〈第一回平和問題ゼミナール〉
沖縄問題を考える
T
なぜ今、沖縄か?2.沖縄がたどってきた歴史
(1)琉球王国成立〜島津氏の侵攻
(□
7C 『隋書』東夷伝に「琉球国」が登場。ただしかし、これには台湾説、沖縄説、折衷説等があり、まだ決着がついていない。)
→「琉球」という文字が使用されるのはこの辺りから。
□
1470年 第二尚氏王朝成立→薩摩軍侵入までを「古琉球」、その侵入以後を「近世琉球」と区別して呼ぶ。
(
2)廃藩置県〜琉球処分→
450年に及んだ琉球王国の崩壊。(
3)太平洋戦争の開始〜沖縄戦※この項目に関しては、前回(
1997.2.28)行われた平和問題プレゼミナール「沖縄戦を考える」において柳原先生の報告された内容とほぼ重複するので、そちらの方を参照して、まとめる程度にとどめたいと思います。※この項目に関しては、Vの部分で報告します。
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月21日の県民総決起集会に代表される、巨大な運動が、単に偶発的な凶悪事件に対する感情の爆発によるものであったならば、ここまでは大きくならない。↓
やはり、ここまでの発展の事由には、沖縄がこれまで辿ってきた歴史によるところが大きい。
↓
だとしたら、沖縄がこれまで経験してきた歴史についてしっかりと認識をした上で、一連の沖縄問題について考えることが必要である。
U
沖縄戦の跡をたどる(ゼミ旅行から)
V 戦後の沖縄
@対共産圏の防波堤
「中国大陸への道筋として、ロシアの拡張主義に対抗する拠点として、沖縄を“保護領”その他の名目で排他的に支配することが不可欠である。」
(1945年4月、バックナー中将)
2、米国の施政権下時代
@マッカーサーの反共防壁政策
a,
日本の再軍備b,
日本独立後の日本における米軍基地使用c,
沖縄の日本からの分離と軍事的単独支配A沖縄が担った特別の役割→核兵器の持ち込みと戦闘作戦行動の自由の保障
→日本、韓国、台湾、フィリピンの米軍基地との
一体化した機能の確保
(
2)銃剣とブルドーザーによる土地確保1、旧安保締結
この法律により、米軍支配下で公用地(軍用地)として使用されていた土地は、土地所有者の意思に関わりなく
↓
反戦地主による契約拒否
↓
米軍用地特別措置法発動
a,
伊江島のハリアー演習場の北部訓練場内に建設される予定だったハリアー・パッド
↓
住民の強い反対にあう。
↓
伊江島において計画を実行
→この時、伊江島における建設の重要な実行要素となったのが、基地周辺整
備費であった(実際伊江島では、農業用水ダム建設など農業基盤整備事業が
行われた)。
b,
のP3C送信基地(!これは自衛隊基地のケース)W
沖縄から見た日米安保条約1.在沖米軍の概況
日本全体に約4万5千人が駐留
1,地域紛争の即時投入戦力
2,海兵隊による犯罪数の多さ
1945
〜1990年までの間に約4700件もの事件が、米兵によって行われた(内殺人事件は12件)(2)空軍(
7252/15200人)(3)陸軍(
875/1900人)2、安保再定義は何のためか
(2)思いやり予算
・「思いやりが根拠だ」(金丸信防衛庁長官、ベトナム戦争当時)
・軍用地料、補償費から新規の施設建設まで
・在日米軍の「安上がり」駐留に日本政府が貢献
(3)瓶のふた論
1,「在日米軍は“瓶のふた”(
ー・スタックポール将軍)
2,安保撤廃→軍備最強化→核武装
「朝鮮半島統一は米国のアジア太平洋地域に対する軍事的な関与のレベルに大きな変化はもたらさない」(4月5日、コーエン米国防長官)
基地との共生を求めた「宝珠山発言」
〜戦略上の要地にはどうしても防衛施設、軍事基地というものは欠かせない。これは好むと好まざるとに関わらず、国家の要請として存在するとわたしは思っている。
この変えることのできない条件を踏まえて逆にいうと、基地を提供するという非常に優れた位置にあるということでもあるので、これをプラスに転じ、基地を受け入れることによって、基地と共生、共存する方向に変化してほしい。
→「これ以上沖縄を甘やかすな」「沖縄がまた騒いでいる」
→自民党幹部や閣僚の本音
X
特措法改正からみる今後の沖縄1米軍駐留軍用地特別措置法
※資料参照のうえ、ここでは進めていきます。
2特措法改正から見えるもの
Y
最後に(総括としてのコメント)1限度を超えた「犠牲」
2安保優先はやむを得ないのか
3抜本的基地整理・縮小策の必要性
4「二重の差別構造」