2月平和問題ゼミナール

冷戦後の地域紛争と『文明の衝突』

 

2002/02/23

報告者  山下 美香

 

ビデオ紹介 『ハンチントン博士と語る 21世紀の文明のゆくえ』(73分)

 

問題提起:冷戦後の地域紛争はフォルト・ラインで起こっていると言えるか?

 

1・『文明の衝突』論

1993年にハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授が、雑誌『foreign・affairs』 に寄せた論文。冷戦後の世界を「西欧対非西欧の対立」と予言している。

 

著者の主張

(1)            文明の本質

            文明は人を文化的に分類する最上位の範疇

―文明を作る要素

客観的要素…宗教を中心に言語、歴史、生活習慣、社会制度など

主観的要素…人々の自己認識(アイデンティティ)

            文明は時間の経過と共に変化する

            持続、発展し、動的で栄えたり衰えたり結合、分裂する

            文明は冷戦後の世界は7つまたは8つの文明に分かれる。

―西欧文明,中華文明,日本文明,ヒンデュー文明,イスラム文明,東方正教会,ラテンアメリカ文明,アフリカ文明

            それぞれの文明に属する人たちの自己主張が、国際関係の利害をめぐる衝突になる。

            イデオロギーと超大国との関係によって規定されていた国家間の協力関係は、文化と文明によって規定される協力関係に移行しようとしている

 

(2)            西欧とその他の国々

 

            西欧

            共産主義の崩壊により自由主義のイデオロギーが勝利をおさめ、自由主義こそ普遍的に価値があるという考える

            世界経済体制に非西欧の経済を組み入れ、自分たちの経済的利益を増進させる(IMF)

            普遍であった西欧文明の影響力が、相対的に低下しつつある

            非西欧

            西欧を帝国主義と考え、その支配から逃れたい

            イスラム、中華は緊張状態で敵対的になる可能性がある

→儒教−イスラム・コネクション

            政治的な敵(西欧)が共通している

            軍事力を増強しようとしている。

            ラテンアメリカとアフリカは文明の力が弱く、西欧に頼っている部分が多いので紛争は起こらない

            ロシア、インド、日本は中間的なものになり、揺れ動く文明になる

            経済開発に成功したアジアと人口の増加が著しいイスラムの文明の力が強くなっている

            西欧化と近代化を別に考え、脱西欧を唱えながら一方で近代化を取り込んでいる

   

(3)            文明の衝突

⇒グローバルな広がりをもった種族間の紛争である

●異文化間の紛争の形

ミクロレベル;文明に差異により、地域で紛争が起こる

マクロレベル;中核国家の紛争が、異文明の強国の間に起こる

●中核国家間の戦争の原因

    ・お互いが文明の断層線に隣接していること

    ・地域レベルの紛争が起きているときに、紛争の当事者を援助しようとする場合

    ・文明間で世界的な勢力バランスが崩れたとき

 

(4)            フォルト・ライン紛争

⇒異なる文明圏の国家や集団の間に起こる、共同社会同士の紛争。

 

フォルト・ラインで紛争が起こる理由

@            国際政治が多極化、多文明化している

A            文明間の勢力均衡が変化した―西欧の衰退、アジアの拡大、イスラムの不安定化

B            各文明の中核にまとまる傾向がある

C            西欧対イスラム、西欧対中国が深刻になる予兆がある

 

特徴 

@            国家の内部では一定の地域にまとまって暮らす集団が関係する場合が多い

A            人々を支配するための戦いになるが、領土の支配が原因となる場合も多い

B            集団のアイデンティティの問題がからむ

C            終わったと思うとまた始まり、大きな暴力になったり、小競り合いになったりする

D            多数の死者や難民が出る

E            長期的に続き、暴力行為が激しく、イデオロギー的に曖昧である

 

(5) ハンチントンの考えに対する否定的意見

単に西欧文明の擁護を目指したもの

8つの文明の定義の曖昧さ

文明と文化の混合

文明の衝突のゆがみ

 

2・ポスト冷戦期における紛争

@            湾岸戦争

→イラクが1990年8月2日、クウェート領に侵攻したのに対して、アメリカを中心とする西側ならびにアラブ諸国が多国籍軍を結成。国連安保理の決議を背景にして91年1月17日からイラク軍に対する軍事攻撃を開始し、イラク軍を壊滅させてクウェートからの撤退を実現させた戦争。

 

○原因

イラン・イラク戦争が終わってからイラクの経済が行き詰まりをみせ、イラクが石油が豊富なクウェートに対し反感を持ったから。イラクは石油大国を目指し、豊富な油田がありペルシャ湾への出口を確保するためにも、クウェートを併合したいと考える。この時期は冷戦が終結したばかりで、世界が混乱している隙に狙ったものと言われている。経済的利害をめぐる主権国家間の戦争

 

○背景

   イラク・クウェートは西欧植民地時代の遺産である。イラクは、1961年イギリスから独立したクウェートを自分たちの領土だと要求するが、63年にはイラクはクウェートの独立を認め国境が確定された。しかしイラクはクウェートを切り離せないと言う。国境の修正をもとめるなどの混乱が続いていた。

 

 

A            コソボ問題

→新ユーゴスラビア(1992年4月から)の内部のコソボ自治州における、アルバニア人(イスラム)と(セルビア人(東方正教会)の対立。NATOが仲介になり和平案を提出するが、ミロシェビッチがこれを拒否し、1999年3月NATOはユーゴに対し空爆をはじめた。空爆後、アルバニア系住民を追い出す民族浄化を進め、

6月には和平案を受諾し空爆を停止。

 

○原因

セルビア共和国・コソボ自治州の人口の90%を占めるアルバニア人は、コソボの地位の格上げや、他の共和国と同じ権利を得ることを要求。しかし少数派の正教会系セルビア人はコソボを自分たちの聖地「エルサレム」だと考え、譲ることができないため対立している。このセルビア人の不満を利用し支持を得たのがミロシェビッチ大統領である。ミロシェビッチは憲法改正、コソボの権限を縮小した。これによりアルバニア人がコソボ共和国を樹立し、自らが憲法を制定し反発している。

 

○背景

コソボ自治州は岐阜県ほどの大きさだが、14世紀ごろ、中世セルビア王国の中心地だった。17世紀ごろセルビア人は宗教的抑圧を受け、コソボを離れていった。その後入植したのがアルバニア人である。さらにアルバニア人は、祖先がコソボに住んでいたとして、コソボを自分たちの土地だと思っていた。

 

 

B            チェチェン紛争

→チェチェン共和国は、ソ連崩壊の直前にロシアからの独立を目指していた。これに対しエリツィン大統領は1994年軍隊を導入して激しい空爆をした。

 

○原因

 埋蔵量世界一といわれるカスピ海沖に油田がある。ロシアのエリツィン大統領は、チェチェンに走っている石油パイプラインを利用し、石油を手に入れようとした。しかしチェチェンのデュダエフ大統領はパイプラインを押さえていたので、ロシアは手の打ちようがなかった。そこでデュダエフ政権を倒そうとし、一時はチェチェン側にやられそうになったが軍隊を投入した。2001年まで全面停戦状態にある。

 

○背景

18世紀末から、帝政ロシアは北カフカス地域の植民地化をはじめた。ロシアが対トルコ戦争を遂行するために、チェチェンなどの山岳地域を支配下に入れておく必要があった。ロシア革命後にも山岳民族が独立戦争をしている。

 

C            中国・新疆ウイグル自治区の独立運動

→新疆ウイグル自治区に住む人口の半分がトルコ系イスラム教徒のウイグル族で、他にカザフ族、キルギス族、タジク族などが住んでいる。中国の西北部にあり、8ヶ国と国境を接するこの地区は民族・宗教問題がくすぶっている。1999年イスラム教徒の青年グループが新疆独立を叫び、警察隊と衝突した。

 

○原因

かつては社会主義体制下にあったが、ソ連の締め付けがゆるんだことで、ウイグル族の活動が一気に活発化し、さらにソ連の崩壊でイスラム圏の民族主義が高揚してきた。冷戦の終焉という国外情勢の変化と、同じトルコ系のカザフスタンやキルギスタンの民族運動という隣国で起きている活動の影響を受けて活発化している。

 

○背景

 新疆は1949年中国成立前、東トルキスタン共和国という国家が存在していた。この共和国は、当時の中国国民党政府と和平を結んで解散した。この独自国家の再興が、新疆の分離独立運動の根源にある。

 

D            イスラム原理主義(エジプト)

→1997年エジプト南部の観光地ルクソールで襲撃テロ事件が発生。イスラム原理主義組織であるイスラム集団が犯行声明を出した。エジプトのルクソール事件は、ビンラディンからの資金援助があったとされている。

 

○原因

イスラム集団は、エジプト政府の転覆とイスラム国家の樹立を目指していた。観光客を狙ったのは、エジプトの主要収入源である観光産業に打撃を与え、政府を揺さぶりかけることが狙いである。

 

   ○背景

イスラム原理主義の根幹は、現代社会の乱れや腐敗など、西洋文明や非宗教的政権が抱える問題点を批判し、イスラム法に基づく理想社会の実現を目指すことにある。湾岸戦争でサウジアラビアがアメリカ軍の駐留を受け入れたことが、さらに過激派の反米テロが激化した。

 

 

 

3.ポスト冷戦期における紛争の直接的な原因

(1)冷戦後の世界の紛争類型

@ 冷戦の遺産としての紛争(東西冷戦がもたらしたイデオロギー対立)

A 宗教による対立

B 資源や経済的な利益をめぐる紛争

C 領土をめぐる争い

D 独立や分離を求める内戦

 

(2)特徴

            第三世界を舞台にして紛争が局地化ないし内政化される傾向が顕著であるが、ほとんどの紛争が複数の要因を持った対立状況である。

            諸国の指導者や知識人は、米国の社会や文化の性質に対して批判している

 

(3)原因

@           国際政治の構造の緩和

A           民主化と市場経済化という新秩序的変動

B           イデオロギーから宗教、文化意識が問題になったこと

 

(4)『文明の衝突』との共通点と相違点、

○共通点

            米ソによる紛争管理体制が崩壊し、冷戦後の世界は混沌である。

            地域紛争は政治、経済、民族、宗教、文化、歴史、人権、環境などあらゆることが要因となる

            イスラムを旗印にした紛争が急増している

○相違点

            世界秩序の形成には軍事力による

            世界は求心的な状況だけではなく、遠心的な状況もある

 

まとめ

ハンチントンは湾岸戦争がフォルト・ラインでおこった戦争と言う。しかし詳しく見るとイラクは戦う対象が変わっている。第1期はイラク対クウェートで、第2期はイラク対多国籍軍である。多国籍軍が介入した部分はイスラム対西欧のフォルト・ライン戦争といえるが、きっかけとなった第1期のイラクとクウェートは同文明で、単に資源や経済的な利益をめぐる争いだといえる。この部分はフォルト・ライン紛争だとは言えない。

コソボ問題は、連邦国家解体時におきたコソボ自治州という土地をめぐる、アルバニア人とセルビア人の意見の対立である。第2次大戦後はチトーによって社会主義連邦国家として独立を保っていたが、チトーの死後、ミロシェビッチ大統領の野心的な政治により紛争が起こった。宗教問題、民族問題、領土問題など、あらゆる基準を含み、フォルト・ライン戦争だといえる。

チェチェン紛争は、イスラム教徒であるチェチェン人植民地化されていたときから独立をめぐる争いである。文明の要素をみたし主観的要素のアイデンティティの問題なのでフォルト・ラインだと言えない。

中国・新疆ウイグル自治区の独立運動について、ハンチントンは異文明間で起こっていると考える。それはウイグルをイスラム文明として定義し、文明の衝突としている。しかし、ウィグル自治区にはウィグル族以外にも多くの民族があり、それぞれが異なる文明に属するのではないかと考えられる。だからイスラムとひとまとめにはできないのではないだろうか。

イスラム原理主義は、西欧対イスラムのフォルト・ライン紛争と考えられる。原理主義組織は穏健派から過激派までさまざまな種類があるが、その活動は西欧文明がイスラム社会にもたらした弊害に対する「異議申し立て」の性格に現れている。

以上の事より、冷戦後の地域紛争はフォルト・ラインで起こっているといえるのかという問題提起に対してイエスであり、ノーである。

 

参考文献

            サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳『文明の衝突』集英社 1998年

            フォーリン・アフェアーズ・ジャパン編『フォーリン・アフェアーズ傑作選1922−1999 アメリカとアジアの出会い』 朝日新聞社 2001年

            谷沢詠一監修『Voice主要論文集』PHP研究所 1997年

            山内昌之著『イスラームと国際政治』岩波新書 1998年

            吉川元、加藤普章編『マイノリティの国際政治学』有信堂 2000年

            加藤朗編『脱冷戦後の世界の紛争』南窓社 1998年

            池上彰著『そうだったのか!現代史』集英社 2000年

            浦野起央著『現代紛争論』南窓社 1995年

            毎日新聞社外信部編『図説 世界の紛争がよくわかる本』東京書籍 1999年

            粕谷一希編『外交フォーラム9月号No.48』世界の動き社 1992年