平和論ゼミ(木村)

1998年1月10日 鹿大附属図書館第31演習室

「アメリカのアジア・太平洋戦略と沖縄」

荒川 譲(法文学部法政策学科)

 

1 冷戦後のアメリカのアジア・太平洋戦略(資料1、2、3、4、5、6)

 

1) 「アジア・太平洋における新しい戦略的枠組み−21世紀に向けて」

(米国防長官報告 1990.4.19 / 92.7 )

「変転する10年が予想されるが、われわれのアジアにおける地域的な関心は過去に追求してきたものと変わりはない。つまり、アメリカを攻撃から守ること、世界的な抑止政策を支えること、政治的、経済的接近の出来る関係を守ること、地域的な覇権の発生を阻止して力の均衡を保つこと、アジア諸国の西側志向を強めること、民主主義と人権を育成すること、核拡散を抑止すること、航海の自由を確保すること、である。アジア戦略の基本要素−つまり、前進配備軍、海外基地、及び二国間安全保障協定−はこれからも妥当であり、地域的な安定を保ち、侵略を抑止し、アメリカの国益を守るのに不可欠のものである。

 

2) 「93年度米国防報告」( 1992.2 )

◎「地域防衛戦略」

防衛計画の重点を、ソ連によるグロ−バルな挑戦に対処することから、重要地域−とくに欧州、南西アジアおよび東アジア−における脅威に対処することに移行

@ 戦略的抑止力と防衛戦力                          

A 前方(海外)プレゼンス−軍事演習や定期的移動、装備事前集積により

一時的海外展開のための基礎づくり

B危機対応戦力

C再構築能力−世界的脅威出現に際しての兵力急増基盤の整備

 

◎「基盤戦力構想」

軍事費の全般的な削減状況の中、平時に維持すべき最小限度の軍備水準を策定すること とし、90年の軍事力を95年までに25%削減することを目標とする。米軍現役兵力 を210万人(89年)から162.6万人(95年)へ

削減率  陸軍=三分の一(師団数18から12へ) 空軍=四分の一

    海軍=艦艇数の五分の一         海兵隊=六分の一

 

3) 「ボトムアップ・レビュ−(積み上げ方式による全般的見直し)」( 1993.9 )

新世界秩序構築過程での米国の安全保障に対する危険への対処能力の整備。「地域的名脅威」については「ほぼ同時に発生する二つの大規模地域紛争(湾岸戦規模)に勝利する戦力」という軍事的対応の維持。

 

@ 核兵器および他の大量破壊兵器による危機

A 地域的な脅威

B 民主主義と自由への危機

C 経済的な危機

4) 日本における米軍プレゼンス(資料7、8、9)

 

(1)米上院歳出委員会公聴会「1983年度国防省歳出」( 1982 )

        (日米安保条約はアメリカの義務のみが規定されている片務条約であり、

        日本の防衛分担をもっと明確にすべきだとの上院議員の主張に対するワ

        インバ−ガ−国防長官の答弁)

「米国は、日本の防衛目的だけのために、いかなる軍隊も日本に維持してはいない。約2万5000人の在日米海兵隊は、第7艦隊の海兵隊であり、西太平洋、インド洋に及ぶ第7艦隊の作戦地域内のどこにでも配備されるものである。その他の在日米軍のほとんどは、東アジアや南西アジアに展開しているわが軍を支えている日本の基地の任務についている。」

「沖縄の海兵隊は、日本の防衛任務には当てられていない。そうではなくて、第7艦隊の即戦海兵隊をなし、第7艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備されるものである。その海兵隊は、現在のところは緊急配備軍(RDF=ペルシャ湾を統括する現在の米中央軍)には編入されていないが、将来はそういうこともありうる。」

 

(2)「戦略的枠組み」( 1990.4 )

        (米国の赤字財政対応、日本・韓国が負うべき責任への要求を考慮して

        国防総省が議会へ提出したもの。正式名称は前出、略称「東アジア戦略

        第1次報告」ともいう。)

米軍はかなりの規模の空軍と海軍の駐留を続けるつもりだが、陸軍と空軍支援部隊−特に沖縄で−の削減はあり得る。日本本土においては、現在の展開状況にはとんど変化は考えられない。三沢の空軍と横須賀の前方展開空母を維持する。

第一段階=1−3年。5−6000人の人員削減(沖縄からの削減の可能性あり)

第二段階=3−5年。同盟諸国がさらなる責任を引き受け、地域の安定が確保されるな

     らば、我々は一層の効率化と削減を行う。

第三段階=5−10年。日本にある米国の抑止能力−母港のある空母、戦略輸送航空機、

     即応態勢にある空軍打撃戦力−は、地域的、世界的任務を遂行し、条約上の

     コミットメントを果たすために引き続き駐留する。

 

(3)「戦略的枠組み(続編)」(1992.7 )(資料10、11)

(「東アジア戦略第2次報告」。第2段階に向けての方針の確認を目的

        としたが、この間の湾岸戦争、ソ連解体、フィリピンからの米軍撤退、

        北朝鮮核開発疑惑等で削減の修正。)

「日本は太平洋におけるアメリカの重要な同盟国であり、アジア・太平洋地域における米前方展開防衛戦略の要石であり続ける。日本列島はアジア大陸の周辺に位置するため、米前方展開部隊に地戦略的に重要な海、空、陸軍基地を提供している。日米安保条約のもと、日本は米軍の軍事作戦と訓練に、安定かつ安全で低コストの環境を提供している。」

 

 

(4)「ボトムアップ・レビュ−」( 1993.9 ) 

「我々は沖縄における海兵遠征部隊(MEF)と陸軍特殊部隊大隊の駐留を続ける。我々は日本に空母インデペンデンス、強襲揚陸艦ベロ−ウッド、それぞれの支援船の母港を有している。日本本土に一個航空団、沖縄に 1/2個航空団を保持する。海軍の第7艦隊も西太平洋ににおける恒常的な哨戒活動を続ける。」

(5)「アジア・太平洋地域に関する米国の安全保障政策」( 1995.2.28 )

        (別称「ナイ・レポ−ト」。世界経済の重要な役割を演じるアジア太平

        洋地域での米国の経済的利益確保には、地域の安定と繁栄の為の米国の

        軍事的プレゼンスが不可欠。特に日本と韓国における米軍プレゼンスを

        重視、今後20年にわたり10万人規模の兵力をアジアに維持。また、

        他国間協力への積極的参加の必要を指摘しながら、米戦略の基本は二国

        間同盟の強化だとする。[ 防衛問題懇談会への牽制と言われる。] 」

「安全保障は酸素に似ている。・・・ 米国の安全保障プレゼンスは、東アジア発展の為の”酸素”提供を支援する役割を果たしてきている。」

「主として韓国、日本に基地を置くアジアの米国の前方展開戦力は、この地域の広範な安定を確実にし、同盟諸国に対する侵略の抑止に役立っていいるほか、地域諸国家の政治・経済の大々的な発展に貢献している。このコミットメントは今日、およそ10万人の米国要員で構成する安定的な前方展開戦力によって継続されており、そしてこの戦力は、米太平洋軍司令部が即座に活用できる完全な能力を持っている。」

「日本は、米国のいかなる同盟国にも増して、米軍受け入れ国としての群を抜く寛大な支援を提供している。日本はまた、われわれの軍事行動・訓練に対して、安定的かつ確実な環境を提供している。」

 

(6) 日米安保共同宣言、新ガイドライン合意(省略)

 

 

 

2 沖縄の米軍基地

 

 1)土地収奪の歴史

 

1944.  日本軍は地主の意志を無視して農地を接収、各地に飛行場等を建設、全島要

    塞化の工事を強行。土地代金は国債または現金(直ちに強制貯蓄)だったが、

    戦後は無価値となる。

1945.6 沖縄戦終結前後に米軍は各地に難民収容所を設置して住民を収容、旧居宅へ

    の移動が認められたのは10月下旬から。その間に民有地も無差別に米軍用

    地として囲い込まれた。米軍は「ハ−グ陸戦法規」に基づく権利として、地

    料を払わず、損害賠償にも応じなかった。

1946.3 米国陸・海軍省の統合戦争計画委員会が、ソ連の潜在的脅威が物質化する前

    に、沖縄に米軍基地を建設する必要性を建議。

1949.5 米政府は沖縄の長期保有を決定、50年度予算に基地建設費5千ドルを計上。

1951. 地主の間に軍用地料を要求する声が高まる。(桑江朝幸元沖縄市長が指導)

1952.4 サンフランシスコ講和条約により沖縄は日本の施政権から切り離され、米軍

   の統治下に残された。4月28日を沖縄では「屈辱の日」と言う。

   11 戦時国際法が失効したので、軍用地使用の新たな法的根拠を得るため、布令

    91号「契約権」を公布、琉球政府と地主が賃貸借契約を結び琉球政府が米

    国に転貸することとしたが、低地代と期限20年に地主が抵抗、失敗した。

1953.4 布令109号「土地収用令」を公布、以降各地で住民の反対と抵抗を「銃剣

     とブルト−ザ−」で排除して、土地を収奪。(例:宜野湾村伊佐浜 54.7 )

   12 布告第26号「軍用地域内における不動産の使用に対する補償」を公布、一

    方的に「黙契」によって賃貸権を与えられたと宣言。

1954.4 立法院が「土地を守る4原則(一括払い反対、適正補償、損害補償、新規接

    収反対)」を決議、米軍はこの要求を無視。

1956.6 四者協議会(行政府、立法院、市町村会、軍用土地連合会)を結成、住民の

    運動と結んで新規接収と地料一括払いに反対して「島ぐるみ闘争」に発展。

1957 米軍は基地の安定維持のため統治方式を転換、協調路線を前面に打ち出す。

1967.11 第二次佐藤・ジョンソン会談の後、米軍のアジア戦略の枠組みの中での「7

    2年返還」への準備作業として日本政府が軍用地地主との賃貸契約に乗り出

    したが難航。

1971.12 「権利と財産を守る軍用地主会(反戦地主会)」結成。

1972.5 沖縄返還と同時に「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(公用地

    法)」施行、賃貸借契約に応じない地主の軍用地を5年間暫定的に強制使用

    するとの内容。適用:62件、4533平方米、地主延べ2941人

1976.10 強制使用の期限切れを前に特別措置法案を提出したが審議未了、通常国会に

    政府案を再提出(77.2)、審議難航して期限切れまでに法律は成立せず、政

    府は未契約軍用地の使用権原を失った。(4日間の法的空白)

1977.5 「沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明

    確化等に関する特別法(地籍明確化法)」(5月18日成立、同日施行)、

付則で基地使用権を引き続き5年間延長を規定。

1980.11 「米軍用地特別措置法(1952.5)」の適用に防衛施設局が踏み切る。沖縄へ

    の適用は初めて、全国的にもおよそ20年ぶりの適用。

1982.4 県収用委員会が5年(一部3年・2年)の強制使用を裁決。

1987.2 「特措法」適用、県収用委員会は20年の使用期限を10年(一部5年)に

    短縮して強制使用を裁決。以降5年毎に同じ手続きが繰り返される。

1995.9 大田知事が2市1村(35地主分)の土地・物件調書への代理署名拒否を言

    明。国の命令を拒否(12.4)、高裁の判決により国が代理署名(96.3.29 )

1996.4 楚辺通信所の一部土地(知花氏分)が期限切れ、国は使用権原を失う。

1996.8 最高裁判決、国側勝訴。

1997.4 「改正・米軍用地特別措置法」成立、国側が強制使用地の使用権原を回復。

 

 

2)米軍基地の現状(資料12、13、14、) 

 

(1)在日米軍基地は「日米安保条約に基づく地位協定」第2条によって次の3種類に区分される。(カッコ内は該当項目)

@ 米軍が管理し、米軍が使用する施設・区域(U1a)

A 米軍が管理し、米軍が使用しない時に日本政府(自衛隊)が共同使用でき

      る施設・区域(U4a)

B 日本政府(自衛隊)が管理し、米軍が一定条件下で共同使用する施設・区域(U4b)

日本領土の0.6%の沖縄県に在日米軍基地の75%が集中していると言われるのは、@の米軍専用施設のことで、全国97施設・3万1798fのうち、沖縄には40施設・2万4000fが集中しているということである。(資料15、16)

(2)講和条約後、沖縄以外(本土)では米軍基地の整理・統合(沖縄への移転を含む)

   が進んだが、沖縄では復帰( 1972 )後15%しか基地面積は減っていない。同期

   間に沖縄以外での58%減と著しい対照をなしている。(資料17)

 

(3)米軍基地の建設・整備に多額の「思いやり予算」が投入されている。1978年度

から96年度までの沖縄での累計は3949億円以上に達する。(資料18、19)

     注:「思いやり予算」=地位協定24条によると、施設・区域の提供に要する経費

     は日本側負担、提供された施設の米軍を維持することに伴う費用は米軍負担と

     されている。しかし、70年に財政困難となった米国は同盟国に負担を要求、

     第380回日米合同委員会( 19771.12 )で日本人基地労働者の労務費の一部

     の日本側負担が決められた。その後、年を追って増大する米軍の要求に、「思

     いやりの立場で」(金丸防衛庁長官)日本政府は対応している。現在、米国政

     府はこれを「責任分担」(Burden Sharing)と「受け入れ国援助」(Host Na-

     tion Support)として定式化している。

 

3)基地被害と反基地闘争(資料20、21)

 

(1)復帰前には1)で述べた以外にも多数のものがある。

  @(1953)伊江島の25fの土地接収で反対住民が武装兵と実力闘争、琉球政府で長

   期間の座り込み、全島での「乞食行進」                   

  A(1955.9)1歳の女児が暴行・殺害された「由美子ちゃん事件」は激しい抗議行動

   に発展した。                               

  B(1959.6)石川市宮森小学校に米軍機が墜落、死者17人、負傷者210人の大惨

   事が生じた。幅広い団体が事故防止を要求する一方、救援活動を展開。高等弁務官

   の約束にもかかわらず補償問題が進展せず、基地被害への抗議・補償要求が強まり、

   後の「復帰協」結成へとつながった。                    

  C(1970.12 )コザ市(沖縄市)で深夜、米兵運転の車が住民に怪我を負わせたこと

   がきっかけで、米憲兵と群衆が対立、米軍車両73台に放火・炎上させた。糸満市

   での主婦轢死事件の米兵が軍事裁判で無罪となった直後で、「糸満市の二の舞を繰

   り返すな」と怒りが爆発したもの。

 

(2)復帰後も米軍の事故、米兵の犯罪は減少せず、演習は激化して基地被害は拡大して

   いる。これに対応して多くの反基地行動が実施されている。

  @キャンプ・ハンセン訓練場にはピストル・ライフル射撃場、砲撃訓練場(自走砲・

   無反動砲)、ジャングル障害物訓練コ−ス等無数の訓練場がある。実弾砲撃演習は

   喜瀬武原周辺の県道104号を封鎖して実施される。生活道路の封鎖という住民生

   活への支障、着弾地恩納岳の自然破壊が問題となる。73年に屋良県政は中止を要

   請したが聞き入れられず、74年2月には演習阻止団体が着弾地に潜入して演習を

   一次阻止、75年は3回の演習を中止させた。爆風による負傷者もでて、76・7

   年には刑事特別法による逮捕者がでるなど、激しい反対行動が展開された。この実

   弾演習は現在県外に分散移転された。                    

   88年には訓練場西部に海兵隊とグリ−ンベレ−が共同利用する都市型戦闘訓練施

   設が新設されたことが明らかになり、重機関銃の実弾演習も激しくなり、村民は激

   しい抵抗運動を組織し、92年には演習中止追い込んだ。           

  A新しい運動形態として、多数の人が手をつないで基地を包囲する「人間の輪」が開

   始された。87年6月21日の嘉手納基地包囲大行動には豪雨の中、県内外から2

   万5千人が結集した。                        

  B本島内3コ−スで2日間の徒歩行進をして5月15日に普天間に結集する沖縄平和

   大行進、6月23日慰霊の日の行事(95年「平和の礎」除幕式)等、節目の日の

   反基地・平和行動は毎年続けられている。

 

(3)「少女暴行事件(95.9)」以後の一連の動き(資料22、23、24、25)

  @95年9月4日、女子小学生が3人の海兵隊員によって自動車で拉致・暴行された

    事件は沖縄県民の積もり積もった基地被害への怒りを爆発させた。       

    「今回の事件も占領意識丸出しの犯罪で許しがたい。日常の軍事訓練で人権を軽

    視しているから、残酷な犯罪を兵器で犯してしまう。綱紀粛正といったものでは

    なく、地位協定そのものを根本的に見直す時期にきている・」(永吉盛元・沖縄

    人権協会事務局長)                           

  A「米軍人による少女暴行事件を糾弾し、地位協定見直しを要求する沖縄県民総決起

   大会」( 1995.10.21 宜野湾市真志喜)には8万5千人が参加、◎米軍人の綱紀粛

   正と犯罪の根絶、◎被害者への謝罪と完全補償、◎日米地位協定の見直し、◎基地

   の整理縮小、の4項目を含む決議を採択、村山首相、河野外相、モンデ−ル駐日米

   大使に申し入れた。同時開催の宮古、八重山両会場に3千人、各県で連帯集会も開

   催された。

  B軍用地契約更改時であったため、大田知事は代理署名を拒否、村山首相による行政

   命令、さらに職務執行命令訴訟が提起された。勝訴した国側は首相が署名を代行、

   敗訴した沖縄県は最高裁に上告した。この経過で契約拒否地主の土地(基地内)の

   強制収用手続きが大幅に遅れ、楚辺通信所の一筆は96年4月から国は使用権原を

   失い、97年5月には多くの土地が同様の状態になる見通しとなった。     

  C米軍と日本政府はこの沖縄の抵抗に危機感を持ち、日米特別行動委員会(SACO)

   を設置して沖縄米軍基地問題の解決策を検討、中間報告を経て96年12月に最終

   報告を発表した。11施設の返還となっているが、一部を除いて県内移設条件付き

   で、新たな問題を生じさせた。

  D96年6月21日、沖縄県議会臨時本会議は「日米地位協定の見直し及び基地の整

   理縮小に関する県民投票条例案」を賛成多数で可決した。これにより9月8日に県

   民投票が実施されることとなった。                     

   8月28日、最高裁大法廷は判決を下した。予想通り県側の前面敗訴であったが、

   その内容について多くの批判が寄せられている。     

9月8日、県民投票が実施され、地位協定見直し・基地縮小の県民意志が示された。

 

有権者  90万9832名

投票者  54万1638名 59.53%

賛成   48万2538票  89.09% 対有権者総数 53% 

 

同時に行われた高校生の模擬投票に3万6139名が参加し、注目された。   

E大田知事はその直後、公告縦覧手続きに応じ、一連の問題に一つの決着をつけた。

この対応の評価については多様の見解がある。

 

 

「米軍用地特別措置法」改正問題(資料26、27)

 

1)国が使用権原を持たない基地内の土地が楚辺通信所以外に97年5月に多数生じる見

  通しとなったので、政府は米軍用地特措法の改正で対応することとした。     

 

2)土地を強制収用する場合、「土地収用法」(昭26.6.9)に従わねばならない。収用・

  使用できる事業(第1章、51種、米軍・自衛隊は含まれない)、収用・使用の手続

  き(第4章)、都道府県毎の収用委員会(第5章)等、諸手続きが全146条に詳細

  に規定されている。憲法第29条(財産権)の精神を具体化するためである。従来の

  米軍用地特措法は第1章の制限をクリアするためのものであった。

 

3)改正特措法は収用委員会の審査・裁決の過程と効力に影響を与える内容が含まれてい

  る。@期日前に裁決申請があれば収用委の手続き未完了でも担保を供託して暫定使用

  可能。A収用委が却下の裁決をしても建設大臣に不服申し立てをしている期間は暫定

  使用可能。B収用法第123条(6月の暫定使用)は適用除外。C既に使用期間切れ

  の米軍用地にも改正法を遡って適用。

 

4)憲法の精神に悖るこの法案は衆院9割・参院8割の多数で可決・成立( 1997.4.17)

  世論も過半数が支持。国家の不名誉(土地の不法占拠)を免れるために国民の基本的

  人権を侵害するもの。米国からも強い要請があった。(安保条約を憲法の上位に置く

  思想)

 

 

4 名護海上ヘリポ−ト建設問題

 

1)経過

1996. 4.12 日米両政府が普天間飛行場前面返還(移設条件つき)を合意

9.17 橋本首相が代替施設として「撤去可能な海上施設」案公表

11.16 久間防衛庁長官が名護市辺野古沖が有力候補地と表明

12. 2 日米特別行動委員会(SACO)最終報告に本島日がし海岸に海上施設

        建設を明記

1997. 1.21 那覇防衛施設局長が事前調査協力を要請、比嘉名護市長拒否

4.18 比嘉市長が調査受け入れを表明( 5.9 事前調査開始) 

8. 1 沖縄県が海中ボ−リング調査を許可

9.16 市民団体が海上基地建設賛否の市民条例制定を有権者の過半数の署名を

        添えて、比嘉市長に直接請求

10. 2 名護市議会が市民投票条例を修正可決

12. 6 村岡官房長官が市長らに沖縄北部振興策を提示

12.11 市民投票告示(投票日は12月21日)

 

2)条例の内容

「賛成・反対」の原案に「環境対策や経済効果が期待出来るので賛成」と「(同前)期

 待できないので反対」を加えて修正、「市長は有効投票の賛否いずれかの過半数の意志

 を尊重する」と規定。

市民団体は異例の四者択一への修正を、利益誘導につながると批判。

 

3)投票日以前の意見・態度(資料28、29)

 

(1)比嘉名護市長(資料30)

「重く受け止め大きな判断材料にする。住民の意志を尊重し将来のいい方向に持って

いく。苦渋の選択になる時もある。」 (以下資料参照)

 

(2)反対派−海上ヘリ基地反対協議会・宮城代表( 12.8 南日本新聞)

地域の活性化につながるとの主張に対して

「基地問題と地域振興策は別問題。市街地歳開発とか・・・・必要ならば行政の責任

でやらなければならない。」 

勝利の基準は

 「投票の50%を超せば勝ち。ただ、(反対多数でも)市長がいろんな解釈をして受

 け入れるおそれもあるので・・・・全有権者の過半数は取りたい。」

 

(3)条件付き賛成派−活性化促進市民の会・新垣会長( 12.8 南日本新聞)

新たな基地建設の容認ではないか

  「『基地反対』は県民の純粋な感情。私も昨年の県民投票では基地整理・縮小に賛成

  した。海上基地の大きさは普天間飛行場の五分のいち・・・現実に基地縮小になる。」

 勝利の基準は

  「一票でも勝てば勝ち。全有権者の過半数を占めるかは関係ない。・・・関心を持っ

  て意見を表明する人の票を尊重すべきだ。」

 

4)市民投票の結果

有権者数=3万8176名  投票者数=3万1477名 投票率=82.45%

 

 得 票 (対有権者)

 賛成 8.28%( 6.71% )  反対 52.59%( 42.57% )

 条件付賛成 37.87%( 30.66% )  条件付反対  1.24%( 1.00% )

  小計 46.16%( 37.37% )   小計    53.83%( 43.58% )

 

5)市民投票実施後の動き

 

(1)比嘉名護市長−投票結果に反して海上基地受け入れ表明(資料

(12.23 支持者との話し合いで)「建設反対派の圧勝だ。市長として判断できない」 

(12.24 首相との会談で)「普天間基地を動かさなくては沖縄の振興はありえない。

・・・住民を賛成・反対に二分させ、苦渋の選択をさせた最高責任者として責任は重く

  受け止め、政治生命は終わらせてもらいたい。」

 

(2)大田沖縄県知事−慎重な対応で意見表明せず(資料

(12.24 首相との会談で)「住民投票の意志を尊重してほしい。・・・もう少し時間を

  かけて県庁内の意見を集約する必要もある。」

 

(3)名護市長選挙日程は2月8日に決定、両派の運動は次の舞台へ

 

6)問題点と今後の課題

 

(1)市民投票に向けての政府の過度の介入(大物政治家の甘言、施設局職員の動員)

(2)市長の「暴挙の決断」の背景(基地と経済の現実)、住民投票の意味への影響

(3)政府の基地受け入れ引換の地域振興策の発想(原発、喜界島「象のオリ」等類例)

(4)県内移設条件付き基地整理・縮小案(SACO)の欺瞞性(安全保障問題全般も)

(5)軍事基地は必要か、日米安保条約・日本の安全保障の在り方の再検討

 

 

 

 

 

参考文献

 

梅林宏道   情報公開法でとらえた在日米軍(1992) 高文研

 

梅林宏道   情報公開法でとらえた沖縄の米軍(1994) 高文研

 

沖縄問題編集委 沖縄から「日本の主権」を問う(1995) リム出版新社

 

派兵チェック  これが米軍への「思いやり予算」だ(1997)

編集委員会 社会評論社

 

安仁屋政昭・他 沖縄はなぜ基地を拒否するか(1996))新日本出版社

 

沖縄県  職務執行拒否裁判での第一準備書面(1995)(上書に採録)

 

軍問研  軍事民論75(米国の新アジア・太平洋戦略)(1994)三一書房

 

岩波ブックレット438  沖縄・読谷村の挑戦(1997)岩波書店

 

岩波ブックレット444  沖縄に基地はいらない(1997)岩波書店

 

月刊雑誌 「世界」各号 岩波書店

 

月刊雑誌 「軍縮問題資料」各号 宇都宮軍縮研究室

 

(※注意:レジュメのレイアウトを維持するため、改行を多用しております。

見にくい場合は、画面を広げて、見てください。―管理者より―)

 

月刊雑誌 「軍縮問題資料」各号 宇都宮軍縮研究室

 

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