勝山さんへ
>過去の植民地支配ですが、私はあれを現代の視点から
>否定し、謝罪するべきではないと思います。日本が
>朝鮮半島を植民地化した当時は、強国が弱小国を食い
>あさる、そんな世界でした。そんな中で、朝鮮半島は
>地政学的に日本にとっては生命線でした。あそこを
>敵性国家に押さえられたら、日本の安全は保てませんから。
>このような議論で朝鮮の人達を納得させられるとは、勿論
>考えておりません。彼らからすれば、日本は侵略者でしょう。
>しかし、そうしなければ日本も自国の安全を保ち得なかった
>のも事実です。これをエゴと言ってしまうのは簡単ですが
>自国が明白な脅威に晒されてまで、外国の独立を尊重しろ
>と主張するのもまた困難な事です。人を傷つけるぐらいなら
>自分が死ぬ、このような意見を実際の危険の中で主張できるほど
>人間は強くないように私には思えるのです。
あなたの意見に全く同感です。
現在から過去の断罪はすべきではありません。
あなたのいうように、謝罪すべきではないと思われます。
中国は先の大戦のことを政治的カードとして使っていることは
明らかです。
去年江沢民が来日した際その時の中国側の過去に対してかなり執着しました。
しかしながら先日の小渕首相訪日のときにはそのことはまったく出ませんでした。
なぜでしょう?
ユーゴでの大使館誤爆で対米関係が冷却していたため、対日関係の悪化を避けようと
していたためです。
中国とはある意味狡猾であり、別の言い方をすれば国際政治を理解しているといえるでしょう。
その面は我が国も学ばなければなりません。
少し話は変わりますがよく左の人があの戦争がアジアに対して侵略戦争であったと
一方的に祖先を否定してかかりますが、果てしてそうだったのでしょうか?
このような証言が数多くあります。
>「プラモード元タイ首相は「日本は独立の母である」と感謝した」
>「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母胎を損ねたが、生まれ
>た子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米、英と対等に話ができるのは一体誰の
>お陰であるか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
> 12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れては
> ならない。」
>最高司令官マッカーサー元帥は、昭和25年10月にウェーク島にお
>いてトルーマン大統領と会見して「東京裁判は誤りだった」と告白しました。
>翌26年、米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のため
>であり、即ち侵略戦争ではなかった」と証言したのです。
東京裁判については・・・
>インドのパール判事は国際法上から全被告の無罪を主張し続け、
>オランダのレーリンク判事、フランスのベルナール判事は、裁判の
>進行中から、東京裁判にはいくつもの法的手続き上の、又、南京大
>虐殺のごとき事実認定上の誤りが犯されていることをみてとり、裁
>判終結後にはそれを公然と口にするようになったのです。
また
英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿は・・
>『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正
>しいことを、「私は全然疑わない」と言明し、東京裁判の不公正を
>衝く。
>そして英法曹界重鎮FJPビール氏は・・・
>『野蛮への接近』を著し、「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」云々。
>また英国国際法で有名な W・フリードマン教授は・・・
>国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情
>研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付けた。
>「アメリカのチャールス・ベアート博士歴史学政治学の泰斗
>『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより
>数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表
>し、パール博士の指摘した点を裏ずけた。
> オランダ、フランスにおいても激論が戦わされ、ついに1961年オランダの法律雑誌は東京裁判に関する
>パール博士の論文を連載した。
> ヨーロッパ諸国においてはこのパール判決がビッグニュースとして紙面のトップを飾り大々的にその内
>容が発表され、センセーションを巻き起こした。
>米国、国際政治評論家ラティモア氏は
>「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
> 仏大統領ドゴール氏は
>「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する。」
第三者的な人間やまさに日本と戦っていたマッカーサーまでもが日本が、
どうしても戦わざるを得ない状況にあったことを証言しています。
私はなにも大東亜戦争が聖戦だったというつもりは全くありません。
しかし、歴史を善か悪かで判断することは愚かなことです。
歴史の光と影を見ることは必要です。
戦後の歴史教育は影の部分だけをあまりにも強調し、祖先が必死歩んできた
尊い遺産ともいうべき歴史から学ぶことを忘れています。
私はこれだけははっきりといいたい。
かつてこの国のために祖国を守ろうと戦った靖国神社の英霊を
冒涜することは、決して許すことができない。
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