(平和問題ゼミナール報告レジュメ)

              カシミール危機

―インド・パキスタンの宿痾―

1,なぜ国際的な問題なのか                                雨宮敬亮

  単なるインドの国内問題、インド、パキスタンの二国間問題であるだけでなく、「終末時計」の針をぎりぎ

  りまで進める国際的な問題としてとらえられるのは何故か。

  「カシミール問題はインド、パキスタンの核開発問題と深く連動している。」(堀本武功)

    (印パ間には)核相互抑止のメカニズムは存在しない。・・・管理システムは米ソのように精緻とは言えない

   だろうから、誤算や事故による偶発核戦争の可能性も否定できない。」(高柳先男)   資@

2,カシミール問題とは

旧カシミール藩王国地方の帰属をめぐる争い  資A  

(1)   カシミールの位置   資 B

(2)   問題の発生

インド、パキスタンの独立 ’47.8

 クリップス使節団の統一連邦案   資C

  藩王国の帰属はそれぞれが決める

 カシミールのばあい

  藩王・・ヒンドウ  独立を狙って決定引き延ばし

  住民・・スリムが多数     資D

    カシミールの特異性

    ・地理的にも住民構成上も統一性がない

    ・パキスタンと広い国境線

    ・藩王専制への民衆の抵抗運動

(3)   紛争の発生

’47,8,14 パキスタン独立

キルギット直轄地の英軍撤収

プーンチ地方のムスリム暴動( パキスタン帰属要求)

10,20  パターン人900 人が越境(22 日後続数1000 )

   24 アーザード・カシミール臨時政府

  27 藩王の要請で印軍スリーナガルへ空輸→奪回作戦

’48,1  両国が国連に提訴

   パキスタン正規軍が侵攻

 8 月 国連決議(’49,1 停戦)

3, 3 回にわたるカシミール戦争( インド・パキスタン戦争)

 ( 1) 第一次戦争

   国連の停戦決議はパキスタンを侵略者と認定せず、単なる紛争地域とした

 (2) 第二次戦争

   ’65,8 反政府勢力がインド軍と衝突

    9パキスタン軍がインド側チャンプル に侵攻

     インド陸、空軍が南西国境を越え、ラホールへ

     安保理停戦決議→9,23 停戦

   ’66,1 タシケント宣言 資E                                                                                                                                                                                                              

(3)  第三次(バングラデイシュ独立戦争)

’71,11  パキスタン政府軍が東パキスタン住民の独立要求弾圧に出動

        ↓

    多数がインド領( カルカッタ地方) に脱出

     12,3  インド軍が東パキスタン支援( 「人口学的侵略への戦い」)  

             戦場はカシミール、西パキスタンへも

     12,16  東パキスタン戦場でパ軍降伏→西パキスタン、カシミール戦線も

72,7  シムラ協定   資F

    停戦ライン→管理ライン

  (4) 大国の思惑

( ) 対ソ、対印カードとしてのパキスタン

      ↓

   関係冷却  核疑惑で経済、軍事援助停止

      ↓

   再接近、支援

     タリバン、ISI

      再冷却  武器禁輸

      再々接近、親密化

(ソ)  インドとの友好関係→中パvs ソ印の構図

’55,12  フルシチョフ「カシミールはインドの一部」

’71,8   印ソ平和友好条約

     ( ) ( 対インド)

             ’50 年代後半新疆自治区―西チベット自動車公道建設

         ( ラダク地方とアクサイチン地区を事実上支配)

         東部国境紛争( マクマオンラインを国境と理解)

             ’59,3  チベット反乱、ダライラマの亡命

        ’62,9-10  ラダク地方とアルナーチャル地方の一部占領

          一方的に停戦宣言

      ( 対パキスタン)

        ’63,3   中パ国境協定( パキスタンがキルギットの一部割譲)

             ’64,2   周恩来「( カシミールの解決は) 住民の意思に基くべし」

4, 印パ関係の変遷

  T期  三回の戦争  ジャンムカシミールとアーザードカシミールの固定分割不可

     インド・・ セキュラリズムが国民統合の理念

     パキスタン・ 統合理念としてのイスラムが完成しない

           対印脅威   対等願望症候群

  U期(‘70~’80 年代)  両国の志向明確化

     インド・・ 地域大国へ

     パキスタン・多民族統合のためのカシミール( 国際的アピール)

           中東への接近

  V期(‘90~  )  インド側カシミールで分離派のテロ

     ’80 年代に始まる独立要求が本格化       資G

5, ’90 年代の新聞記事から

      ’90,7,15  ジャンムカシミール騒乱地域法施行、報道管制

 ’91,8,27  プーンチで衝突

      ’92,2,13  アーザードから侵入ゲリラと政府軍がプーンチで衝突

 ’93,1,7   治安部隊がイスラム武装勢力掃討、40 人殺害

       11,10  治安部隊とパキスタン特殊部隊が本格交戦

 ’94,8,21  アーザードから侵入した12 人を射殺

      ’95,5,12  チャラシシャリフで住宅放火、500 戸以上焼失

          印パ双方が相手の情報部、分離主義者の陰謀と非難合戦

         5,21  シアチェン氷河南西部で両軍交戦

           パキスタン兵約60 人死亡( ザタイムズオブインデイァによる)

       ’96,1,4   カラチで元旦から三日にかけて市民26 人の虐殺死体発見

           ( モハジール民族運動と治安部隊の衝突か)

 ’97,3,29   JK で爆破事件 死亡12, 負傷50

 ’98,4,19   ヒンドウ26 人をムスリムゲリラが殺害

 ’99,11,4   カシミールでインド軍司令部を攻撃 兵士ら9 人死亡

 ’00,2,10  民兵が警察本部を襲撃 10 人死亡

       12,23  イスラム過激派陸軍兵舎を攻撃

6、現在の状況

 ’01,12,13  インド国会議事堂襲撃事件→宗教暴動が全国的に  資H

 ’02  3月を境に全国的宗教暴動からしだいにカシミール中心に

 ’02,5,23  インド首相「戦いのとき」            資I

    24    英パキスタン避難、オーストラリアも       資J

    25    パ、きょうミサイル実験 インド政府に通告

26   パキスタン実験に成功 核弾頭搭載可能

窮地なら核で先制                資K

27   パキスタン連日ミサイル実験 インドを一層挑発

      28    ( 核心評論) エスカレートする印パ対立      資L

      29    印パ、核弾頭実戦配備か             資M

24              30    英外相、平和的な打開要請

25              31    インド軍ミサイルに弾頭装備           資N

核の反撃否定せず、パキスタン国連大使

               米市民の印パ脱出計画へ             資O

                  カシミールで印パが砲撃戦           

          6,1   米大統領 印パに国防長官派遣へ

         2     強まる対パ圧力、強気貫くインド

         3     国連職員家族退去を始める            資P

         4      事態打開へ個別協議 アジア信頼醸成会議開幕

   5      アジア信頼醸成首脳会議 印パが非難の応酬

         6      テロ共同監視を提案 インド首相

                7       緊張緩和の努力訴え 米国務長官パキスタン訪問

戦闘で13 人死亡、カシミール 在留邦人の避難加速  資Q

        8       開戦へ備え着々                   資R

        9       印パ危機に打開の兆し                資S

インド偵察機を撃墜

7、日本が解決の道を探れるか

 (1) 有識者の意見                       資(21)

  (2) 現地の良識と日本

   ウデイン・バット氏( 大学講師、ムスリム) から中国新聞の取材

    「戦争の痛みを知る日本がカシミールの和平のために手を差し伸べてほしい」……

    ・・日本への期待は核兵器廃絶の実現だけではなかった。戦争や地域紛争を終わらせてくれる調停者

     仲介者としての役割でもあった。 ( www.chugoku-np.cop./abom/...)

   日本政府( ’99,5 管理ライン付近の戦闘に対して)

    外務省報道官談話

       両国間の緊張緩和への勢いを損なうのみならず、南アジア地域にも深刻な不安を及ぼすものと

     憂慮しており、わが国は印「パ」両国に対して自制と速やかな戦闘停止を要望する。

                      ( www.mofa.go.p/mofa/happyo/dannwwa/  )

      現地の軍事担当者( 西脇文昭防衛大教授に)

     ( 唯一の「被爆国」からのアピールに対して) 米国の核の傘に守られている日本がわれわれにそん

     なことを言えた義理か。→西脇氏の述懐「日本外務省の核廃絶外交が国際社会で迫力を感じさせな

     い最大の原因はこの核の傘問題にある。・・ 日本はこの問題と真正面から向き合わざるをえない

     時期」・・( 『インド対パキスタン』p182)

8、両国の国内事情

(1)    インド

   ヒンドウ・コミュムナリズムの背景              資(22)

 

   会議派のセキュラリズム停滞                                  資(23)

      人民党内の穏健派とRSS( 民族義勇団)派の消長        資(24)

   他州のイスラム、シーア教徒の分離要求            資(25)

   最下層カーストの政治参加→多党、会議派、人民党離れ

   中、米との良好な関係

(2)    パキスタン

 軍事力の劣勢とキャチアップ                 資(26)

  経済を圧迫する軍事費                    資(27)

 民主化の停滞                        資(28)

  ムシャラフの地盤の安定度

 三軍統合情報部(ISI),アルカイダへの対応

 (3)ムスリム常識派の台頭と反発

    カシミール独立派の動き

9, 衝突を回避させたもの                       資(30)

  (1 ) 対パレスチナと異なるアメリカの対応

   両国との緊密な関係

   核クラブ入り阻止( 現に保有している→「平和」利用への押し込め)

      イスラム原理主義のテロ対策

   インドの市場価値、パキスタンの地政学的条件          資(31)

(2)    今回の仲介はアスピリン療法

(3)  インドのセキュラリズム復活とパキスタンの民政化の成功がカギ

 

 

参考文献   

落合淳隆  『インド・パキスタン・カシミール紛争』 外務省 S47

堀本武功  『70 年代以降のカシミール』     外務省 H3

辛島昇   『南アジア』             朝日新聞社 ’92

スミット・サルカール『新しいインド近代史U』( 長崎暢子訳)  研文出版 ’93

アジア軍事分析グループ『アジア有事七つの戦争』 二見書房 ’96

中村平治  『インド史への招待』        頚草書房 ’97

堀本武功  『インド現代政治史』        刀水書房 ’97

近藤治   『現代南アジア史研究』       世界思想社 ’98

西脇文昭  『インド対パキスタン』          講談社新書 ’98

R・Dグリーン『核兵器廃絶への新しい道』( 梅林宏道訳) 高文研 ’99

山田宏、吉川元『なぜ核はなくならないのか』   法律文化社 ’00

黒田竜彦  『女盗賊プーランは誰が殺したのか』 KKベストセラーズ ’01

高柳先男  『戦争を知るための平和学入門』   筑摩書房 ’01

 ( 論文)

長崎暢子 「インド、パキスタンの成立」( 歴史学研究会編『講座世界歴史9』 東大出版会 ’96

堀本武功  「ヒンドウ主義の逆襲にさらされたインド政治」( 『世界』96,7 )    

広瀬崇子  「南アジアの民族、国家、地域」(萩原宣之編『講座現代アジア3』 東大出版会 ’97  

長崎暢子、広瀬崇子「『強い国家』を目指すインド人民党連立政権」( 『世界』’98,5)

堀本武功  「なぜ印パは対立するのか」( 外交フオ―ラムNo144』 都市出版KK  ’00 )