「慰安婦」問題を考える視点
平和問題ゼミナール 1997.10.24 報告者:疋田京子
1、「慰安婦」問題に対する日本政府の対応
「事実認識」の変化
1990.6. 6 労働省職業安定局長「民間業者が軍とともに連れ歩いたもの」
1991.12.6 加藤官房長官「政府の関与を否定」
1992.1.13 加藤官房長官談話「かつての日本軍の関与は否定できない」
1.17 宮沢首相が盧大統領に「従軍慰安婦」問題に対して公式謝罪
「補償については訴訟の結果を待つ」
7. 6 政府の直接関与は認めるが、「強制連行の事実は否定」
1993.8. 4 「官憲の募集への直接関与」、募集・移送・管理全般にわたり
「本人たちの意志に反するものだった」ことを認める
河野洋平官房長官「お詫びと反省の気持ち」
「お詫び」の具体策をめぐって
1994.7.17 「補償問題は決着済み。例外を認めると歯止めがなくなる」
8.31 「個人補償は行わない」「幅広い国民参加の道を探究」村山首相談話
12.7 個人補償せず、「民間基金」構想で進めることを確定
1995.7.19 「女性のためのアジア平和国民基金」の発足
1996.8.14 フィリピンの元慰安婦3人に対して支給を強行開始
2、「国民基金」の支給がもたらしたもの
ビデオ『従軍慰安婦への償いはどうあるべきか?』
ETV特集 問われる戦後50年と日本(1995.12)
・「国家の責任を曖昧にする」「国家の責任を民間に肩代わりさせるもの」
・「慰安婦は哀れみの対象ではない」「民族的自尊心を傷つけるもの」
……寄金を受け取るべきか否かをめぐり、フィリピンの支援団体分裂
……韓国で基金を受け取った元「慰安婦」が支援団体から「二度も金で売られた奴隷」と厳しく非難される
☆「国民基金」支給の現実
・被害者への権力的な対応
被害者の存在が確認されているインドネシア、中国、マレーシア、朝鮮民主主義人民共和国、ビルマ(ミャンマー)に属する人々を無視した支給計画
……フィリピン、韓国、台湾の約300人に限って支給(受け取りは97年8月現在、韓国、フィリピンの28人のみ)
・元慰安婦らの態度を硬化させる政府の対応
首相の「おわびの手紙」…「謝罪」よりも[国家賠償は解決済み」という政府方針を明確にすることを優先
閣僚の靖国神社参拝、奥野・板垣発言が野放しにされる政治状況
3、「新しい歴史教科書をつくる会」が提起した問題
ナショナリズムと大国意識への渇望
・「新しい歴史教科書をつくる会」の主張の論点
1)慰安婦の「強制連行」を裏付ける実証史料はない
……被害者の「証言」に信憑性はない
……軍の関与は衛生面や秩序維持の必要性からのもの
2)当時の出来事は当時の歴史的な文脈で理解すべきである
……当時は公娼性が存在し、人身売買的な例もあったが合法だった
3)性の暗黒面を中学生に教えるべきではない
……性知識の不完全な時期に、教育的配慮を欠くし、混乱が起きる
4)国民的プライドの回復
……日本時だけが好色、淫乱、愚劣な国民であるかのような印象を与え、子どもたちが日本人であることにプライドをもてなくなる
ナショナリズムと大国意識に対抗しうるか
★「慰安婦」問題の新局面(『戦争責任研究 1997年秋号』上杉さとし)
1)広義「強制」犯罪性の確定
・93年8月に軍の強制を認めた河野談話の核心が、狭い意味の強制にこだわらず「総体としての強制」の部分だったことを河野自身が認めた(3月31日 『朝日』慰安婦特集)
・「だまし」による国外移送が犯罪として、当時の国内法(刑法)が認められていたという事実 (8月6日 『毎日新聞 大阪版』)
2)立法運動の開始
・教科書記述削除の地方議会決議をもとめる運動は全体として失敗
・国会内部で、日本の戦争加害全般についての調査会を設置する法案の検討
・「純粋の暫定的措置」として被害者に国が直接お金を支払う案が、今年に入って法案の形式を取り始めたこと
☆私たちは「国民国家を越える視点」を持ち得たか?(上野千鶴子「記憶の政治学」 『インパクション』103号)
「新しい教科書をつくる会」の言説に対する反論も、基礎的な歴史観・国民観を共有している
・歴史的事実は誰が見ても同じに見えるような単純なものか?
……「被害者」の「証言」とそれがもたらしたパラダイム転換
(「被害者女性の恥」から「加害者男性の性犯罪」へ)
歴史は新しく作り直された。「だれにとっての歴史か」という問いの不在
・フェミニズムはナショナリズムを越えられるか?
……日本人「慰安婦」の沈黙に対する、私たちの「罪」
「誇りのもてる歴史を」・国民国家と自己同一化のわな
国籍を越え「私に加えられた暴力だ」と痛みを共有する「わたしたち」という集団
的同一性がどうやって構成されるかという問い