鹿児島県議会「戦後50年決議」顛末

                                        柳原 敏昭

□はじめに

 表題の「戦後50年決議」とは、戦後50年の年=1995年に国会をはじめいくつかの地方議会で可決された特別決議をさす。今さらとりあげることにどれほどの意味があろうかとも思うが、鹿児島県議会の決議(以下「決議」)にかかわりをもった者として、なにがしかの記録を残しておいた方がよかろうと判断し、一文を草する次第である。手許にある資料によって、できるだけ忠実に経過をあとづけ、若干の所感を述べてみたい。

 

□「決議」があげられるまで

 1995年、各地で、地方議会に戦後50年を記念する特別決議をあげさせようという運動が展開された。この運動の背景や意図についてここで詳しく述べることはさしひかえる。しかし、十五年戦争(アジア太平洋戦争)の侵略戦争としての本質を隠し、戦後日本の「繁栄」を自賛するという共通の性格をもっていたことだけは指摘しておきたい。

 鹿児島県議会に対して同様の請願がなされたのは、6月26日のことであった。自民党県議団に対して、素案を添えて特別決議を行うよう要望書が出されたのである。提出主体がどこであったのかは、ついに自民党県議団から聞き出すことはできなかった(「わからない」ということだった)。しかし、先述の全国的運動の一環であると考えてほぼ間違いないであろう。ちなみに、このときまでに18の都道府県議会で決議がなされていた。

 自民党は本会議で決議を行うべく、ただちに他党派との折衝に入った。カギを握ると思われた社会党(当時)は、素案にあった「受け入れがたい文言」を自民党の側で字句修正したために「消極的ながら」承諾したという。ただし、「国会決議をふまえ」の一句を挿入するように要求し、自民党も了承したが、国会決議に欠席した新進党(当時)系議員が反対し、結局それが最大の焦点となったという。

 6月29日午前10時より、本会議の議題整理のための議会運営委員会が開催された(正規メンバーは自社両党委員のみ)。自民党県議団は総意としてこの場に「決議」案を提出。「とくにアジア諸国民に与えた歴史的行為と苦痛を心に深く刻み」を挿入し、本会議へ上程することが決定された。オブザーバーの共産党議員だけが反対を表明した。 

 

□決議に反対する運動について

 ここで、市民レベルの反対運動について触れておこう。私が知る限りでは、決議に対してリアクションを起こしたのは鹿児島県憲法を守る会、鹿児島県平和委員会、そして県内の研究者有志であった。私は研究者有志による要望書提出に関わったので、それについてのべる。

 われわれが鹿児島県議会で「決議」案が問題にされているのを知ったのは、6月28日のことだった(議会ウォッチャーの方からの情報による)。鹿児島大学の教員数人で「決議」案に反対する要望書を県議会宛に提出することを話し合い、文案を作成するとともに、賛同者を募った。もちろん急な話であり、また母体となる恒常的な組織もなかったので、知人に声をかけるという程度の拡がりしかもてなかった。それでも翌日の昼までには21名(鹿児島大学・鹿児島経済大学・鹿児島県立短期大学の研究者)の連名による要望書を作成し、午後、県庁内の記者クラブで会見を行い、ひきつづき県議会議長ならびに各会派に対して要望書の提出を行った。

 

□本会議にて

 7月3日、最終日となった県議会本会議は午後10時に開会した。それに先立ち、研究者有志は再度、要望書を各会派に配付した(賛同者が31名に増えていた)。

 本会議の傍聴者は21名。要望書に名を連ねた研究者のうち3名も「決議」案の行く末を見守った。結局、「決議」案に関する議論が始まったのは午前11時26分で、終了は同37分。わずか10分余であった。祝迫かつ子議員(共産党)が反対討論に立ち、対案を提出した。同議員の発言の最中、議員の中からはかなりのヤジがあり、侵略戦争に触れたくだりでは、「植民地解放だ」というものさえ飛び出した(決して傍聴席からではない)。そして「決議」案は11時39分に採決に付され、賛成54、反対1で可決されたのだった(2名は欠席)。

 

□問題点

 「決議」の内容上の問題点については、研究者有志の要望書(後掲)が触れているので参照してほしい。ここではそれ以外の点について述べることにする。

 第一は、審議時間が極めて短かかったということである。大多数の議員の意識の中では、「決議」は数多ある議題のうちの一つにすぎなかったのである。

 第二は、「決議」が政治的取引の材料として使われたということである。6月29日に各会派に要望書を提出した際、それぞれと20分から30分にわたって意見を交わすことができた。我々としては、歴史的な経過からいっても、また議会内の勢力からいっても一番期待をかけたのが社会党であった。ところが社会党県議団長は、「決議」案に全面的賛成ではないといいつつ、「ここでつっぱったら別の重要な問題で自民党から譲歩を引き出せなくなる。ここでは自民党の顔を立てる必要性があるので、十分なものとは思わないが賛成した方が得策である」と発言したのである(その他、従来のような右翼的な内容が薄められているとも言っていた)。そもそも「決議」にはこの程度の位置づけしか与えられていなかったのである。これは「決議」の成立を推進・歓迎した向きにも、ぜひ承知しておいてほしい点である。とはいえ、鹿児島県議会が後世に残した汚点は余りにも大きいといわざるを得ない。

 

□補足

1、1995年7月時点の内閣は、自民・社会・さきがけの連立で、総理大臣は村山富市(社会党)だった。

2、いわゆる戦後50年国会決議(「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」)は、6月9日に衆議院で与党三党などの賛成多数で採決された。この時、新進党は欠席し、共産党は出席して反対した。自社議員も多数欠席した。また同14日、参議院は決議の採決を見送っている。

3、1995年7月時点における鹿児島県議会の勢力分布(会派別)は次の通りであった。

 自由民主党(37)、社会・市民クラブ(6)、新進党(2)、公明(2)、自由連合(2)、日本共産党(1)、無所属(7)

4、鹿児島県内では、隼人町議会で「戦没者に対する追悼及び恒久平和に関する決議」が出されたが、可決には到らなかった。

5、管見に入ったもののみであるが、南日本新聞と毎日新聞が、それぞれ8行と4行を使って「決議」が採択された事実を伝えた。ごく事務的な報告記事である。

6、この文章は、柳原個人の責任で執筆されたもので、要望書を提出した研究者有志の意見を代表するものではない。

(やなぎはらとしあき:東北大学文学部、元鹿児島大学法文学部)

 

 

<資料1>県議会本会議で採択された「決議」

          決議

 さきの大戦における戦没者等への追悼と恒久平和に関する決議

 

 さきの大戦が終結して50年目を迎えるにあたり、戦争中の苦難や混乱、そして米国の軍政下に分離された奄美諸島などを思い起こし、まさに感慨無量のものがある。

 鹿児島県議会は、この大きな節目に当たり、とくにアジア諸国民に与えた歴史的行為と苦痛を心に深くきざみ、さきの大戦において尊い生命を捧げられ、今日の平和と安定の礎を築かれた戦没者をはじめ多くの戦争犠牲者に対し、心から追悼の誠を表明するとともに、戦災の復興やその後の経済の振興、生活の向上などに懸命の努力をいただいた先人達に、深甚なる感謝の意を表する。

 あわせて、21世紀に向けて、「すこやかな郷土、ゆとりの文化圏域をめざす」とともに、戦後生まれの世代が半数を超えている今日、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、恒久平和の実現のために、改めて、一層の努力を傾注することをここに誓う。

 以上、決議する。

   平成7年7月3日

                鹿児島県議会

 

*筆者注

1、最終的に、自民党10名、社会党2名、新進党1名、公明党1名、自由連合1名、無所属2名の議員が「決議」案を発議した(自社議員は議会運営委員会の構成員)。

2、下線部は、6月29日の議会運営委員会で新たに挿入された部分。

 

<資料2>研究者有志が提出した要望書

「先の大戦における戦没者党への追討と、恒久平和に関する決議(案)」に関する要望書

 

鹿児島県議会議長

 鶴田辰巳 殿

                        1995年7月3日

 現在、鹿児島県議会において、「先の大戦における戦没者党への追悼と、恒久平和に関する決議(案)」(以下、「決議案」)の審議が進められ、本日中にも採決に付される予定であるとうけたまわっております。しかしながら、「決議案」には、以下に指摘するような大きな問題点があり、私たちは「決議案」の採択に反対せざるを得ません。

 

1、「決議案」では、県民の犠牲と苦難について言及されております。しかし、なぜ県民が苦難を強いられ、犠牲となったかにつては触れられておりません。かつて日本が行った無謀な戦争に対する認識が欠落しています。

2、「決議案」では、日本(人)の被害者としての側面は述べられていますが、アジア地域・太平洋地域などに対して日本が行った侵略戦争については、反省もなく謝罪の意も表明されていません。新たに挿入された「アジア諸国に対する歴史的行為」という表現は、侵略戦争の事実をおおい隠すものです。

3、鹿児島県下においても、朝鮮・中国人が苛酷な強制労働に従事させられ、多数の生命が失われたという事実があります。奄美諸島には、いわゆる「従軍慰安婦」も存在していました。これらについても「決議案」では、一顧だにされていません。日本が主体となった侵略戦争や植民地支配・強制連行を不問にした決議は、今後の国際交流に禍根を残すことになるのではないかと危惧いたします。

4、「決議案」における「追悼の誠」は、もっぱら県民や日本人の戦争犠牲者に対して向けられています。しかし、以上述べてきたところからすれば、日本が行った侵略戦争や植民地支配・強制連行によるすべての犠牲者を対象とすべきであると考えます。加えて、戦前の非民主主義的な法律や制度によって人権を蹂躙された人々への配慮もあってしかるべきです。

5、「決議案」が、今日の日本の「平和と安定」をいうのであれば、戦前の体制と戦争への反省、そして、日本国憲法の制定が原点にあったということを明記すべきです。また、「決議案」では「再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、恒久平和の実現のために」と平和への意思を表明していますが、日本国憲法の平和主義に触れるべきであり、不戦の誓いを明確化する必要があると考えます。

6、先の国会決議は、侵略戦争について明確な謝罪がなされなかったことや、国としての責任が明確にされなかったことについて、アジア諸国からの強い批判が寄せられております。「決議案」も、こうした批判に耐えられるものではありません。

 

 私たちは、以上の理由から、「決議案」の採択には反対いたします。くわえて、真の恒久平和実現に寄与するような、そして、アジア・太平洋地域と日本の接点に位置する鹿児島県にふさわしい決議文を、あらためてご検討いただきたいと強く要望いたします。

 

               賛同者31名(略)

 

*筆者注:7月3日に各会派に申し入れた要望書である。6月29日に第一回目の要望書を提出した後、「決議」案に「アジア諸国に対する歴史的行為」という文言が挿入されるとの情報が入ったので、その点に関わって若干加筆されている。なお、実際の「決議」において該当部分は、「とくにアジア諸国民に与えた歴史的行為と苦痛を心に深くきざみ」となっている。

*「研究者有志」の中心であった毛利淳二氏(元鹿児島大学法文学部経済学科)が先日亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りいたします。