメリカの単独主義的武力介入主義が顕著になり、非常に不安定な実状がはっきりしてきていると思います。「米ソ二極支配構造」から「米国一極支配構造」への転換という言い方もされていますが、それは必ずしも正確ではないと思います。

 とりわけ軍事力で突出している米国の国力は一九四五年から一九五0年代末までが世界最強最大でした。それ以後はヨーロッパや日本の復興もあって相対的にアメリカの国力は低下しつつある中で冷戦終結を迎え、長期的にはその流れの中で新たなるアメリカの世界戦略が打ち立てられようとしている、ということだと思います。

 その方向性が最初にはっきり出たのが、一九九0年前後の湾岸危機・戦争だったと思います。あの時期に出されたブッシュ政権による「新世界秩序構想」の中身から、国家中心・軍事力中心・抑止力重視で「力による平和」を志向するという基本的な性格・体質は変わっていませんが、脅威の対象を旧ソ連や旧社会主義圏から、地域的な「覇権国家」・「ならず者国家」・「テロ国家」へと、つまりあらゆる不安定要因を抑止するという方向へ大きく転換したと言えるでしょう。

 また変化の方向で言えば、アメリカの国力低下に伴う同盟国の役割分担、責任分担、財政分担を重視する。湾岸戦争というのは、アメリカが唯一戦費を自分でまかなうことができなかった戦争です。先走って言えばNATOの五十周年での新戦略や日米安保の新ガイドライン・周辺事態法も軍事的役割分担の流れの中で出てきているものだろうと思います。

 もうひとつは「国連の権威」の積極的な活用で、湾岸戦争の時にフル活用されたわけですが、その後も国連との短い蜜月期間にはなされていました。

 しかし一方で、七0年末からのアメリカの国連軽視の傾向もあって、分担金の支払い停滞や拒否は現在も続いていますし、安保理常任理事国のロシアや中国の反対がある場合には敢えて安保理決議を必要としない形で軍事介入を行うということが、まさにコソボでもやられた。国連を使えるときには使うけれども、使えない場合には単独でもやるというのは変わっていないところです。ま、国連を重視せざるを得ないというのは冷戦後の新しい特徴とも言えると思います。

 そうした中で、湾岸戦争の中東やボスニアのバルカン半島問題に忙殺されたこともあって、アジア太平洋地域での軍事同盟の再編を含むアメリカの冷戦後の新しい世界秩序が出てきたのは、九四年の北朝鮮の核開発疑惑問題が契機となった。ようやくアメリカ側が冷戦後の日米安保体制の見直しを本格化したということです。

 アメリカは、冷戦終結に伴う「平和の配当」を求める国民の圧力で、内政重視・軍事予算の削減の中で長期的にはアジア太平洋地域からの米軍撤退の予測が流れ、経済レベルでの日本との摩擦が表面化する。そうした中で日米関係がぎくしゃくしてきます。日米安保に関してはアメリカ側から安保「ただ乗り論」という批判が根拠もなく強く出され、日本側では国内の政治体制の変革に伴って「自主防衛論」というか「多角的な安全保障論」みたいなものも、細川政権のときに設けられた防衛問題懇談会の報告書に見られます。アメリカ離れではないのですが、アメリカを絶対な存在としてすべてを依存する、というのではやっていけないのではないかという動きが出てくる。 こういった日米関係の「ずれ」といいますか「動揺」に危機感を持った、とりわけアメリカ側の官僚、具体的にはジョセフ・ナイという国防次官補がイニシアティブをとる形で安保を機軸とした日米関係の再編に乗り出すことになった。それがホップ・ステップ・ジャンプといわれている「東アジア戦略報告」、「新防衛計画大綱」、「日米安保共同宣言」で、その後の新ガイドライン、周辺事態法につながる。

 日本の内外の動きを別の視点から見れば、湾岸危機・戦争を契機に「国際貢献」、とりわけ軍事的な国際貢献というのが叫ばれて、国内的には「政治改革」というのがセットするような形で言われるようになる。湾岸戦争時の日本の対応の仕方に対する一部の国から、汗も血も流さないで小切手だけを切る、という批判があってそれに答える形で軍事的な国際貢献の方向が模索されるようになるんですが、「国際貢献」・「国際協力」という言葉の実質的な意味合いは「対米貢献」であり「対米協力」であるわけです。「国連協力」という場合も実質的にはそういう意味であるということが日本外交の本質的な性格を表しているものだと思います。

 内なる政治改革、五五年体制見直しの方向性というものも要するに発想は同じで、内外の様々な問題に対して迅速に対応するための強力なリーダーシップの確立ということです。政治改革の最大のねらいは中選挙区制のもとでも過半数割れの長期低落傾向を見せていた自民党の起死回生策としての小選挙区制の導入で、本当の意味での根本的な民主的な政治改革ではなく、選挙改革という矮小化した形でなされます。今、政界再編の過渡期ですが、最終的な方向性は二大政党制というよりも、巨大な与党による一党支配体制の継続につながりつつあるのが今の状況ではないでしょうか。

 国際的な貢献に関しては、当初は国連平和維持活動への協力を全面に打ち出して一度の挫折はありますが、最終的には国際協力法という形で実現します。ここでも公明党が重要な役割を果たしたのは、今の政治状況を考えると象徴的な意味合いを持っているなという気がしています。国内的には九0年代半ば以降、教育現場に於ける自由主義史観の問題、下からの改憲策動といったような新しいナショナリズムの台頭という背景の中で再び「戦後政治の総決算」にもつながるようなさまざまな動きが出てきます。

 次にポスト冷戦型の日米安保体制が作られていく経緯とその特徴、問題点です。具体的には安保再定義の意味はどこにあるかということについては、「冷戦なき冷戦体制の継続」と言うことができようかと思います。アメリカの二一世紀のアジア太平洋戦略へ日本を組み入れるという側面もあります。これは一方で日本の軍事的な貢献、役割を拡大するという面がありますけれども、他方で二一世紀においても日本の軍事力の暴走は許さない、アメリカのコントロールのもとに置くという両方の側面を含んでいるものです。新ガイドラインの特徴は、これまでの「防衛型の安保」つまり安保条約の五条に重点を置いた五条安保から、六条に重点を置いた「攻撃型の安保」への転換です。

 そしてまがりなりにも極東という「地域限定をした安保」から、アジア太平洋、さらには世界といった「地域無限定型の安保」への転換ということも言えると思います。また、アメリカ軍と自衛隊との防衛協力というか軍事協力を中心とした「自衛隊安保」から、民間の経済・技術力など日本の国力すべてを動員した形での「総動員安保」への転換。さらに、事前協議制のいっそうの形骸化、アメリカへの従属のさらなる強化といった問題が出てきます。これにつながる形で、その後の新ガイドライン関連三法の動きも具体的に出てくるわけです。

 そして先ほどから出ています国連への協力を通じた日本の軍事的貢献と、日米安保を通じた自衛隊の役割拡大が重なる。つまり、地球規模での国連協力と日米安保のグローバル化の一体化というのが前面に出てきます。これは別の言葉で言えば、国連の掲げる「集団安全保障」と、軍事同盟の本質である「集団的自衛権」という考え方の、意図的な混同がなされることになります。こうしたポスト冷戦型の安保体制と平和憲法体制の矛盾が、一挙に表面化してきているのが今の状況であろうと思います。さまざまな問題点がありますが、三点を確認しておく必要があると思います。 

 @国民不在・議会不関与の形で現行安保の実質的改定がなされた。最低限での議会の関与はなされましたけれども、本質的な側面は変わってないと思います。

 A日米安保の事実上のNATO化と集団的自衛権に基づく軍事ブロック化。集団的自衛権を事実上行使するような体制が作られつつある。いっそう憲法との矛盾が拡大した。

 B今後さらに強まるであろうさまざまな有事法制化による、基本的人権や地方自治や議会制民主主義の制限がいっそう進むであろう。

 とりわけ最近の国会で通った一連の危機管理法案というものはこういった矛盾をさらに顕在化させるものでした。一九四七ー八年以降の逆コースですね。昨日も深夜、テレビを見てましたら三鷹事件のことをやってましたが、現在とも通じる本質的な権力のねらいというものがよく出ていて怖いような気がしました。

 以上、今までのところは前置きです。これから少し具体的に「新ガイドラインと九州・沖縄、鹿児島」ということで地域からの問題として考えてみたいと思います。

 

 二 日米安保体制の本質と「九州・沖縄から問う平和戦略」

 

 日米安保体制の本質というのを最初に掲げていますけれども、在日米軍基地の規模や組織や任務を具体的に見ても、日本防衛を主たる任務として米軍が駐留しているわけではないのは明らかです。これまでの安保体制でいえば、六条安保、極東有事に於ける基地の自由使用に重点を置いて在日米軍は存在している。アメリカ議会では、アメリカ国民向けに、税金の無駄遣いを許さない、日本側の「安保ただ乗り論」という批判に本音で答えているのが本質を物語っています。

 例えば、一九八二年の上院歳出委員会でカーティス国防次官補の証言が新聞報道されていましたけれども「在日米軍は日本防衛のためにあるのではない。アメリカの世界戦略、とりわけ西太平洋・インド地域に於ける抑止のために駐留しているのだ」という説明です。

 日米安保体制の本質というのは、周辺諸国からも「日本の独立は本物なのか?」という疑問を提示されてきたように従属的な側面を持っている。しかし五一年に一応独立し、七二年に沖縄ももどり、八0年代以降はGNPが世界の一五%を占める世界第二の経済大国になっても一方的に「従属」しているのは信じられない。これは強制というよりも自ら進んで受け入れているというので、矛盾した言い方ですけれども「自発的な従属的同盟」と呼んでいます。

 このような従属性というのは日米地位協定の個々の条項とか具体的な事例で考えていく必要もあるかと思いますが、「全土基地方式」ひとつをとってもアメリカと同盟を結んでいる他の国々との関係、とくに同じ敗戦国のドイツと比べても従属性は際だっている。その原因は、「敗戦」・「占領」・「冷戦」という要因、さらに経済大国になったのちの在外資産、輸送輸入ルートの保護などを全面的にアメリカに依存し、経済的にはアメリカの市場に大きく依存しているということで、今あるものをすべて軍事力で守り維持するというのは日本単独では不可能なので、独立をある程度犠牲にしても自分たちの安全と繁栄を図るという歴代自民党政府の思考が背景にあって、その性格が続いているということだろうと思います。

 この従属性を言うときによく言われるのが、日米安保体制の「片務性」という問題で、日本は集団的自衛権を行使できませんし、アメリカ本土やハワイ・グアムが攻撃されたからといって共同防衛する能力も義務もない。旧安保ではそれが明確ではなかったけれど、六0年の安保改定によって米軍は日本防衛義務も持っているというのでその片務性が強調されがちです。

 しかしアメリカは世界戦略の一環である「前方展開戦略」に基づいて世界的規模、とりわけアジア太平洋地域での国益を守るために日本を最前線化するこの日米安保、しかも七0年代後半からは巨大な思いやり予算を付けられての日米安保のあり方というのは、収支では遙かにアメリカ側にプラスで、実は「アメリカ側のただ乗り」という本質もあると僕は思っていますので、片務性の考え方というのは必ずしも当たっていないんじゃないかという気がします。

  冷戦後に日米安保の本質的役割が、対ソ抑止から地域紛争対処型になったことに伴い、従来、横須賀や三沢・北海道などの東日本に重点を置いていたのが、明らかに朝鮮半島有事や台湾有事をにらんだ九州・沖縄地域に重点が移っているということは指摘できると思います。

 沖縄・佐世保・岩国の在日米軍基地ではいろんな形で基地機能の強化や施設の拡充などが矢継ぎ早にやられています。九四年以降、九州・沖縄地区に於ける日米共同訓練、米軍機・米軍艦船の民間空港・港湾の利用、九州上空を訓練ルートとした低空飛行の活発化で、九州・沖縄地域が重視されているのは間違いないことだと思います。 鹿児島や宮崎などの南九州も、沖縄・佐世保・岩国の中間地点という地理的条件と、保守的な県民性とかで軍事利用の戦略的価値があるというので比重が高まっている。たとえば米軍機の民間空港利用の比率は、長崎・福岡・奄美空港が全国の上位三位でこれだけで七二%位の比重を占めているということが指摘できます。鹿児島について言えば、港の軍事利用は九州では突出しているんですが、全国でも三番目か四番目です。

 こういった状況を受けて、我々はどのように対処していけばいいのかということです。「九州・沖縄から問う平和戦略」あるいは「平和のためのガイドライン」ということでまず一番重要なのは、日米安保の軍事力中心の発想からの転換です。これまでの軍事力中心、国家中心の安全保障の考え方から、非軍事的・総合的あるいは「人間の安全保障」へというような新しい思考をとる必要がある。

 よく「国の防衛」という言い方をしますが、何を守るのかをはっきりさせる必要がある。領土を守るとか、戦前なら国体の護持といって政治体制を維持するということが前面に出てきていましたけれども、現在でも政府が提起している安全保障の考え方というのは、守るものは国家体制であり、手段は軍事力に依るという発想が非常に強いと思います。それでは再び危機、戦争が起こった場合に軍隊は国民のほうを向かずに、国民を犠牲にしても一部のものの利益のためには政治目的に奉仕するということになりかねない。だから、平時からそういう発想を転換する必要があると思います。 国家レベルでは今非常に保守的・右傾化といわれるような法案が次々と通る状況がありますけれども、必ずしも一般国民の支持を得ているとは思えませんので、国会とか中央の動きにとらわれずに、もっと広く国民全体・地域に目を向けて対抗する方向性を打ち出す必要があろうかと思います。地域と民衆の視点から「脱国家」・「脱軍事」を、というのが自分の言いたいところであって、次の四点を確認しておきたいと思います。

 @情報開示の徹底化の重要性。

 これはあらゆる問題の前提となるものです。通信傍受法案が通りましたけれども、あの最大のねらいは「マスコミの統制」だと思います。暴力団対策というのは口実にしか過ぎない。マスコミの統制と市民活動の監視にあることは間違いない。直接的には、すでに敵視するような発言が相次いでいる在日朝鮮人の監視、朝鮮総連の監視、共産党や一部の平和団体、市民団体の監視にねらいがあることは明らかになりつつあると思います。神奈川県警の相次ぐ不祥事でも情報の閉鎖性が表面化していますし、オンブズマン活動によっても情報開示の重要性と必要性が明確化していますが、すべての問題に関わってくると思います。

 A国益優先ではなく住民生活を重視する視点を。

  というとちょっと誤解を招くかも知れませんが、政府が考えているような「国益」というのは必ずしも国民全体にとって利益になるような国益とは思われません。国家中心・体制中心といった発想から出てくる国益で、それを優先する。周辺事態法に関連して言えば、軍事力優先・米軍優先といった発想ではなくて、地域住民の生活や安全を重視するという視点をうち立てることが重要になってくると思います。

 B自治体による平和外交。 

 C民間交流、民際外交の必要性。

 国内的な取り組み、つまり「非核自治体宣言」とか「非核神戸方式」の導入とかもありますし、広島・長崎などがやっている原水爆禁止や核軍縮・核廃絶への取り組みもそうです。さらに民間レベルでのさまざまな活動の必要性、その意義はますます高まってきていると思います。具体的には、地雷廃絶運動で果たしたNGOの役割は画期的なものだったと思います。日本でも「難民を助ける会」など一部の平和NGOが大きな役割を果たしましたし、核軍縮・核廃絶問題では今年夏の「東京フォーラム」などでもNGOが大きな発言力・影響力を持って一定の成果をあげるに至っていると思います。

 

 三 新ガイドラインと鹿児島

      ーこれまでの平和運動の経験からー

 

 以上のことを押さえた上で、ここ鹿児島での動きを振り返ってみたいと思います。先程も述べたように鹿児島の軍事的な利用価値は重視されるようになって、さまざまな軍事利用がすでに既成事実化されています。鹿児島港は九州でもっとも米軍艦船の軍事利用がなされて「準軍港化」のような動きがありますし、昨年十一月に霧島演習場で初めて行われたアメリカ海兵隊との日米共同訓練も恒常化する動きがあります。  さらに、奄美空港や鹿児島空港、海上自衛隊の鹿屋航空基地なども周辺有事の際に活用される可能性が非常に大きいということで、戦争動員のための準備態勢は着々と進みつつあると言わざるを得ない。それに対して自分たちに何ができるかということで、いろいろな取り組みがなされていますので一部ご紹介します。

 『自治研鹿児島』一九九九年春季号に、霧島での日米共同軍事訓練をめぐる動きや「錦江湾・鹿児島の海の非核化を目指す意見広告の会」というのができた報告などを載せました。

 「かごしま平和ネットワーク」の最初の取り組みは「平和問題ゼミナール」のホームページにも資料としてすべて載せています。この辺の問題を少しざっくばらんに話したいと思います。

 鹿児島でも非核自治体宣言運動は、「非核の政府の会」とか原水協、平和運動センターなどさまざまなところでこれまでも県議会・市議会・県知事・市長に対する働きかけをやられてきたと思います。「非核神戸方式」というのはご存じのように七五年以降、神戸市の市議会決議を根拠として神戸市の市長が米軍艦船入港に際して「非核証明書」の提出を求めて、それがなければ入港を差し控えてもらうように働きかけるというものです。七五年までベトナム戦争で活用されていた神戸港、新ガイドラインに関連しても活用する港の一つとして米軍から挙げられている神戸港で、焦点となっているものです。地域の側から安全保障にも取り組めるんだという象徴となってきました。

 「非核三原則」の空洞化とか「事前協議制」の空洞化と言われてきたのですが、本来ならば国がやるべきことを自治体レベルでやろうとしたもので、国の安全保障政策を否定するものではないということで、九四年以降、他の自治体にもそれに倣う動きが出ています。とりわけ九七年九月の新ガイドライン策定以降は、高知県や函館・鹿児島などでも少しずつ具体化の動きが出てきているということです。

 「錦江湾の非核化をめざす会」は、ここで司会をやっていただいている平井さんや研究者・弁護士・医者という十六人で発足して、学者・文化人の会ではあまり積極的な意義は持ってなかったと思うんですが、県内では既存の組織や団体が必ずしも統一歩調をとらずにこういう問題に取り組んできたということで、真ん中にこういうものがあれば一緒にやれるんではないかと。

 また、意見広告は鹿児島では違う問題ではなされたことはありますけれども、戦争と平和の問題では具体的にはなかったということで、それなりの意義はあったと思われます。僕自身は福岡で「福岡県非核宣言を実現する会」に院生時代に入ってまして、トマホーク反対の意見広告をしたという経験もありました。今回は非核の政府の会の事務局長をやっておられる鹿大教育学部の川原先生などが非常に積極的で、また「非核神戸方式を鹿児島にも」というシンポジウムも何度か開かれていて、会の発足後三ヶ月足らずの取り組みで二八五万の募金が集まり、南日本新聞に半面、朝日新聞に三分の二面の広告を実現することができました。

 途中経過を言えば、新聞掲載の費用をもう少し低めに見積もっていたのがあとから高くなったり、募金がそんなに集まるのかと危ぶまれた時期もあったのですが、最後の方で両方の既存の組織からの協力、一般市民からの協力もありまして実現できました。二度、三度と延期もしましたが、新ガイドラインに関連した動き、霧島での日米共同訓練や鹿児島港への米軍艦船寄港の問題も重なって、時期的には良いタイミングで出すことができたのではないかという気がしています。既存の組織の協力をブリッジ型で初めてできたという点では大きな意味があったと思います。鹿児島ではもちろん、平和運動センターなどのほうが数は大きくてこういう募金とか署名では大きな力を発揮するんですが、原水協、平和委員会の方の数とか額は少なかったんですけれども活動は積極的に動いていただいてそれなりの成果があがりました。

 この活動については、十六人の呼びかけ人から始まりましたが、実質的に会議に集まっていただけるのは半数ぐらいで、その中で実働していただけるのがまた半数というので活動自体は難しかったんです。ただ年長者の方が多くて、それぞれいろんな団体の役員を兼ねてる方が多かったのでその団体に協力を求めるには効果的だったという感じです。

 新聞社との折衝などでいろいろトラブルもありました。当初は南日本新聞だけに載せる予定で、掲載の方法も、上部の三の二に僕らの広告、その下に一般広告が載るという形で了解が取れたと思っていたにもかかわらず、逆の位置になっていた。あるいは、背景が鮮明に写らないという問題もあって交渉をした結果、料金の一割返還ということになり、そのお金と残っていた費用で別に朝日新聞の三分の一面広告を鮮明な形で載せることができたんです。読者層も違うのでその分多くの県民に知らせることができたと思います。ただ、頭でっかちの組織でしたし、女性の参加協力を求めるという姿勢が乏しいなどの問題もあったかなという気がしています。

 また要望書を県知事・県議会議長宛に出したり、三月の県議会に陳情書も出しましたがこれは不採択となり、今日まで具体化するには至っていないんですけれども神戸方式の重要性はまだまだ取り組むだけの意義があるので、より強い拘束力を持った形での条例化が必要だと思っています。平和問題ゼミナールのホームページにも載ってますけれども、「かごしま平和ネットワーク」は県議選の立候補者に対する公開質問状を出したり、新ガイドラインを考えるシンポジウム、NATOとかコソボの問題でのシンポジウム、盗聴法、日の丸君が代問題を考えるシンポジウムもやってきました。十人から二十人の小さな市民グループではありますが、一人ひとりが個性的で宗教者もおられて頼もしいメンバーですが、今後どのような形で継続していくことができるのかが関心事であり、課題ともなっています。

 今は新しい懸案として人工島問題の県民投票の会に協力しようというので、昨日も中間集約に行って来ました。県民の関心も高くて、街頭でも協力者がどんどん署名してくれている。人工島問題は環境問題、財政問題、軍事問題などあって、僕などは軍事利用の問題に関心があるんですけれども、今の時期にああいう形で住民投票条例の署名が法定得票数の十倍以上集まっても、実際に議会を動かし知事を動かして人工島の白紙撤回を勝ち取ることができるかというと、厳しい状況だなという気がします。ただ、保守的で官尊民卑ではないけれども、お上が強いと言われている鹿児島においてもこういう取りくみがなされることの意義は大きいと思います。

 周辺事態法に関連しては、内閣安全保障・危機管理室から出された解説書が、自治体にすでに配られて具体的な協力の準備態勢も取られ始めているというので、中身の情報公開と対応のあり方を我々のほうから問いただしていく試みもやらないといけない。これは今検討中であります。ただ、動きがまだ鈍いというか危機意識があまり強くないというのは残念ながらあるので、いかに共通の関心を持つことができるようにするかというのが問われている気がします。

 ほかにもありますけれども、もう時間も超えていますのでこれで報告を終わらせていただきます。

 

 

  討 論

 

 平井 ありがとうございました。平和をめぐる現在の状況と、鹿児島での取り組みをお話していただきましたが、何か質問などがありましたら遠慮なくどうぞ。

 

 種子田 第二次世界大戦で、日本と同じようにドイツも敗れましたよね。ドイツの場合は今NATO中心というか、かなり強い立場でアメリカと対等にやっているような気がするんですけれど、それはドイツが軍を持っていたせいなのか、それとも結局白人同士だからであって、日本は有色人種で差別があって従属的にならざるを得ないのか。そういう差別感情があってアメリカの態度がそういう風に出てくるのか。ヨーロッパと日本でアメリカとの関係にどうしてこんなに違いがあるのかお聞きしたい。

 

 木村 日独はよく比較されるんですが、アメリカとの関係でいえば日本よりもドイツのほうが、より主体性を持って対応できているのは事実だと思います。それがなぜかという原因については、一つはNATOと日米安保体制の違いですね。NATOは多国間の軍事ブロックですからアメリカがすべて決めるということではなくて多国間の合意の中で決めていくので、ドイツの意見が尊重される度合いが強い。日本の場合二国間ですから力関係の差がそのまま反映して従属になりがちです。コソボの問題を見ても明らかなように、NATOでもアメリカの指導性は突出したものがあってイギリスでさえアメリカに従属せざるを得ないというのが現実で、「アメリカの言いなりになるな」というのがNATO十九ヶ国の隠れた合言葉だったそうです。中国大使館の空爆事件も、NATO軍の作戦とは別にアメリカが隠密裏に単独で本国からB2スティルス機を出撃させて爆撃したのであって、あとから知らされた同盟国の将軍達は憤懣やるかたない状態だったと聞いています。多国間か二国間かというの大きいと思います。

 もう一つは、ドイツにアメリカ以外の友好国づくりができているという現実ですね。一番大事だったのはフランスとの関係。独仏関係というのは二度の世界大戦でやり合った最悪の関係だったんですけれども、第二次大戦後は独仏友好を機軸にヨーロッパ統合に歩んで来た。隣接諸国やかつて侵略した国との関係を、徹底的にドイツ側が真摯な謝罪・反省で立て直す努力をしてアメリカ以外に友好国を持っている強みですよね。日本はアメリカ以外にほとんど真摯に頼れる、話ができる相手を持っていない。故に依存がより強まるという側面があると思います。

 三番目に、今言われたような人種的要因がないかというと、僕はやはりあると思います。それは、アメリカがヨーロッパで対等に認める国がイギリス、ドイツ、フランスをはじめいろいろあって多国間関係を求めるわけですけれども、アジアで対等に認める国は、今ちょっと敵対している中国しかないんです。ほとんどを自分たちより下と見るような傾向がありますし、原爆投下の問題を未だにあのような形で言い切るアメリカの姿勢の背後に人種差別的な偏見を見いだすのは難しいことではないと思います。

 

 久保 昨夜、アメリカの第二次大戦以降の対北朝鮮政策を緩和するというニュースを聞いたんですけれども、これはアメリカが朝鮮半島情勢を武力なしで解決しようとする布石と考えてよろしいのでしょうか。

 

 木村 ペリー報告というのは韓国の太陽政策を後押しし、アメリカのこれまでの「抑止と対話」路線をより対話の方に重点を置く協調主義的路線への転換ということで、僕は積極的に評価してもいいんじゃないかと思っています。アメリカ議会とか一部の日本からの反発が出ていますが、明確な政策転換が行われつつあるんじゃないかという意味では歓迎しています。アメリカは最悪の場合に備えての軍事的な対応を怠りなくやりつつあるのは変わっていないですけど。九四年にも朝鮮半島危機が語られアメリカの先制攻撃の可能性も言われていて、あの当時それを押さえたのは韓国側の断固たる反対の意志表明と日本の準備不足という二つの要因だという見方も出てますが、今の段階では日本の協力をある程度当てにできるように変わった。ただ、韓国の姿勢は一貫している。そうした中で、今回のペリーの転換に対しては日本のタカ派の人から「なまぬるい」という強い批判が出てきているんですけれども、アメリカがイラクやユーゴに対して簡単にやったような軍事介入ができないというのは、米軍地上部隊を派遣しており、核施設やミサイル施設の先制攻撃だけで戦争が終わるとは考えていないからで、それをやってしまえば北朝鮮の反撃で第二次朝鮮戦争に突入せざるを得ない。アメリカが先制攻撃ですべてのミサイルをやっつけられるわけがないので、反撃でたった七十キロしか離れてないソウルが北朝鮮の言う「血の海」になる可能性があって、ソウル市民の命や米軍の犠牲者を考えると敷居がものすごく高い。軍事的な対応をやめたとかアメリカ側から挑発をいっさいしないとは言いきれないと思いますけれども、アメリカが理性を持って、北朝鮮から何らかの形で侵略があったときに力で対応する準備をしながらも、それをしないで済むような方向でやろうと動き始めたという点は歓迎できるということです。それが確固たる方針として確立され次の大統領にそのまま引き継がれるかどうかはまだ疑問です。

 

 芳村 四点あります。最初の二点は木村先生への質問ですけれども、専門の経済情報学というのはどんな学問なのか教えていただきたいのと、八五年・八六年にユーゴに留学されていますが、なぜユーゴだったのかということです。それから次は、平和を語ること自体がどんどんうさん臭くなったり、力無くなっていってしまう現在というのがあるような気がするんです。これは今まで平和運動を担ってきた人たちだけでなく、担わなかった人たちも含めた責任だと思うんだけれども、若い子たちの反応のなさというのは世界的なものなんでしょうか、日本独自のものなんでしょうか。最後に、じゃあこういう状況の中で平和運動をやっていくには語る方法を持たないといけないと思うんですけれども、今やってる人たちにそれが見いだされてないんじゃないか。一方的に繰り言を言いつつ、たとえば船が来るとコブシをあげて、失礼だけど十五分なり運動してそれがマスコミで放送されておしまい、という持続的でないやり方。平和を語るにしても、反対するだけにしか見えない変な迫力のなさを感じるんです。今、平和について必ずコメントを出してらっしゃる木村先生の発信する側としての方向をお聞かせ下さい。

 

 木村 最初の二つですけれど、僕の専門は経済情報ではなくて、大学の改組で教養部がなくなるとき法学科から経済情報学科に移ったんです。法学科は今、法政策学科になってます。大学院は法学専攻で、法律と一緒に政治はやっているんですけど。平井さんの場合は教養部だったのが経済情報になって大学院では僕と一緒に法学専攻で政治をやっているんです。僕の専門というか担当してきたのが国際関係論で、新しく経済情報に移って民族・地域紛争論、共通教育としての平和学を担当するようになりました。共通教育はほかに、平井先生のやっている政治学とかもあります。僕自身としては、何をやってますかと聞かれれば平和学とか平和研究だと言いたいなという感じですね。ユーゴをやっていたらいつの間にかすべて繋がってきたというのが実感です。国連PKOをやってたら安保と繋がるのと同じです。民族問題としてのユーゴをやってたら、民族問題としての沖縄にも繋がったという感じで…。

 ユーゴに八五年から一年十ヶ月足らずいったんですが、なぜユーゴに関心を持つようになったかというのは自主管理・非同盟というユニークな内外政策をとっていて、ソ連とは違った意味で社会のあり方を考えることができる。それと、やはり連邦制と民族問題のあり方もソ連と違って貴重なものを持っているので学ぶべきことの多いユニークな実験をしている国という感じで行ったんです。もうチトーが八0年に亡くなっていてユーゴの中で解体に繋がるような負の状況が出てきている時期でしたけれど、逆に言えばまだ古き良き側面もいっぱい残っていて魅力的な国だったなあと。ところがその後のユーゴというのは経済危機が悪化する中で、民族対立が生じて連邦崩壊、内戦勃発、国連や多国籍軍が投入される事態で、さらにボスニア・コソボにつながっているということで、世界の耳目は非同盟・自主管理のユーゴは知らずに民族対立の激しいひどい国で、イラクなんかと同じのセルビア憎しというか悪しというようなイメージで捉えられているのは寂しい限りであります。けれどもマイナス面とプラス面両方で、内政と外交が全部つながるような形でやれるという意味でユーゴをやってるのは自分としては良かったなあと思っています。

 三番目と四番目は重なっていると思いますが、若者の反応のなさっていうのは確かに感じることは多いですけれども、若い人全般ではなくて、僕の平和問題ゼミなどに参加してくれる学生などはそれなりに関心の高い学生が多いです。最初から関心を持ってるわけではないけれど、潜在的なものは持っている。なぜ一般的に市民運動とか平和運動に元気がなくなってきているか、若い人の関心が無くなっているかというと、それは社会がまがりなりにも安定して「豊かさ」の中で現状維持志向が非常に強くなっていて、個人主義的な身近な問題にのみ関心が奪われる。人間関係もだんだん希薄になってインターネットやゲームのみで、人と接しない子供も増えつつあるし、夢が持てない状況があるのかも知れない。それから目に見える形での危機があまり感じられない。いいものも見えないし、悪いものも見えない。判断がしにくくなっているとことがあるんじゃないかなあと思います。そういった状況に対して、どこから突破口を開けばいいのか、旧来型の平和市民運動ではなかなか難しいんじゃないかというのは、僕もその通りだと思います。

 だけど、従来型をすべて捨てるということに糸口があるとは思わないんですよね。従来型のものを見直す必要はあると思いますが、それはそれでやって、別の複数の選択肢のある形での多様な発信ができるようになって、役割分担ができればいいと思うんです。既存の大きな組織や団体はそれなりに、個人や小さな市民団体は違う形でやればいい。ただ、バラバラに勝手に役割分担をやるよりも、期せずして連携が取れるような努力を双方がやっていけばいいんじゃないかと。非常に抽象的ですけれど。

 インターネットというのは、僕は二年前に学生から教えられてちょっとだけ始めてみたんですけど、あれも使い方次第ですね。自己満足になったり振り回されたりもあると思いますけれど、いろんな可能性は秘めていると思います。地域を越え、人とか団体を越えて交流、情報交換、経験の蓄積ができるという意味ではおもしろいものだと思っています。

 

 芳村 何ヶ月前だったか、小林よしのりの戦争論を「朝まで生テレビ」が取り上げた時につい見ちゃったんですね。ショックだったのは話の中身よりも、若い子百人にアンケートをとって七割か八割の子たちが憲法九条は改憲すべきだと、同時に六割以上が戦争も決して否定はしない。その肯定の中身は、家族や国を守るためには戦うべきだということで簡単に結論が出てしまっている。それを私の母親に伝えましたら、もう感情的に怒ってました。「戦争を知らないからそんなことを簡単に言ってしまう」と。おばあちゃんたちの平和論っていうのがもしあるとしたら、体験的な平和論だと思うんですね。これに拮抗するものを僕らが今まで作ってこなかったし提示してこなかったんだな、というのをあの学生たちの反応にすごく感じたんです。

 僕ら自身も、例えば今、人工島の署名がありますけれども、街頭に立ったとき一番反応していたのは六十代・七十代の人たちですよ。若い子たちは圧倒的に少ない。もっと少ないのが三十代・四十代です。目に見える危機、見えない危機という話があったんですけど、「朝まで生テレビ」を見ていて危ないなと思ったのは、目に見える危機に対する反発力をなくしているんじゃないかということ。西田橋・高麗橋はああいった形で運動になりましたが、あれも主体は五十代・六十代・七十代です。二十代・三十代は最後まで主力にならなかった。基本的な反発力をなくしているんじゃないか、とすると、体験させられない以上は私たちがどう伝えるかという話です。

 失礼を承知で申し上げますけど、先ほどの世界情勢やこれまでの日米安保体制などのいろいろな国際情勢の判断では、動く力にならないんですよ。冷静な分析は必要だとは思いますけれど、人を動かす力になり得るものがないんです。アジるってことではなくて。例えば、衛星放送で「冷戦」という企画をやってます。すごく中身が濃いのでずっと見てますが、この間のアメリカの中南米政策、ああいう映像の力と現実の僕らの平和ボケと言われてしまう軽さ、このギャップがどうしても埋められないんですよ。あれを見たときに、少なくない人が自分たちは何かできるんじゃないかと思うんだけれども、毎日の生活を振り返ったとき、さて何をしたらいいんだろうとなってしまう。そういう具体的なものが提示されていかないと現実の薄さはどうしようもない…、どうも質問にならないですね。

 つまり木村さんの回答は、ちょっとずれてしまう気がしたんです。目に見える見えないではない、何かもう本質的に生きてないんじゃないの、という気がしちゃうんですよ。これは世界的なものじゃないと思うんです。アメリカなど裕福なところでもある程度保守化はあるだろうけれども、自分の存在意義を持っているように見えるんです。隣の芝生かも知れないけれど。ひるがえって日本の貧しいところ、豊かなところに共通した浮遊感を感じちゃう。鹿児島でも東京でも。もちろん説明のつくことではないんだけれども。もし思われるところがあれば…。

 

 平井 かなり難しい質問ですが…。まあ、担い手というか、そもそも日本に担い手がいるかということにもなると思うんですけれども。

 

 木村 それは皆さんに聞きたいぐらいですが…。僕の身近におもしろい人がいて、志田先生と言うんですが、日の丸・君が代に反対の立場でMBCに僕が出たときに、一方では首尾一貫していて教科書的回答としては悪くない、もう一方でやっぱり旧来型の左翼の紋切り調の言い方だねといわれた。小林よしのりの戦争論を批判する本がいろいろ出てます。少しは説得力あるおもしろい形で反論しているのもあるけれども、大部分は活字いっぱいで堅い形でやっていて、戦争論ほどには読まれないだろうというのは最初の形式を見ただけでもわかる。そこをどういうふうにするのかというと、理性で世界情勢を論理的に客観的に認識するだけではダメだというのはその通りだと思います。ただ、それもないといけないとも思うんです。もう一つは個人の生き方として、おまえはどうなんだということを向こうにも感じさせるようなものがあればいいということです。「かごしま平和ネットワーク」で、高橋さんという人も一緒にやってくれているんですけれども、この方などそちらから入るんです。そちらから入って社会につなげた方が説得力があるなあと、彼からいい刺激を頂いてますが、なかなか自分のスタイルとしてうまく消化しきれていない。ただ、個人的な感性のレベルから入っていくと、社会的理性的な認識の所まで行かないで、個人レベルで終わってしまうという弱点があるので、両方の強みをうまく発揮できる形でやれたら、表面的には無関心な人も目を向ける可能性が出て来るんじゃないかなと思うんですけれど。

 

 平井 どの分野でも、どうやったら人々が関心を持つのかという共通の悩みがあると思うんですが…。若者のことが出ましたから、司会ではありますが私の経験を一つだけ。日本もそうですけど、世界的にもそうなのかなと思ったことがあります。というのは、韓国からの留学生がいて、さぞ日韓関係とか戦争責任とかに興味があるだろうと思ったんですが、全くないというか、父親などは特に昔のことを知ってるし政治や社会のことにも関心があって自分もずっとこの状態ではいけないと思うけれども、今のところはあまり関心がないということでした。ま、韓国の若者にもいろいろいると思うんですけれど、やっぱりあそこも高度成長を遂げて政治的社会的無関心な若者というのは日本だけではない、という感じはしますね。関心を持つきっかけがどこにどういうふうにあるのか。今の芳村さんの話を聞くと、個人的な感想ですが、日本ではそのきっかけすらなかなかないんじゃないかという危機感を持つ必要があると思いますね。

  東ティモールの関係で、平和維持部隊を出さなきゃいけないという話がこの間ありましたが、これからもそういったことが出てくると思うんです。そういう時に、今の事態を収拾するためには平和維持部隊を即出すべきだと。じゃあ日本の国際貢献という中で、どう対応するか。かなりの装備を持った自衛隊があるんだから、自衛隊を出すべきだという声がどんどん大きくなるんじゃないか、という気がするわけです。PKOの問題とPKFの問題がありますが、すぐPKFという形で軍事的な集団として平和維持軍に関わっていくことが必要に迫られる時代に入ってくるだろうと思うんです。そうした時に僕らの選択というのがどうなるのか、それと憲法の問題が関わってきて、小林よしのりの考えかたも多分自衛隊を軍隊として認めていく、そういうことに積極的に関わっていく『正しい戦争』という言い方は結構受けると思うんですね。そういった中で僕らが、軍隊とどう向かい合うかということを考えていかないといけないと思うんですが、憲法九条という平和憲法の理念がどういうふうに関わりを持ってくるのか、どういうふうに考えたらいいのか。地域から平和を考えるというときに当然そういった問題は出てくると思うんですけれども、それについて僕らはどういう理論的なものを持っていけばいいのか、どうお考えですか。

 木村 いつも議論する時になかなかそこまでいかないんですよ。旧来型の平和を唱える側は、そこまではいると相手側の土俵になるのでそういったことは考えなくてもいい、という言い方をされたりして僕もとまどった経験があるんです。県高教組の平和部会でそういう経験をしました。ただ、平和憲法九条をどうするか、自衛隊と安保も現実にある中でどうするかというのは、安保条約を廃棄した後の日本の防衛のあり方、安全保障のあり方も含めて考える必要があるということです。平和憲法に徹するならば、安保条約は廃棄して自衛隊も非武装にまでして、アジア太平洋地域に新しい地域版の国連、多角的安全保障機構をつくる。同時に国連をもうちょっと民主化して、安全保障体制を強化する。その国連とアジア太平洋地域の多角的安全保障機構によって、日本の安全保障も含めたアジア太平洋地域の安全保障をやっていくんだというので一貫しようと思えばできると思うんです。けれどもアジア太平洋地域で何かが起こったときに、国連が出てくる前に地域の平和維持軍みたいなのが出るとすると日本はそれにいっさい関わらなくて、日本で何かあった時にはそのお世話になる、それでいいのかという言いかたが出て来るんですね。それに対しては、紛争の根本的解決というのは未然防止から原因の除去という違った形での関わりかたができるので、そういったものに人的金銭的貢献も含めて徹底的にやっておけば説得力は持つだろうとは思うんです。この選択肢を捨てて平和憲法を尊重している、と口だけで言うのはできないと思うんですよね。ただこの選択を徹底するというのは、国内的にも国際的にも非常に根気がいりますし、困難だとは思います。

 もう一つの選択肢というのは、安保条約の代わりにアジア太平洋地域の新しい安全保証機構の構築を急ぐ。例えば沖縄が出してる二0一五年までに安保条約を解消して在日米軍基地はすべてなくする。肥大化しすぎた自衛隊については縮小してほんとの意味での最小限の軽武装を保つ、わかりやすくいえば、三分の一にまで減らして三分の一は民間になってもらう。残り三分の一は、国内及び国際的な緊急援助、災害部隊も含めて、国連PKOとかアジア太平洋地域のPKO等にも参加するという形でリンクさせながら自衛隊を縮小する。この二つの選択肢でどうするべきかというのは、徹底的に考えて提起する必要があると思います。

 

 平井 いろいろシナリオがあるというのはわかるんですけど、具体的に今出てる東ティモールで住民投票をやってその意志が尊重されない形で紛争化して、そこに国連平和維持軍がやって来るということに対してはどう考えたらいいのか、ここに焦点を絞ってお願いします。

 

 木村 国連の介入の必要性というのは、今回の具体的な例でいえば平和維持軍は派遣すべきだという結論になりますよ。ただ、それに日本が直接的にどうやって関わるかというのは、政府でさえ平和五原則があってPKF参加凍結解除されてないからできないといってますし、僕もすべきでないと思います。ただ、日本政府が文民警察官の派遣を含めてすべての人的貢献について、安全を最優先するが為にひいた形になっているというのは、ちょっと違うと思うんです。僕は自衛隊とかが行くのは反対ですけれども、何らかの形で貢献できる人的分野についてはやれるところでは協力してもいいと。誰が行くとか具体的なことは困難な面がありますけれど。ただし、事態が一番危険な状態にあるときにやれることは日本には限られているなという感じはしますけれども。その前とか後とかにもうちょっとやるべきことはある。そこで徹底的にやっておけば、紛争の最中に日本がなしえることが限定されても何ら国際社会に引け目を感じることはない。金銭的貢献というのも大きな貢献だと思います。例えば国内のいろんな活動でも、時間のある人は体を提供する、お金のある人はお金を提供する、もののある人はものを提供するといったいろんな貢献があるわけですから。ただ、トータル的にどう見るかという話だと思います。

 

  それはわかるんですよ。しかし現実問題として、こういう状況が東ティモールだけじゃなくてこれから起こってくる可能性が高い中で、自衛隊を持っている日本としての関わり方の問題です。大勢を占めるのがやはり自衛隊を出すべきだという時に、憲法の問題が関わってくる。その時に僕らは有効な反撃を返せないんじゃないかという気がしてるんです。PKFという軍隊の形を取って何かすべきだというほうが遙かに説得力を持って出てきそうなときに、アジア地域の安全保障の問題だけでクリアできるような状況じゃない。では、僕らは自衛隊をどう捉えるかということを真剣に議論する時期に来ているな、と思うんです。軽武装化して行くのか、国連軍の中に入って行くということが俎上に上ってきたときにどうするのか。こういうことが多分近いうちに出てくるなという気がするんです。日本の場合ちゃんとした平和学というのがないわけで、きちんと学問的な平和学を位置づけた上で自衛隊を具体的にどうするかが今問われているような気がするんですけれども。そこまで踏み込んだ議論というのは難しいんですかね。どうなんでしょう。

 

 木村 僕はそうした議論は当然やるべきだと思うけど今まであまりやられてこなかった。しかしそれをやると、続さんのニュアンスも傾いておられるように、現実にある自衛隊をなくせという発想はもう出てこないんですよ。現にある自衛隊を有効活用するためなら、軽武装どころかそれ以上の軍事力を持った上で国連PKOには全面的に協力せよということになりがちで、今の憲法をその方向に変えよということしか出てこない。それは、民主党の横路さんなんかもだんだんそこに引きずられていってるのは今でも見えてますよね。鳩山さんは平和主義に基づく憲法九条の改正とか言っていて、侵略戦争をしようとしてるとは思わないけど、発想としてはそうなんです。「普通の国家」の「普通の軍隊」として自衛隊を扱おうという発想になるわけです。

 アメリカとかイギリスとかが国連PKOに変な形で今参加しているあり方と、今までカナダとかスウェーデンとかの良心的な国が最小限の軍備を持ちながら利害関係もなく参加協力してきたあり方とは全然違うとは思うんです。日本がアメリカ、イギリス型で参加するのはいけないというのは言いやすいんですけれどね。カナダ的な国家を志向してなぜ悪いのかというのに対して説得力を持つのは難しいとは思うんです。しかし、平和憲法に忠実ならばカナダ的なあり方も採るべきではないと僕は思う。それに説得力を持たせるためには、日本が今ODA世界一という、形だけをやってるんじゃなくて、平時から違う形で、根本的な紛争の除去とか本当の意味での南北問題や環境問題の解決とか人的貢献を含めてやってたら、軍事貢献がなくても日本が国際的にも認知されるし、国内的にも誇りを持てるようになると思うんですけれども。それに至るまでのプロセスとして、今が一番困難な時期だと思います。

 

 芳村 続さんが言われたことは、多分平和を語るには具体的な言葉、具体的な方策をきちんと出していかないと、例えば絶えず提示されるのは紛争であったり戦争であったりという超具体的なものなんです。理想としての平和はみんなわかっていても、イラクがクウェートに入ったりしてこれを止めないかんということがでて来ちゃうんですね。東ティモールのことで言うと、七三年にインドネシア軍が入って虐殺があったけれど私の知る限りほとんど報道はなかったんですよ。学生で東京にいたときに、東ティモールから脱出した人が集会をやったんです。これもほとんどマスコミに黙殺されました。彼らがそのころからずっと言っていたのは日本はインドネシアに対して膨大な援助をしていて発言力がある。声を出してくれと言い続けて二十六年です。ニュースステーションでも出てましたけれども、国連のインドネシアに対する非難決議に二十六年間全部日本は反対してます。こういう積み重ねが今戦争という形で平和維持軍を出せという圧力に代わるんであれば本末転倒だと僕は思うけれど。

 さっきの経済情報はおもしろいなと思って…、経済というのはすごくわかりやすいんですよね。例えば軍艦が入るといくらの経済効果があるかということなんですが、おそらく県は将来的には平然と言うでしょう。昭和三十何年かには鹿児島市はアメリカ軍基地の誘致活動をしてます。それは経済的効果のせいです。そういう経済的問題をきちんと出すのが一番わかりやすい言葉だと思うんです。具体的なものに直す作業がこれから基礎的に必要なんじゃないか、軍隊の是非どうこうの時に反論するだけの材料を僕らは持っているだろうかと続きさんは言っているんだと思います。

 

 木村 ですから彼の問いに対しては選択肢は二つあって、それを見つめてこちらからも提起しなければならないというのはそうなんです。ただ、議論で国際社会がどう対応すべきかということと日本がどのように対応すべきかという問題は区別すべきで、それをごちゃ混ぜにしてその論理に乗っちゃうとそのまま引きずられるということです。県高教祖の平和部会に参加してものすごく違和感があったのは、国連PKOを全部否定するんですよ。あれは大国の一部の利益のためにやってるものだと。ボスニアでのやり方には問題があると僕は思いますけれども、PKO活動は変質したと言われている今の段階でもある部分重要な役割を果たしているという評価をしているんです。また自衛隊をどうするかという問題についても、それはもう非武装で行くということだけを決めておけばいいんであって、具体的にどうするとか段階的にどうするということを考える必要はないという発想が出された時にはびっくりしたんです。それでは全然通用しないだろうなと思っているんです。

 

 平井 問題が難しいなと思うのは、一つは芳村さんから出たように戦争体験を僕らが持ってないし、そういう世代がどんどん減っていて小林よしのりの本を読んでいても、あれは体験していない世代だから出てくる表現だし、反論するほうも経験がない。もう一つは既成事実の重さというか、日米安保条約も何十年か続いてきてるし、自衛隊も立派な軍隊と言えるだけの既成事実をつくりあげてきてその重さのなかで、今ごろ住民投票をやっても遅いんじゃないかというような側面が平和運動にもあると思うんです。その現状をどうするかという発想で、四・五年前から世界で国際政治学者が、憲法を変えないで自衛隊の存在を前提としながら侵略戦争に使わずに、なおかつ将来的には軍縮に持っていくような、憲法の下に位置する国家安全保障法のような法律を作ろうという構想をぶち挙げたことがあるんです。そういう発想がここ数年いろんな形で出てきてるし、今の民主党の党首選でそういうレベルの論点はかなり出てると思うんです。

 ただやっぱりそういう議論が先行しても、結局既成事実をそのまま認めて軍事大国化する今の政治力学を見ると、そっちに吸収されるんじゃないかという議論が一方ではあるわけです。そういう問題をどう考えるかということを見ておく必要があるということです。もう一つ、経済の問題から考えるというのは大事だとは思うんですけれども、経済ではフォローできない領域があるというか、例えば沖縄の普天間問題などは経済だけでいくと逆にどうなるのかという点があると思うんです。本土では平和問題を考えるときに経済的な問題を入れた方がいいんじゃないかというのはあるんですが、経済だけでは軍事的な問題は語れないものがあるという気がします。

 

 芳村 霧島の演習の時に、「うちは反対じゃないんです。金がいっぱい下りてきたから」というのがあったんです。

   

 平井 北海道でも、ソ連脅威論が後退していく中で北海道の自衛隊は行革の対象になっています。僕が住んでいた町も、昔は国鉄・自衛隊・役場の三つで地域経済が持っていたんだけど、国鉄がだめになり自衛隊までだめになったら大変だということで社会党も含めて存続要求を出すという事態がここ十年くらいあったんです。

 

 木村 そうそう。

 

 平井 だから経済の論理をどういうふうに考えるかというのは確かに…。

 

 木村 それは重要なんですけれどね、なんて言うのか、それを配慮しすぎてそちらの論理で全部やったんじゃしようがないので、それを見た上でいかに理想に近づけていくかという提起をするしかないと思うんですけど。例えば具体的なレベルで言えば、PKOへの協力だったらいいということを口実にして、空中空輸機を導入しようとしているわけですよ。でもそれはPKOへの協力もできるかもしれないけど、個別的自衛権への行使にもつながって日本の専守防衛を逸脱するわけです。本当はPKOへの協力をしたいが為に買うんじゃなくて、自分たちの対米貢献のためにやろうとしている。要するに一番大事なのはやはり国内政治の民主化というか平和勢力が強くなってコントロールできるようにしないと、安保をなくしたら重武装で核武装に走るかも知れないという懸念は払拭できないし、PKOは正しいからそれに部分的に協力するのはいいと言っていても一挙に走ったりする訳なので、その辺を何とかするには本当に力がないといけないと思うんですね。僕も留保しているところがありますけれども、続さんなんかもどうしたらいいのかと選択に苦渋していると思います。既成事実としての壁も大きい、経済の論理もある、何よりも国民意識の変化もあるということで。その中で憲法の精神や理想をどういうふうに実現するかというのは本当に難しいんですが、突き詰めないといけない問題ではあると思います。

 

 平井 もう議論は一時間以上も続いてますが、まだ一言も発言していない方で何かありますか?

 

 種子田 全く無知ですので教えていただきたいのですが、国連に加盟している国はすべて軍隊を出しているのでしょうか。日本が国連軍に参加しろといわれるのは、その義務があるのですか。それとも日本は何かのしがらみで出さなきゃいけないと責められる立場にあるのですか?

 

 木村 国連加盟国の中で、国連PKOに何らかの形で軍隊を出している国というのは、むしろ少ないと思います。せいぜい五十ヶ国程度だと思います。日本は、国連に加盟するときに国連憲章第七章に規定されているような国連軍が創設された場合にも、憲法の制約上それに直接参加するようなことはできません、というのをわざわざ確認して入ったという経緯がある。安保理の理事国だったらすべて軍事的役割を果たさなければならないかといえば、中国はこれまで平和維持軍に直接軍隊を出したことはありません。インドネシアに今回出そうかという動きがちょっと出たのが初めての大きな変化ですけれど。だから、今安保理改革で日本が常任理事国になるためにもPKOで実績を積んでおかないとなれないとか、軍事的貢献をしないとだめだぞという一部アメリカ議会の脅しとかがありますけれども、そうじゃなくてもなれてるし、中国の事例もありますから百%それが本当ではないです。ただ、圧力としてそういうのはありますね。安保理常任理事国になった場合に軍事貢献なしで済まされるかといえば、それはなかなか厳しい状況ではあると思います。それも絡んでるからPKOはやるべきだという論理がより強くなっている。

 

 種子田 じゃあ、拒絶はできるわけですね。

 

 木村 できると思います。ただ、常任理事国にしていいかというときの票を増やすか減らすかは向こうの受け取り方ですので。日本は核を持たない大国として、核廃絶を常任理事国として訴えて、国連PKOにも直接軍事貢献しないながらも紛争の根本的な解決とか未然防止のためには平時から力を尽くす、という形で常任理事国として恥ずかしくない役割を果たすというのは不可能ではないと思います。

 平井 国連に入っているから軍隊を派遣する、ということはないということと歴史的にも日本はそういうことに関してはガードを堅くして国連に入っているので、本来は出す必要はないということですね。

 

 入来院 アメリカ人というのはどんな考え方をするんでしょうか。(笑い)

 

 木村 それはアメリカ人によるんでしょうけど、自国が攻められた経験というのは日本からのハワイだけですよね。建国以来二百年しか経っていない若い国でありながら、アメリカイコール人類というか世界国家でナンバーワンだという意識がものすごく強い国民で、白黒をはっきりさせたがる傾向が非常に強いと思います。ただバラエティーがあって僕はアメリカ人一般は嫌いじゃない。気質が合ったりする部分もあるんですけど、怖いときには怖いですね。ベローウッドが来たときに単純にカッコイイとかいうのが大半の感想だったんですけど、あれが自分たちに向けられる可能性とか、あれを見ながら沖縄戦でアメリカ軍と戦ったという発想が全然出てこないということが信じられないですね。僕らがアメリカ人がちょっと野蛮なところがあると思っている以上に、アメリカ人は日本人を野蛮だと見ている傾向が今だにあるというのは感じますよね。日本人だけに対してじゃないと思いますけど。特に少数民族とか、アングロサクソン以外がアメリカ人になって、その中のエリートになっている人はより強く出るというのは、アメリカ人じゃなくてもスターリンはグルジア人でありながらロシア人以上にロシア的に専制的だったというのと同じですけれどね。全然答えになってませんが…。(笑い)

 

 平井 いろいろ質問が出ましたけれども、最後に木村さんのほうから何かあれば。

 

 木村 非常にいろいろ考えさせられることが多くて刺激になりました。ありがとうございました。特に、状況がこれほど緊迫しながら人々の意識とか関心が高まっていないというギャップがこれほど大きい中で、発信する側がどういった形でやるべきなのかというのは、表現もそうですし最終的な青写真とか政策も含めてとことん突き詰めて出す必要があるな、というふうに改めて感じました。きょう気づいた点も含めて今後さらに進めて行けたらいいなと思っています。

 平井 ということで本日の県民大学を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。