沖 縄 リ ポ ー ト (1998年9月12日) 

       毎日新聞記者 大賀 和男氏(前那覇支局勤務・現鹿児島支局長) 

 〔 経緯 〕

 1609  ・・・薩摩の侵略・支配

 45/3/26・・沖縄戦・米軍が渡嘉敷島などに上陸

    4/1・・・   〃   沖縄本島に上陸

    6/23・・牛島司令官が自決、組織的戦闘は集結したがその後も続く。死者2

          0万人のうち県民犠牲者12万人。

 72/5/15・・本土復帰

 95/9/4・・・米兵による小学女児暴行事件

    9/28・・大田知事・基地用地強制使用の代理署名拒否声明

   10/21・・事件抗議・基地の整理縮小8万人県民大会

   12/7・・・村山首相が大田知事を提訴

 96/3/7・・・米兵に判決(二人は控訴)

    3/25・・代理署名訴訟・福岡高裁那覇支部判決。大田知事敗訴し上告

    3/29・・国が3002人の契約拒否地主の土地を強制使用するため、収用委

          員会に裁決申請。同時の知花昌一さんの土地は緊急使用申請

    3/31・・楚辺(そべ)通信所で賃貸契約の期限切れ

    4/1・・・知花昌一さんが通信所立ち入りを求めて仮処分申請・現地行動。

    4/12・・橋本首相とモンデール駐日米国大使が普天間飛行場の返還計画を発

          表

    4/15・・橋本・クリントン会談。11施設の返還計画を発表。

    5/14・・知花昌一さんが家族、支援者ら30人で初の通信所立ち入り。

    6/21・・県民投票条例、議会で可決。

    6/22・・知花昌一さんが支援者らと2回目の通信所立ち入り。

    7/10・・大田知事が代理署名訴訟上告審で証言。

    7/12・・橋本首相が、楚辺通信所の公告・縦覧代行を知事に求めて提訴。

    7/25・・知花さんが、国を相手に楚辺通信所の所有地の返還を求め提訴。

    8/28・・代理署名訴訟の最高裁判決。国勝訴。

    9/8・・・県民投票。投票率59%、そのうち90%が基地縮小を求める。

    9/10・・橋本・大田会談。橋本首相、沖縄振興策を提示。

    9/13・・大田知事、公告縦覧代行に応ずることを表明。

    9/17・・橋本首相、初の沖縄訪問。戦後50年の政府の努力不足を陳謝。

    9/18・・大田知事、公告縦覧に応ずる。

    9/18・・国、2件の公告縦覧訴訟を取り下げ。国と沖縄県の法廷闘争終結。

   11/16・・久間防衛庁長官が「ヘリポートはキャンプ・シュワブ沖が有力」と

          発言。

   12/2・・・SACO(日米特別行動委員会)最終報告に、海上ヘリポート建設

          が盛り込まれる。候補地は「沖縄本島東海岸沖」とする。

 97年2/21・・県収容委員会が3000人の軍用地強制使用で第一回公開審理。

    4/9・・・名護市長が普天間飛行場の海上移転のための調査受け入れ表明。

    4/17・・駐留軍用地特別措置法(特措法)の改定。3000人の用地を強制

          継続使用へ

    5/15・・14日で期限きれの3000人の用地継続使用始まる。

    8/13・・キャンプ・シュワブ沖でボーリング調査開始。

   10/2・・・名護市議会が市民投票条例案を可決。

   12/21・・市民投票で反対1万6639票、賛成1万4267票で反対が賛成

          を2372票上回る。

   12/24・・比嘉・名護市長が橋本首相を訪ね、ヘリポート受け入れと市長辞意

          を表明。

 98年2/1・・・名護市長選告示。玉城義和・前県議と岸本建男・前助役が出馬。

    2/6・・・大田知事がヘリポート建設反対を表明。普天間基地返還暗礁へ。

    2/8・・・名護市長選でヘリポート推進派の支援を受けた岸本氏が当選。

    5/15・・大田知事が基地の整理・統合・返還を要請するため訪米。

 

 ◎ 沖 縄 の 基 地 問 題 の キ ー ワ ー ド 

 

「 ヤ マ ト ン チ ュ ー V S ウ チ ナ ー ン チ ュ 」 

 

 沖縄問題を理解するためには、まず薩摩の侵略(1609年)以来、ヤマトに虐げられ

 続けてきた沖縄の歴史を理解する必要がある。

 

◎ ヤマトの沖縄差別

 

   沖縄は琉球王朝(その支配構造の是非は別として)時代から独自の文化、経済を築

  いてきた武器を持たない平和的な“民族”だった。中国や台湾、東南アジア諸国との

  交流で栄えた。そこに1609年、薩摩の侵略を受け歴史の歯車が狂い始めた。

 

 〔歴史の流れ〕薩摩の支配・・・明治政府により琉球王朝が廃止され「沖縄県」へ(琉

球処分)・・・・日米20万人以上が死亡(うち沖縄県民12万人余)、全島が灰塵に帰

した沖縄戦・・・・戦後27年間の米軍支配(1945〜1972年)・・・本土復帰(

1972年)・・・在日米軍の75%が集中する基地の島

 

◎ 沖縄戦

 

 1945年3月26日、米軍が本島西に浮かぶ座間味(ざまみ)島と渡嘉敷(とかしき

)島を1日で占領。日本軍の抵抗はほとんどなく、戦闘による犠牲者も少なかったが、皇

民化教育を徹底的にたたき込まれていた島民は、米兵への恐怖と「捕らわれの身になるの

は恥」との気持ちから大混乱に陥り、両島で数百人の人たちが集団自決を図った・・・沖

縄戦の中で各地で起きた集団自決の始まりだった。

 4月1日・・米軍陸、海、空軍の全兵力約50万人。日本守備軍は根こそぎ動員された

       沖縄県民を含め約11万人。90日以上にわたる日米の死闘。日本軍は「

       県民を守る」という立場でなく「本土防衛のために沖縄を盾にする」とい

       う立場。背景に国家護持の考えがある。

 県民総動員・・・男性の学生で組織する「鉄血勤皇隊」、女子学生で組織する「ひめゆ

       り学徒」などの学徒隊。住民で組織された「防衛隊」などに召集。(※大

       田知事は鉄血勤皇隊。多数の友人を亡くし自分も摩文仁で重傷を負い、捕

       虜になる)

 犠牲者・・・日米20万人以上。うち沖縄県民12万人以上。

 戦後処理・・・遺骨収集や不発弾処理、戦争マラリア問題などが今も続く。

 

 ◎ 米兵3人による小学女児暴行事件

 

 95年9月7日夕方。県警が記者発表。夜もまだ8時過ぎ。小学6年の女児が、自宅近

くの店に文房具を買いに行っての帰り、たまたま女性を“物色”していた米兵に出くわし

たため、拉致され被害者になった。

 ●拉致の仕方・・・前から1人の米兵が少女に道を聞くように話しかけ、後ろからもう

          ひとりが少女を羽交い絞めにする。前の米兵がいきなり腹部と顔面

          を殴りつけ、被害者が恐怖の余り抵抗できないようにする。あっと

          いう間に、車に拉致すると、待ち構えていた主犯格の男の運転で現

          場から走り去った。

 

 ●抗議行動・・・事件が報道されたのは、発生(9月4日)から4日後の8日。抗議行

         動の始まりは、沖縄県婦人団体連絡協議会が開いた400人規模の集

         会。県婦連会長は「お前たちは鬼か!」と米兵に最大限の罵声を浴び

         せ、怒りを爆発させた。その後、女性団体が連日、抗議集会を開き、

         嘉手納基地(事件を起こした米兵の基地ではない)に抗議デモをかけ

         た。

 ・・・・・この抗議行動が、導火線となり、「10・21沖縄県民八万人集会」に続い

      ていった。

 

 ◎ 大田知事の土地強制使用の代理署名拒否問題

 

 事件から20余日。95年9月28日。大田知事は9月議会代表質問に答え、基地の用

地強制使用のための代理署名を拒否表明。「沖縄vsヤマト」の闘いが始まる。

 

◎ 「沖縄って一体なんですか!」

 

 大田知事は代理署名を拒否して間もなく、記者会見で激しい言葉をたたきつけた。

 「沖縄って一体何ですか!沖縄県民を何だと思ってるんですかね!」

 「沖縄は差別されていると思う」とも。

 

 沖縄の闘い・・・「沖縄の自立宣言」という人もいる。

      「ヤマトにこれ以上、自分たちの将来を決定されたくない」という反発。

 大田知事・・・・「自分たちの将来は自分たちの手で、基地のない真っ白いキャンパス

         に描きたい」「自分たちの将来は自分たちで決めたい」と強調。

 

 

 

◎ 基地返還アクションプログラム・・・沖縄の自立宣言

 

 「自分たちの将来は自分たちの手で決めたい」という沖縄県民の気持ちを具体的な施策

 として国に要求したのが、昨年1月に提示した「基地返還アクションプログラム」。

 アクションプログラムは2015年までに3期に分け、米軍40施設の全面返還を求め

 た内容。

 

2001年までの1期=24年前(1974年1月30日、日米安全保障協議委員会

             移設条件付き)に返還合意済みの「那覇軍港」と「読谷(よ

             みたん)補助飛行場」、96年4月に返還合意した「普天間

             (ふてんま)飛行場」など・・・9施設

2010年までの2期=昨年4月1日以来、国の不法使用が続いていた「楚辺(そべ

            )通信所」、ヤンバルクイナなど貴重な動植物が生息している

            「北部訓練所」など・・・14施設

2015年までの3期=極東最大の空軍基地「嘉手納飛行場」、海兵隊基地「キャン

            プハンセン基地」・・・など18施設。(※1施設は2期に分

            かれている)

 

◎ 日米の基地返還合意:日米特別行動委員会(SACO)最終報告

 

 橋本首相とモンデール駐日米大使会談・・・96年4月17日。

普天間飛行場や那覇軍港、読谷補助飛行場など11施設・区域の返還合意を発表。しかし

そのほとんどが「移設条件付」。作業の難航と、県民同士の対立が生じている。

 

 那覇軍港・・・1974年1月30日、日米安全保障協議委員会で返還合意してい

          ながら、移設条件付だったため一歩も前に進まなかった。それをま

          た、同じ条件で合意。那覇市の北隣の浦添市の埋め立て地に移す案

          を提案。地元市民が猛反発。見通しは立っていない。

 読谷補助飛行場・・・海兵隊や陸軍・グリーンベレーなど第一線に投入される精鋭

             部隊がパラシュート降下訓練。訓練の移転先は未定。

 普天間飛行場・・・海兵隊基地。2800・の滑走路。軍用ヘリと航空機が離発着

            し、騒音公害と事故の危険性が高く、大田知事が最重要懸案と

            して早期返還を日米両政府に要請していた。

 海上ヘリ基地・・・海上に長さ1500・、幅500・の滑走路付飛行場をつくる

            案。日米両国は小さなイメージを持つ「ヘリポート」という言

            葉で表現しているが、立派な「飛行場・基地」。家は「大きけ

            ればいい」というものではない。機能性に富み、住み心地も良

            くなければならない。1兆円以上といわれる移転費用はすべて

            日本が負担するのだから、米国側にとっても好都合。

 

 嘉手納基地・・・・極東最大の空軍基地。3700・の滑走路2本を持つ。騒音被

            害に泣かされている住民906人が損害賠償請求訴訟。那覇地

            裁(1審)と福岡高裁那覇支部(2審)は、飛行停止は認めか

            ったが損害賠償(2審:約13億7000万円)は認める。

 

◎ 海上ヘリ基地の建設問題

 

 〔メリット〕・普天間基地の返還に伴い騒音被害と危険性がなくなる。

       ・宜野湾市の真ん中に位置し、道路網が寸断されるなど騒音に限らず住民

        生活に多大に支障を来していたのがなくなる。

       ・返還される481・は超一等地にあり、県と市が計画している跡地利用

        で沖縄振興策への期待が持てる。

 〔デメリット〕

       ・環境への影響。

       ・地元住民への新たな騒音公害。

       ・米兵による事件への不安。

 

◎ 県民と大田知事はなぜ「ノー」なのか。

 

 県民は「返還」というより「新たな基地建設」と受け止めた。戦後つくられた基地は、

米軍が「銃剣とブルドーザー」で土地を奪ってつくった。今も県民はそれを認めたわけで

はない。今回のヘリポートは、基地に泣いてきた県民が、理由はどうであれ戦後初めて基

地建設に「オーケー」することになる。これはとても受け入れられない。

 一方、大田知事。沖縄師範学校の鉄血勤皇隊に加わり沖縄戦を体験した“筋金入り”の

学者知事。政府を相手に「基地のない平和な沖縄を」と主張し続けたことが県民の支持を

得た。「オール・オア・ナッシングでは基地問題は前に進まない」と、条件闘争を示唆し

ていたが、今回「海上ヘリ基地ノー」と表明したのは県民の声に押されたから。

 

◎ 沖縄振興策

 

 政府と沖縄県の協議機関設置▽沖縄振興策のための調査費50億円の計上▽沖縄と本土

を結ぶ航空運賃の値下げ▽沖縄だけに適用する税の減免制度(自由貿易地域)の拡充・実

施・・など、振興策が検討されている。が、現在は凍結状態。

 

◎ 結論

 

 ・大田知事の拒否表明で、政府が移設条件付き返還方針を変えない限り動かない。

 ・政府も本土への移設は考えないだろうから、結局は動かない。

 

 

 ◆  沖 縄 の 経 済 振 興  ◆ 

 

〔 沖縄特別自由貿易地域の設定 〕

 法人税を大幅軽減(35%の所得控除)し、関税について原料課税または製品課税の選

択が可能。

・那覇軍港=

・中城(なかぐすく)湾港新港地区=約98・7・

 

〔 東南アジアへの玄関口として 〕

 県産品の販売促進と経済交流促進のため沖縄県事務所を東南アジア諸国に開設

韓国、台湾、中国(福建省)、香港、シンガポールの5カ国=職員2人を配置

タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアの4カ国=嘱託駐在員を配置

 

〔 海外企業の進出 〕(大田知事のトップセールス)。

・アメリカのハイテク企業シノプシス社の沖縄進出(来年10月)

 半導体チップのデザインルーツ業界で世界の22%のシェアを持つ。49ヵ国の事業

 展開。従業員約3000人。沖縄は「日本シノプシス沖縄デザインセンター」で、将

 来的に従業員100人規模を目指す。

 琉球大学の大学院生10人を技能研修中(大田知事のトップセールス)。

・世界最大の航空貨物会社「フェデラル・エクスプレス社(略称・フェデックス社)の那

 覇空港乗り入れ(今年9月?)・・・那覇市に営業所を開設。

 

〔 基地依存度 〕

 ・軍関係収入=軍用地料670億円▽軍雇用者所得523億円▽軍人軍属消費支出47

        7億円(計1670億円)

 ・県民総支出=3兆4217億円

 ・・・・・・・県民総支出に占める軍関係収入(基地依存度)=4・88%

 ・依存度の推移=1972年(本土復帰)15・6%▽77年10・1%▽89年5・

         1%

終:

       

 

 

年(本土復帰)15・6%▽77年10・1%▽89年5・

         1%

終: