<自主ゼミ>第6回平和問題ゼミナール・旧ユーゴ民族問題

平成9年6月21日(土曜日)

国家承認と民族自決

−国際法の観点から旧ユーゴ民族問題を見る−

報告者:河 野 克 純

はじめに−国際法の予備知識−

今回の報告では、旧ユーゴの各国の分離独立においての国家承認の問題点について、とくにクロアチア、スロベニアに対する国家承認の問題を中心に、国際法の観点から、できるだけわかりやすく報告しようと思います。そこで、国際法の知識のない方が多いと思いますので、まずはその点から簡単にまとめていこうと思います(私自身もよくわかっていないので自分のためにも)。

 

国際法とは

 →次第に、法典化(明文化)が進んできている。

 

国家承認

<意義>

 新たな国家が成立した場合に、これに対して既存の国家が国際法主体の地位を認めることをいい、それにより特定の法的な効果が伴うことになる。

<性質>承認をめぐる学説の対立

→宣言的効果説が一般的に妥当しているが、新国家の成立形態によっては創設的効果説が妥当する場合もある。

<要件>

    1. 永住的住民(国民)、A一定の領域(領土)、B実効的政府、C他国との関係を持つ能力

以上の要件を満たす場合に国家の承認が行われる。

 

しかし、現実には新国家を承認するか否かは既存の各々の国家の裁量判断によるのであり、新国家が国家の資格要件を満たしたときに既存の国家がこれを承認する国際法上の義務が成立しているとは言えない。

→要件が伴わない場合に承認が行われると、「尚早の承認」とされ、国際法違反である。

<方式>…一方的行為

(法的効果の点から分類)

<効果>

個別的かつ相対的効果。

創設的効果説にたてば、国際法上主体性を持たず、いかなる権利義務を有しないことになる。しかし、国家の要件を満たしている未承認国家もあり得るので、完全に否定できない。

→領域権や不干渉義務を含む国際法の基本的権利義務を享有しているといえる(承認しない国家も無視することのできない対世的効力)。

 

承認は、個別国家によってのみならず、国家グループによる共同宣言の形式で、あるいは平和条約のような政治的性質の多数国間条約(たとえば、国連など)への新国家の参加(加入)を認める形式で、集合的に行うこともできる。

 

 

民族自決

民族自決とは、民族(人民)が自らの政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する権利をもち、他民族からの干渉は許されないという主張。

→民族は各々の責任において国民国家を形成し、独立の国家主権を行使できることを指す。

<歴史的背景>−権利性の発展

→ヨーロッパの周辺民族が自決を要求し、独立。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーなど。(先進諸国、東欧諸国の問題)

*ウィルソン米大統領の一四カ条平和原則(1918年)で、民族自決原則を採用。

→第三世界の植民地独立問題。すなわちイギリス、フランス等の植民地の民族解放運動へ。

この時期までには、民族自決権について、少なくとも植民地の自決・独立の権利という意味で国際法上権利性が認められた。

→60年代末までに大半の民族が独立した。(理想的な国民国家という内実はなかった。)

→民族問題は解決したと思われていた先進諸国でエスニック問題が発生。

→社会主義国の東欧諸国や旧ソ連での分離・独立を前提とした民族問題が表面化。

 

→先進諸国でも同じ事情はあるが、周辺民族に対し、政治的、経済的、文化的自治権を拡大し、国家が譲歩することにより、分離・独立の危機を回避している。(エスニック運動へ封じ込め)

 

ユーゴ民族問題の分析

ユーゴスラビアにおいては、1970年代に始まった経済悪化対策の政治・経済改革が行われていたが、89年に始まった東欧の民主化に一気に加速させられ、市場経済と複数政党制を目指す流れが定着。90年に6共和国において、自由選挙が行われ、共和国の主権を強調する民族主義政権が成立し、セルビア、モンテネグロでは共産党政権が存続するなど、共和国ごとに政治体制が異なる事態に。→共和国間の対立

 

国際社会、とくにヨーロッパ諸国の対応について...

→とくに「人権保障」と「少数者保護」の観点から、本当にスロベニア、クロアチアを承認しても差し支えなかったのか?

要件を満たしていない、「尚早の承認」になりはしないか?

まとめ・若干の私見

最大の山場であるはずの、ユーゴ関連について、時間不足で深く詰めることができなかったのを先にお詫びいたします。本来なら、他に、マケドニアの問題や、ボスニア・ヘルツェゴビナの問題など、ふれたいことがたくさんあったのですが、まにあいませんでした。

民族自決権について、若干補足しておきます。

先に見たように、民族自決権というのは、国際法の成文法である条約において、しっかりと規定もあり、権利性ははっきりと認められている。問題は、植民地の民族に限るのか、それとも国民国家内の少数民族などにも自決権が認められるかであるが、私は、認められるべきであると考える。ただ、自決権と入っても、以前のようなその民族の国民国家を許すのではなく、その国民国家内で権利を認めさせる、エスニック運動に理解を示したい。完全な自決権を認めれば、次の民族対立を生むことが必死で(完全な国民国家はあり得ない)、現実的に無理があると思われ、現実的な対策として、人民の自決権に基づく、その民族の地位向上を国際法の権利性から、国家、ないし、国際機関に訴えることで、解決を図ることを考えたい。

ただ、それでも解決がはかれない場合は、やむを得ず完全な自決権を認め、武力などで新しい国家を正当に作った場合などは、その自決権を尊重して、国家承認をしていくことも許されることであると考えたい。


一覧へ戻る。 がはかれない場合は、やむを得ず完全な自決権を認め、武力などで新しい国家を正当に作った場合などは、その自決権を尊重して、国家承認をしていくことも許されることであると考えたい。


一覧へ戻る。 TML>