<自主ゼミ>平和問題ゼミナール・レジュメ<憲法とガイドライン>

平成9年12月13日(土)

新ガイドラインと憲法を考える

−憲法学の視点から「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)改定問題を見る−

 

報告者:河 野 克 純(憲法学)

(鹿児島大学大学院法学研究科M1年)

はじめに

 新ガイドラインを中心テーマにした報告は、今回で3回目になります。11月に、中島君が「冷戦終了後の日米安保体制を考える」というタイトルで、新ガイドライン改定の背景や意義、問題点につき、包括的にまとめられた詳しい報告をしていただきました。前回のゼミでは、千知岩君が「国連、国際貢献」の関連から新ガイドラインの問題を報告していただきました。その流れを受けて、今回私は、自分の専攻の憲法学、とりわけ日本の「平和憲法」の観点から、新ガイドラインと憲法との問題点を中心に報告していきたいと思います。

 

  1. 日本国憲法の「平和主義」―ちょっとした「そもそも論」―

 この「平和主義」というのは、「国民主権」「基本的人権の尊重」と並んで、日本国憲法の基本原理(柱)のひとつであり、最大の特徴でもある。

 そこで、日本国憲法前文、日本国憲法第9条をもう一度読み直してみましょう。

 現実の日本の姿(自衛隊、安保、政府の外交政策など)と照らしあわせたとき、何か感じませんか?

前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ

第2章 戦争放棄・第9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(下線強調は筆者、以下同じ)

 ここで、前文で述べた「平和主義」を、第9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)で具体化している。特に、9条の戦争放棄については、「国際紛争を解決する手段として」をめぐり、侵略戦争のみを放棄したとする説と、自衛戦争を含むすべての戦争を放棄したものとする説の対立があるが、いずれにせよ、2項で戦力不保持をはっきりと述べていることから、世界にも類を見ない徹底した平和主義に立っているもの評価できる。

 また、前文で「平和のうちに生存する権利」、いわゆる平和的生存権が述べられているが、これについても学説上、実定的権利説(たとえば、表現の自由などのような具体的に裁判で争える権利)と理念的権利説(抽象的なもので、具体的には争えない。通説)との対立があるが、平和を人権の問題と位置づけている憲法の趣旨からしても、何らかの形で「平和的生存権」が認められるもの考えられ、こちらも憲法9条がその最小限の内容を具体化したものと見る学説脚注1も有力である。(ここでは、それらの学説の対立に深入りすることは避ける。)

 

<政府解釈の要点>

 ところで、自衛隊脚注2との関わりで、第9条について、様々な解釈があることは周知の事実である。

 ここでは、以下の議論をすすめるに当たって必要な限りで、日米安保共同宣言以前の第9条に関する政府解釈の要点を紹介するにとどめる。歴代内閣による第9条に関する答弁中、安保「再定義」と新ガイドライン決定との関連で問題となるものは以下の諸点である脚注3

    1. 国家固有の自衛権脚注4は否定されない。
    2. 集団的自衛権脚注5は、憲法上認められない。
    3. 憲法が保持を禁じる「戦力」とは、「自衛のため必要な(最小)限度を超えるもの」をいう。
    4. 在日米軍は、憲法の禁じる「戦力」ではない。
    5. 「海外派兵」は憲法上許されない。
    6. 後方支援は、武力行使や集団的自衛権の行使に当たるものは許されない。

 

  1. 安保再定義と新ガイドライン策定

(日本の再軍備や、安保条約締結などの現在までの歴史的流れ・背景については中島報告をご覧ください。)

 ここで、まず、現行の日米安全保障条約(1960年)について見ていく。

<法的構造>

    1. 他の類似諸条約が集団的自衛権に基づく双務的条約であるのに対し、安保条約については、アメリカは集団的自衛権に基づき、日本は個別的自衛権に基づいて締結する変則的、非対称的な条約であること。
    2. 以上から、日本に対する武力攻撃に対して、個別的自衛権に基づく日本と集団的自衛権に基づくアメリカが協力して対処することを主眼としていること。
    3. 日本の防衛に協力するアメリカに対し、同国が極東脚注6の事態に対処するために、その軍隊が日本の施設・区域を使用することを日本が認める形で、変則的・非対称的な形での双務性の実現を図っている。
    4. 付属する取り決めにある、事前協議の制度により、日本が戦争に巻き込まれることを防止する一定の歯止めを講じている。
    5. 「憲法上の規定に従う」など憲法の枠内という限定もある。

 

 その後、冷戦の終結を受けて、安保条約の存在意義が薄まり、必要性への疑問の声が出始めた。そこで、アメリカ政府は日本政府と協力し、安保体制の存続・強化を図って再整備するという安保の「再定義」に乗り出した。この流れの中で、1996年4月に日米安保共同宣言が出された。

 

<日米安保共同宣言の要旨>脚注7

@共同宣言が「変わりつつあるアジア太平洋地域の政治及び安全保障情勢並びに両国間の安全保障面の関係の様々な側面について集中的な検討を行ってきた」結果であること。

A共同宣言で日本側は、「冷戦後の安全保障情勢下で日本の防衛力が適切な役割を果たすべきことを強調する1995年11月策定の新防衛大綱において明記された日本の基本的な防衛政策を確認した」こと。

B「米国が引き続き軍事的プレゼンスを維持することは、アジア太平洋地域の平和と安定の維持のためにも不可欠であること」。

C「日本と米国との間に既に構築されている緊密な協力関係を増進するため、1978年の『日米防衛協力のための指針』の見直しを開始すること」。

D「両国政府が、アジア太平洋地域の安全保障情勢をより平和的で安定的なものとするため、共同でも個別にも努力すること」。

E「朝鮮半島の安定が日米両国にとり極めて重要であることにも留意し、そのために両国が、韓国と緊密に協力」すること。

F「両国政府が平和維持活動や人道的な国際救援活動等を通じ、国際運合その他の国際機関を支援するための協力を強化すること」など。

「安保再定義」の具体化ということで、新ガイドラインが策定されることになった。

そこで1997年9月23日に決定された新ガイドラインについて見ていく。

→建前は、「日本の憲法上の制約の範囲内」、現行安保条約の「基本的な枠組みは変更されない」としているが...脚注8

<新ガイドラインの特徴>−危険性

  1. 防衛型の安保から、「攻撃型」の安保条約へ
  2. (5条安保から、6条安保への変質)

     日本に対する攻撃・侵略に対して日米が協力して対処するということが現行安保条約の主眼であった。そういう意味で、第5条が中心であった脚注9

     再定義後の安保は、アメリカが軍事行動を起こすことに対する、日本の「積極的協力」が中心に脚注10。これは個別的自衛権といえるのか?→限りなく集団的自衛権行使に踏み込もうとしているのでは。逆に、自動的に戦争に巻き込まれるおそれがいっそう強まることに。

     

  3. 地域限定安保から、「地域無限定安保」へ
  4.  それまでのガイドラインでは、極東条項(6条のこと)で、範囲を限定していた。

     今回、共同宣言で導入された「アジア太平洋地域」の概念を基に、極東条項を取り払い、新ガイドラインでは「日本周辺地域」という概念が導入され、安保条約の適用範囲を拡大させた。

     そこで、「日本周辺地域」における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態脚注11)についても、軍事行動を含む共同行動をとることを規定した。

    →明らかに現行安保条約の規定を逸脱したものといえる。

     

  5. 「Noあり」安保から、「Noなし」安保へ
  6. 事前協議条項(条約上の制約:日本のチェック作用)

    「再定義」安保、新ガイドラインは、この事前協議を形骸化する。→自動参戦体制へ。

     

  7. 「自衛隊」安保から、「総動員」安保へ

 単に自衛隊だけの協力だけに止まらず、民間、地方自治体の動員も視野に入れられている。

(協力は、民間が有する能力を適切に用いる...)

 民間空港や港湾設備、鉄道輸送や海上輸送、その他医療関係など、民間を積極的に動員することに。

→広範な後方支援活動により、積極的な軍事協力を引き受けることになり、双務的関係が浮かび上がってきている。

 

  1. 論点(問題点)の指摘

 

  1. 各論点の分析・検討
  2. <新ガイドライン策定の手続的合憲性問題について>−手続面

     今までのところで、多少ふれてきたが、このガイドラインは、日本国憲法の平和主義(9条)のみならず、安保条約までも逸脱する内容で決定され、それは実質的に言えば、安保条約の改定、あるいは新安保条約の締結に近いものであると見ることもできる。また、新ガイドラインによって、自動的に戦争に巻き込まれるおそれが強くなり、また、民間も利用され、国民の生命・財産へ重大な影響を及ぼすおそれがある。

     このように現行の安保条約の重大な改変としての意味を持つ新ガイドラインの策定に対しては、その実質的な意味合いから、これは単なる執行協定とは違うわけで、条約の締結・承認に準じて考えるべきである。憲法73条3号は、条約の締結については国会の承認を経ることを必要とすると明記してある。

    第73条 内閣の職務(4号から7号は省略しました。)

    内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

     1 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

     2 外交関係を処理すること。

     3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする

     それを日米政府の合意のみによって決定し、国会の承認を一切経ることなく確定したことは、手続的に憲法違反と言うべきであろう。

     日本国憲法73条3号は外交に対する民主主義的コントロールという観点から条約の締結権は内閣にあるとしつつも、国会の承認を要するとしている。条約といっても、外国との間の文書による合意であれば、たとえば、協定、協約、議定書、宣言などの名称であってもすべて「条約」にあたり、したがって国会の承認を経る必要がある。ただし、すでに承認された条約の実施細目を定めるもの(いわゆる執行協定)や条約の委任に基づくもの(委任協定)は例外とされる脚注12

     今回の新ガイドラインも、一見すでに承認された安保条約の実施細目を決める執行協定と考えられなくもないが、しかしその内容から判断すれば、実質的な条約改定に近いほどの内容の変更があるので、国会で、あらたな「条約」の承認を経るのが妥当ではないのか?

     

     この問題以外にも、国会無視の点が見られる。内容面について、「周辺事態」における自衛隊の出動を定めているが、その「周辺事態」の認定など、ガイドラインが「調整メカニズム」を規定してはいるが、国会の関与について、全く規定がない。日本が武力行使に荷担し、戦争当事者になるというのに、国権の最高機関である国会の関与がないのははなはだ問題。憲法の要請でもあるシビリアンコントロールにも違背するのではないか。

     

    <集団的自衛権と有事立法に踏み込むことの合憲性>−内容面

     先ほどから何度も出ていますが、新ガイドラインでは、周辺事態における日米軍事協力を具体的に取り決めている。しかし、これによって、日本は、政府自身従来違憲としてきた「集団的自衛権」の行使に踏み込まざるを得ないことは確実だろう。

     周辺事態とは、日本の領域が攻撃を受けた場合以外の事態であることは明らかである。そのような場合における軍事協力を個別的自衛権で説明するのは無理である。地理的範囲も曖昧にされ、アメリカ軍の後方支援として自衛隊をどこまででも派遣できるようになるのではないか?これは確実に憲法に違反している。自衛隊を憲法が認めたとしても、それは個別的自衛権のみであり、集団的自衛権は、専守防衛とはとてもいえないから、憲法9条の規定より違憲としてきた脚注14。この解釈を政府が変えようとしている。どういう理由で、集団的自衛権を合憲というのか楽しみだ。

     ほかにも、自衛隊の海外出動は、自衛の範囲を越えるものとして許されないとされていた脚注15。しかし、こちらは、「国際貢献」の名の下に、PKOなどへの参加としてたびたび海外に派遣され、いつの間にか、なし崩し的に自衛隊の海外出動が一般化されてきたきらいがある。

     

    ※個別の分野を見ていくと...

    <船舶の臨検>

    「船舶の検査及びこれに関連する活動」

     このような活動は、実効性をともなうためには武力行使をともなわざるを得ないことは国際的な常識。しかし、それでは、憲法9条2項「交戦権否認」に違反する。

     

    <機雷の除去>

    「日本周辺の公海における機雷の除去」

     これも、武力行使と見られかねない。しかも、前回の湾岸戦争終結時に派遣されたときと違い、紛争中の機雷除去もあり得るわけで、その場合、紛争相手国が反撃に出るのは容易に予想でき、自衛隊としてもそれに対する装備を備え対抗することになる。

     機雷除去は、このように武力紛争をエスカレートさせる危険性すらもっている。

    <後方支援活動>

     これは、いくら後方支援とはいえ、アメリカ軍の武力行使と不可分一体のものとして行われる以上、広い意味での集団的自衛権の行使に該当すると言わざるを得ない。後方支援活動のどれをとってもそれらがなければ前線における戦闘活動が成り立たない活動であり、紛争相手国から見れば、戦闘活動を不可分一体に見られてもおかしくない。逆に日本も攻撃の対象にされてしまうおそれが出てくる。また憲法9条との関連で、放棄した戦争には、紛争の一方当事国に立った戦争協力行為も含まれるものと解すべきである。

     一応、「一線を画される」という言葉で限定を附してはいるが、しかし、それが戦闘行為と密接不可分な関係であることには変わりない。気休めにもならない限定である。

     

    <邦人輸送>

     これについては、なぜ自衛隊で行かなければならないのか、いつも疑問に思っている。

     現地の政府の同意を得て邦人を救出するのであれば、自衛隊機である必要は全くない。むしろ民間機や海上保安庁の船舶で十分でありその方が安全である。

     

     非戦闘員の保護については、「ジュネーヴ条約追加議定書」(1977)が明確に規定しており、これによって国際法的に保護されている。問題なのは、日本がまだ加盟していないことだ。(すでに130カ国以上が加盟)

     

    <有事立法>

     以上のような後方支援活動を実効的に行っていくために、有事立法の整備が必要となってくる。民間の協力を強制することも考えられる。港湾、空港、鉄道などの確保も大事になってくる。

     ある意味、この新ガイドラインは、有事立法の整備をアメリカに約束した文書ともいえなくもない。先の特措法改正についても、一種の有事立法と見ることができる。

     このように、新ガイドラインは、様々な形で国民の人権の制限・剥奪をともなわざるを得ない内容のものとなっている。

     

  3. まとめ・今後の課題

 このように、憲法に違反する規定を多分に含んだガイドラインは、その直接の大本であるはずの安保条約までも飲み込んで、独自の道を歩みだそうとしている。こうやってみると、ガイドラインが憲法よりも、あるいは安保条約よりも優先されるという、日本の立憲主義が危機に瀕している様がよく現れている。

 また、冷戦が終結した今日、軍事同盟関係を強化しようとするのは、国際的に見ても、時代錯誤である。そもそも、冷戦終結後の今日において、軍事同盟関係の強化を図るという新ガイドラインは、国際的に見てもかなり時代錯誤である。朝鮮半島にしても、中国・台湾にしても現実的には、それほどの脅威はない。というより、安保論者の言うほど、過大に考えすぎるのは問題である。そして、この「戦争マニュアル」とも評される新ガイドラインを策定することは、逆にかえって朝鮮半島や台湾での軍事的緊張を激化させるといえる。また、米軍の積極的な後方支援は、その敵国から見れば、アメリカと同じく日本も同様に敵と見られるのは当然で、このような強力な同盟によって逆に戦争に巻き込まれるおそれの方が強いように思われる。

 今の日本が真剣に取り組むべきことは、新ガイドラインを策定して、日米安保を強化することではなく、アジア太平洋地域の平和的環境をいかに作るかという問題である。そのためにも、沖縄をはじめとして多くの人々に人権を侵害してきた日米安保を解消し、「日米平和友好条約」なるものを作るのもひとつの方法ではないか?

日本の「平和憲法」をアジア太平洋地域でいかす道を追求することこそが、本当の意味でのこの地域における平和と安定を維持することにつながるのではないだろうか?

 

<脚注>

1.浦部法穂著『新版・憲法学教室U』(199610月、日本評論社)119頁、浦田一郎著『現代の平和主義と立憲主義』(1995年2月、日本評論社)120頁など。

2.自衛隊についての政府解釈は、学説の多数説の解釈と同じく、9条について一切の戦力の不保持と解釈しているが、しかし、独立国家に特有の「自衛権」まで放棄しているわけではないから、その「自衛権」を裏付ける「自衛力」(=自衛のために必要な最小限度の実力)の保持は憲法上禁じられていないとして、自衛隊はそれに当たるから、憲法の禁ずる「戦力」には当たらないとしている。

3.浅井基文「憲法の平和主義と安保『再定義』」(『国際学研究』第16号、明治学院大学国際学部、1997.3)参照

4.「自衛権」とは、伝統的には、外国からの急迫・不正の侵害に対して自国を防衛するために「武力」などに訴えることができる権利と解されている。国連憲章51条では、「自衛の固有の権利」とされ、個別的自衛権のほか集団的自衛権まで認めている。(浦部前掲書より)

5.「集団的自衛権」とは、自国に対する直接的な侵害がなくても、自国と同盟・連帯関係にある他国に対する侵害があった場合に、その国を守るために共同して自衛行動をとること。(浦部前掲書より)

6.極東とは、政府の統一見解によると、フィリピン以北で日本の周辺(朝鮮半島、台湾を含む)をさす。

7.古川 純「ガイドライン―新・日米防衛協力の指針について―」(『法学教室』206号2頁、1997年)より。

8.新ガイドラインの『U 基本的な前提及び考え方』において、「日本の憲法上の制約の範囲内」とか現行安保条約の「基本的な枠組みは変更されない」と明記しているが、それらの記述は、明らかに実体と反するとしかいえない。安保条約自体にも、「自国の憲法上の規定及び手続にしたがって」とあるが、こちらにしても日本国憲法のどこを探しても、アメリカと共同して軍事行動をとるための規定などはないから、この文言は単なる枕詞か、「憲法にはかまわず」という意味しか考えられない。

9.このことは、憲法が集団的自衛権を認めておらず、国家固有の自衛権(個別的自衛権)のみを認めていることの反映である。(前掲浅井論文参照。)

10.ただし、6条も、単に基地使用の許可を規定しているだけであって、それ以上の日米の共同軍事行動を許可しているわけでもない。

11.周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものである」と述べている。これは、1面では、台湾問題が含まれるかどうかを曖昧にする意味合いをもつが、それとともに、他面では新ガイドラインの対象となる範囲を極東に限ることなく、広くアジア太平洋地域全域に拡大することを政府が認めたことを意味している。

12.浦部法穂著『新版・憲法学教室U』(199610月、日本評論社)287

13.省略

14.1972年5月12日参議院内閣委員会、真田内閣法制局第1部長

15.1954年6月2日参議院本会議「自衛隊の海外出動をなさざることに関する決議」

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