平和問題ゼミナール
落書き帳

 

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1999年8月10日〜1999年8月12日

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No.1 NAME:◆mkt◆ DATE:[12 Aug 1999 00:49:09]
わたしも田中さんの意見に全くの賛成です。わたしは今回の法制化を「日の丸と君が代に法人格を与えた」という意識で受け止めています。かつての戦争で旗印として使われた日の丸ですが、日の丸自体は何も悪いことはしていない。それを担ぎ上げて戦争を行った人が悪いのです。
それでも嫌だという人は、日の丸に変わる代案を持ってくる必要があります。ただやみくもに反対していても建設的ではないですから。

No.2 NAME:◆つとむ◆ DATE:[11 Aug 1999 22:43:54]
民主主義と平和問題 
真の民主主義とは人間の社会における総ての問題に対して個々の意見の違いを充分に討議したうえ 多数決によって解決することではないかでしょうか。これはひとつの争いです。でもこの方法以外では 個々の意見をまとめることは不可能です。故に民主主義と言うものは数による弱肉強食のルールなのです。このルールの大事なことは 充分に討議を尽くすこと この充分というのは かかわる人全員にその個々の意見を知らせることです。もうひとつ重要なことは決議によって決定したことには、たとえ自分の考えと異なっていてもしたがうこと。これが重要なことです。これはある意味で我慢することです。今問題となっている『日の丸、君が代」問題でもこれは我々が選んだ国会議員が数の力で勝ち取ったものなのです。これが自分の意見に反しているものだったら 次回の選挙で廃案にするような議員に1票投票すればいいのです。ですから日本の将来の方向性を考えたなら我々の持っている1票とは非常に大事なものなのです。民主主義の中で充分に討議することには皆さん関心が強いようですが もうひとつの我慢することにはあまり関心が無いようにおもいます。民主主義もひとつの戦いなのです。負けることもあります。ただこの言葉と数の戦いのなかにも ルールがあると思います。言葉あるいは文字も時には暴力にもなるのです。肉体的苦痛と精神的苦痛を受けることもあるとおもいます。いい例が今回の東芝のホームページの問題です。これからの時代不特性多数の人間が簡単に情報のやり取りが可能になってくるとこのような問題が数多くでてくるでしょう。
ここでこれをふまえて 平和問題を考えてみようと思います。そもそも平和とは争いの無い世界 人々が仲良く暮らせる世の中。こんなものは ありえません。民主主義そのものが 争いなのですから。私は平和の世界ではなく、平和的世界がめざすところではないかと思います。そのなかにはいくつものルールが必要になってくるでしょうし また我慢も必要でしょうし 耐えることも。
No.3 NAME:◇≪「合意不在」のもとに進む、法制化による「日の丸・君が代」の強制と国民を監視・統制する「盗聴法」に強く反対します!−「かごしま平和ネットワーク」緊急アピール≫◇ DATE:[11 Aug 1999 15:02:16]

内閣総理大臣 小渕恵三殿

「日の丸・君が代」を国旗・国歌とする法案が、国民の「合意の不在」のもと衆参両院で強行採決されました。これほど、国民と政治・国会がかけ離れた法案の成立があったでしょうか。そして、盗聴法など組織犯罪対策三法案が、今国会で「自自公」の数を頼んでの強行採決へまっしぐらに突き進んでいます。今国会は、まともな審議をしないまま一連の悪法を一挙に成立させたという点で、まさに歴史に名を残すにちがいありません。

 これまで、政府・文部省は、学習指導要領を根拠に学校現場での「日の丸・君が代」の定着を強要してきました。かつてもまず最初に教育の現場から始まりました。天皇の国として、「日の丸・君が代」のもと近隣諸国へ侵略していった歴史を私たちは持っています。時とともに、こうした歴史の真実から目をそむけ、戦後責任・戦後補償に対する近隣諸国民からの声にも耳を傾けようとしない動きがでてきています。
教育現場に混乱を持ち込んだのはいったい誰だったのでしょうか。法制化はその混乱を本当になくすことになるのでしょうか。「指導」という名の「強制」がまかりとおり、かえって混乱を深めることになるのではないでしょうか。子どもたちの内心の自由は保障すると言いながら、教職員には職務命令違反で対処するという、いつから政府は憲法や教育基本法を超えた存在になったのでしょうか。

そして、新ガイドライン関連法は、日米安保条約ですらこれまで乗り越えなかった集団的自衛権の壁を「後方支援」の名のもとに、いとも簡単に乗り越えてしまいました。わたしたちは、今後、単に戦争に消極的にまきこまれるばかりでなく、戦争に積極的に加担することになったのです。さらに、個人情報(プライバシー)の保護が不十分な環境の中で、全ての国民の電話や携帯電話、FAX、インターネットまでが警察により盗聴される法律の成立に至っては、国民の基本的人権さえ踏みにじられることになります。このような権力による情報統制がいかに危険なものであるかは、戦前の歴史をもちだすまでもなく明らかです。

「合意」のないままに新ガイドライン関連法で国民を統制し、「日の丸・君が代」の強制により「天皇の名」のもとに国民を統合しようとする今の動きに対して、国内外の人々とともに「日本国憲法第9条にあるような、政府が戦争をすることを禁止する合意」を各国政府に働きかけることを協力、協同のもとにすすめることを呼びかけます。

 そして、「平和教育を世界のあらゆる学校で必修科目とすべきである」とするハーグの国際市民平和会議での平和アピールを実践することこそ、国際社会の一員として生きる誇りを日本国民一人一人が持つことになると考えます。
 
「合意不在」のもとに進む「日の丸・君が代」法制化、国民を統制する「盗聴法」に断固反対します!
1999年8月11日
「かごしま平和ネットワーク」事務局担当:続 博治(рO995−63−1700)、布田 秀治(рO99−254−3051)、木村 朗(рO99−285−7654)
「かごしま平和ネットワーク」は、地域にあって一人ひとりの平和への思いを集めて活動するグループです。
No.4 NAME:◆田中拓治◆ DATE:[11 Aug 1999 13:07:37]
初めまして。皆様の熱のこもった議論を拝聴させていただいている社会人です。
日の丸・君が代法案に関してのご意見が載っておりましたので興味深く読ませて
いただきました。

>歌いたくないと意志を持つ生徒の信条を「それは間違いだ!」と踏みにじり、
>半ば暴力的に指導するのが普通になるのは火を見るより明らかです。
>今後、教師の質は大きく変っていくでしょうね。

1.
今回の法案には生徒への義務規定などは一切入っておりません。
「歌いたくない」と考えれば歌わなくても良いのです。
「そんな事言っても、歌わなければ『非国民』扱いされるじゃないか」
というご意見もあるかもしれませんが、それは本法案とは無関係だと
思います。逆に「反戦」を唱えなければ「非国民」、あるいは「逆
コース」とレッテルを貼られる場合もありますので。
「レッテル貼り」は日の丸とは無関係な問題ですね。

2.
国会での賛成票が70%以上だったのは、世論調査で70%以上の国民が日の丸
・君が代に賛成を示しているのとよく一致しています。
従って今回の法案成立は国民の考えを非常に正確に反映したものと言えるのでは
ないでしょうか?
もし万が一、「原発廃棄法案」が国会の70%の賛成を得て成立したならば、
マスコミはそろって「国民の大多数の意見が反映された」と手放しでお祝いをす
るのでは?国民の7割、国会の7割が賛成する法案のどこがいけないのでしょうか?

3.
上記世論調査の結果と、実際の教育現場での実体があまりにもかけ離れている
事こそが問題なのではないでしょうか?なぜ公立高校の大多数で日の丸・君が
代が掲げられ、歌われないのでしょうか?不思議です。
その意味で、教職員の方々に対して「常識を守りなさいよ」といったレベルでの
義務規定があってもおかしくはないとおもいます。

、国なんて、私にとっては単に住んでいる地域に過ぎません。それは間違った考え
なのですか?>賛成派

他の危険な国に住んだ事がないと「単に住んでいる」事のありがたさが分からない
のかも知れませんね。単に住まわせるだけで国がどれだけのコストを払っている
のか、、。(

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Composed by Katsuyoshi Kawano ( heiwa@ops.dti.ne.jp )