平和問題ゼミナール
平和問題ゼミナールのご紹介
Last Update : 12:20 98/03/31

平和ゼミとは

 文責:千知岩正継

 4月に発足した「平和問題ゼミナール」ではこれまでに、沖縄問題、旧ユーゴの民族問題および日中戦争と南京大虐殺について報告・討論を行ってきました。ゼミでの報告・討論を通して多くの人から多様な意見を聞くことができる場として、「平和問題ゼミナール」はとても充実していると思います。また、本ゼミナールの参加者は鹿大生を中心に、鹿経大生、社会人と幅広く、これからもより多くの人が参加してくれることを心待ちにしています。最後に、「平和問題」というと何か難しく、堅苦しそうなイメージがあるかもしれませんが、一回限りの参加でも結構ですので、「平和問題」に興味のある方は気軽に参加してみてください。

 

平和とは何か

 

 「平和」という語をその意味を深く考えることなく当たり前のごとく使っている日常で、あらたまって「平和とは何か」とか「真の平和とはどういうことか」等の質問を与えられて、すぐさま「平和とは×××××である」とか「真の平和とは△△△という状態である」といった具合に、まるで数学の方程式に答えるかのように明確な答えを提示できる人はいないだろう。たとえ、たっぷりと時間をかけて慎重に考えたあげく答えを捻り出したとしても、それらの答えは人によって千差万別であるだろし、「それが答えだ!」というような決定的な答えは存在しないだろう。そういうわけで、「明日の午前10時ぐらいまでに、平和について何か書いて持って来て」と先生から言われても、非常に困る訳だ。

 そこで以上の問いかけに対し、とりあえず「平和=戦争の無い状態」(消極的平和)という方程式の答えのような、単純な答えないし平和観を提示したい―なんとなくこの平和観が世間一般で広く受け入れられているような気がするのだが。こうした平和観に基づいて考えると、例えば戦後の日本は平和だと言えるのではないか―確かに日米安保体制の下で間接的に種々の地域紛争に関わっているので、完全に戦争に加担していないとはいえないが。しかし他方で、地下鉄サリン事件、神戸の小学生殺害事件―最近では容疑者の中学生は真犯人ではないとの主張も広く聞かれる―、女子高生による銀行強盗、増加し続ける自殺者等の事実を突き付けられて、「戦争に巻き込まれていないという意味では日本は平和だといえるかもしれないが、より広い意味で平和を考えた時に、つまり平和を社会の平穏と考えるとすれば、今の日本社会は平和なのか」と問い詰められると、「はい、平和です」とは答えられないだろう。つまり、「平和=戦争の無い状態」(消極的平和)という単純な見方では「平和」を十分に捉えきれないのである。


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(C)1997-1998,Kimura Peace Seminar(Katsuyoshi Kawano)