「米軍再編の本質と日本社会の変貌〜日米軍事一体化と日本の最前線基地化」

木村 朗(鹿児島大学教員、平和学専攻)

はじめに

防衛庁の「省」昇格と自衛隊の海外活動を「本来任務」に格上げする関連四法が昨年12月15日に成立し、「防衛省」が今年の1月9日に誕生した。また同日、国家に忠実な従属的国民の育成を狙いとする教育基本法「改悪」法案も強行採決され、日本は「平和憲法」の下で事実上の「戦争国家」「軍事国家」への道を本格的に踏み出すことになった。こうした動きは、一昨年の10月末に相次いで出された米軍再編の「中間報告」と自民党「新憲法」草案などと密接な関係を持っており、その主な狙いが、海外での日米共同の軍事作戦を可能にすることにあることは明らかだ。その中でも、米軍再編は昨年5月に出された「最終報告」を前提にして、日米軍事一体化を急速に進めつつある。

本稿では、米軍再編の世界的背景とその本質は何なのか、その中で日本はどのような役割をはたそうとしているのか、また戦争とファシズムへの道を阻むために我々は何をなすべきなのか、といった根本問題を歴史的かつ世界的視点で考えてみたいと思う(近刊の拙編著『いまに問う 米軍再編と「最前線国家」日本』[仮題]凱風社を参照)。

 

1.米国の対テロ世界戦争戦略と不安定化する世界秩序−米軍再編の世界的背景

1989年から1991年にかけてソ連・東欧圏の崩壊という形で冷戦が終了するのと合わせて、新たな世界秩序と社会秩序が模索され始めた。本来ならば、「ソ連」「共産主義」という強大な敵・脅威がなくなった冷戦終結時において、ワルシャワ条約機構のみならずNATOも日米安保条約も消滅しなければならないはずであった。しかし、実際には、解体の危機に瀕した世界的規模の軍産(学)複合体による死にもの狂いの巻き返しが行われた結果、湾岸戦争とバルカン戦争などの地域・民族紛争が相次いで引き起こされ、NATO新戦略と日米安保再定義など通じて軍事同盟が冷戦終了後も生き残ることになった。

特に、NATO新戦略(1999年)と新ガイドライン(1997年)の共通点は、第一に、冷戦後に「唯一の超大国」となった米国の主導性・優位性を前提とした軍事同盟であり、世界的覇権を追求する米国の世界戦略にNATOと日米安保体制が組み込まれるようになったこと、第二に、「地理的概念ではない」という「周辺地域」や「周辺事態」という用語・概念をNATO新戦略と新ガイドラインに導入して両者をリンクさせることで、両軍事同盟の適用地域を世界的規模に拡大することになったこと、第三に、ユーゴへのNATO空爆のように、国連の存在(特に安保理決議)という拘束を受けずに自由に軍事行動する方向が打ち出されたことである。

こうした傾向は、2001年に米国中枢で生じた9・11事件によってさらに加速されることになった。9・11事件以降の世界は、新しい帝国秩序の形成と戦争とファシズムへの道へ向かいつつある。米国のブッシュ政権は新保守主義者が主導権を握り、「新しい戦争(対テロ戦争)」を掲げ、アフガニスタンへの「報復戦争」に続いて、イラクに対しても一方的な先制攻撃(「予防戦争」)を国連や国際世論を無視する形で強行した。今日ではイランや北朝鮮に対する先制攻撃の可能性が取り沙汰されている。また、米国内では、9・11事件直後から主にアラブ・中東系の人々に対する「予防拘禁」や盗聴・検閲の強化がテロ対策の名の下に実施された。そして、世界中で「安全」のためには「人権」を犠牲にすることを正当化する監視社会化が急速に浸透することになった。

こうした世界的な軍事社会化や警察国家化の背後にあるのが、アイゼンハワー米大統領が1961年1月の告別演説で警告した軍産(学)複合体の存在である。それは現在では国家の公的な政策に大きな影響力を及ぼすまでに肥大化しており、自由と民主主義を危機に陥らせようとしている。目下急速に進められようとしている「ミサイル防衛構想」「宇宙への軍事化」や「戦争の民営化」がそのことを如実に示している。かっての原爆投下が「冷たい戦争」の発動につながったように、9・11事件が「テロとの戦い」の契機となった本当の意味が真剣に問われなければならない。

 

2.冷戦終了と日本の安全保障政策の転換−忍び寄る軍産(学)複合体と戦争国家への道

日本では、冷戦が終結した90年代初めに、米国からの圧力を背景に、内なる「政治改革」と外なる「国際貢献」が模索され、軍事的国際貢献としての自衛隊の海外派遣(=国連PKOへの参加)と小選挙区を柱とする新選挙制度が実施・導入された。また日本政府は、拉致・不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、ミサイル防衛(MD構想)への全面的参加、朝鮮半島有事および台湾海峡有事への対応を前提とした有事法制化を積極的に推し進めることになった。さらに、9・11事件以降、米国の「対テロ戦争」を全面的に支持して戦後初めて自衛隊を戦地に派兵すると同時に、米軍の軍事革命(RMA)を背景とする世界的再編に合わせた日米軍事同盟の強化・拡大、すなわち米軍と自衛隊の一体化を推し進めようとしている。そして、米国の「ミサイル防衛」戦略への積極的参加は、「対テロ戦争」への全面的協力とともに、平和憲法が禁止する集団的自衛権の行使に事実上つながる道であり、武器輸出禁止原則の緩和や非核三原則の見直しは日本においても軍産(学)複合体の誕生を告げようとするものであるといえよう。

また、後述する米軍再編の主な狙いが、海外での日米共同の軍事作戦を可能にすることにあることは明らかである。しかし、ここで注意しなければならないのは、米軍再編は、自衛隊の組織再編を促すと同時に、日本政治の総保守化、「民主主義に支えられた経済発展から軍事に支えられた経済発展へ」の転換をもたらすことになる、という指摘である(纐纈 厚著『いまに問う 憲法九条と日本の臨戦体制』凱風社を参照)。それは、「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場した安倍政権が、米軍再編を追い風に教育基本法の改悪に続いて、集団的自衛権行使の研究開始や憲法の全面的改悪に着手していることが如実に物語っている。

そして、過去の戦争に対する反省・謝罪と不戦の誓いの上に出来た平和憲法の全面的改悪は、アジア諸国に対する大きな背信行為となるばかりでなく、世界の非武装化という人類共通の理想の実現に向けた先駆的な役割を自ら投げ捨てることを意味している。このように現在の状況は、戦後民主主義が新しいファシズム・軍国主義の台頭によって最大の危機に立たされているばかりでなく、権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によって排外主義的ナショナリズムが煽られ、その結果、異論を許さないような集団同調主義が急速に強まり危険な翼賛体制が出現しつつあるといっても過言ではない。21世紀の日本と世界のあり方を決定する重要な選択、すなわち平和か戦争かという決定的な岐路にまさに直面しているといえよう。

 

3.日米安保体制の変質と米軍再編の連動−日米軍事一体化と変貌する自衛隊

冷戦後のアメリカのアジア・太平洋戦略(あるいは東アジア戦略)の中で、フィリピンからの米軍基地の撤去、ソ連崩壊後のベトナムからの旧ソ連軍の引き上げなどによって、アジア・太平洋地域における在日米軍基地の役割・比重が相対的に高まってきた。そして日米安保体制の本質的役割・性格が従来の対ソ抑止型、日本有事あるいは国土防衛型の日米安保体制から地域紛争型、周辺有事あるいは海外出動型の日米安保体制へと徐々に移行・変質することとなった。そうした中で、従来、関東(横須賀・横田・厚木)や東北(三沢)・北海道などの東日本・北日本に重点が置かれていたのが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事をにらんで西日本あるいは南日本の九州・沖縄地域(沖縄・佐世保・岩国)へ軍事的拠点の比重が急速に移りつつある。

この背景には、(米国)東アジア戦略報告(1995年2月)から(日本)新防衛計画大綱(同年11月)、さらに日米安保共同宣言(1996年4月)へと続く安保再定義のプロセスがあり、その具体化が97年9月に改訂された「新ガイドライン」および「周辺事態安全確保法」(99年8月)、「武力攻撃事態法」(03年6月)、「国民保護法」(04年6月)などであった。この間、9・11事件直後に急遽成立した「対テロ特措法」(01年)や「対イラク特措法」(03年)によって、米国が主導するアフガン戦争、イラク戦争に自衛隊は事実上の「参戦」をした。

また、一昨年(2005年)10月末に米軍再編の「中間報告」(正式名称は「日米同盟:未来のための変革と再編」)と自民党「新憲法」草案が時を同じくして公表された。その共通の目的・狙いは、安保再定義に続く海外での日米共同の軍事作戦を可能にする「戦時体制作り」にあると思われる。

まず「中間報告」の主な内容は、地球的規模の有事即応体制構築と機能的な緊急展開部隊の効果的配置の推進、すなわち米軍の世界的再編を従来の前方展開戦略と新しい対テロ戦争・先制攻撃戦略を結びついた形で進めようとするものである。そして、「世界の中の日米同盟」という枠組みで日米安保体制はその攻撃力・抑止力はさらに拡大・強化されるとともに、在日米軍と自衛隊の一体化・融合は一層進むことになった。これはまさに日米安保体制の「グローバル安保」への「変質」=日米安保条約の事実上の「改定」というべき性格のものである。キャンプ座間や横田基地への日米司令部機能の集中に象徴される在日米軍と自衛隊の一体化は、「日本全土の沖縄化」を進め、集団的自衛権の行使を合法とするための憲法改悪を先取りしたものであり、日本を「最前線基地化」、すなわち「戦争のできる国」(=「小さなアメリカ」「第二のイギリス」)に向かわせる動きであるといえよう。

とくに、ミサイル防衛(MD)での日米協力をさらに促進することで合意したことは、集団的自衛権の行使を合法とするための憲法改悪を既成事実によって先取りするという性格を持っている。いまや日本は米国・英国とともに新しい帝国秩序を支える3本柱、すなわち新しい米英日三国同盟の一つになりつつある。こうした性格は、昨年(2006年)5月1日に出された日米戦略会議の最終報告書「再編実施のための日米ロードマップ(工程表)」でも基本的にかわらず、移転費用などで総額3兆円ともいわれる巨費を日本側が負担するなど新たな問題もあらわれている。

今回の在日米軍再編の具体的計画の中では、特に戦後一貫して「日本(本土)と米国の二重の植民地状態」に置かれ続けてきた沖縄の米軍基地問題に注目する必要がある。日米両政府は、今回の再編によって沖縄の基地の過重負担の軽減をはかることができるという主張を全面に打ち出し、その具体策として、第3海兵遠征軍司令部のグアム移転に伴う海兵隊約8千人の削減や普天間飛行場以南の米軍基地・関連施設の返還、嘉手納・普天間両基地の基地機能の本土への部分移転などを強調している。

しかし、こうした削減・返還案は、本当の意味での米軍基地の削減・縮小や地元住民の負担軽減に直接つながるものではない。むしろ在日米軍の機能強化・抑止力維持と自衛隊の役割増大をもたらすとともに、在沖米軍基地の固定化・恒久化に最終的につながる危険性さえ秘めている。

そして、在沖米軍基地の沖縄中南部から北部への県内移転は、「沖縄の南北分断」、日本本土への部分的移転(「本土の沖縄化」「日本全土の米軍基地化」、「アメ」と「ムチ」によって、新たな基地の「二重の南北問題」、日本本土と沖縄あるいは沖縄県民の間に対立・分断をつくる卑劣な政策であるといわねばならない。

最後に指摘しておかなければならないのは、今日急速に変貌しつつある自衛隊の実態であろう。冷戦終結後に進められた安保再定義において、日米安保体制が従来のソ連抑止・日本有事から周辺有事・地域紛争対処へと転換するのに合わせて、自衛隊もこれまでの国土防衛型から海外出動型へ徐々に変容してきた。北朝鮮や中国の「脅威」を前提に、「対ゲリラ戦」に備えた新しい部隊の設置とそのための訓練の実施や島嶼防衛という戦略的視点の重視がそれであった。また、特に9・11事件以降は、米国の「対テロ世界戦争」という世界戦略に適合させるために、先制攻撃を主任務とする米海兵隊との共同訓練に自衛隊を参加させてきた。今回の米軍再編に伴う陸上自衛隊「中央即応集団」司令部の設置は、アフリカ・中東からアジア太平洋までの「不安定の弧」を守備範囲とする米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移設と並んで、まさに自衛隊が事実上の「米軍の補助部隊」として海外での戦闘活動に「後方支援」の枠を越えて参加することを想定したものであるといえよう。このような危険な性格を持つ「軍隊」にこのまま自衛隊が変貌するのを座視してはならない。

 

4.「平和のためのガイドライン」の構築に向けて−東アジアの平和秩序の模索

「平和のためのガイドライン」の構築という観点から、まず一番重要と思われるのは、現在の日米安保体制に見られるような軍事力中心の発想からの転換である。すなわち、これまでの軍事力中心、国家中心の安全保障の考え方から脱して、市民が主体となって地域から国家と社会を変えていくという、非軍事的・脱国家的な「市民(あるいは民衆)による安全保障」や「地域から問う安全保障」という新しい思考方法と発想をとる必要がある。

具体的にいえば、「非核神戸方式」の拡大・強化(非核平和宣言から非核・平和条例へ)、あるいは無防備地域宣言運動という流れは、自治体の平和力を具体化する新しい取り組みであり、自治体の平和外交や市民による平和地帯構想(東北アジア非核地帯構想、朝鮮半島非核地帯構想)などと結びつくものである。「国家の安全」と「国民の安全」を区別し後者を最優先するような新しい平和・安全保障観、国家の安全保障から人間の安全保障へ、あるいは軍事的安全保障から非軍事的安全保障への転換を求める流れの中から、新しい平和思想・運動が誕生しつつある。

すでに全国各地では、米軍再編と日本社会の軍事化に対抗するために、沖縄での普天間「移設」案に対する住民投票の実施や辺野古沖での海上基地建設阻止闘争、厚木からの空母艦載機部隊移駐に反対する岩国での住民闘争、横須賀での住民投票を求める動きなど、市民レベルでの様々な試みがなされている。こうした、市民が主体となって地域から脱国家・脱軍事化を実現させる動き、すなわち市民による安全保障、人間の安全保障の実現を求める取り組みや市民・地域住民による自治体の平和的創造力を発展させる新しい発想と行動こそが求められている。とりわけ、日本にとって非常に身近な朝鮮半島での戦火を再び起こさせないためには、市民一人ひとりの思想と行動が今日ほど問われている時はないといえよう。

                                (『軍縮問題資料』2007年5月号に掲載)