危機の時代と「平和への選択」−「うちなるファシズム」の克服を!

木村 朗(平和学専攻、鹿児島大学教員)

 

はじめにー民主主義からファシズムへの移行の危機

敗戦からすでに60年以上が過ぎ、近年では戦後民主主義や平和憲法を否定的にとらえ、東京裁判史観を自虐史観として一方的に糾弾・排斥する論調や歴史認識が蔓延し始めている。そればかりでなく、2001年の9・11事件以降の世界は急速に戦争ムード一色となり、新自由主義・新保守主義を2本柱とするグローバル化を背景に、世界的な規模で戦争国家・警察国家あるいは監視社会・差別(新しい身分・階級)社会への道が開かれようとしている。いまや時代は急速に右旋回しており、私たちは戦後最大の岐路に立たされていると言っても過言ではない。

とりわけ1999年以降の日本は、戦後民主主義・平和主義が急速に崩壊して権力(国家)と資本(企業)が暴走し始めている。「改革」「安全」をキーワードにして国家主義・軍国主義と市場万能主義・拝金主義という濁流があふれ出し、その勢いが一気に加速化されようとしている状況にある。そうした危機的な混沌状況のなかで、民衆が権力・メディアの扇動・情報操作に乗せられて弱者や体制批判者を徹底的に痛めつけ、異論を許さないような集団同調主義、「物言えば唇寒し」という風潮がますます強まり、1930年代と酷似した戦時翼賛体制の出現、「戦争とファシズムの時代」の到来が囁かれている。すなわち「すでにファシズムがやってきている」(斉藤貴男『安心のファシズム』岩波新書、2004年)のであり、民主主義からファシズムへの移行過程における「不可逆点」(N・プーランツァス『ファシズムと独裁』批評社、1983年)が再び論じられるような危機の時代を迎えているのである。

このような危機の時代を私たちはどのように捉えたらいいのであろうか。その危機の性格・本質を正確に捉えることは非常に困難である。敢えて言えば、それは何よりも平和と民主主義にとっての深刻な政治的危機であると同時に、その背景には現代資本主義の存続を脅かす経済的危機があり、さらに人間の意志と存在価値を揺さぶる道徳的危機とも繋がっているのではないかと思う。

そこで本稿では、戦後日本の歩みとはいったい何だったのか、今日の危機的状況をもたらすにいたった原因はどこにあるのかという問題認識を根底において、私たちはどのような時代に生きているのかを改めて問い返すとともに、またいま何をなすべきなのかという危機克服に向けた方策・課題を模索することとしたい。

 

1.           戦後日本の軌跡と失われた「もう一つの選択」

日本が米国の占領から「独立」を回復して国際社会に復帰したのは、今から54年前の1952年4月28日のことである。そのときに日本は、その前年の9月8日に対日講和条約と同時に結んだ日米安保条約によって、米国の軍事力に基本的に自国の安全保障をゆだねて、その代わりに戦後復興と経済発展に専念する道を選択した。その後の日本は、この吉田路線の選択によって、短期間に敗戦の痛手から立ち直ったばかりでなく、「東洋の奇跡」ともいわれた高度経済成長を達成して世界有数の「経済大国」になるにいたった。東西ドイツや南北朝鮮のような分断国家の悲哀を受けることもなかった。この意味で、戦後日本の歩みを「幸運」に感じ、「寛大な占領(講和)」を行った米国に、多くの国民(特に保守的指導層)が素朴に感謝の意を表してきたことも理解できないことではない。

しかし、これとは異なる別の見方がもう一方にある。それは、対日講和条約で失われた「もう一つの選択」を重視し、サンフランシスコ体制の影の部分にも目を向ける見方である。当時の日本は、冷戦開始を背景にした米国による占領政策の転換を受けて、戦犯追放の解除や財閥解体の中止など「逆コ−ス」へと旋回・軌道修正されつつあった。講和条約締結の問題が浮上した背景には、日本の再軍備(すでに、朝鮮戦争勃発直後の米軍指令により50年7月には警察予備隊が創設されていた)を促進するとともに、日本の早期独立と引き替えに、新たな同盟条約を締結して米軍駐留と基地の自由使用の権利を認めさせようとする米国の強い意思があった。つまり米国は、世界的規模での東西対立の激化のなかで、日本を西側に取り込んで「東アジアにおける反共の砦」にするという明確な戦略的利益に基づいて、安保条約とワンセットにした形で講和条約の締結を押しつけたわけである。これに対して当時の吉田政権は、全面講和を求める多くの国民の声を無視して、米国を盟主とする西側の一員となるという選択を、片面講和と日米安保条約の同時調印という形で受け入れたのであった。このときの選択によって、日本は、日本国憲法の平和主義の精神に基づく「軍隊のない国家」「軍事同盟を結ばない国家」として、戦後国際社会において自主的な平和外交を積極的に展開して世界の非武装化の先駆的な役割をはたすという「もう一つの選択」を失ったのである。今日における日本の根本問題である「対米従属」「アメリカ化」の原点がここにあると言えよう。

 

2.平和憲法と日米安保体制の矛盾―対米従属とアジア(沖縄を含む)の忘却と犠牲

吉田路線の負の遺産は、1.対米従属という自主性の喪失、2.アジアの忘却と沖縄への差別、3.法治主義の腐食という三つの点に集約される。まず第一番目の負の遺産は、片面講和と日米安保条約の同時調印によって、日本が米国の世界戦略のなかに深く組み込まれることになったことである。それは、冷戦状況下で米国を盟主とする(西側)自由主義陣営の一員となり、ソ連を盟主とする(東側)社会主義陣営に対決していくことを意味した。すなわち、「東洋のスイス」から「東アジアにおける反共の砦」としての日本への転換であり、「独立(主権回復)」と引き替えの「対米従属」、すなわち「自立性の喪失」であった。それを象徴するのが、占領軍からそのまま駐留軍となった特権的な米軍の存在であり、また朝鮮戦争の最中に米国の強い圧力によって生まれた経緯を持ち「憲法違反の存在」でありながら米軍の一貫した監視下で戦力増強を義務づけられた自衛隊である。それは、日本外交の不在、あるいは戦略的思考の停止と経済面での過大な対米依存、米軍の補完勢力としてアジア有数の軍事力・戦力を持つにいたった自衛隊といった形で現在でも続いている。

二番目の負の遺産であるアジア(沖縄を含む)の忘却と犠牲は、戦争責任および戦後責任の放棄という問題と密接な関係がある。日本は、冷戦開始を契機とする米国の政策転換によって、戦前の最高指導者であった昭和天皇をはじめ岸信介元首相など一部のA級戦犯容疑者が免責されたばかりでなく、講和会議に臨んだ米国の強い意思で当然行うべきであった賠償責任さえも負わずにすむという「幸運」に恵まれた。こうした「幸運」には、東京裁判で、米軍が行った原爆投下や東京大空襲などとともに、日本軍が行った細菌戦・人体実験や強制連行・従軍慰安婦(=戦時性奴隷)などの重大な戦争犯罪が断罪されなかったことや朝鮮戦争やヴェトナム戦争で日本が「享受」した特需景気等も加えられよう。しかし、この結果、戦後の日本は、過去の清算、すなわち侵略戦争や植民地支配への真摯な反省・謝罪と日本人の手による戦犯の追及・処罰、被害国・被害者に対する国家および個人レベルでの適切な賠償・補償という最も大切なけじめをつけることなく、今日にいたるまで重大な禍根を残すことになった。

「戦後六〇年」の節目を過ぎた今日でもアジアの多くの民衆から不信と警戒の目でみられ、国内ではそれに反発する形で戦前回帰の動きが急速に強まっている根本原因も、東京裁判での昭和天皇の免責と新憲法における象徴天皇制の導入、日本および日本人自身による戦犯処罰や戦後処理・過去清算の欠如、という形で「戦前との連続」を色濃くのこすことになった戦後日本の出発点のあり方にあることは明白であろう(「貫戦史」を唱える中村政則『戦後史』岩波新書、2005年を参照)。

また沖縄は、講和条約によって日本が独立した後も米軍の過酷な占領下におかれ続けたばかりでなく、72年の本土復帰後も「米国と日本本土の占領・植民地支配」が形を変えて継続することになった。1995年の米兵による沖縄少女暴行事件や2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件等に見られるように、在日米軍基地の過度の集中という過酷な現実に苦しむ沖縄(琉球)の人々の声に真摯に耳を傾けようとしない日本政府(および米国政府)と日本本土の人々の冷淡さ・差別の原点がここにある。「沖縄にとって戦争は本当に終わったとはいえない」(目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』日本放送出版協会、2005年)という厳しい現実のなかにいまも置かれ続けている沖縄、そして「日帝支配がなければ、朝鮮は独立国として分断される何らの理由はありませんでした。そればかりか、日本は敗戦後も冷戦の一方に加担し、一貫して朝鮮の統一を妨害し、朝鮮の分断から利益を得てきました。」(徐勝『第一歩をふみだすときー日本とアジアの戦後五〇年を問う』日本評論社、1995年)という冷厳な歴史的事実を今こそ直視しなければならない。

 最後に三番目の負の遺産として挙げなければならないのは、法治主義の腐食・揺らぎである。敗戦後の日本は、米軍による事実上の単独占領下に置かれ、非軍事化と民主化を掲げるGHQニューディール派の官僚主導で戦後復興の道を歩んだ。その過程で導入されたのが、1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行された日本国憲法であった。この戦争放棄と交戦権否定の9条を含む日本国憲法が制定された背景には、昭和天皇の免責と沖縄の分離支配を国益とみなす占領軍・米国側と日本側(昭和天皇を中心とする支配層)の「暗黙の一致」があった。

そして、戦前の天皇中心の軍国主義体制の呪縛下にあった当時の国民のある層(特に保守的支配層)にとって、この新しい憲法が「占領軍による押しつけ」であると感じられたことは事実であろう。しかし、その一方で多くの国民がそれを積極的に支持・歓迎したのは、軍隊が戦時・戦場で国民にとっていかに危険な存在となるか、また国家が行う軍国主義教育や大本営発表という形での情報操作による洗脳がいかに恐ろしいものであるかを思い知らされた戦争体験の原点があったからである。この平和憲法は、占領下で生じた朝鮮戦争の最中にマッカーサー指令によって創設された警察予備隊(保安隊から自衛隊へ)と対日講和条約と引き替えに結ばされた日米安保条約によって、その平和主義の中核部分と法治主義の根幹が脅かされることになった。本来、武装抵抗の権利という意味での自衛権を自ら放棄した平和憲法と明白な軍事力・戦力を備えた武装組織である自衛隊あるいは世界最強の軍隊である米軍の駐留と日米共同軍事行動を可能とする安保条約は両立不可能なはずである。しかし、歴代の日本政府は、再軍備と軍事同盟締結が実は米国から押しつけられたものであるという事実を隠蔽する一方で、自衛隊と安保条約の存在を既成事実として国民に受容させることに力を入れてきた。その結果、国の最高法規である憲法よりも安保条約や自衛隊法などを優先させる「法の下克上」(前田哲男氏の言葉)という異常な状態が生み出され、戦後長らく今日まで続いたことで、民主主義の基本原理である法治主義・遵法精神が根底から蝕まれてきたのである。

このような観点に立てば、これまでの既成事実の先行と解釈改憲による追認という悪循環から脱却する道を明文改憲に求めようとする現在の日本の動きがいかに本末転倒したものであるかは明白であろう。また、なぜ今でも独立した主権国家とは呼べないような「米国の属国」という地位に留まり続けているのか、あるいはなぜ国の最高法規である平和憲法が主権者である国民の意志よりも「米国への配慮」を優先することで蹂躙され続けているのかが分かるであろう。

 

3.新しい帝国秩序の形成と「グローバル・ファシズム」の登場―忍び寄る軍産複合体の影

2001年に米国で起こった9・11事件以降の世界は、新しい帝国秩序の構築をめざす「グローバル・ファシズムの時代」(武者小路公秀氏の言葉)に本格的に突入したかのように戦争モード一色に覆われつつある。米国のブッシュ政権は新保守主義者(ネオ・コン)が主導権を握り、「新しい戦争(対テロ戦争)」を掲げ、アフガニスタンへの「報復戦争」に続いて、イラクに対しても一方的な先制攻撃(「予防戦争」)を国連や国際世論を無視する形で強行した。米国内では、事件直後から主にアラブ・中東系の人々に対する「予防拘禁」や盗聴・検閲の強化がテロ対策の名の下に実施されている。日本は、その米国の「正義」に追随し対アフガニスタン戦争に第二次大戦後初めての参戦をしたばかりでなく、イージス艦派遣や燃料補給等を通じてイラク戦争への側面支援を実施し、その後の不法な「占領統治」にも海空両自衛隊による「後方支援活動」を継続して行っている。また日本政府は、拉致・不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、ミサイル防衛(MD構想)への全面的参加、朝鮮半島有事および台湾海峡有事への対応を前提とした有事法制化を積極的に推し進めている。いまや日本は米国・英国とともに新しい帝国秩序を支える3本柱の一つになりつつある。

こうした世界的な軍事化の背後にあるのが、アイゼンハワー米大統領が1961年1月の告別演説で警告した肥大化する軍産複合体の存在である。この軍部と軍需産業の結合を中核とする軍産複合体は、いまやアイゼンハワー時代とは比べようもないほどの巨大な存在となっており、国家の公的な政策に大きな影響力を及ぼして自由と民主主義を危機に陥らせようとしている。「戦争の民営化」や「宇宙への軍事化」が急速に進められるなかで、ケネディ暗殺事件や9・11事件、アフガニスタン・イラク戦争の背後にその存在が指摘されていることの意味が問われなければならない。今日ほど経済と倫理が乖離した時代はなかったのである。

これとの関連で重要なのが、「メディア・ファシズム」、すなわち「権力のメディア化」あるいは「メディアの権力化」の問題である。権力とメディアが一体化した形で情報操作を行い、民衆をファシズム・排外主義的ナショナリズムの方向に誘導していく危険性が現実のものとなっている。辺見庸氏は、それを国家権力とマスコミと民衆が三位一体となった「鵺(ぬえ)のような全体主義」と呼ぶ(『永遠の不服従のために』講談社文庫、2005年)。また、国家権力と一体化したマスメディアに踊らされ、権力に迎合することで「安心」を求めようとする民衆の姿は、まさに「支配されたがる人びと」(斉藤貴男氏の言葉)という他はない。この情報操作の恐ろしさは、「テロ」の定義が、本来の意味での「国家テロ」、すなわち「恐怖を利用した国家による強権的支配・統治」でなく、「非合法勢力によってある特定の政治目的のために行われる無差別的な暴力行為」という米国流の定義に歪曲化され、対テロ対策と「安全」を口実に「自由」「人権」が制限されるという流れが世界中で急速に拡大されつつある現状(米国で制定された愛国者法や日本の共謀罪創設の動き等)を見ればよく分かるであろう。9・11事件以後の世界は、ある意味で、「平和(人道)のための戦争」という欺瞞的な言葉に示されるように、まさにジョージ・オーウェルが『一九八四年』で予言したような、文明と野蛮、あるいは善と悪が逆転した「倒錯した狂気の世界」に近づきつつあるとも言えよう。

最近の東アジアにおける国際情勢は、2001年に登場したブッシュ政権の「悪の枢軸」発言に見られる対北敵視政策によるKEDO合意の破綻と朝鮮半島危機の再浮上、2002年9月17日の日朝首脳会談で明らかになった北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる日朝間の不和・摩擦の拡大等によって、ますます混沌としたものになっている。このような状況が続く中で、東アジアにおいて日本が今後どのような選択・役割を果たすのかが一つの大きな鍵となっている。

日本は、冷戦終結のチャンスを生かすことができなかったばかりでなく、逆に新ガイドライン・周辺事態関連法の採択や有事法制の整備を通じた日米安保の強化等による、北朝鮮および中国の敵視・封じ込めという、きわめて危険な選択を行った。さらに、現在進められようとしている在日米軍再編の動きと日本国憲法および教育基本法の改悪の策動は密接な関係を持っており、その主な狙いが海外での日米共同の軍事作戦を可能にすることにあることは明らかだ。米軍の世界的再編は従来の前方展開戦略と新しい先制攻撃戦略が結びついた形で進められており、キャンプ座間や横田基地への日米司令部機能の集中に象徴される在日米軍と自衛隊の一体化は、「日本全土の沖縄化」を進め、ミサイル防衛(MD)に見られるような集団的自衛権の行使を合憲とするための憲法改悪を先取りしたものである。それは、日本を海外で米国と一体となった「(加害者としての)戦争のできる国」(=「小さなアメリカ」・「第二のイギリス」)にするものであることに他ならない。昨年の総選挙でも敢えて民意を問わず、また議会での十分な審議を全く欠いた形で行われた今回の日米両政府による一方的な決定は、議会制民主主義が危機に瀕していることを示している。戦後一貫して「日本(本土)と米国の二重の植民地状態」に置かれ続けてきた沖縄をはじめ、新たな基地負担を強いられる全国各地の地元自治体や地域住民の意向を無視した、こうした頭ごなしの決定が到底受け入れ難いのは当然である。また、過去の戦争に対する反省・謝罪と不戦の誓いの上に出来た平和憲法の全面的改悪は、アジア諸国に対する大きな背信行為となるばかりでなく、世界の非武装化という人類共通の理想の実現に向けた先駆的な役割を自ら投げ捨てることを意味している。

日本は、過去の植民地支配・侵略戦争の結果としての朝鮮半島の分断、未曾有の犠牲を出した朝鮮戦争への関与と戦争特需という恩恵の享受、という形で朝鮮半島の人々に特別な責任・義務を背負っている。日本がいまなすべきことは、過去の戦争責任や戦後補償の問題に誠実に向き合うとともに、朝鮮半島における核・ミサイル問題の解決に現在の6ヶ国協議の枠組みの中で粘り強く努力し、将来における朝鮮半島の平和的統一や東北アジアの非核地帯設置などを通じた形での冷戦構造の克服と東アジアにおける平和の実現へ向けて真剣に取り組んでいくことであろう。北朝鮮に対して核先制攻撃も辞さない強硬路線を取り続けるブッシュ政権にいたずらに追随し、拉致問題による国民感情の悪化を理由とした北朝鮮への経済制裁発動を行うことがいかに不毛な選択であるかは言うまでもない。

東アジアにおける核を含む対立といった深刻な危機を招き、21世紀に生きる若い世代(特に沖縄や在日の人々)に大きな負担・犠牲を強いることになるこうした不毛な選択ではなく、いまこそ私たちは、これに代わる、「押しつけられた」安保・再軍備からの脱却というもう一つの新たな「平和への選択」を考えるときではないだろうか。それは、失われた選択、すなわち平和憲法に基づく「非武装中立の平和国家」たらんとする道であり、アジアおよび沖縄との共生を実現する道であろう(拙著『危機の時代の平和学』法律文化社、2006年、を参照)。

 

おわりにー思考停止と沈黙からの脱却を

「とっくの昔に破局が訪れているのに、あたかも回避する方途や再生の道があるかのように、危機だ、危機だと騒ぐのも、この時代特有の詐術でしょう」(辺見庸『自分自身への審問』毎日新聞社、2006年)との指摘があるように、根拠のない無責任な楽観論は厳に戒めるべきであろう。戦後民主主義が「安楽死」しつつあるのは現実である。しかし、現在の危機的状況がすでに全面的な破局に向かう「不可逆点」を越えているから何も打つ手はないと言って、ここで絶望し諦めることもできない。

次に続く若い世代のためにも、私たちが「平和への選択」をこの危機の時代においてこそ明確に提示する必要があるのではないだろうか。「わたしたちのファシズム(われわれのうちなるファシズム)」という言葉があるように、最も問わなければならないのは、私たち自身の心のあり方である。いま私たちが異議申し立てをそれぞれの方法・立場からしなければ、こうした状況がさらに悪化することは目に見えている。

この点で、ファシズムを身をもって体験されたばかりでなく、戦前からのファシズム研究の先駆者の一人で、戦後いち早く『ファシズム』(岩波新書、1949年)を発表された故具島兼三郎先生の「ファシズムはけっして宿命的なものでもなければ、不可抗力でもない。要はわれわれがそれを阻止するために行動するかどうかである。行動しさえすれば、それを阻止することができる」という言葉がずっしりと重く心に響いてくる。私たちは一刻も早く、思考停止状態から脱却し、「騙される者(沈黙をする者)の責任」を自覚するべきである(フランク・パヴロフ『茶色の朝』大月書店、2003年、にある高橋哲哉氏のメッセージを参照)。

それでは何をすべきかと言えば、やはり、自立と連帯、すなわち市民一人ひとりが身近かな問題に主体的に取り組むことからはじめて、それを仲間とともに地域から全国、日本から世界へと大きく広げていくという地道な努力を日々重ねていくしかない。市民による権力と資本の監視と抑制こそが文民統制の神髄であり、真の民主主義への道であることは言うまでもない。

具体的には、市民による独立メディアの構築、過去清算・戦後処理の根本的やり直し、日韓中台あるいは日米の市民レベルでの連帯・協力の強化、独裁主義・ファシズムに道を開く非民主的な小選挙区制度の完全撤廃、対米従属と思考停止の根源である日米安保条約の見直し・廃棄、一連の言論統制法を含む有事法制の即時廃止と憲法・教育基本法の改悪阻止などの諸課題に早急に取り組まなければならない。すでに世界(特に米国)では9・11事件以降の催眠状態から覚醒した市民による平和と民主主義を取り戻すための運動が始まっている。また、日本国内でも私たちに勇気と希望を与えてくれるさまざまな新しい注目すべき動きがすでに生まれている。

かつてと同じ過ちを再び繰り返さないためにも、言論の自由が曲がりなりにも保障されているいまだからこそ、一人ひとりが悔いのない選択・行動をする必要があるのではないだろうか。「人間であるがゆえの恥辱」(辺見庸氏の言葉)を、これ以上他者だけでなく自分自身にも与えないためにも…。

 

(明治大学軍縮平和研究所編『軍縮地球市民』第6号、2006年7月発行に掲載)