〔平和ゼミナール資料〕 2004.1.24
パレスチナ−日常と非日常のはざまで
〇序章 パレスチナに行きたかった理由
パレスチナの子どもたちが、日本国際ボランティアセンター(JVC)の支援プログラムの一つとして、長崎原爆について学び、創作した「ナガサキダンス」のビデオを見て。
1.パレスチナの歴史背景(マンガ資料をもとに紹介)
西暦2000年前→ユダヤ人のパレスチナからの離散→シオニズム運動→イギリスの二枚舌外交→イスラエル国家建設→中東戦争→現在のパレスチナ自治区→帰還権の問題
2.パレスチナの日常−普通の人々の普通の暮らし−
パレスチナは全く危険ではない。パレスチナ人は暖かく、たくましくてフレンドリー。
どうして危険なイメージがつきまとうのか→イスラエルが占領政策によって危険なところにしているから。どうして自爆攻撃があるのか→自爆せざるを得ない状況に追い込まれているから。
〔写真〕
・イラクで購入した中東の地図 「パレスチナ」はあっても「イスラエル」の表記がない。
・ エルサレム旧市街のダマスカス門と周りの商店
・ ベツレヘムの町、難民キャンプ、JVCが支援する子どもセンター
3.パレスチナの非日常−イスラエルの占領政策−
・チェックポイント(検問所)・入植地とそれを結ぶ道路 ・破壊された迂回路
・ 分離壁−ベルリンの壁のようにパレスチナの村や町を分断することで、町の疲弊化を
図り、入植地を既成事実化する目的で、周囲660kmにわたって建設中。
・ 破壊された大統領府
・ 切られたオリーブの木
「ホロコーストを受けた人々がどうして同じことをパレスチナに対して行うのか?」
「この土地は神から与えられたもの」と主張する一部の強硬派が政権を握っており、
「ホロコーストの範囲内だったら何をやっても許される」と考えている。(イスラエル人の詩人の論説)
一般の市民はパレスチナで何が起こっているのか知らされていない。日々の暮らしに精一杯で政治に無関心な人が多く、選挙の投票率も50%以下。2000年間、国を持たない民族として迫害され、ようやく国を持ったユダヤ人がパレスチナを認めてしまうと、「今住んでいる土地から追い出される」という恐怖があり、あえてパレスチナ問題から目をそらしているのでは。また、同じイスラエル人の中にも差別がある。
東欧系ユダヤ人
↓差別
アメリカ系ユダヤ人
↓差別
アフリカ系ユダヤ人
↓差別
元々パレスチナに住んでいたユダヤ人(イスラエルアラブと呼ばれる)
↓差別
パレスチナ人
「パレスチナの視点から日本をとらえる」
・ 「備えあれば憂いなし」
世界一「備え」をしているイスラエルは世界一安全か?むしろ逆。「備えがあるから憂いがある」→「防ぐためには、まず原因をさがすこと」(チョムスキー)
・ 世界のダブル・スタンダード
イスラエル人が殺されるとニュースになるのに、パレスチナ人が殺されても報道されない。
大量破壊兵器を持っているはずのイスラエルが査察の対象にならない。世界が、大国の論理で動いている。
実際に炎があがっているのはパレスチナでも、原因は世界をベースにしている。パレスチナを見つめることは、世界の問題を見つめること。
4.国のラインをこえて−これからの平和運動の可能性−
私たちに何ができるのか?「5つのM」
Media−メディアの情報を見極める目を持つこと。
「テロとの戦い」といえば全てが許される様なイメージに対して「なぜ?」と問うていく。
Meet−「出会う」こと。イスラエル人とパレスチナ人はお互いに行き来できず、対話の機会が国に奪われている。お互いに疑心暗鬼になり、心の壁が物質化していく。そんな
壁を取り払うのは、出会って、対話すること。
Man−なぜパレスチナは占領政策の中で50年間も陥落していないのか。それは、人として助け合う彼らのコミュニティ、家族の結びつきがとても強いから。家族や友人とのつながりを深めていくことが、暴力に負けない力になっていく。
Imagine−私たちと同じように家族を持ち、夢を持った人々がひどい目にあっている、と想像すること。共感することで「人事ではなくなる」
May−行動するときの心の持ち方。「must」でなく「may」(〜していい)と思うことで、主体が自分になり、とらわれない自由な発想ができるのでは。
そういった行動の積み重ねが、いつしか国のラインをこえて平和をつくっていく。
非暴力ワークショップ
1.他己紹介 2人ペア
・「名前、趣味、好きな食べ物、今関心があること」を、それぞれ3分間ずつ自己紹介する。
・ 相手になったつもりで、今聞いたことを1分間「他己紹介」する。
→自分が強調したかったことと、相手が受け止めていたことが違っていたり、100%伝わっていないことがわかる。
メディアなどで、「〜さんがこう言った」というのは、真実と違っている場合もある。
話をするとき、どこを強調したいか、どうすれば相手の心に残るかをちょっと考えてみる。
2.「永遠の不服従のために」ゲーム
輪になって座り、目を閉じてもらい、額に色違いのシールを貼る。目を開けて、話をしないで色ごとに集まってみる。ヒントは「自分の色はわからないけど人の色はわかる」こと。
→どうしたら集まることができるか考える。
色が違う一人を除外したのはなぜ?言われたルールが悪法だったら?「みんながやっているから正しい」とは限らない。自分の良心に耳を傾けて、ルールをおかしいと思ったら、従わないことも必要。
3.「ナショナリズムの克服」ゲーム
5人ずつくらいのグループに分かれ、それぞれの「言語とジャンケンのルール」を書いた紙を配る。たとえば言語は「あ」、ジャンケンは足を使って行うというルール。グループ内で
コミュニケーションがとれたところで、別のグループから一人「移民」が入ってくる。
別の文化が入ってくることで、どう対応していくか?
終了後、それぞれ「どんな気持ちだったか?」を発表。
「わかってもらえなくて暴力をふるった」「相手に教えてあげた」
→少数者が排除された社会は、多数者にとっても住みづらい社会であると気づくと同時に、
異文化理解のためのコミュニケーション方法を体感してもらう。
西岡由香さんのお話を聞いて
パレスチナの現状は、私たちが想像している以上にひどいだろう。連日報道されているパレスチナで起こるイスラエルからの攻撃による負傷・死亡記事。まったく目を伏せてしまいたくなるような報道ばかりである。
日本から6時間以上時差のある国での出来事。日本では、遠い世界の出来事と捉えがちであろうが、西岡さんの講演がその遠く感じていた距離を一気に縮めてくれた。
私が、普段放送されるニュースによる情報では聞くことができない、パレスチナに住む子供たちや女性たちの生の声を西岡さんから直接聞けた意味は大きい。彼らは、戦いなどを望んでいない。子供たちは平和な暮らし、普通の夢を実現できるような世界がくることを望んでいるのだという。そんな純粋な願いを持っている子供たちがいる場所に、容赦ない爆撃が日常的に襲い掛かる。パレスチナに住む子どもたちの中には、「どうして攻撃されているのか」、「戦争とは何か」、「戦うとは何か」ということも知らない者達もほとんどであるにちがいない。その者達にとっては、現状が把握できないゆえ、黙ってその状況の経過を見つめるしかないのだろう。それは、イラク、チェチェン、リベリア、シエラレオネ、スーダンなど、紛争が起こっている他の地域にいる子供たちにも同じことが言える。もし、その状況下でその子達が成長し、殺すことに抵抗を覚えない大人になることを想像したなら、と恐ろしくなる。パレスチナで、また世界各地で起こっている出来事に対して、「私は、関係ない」とは思いたくない。
パレスチナの日常は、市場には活気があり、子供たちが道端で遊んでいる姿を目にするなど、普段は平穏な時間が過ぎているのだという。しかし、ひとたびイスラエルからの攻撃が加えられると、そこは戦場へと変貌してしまう。戦場が生まれてしまう現状にも感じるのであるが、特に私は、その戦場の中で無抵抗の民まで犠牲になってしまう者が多くいることに憤りを覚える。戦争というものほど無意味なものはないであろう。どれだけの絶望がそこに生みだされてしまうのか。憎しみによる対立の構図。それは、自分たちを「善」とし、敵を「悪」と捉える。そこに生まれる市民の気運が、戦争をいっそう激化させ、結果的に市民たちを絶望の底にまで突き落とす。何千年も続いてきた戦争という暴力の歴史が、いまもって変わることはないのであろうか。
西岡さんはいう。「平和を願う気持ち……、国を越えて……」、あらためてこの言葉の意味に気がつかされた。戦争、それは遠い世界のことではない。同じ地球での出来事なの
だから。
山口 貴史