平和問題ゼミナール での報告 (99年6月12日)    
  西南戦争従軍記〜一郷士の観た西南戦争〜」
 
                   樟南高等学校社会科教諭 久米雅章
 
 1.西南戦争概略
 
   @ 発端
 
   A 経過
 
   B 終結
 
   C その後の影響
 
 2.文献から考察した西南戦争
 
    @官軍側の資料
 
    A薩軍側の資料
 
    Bその他、掘り起こされた資料として
 
 
 3 まとめ
 
    @ 現状の歴史教育
 
    A 歴史教育をいかに平和問題と連携させるか。
 
  ( メモ )
 
 <西南戦争前史 >
 
 1872 (M5)
  9月;釜山の倭館を外務省に接収、大日本公館と改称。
 
 
 1873 (M6)
  5月;在釜山な公館員から、朝鮮官憲が公館前に日本非難の掲示を出し同行館への生
  活物資搬入を妨害した、との来信。8月;閣議で陸軍大将兼参議西郷隆盛の朝鮮派遣
  を内定し、天皇も裁可。10月;閣議、西郷の朝鮮派遣を正式決定。岩倉が閣議決定  と自説(西郷派遣延期論)の双方を天皇に上奏。西郷辞表を提出。天皇は岩倉説を裁  可し、朝鮮遣使を無期延期。板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣四参議が辞  表提出(明治6年政変)
 
 1874(M7)
  1月;板垣、副島、江藤ら「民選議員設立建白書」に署名。高知県士族武市熊吉ら岩
  倉暗殺未遂(赤坂食違事件)2月;佐賀の乱。4月;江藤、島義夫、斬罪梟首。6
   月;西郷、鹿児島に私学校設立。
 
 1875(M8)
   2月;大久保・木戸・板垣、政体改革を協議。(大阪会議)9月;朝鮮江華島事件   おこる。
 
  1876(M9)
   2月;特命全権弁理大臣黒田清隆、朝鮮修好条約に調印。3月;廃刀令。10月;   神風連の乱、秋月の乱、萩の乱起こる。
 
 
 ( 注 )
 
   征韓論と遣韓論
 
  『西南戦争従軍日記  ( 空白の一日)から』
 
 まえがき
薩摩半島、大隅半島そして九州全土を戦禍に巻き込んだ西南戦争は壮絶であった。たとえ、その闘いが同郷のためのものであったとしても何万もの民衆が負傷し殺され、家が焼かれ相骨肉の争いを強いられたという事実があることは誰達のための闘いであったかという素朴な疑問を抱かされてしまう。西郷隆盛が明治の功労者であり、我々薩摩に生まれた者の尊敬とあこがれ人気は薩摩ならではでのことであろう。しかし一方的な歴史を見る目はこれから現代社会を築いてゆく若い世代も含め余生を静かにくつろごうとしてゆくお年寄りの方々にとっても闘いを容認するような歴史観は改めなければならないと私は思う。我々は歴史を謙虚な眼で見そして新たな現代社会を築かなければならない使命を持っていると思う。この物語の第一部は、今から約130年まえの明治10年の頃の手記を先祖の久米清太郎(嘉永4年4月21日誕生)が西南戦争に従軍し当時の様子を横長の半紙に2月10日から8月12日までの7ヶ月間にわたる日記の内容を史実に基づいて筆者が物語として書いた物である。最初は字形もしっかりしている。しかし日を追うごとに乱れていく。闘いの壮絶さを物語っている。読み進む内に西郷隆盛、桐野利秋など歴史の表舞台に登場する人物の名前が出てくる。なにが書いてあるのだろう。どんなことがわかるのだろう。読み進むうちに空白の一日が出てきた。その日がいったいどんな日だったのか。淡々と続く日記には、清太郎の感情など一言も描かれていない。主人公は病院係として戦争に従軍した人々の負傷の介護並びに薩軍の食糧事情などの裏方に携わっている。清太郎を取り巻く同郷の者、戦争の負傷者の姿は悲壮感きわまりない。その姿を私の感情移入で描いたことを読者の皆さんがわかっていただければこの上ない。戦いはどんな小さな事であっても、人々のこころに大きな傷を残す。明治新政府は新しい時代づくりのため国家最大の内乱で武士達の地位を剥奪した。武士達は新たな生き方を見つけることになる。     第二部では、武士と言う地位を失った清太郎は新たな生き方を探すことを迫られる。南西諸島の屋久島で製糖事業にその生き方を見いだす。明治17年南薩の地に起こった「 薩摩製糖組」は士族授産事業として始まることになる。明治19年には清太郎達の手により屋久島の安房の春田というところに開墾所を創設することになる。そこから西隣には開墾とよばれる自由民権運動で県政に大きな業績を残した折田兼至が政界への足がかりとなったと思われる場所がある。明治23年の国会開設の年彼は民党議員として国会議員として当選するのである。それと同じくして薩摩製糖組は解散となるようである。清太郎は加世田からの一族並びに近隣の開墾者を引き連れて大正、昭和と細々と製糖事業に精を出すのである。読者の皆さんが西南戦争の一生存者がこれからの生き様を当時は原野であった屋久島の地に見つけ家族共々働いてゆく姿を、幕末に生まれ内乱に参戦し激動の時代をくぐり抜けた名の知れぬ一郷士の青春群像として心の隅にでもしまっていただければ筆者としてこの上もない幸に思う。
 
 
 
        西南戦争従軍日記(空白の一日)より  南方新社刊行
 
   あとがき
 砂糖、その甘美な味の裏にあるつらい話として西南戦争中にあった史実を少々述べたい。藩主島津重豪の薩摩藩改革には様々の莫大な藩費が費やされた。周知の蘭癖と言われた彼は西洋趣味など一見浪費とみえる行為を藩主の独断でおこなう。尚外様の島津氏は幕政の中でかなり財政を圧迫する事を命ぜられている。お手伝い普請としての宝暦末年の木曽川治水など藩債は以前の徳川家の養女竹姫の継豊への輿入れなどかなりの財が藩費から調達されており斉興の代には500万両の返済不可能な額が残されるに至る。このような藩の借金を解決に導く物に黒糖専売制が実施された。藩の側用人調所広郷の登用で藩にとっては成功をおさめる。しかし三島(大島、喜界島、徳之島)の砂糖の収奪は過酷であった。主な換金作物の砂糖を専売にされては生活が窮することは必至である。長い間のこの時代に様々な農民達の挑戦や抵抗も見られる。しかし具体的な対策も見いだされず明治時代のある事件を待たねばならなかった。この日記を書いた清太郎と同じ年に生まれた人物に黒糖自由売買運動の中心人物として知られている丸田南里という人物がこの砂糖自由売買の契機をつくりそれに参画した人々が西南戦争に巻き込まれることになる。丸田南里については、数々の論文等が出ているので筆者が説明することもないが、奄美に生まれ青年期にイギリスに渡り西洋のデモクラシーを学び奄美の黒糖自由売買運動を民衆に喚起指したヒーローである。
 明治六年次のような大蔵省通達が出された。
第46号(3月30日)
別紙之通鹿児島県へ明達候間各地方に於て砂糖買受度望の者は勝手次第渡島交易可致旨為心得人民へ可触示事 (訳;別紙のとおり鹿児島県へ相達し候間、各地において砂糖買いうけたき望みの者は勝手第渡島交易致すべきむね、心得のため人民へ触れ示すべき事   別紙                                鹿児島県
基県管下大島喜界島徳之島沖永ら良部島世論島生産の砂糖従前勝手売買差留有之趣の所自今貢納定額の外島民所得分勝売買差許内地商人と従来致し広く営業為致可申事(訳;其
県管下大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島等島々の砂糖従前勝手売買さしとめこれある趣きのところ、自今貢納定額のほか島民所得分勝手売買さしゆるし、内地商人どもと往来致し広く営業致さし申すべき事)                       しかし県はこの通達を大島郡民には知らせなかった。鹿児島県は大島商社なる他の商社の入る余地ない特権商社を設立し5カ年契約の売買契約を結ばしたのである。なおこのような大島商社の設立の裏には西郷隆盛、桂久武(当時都城参事発令中)の画策があったとも言われている。とにかく黒糖専売制は島津藩から鹿児島県へ引き継がれたと言うことは周知の事実であった。このような事実を知った奄美の民衆達は丸田南里を中心とした勝手売買運動に従事していくのである。具体的には県への陳情運動としての内容が「全島嘆願各名日記」として残されている。日記の内容についてはここでは述べないが概略は陳情に上がった島民陳情団55名の中35名の人たちが西南戦争にかり出され必死隊と名乗った。多くの者が戦死した。戦争に参加したいきさつは時の県令大山綱良の理不尽な嘆願書の拒否であった。離島遠流で島民のために様々の尽力をつくした西郷隆盛への頼みも西南戦争でどこにいるのか知れない頃で果たせなかった。南洲神社境内の銅版碑には八名の戦者が記載されている。戦役から島に生還した者は数少なかった。筆者は未還者の一人である笠利の安田兵次郎の親戚にあたる暁豊俊氏と電話で話す機会を得ることができた。祖母から次のような話を聞かされたと。「ナマヌ ユ ナシションチシ、カゴシマチモシャンド 西郷イクサチ クワワリンシュシ トウト モジリショランテド」ー今のような世の中にしようと鹿児島に行かれ西郷さんの戦に加わってとうとう奄美にもどらんやったとーどんな気持ちでこのような言葉を発せられたのか。本人の言葉しかここには紹介することはできない。しかし私が冒頭に書いた戦争は人々の心に大きな傷を残す。人間の欲望によって戦いが生ずることを考えれば西南戦争もこのような悲惨な結末なしに回避できたのではなかろうか。
  西南戦争従軍日記の3月18日の記述について特記したい。薩軍の医師の是枝安泉、 三田村一、足立盛至、児玉剛造、達が従軍し負傷兵の治療手術をおこなっているくだりである。筆者は去る平成10年12月19日に黎明館企画展、「鹿児島医師の父、ウイリアム・ウイリスの跡」を見学に言った。ウイリスの書簡何十枚の興味ある内容に三田村一、是枝安泉の記事があった。西南戦争に従軍した医師は鹿児島医学の黎明期にあった頃、ウイリスの師事を仰いでいる。そしてその何人かが西南戦争に従軍しているのである。そのウイリスに黒糖に関係する武器弾薬衣の購入援助依頼の手紙があった。西南戦争半ばの6月8日の頃の西郷軍からの武器弾薬購入に関する件である。その全文は以下である。
ー西郷隆盛の命によって、私は敵地に派遣され貴方折入ってお願いしたいことがあり。貴方の所在がわかりましたので、こちらから直接に出向き面会をお願いしたい・・・。
1 大島、徳之島、喜界島から産出される黒砂糖12000ポンドを売り船一隻を雇う。 直ちに買い手がつかなければ若干の値引きもやむ終えない・・・。
黒砂糖は敗戦濃い薩軍の武器、弾薬の調達の為にも依頼されていたのである。ウイリスがその後、どのようにしたかわからないが上述した砂糖にまつわる西南戦役のもう一面をかいま見る機会があったのではと思う。
甘美な砂糖の裏には、こんな辛い悲しい話が残されていたことを心に留め、二度と同じ様な戦いが繰り返されないよう心に刻みつけたいものだ。尚小品は鹿児島新報平成6年8月29日開始された西南戦役従軍日記「空白の一日」と同じく平成8年8月26日開始された続・西南戦役従軍日記に加筆したものである。 さいごに、この小品が完成に至るまで力添えを頂きました方々、特に資料の提供をしていただいた加世田市在住の久米家の方々、それに鹿児島新報社寺師祥一報道部長、従軍日記解読にお世話になった宮下満郎氏、挿し絵を頂きました日向学院高校美術教諭河野富夫氏、そして南方新社代表向原祥隆氏に心からお礼申し上げます。
 
                  平成十一年 新春           著者
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                    
 
 
 
                                    
 
< 参考・引用文献 >
 
  久米清太郎 西南戦役従軍日記 (久米俊彦氏蔵)
 
  鹿児島史学 第39号 (鹿児島県高等学校歴史部会 平成5年3月31日発行)
 
  鹿児島史学 第41号 (鹿児島県高等学校歴史部会 平成7年3月31日発行)
 
  鹿児島県史 第4巻  (鹿児島県 昭和42年3月20日発行)
 
  屋久町郷土誌 第二巻 村落史 中 (屋久町教育委員会 平成7年3月31日発行)
 
  知覧町郷土誌  (知覧町郷土誌編纂委員会 昭和57年11月1日発行)
 
  名瀬市誌 中巻 (名瀬市誌編纂委員会 昭和46年3月発行)
 
  知覧文化 第33号「薩摩製糖組と知覧」(知覧町立図書館 平成8年3月発行)
 
  玉東町史 西南戦争資料編 抜刷(猪飼隆明、田邊哲夫編 玉東町 平成6年3月発行)
 
  薩南血涙史 (加治木常樹  大和学芸図書 昭和51年10月5日発行)
 
  熊本県史 (熊本県 1961年発行)
 
  笠沙町郷土誌 上巻 (笠沙町郷土誌編纂委員会 1986年発行)
 
  球磨之西南戦記録・人吉隊始末記 (大無内本明著)
 
  日本産業史大系・九州地方編 (地方史研究協議会編)
 
  西南の役戦没者名簿 (南洲神社社務所)
 
  歴史と地理 496号( 山川出版 1996年 12月発行)
 
  鹿児島県史年表 (鹿児島県 昭和42年3月20日発行)
 
  上屋久町郷土誌 (上屋久町教育委員会 昭和59年3月30日発行)
 
  鹿児島県議会史第1巻 ( 鹿児島県議会 昭和46年3月20日発行)
 
  西郷隆盛 上・下  井上清著(中公新書  中央公論社 1970年発行)
 
  西南戦争最強薩摩軍団崩壊の軌跡・歴史群像シリーズ21(学習研究社 1990年
                             11月30日発行)
  久米清太郎の西南戦役従軍日記 宮下満郎著 (敬天愛人第 11号 西郷南洲顕彰会
                        平成5年9月24日発行)
  西南戦争と薩軍の看護活動 宮下満郎著(敬天愛人 第16号 西郷南洲顕彰会
                        平成10年9月24日発行)
  奄美と西南戦争 山田尚二著 (敬天愛人 第11号 西郷南洲顕彰会 平成5年9月24                                日発行)
  西南戦争年譜 山田尚二著 (鹿児島県錦江湾高等学校研究紀要第15号 平成3年3
                                  月30日)
 西南之役戦没者墓碑銘(1)(2)(3)平田信芳著(敬天愛人第10、11、12号
 
 丸田南里 林蘇喜男著( 大島新聞社 平成6年12月発行)
 
 不屈の系譜 (鹿児島新報社編 昭和54年4月1日発行)
 
 薩摩藩圧制物語 前田長英著( JCA出版 1981年 10月20日発行)
 
 西郷隆盛のすべて 五代夏夫編 新人物往来社 1989年10月1日発行)
 
 久米家文書 (久米典吉氏蔵)