「原爆投下と無差別爆撃−重慶から広島・長崎へ−」

木村 朗 (鹿児島大学法文学部、平和学専攻)

T 日本における原爆投下研究の新しい特徴

☆ 広島・長崎への原爆投下の背景(動機・目的)をめぐって

@ 早期終戦および人命救済のため−米国の公式見解(「事実」と異なる!)

A ソ連に対する威嚇・抑制(「原爆外交」:対日参戦の影響力の封じ込め)

B 日本の「卑怯な」真珠湾攻撃に対する「報復・復讐」とその背景にある人種差別観の存在

C 新型兵器の実戦使用による人体実験のため(マンハッタン計画の一環)

D 約20億ドルという巨大な開発費用の「回収」のため−議会・国民からの強い圧力の存在

E ルーズベルトの負の遺産とマンハッタン計画実施機構の「はずみ」

F     米国指導者(トルーマン、バーンズ、グローブズ等)の野心と人種的偏見

 

☆ 日本における原爆投下研究の新しい特徴

  A.「原爆投下の必要性・正当性」を中心とする政治・軍事上の問題から、「原爆投下の道義性」を問う人道上・国際法上の問題へ

  B.冷戦の起源としてのソ連抑止説(戦後世界での米国の優位性確立とソ連の影響力封じ込め)から人体実験説(新兵器の実戦使用での威力の確認)へ

  C.アウシュヴィッツ、南京大虐殺との「ジェノサイド(大量殺戮)」としての共通性

    D.真珠湾攻撃と原爆投下の相殺説から、重慶爆撃と原爆投下の共同加害説へ(「被害」と「加害」の重層性、「人道に対する罪」としての「無差別爆撃」と

      「大量殺戮」=無差別都市爆撃の延長線上としての原爆投下という位置づけ)

 

U 戦略爆撃の思想と歴史的事例

☆ 第2次世界大戦前からの主な無差別空襲

1939 4/26  ドイツ空軍「コンドル軍団」がスペイン北部のバスク地方の町

          ・ゲルニカを無差別爆撃

5/3  日本海軍が重慶を大空襲

1940  9/7 ドイツ空軍がロンドンに猛爆撃を始め、65日連続で夜間爆撃

1941  6/7 日本海軍が重慶を夜間爆撃

12/8  太平洋戦争が始まる

1943  7/3  米英軍によるハンブルグ爆撃

1944 11/24 B2970機が東京を初めて空爆

1945  2/14 米英軍によるドレスデン爆撃

3/10  東京大空襲

3/14  大阪空襲

5/14  名古屋空襲

8/6  広島市に第一発目の原爆

8/9  長崎市に第二発目の原爆

8/15  日本が無条件降伏

※ 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、コソボ紛争、アフガン戦争、イラク戦争等へ

☆ 戦略爆撃の思想

戦略爆撃とは、「戦争を有利に進めることを目的とし、前線の敵部隊ではなく、後方の一般市民が住む都市そのものへ組織的な爆撃を加え、産業基盤を破壊し住民を殺傷する事で相手国の経済力や戦意を奪う非人道的戦法」である。 スペイン内乱でのゲルニカ爆撃がその初期の代表例である。アジアでは、日中戦争での旧日本軍による重慶爆撃から始まったとされる。第二次世界大戦の後期では、逆に日本が戦略爆撃を受ける側となる。代表例では、東京大空襲・大阪大空襲、そしてヒロシマ・ナガサキへの原爆投下である。出典: フリー百科事典『ウィキペディ(Wikipedia)』

 

※軍事施設・工業地帯への「精密爆撃」から、都市住民を標的とする「無差別爆撃」へ

・ 戦略の残虐さの段階的な上昇(エスカレート)

・ 交戦国間における人道的価値の急速な後退(デスカレーション)

・ 「昼間爆撃」→「夜間爆撃」、「限定戦争」→「全面戦争」

V 重慶爆撃―「ヒロシマに先行するヒロシマ」・「引き延ばされたゲルニカ」

☆ 日本軍による中国・重慶に対する戦略爆撃の特徴(前田哲男氏)

@    「都市そのもの」を攻撃対象とする明白な意図の下、持続的な攻撃だったこと。ゲルニカ爆撃と違って一回限りでなく、2年半、218回にわたって続き、1万1885人が犠牲となる。

A    「空軍力のみ」による攻撃であったこと。南京や上海への侵攻作戦と異なり、地上部隊とまったく連携しない、空からの攻撃のみに終始した。

B    「戦争継続意志の破壊」が作戦目的に掲げられ、「戦略爆撃」の名称が初めて用いられたこと。したがって市街地と市民が目標であり、対人殺傷用の焼夷弾が多用された。また使用されなかったものの、化学爆弾と細菌爆弾も準備されていた。

 

※重慶爆撃とは、「殺す者と殺される者」との間に眼差しを欠いた、機械的で無感覚な無差別殺戮であり、長期にわたった点で「引き延ばされたゲルニカ」の側面を持ち、かつ大量殺戮兵器まで準備された点で、思想的には「ヒロシマに先立つヒロシマ」の意味を持っていた。

 ☆海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「 [一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
「六月中旬以降の陸攻隊は連日、稼働全兵力をあげて重慶に攻撃を集中した。その都度偵察写真が描き出す重慶市街の様子は、次第に変わり、悲惨な廃墟と化していくように見えた。何しろ殆ど毎日、五十数トンから百余トンの爆弾が、家屋の密集した地域を潰していったのだから、市街はおそらく瓦れきと砂塵の堆積となっていったことだろう。」
「 ことに[八月]二十日の空襲は陸攻九〇機、陸軍九七重爆十八機、合わせて百八機という大編隊の同時攻撃で、これまた一連空が漢口からする最後の重慶攻撃となった。この日、爆撃後の重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められた。」
(巌谷二三男 「海軍陸上攻撃機」朝日ソノラマ)

 ☆陸軍航空隊独立第一八中隊(司令部偵察飛行隊)の一員として重慶爆撃に参加した、河内山譲氏の証言

 「五月末迄2連空は夜間爆撃を主としていたが、途中で1連空と共に昼間に切換え、目標も重慶の軍事施設だけを選別していたのを改め、市街地をA・B・C・D・E地区に区分した徹底的な絨毯爆撃に変更した。」(河内山 譲 「司令部偵察飛行隊 空から見た日中戦史」叢文社)

 「[一九四〇年]七月下旬漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は十月頃のある日(期日は明らかでないが十月中と思われる)命により重慶爆撃の効果確認のため、単機重慶の低空偵察を結構したがその時の重慶市街は文字通り廃墟と化し、惨憺たる光景を呈していた。」(「日本海軍航空史 4戦史篇」日本海軍航空史編纂委員会編、時事通信社)

W 東京大空襲と広島、長崎への原爆投下への道

    重慶爆撃から、ドレスデン爆撃をへて、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下という「戦略爆撃のブーメラン」(前田哲男氏)

@     日本軍による中国における「要地攻撃」

A     米英軍のヨーロッパでの「地域爆撃」

B     米軍による日本への「地域全体爆撃」

 

「無差別爆撃はヨーロッパのおける『ゲルニカ空爆』から本格化し、第2次大戦ではワルシャワ、ロッテルダム、ロンドンでナチが市民を攻撃目的とする爆撃をやっており、その仕返しとして連合軍は、ベルリン、ドレスデンなどで無差別爆撃を拡大した。アジア太平洋地域では、日本軍がまず最初に南京、武漢、上海、重慶などの都市住民を対象に無差別爆撃を行った。ここでも逆に日本が米軍によって無差別爆撃の仕返しを受ける。日本各地が焼夷弾や大型爆弾でやられ、東京大空襲では数時間で10万人という多くの人たちが降り注ぐ焼夷弾の犠牲になった。その無差別爆撃の頂点として、広島・長崎があると考えます。」田中利幸(広島市立大広島平和研究所教授)

 

「この殺戮に関して重大なのは、敵のテロの目的である。南京と上海はすでに爆撃されていた。しかしそれは軍事上の目的だった。それに対し、重慶の古壁の中には、軍事目標は何一つなかった。にもかかわらず、日本軍は、重慶を灰塵と化す対象に選んだのだ。そして、彼らが理解し得ない精神を挫き、政府の抵抗を打ち破ろうとした。その後、わが軍が日本軍を攻撃するようになっても、私はいささかも良心の呵責を感じなかった。無分別なテロであった重慶爆撃は、私の政治観に直截かつ根源的な影響を与えた。」(重慶爆撃の時、現地にいた雑誌『タイム』特派員セオドア・ホワイトの証言)

 

☆重慶爆撃の目的…「都市を徹底的に破壊することによって、敵を敗北させようとする企図」をもって戦略爆撃を実行=「戦政略的航空戦を敢行し、敵の継戦意志を挫折させること」1938年12月2日付の天皇の名による命令(大陸命第二百四十一号)

 

☆「衝撃と恐怖」戦略(ハーラン・ウルマン博士、元米国防大学の教官)

 「衝撃と恐怖は敵の意思を制御する。衝撃は一瞬のうちに心に傷を与え、恐怖は長期的に選択肢はもうないと相手に分からせる」

 具体的事例は広島・長崎だという。「2発の原子爆弾で日本人は自殺的抵抗からみじめな降伏へと一変した。驚きじゃないか」

 ただし軍事技術の進展で、核兵器を使わなくてもそれを達成できると考える。「命中精度の高い兵器に心理戦や電子情報戦などの手段を組み合わせれば、敵に絶望感を抱かせることができる。多数の死者を出す市街地爆撃などはせずにすむ」

 

☆「正義の戦争」とアメリカ−原爆(核兵器)と劣化ウラン弾とを結ぶもの−

    「9・11事件」と「真珠湾攻撃」・「神風特攻」・「グラウンドゼロ」

    政治(戦争)における情報操作・統制、歴史における改竄・捏造

    戦争(攻撃)目的の正当化にみる欺瞞性と恐るべき人道的感覚の喪失

<参考文献>

1.『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』前田哲男/著 

朝日新聞社(1987年)

2.『アメリカの日本空襲にモラルはあったか−戦略爆撃の道義的問題』

 ロナルド・シェイファー/著 深田民生/訳 草思社 (1996年)

3.『天皇裕仁と東京大空襲』 松浦総三/著 大月書店 (1994年)

4.『米軍が記録した日本空襲』 平塚柾緒/編著 草思社 (1995年)

5.『京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実』吉田守男/著 角川書店

6.『戦略・東京大空爆』 E.バートレット・カー/著 大谷勲/訳  光人社(1994年)

7.『米軍資料 原爆投下の経緯 ウェンドーヴァーから広島・長崎まで』

奥住喜重・工藤洋三/訳 東方出版(1996年)

8.『原爆投下のシナリオ WHY JAPAN? 』アージュン・マキジャニ、ジョン・ケリー/共著、関 元/訳 教育社(1985年)

9.『東京を爆撃せよ--作戦任務報告書は語る』奥住喜重、早乙女勝元/共著

三省堂(1990年)

10.『日本空襲の全容』小山仁示/著 東方出版社(1995年)