「最近の旧ユーゴ諸国事情ー紛争後初めての訪問を終えてー」

木村 朗

1.なぜユーゴなのか

(1)紛争前―――ユーゴスラヴィア留学(1985年10月から87年3月)

(2)紛争中―――旧ユーゴ3カ国訪問(1994年9月から10月)

(3)紛争後―――旧ユーゴ5カ国訪問(1998年3月から4月)

2.今回の訪問の目的と成果

(1)紛争地の実情調査 (7)学生寮の訪問
(2)難民収容所の訪問 (8)チトーのお墓の訪問
(3)国連機関の訪問 (9)テンポ氏との会談
(4)各日本大使館の訪問 (10)新聞社の訪問
(5)現地NGOの激励 (11)セルビア・アカデミーの訪問
(6)日本語学科の訪問 (12)モンテネグロ放送への出演

3.今回の訪問の印象と現地で考えたこと

@ 旧ユーゴ紛争の原因について B NGOの活動について
A 国際社会の対応をめぐって C 今後の展望について

<旧ユーゴ訪問の記録>

さて、少し時間がたちましたが、3月21日から4月11日までの 約3週間、旧ユーゴ5カ国を三年半振りに訪問してきましたので、その旅行の目的・内容と現地の印象を簡単にご報告させていただきます。

まず、旅行の日程と訪問先先をお知らせすると、関西国際空港から アエロフロートで3月21日に出発し、モスクワ経由で新ユーゴのベオグラードに翌22日に到着。その後、ベオグラード(セルビア)−<バス>−ザグレブ(クロアチア)−<飛行機>−サラエヴォ、モスタル、ゴラジュデ、パーレ、ルカビッツア(全てボスニア=ヘルツェゴビナ)−<飛行機>−ザグレブ−<バス>−リュブリアナ、ブレッド湖(スロベニア)−<汽車>−ザグレブ−<バス>−ベオグラード−<バス>−スコピエ(マケドニア)−<バス>−ベオグラ−ド−<バス>−プリシュティナ(コソヴォ)−<バス>−ベオグラード−<飛行機>−ポドゴリツア、ツェティネ、ニキシッチ、ブドバ、スベティ・ステファン(全てモンテネグロ)−<飛行機>−ベオグラード−<バス>−ブコバル(クロアチア)−<バス>−ベオグラードという順で旧ユーゴ5カ国(新ユーゴの2共和国とコソヴォを含む)の計17都市を駆け足で回って来ました。

最初の予定では、新ユーゴ、クロアチア、ボスニアの3カ国でコソヴォも行くことは考えてなかったのですが、現地に行っていろんな情報をもらって急遽予定を変更することになったわけです。

今回の主な目的は、第一に、紛争のあった地域を自分の目と足でみてまわる ことであり、第二に、旧ユーゴ各地の日本大使館や国連関係機関、日本のNGO 関連や在留邦人の方々とお会いして情報・意見交換をすること、第三に、 セルビア人、クロアチア人、ムスリム人3者が出している出版物・資料の収集をそれぞれベオグラード、ザグレブ、サラエヴォで入手すること等でした。最も収穫があったのは、第一の現地を訪れて実情を知るということで、特に印象に残ったのが、ボスニアのセルビア人、クロアチア人、ムスリム人それぞれが支配する3つの地域(サラエヴォ、ゴラジュデ、モスタル西地区がムスリム、モスタル東地区がクロアチア、パ−レ、ルカビッツアがセルビア)、また昨年11月にクロアチアへの統合が決まった東スラヴォニア地方にあるセルビア人が多いブコバル、そして最近独立を求めるアルバニア人とそれに反対するセルビア人の間で緊張が高まっていたコソヴォのプリシュティナでした。詳しい実情をここですべてお伝えすることはできませんが、ボスニアでは統一国家がまだ昨機能しているとは言い難いこと、コソヴォでアルバニア人を圧迫しているセルビア人がブコバルでは逆に疎外される状況にあること、全体として今回の紛争での勝利者はまちがいなくクロアチア人であること等は指摘できると思います。第二の点では、ベ オグラード、ザグレブ、サラエヴォの各日本大使館やサラエヴォの国連難民高等弁務官事務所、ベオグラードとサラエヴォの「難民を助ける会」、ルカビッツアとニキシッチの二つの難民収容所などを訪ね、ベオグラード、ザグレブ、リュブリアナ、スコピエでは日本の留学生や現地の方と結婚されてそこで生活しておられる方々(そのうち何人かは旧知の間柄)とお会いして実情をお聞きすることができました。さらに、第三の点では、ベオグラード、ザグレブ、サラエヴォで単行本・新聞・雑誌・資料を入手して船便で送ることができました。(二週間で届いたので驚きました!) その他のエピソードとしては、モンテネグロでパルチザンの英雄の一人でチトーの側近でもあったヴクマノヴィッチ・テンポ氏とお会いしてインタビュウをすることができたこと、モンテネグロ放送の人物紹介コーナーへの出演という形で逆にインタビュウされたこと、ベオグラード大学言語学部日本語学科の三年生の授業に山崎佳代子先生のおはからいで特別参加させていただいたこと、ゴラジュデでムスリム人司令官とお会いしてインタビュウすることができたこと、セルビア・アカデミ−のエクメチッチ博士とお会いして お話しする機会がもてたことなどがあげられます。

以上が今回の訪問のあらすじのご紹介ですが、いずれにしても自分にとって 非常に大きな経験となったと思います。 

訪問前にいろいろな情報をいただいた岩田先生(千葉大)や柴先生(東大)、ジャーナリストの千田さん、西浜さん、またベオグラードで知り合ってプリシティナとブコバルにも同行してもらった留学生の富永君、ベオグラード在住のジャーナリスト兼通訳の大塚真彦さんや「難民を助ける会」の横田さん、そしてモンテネグロでの滞在中ずっと全てお世話になった親友のペイジョヴィッチ・チャスラフ氏(モンテネグロ大学助教授で現在九大で客員教員をしている)にここで改めて感謝したいと思います。 何人かは旧知の間柄)とお会いして実情をお聞きすることが

できました。さらに、第三の点では、ベオグラード、ザグレブ、サラエヴォで単行本・新聞・雑誌・資料を入手して船便で送ることができました。(二週間で届いたので驚きました!)

その他のエピソードとしては、モンテネグロでパルチザンの英雄の一人でチトーの側近でもあったヴクマノヴィッチ・テンポ氏とお会いしてインタビュウをすることができたこと、モンテネグロ放送の人物紹介コーナーへの出演という形で逆にインタビュウされたこと、ベオグラード大学言語学部日本語学科の三年生の授業に山崎佳代子先生のおはからいで特別参加させていただいたこと、ゴラジュデでムスリム人司令官とお会いしてインタビュウすることができたこと、セルビア・アカデミ−のエクメチッチ博士とお会いしてお話しする機会がもてたことなどがあげられます。

以上が今回の訪問のあらすじのご紹介ですが、いずれにしても自分にとって

非常に大きな経験となったと思います。

訪問前にいろいろな情報をいただいた岩田先生(千葉大)や柴先生(東大)、

ジャーナリストの千田さん、西浜さん、またベオグラードで知り合ってプリシティナとブコバルにも同行してもらった留学生の富永君、ベオグラード在住のジャーナリスト兼通訳の大塚真彦さんや「難民を助ける会」の横田さん、そしてモンテネグロでの滞在中ずっと全てお世話になった親友のペイジョヴィッチ・チャスラフ氏(モンテネグロ 大学助教授で現在九大で客員教員をしている)にここで改めて感謝したいと思います。