<平和問題ゼミナールでの報告>(1999年1月24日)

「ヴェトナムの過去と現在を考える−平和を展望して−」
        
神田 嘉延(鹿児島大学教育学部)

  1. わたしの青春とベトナム戦争
    わたしを成長させてくれたベトナム
  2. 日本とベトナムの歴史的関係
    ベトナムの独立悲願とトンズー運動。日本への留学をよびかける。一九〇七年頃。一〇〇人ほど東京で学ぶ。フャン・ボイ・チャウは伝統を守り、近代化と独立を達成している日本に感銘。しかし、日本とフランスの友好条約によって、一九〇九年全員日本から退去。第2次世界大戦の日本軍のベトナム侵略と200万の餓死者問題。旧日本軍の良心的兵士たちのベトナム支援とベトミン軍。アメリカのベトナム侵略と日本の反戦運動。
  3. ホーチミン思想の人類史的意義
    独立と自由ほど尊いものはない。ベトナムの伝統的な思想と人類史的な普遍思想を統一。
  4. ベトナムの社会経済構造と村落社会
    竹垣のなかに皇帝の令は届かない。村の慣習・掟は、皇帝の法よりも勝る。ベトナムの社会の基盤は村であり、ベトナムのアメリカの侵略の抵抗基盤も村であった。むらは18歳になると伝統的に一人目として「サンデイオン」とよばれる。社会的活動が義務づけられる。むらには「ホイヒ」とよばれる相互扶助の伝統的組織がある。むらのすべては、12支循環のジャンプという組織に登録され、年齢ごとに組織され、教育される。むらのなかは、父系の「ホ」とよばれる血族組織があり、同じ先祖をもつ族の結婚は許されていない。むらのなかでは、長老が尊敬され、バックとよばれれて、むらの大切な行事やもめごとをさばく。五〇歳になると老として、むらの顧問になる。実際の日常的なむらの運営をおこなっているのは四〇歳代。四〇歳前後の村長も多い。
  5. ベトナムのドイモイ政策による経済発展と貧富の格差の問題
    ドイモイ政策 一九八二年で現実路線、一九七九年にカンボジアにヘンサムリン政権成立し、ポルポト政府との緊張関係なくなる。しかし、中国との緊張は大きくなる。一九八九年まで続く。ベトナム軍のカンボジアからの撤退。一九八六年にドイモイ政策。
  6. ベトナムの協同組合と成功したむらの開発事例
  7. ベトナムのドイモイ政策下での負の現象として孤児、ストリートチュルドレン


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