(9.30平和問題ゼミナール)
「インド・パキスタンの核実験とカシュミール問題」
雨宮敬亮
、98年5月、インド、パキスタンの核実験
1,両国政府の発表
A,インド 資
11日の実験は低出力装置(0.2kt)、核分裂装置(12kt)、熱核装置(43kt)
を使った
13日では0.3~0.5ktの装置(これによりアグニミサイル搭載用の小型
弾頭の開発能力を得た)
※オーストラリアの地震観測所の地震波からは、11日M4.7 5~20kt?
B,パキスタン 資
28日5つの核装置で。うち1つの威力は40~45kt
4つは小型低出力(ミサイル搭載用)
30日3つの装置で爆発、1つの穴がまだ残っている。
11日のインドの実験後ただちに準備した(17日で完了)
※5つの装置←→地震派は1つ、6kt程度
2,各国の反響
核の連鎖 ──────────┐ 懸念の表明
南アジアの緊張 ───────┤ 経済制裁 資
イスラム諸国への拡散 ────┤ バーミンガムサミット
NPT,CTBT体制の動揺 ─┘ 東京フォーラム
国による温度差 EU、中国は慎重
ロシアは消極姿勢
、両国は人的、物的資源をどうして入手したか
1,インド ― 中国脅威論
原発から原爆へ
’45 タタ基礎研究所
原子力発電−−平和利用の世界的手本(西脇)
’62 中・印国境紛争 ───┐
↓ │ オープン・オプション政策 ───┐
「中国は北の脅威」 │ │ 独自開発研究
’64 中国の核実験 ────┘ →米ソに「核の傘」要請→拒否 ─┘
' 65 プルトニウム抽出成功 '66 純度93%以上の精製能力
中心人物バーバー博士(Dr.Homi Bhabha)
ケンブリッジ大で核物理学
「強いインド」論者
留学時代の人脈 加−プルトニウム生産の研究炉「シーラス」輸入
仏−濃縮技術など
米−重水21t
プルトニウム再処理施設(93% 以上)
タタ研究所長→トロンベイにバーバー原子力研究所
実験
’74.5.18タール砂漠で12ktの地下爆発
ガンジー首相「核兵器を作る考えはない。軍事利用には引き続き反対」
「爆発の技術そのものが悪魔性を帯びるのではなく、その技
術を使う国の意志によってその性格が決まる。インドはこの
技術に関するアパルトヘイト的原則に反対。」
各国の反響
パキスタン、カナダー反発
ソ連、フランスー支持
中国−コメントせず
アメリカー実験に使われた物質を提供していない。拡散に反対
※実際にはトロンベイ再処理工場の技術供与
技術者の訓練
借款、研究費補助
2,パキスタン―インドが脅威
対インド戦争の敗北、とくに第三次戦争での大敗
↓
72.1ズルフィカル・ブット「屈辱をはらし、国家の名誉を守る核を」
(65年の発言「インドが核爆弾を製造したら、我々は草や葉を食べてで
も核爆弾を持つしかない」)
74.5インドの実験 開発急速化
中心人物カーン博士(Dr.Abudl Q Khan)
デルフト工科大、ルーベン大で、治金学、
76帰国、プロジェクト責任者に
「祖国の原爆製造のために働きたい」
幅広い人脈 蘭−高周波交換装置
独−ウラン精鉱、 ガス遠心分離器用固定装置
英−特殊変圧器
仏−遠心分離用送風器
瑞−高真空バルブ
79ウラン濃縮実験装置
84同濃縮施設
87広島型級の技術完成
↓
政府当局の言動は肯定、否定のくり返し=あいまい戦略 資
開発を支えた米戦略
建国いらい友好関係←対ソ戦略
カーター政権−開発抑止、不拡散政策
74,CIAが情報「開発完了まで最低10年、ただし外国の支援あればもっ
↓ と早い」
核兵器製造の恐れありとして軍事援助停止
SGNに再処理施設建設契約破棄要求
79.12ソ連がアフガン侵攻 インド洋への南下阻止政策
↓
軍事援助再開(ハイテク兵器など)、開発黙認
89ソ連撤兵→援助中止(F16戦闘機売却凍結など)
「核兵器開発の疑惑が残る国にはハイテク兵器を輸出しない」
※95,米上院、武器禁輸措置を5年ぶり解除
実験の背景は何か
1,インド ― 南アジアの大国 資
国境紛争
50年代後半、中国が西チベット〜新彊自治区道路(ラダク地方を通る)
62.9ラダク、アルナーチャルで紛争→戦争
63.3中パ国境協定→印パ衝突
中の介入(シッキム地方の基地撤去要求)
中国の核ミサイル開発 ― 対米核抑止力の維持
冷戦(後)期における中国の安保戦略
主敵はソ連
潜在敵国アメリカ
ポスト冷戦期
「北の脅威」減少→ICBMの照準はアメリカへ
中距離ミサイル(IRBM)はハワイ、グアムを
↓ ‖
インドは自国への核攻撃準備とうけとめる
国内の局地戦争
国外の地域戦争− 米 日 越 印 露 内外周辺地域
※インドへの自信 「国境は山岳部族だけで十分。侵攻してくるインド
軍に核兵器を使う場面は想定していない」
国内事情
・バジパイ政権への求心力を高める
・未臨海実験の準備←→CTBT
・地域大国志向
2,パキスタン ─ 「巨大なインド」構想への恐怖
圧倒的な軍事力の差 資
・第二次戦争
パンジャブ地方から侵入され、ラホール近くまで(14日戦争)
↓
ブット発言
・第三次戦争
一旦制圧した東部(バングラ)でインド軍に完全敗北
↓
南部に侵入したインド軍にも「時間切れ」停戦
基本的には国力の大きな差
戦術
・対印攻撃的防禦ー21個師団を対インド正面へ
・「汎イスラム同盟」指向 ──────┐
・対米従属外交からの脱皮 ──────┤ 異論あり
・中国との協力(ハイテク兵器など)──┘
・核、ミサイル戦力増強に北朝鮮、中国の支援を求める
3,世界の不安
カシュミールへの戦術核使用
印パ間の抑止力が動かないー先制使用の危険性
偶発的使用←管理システム未整備
イスラム諸国への拡散
NPT,CTBT体制の崩壊
両国のノドに刺さった骨、カシュミール 資
1,植民地時代のインド
直接統治(イギリス国王=インド国王)
半自治権を与えられたマハラジャ(藩王)
2,独立運動
1825,インド国民会議(疑似国会)設置
1906,全インドムスリム連盟
1919,マハトマ・ガンジーが国民会議議長に 民族運動体の性格
一次、二次大戦中、本国ー自治領関係に変化
インド兵の比重、工業化
日本軍との関係 ─ チャンドラ・ボースの国民軍
アメリカの影響力
二次大戦後
反英感情の高まり→マレー、インドネシア、ビルマに連動
↑
↓
英軍人の復員希望
工業化抑止でなく、許容して連邦軍のパートナーに
3,分離独立(46、8)とカシュミール
国民会議派、ムスリム連盟それぞれの独立案
46, 3本国の閣僚使節団
統一インド連邦案 資
マハラジャの藩王国は自分で帰属を決める
カシュミールでは藩王はヒンドゥー 独立志向 決定引き延ばし
住民の90%はムスリム
○ 第一次インド・パキスタン戦争(’47~48)
47,10 パキスタンが山岳部族を侵攻させる
藩王はインドに支援要請 ─ インド帰属の文書調印
↓
インド軍出動→ジャンム・カシュミール臨時政府
49,1 停戦 安保理決議 ─┬── 両軍で停戦決議
└── 帰属は住民投票で
※インドが英米の支持を得られなかった理由
暴動は藩王の弾圧が原因
ネルーの非同盟、中立政策に不快感
ソ連封じ込めのためパキスタンに期待
○第二次戦争('65) インドの軍事的優位が明瞭に
ブットの核武装論
背景
50年代 中印関係悪化(62武力紛争、占領)
63中パ国境協定
↓
停戦ライン付近で印パ軍の衝突事件→戦争
インド軍は南部国境も突破、ラホール近くまで
中国の介入
安保理決議で停戦(22間の戦争)
戦後経済疲弊→東パキスタンでアユーブ体制批判
○第三次戦争('71)
66アワミ連盟が州自治権拡大の綱領
東パキスタンのゼネスト→西へも波及
71,3東パキスタンのゼネスト→政府軍出動→ラーマン再逮捕
アワミ連盟が独立宣言(バングラディシュ人民共和国)
政府軍が完全制圧→ゲリラ闘争
↓ →難民970 万人インドへ→介入の口実
両軍の全面衝突→西部国境にも拡大
14日余りでパキスタンの無条件降伏
71,2バングラディシュ暫定憲法、ラーマン首相
※シラム協定
カシュミールの実効支配ライン確認
帰属は二国間交渉で
インディラ・ガンジー首相「ヒンドゥーとムスリムそれぞれ国家形成という
↓ 二つの国家論は事実が否定した」
パキスタンの疑念、恐怖(インドに全土の吸収、併合の野心)
↓
核兵器開発決定→87保有のニュースも、90原爆7個製造?
4,カシュミールの現在
48,8安保理決議「住民投票で帰属決定」──┐ パキスタン「現在も有効」
↑ │ ※橋本首相「安保理で協議を」
72,7シラム協定「二国間決議で」─────┘ インド「協定尊重」 資
対立の構図に変化
印パの争奪
↓
カシュミール独立運動←→インドの弾圧 資
↑
パキスタンの支持 核攻撃の情報も(軍部独走→クーデター)
99,5〜闘争が活発化
インドの空爆が激化、長期化のおそれ
00. 7下旬 インド政府がヒズブル・ムジャヒディンと交渉開始
ムジャヒディン ― 3カ月停戦
↓←交渉にパキスタン参加要求
決裂
↓
核戦争のおそれ(米CIA)
V、インド、パキスタンとNTP,CTBT
両国の主張 資
核の先制使用はしない。関連技術の拡散をしない。
NPT,CTBTは核独占の永続化(核保育国クラブ)
ザル法のCTBT(未臨界実験ができる)
(パ)インドが署名しない以上… …
アメリカのジレンマ
市場としてのインド 従来のパキスタン支持政策の修正
イスラムのパキスタン
とくにパキスタンの核管理体制未整備への不安
(偶発的核戦争、カシュミールでの使用)
管理体制確立に援助←→NPT体制
日本のジレンマ 資
「唯一の被爆国」だけでは通用しない
アメリカの核を前提にした安全保障体制
先制不使用を要求できない
アメリカが核の傘をはずせば日本自身が核武装
J apanese as plutonium superpower (ショーン・バーニー)
ナショナリズムだけでない国民の声 資
大国のステータスシンボルとしての核
保有を正当化するために、使用されるべき敵を新たに作り出す
(地域紛争、国際情勢分析……)
サリーナ・サラマット「多くの国民が栄養も取れず、まず衣食住が第一という状
態では、平和といっても難しい。核開発に国家予算の7%も支出する
状態がいつまで保持されるか疑問」 (長崎平和研究所通信 7)
フードボイ「パキスタンの実験は基本的に対インドである。インドは、パキスタン
がかってのソ連と同じように核保有の負担に耐えかねて自壊すること
を狙って核実験を黙認したフシがある。パキスタンでは制裁による経
済危機でイスラム原理主義運動が活発になってきたが、経済制裁はあ
くまで続けるべきである。」 (同上 8)
アチン・ヴァナイク「インドとパキスタンの間にはカシュミール問題を巡って
半世紀以上「熱い冷戦」(“hot cold war")が続いており、いまや
ここで核兵器が使われる可能性がある。インドの核実験はインドとパ
キスタンの間だけでなく、1990年代に入って平和協定を結ぶ(1991,
1996)など比較的安定していたインドと中国の関係をも悪化させた」
(長崎平和研究所『平和文化研究』 22)
バルクリシュナ・クルヴィ博士「インドとパキスタンの間には大きな不信
がある……が、両国民の間には憎しみはない。あるのはただ政治家
だけだ。」(98.11.7、第五回世界平和博物館会議で、『平和文化研究』)
参考文献
近藤治 『現代南アジア史研究』 世界思潮社 '98
長崎暢子 「インド・パキスタンの成立」 『講座世界史 9』 東大出版会'96
広瀬崇子 「南アジアの民族・国家・地域」 『講座現代アジア史 3』
東大出版会'94
西脇文昭 『インド対パキスタン 各戦略で読む国際関係』 講談社新書'98
黒沢満 『核軍縮と国際平和』 有斐閣'99
浅田正彦 「ポスト冷戦機の核不拡散体制」 納家・梅本『大量破壊兵器不拡
散の国際政治学』 有信堂'00
原水禁国民会議 『放射能まみれ、核まみれ』 同会'93
外交フォーラム 144 都市出版
長崎平和研究 5, 6 長崎平和文化研究所
核兵器、核実験モニター 16 ピースデボ