< 要 旨 >

「新しい戦争」と二つの世界秩序の衝突−911事件から世界は何を学ぶべきか

 木村 朗(鹿児島大学法文学部、平和学・国際関係論専攻)        

「9・11テロを境に、世界は変わった」といわれるが、果たしてそうであろうか。確かに、9・11事件以後の世界は戦争モード一色に覆われつつある。米国のブッシュ政権は新保守主義者(ネオ・コンサーバティブ)が主導権を握り、「新しい戦争(対テロ戦争)」を掲げ、アフガニスタン(に続いて、イラクに対しても一方的攻撃を国連や国際世論を無視する形で強行した。米国内では、事件直後から主にアラブ・中東系の人々に対する予防拘禁や盗聴・検閲の強化がテロ対策(愛国者法の制定等)の名の下に実施されている。日本は、その米国の「正義」に追随し対アフガン戦争に第二次大戦後初めての参戦をしたばかりでなく、イージス艦派遣や燃料補給等を通じて対イラク戦争への側面支援を行った。また日本政府は、拉致・不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、ミサイル防衛(MD構想)への全面的参加と朝鮮有事への対応を前提とした有事法制化を積極的に推し進めている。

しかし、こうした米国を中心とする世界の急速な軍事化・帝国化の動き、すなわち新保守主義者による「新しい帝国秩序」の形成とは逆の潮流が、国連を中心とする民主的かつ平和的な「多元的世界秩序」の構築を求める「世界(あるいは地球)市民主義」の萌芽、世界的規模での反戦・平和運動の高揚や反グローバリズム運動の登場となってあらわれている。米国は、最終的にイラクへの武力行使を容認する国連決議の採択に失敗し、史上最大規模の反戦・平和運動が行われ国際的に孤立する状況下で正当性を欠いたままイラクへの侵略戦争を敢えて強行した。イラクへの攻撃前に国民の過半数がそれに賛成した国家は、世界の中で米国とイスラエルのみであったという事実は、いかに米国が国際的に孤立していたかを示している。

このように、9・11事件後の世界は、新保守主義者が主導する米国中心の「新しい帝国秩序」と、それに反対する市民・NGOによる国連を軸とする「多元的世界秩序」という二つの世界秩序が衝突しせめぎ合っているといえよう。

本稿の目的は、9・11事件で浮上した国際社会にとって緊急な課題、すなわち、安全保障・軍事同盟の見直しを含めた世界秩序の変容を根本から問うとともに、21世紀における世界秩序のあるべき姿・方向性を探ることにある。

1999年3月のNATO空爆、2001年10月のアフガン戦争の場合、米国は国連を通さずに、前者ではNATOを後者では同盟国イギリスを率いて一方的な武力行使を行った。こうした米国の国際法を無視した一方的な軍事行動に対して国際社会、とりわけ国連はなす術をもたずに完全な沈黙を強いられた。ところが、今回のイラク戦争では、米国は国際協調を重視する国内世論や多くの反対派を国内に抱える同盟国の英国・日本等の要請に応える形で、イラクの大量破壊兵器問題を国連安保理で審議する選択を行った。そして、一旦はイラクに対して国家主権を大幅に制限する厳しい条件付の査察を求める決議(安保理決議1441)を満場一致で採択することに成功した。しかし、イラクは予想に反してこの決議を受け入れ、また国連査察団にもおおむね協力的であった。米英両国が兵力を湾岸地域に集結させイラクに対する武力攻撃が急迫する中で、国連査察団は米国の圧力に屈せずに中立・公平な活動を貫いた。結局、国連安保理で米国に同調する国はわずかに3ヵ国(英国、スペイン、ブルガリア)で、イラクへの武力行使を容認する新たな国連決議の採択に米国は失敗した。それにもかかわらず、米国は英国・豪州等とともに、有力な同盟国である独仏の反対や圧倒的多数の国際世論を無視する形でイラクに対する一方的攻撃を強行したのである。また、イラク「戦後」においても一向に大量破壊兵器の存在が「発見」されていないばかりか、米国内でイラクの大量破壊兵器保有に関する情報操作疑惑が浮上したことは、いかにこの戦争が正当性を欠くものであったかを改めて示しているといえよう。

注目すべき点は、今回のイラク問題をめぐる国連の対応についての評価である。国連が米国のイラク攻撃を阻止できなかったという事実だけを指摘して、国連の機能不全と権威失墜を強調し、否定的に評価する見方が米英の軍事行動を支持する論者の中にみられる。しかし、これは果たして妥当であろうか。むしろ、国連の多国間主義が今回ほど見事に機能したことはなく、イラク問題への対応を通じて、国連が世界的民主主義の中心であり国際的正統性を付与することのできる唯一の普遍的存在であることを実証・確認したといえるのではないだろうか。また、一部の論者によって国連の多国間主義が機能することを妨げたのは独仏露であるとの批判が出されたが、これは本末転倒の議論といわねばならない。なぜなら、事実は逆であって、米英両国こそが国連の多国間主義を否定して一方的に離脱したからである。独仏露をはじめ安保理メンバーの多くはそれを最後まで守ろうと努力したのであった。イラク戦争阻止を掲げて世界各地で繰り広げられた反戦・平和運動で「フランスへの連帯」が表明されたという事実は何が真実かを如実に物語っているといえよう。

 21世紀初頭の国際社会は、新保守主義者が主導する米国を中心とする「新しい帝国秩序」と市民・NGOによる国連を軸とする「多元的世界秩序」という二つの世界秩序の選択を迫られている。現代世界において二つの世界秩序は国際・国内を問わずあらゆるテーマ・場面・場所で衝突し、日々せめぎ合っているといえよう。

この二つの世界秩序の衝突を具体的に考える上で見逃すことができないのが、国際刑事裁判所(ICC)創設問題であろう。国際刑事裁判所は、その規程を決めるローマ会議が148カ国の政府代表やNGO・専門家等の参加で1998年に開かれて以来、大方の予想を上回るスピードで2002年4月11日に批准60ヵ国に達して同年7月1日にローマ規程が発効した。第二次大戦後に制定されたジェノサイド条約(1948年)やジュネーブ四条約(1949年)等を柱とする国際人道法が、半世紀の紆余曲折を経て、対人地雷全面禁止条約(1999年3月発効)と並ぶ最も大きな成果を生み出したものといえよう。国際刑事裁判所は、きわめて限定的な管轄権しか有していないとはいえ、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略の罪という4つの犯罪を起訴し、紛争下での非人道行為に対する個人の責任を問うことができるようになった。設立にいたるまでの経緯で注目されるのは、国連総会が構想の作成・具体化でイニシアティブを発揮し、小国・NGO等が重要な役割を果たしたという点であろう。英独仏伊等多くの大国を含む139カ国がローマ規程に署名したが、米国と日本は中国・インド等とともに署名手続きをまだ行っていない。その中でも米国は、ブッシュ大統領が批准しないことを明言し、国際刑事裁判所への一切の協力を拒んでローマ規程に明確に反対する唯一の国になっている。

米国はなぜこのような強硬な姿勢を国際刑事裁判所に対してとっているのであろうか。その理由は、ある意味で明確である。米国は、自国を中心とする「新しい帝国秩序」を形成しようとしており、将来の世界政府へ発展する可能性を秘めた唯一の国際機構である国連から生まれ「世界市民主義」と同じ流れ・性格をもつ国際刑事裁判所との共存を不可能と考えているからである。米国にとっては、世界の統治権を持つ帝国の市民(「帝国主義的市民」)である米兵が万が一にも国際刑事裁判所で罪を問われるようなことがあっては決してならないのである。このように考えるからこそ米国は、国連に対して自国の滞納金支払い拒否や国連部隊からの米軍部隊の撤収等の圧力をかける一方で、同盟国・友好国に対しても軍事的威嚇や権益供与等あらゆる手段を使って同調させ、国際刑事裁判所設置条約への批准を本気で阻もうとしたのである。さらに、アフガンやイラクの「戦後」において、米英等の戦争犯罪を追求するNGO・市民たちの活動が世界中で活発化するなかで、それを米国が露骨に嫌って干渉する動きが出ていることも指摘しなければならない。

ブッシュ政権は、9・11直後にフセイン大統領等外国の要人暗殺を再び解禁し、ビンラディンらテロ容疑者が逮捕された場合には自国の特別軍事法廷で一方的に裁くことを打ち出し、実際にそれを行った。このことは、米国が世界の検事と裁判官ばかりでなく死刑執行官をも兼ねるようになったことを意味している。キューバのグアンタナモ基地にアフガニスタンから連行された「捕虜」に対する人権無視の対応をみればその重大性が理解できるであろう。ここにはまさに、二つの世界秩序が衝突する本質的な問題があらわれているといえよう。

 9・11事件後の国際社会による対応を冷静に観察するならば、米国はすでに帝国化して「世界最大のならず者国家」(チョムスキー)になろうとしているという現実が見えてくる。また、その最大の同盟国は、中東におけるイスラエル、ヨーロッパにおける英国、そしてアジアにおいては日本であるという構図が自然に浮かび上がってくる。これは、現在あまりにも先進大国中心で貧富・経済格差の拡大等歪んだ形で急速に進んでいる経済のグローバル化という問題において、米英等が牛耳る三つの国際機構、すなわちIMF(国際通貨基金)、IBRD(世界銀行)、WTO(世界貿易機構)が人類的解決をはかるための最大の障害となっているという点と類似している。

イラク戦争に「勝利」したブッシュ政権は、最大限の国益を確保するために、これまでの同盟関係や国際機構との関係を全面的に見直し、必要であればテーマ別の「アラカルト有志連合」や「第二の国連」を作って問題に対処するという、「新しい帝国秩序」の構築にあくまでも執着する姿勢を変えていない。しかし、その一方で、イラク戦争で生じた米欧間の亀裂の修復はいまもほとんど進んでおらず、米国は国際社会からの信頼と国際的な正当性を急速に失いつつある。国連、国際世論、同盟国・友好国との関係、そして国内世論の動向等を深く観察すれば、実際には帝国の崩壊はすでに始まっているともいえよう。

このような状況の中で問われるのが、日本の動向である。これまで通りの米国追随一辺倒を変えずに「新しい帝国秩序」の中で「第二のイギリス(あるいは小さな米国)」を目指していくのか、あるいは明確な理念・構想に基づいた主体的な外交政策を展開して民主的かつ平和的な「多元的世界秩序」に貢献するのか、が今日ほど重要な意味をもっていることはない。しかし、日本政府は、これまでアフガンに続いてイラクに対して行われた明らかな国際法違反の「侵略戦争」を終始一貫して支持し、米国主導の不当な「占領行政」にも自衛隊を派遣して積極的に加担しようとしている。また、ブッシュ政権内の新保守主義者がイラクの次の標的を北朝鮮に定めようとする動きが出ている中で、日本はそれに呼応するかのように北朝鮮敵視政策へと急速に転回し、朝鮮有事を前提とした有事法制を本格的に整備して朝鮮半島を舞台とした近未来の戦争への道に次第に踏み込もうとしている。

日本国内では、2001年12月の武装不審船事件や、昨年9月17日の日朝首脳会談で拉致問題が全面的に浮上したのを契機に、一挙に排外主義的風潮が強まり、在日コリアンへの嫌がらせの急増等で顕在化するにいたった。この北朝鮮脅威論の高まりを背景に、対北朝鮮強硬派が台頭し、対基地(先制)攻撃論や核武装論等の軍事的な強硬意見が、有事法制必要論と結びつく形で相次いで出ている。5月に行われた日米首脳会談でも北朝鮮問題が主要議題にのぼり、日米両国政府は朝鮮半島問題の平和的解決を表面上は唱えながらも、その一方で、経済制裁・海上封鎖の発動や最後の手段としての軍事力行使も排除しない姿勢も見せている。しかし、こうした日米両国による強硬路線は、朝鮮半島問題を真の解決に導くどころか、イラクに続いて朝鮮半島に戦火を招来することになりかねない危険な賭けであると言わざるを得ない。

いま日本に求められているのは、米国の危険な核・軍事戦略に積極的に荷担して「新しい帝国秩序」の主要構成員になることではない。戦争国家・警察国家への道を選択するのではなく、平和憲法と「非核三原則」の原点にもどって日本の「非核・不戦」の意思を明確にし、核廃絶と軍備完全撤廃を目指して、世界的な民主主義・平和主義を強化する立場にもどることである。朝鮮半島問題では、あくまでも平和的解決を目指して、軍事的強硬路線を採るブッシュ政権を韓国とともにねばり強く説得して、朝鮮半島全体の非核化を含む北東アジア非核地帯化構想の実現に向けて努力を傾注すべきである。有事法制を放棄することが必要なことはいうまでもない。
今日の国際社会で最も緊急の課題は、「新しい帝国秩序」の構築を目指して暴走を続ける米国に歯止めをかけて理性と法の支配に基づく世界的な民主主義・平和主義の方向に導くことである。NGO・市民を中心とした世界的な草の根ネットワーク(自治体や中小国、一部の国際機関等も参加可能)に基づいて、イラク開戦前に世界的規模で繰り広げられ米英等の戦争犯罪を告発する運動へと継承されている反戦・平和運動や、経済のグローバル化を推進するダボス会議に対抗して開催されるようになった世界社会フォーラムに結集する反グローバリズム運動の中に芽ばえつつある「世界市民主義」に、将来的な民主的かつ平和的な世界政府の構築につなげていく可能性をみることができる。
21世紀初頭に生じた9・11テロ事件で明らかになったのは、世界最強の軍事力でも国民の安全を守ることはできないという事実であり、これまでの安全保障概念は根本的見直しを求められることになった。しかし、その後のブッシュ政権の対応は、あくまでも従来型の「国家(あるいは軍事力)中心の安全保障」や「(集団的自衛権に基づく)軍事同盟」を強化・拡大することによって危機を乗り切ろうとする、まったく見当違いのものであった。
いま本当に求められているのは、こうした旧来型の「国家の論理」に基づく「力による平和」ではなく、「人間の安全保障」の実現と「(国連を中心とする)集団的安全保障」の再編・強化をはかるという選択である。それは、紛争の根本原因である飢餓・貧困・差別などの「構造的暴力」の克服をめざし、市民・NGO・自治体などが「積極的平和」を創造する主体となり、その世界的・地域的ネットワークの構築と国境を越えた市民社会の形成を追究する「世界市民主義」を意味している。

より具体的には、ある特定の国家や複数の国家の中の一つの「地域」から、平和を創造する主体としての「市民」の側が、「安全保障問題」を地球的規模で考え、「国家」の側とは異なるもう一つの「平和戦略」を考え行動することが鍵になってくる。この点で、これまでの労組・政党や特定の平和活動家が中心となった従来型の平和運動(「守る平和」)ではなく、9・11事件以後に、普通の市民、特に女性や若者が気楽に参加して音楽や絵画など多様な手段で自己表現をし、在日外国人との連帯やインターネットを通じた国際的ネットワークをも創ろうという新しい反戦・平和運動(「創る平和」)が登場しているのが注目される。「自分たちの安全は自分たちの手によって守る」という「市民(あるいは民衆)による安全保障」、自治体・地域住民を主体とする「地域から問う安全保障」という新しい考え方だ。

9・11事件以後、日米軍事同盟をさらに強化・拡大する動きがある一方で、国家の側から有事法制の整備が執拗に提起されている。戦争国家・監視国家への道が加速化される状況下で、全国各地でそれに反対する地域の平和運動の側も大きな正念場を迎えているといえよう。国家中心の「軍事的安全保障」か、あるいは脱軍事・脱国家の「民衆による安全保障」を選択するのか、という問題は、世界レベルでの米国中心の「新しい帝国秩序」に組み込まれるのか、それを拒否して民主的かつ平和的な「多元的世界秩序」を目指すのか、という国際社会にとって決定的な問題と直接重なり合っていることは間違いない。そして、この21世紀の重い課題に、日本が、あるいはわたしたち市民一人ひとりがいかに応えていくのかが、いまこそ問われているのではないだろうか。